枕草子 第42段 日記的章段
小白川といふ所は
小一条大将済時の邸小白川で催された結縁八講には、都じゅうの人が集まった。涼やかな装いの上達部たちのなか、義懐中納言の姿はひときわ美しい。作者は早めに退出しようとして義懐に冷やかされるが、その義懐は二十日ほど後に出家してしまう。

- 1ととといふいふいう所所ところははは、、、小小こ一一いち條條じょうののの大大だい將將しょう殿殿どのののの御御おおん家家いえぞぞぞかしかしかし。。。それそれそれにてにてにて上上かん達達だち部部め、、、けちえんけちえんけちえんののの八八はつ講講こうししし給給たまふふうににに、、、いみじくいみじくいみじくめでたきめでたきめでたき事事ことにてにてにて、、、世世よののの中中なかののの人人ひとののの集集あつまりりり行行ゆきききててて聞聞きくくく。。。「「「おそからおそからおそからむむん車車くるまはははよるよるよるべきべきべきやうやうようもももなしなしなし」」」ととといへいへいえばばば、、、露露つゆとととともともともににに急急いそぎぎぎおきおきおきててて、、、げにげにげにぞぞぞひまひまひまなかりなかりなかりけるけるける。。。ながえながえながえののの上上うえににに又又またさしさしさし重重かさねねねててて三三みつつつばかりばかりばかりまでまでまでははは少少すこししし物物ものももも聞聞きこゆゆゆべしべしべし。。。六月六月ろくがつ十十とおよよよ日日かにてにてにて、、、あつきあつきあつきことことこと世世よににに知知しらららぬぬぬほどほどほどなりなりなり。。。池池いけのののはちすはちすはちすををを見見みやるやるやるのみのみのみぞぞぞ少少すこししし凉凉すずしきしきしき心心ここちちちするするする。。。
- 2左左そ右右うのののおとゞおとゞおとどたちたちたちをををおきおきおき奉奉たてまつりりりてててはははおはせおはせおわせぬぬぬ上上かん達達だち部部めなしなしなし。。。二二ふた藍藍あいののの直衣直衣のうし指指さし貫貫ぬき、、、淺淺あさ黃黃ぎのののかたびらかたびらかたびらをををぞぞぞすかしすかしすかし給給たまへへえるるる。。。少少すこしししおとなびおとなびおとなび給給たまへへえるるるははは靑靑あおにびにびにびのののさしぬきさしぬきさしぬき白白しろききき袴袴はかまもももすゞしげすゞしげすずしげなりなりなり。。。やすちかやすちかやすちかののの宰宰さい相相しょうなどなどなどももも若若わかやぎやぎやぎだちだちだちてててすべてすべてすべてたふときたふときとうときことことことののの限限かぎりにににもももあらあらあらずずず、、、をかしきをかしきおかしき物物もの見見みなりなりなり。。。廂廂ひさしのののみすみすみす高高たかくくくまきまきまき上上あげげげてててなげしなげしなげしのののうへうへうえににに上上かん達達だち部部め奥奥おくににに向向むかひひいててて、、、ながながながながながながとととゐゐい給給たまへへえりりり。。。そのそのそのしもしもしもにににははは殿上人殿上人てんじょうびと、、、わかきわかきわかききんだちきんだちきんだち、、、かりかりかりさうぞくさうぞくそうぞく、、、直衣直衣のうしなどなどなどもももいといといとをかしくをかしくおかしくてててゐゐいもももさだまらさだまらさだまらずずず、、、こゝかしここゝかしこここかしこににに立立たちちちさまよひさまよひさまよい、、、あそびあそびあそびたるたるたるもももいといといとをかしをかしおかし。。。實實さね方方かたののの兵兵ひょう衞衞えののの佐佐すけ、、、なかあきらなかあきらなかあきらののの侍侍じ從從じゅうなどなどなど家家いえののの子子こにてにてにて今今いますこしすこしすこしいでいでいでいりいりいりたりたりたり。。。まだまだまだ童童わらわなるなるなるきんだちきんだちきんだちなどなどなどいといといとをかしうをかしうおかしゅうててておはすおはすおわす。。。
