枕草子 第23段 随想的章段
おひさきなく
将来の望みもなく家に閉じこもって小さな幸せに満足している女性は気の毒だ。しかるべき家の娘は宮仕えに出して世の中を見せるべきだと述べ、宮仕えの女性を軽く見る男たちに反論する、作者の宮仕え論。

- 1おひおひおいさきさきさきなくなくなくまめやかまめやかまめやかにににえせえせえせなどなどなど見見みててて居居いたらたらたらむむん人人ひとははは、、、いぶせくいぶせくいぶせくあなづらはしくあなづらはしくあなずらわしく思思おもひひいやらやらやられれれててて、、、猶猶なおさりさりさりぬぬぬべからべからべからむむん人人ひとのののむすめむすめむすめなどなどなどははは、、、さしさしさしまじらはまじらはまじらわせせせ、、、世世よののの中中なかののの有有あり樣樣さまももも見見みせせせならはならはならわさささまほしうまほしうまほしゅう、、、內內ないなどなどなどにてにてにてもももしばししばししばしあらせあらせあらせばばばやややとととこそこそこそ覺覺おぼゆれゆれゆれ。。。
- 2宮宮みや仕仕づかえするするする人人ひとをををばばばあはあはしうあはあはしうあわあわしゅうわろきわろきわろきことことことににに思思おもひひい居居いたるたるたる男男おとここそこそこそいといといとにくけれにくけれにくけれ。。。げにげにげにそもそもそも又又またさるさるさる事事ことぞぞぞかしかしかし。。。かけまくもかけまくもかけまくも畏畏かしこきききおまへおまへおまえををを始始はじめめめ奉奉たてまつりりり、、、上上かん達達だち部部め、、、殿上人殿上人てんじょうびと、、、四位四位しい、、、五位五位ごい、、、六六ろく位位い、、、女房女房にょうぼうははは更更さらにににもももいはいはいわずずず、、、見見みぬぬぬ人人ひとはははすくなくすくなくすくなくこそこそこそはははあらあらあらめめめ。。。女房女房にょうぼうのののずんざずんざずんざどもどもどもそのそのその里里さとよりよりよりくるくるくるものものものどもどもども、、、をさめをさめおさめ、、、みかはやうどみかはやうどみかわようど、、、ととといふいふいうまでまでまでいついついつかかかはははそれそれそれををを耻耻はぢぢじかくれかくれかくれたりたりたりししし。。。とのとのとのばらばらばらなどなどなどはははいといといとさしもさしもさしもあらあらあらずずずやややあらあらあらむむん。。。それそれそれもももあるあるある限限かぎりはははさささぞぞぞあらあらあらむむん。。。うへうへうえなどなどなどいひいひいいてててかしづきかしづきかしずきすゑすゑすえたるたるたるににに、、、心心こころにくからにくからにくからずずず覺覺おぼえええむむんことわりことわりことわりなれなれなれどどど、、、內內ない侍侍しのののすけすけすけなどなどなどいひいひいいててて折々折々おりおりうちうちうちへへへ參參まいりりり、、、祭祭まつりののの使使つかいなどなどなどににに出出いでででたるたるたるもももおもだゝしからおもだゝしからおもだたしからずずずやはやはやはあるあるある。。。さてさてさて籠籠こもりりり居居いたるたるたる人人ひとはははいといといとよしよしよし。。。ののの五五ごせちせちせちなどなどなど出出いだすすすをりをりおり、、、さりともさりともさりともいたういたういとうひなびひなびひなび、、、見見み知知しらららぬぬぬことことこと人人ひとににに問問とひひい聞聞ききききなどなどなどはははせせせじじじととと心心こころにくきにくきにくきものものものなりなりなり。。。
現代語訳
将来の望みもなく、ただまじめに、つまらない幸せなどを見て暮らしているような人は、うっとうしく、つまらないものに思いやられて、やはりしかるべき身分の人の娘などは、宮仕えに出して人と交わらせ、世の中の様子も見せて慣れさせたいもので、内侍などとしてでも、しばらく勤めさせたいものだと思われる。
宮仕えをする女性を、軽々しくよくないことのように思っている男こそ、たいそう憎らしい。もっとも、それもまた無理のないことではある。口にするのも恐れ多い帝をはじめとして、上達部、殿上人、四位、五位、六位、女房は言うまでもなく、宮仕えの女性が顔を見ない人は少ないだろう。女房の従者たちや、その里から来る者たち、長女、御厠人、取るに足りない者に至るまで、いつ宮仕えの女性がそれらの人から恥じて隠れたことがあっただろうか。殿方などは、それほどでもないのだろうか。それでも宮中にいるかぎりは、同じようなものだろう。宮仕えをした女性を奥方などと呼んで大切に据えた場合に、奥ゆかしくないと思われるのはもっともだけれど、典侍などと呼ばれて折々内裏へ参上し、賀茂祭の使などに出たりするのも、名誉なことではないだろうか。そうして家に籠もっている人は、たいそうよい。受領が五節の舞姫を出すときなど、宮仕えの経験がある妻なら、そうはいってもひどく田舎じみて、知らないことを人に尋ねたりはしないだろうと、奥ゆかしいものである。
意訳
家に閉じこもって小さな幸せに満足しているだけの女性は、見ていてもどかしい。しかるべき家の娘なら、宮仕えに出して世の中を見せるべきだ。宮仕えの女性は大勢の男に顔を見られてはしたない、と言う男たちがいるが、宮中にいれば誰だって人と顔を合わせるのは同じこと。宮仕えの経験は、のちに妻になってからも役に立つのだ。作者は、自らの生き方を擁護するように、宮仕えの意義を力強く説いている。
語釈・文法注
- えせざいはひ
- 似而非幸い。うわべだけの、取るに足りない幸福。
- 內侍
- 内侍司の女官。天皇の側近く仕え、取り次ぎや儀式に関わった。上位の官は典侍(ないしのすけ)。
- たびしかはら
- 礫瓦(つぶてがわら)。小石や瓦のかけらのように、取るに足りない身分の者のたとえ。
- ずりやう
- 受領。国司として地方に赴任する中級貴族。財力があり、五節の舞姫を差し出す役も務めた。
文法
- 「見せならはさまほしう」
- 「まほし」は願望の助動詞。見せて慣れさせたい。
- 「かけまくも畏き」
- 口に出して言うのも恐れ多い。天皇を指す言い方。
- 「いつかはそれを耻ぢかくれたりし」
- 反語。いつ恥じて隠れたことがあったか、いやない。
- 「おもだゝしからずやはある」
- 反語。名誉なことではないだろうか、いや名誉なことだ。
解説
宮仕えをする女性の立場を論じた随想的章段で、作者の生き方や考え方がはっきりと表れた段として知られる。家に籠もって平凡な幸せに満足する女性を「いぶせく」と言い切り、宮仕えによって世の中を知ることの価値を説く。
当時、宮仕えの女性は多くの男性の目に触れることから、軽く見られることがあった。作者は、宮中ではみな人と顔を合わせるのが当たり前だと反論し、さらに宮仕えの経験は、のちに妻となって家を支えるときにも役に立つと述べる。現代にも通じる女性の社会経験の擁護論として、しばしば取り上げられる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、183–184頁(コマ94–95)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日