枕草子 第28段 日記的章段
小一条院をば
今内裏の小一条院で、一条天皇が笛の師高遠とともに「高砂」を吹かれる。また、蔵人すけただをからかう歌を笛で吹かせ、帝が本人に聞こえないよう小さく吹かれるさまを描く。

- 1小小こ一一いち條條じょうをををばばば今今いま内内だい裏裏りとととぞぞぞいふいふいう。。。おはしますおはしますおわします殿殿とのははは淸淸せい凉凉りょう殿殿でんにてにてにて、、、そのそのその北北きたなるなるなる殿殿とのにににおはしますおはしますおわします。。。西西にし東東ひんがしはははわたどのわたどのわたどのにてにてにて渡渡わたらららせせせ給給たまふふう。。。常常つねにににまうまうもうのぼらのぼらのぼらせせせ給給たまふふうおまへおまへおまえはははつぼつぼつぼなれなれなればばば、、、前前せん栽栽ざいなどなどなどうゑうゑうえ、、、ませませませゆひゆひゆいててていといといとをかしをかしおかし。。。二月二月にがつ十日十日とおかののの日日ひのののうらうらうらうらうらうらととと長長のど閑閑かににに照照てりりり渡渡わたるるるににに、、、わたどのわたどのわたどのゝゝの西西にしののの廂廂ひさしにてにてにてうへうへうえののの御御おおん笛笛ふえふかふかふかせせせ給給たまふふう。。。高高たか遠遠とおののの大大だい御御おおん笛笛ふえののの師師しにてにてにて物物ものししし給給たまふふうををを、、、ことことことふえふえふえ二二ふたつつつしししててて高高たかををををりをりおりかへしかへしかえし吹吹ふかかかせせせ給給たまへへえばばば、、、なほなほなおいみじういみじういみじゅうめでたしめでたしめでたしととといふいふいうもももよよよのののつねつねつねなりなりなり。。。御御おおん笛笛ふえののの師師しにてにてにてそのそのそのことことことゞもゞもどもなどなどなど申申もうししし給給たまふふういといといとめでたしめでたしめでたし。。。みすみすみすのののもともともとににに集集あつまりりり出出いでゝでゝでて見見み奉奉たてまつるるるをりをりおりなどなどなどははは、、、我我わががが身身みにににせりせりせりつみつみつみしししなどなどなど、、、覺覺おぼゆるゆるゆる事事ことこそこそこそなけれなけれなけれ。。。
- 2すけたゞすけたゞすけただははは木工木工もくのののぞうぞうぞうにてにてにて藏藏くら人人うどにににはははなりなりなりにににけるけるける。。。いみじういみじういみじゅう荒々荒々あらあらしうしうしゅうあれあれあればばば、、、殿上人殿上人てんじょうびと女房女房にょうぼうはははあらはにあらはにあらわにとととぞぞぞつけつけつけたるたるたるををを、、、歌歌うたにににつくりつくりつくりててて「「「さうなしさうなしそうなしのののぬしぬしぬし、、、をはりうどをはりうどおわりうどのののたねたねたねにににぞぞぞありありありけるけるける」」」とととうたふうたふうたうははは、、、尾尾お張張はりのののかねときかねときかねときがががむすめむすめむすめののの腹腹はらなりなりなりけりけりけり。。。これこれこれををを笛笛ふえににに吹吹ふかかかせせせ給給たまふふうををを添添そひひい侍侍さぶらひひいててて「「「猶猶なおたかうたかうたこう吹吹ふかかかせせせおはしませおはしませおわしませ。。。えええ聞聞ききききさぶらはさぶらはさぶらわじじじ」」」ととと申申もうせせせばばば「「「いかでかいかでかいかでか、、、さりともさりともさりとも聞聞きききき知知しりりりなななむむん」」」とてとてとてみそかみそかみそかにににのみのみのみ吹吹ふかかかせせせ給給たまふふうををを、、、あなたあなたあなたよりよりより渡渡わたらららせせせおはしましおはしましおわしましててて、、、「「「このこのこのものものものなかりなかりなかりけりけりけり。。。唯唯ただ今今いまこそこそこそふかふかふかめめめ」」」ととと仰仰おおせせせられられられててて吹吹ふかかかせせせたまふたまふたまう、、、いみじういみじういみじゅうをかしをかしおかし。。。