- 3少少すこししし日日ひたけたけたけたるたるたるほどほどほどににに三位三位さんみ中將中將ちゅうじょうとはとはとは關關かん白白ぱく殿殿どのをををぞぞぞ聞聞きこえええししし。。。かうかうこうのののうすうすうすものものもの、、、二二ふた藍藍あいののの直衣直衣のうし、、、おなじおなじおなじ指指さし貫貫ぬき、、、こきこきこき蘇蘇す枋枋おうののの御御おおん袴袴はかまににに、、、はりはりはりたるたるたる白白しろきききひとへひとへひとえのののいといといと鮮鮮あざやかやかやかなるなるなるををを着着き給給たまひひいててて、、、步步あゆみみみ入入いりりり給給たまへへえるるる、、、さばかりさばかりさばかりかろびかろびかろび凉凉すずしげしげしげなるなるなる中中なかににに、、、あつかはしげあつかはしげあつかわしげなるなるなるべけれべけれべけれどどど、、、いみじういみじういみじゅうめでたしめでたしめでたしとととぞぞぞ見見みえええ給給たまふふう。。。ほそほそほそぬりぬりぬりぼねぼねぼねなどなどなど、、、骨骨ほねはははかはれかはれかわれどどど、、、たゞたゞただ赤赤あかききき紙紙かみをををおなじおなじおなじなみなみなみにににうちうちうちつかひつかひつかい持持もちちち給給たまへへえるるるははは、、、なでしこなでしこなでしこのののいみじういみじういみじゅう咲咲さきききたるたるたるにににぞぞぞいといといとよくよくよく似似にたるたるたる。。。まだまだまだ講講こう師師じももものぼらのぼらのぼらぬぬぬ程程ほどにににかけかけかけばんばんばんどもどもどもしししててて何何なににににかかかはははあらあらあらむむん物物もの參參まいるるるべしべしべし。。。ののの中中ちゅう納納な言言ごんののの御御おおんありさまありさまありさま、、、常常つねよりよりよりもももまさりまさりまさりててて清清きよげげげにににおはするおはするおわするさまさまさまぞぞぞ限限かぎりなきなきなきややや。。。上上かん達達だち部部めののの御御おおん名名ななどなどなど書書かくくくべきべきべきにににもももあらあらあらぬぬぬををを、、、誰誰たれなりなりなりけむけむけんととと少少すこしししほどほどほどふれふれふればばば、、、色色いろあひあひあいはなばなはなばなはなばなととといみじくいみじくいみじく、、、にほひにほひにおいあざやかあざやかあざやかにににいづれいづれいずれともともともなきなきなき中中なかのののかたびらかたびらかたびらををを、、、これこれこれはははまことまことまことにににたゞたゞただ直衣直衣のうし一一ひとつつつををを着着きたるたるたるやうやうようにてにてにて常常つねににに車車くるまのののかたかたかたををを見見みおこせおこせおこせつゝつゝつつ物物ものなどなどなどいひいひいいおこせおこせおこせ給給たまふふう。。。をかしをかしおかしととと見見みぬぬぬ人人ひとなかりなかりなかりけむけむけんををを、、、
- 4後後のちにににきききたるたるたる車車くるまのののひまひまひまもももなかりなかりなかりけれけれければばば、、、池池いけにににひきひきひき寄寄よせせせたてたてたてたるたるたるををを見見み給給たまひひいててて、、、實實さね方方かたののの君君きみににに「「「人人ひとのののせうそこせうそこしょうそこつきづきしくつきづきしくつきづきしくいひいひいいつつつべからべからべからむむんものものもの一一ひと人人り」」」ととと召召めせせせばばば、、、いかなるいかなるいかなる人人ひとにににかかかあらあらあらむむん、、、えりえりえりてててゐゐいててておはしおはしおわしたるたるたるににに「「「いかゞいかゞいかが言言いひひい遣遣やるるるべきべきべき」」」ととと近近ちかくくく居居い給給たまへへえるるるばかりばかりばかり言言いひひい合合あわせせせてててやりやりやり給給たまははわむむん事事ことははは聞聞きこえええずずず。。。