古典ライブラリー

枕草子 第9段 日記的章段

うへに侍ふ御猫

一条天皇の愛猫「命婦のおとど」を脅した犬の翁丸は、帝の怒りに触れて打たれ、島へ流される。死んだと思われた翁丸は、傷ついた姿で戻り、作者の言葉に涙を流して名乗り出る。

柱のそばにうずくまる白い犬に、女房が身を寄せて声をかける。犬の翁丸に注がれる、宮中の人々のいたわりを描く。
柱のそばにうずくまる白い犬に、女房が身を寄せて声をかける。犬の翁丸に注がれる、宮中の人々のいたわりを描く。
  1. 1うへうへうえににに侍さぶら侍さぶらさぶらふふう御お御おお猫ねこ猫ねこねこははは給たま給たまたまはりはりわりててて、、、命みやう命みやうみょう婦ぶ婦ぶぶのののとてとてとていといといとをかしけれをかしけれおかしければばば、、、かしづかかしづかかしずかせせせ給たま給たまたまふふうががが、、、はしはしはしににに出い出いいでででたるたるたるををを、、、乳め乳めめ母のと母のとのとののの馬むま馬むまうまののの命みやう命みやうみょう婦ぶ婦ぶぶ「「「あなあなあなまさなまさなまさなややや、、、入い入いいりりり給たま給たまたまへへえ」」」とととよぶよぶよぶににに、、、きかきかきかででで日ひ日ひひのののさしさしさしあたりあたりあたりたるたるたるにににうちうちうちねぶりねぶりねぶりててて居ゐ居ゐいたるたるたるをををおどすおどすおどすとてとてとて「「「いづらいづらいずら。。。命みやう命みやうみょう婦ぶ婦ぶぶのののおとゞおとゞおとどくへくへくえ」」」ととといふいふいうににに、、、まことまことまことかかかとてとてとてしれしれしれものものもの走はし走はしはしりりりかゝりかゝりかかりたれたれたればばば、、、おびえおびえおびえ惑まど惑まどまどひひいてててみすみすみすののの內うち內うちうちににに入い入いいりりりぬぬぬ。。。あさがれひあさがれひあさがれいのののまままにににうへうへうえはははおはしますおはしますおわします。。。御ご御ごご覽らん覽らんらんじじじててていみじういみじういみじゅう驚おどろ驚おどろおどろかかかせせせ給たま給たまたまふふう。。。猫ねこ猫ねこねこははは御おほん御おほんおおんふところふところふところににに入い入いいれれれさせさせさせ給たま給たまたまひひいてててをのこをのこおのこどもどもども召め召めめせせせばばば藏くら藏くらくら忠ただ忠ただただ隆たか隆たかたか參まゐ參まゐまいりりりたるたるたるににに、、、「「「このこのこのおきなまろおきなまろおきなまろうちうちうちちようじちようじちようじててて犬いぬ犬いぬいぬ島しま島しましまにににつかはせつかはせつかわせ。。。唯ただ唯ただただ今いま今いまいま」」」ととと仰おほ仰おほおおせせせらるれらるれらるればばばあつまりあつまりあつまりててて狩か狩かかりりりさわぐさわぐさわぐ。。。うまうまうまののの命みやう命みやうみょう婦ぶ婦ぶぶもももさいなみさいなみさいなみててて「「「乳め乳めめ母のと母のとのとかへかへかへてててむむん。。。いといといとうしろへたしうしろへたしうしろえたし」」」ととと仰おほ仰おほおおせせせらるれらるれらるればばば、、、かしこまりかしこまりかしこまりててて御お御おお前まへ前まへまえにににももも出い出いいでででずずず。。。犬いぬ犬いぬいぬははは狩か狩かかりりり出い出いいでゝでゝでて瀧たき瀧たきたき口ぐち口ぐちぐちなどなどなどしししててて追お追おおひひいつかはしつかはしつかわしつつつ。。。「「「あはれあはれあわれいみじくいみじくいみじくゆるぎゆるぎゆるぎありきありきありきつるつるつるものものものををを、、、三月さんぐわつ三月さんぐわつさんがつ三日みか三日みかみかににに頭とう頭とうとうののの辨べん辨べんべん、、、柳やなぎ柳やなぎやなぎのののかづらかづらかずらをををせせせさせさせさせ、、、桃もも桃ももももののの花はな花はなはなかざしかざしかざしにににさゝせさゝせささせ、、、櫻さくら櫻さくらさくらこしこしこしにににさゝせさゝせささせなどなどなどしししてててありかありかありかせせせ給たま給たまたまひひいしししをりをりおり、、、かゝるかゝるかかる目め目めめ見み見みみむむんとととはははおもひおもひおもいかけゝかけゝかけけむむんややや」」」とととあはれあはれあわれがるがるがる。。。「「「おものおものおものゝゝの折をり折をりおりはははかならずかならずかならず向むか向むかむかひひいさぶらふさぶらふさぶらうににに、、、さうざうしくさうざうしくそうぞうしくこそこそこそあれあれあれ」」」などなどなどいひいひいいててて三み三みみ四よ四よよ日か日かかににになりなりなりぬぬぬ。。。
  2. 2ひるひるひるつかたつかたつかた、、、犬いぬ犬いぬいぬのののいみじくいみじくいみじく泣な泣ななくくく聲こゑ聲こゑこえのののすれすれすればばば、、、なになになにぞぞぞののの犬いぬ犬いぬいぬのののかくかくかく久ひさ久ひさひさしくしくしくなくなくなくにににかかかあらあらあらむむんととと聞き聞ききくくくににに、、、萬よろづ萬よろづよろずののの犬いぬ犬いぬいぬどもどもどもはしりはしりはしり騷さわ騷さわさわぎぎぎとぶらひとぶらひとぶらいににに行ゆ行ゆゆききき、、、なるなるなるものものもの走はし走はしはしりりり來き來ききててて「「「あなあなあないみじいみじいみじ。。。犬いぬ犬いぬいぬををを藏くら藏くらくら人うど人うどうど二ふた二ふたふた人り人りりしししててて打う打ううちちちたまひたまひたまい、、、死し死ししぬぬぬべしべしべし。。。流なが流ながながさささせせせ給たま給たまたまひひいけるけるけるががが歸かへ歸かへかえりりり參まゐ參まゐまいりりりたるたるたるとてとてとてちようじちようじちようじ給たま給たまたまふふう」」」ととといふいふいう。。。「「「心こころ心こころこころうううのののことことことややや。。。おきなまろおきなまろおきなまろなりなりなり。。。忠ただ忠ただただ隆たか隆たかたかさねふささねふささねふさなむなむなん打う打ううつつつ」」」ととといへいへいえばばば、、、せいしせいしせいしににに遣や遣ややるるるほどほどほどににに辛から辛からからうじてうじてうじてなきなきなき止や止ややみみみぬぬぬ。。。「「「死し死ししにににけれけれければばば門もん門もんもんのののほかほかほかにににひきひきひき棄す棄すすてててつつつ」」」ととといへいへいえばばば、、、あはれあはれあわれがりがりがりなどなどなどするするする。。。夕ゆふ夕ゆふゆうつかたつかたつかたいみじげいみじげいみじげににに腫は腫ははれれれ、、、あさましげあさましげあさましげなるなるなる犬いぬ犬いぬいぬのののわびしげわびしげわびしげなるなるなるがががわなゝきわなゝきわななきありけありけありけばばば「「「あはれあはれあわれまろまろまろかかか。。。かゝるかゝるかかる犬いぬ犬いぬいぬやはやはやはこのこのこのごろごろごろははは見み見みみゆるゆるゆる」」」などなどなどいふいふいうににに、、、「「「おきなまろおきなまろおきなまろ」」」ととと呼よ呼よよべべべどどど、、、みゝみゝみみにににももも聞き聞ききききき入い入いいれれれずずず。。。