古典ライブラリー

枕草子 第12段 日記的章段

今内裏のひんがしをば

今内裏の北の陣にそびえる楢の大木を見て、権中将が「定澄僧都の枝扇にしたい」と冗談を言った。のちに長身の定澄が高い履物で現れたとき、作者がその冗談を持ち出すと、権中将は「よく覚えているね」と笑った。

今内裏の北の陣にそびえる大木。その下を歩く背の高い僧の姿を、女房たちが眺めている。
今内裏の北の陣にそびえる大木。その下を歩く背の高い僧の姿を、女房たちが眺めている。
  1. 1今いま今いまいま內だい內だいだいのののひんがしひんがしひんがしをををばばば北きた北きたきたののの陣ぢん陣ぢんじんとととぞぞぞいふいふいう。。。ならならならののの木き木ききののの遙はるか遙はるかはるかにににたかきたかきたかきががが立た立たたてるてるてるををを常つね常つねつねににに見み見みみててて「「「いくひろいくひろいくひろかかかあらあらあらむむん」」」などなどなどいふいふいうににに、、、權ごん權ごんごんののの「「「もともともとよりよりより打う打ううちちちきりきりきりててて、、、定ぢやう定ぢやうじょう證ちよう證ちようちょう僧そう僧そうそうののの枝えだ枝えだえだ扇あふぎ扇あふぎおうぎにににせせせさせさせさせばばばややや」」」とととのたまひのたまひのたまいしししををを、、、山やま山やまやま階しな階しなしな寺でら寺でらでらののの別べつ別べつべつ當たう當たうとうににになりなりなりてててよろこびよろこびよろこび申まう申まうもうすすすののの日ひ日ひひ、、、近こん近こんこん衞ゑ衞ゑえづかさづかさづかさにてにてにてこのこのこの君きみ君きみきみののの出い出いいででで給たま給たまたまへへえるるるににに、、、高たか高たかたかきききけいしけいしけいしをををさへさへさへはきはきはきたれたれたればばばゆゝしくゆゝしくゆゆしく高たか高たかたかししし。。。出い出いいでででぬるぬるぬるのちのちのちこそこそこそ「「「などなどなどそのそのその枝えだ枝えだえだ扇あふぎ扇あふぎおうぎはははもたもたもたせせせ給たま給たまたまははわぬぬぬ」」」ととといへいへいえばばば、、、「「「ものものものわすれわすれわすれせせせずずず」」」ととと笑わら笑わらわらひひい給たま給たまたまふふう。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

今内裏の東側を北の陣という。そこに楢の木のはるかに高くそびえているのをいつも見て、「何尋ぐらいあるかしら」などと言っていると、権中将が「根もとから切って、定澄僧都の枝扇にさせたいものだ」とおっしゃったが、その定澄が山階寺の別当になって任官のお礼を申し上げる日に、近衛府の役人としてこの権中将がお出になっていたところへ、定澄が高い屐子まではいていたので、ひどく背が高い。定澄が退出した後で、「どうしてあの枝扇をお持たせにならなかったの」と言うと、「よく忘れずにいるね」とお笑いになる。

意訳

内裏の北の陣にある楢の大木を見上げていると、権中将が「あの木を切って、のっぽの定澄僧都の扇にしたらちょうどいい」と冗談を言った。のちに定澄が昇進のお礼に、高い履物をはいてさらに大きくなって現れたとき、作者はすかさず「あの扇は持たせなかったの」と蒸し返す。「よく覚えているね」と笑う権中将とのやりとりに、宮中の気のおけない会話の楽しさがうかがえる。

語釈・文法注

今內裏
内裏が焼失したときなどに、仮の皇居とした邸宅。ここでは一条院を指すとされる。
權中將
権官の近衛中将。ここでは源成信(なりのぶ)とされる。
定證僧都
定澄(じょうちょう)。興福寺の僧で、たいそう背が高かったことで知られる。

文法

「せさせばや」
「ばや」は自己の願望を表す終助詞。…させたいものだ。
「山階寺」
興福寺の別名。その長官が「別当」。
「けいし」
屐子。歯の高い履物。
「ものわすれせず」
物忘れをしない、よく覚えている。からかわれた権中将が、作者の記憶のよさを笑いながら認めている。

解説

宮中での他愛ない冗談が、後日思いがけない形で「落ち」を迎える小話である。楢の大木を背の高い僧の扇にするという誇張した冗談を、作者はしっかり覚えていて、ここぞという場面で持ち出してみせる。

機知に富んだやりとりを好み、相手の冗談をさらに上手に返すことを喜ぶ、作者と貴公子たちとの関係がよく表れた段である。

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出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、178頁(コマ92)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日