いみじくいみじくいみじくよそひよそひよそいしししててて車車くるまのののもともともとににに歩歩あゆみみみよるよるよるをををかつはかつはかつは笑笑わらひひい給給たまふふう。。。あとあとあとのののかたかたかたににによりよりよりててていふいふいうめりめりめり。。。久久ひさしくしくしく立立たてててれれればばば歌歌うたなどなどなどよむよむよむにににやややあらあらあらむむん。。。兵兵ひょう衞衞え佐佐すけ「「「返返かえしししおもびおもびおもびまうけまうけもうけよよよ」」」などなどなど笑笑わらひひいててていつしかいつしかいつしかかへりかへりかえりごとごとごと聞聞きかかかむむんととと、、、おとなおとなおとな上上かん達達だち部部めまでまでまで皆皆みなそなたそなたそなたざまざまざまににに見見みやりやりやり給給たまへへえりりり。。。げにげにげにけそうけそうけそうののの人々人々ひとびとまでまでまで見見みやりやりやりしししもももをかしうをかしうおかしゅうありありありしししををを、、、かへりかへりかえり事事ごときゝきゝききたるたるたるにににややや、、、すこしすこしすこし步步あゆみみみくるくるくる程程ほどににに扇扇おうぎをををさしさしさし出出いでゝでゝでて呼呼よびびびかへせかへせかえせばばば、、、歌歌うたなどなどなどのののもじもじもじをををいひいひいい過過あやまちちちてててばかりばかりばかりこそこそこそ呼呼よびびびかへさかへさかえさめめめ、、、久久ひさしかりしかりしかりつるつるつる程程ほどににに、、、あるあるあるべきべきべきとととかかかははは、、、猶猶なおすすすべきべきべきにににもももあらあらあらじじじものものものをををとととぞぞぞ覺覺おぼえええたるたるたる。。。近近ちかくくく參參まいりりりつゝつゝつつももも心心こころもとなくもとなくもとなく「「「いかにいかにいかにいかにいかにいかに」」」ととと誰誰たれももも問問とひひい給給たまへへえどもどもどもいはいはいわずずず。。。權權ごん中中ちゅう納納な言言ごん見見み給給たまへへえばばば、、、そこそこそこににによりよりよりてててけしきばみけしきばみけしきばみ申申もうすすす。。。三位三位さんみののの中將中將ちゅうじょう「「「とくとくとくいへいへいえ。。。あまりあまりあまりうしんうしんうしんすぎすぎすぎてててしししそこなふそこなふそこなうななな」」」とととのたまふのたまふのたまうににに、、、「「「これこれこれももも唯唯ただおなじおなじおなじ事事ことににになむなむなん侍侍はべるるる」」」ととといふいふいうははは聞聞きこゆゆゆ。。。藤藤とう大大だい納納な言言ごんははは人人ひとよりよりよりもももけにけにけにのぞきのぞきのぞきててて「「「いかゞいかゞいかがいひいひいいつるつるつる」」」とととのたまふのたまふのたまうめれめれめればばば、、、三位三位さんみののの中將中將ちゅうじょう「「「いといといとなほきなほきなおき木木きをををなむなむなん押押おししし折折おりりりたたためるめるめる」」」ととと聞聞きこえええ給給たまふふうににに、、、うちうちうち笑笑わらひひい給給たまへへえばばば、、、皆皆みな何何なにとととなくなくなくさとさとさと笑笑わらふふう聲聲こえ聞聞きこえええやややすすすらむらむらん。。。中中ちゅう納納な言言ごん「「「さてさてさて呼呼よびびび返返かえささされれれつるつるつるさきさきさきにににはははいかゞいかゞいかがいひいひいいつるつるつる。。。これこれこれやややなほしなほしなおしたるたるたることことこと」」」ととと問問とひひい給給たまへへえばばば「「「久久ひさしうしうしゅうたちたちたちててて侍侍はべりりりつれつれつれどもどもども、、、ともかくもともかくもともかくも侍侍はべらららざりざりざりつれつれつればばば、、、さささははは參參まいりりりなななむむんとてとてとてかへりかへりかえり侍侍はべるるるををを、、、呼呼よびびびててて」」」とととぞぞぞ申申もうすすす。。。