「「「それそれそれぞぞぞ」」」ととといひいひいい、、、「「「あらあらあらずずず」」」ととといひいひいい、、、口々くちぐち口々くちぐちくちぐち申まう申まうもうせせせばばば「「「右う右うう近こん近こんこんぞぞぞ見み見みみ知し知ししりりりたるたるたる。。。呼よ呼よよべべべ」」」とてとてとて、、、しもしもしもなるなるなるをををまづまづまずとみとみとみのののことことことゝゝとててて召め召めめせせせばばば參まゐ參まゐまいりりりたりたりたり。。。「「「これこれこれはははおきなまろおきなまろおきなまろかかか」」」ととと見み見みみせせせさせさせさせ給たま給たまたまふふうににに、、、「「「似に似ににててて侍はべ侍はべはべれれれどもどもどもこれこれこれはははゆゝしげゆゝしげゆゆしげにににこそこそこそ侍はべ侍はべはべるるるめれめれめれ。。。又また又またまたおきなまろおきなまろおきなまろととと呼よ呼よよべべべばばば悅よろこ悅よろこよろこびびびてててまうでまうでもうでくるくるくるものものものををを、、、呼よ呼よよべべべどどど寄よ寄よよりりりこここずずず。。。あらあらあらぬぬぬなななめりめりめり。。。それそれそれははは打う打ううちちち殺ころ殺ころころしししててて棄す棄すすててて侍はべ侍はべはべりりりぬぬぬとととこそこそこそ申まう申まうもうしししつれつれつれ。。。さるさるさるものものものどもどもどもののの二ふた二ふたふた人り人りりしししててて打う打ううたたたむむんにににははは生い生いいきききなななむむんややや」」」ととと申まう申まうもうせせせばばば、、、心こころ心こころこころうううがらがらがらせせせ給たま給たまたまふふう。。。暗くら暗くらくろうううなりなりなりててて物もの物ものものくはせくはせくわせたれたれたれどどどくはくはくわねねねばばば、、、あらあらあらぬぬぬものものものにににいひいひいいなしなしなしててて止や止ややみみみぬるぬるぬる。。。
  3. 3つとめてつとめてつとめて御み御みみけづりけづりけずりぐしぐしぐしににに參まゐ參まゐまいりりり御み御みみてうづてうづちょうずまゐりまゐりまいりててて御み御みみ鏡かがみ鏡かがみかがみもたもたもたせせせててて御ご御ごご覽らん覽らんらんずれずれずればばば、、、侍さぶら侍さぶらさぶらふふうににに、、、犬いぬ犬いぬいぬののの柱はしら柱はしらはしらのののもともともとににについついつい居ゐ居ゐいたるたるたるををを「「「あはれあはれあわれきのふきのふきのうおきなまろおきなまろおきなまろをををいみじういみじういみじゅう打う打ううちちちしかしかしかななな。。。死し死ししにににけむけむけんこそこそこそ悲かな悲かなかなしけれしけれしけれ。。。何なに何なになにののの身み身みみにににかかかこのこのこのたびたびたびはははなりなりなりぬぬぬらむらむらん。。。いかにいかにいかにわびしきわびしきわびしき心ここ心ここここちちちしししけむけむけん」」」とととうちうちうちいふいふいうほどほどほどににに、、、このこのこのねたるねたるねたる犬いぬ犬いぬいぬふるひふるひふるいわなゝきわなゝきわななきててて涙なみだ涙なみだなみだをををたゞたゞただ落おと落おとおとしししにににおとすおとすおとす。。。いといといとあさましあさましあさまし。。。さはさはさはこれこれこれおきなまろおきなまろおきなまろにににこそこそこそありありありけれけれけれ、、、よべよべよべははは隱かく隱かくかくれれれ忍しの忍しのしのびびびてててあるあるあるなりなりなりけりけりけりととと、、、あはれあはれあわれにてにてにてをかしきをかしきおかしきことことことかぎりかぎりかぎりなしなしなし。。。御み御みみ鏡かがみ鏡かがみかがみをををもももうちうちうちおきおきおきててて「「「さはさはさはおきなまろおきなまろおきなまろ」」」ととといふいふいうににに、、、ひれひれひれ伏ふ伏ふふしししててていみじくいみじくいみじくなくなくなく。。。御お御おお前まへ前まへまえにににもももうちうちうち笑わら笑わらわらははわせせせ給たま給たまたまふふう。。。人々ひとびと人々ひとびとひとびと參まゐ參まゐまいりりり集あつま集あつまあつまりりりててて、、、右う右うう近こん近こんこん內ない內ないない侍し侍ししめしめしめしててて、、、かくかくかくなどなどなど仰おほ仰おほおおせせせらるれらるれらるればばば、、、笑わら笑わらわらひひいのゝしるのゝしるののしるををを、、、うへうへうえにににもももきこしめしきこしめしきこしめしててて、、、渡わた渡わたわたらららせせせおはしましおはしましおわしましててて「「「あさましうあさましうあさましゅう犬いぬ犬いぬいぬなどなどなどもももかゝるかゝるかかる心こころ心こころこころあるあるあるものものものなりなりなりけりけりけり」」」ととと笑わら笑わらわらははわせせせ給たま給たまたまふふう。。。うへうへうえののの女房にようばう女房にようばうにょうぼうたちたちたちなどなどなどももも聞き聞きききききににに參まゐ參まゐまいりりり集あつま集あつまあつまりりりててて呼よ呼よよぶぶぶにににももも今いま今いまいまぞぞぞ立た立たたちちちうごくうごくうごく。。。猶なほ猶なほなおかほかほかおなどなどなど腫は腫ははれれれたたためりめりめり。。。「「「物もの物ものものてうぜてうぜちょうぜさせさせさせばばばややや」」」ととといへいへいえばばば「「「つひにつひについにいひいひいいあらはしあらはしあらわしつるつるつる」」」などなどなど笑わら笑わらわらははわせせせ給たま給たまたまふふうににに、、、忠ただ忠ただただ隆たか隆たかたか聞き聞きききききててて臺だい臺だいだい盤ばん盤ばんばん所どころ所どころどころのののかたかたかたよりよりより「「「まことまことまことにににややや侍はべ侍はべはべらららむむん。。。かれかれかれ見み見みみ侍はべ侍はべはべらららむむん」」」ととといひいひいいたれたれたればばば「「「あなあなあなゆゝしゆゝしゆゆし。。。さるさるさるものものものなしなしなし」」」ととといはいはいわすれすれすればばば、、、「「「さりともさりともさりとも終つひ終つひついににに見み見みみつくるつくるつくるをりをりおりももも侍はべ侍はべはべらららむむん、、、さささのみのみのみもももえええかくさかくさかくさせせせ給たま給たまたまははわじじじ」」」ととといふいふいうなりなりなり。。。さてさてさてのちのちのちかしこまりかしこまりかしこまりかうじかうじこうじゆるさゆるさゆるされれれてててもともともとのののやうやうようににになりなりなりにににききき。。。猶なほ猶なほなおあはれあはれあわれがらがらがられれれててて、、、ふるひふるひふるいなきなきなき出い出いいでででたりたりたりししし程ほど程ほどほどこそこそこそ世よ世よよにににしらしらしらずずずをかしくをかしくおかしくあはれあはれあわれなりなりなりしかしかしか。。。人々ひとびと人々ひとびとひとびとにににもももいはいはいわれれれてててなきなきなきなどなどなどすすす。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

