枕草子 第41段 日記的章段
菩提といふ寺に
菩提寺の結縁八講に参詣した作者は、「早く帰って」という人の手紙に、蓮の花びらに歌を書いて返す。尊さのあまり、そのまま寺にとどまりたいとさえ思った。

- 1菩菩ぼ提提だいととといふいふいう寺寺てらににに八八はつかうかうこうせせせしししががが、、、きゝきゝききにににまうでまうでもうでたるたるたるににに、、、人人ひとのののもともともとよりよりより「「「とくとくとく歸歸かえりりり給給たまへへえ、、、いといといとさうざうしさうざうしそうぞうし」」」ととといひいひいいたれたれたればばば、、、はちすはちすはちすのののはなはなはなびらびらびらににに、、、
- 2「「「もとめもとめもとめてててもももかゝるかゝるかかるはちすはちすはちすののの露露つゆをををおきおきおきてててうきうきうき世世よにににまたまたまたははは歸歸かえるるるものものものかかかははは」」」
- 3ととと書書かきききてててやりやりやりつつつ。。。まことまことまことにににいといといとたふとくたふとくとうとく哀哀あわれなれなれなればばば、、、やがてやがてやがてとまりとまりとまりぬぬぬべくべくべくぞぞぞ覺覺おぼゆるゆるゆる。。。ががが家家いえののの人人ひとのののもどかしさもどかしさもどかしさももも忘忘わすれれれぬぬぬべしべしべし。。。
現代語訳
菩提という寺で結縁八講が行われたのを、聴聞に参詣していたところ、ある人のもとから「早くお帰りなさい。とても寂しい」と言ってきたので、蓮の花びらに、
わざわざ求めてでも置きたいこの蓮の露(尊い教え)をさしおいて、つらいこの世にまた帰るものでしょうか。
と書いて送った。本当にたいそう尊く、心にしみるので、そのまま寺にとどまってしまいたいと思われる。湘中の家の人が帰りを待ちわびたもどかしさも、忘れてしまいそうだ。
意訳
結縁のための法華八講に参詣していた作者のもとに、早く帰ってきてほしいという手紙が届く。作者は寺の池の蓮の花びらに、尊い法の露をおいて、つらい俗世に帰れるものですか、と書いて返した。仏の教えにすっかり心をひかれた、作者の信仰心の深さがうかがえる段である。
語釈・文法注
- けちえん
- 結縁。仏と縁を結ぶこと。結縁八講は、法華経八巻を八回に分けて講じる法会に参加して、仏との縁を結ぶもの。
- さうちう
- 湘中。中国の故事で、湘中の老人が仙道を求めて帰らず、家の者が待ちわびたという話を踏まえる。
文法
- 「歸るものかは」
- 「ものかは」は反語。帰るものだろうか、いや帰りはしない。
和歌
もとめてもかかるはちすの露をおきてうき世にまたは帰るものかは
- 詠者
- 清少納言
- 状況
- 菩提寺の結縁八講に参詣中、早く帰るよう促す手紙を受けて、蓮の花びらに書いて返した歌。
修辞
- 「はちすの露」
- 蓮の葉に置く露。仏の教えのたとえ。「露をおきて」は「露を置いて」と「露をさしおいて」をかける。
解説
作者自身が詠んだ歌を含む日記的章段である。菩提寺は京の東にあった寺で、結縁八講には多くの人が集まった。
前の段で説経の場に集まる人々を皮肉に描いた作者が、ここでは自ら仏の教えに深く心を動かされている。蓮の花びらに歌を書くという趣向も、その場にふさわしい機知にあふれている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、195–196頁(コマ100–101)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日