「「「たれたれたれががが車車くるまならならならむむん、、、見見み知知しりりりたりたりたりややや」」」などなどなどのたまふのたまふのたまうほどほどほどににに、、、講講こう師師じのぼりのぼりのぼりぬれぬれぬればばば、、、皆皆みなゐゐいしづまりしづまりしずまりてててそなたそなたそなたをををのみのみのみ見見みるるるほどほどほどににに、、、このこのこの車車くるまはははかいかいかいけつけつけつやうやうようにににうせうせうせぬぬぬ。。。したしたしたすだれすだれすだれなどなどなど、、、たゞたゞただけふけふきょうはじめはじめはじめたりたりたりととと見見みえええててて、、、濃濃こきききひとへひとへひとえがさねがさねがさねににに、、、二二ふた藍藍あいののの織織おり物物もの蘇蘇す枋枋おうのののうすうすうすものものものゝゝのうはうはうわぎぎぎなどなどなどにてにてにて、、、しりしりしりにににすりすりすりたるたるたるもももやがてやがてやがてひろげひろげひろげながらながらながらうちうちうち懸懸かけけけなどなどなどしししたるたるたるはははなになになに人人びとならならならむむん、、、何何なにかかかははは、、、人人ひとのののかたはかたはかたわならならならむむんことことことよりよりよりはははげにげにげにととときこえきこえきこえててて、、、なかなかなかなかなかなかいといといとよしよしよしとととぞぞぞ覺覺おぼゆるゆるゆる。。。
- 5あさざあさざあさざののの講講こう師師じ、、、かうざかうざこうざのののうへうへうえももも光光ひかりみちみちみちたるたるたる心心ここちちちしししててていみじくいみじくいみじくぞぞぞあるあるあるややや。。。あつさあつさあつさののの侘侘わびしきしきしきにににそへそへそえてててしししさすさすさすまじきまじきまじき事事ことののの今日今日きょうすぐすすぐすすぐすまじきまじきまじきをををうちうちうち置置おきききててて、、、唯唯ただ少少すこししし聞聞ききききててて歸歸かえりりりなななむむんとととしししつるつるつるををを、、、しきしきしきなみなみなみにににつどひつどひつどいたるたるたる車車くるまののの奧奧おくににになむなむなん居居いたれたれたればばば、、、出出いづづずべきべきべきかたかたかたもももなしなしなし。。。あしたあしたあしたののの講講こうはてはてはてなななばばばいかでいかでいかで出出いでででなななむむんとてとてとてまへまへまえなるなるなる車車くるまどもどもどもにににせうそこせうそこしょうそこすれすれすればばば、、、近近ちかくくくたゝたゝたたむむんうれしさうれしさうれしさにににややや、、、はやばやはやばやはやばやとととひきひきひき出出いででであけあけあけててて出出いだすすすををを見見み給給たまふふう。。。いといといとかしかましきかしかましきかしかましきまでまでまで人人ひとごとごとごといふいふいうににに、、、老老おい上上かん達達だち部部めさへさへさへ笑笑わらひひいにくむにくむにくむををを、、、きゝきゝききももも入入いれれれずずずいらへいらへいらえもももせせせでででせばがりせばがりせばがり出出いづれづれずればばば、、、權權ごん中中ちゅう納納な言言ごん「「「やゝやゝややまかりまかりまかりぬるぬるぬるもももよしよしよし」」」とてとてとてうちうちうち笑笑わらひひい給給たまへへえるるるぞぞぞめでたきめでたきめでたき。。。それそれそれももも耳耳みみにににもももとまらとまらとまらずずず、、、暑暑あつきききににに惑惑まどひひい出出いでゝでゝでて、、、人人ひとしししててて「「「五五ご千千せん人人にんののの中中なかにににははは入入いらららせせせ給給たまははわぬぬぬやうやうようもももあらあらあらじじじ」」」ととと聞聞きこえええかけかけかけててて歸歸かえりりり出出いでででにににききき。。。