帝のおそばにお仕えしている御猫は、五位の位をいただいて「命婦のおとど」と呼ばれ、たいそうかわいらしいので、大切にしていらっしゃるが、その猫が縁先に出ているのを、お守り役の馬の命婦が「まあお行儀の悪い。お入りなさい」と呼ぶけれど、聞かずに日の差しているところで眠っているのを、驚かそうとして、「翁丸はどこ。命婦のおとどにかみつけ」と言うと、本気かと思って、愚か者の翁丸が走りかかったので、猫はおびえあわてて御簾の中に入ってしまった。朝餉の間に帝はいらっしゃった。ご覧になってたいそう驚きなさる。猫は御懐にお入れになって、男たちをお召しになると、蔵人の忠隆が参上したので、「この翁丸を打ちこらしめて、犬島へ流せ。今すぐに」とおっしゃるので、人々が集まって狩り立てて騒ぐ。馬の命婦をもおとがめになって、「お守り役を替えてしまおう。たいそう気がかりだ」とおっしゃるので、命婦は恐縮して御前にも出てこない。犬は狩り出して、滝口の武士などに命じて追放してしまった。「ああ、ずいぶん得意げに体をゆすって歩き回っていたのに。三月三日に頭の弁が、柳のかずらをつけさせ、桃の花をかざしに挿させ、桜を腰に挿させなどして歩かせなさったとき、こんな目に遭うとは思いもしなかっただろうに」と、女房たちは気の毒がる。「中宮様のお食事のときには、いつも向かいに控えていたのに、さびしいこと」などと言って、三、四日がたった。