現代語訳
小一条院を今内裏という。帝のおいでになる殿舎は清涼殿として、その北にある殿舎に中宮様はいらっしゃる。西と東は渡殿で、そこを通って帝はお渡りになる。いつも中宮様のもとへ参上なさる道の前は坪庭なので、植え込みなどを植え、垣根を結ってあって、たいそう趣がある。二月十日の日がうららかにのどかに照りわたっている時に、渡殿の西の廂で帝が御笛をお吹きになる。高遠の大弐が御笛の師としていらっしゃるのに、別々の笛二つで「高砂」を繰り返しお吹きになるので、やはりたいそうすばらしいなどと言うのも、ありきたりな言い方だ。御笛の師として、笛のことどもなどを申し上げなさるのも、たいそうすばらしい。御簾のもとに集まり出て拝見しているときなどは、「芹摘みし」などという嘆きの歌のような思いなど、少しもないことだ。
すけただは、木工の允で蔵人になった人である。ひどく荒々しくて無骨なので、殿上人や女房たちは「あらはに」とあだ名をつけたのを、歌に作って「双無しの主、尾張人の種にぞありける(並ぶ者のないご主人は、尾張人の血筋であったよ)」と歌うのは、すけただが尾張の兼時の娘の腹の子だからである。これを帝が笛でお吹きになるのを、おそばにお仕えして「もっと高くお吹きなさいませ。本人には聞こえますまい」と申し上げると、「どうしてどうして。それでも聞いて分かってしまうだろう」とおっしゃって、ひそやかにばかりお吹きになるのに、あちらからお渡りになって、「あの者はいなかった。今こそ吹こう」とおっしゃって、お吹きになるのは、たいそうおもしろい。
意訳
のどかな春の日、若い一条天皇は師とともに笛を吹き、女房たちはその姿に見とれる。作者は「芹摘みし」の古歌のような思いの届かない嘆きなど、ここにはまったくないと幸福をかみしめる。後半は、女房たちがあだ名をつけてからかう歌を、帝が笛で吹いて遊ぶという、ほほえましい場面。本人に聞こえないよう小さく吹き、いないと分かると大きく吹くという、帝の茶目っ気と思いやりが描かれる。
語釈・文法注
- 小一條院
- 内裏の焼失後、一時仮の内裏とされた邸宅。ここでは一条院を指すとする説もある。
- 高遠の大貳
- 藤原高遠。笛の名手で、一条天皇の笛の師を務めた。のち大宰大弐となった。
- 高砂
- 催馬楽の曲名。
文法
- 「我が身にせりつみしなど、覺ゆる事こそなけれ」
- 「芹摘みし昔の人も我がごとや心に物はかなはざりけむ」という古歌を踏まえ、思いがかなわない嘆きなど少しも感じない、という意。
- 「あらはに」
- すけただの荒々しく無作法な様子をからかってつけたあだ名と考えられる。
- 「をはりうどのたね」
- 尾張人の血筋。母方が尾張の兼時の娘であることにかけてからかった。
解説
一条天皇と中宮定子が仮の内裏で過ごした日々の一こまを描く日記的章段である。笛を好んだ一条天皇の姿は、ほかの文献にも伝えられている。
後半の「すけただ」の話は、女房たちのあだ名遊びに帝までが加わる、宮中の和やかな雰囲気をよく伝える。本人を傷つけないよう気を配る帝の人柄にも、作者は好意的なまなざしを向けている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、189–190頁(コマ97–98)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日