- 6そのそのそのはじめはじめはじめよりよりよりやがてやがてやがてはつるはつるはつる日日ひまでまでまでたてるたてるたてる車車くるまのののありありありけるけるけるががが、、、人人ひと寄寄よりりりくくくともともとも見見みえええずずず。。。すべてすべてすべてたゞたゞただあさましうあさましうあさましゅう繪繪えなどなどなどのののやうやうようにてにてにて過過すごしごしごしけれけれければばば、、、ありがたくありがたくありがたくめでたくめでたくめでたく心心こころにくゝにくゝにくく「「「いかなるいかなるいかなる人人ひとならならならむむん、、、いかでいかでいかで知知しらららむむん」」」ととと問問とひひいけるけるけるををを聞聞きききき給給たまひひいててて、、、藤藤とう大大だい納納な言言ごん「「「なになになにかかかめでたからめでたからめでたからむむん、、、いといといとにくしにくしにくし。。。ゆゝしきゆゝしきゆゆしき物物ものにににこそこそこそあああなれなれなれ」」」とととのたまひのたまひのたまいけるけるけるこそこそこそをかしけれをかしけれおかしけれ。。。
- 7さてさてさてそのそのその二二は十十つ日日かあまりあまりあまりににに、、、中中ちゅう納納な言言ごんののの法法ほう師師しににになりなりなり給給たまひひいにににしししこそこそこそあはれあはれあわれなりなりなりしかしかしか。。。櫻櫻さくらなどなどなどののの散散ちりりりぬるぬるぬるももも猶猶なおよよよのののつねつねつねなりなりなりややや。。。「「「老老おいををを待待まつつつまままののの」」」とととだにだにだにいふいふいうべくべくべくもももあらあらあらぬぬぬ御御おおんありさまありさまありさまにににこそこそこそ見見みえええ給給たまひひいしかしかしか。。。
現代語訳
小白川という所は、小一条の大将殿の御邸である。そこで上達部たちが結縁の八講を催しなさったところ、たいそうすばらしい催しだというので、世の中の人々が集まって聴聞に行く。「遅く行った車は、寄せる場所もない」と言うので、露が置くのと同時に急いで起きて出かけたが、なるほど隙間もなかった。轅の上にさらに重ねるようにして、三列目くらいまでは、少しは説経も聞こえるだろう。六月十日過ぎのことで、暑さは世に例がないほどである。池の蓮を見やるのだけが、少し涼しい気持ちがする。
左右の大臣たちを除いては、来ていらっしゃらない上達部はいない。二藍の直衣や指貫に、浅葱色の帷子を透かして着ていらっしゃる。少し年配の方は、青鈍の指貫に白い袴も涼しげである。保光の宰相なども若々しくふるまって、すべてが尊い法会というだけでなく、おもしろい見物である。廂の御簾を高く巻き上げて、長押の上に上達部たちが奥に向かって、ずらりと並んで座っていらっしゃる。その下手には、殿上人や若い公達が、狩装束や直衣姿もたいそう趣があって、座っても落ち着かず、あちこち立ち歩いて遊んでいるのも、たいそうおもしろい。実方の兵衛佐や長明の侍従などは、この家の子として、もう少し気軽に出入りしている。まだ童の公達なども、たいそうかわいらしくていらっしゃる。
少し日が高くなったころに、三位の中将、それは今の関白殿を当時そう申し上げたのだが、香染の薄物、二藍の直衣、同じ色の指貫、濃い蘇枋の御袴に、張りのある白い単衣のたいそう鮮やかなのを着て、歩いて入っていらっしゃったのは、あれほどみなが軽やかで涼しげな中では、暑苦しそうに見えるはずなのに、たいそうすばらしくお見えになる。細塗骨など、骨はそれぞれ違うけれど、ただ赤い紙の扇をみな同じように使って持っていらっしゃるのは、撫子がたくさん咲いているのにとてもよく似ている。まだ講師も高座に上らないうちに、懸盤などを運んで、何であろうか、お食事を召し上がるようだ。義懐の中納言のご様子は、いつもよりまさって美しくいらっしゃるさまは、この上ない。上達部のお名前などは書くまでもないのだが、誰だったかしらと、少し時がたつと思い出せなくなるので書いておく。色合いが華やかで美しく、色つやも鮮やかで、どれも見分けがつかないほど美しい帷子の中で、この方は本当にただ直衣一枚を着ているように見えて、いつも女車の方に目をやっては、何か言葉をかけていらっしゃる。すばらしいと見ない人はいなかっただろうが、