昼ごろ、犬がひどく鳴く声がするので、何の犬がこんなに長く鳴いているのだろうと聞いていると、そこらじゅうの犬が走り騒いで見に行く。御厠人の女が走って来て、「まあたいへん。犬を蔵人が二人がかりでお打ちになっています。死んでしまうでしょう。流罪になさったのが帰って来たといって、こらしめていらっしゃるのです」と言う。「なんと情けないこと。翁丸だわ。忠隆と実房が打っているのだ」と言うので、止めに人をやるうちに、やっと鳴きやんだ。「死んだので門の外に引き捨てました」と言うので、みなで気の毒がったりする。夕方、ひどく腫れて、見るも無惨な様子の犬が、つらそうに震えながら歩き回っているので、「翁丸かしら。このごろこんな犬が見かけられるかしら」などと言って、「翁丸」と呼ぶけれど、耳にも入れない。「翁丸だ」と言う者もあり、「違う」と言う者もあり、口々に申し上げるので、中宮様が「右近なら見分けがつくでしょう。呼びなさい」とおっしゃって、下の局にいた右近を急用だといってお呼びになると、参上した。「これは翁丸か」とお見せになると、「似てはおりますが、これはひどく気味の悪い様子でございます。それに翁丸と呼べば喜んでやって来るものですのに、呼んでも寄って来ません。違う犬のようでございます。翁丸は打ち殺して捨てたと申しておりました。あのような者たちが二人がかりで打ったのでは、生きておりましょうか」と申し上げるので、中宮様はおいたわしくお思いになる。暗くなって物を食べさせたけれど食べないので、違う犬だということにして、その日は終わった。