後から来た車が、すき間もなかったので、池のほうに引き寄せて止めていたのをご覧になって、義懐は実方の君に「人への伝言を、場にふさわしく言えそうな者を一人」とお呼びになると、どういう人だろうか、選んで連れていらっしゃったので、「どう言ってやろうか」と、近くにいらっしゃる人とだけ相談して伝言をおやりになる言葉は、こちらには聞こえない。使いはたいそう身なりを整えて、その車のもとへ歩み寄るのを、一方ではお笑いになる。車の後ろの方に寄って言うようだ。長く立っているので、返歌などを詠んでいるのだろうか。兵衛佐が「返歌の用意をしておけ」などと笑って、早く返事を聞こうと、年配の上達部まで、みなその方を見やっていらっしゃる。なるほど、見物の人々までがそちらを見やっていたのもおもしろかったが、返事を聞いたのか、使いが少し歩いて戻ってくるときに、車の中から扇を差し出して呼び返したので、歌の文字を言い誤ったときにこそ呼び返すものなのに、あれほど長くかかったのだから、直すべきこともあるまいに、と思われた。使いが近くに戻ってくるのも待ちきれず、「どうだった、どうだった」と誰もがお尋ねになるけれど、使いは答えない。権中納言が呼んでいらっしゃるので、そこに寄って、もったいぶって申し上げる。三位の中将が「早く言え。あまり考えすぎて言いそこなうな」とおっしゃると、「これも同じことでございます」と言うのは聞こえる。藤大納言は、人よりも特にのぞき込んで「何と言ったのか」とおっしゃるようなので、三位の中将が「たいそうまっすぐな木を、押し折ったようです」と申し上げなさると、大納言がお笑いになるので、みな何となくどっと笑う声が、女車にも聞こえているだろうか。中納言が「それで、呼び返される前には何と言ったのか。これは言い直したのか」とお尋ねになると、「長く立っておりましたが、何のお返事もございませんでしたので、それでは帰りましょうと戻ってまいりましたところを、呼び返して」と申し上げる。「誰の車だろう。知っているか」などとおっしゃっているうちに、講師が高座に上ったので、みな静まって講師の方ばかりを見ているうちに、この車は消えるようにいなくなってしまった。下簾なども、ただ今日初めて掛けたように見えて、濃い色の単襲に、二藍の織物や蘇枋の薄物の表着などを着て、車の後ろに摺り模様の裳を、そのまま広げて掛けたりしていたのは、どういう人だったのだろう。なまじっかな返歌をして人の物笑いになるよりは、なるほどもっともだと思われて、かえってたいそうよいと思われる。
朝座の講師の清範は、高座の上まで光が満ちたように思われて、たいそうすばらしい。暑さのつらさに加えて、中途半端にしておけない用事で、今日のうちに済ませなければならないことをさしおいて、ほんの少し聞いて帰ろうと思っていたのに、重なるように集まっている車の奥にいたので、出るすべもない。朝座の講が終わったら何とか出ようと、前にいる車に伝言をすると、近くに車を立てられるうれしさからか、早々と車を引き出して道をあけて、出してくれるのをご覧になる。うるさいほど人々が何か言うのに、年配の上達部まで笑って憎らしがるのを、耳にも入れず返事もしないで、窮屈そうに出て行くと、権中納言が「おや、退出するのもよかろう」と言ってお笑いになったのは、すばらしい。それも耳に入らず、暑さに途方にくれて出てきて、人に言わせて「あなたも、いずれは五千人の中にお入りにならないこともないでしょう」と申し上げて帰ってきた。
その八講の始まりから、終わる日まで、ずっと立てたままの車があったが、人が寄っていくとも見えない。すべてただもう驚くほど、絵などのように静かに過ごしていたので、めったにないことで、すばらしく、奥ゆかしく、「どういう人だろう。何とかして知りたい」と人々が尋ねたのをお聞きになって、藤大納言が「何がすばらしいものか。たいそう憎らしい。気味の悪い者に違いない」とおっしゃったのは、おもしろい。
さて、その月の二十日過ぎに、中納言が出家なさってしまったのは、しみじみと悲しいことだった。桜などが散ってしまうのも、まだ世の常のことだ。「老いを待つ間の」とさえ言えないほどの、お若いご様子に見えたのに。
意訳
夏の盛り、小白川で開かれた結縁八講は、信仰の場であると同時に、都の貴族たちの晴れの社交場だった。作者は、涼しげな装いの上達部たち、撫子の花のように並んだ赤い扇、とりわけ美しい義懐中納言の姿を、まるで絵巻のように描き出す。義懐が見知らぬ女車に歌を贈り、返事を待つ一同の騒ぎ、作者が早めに抜け出そうとして義懐に「五千人の中に入れぬこともあるまい」と法華経の故事で切り返す場面など、華やかな一日が生き生きと語られる。ところがその義懐は、わずか二十日ほど後に、花山天皇の出家に従って世を捨ててしまう。華やかな記憶の最後に置かれたこの一行が、人の世の無常を強く印象づけている。
語釈・文法注
- こしらかは
- 小白川。京の東、白川のあたりにあった、小一条大将藤原済時(なりとき)の別邸。寛和二年(986)六月、ここで法華八講が催された。
- よしちか
- 藤原義懐(よしちか)。花山天皇の叔父で、権中納言として政治の中心にいたが、この八講の直後に天皇とともに出家した。
- せいはん
- 清範。弁舌の巧みさで知られた興福寺の僧。
文法
- 「三位中將とは關白殿をぞ聞えし」
- 当時「三位の中将」と申し上げたのは、今の関白殿(藤原道隆)である。作者が後から書き添えた注釈的な一文。
- 「あまりうしんすぎて」
- 「うしん」は有心(思慮深いこと)。あまり考えすぎて。
- 「いとなほき木をなむ押し折りためる」
- まっすぐな木を押し折ったようだ。使いが呼び返されたのは、まともな返事ではなかった、という意をこめた冗談と解される。
- 「五千人の中には入らせ給はぬやうもあらじ」
- 法華経で、釈迦の説法の座から五千人の増上慢の者が退出したという故事を踏まえる。中座する作者を冷やかす義懐に、あなたもいずれは退席する五千人の中に入るでしょう、と切り返した。
- 「老を待つまの」
- 「散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき」などの古歌を踏まえ、老いを待つ間もなく、の意か。
解説
寛和二年(986)六月、小白川で催された法華八講の回想である。作者はまだ宮仕えに出る前で、一人の見物人として参加していた。このとき権勢の頂点にあった義懐は、同じ月の二十三日、花山天皇の突然の出家に従って自らも出家する。
前半では、法会の場に集う上達部や殿上人の装いを、色や布地まで細かく描き分けており、作者の観察眼の鋭さがよく表れている。中ほどの、見知らぬ女車に歌を贈る場面は、宮廷社会の遊びとしての恋愛のありようを伝えている。
最後の数行で、華やかな場面から一転して義懐の出家が語られる。作者は「あはれなりしか」と短く記すのみだが、その簡潔さがかえって、栄華のはかなさを強く印象づける。後の中関白家の没落を知る読者には、いっそう深い感慨を呼ぶ結びである。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、196–199頁(コマ101–102)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日