翌朝、中宮様の御髪をくしけずる御用に参上し、御手水を差し上げて、御鏡を私に持たせてご覧になるので、お仕えしていると、犬が柱のもとにうずくまっているのを見て、「ああ、昨日は翁丸をひどく打ったものだ。死んでしまったのは悲しいこと。今度は何に生まれ変わったのだろう。どんなにつらい気持ちだったことか」とふと言うと、この寝ていた犬が震えおののいて、涙をただぽろぽろと落とす。たいそう驚いた。それではこれは翁丸だったのだ、昨夜は隠れて我慢していたのだと、かわいそうでもあり、おもしろくもあることこの上ない。御鏡も置いて「それでは翁丸か」と言うと、ひれ伏してひどく鳴く。中宮様もお笑いになる。女房たちが集まって来て、右近の内侍をお呼びになって、これこれとおっしゃると、みな大笑いするのを、帝もお聞きつけになって、こちらにお渡りになって、「驚いたことに、犬などにもこのような心があるものなのだな」とお笑いになる。帝付きの女房たちなども聞きつけて集まって来て、呼ぶと、今度はすぐに立ち上がって動く。まだ顔などは腫れているようだ。「何か手当てをさせたいわ」と私が言うと、中宮様は「とうとう言い当ててしまったわね」などとお笑いになるので、忠隆が聞きつけて、台盤所のほうから「本当でございますか。その犬を拝見しましょう」と言ってきたので、「まあ縁起でもない。そんな犬はおりません」と言わせると、「そうはいっても、いつかは見つける折もございましょう。そういつまでもお隠しにはなれますまい」と言うようだ。その後、おとがめが許されて、翁丸はもとのようになった。それにしても、同情の言葉をかけられて、震えて鳴きながら出てきた時のことは、世にまたとないほどおもしろく、しみじみとしたものだった。人間でも、人に同情の言葉をかけられて泣いたりするものだ。

意訳

帝の猫に飛びかかった犬の翁丸は、帝の怒りを買って打ちすえられ、犬島へ流される。数日後、ひどく打たれた犬が戻ってくるが、誰が呼んでも知らん顔で、翁丸ではないとされる。ところが翌朝、作者が「翁丸は死んでしまってかわいそうに」とつぶやくと、その犬は震えながら涙を流した。翁丸は正体を隠して耐えていたのだ。帝も「犬にもこんな心があるのか」と笑い、翁丸は許される。動物の心の動きを、笑いと哀れの入りまじった筆でとらえた、枕草子屈指の名場面である。

語釈・文法注

かうぶり
冠。ここでは五位の位を授かること。宮中の殿上に上がれるのは原則として五位以上なので、猫にも位を与えたのである。
命婦のおとゞ
一条天皇の愛猫の名。「命婦」は五位以上の女官の称、「おとど」は敬称。
おきなまろ
翁丸。宮中で飼われていた犬の名。
藏人
天皇の身辺の雑事を務める役人。ここでは源忠隆。
みかはやうど
御厠人(みかわようど)。宮中の便所の掃除などをする下級の女官。

文法

「あなまさなや」
「まさなし」は、よくない、みっともない。「あな」は感動詞。まあ、お行儀の悪い。
「うしろへたし」
「うしろめたし」と同じ。気がかりだ、心配だ。底本には「め」の異本注記がある。
「おもひかけゝむや」
「や」は反語。思いもしなかっただろう。
「つひにいひあらはしつる」
とうとう(あなたの言葉で)正体を言い当ててしまったわね。作者の言葉に翁丸が反応したことを、定子がおもしろがっている。

解説

翁丸の段として名高い日記的章段である。帝の猫をおどして流罪となった犬が、ひそかに戻ってきて、作者の同情の言葉に涙を流すまでを、時間を追って生き生きと描いている。

帝が猫に五位を授け、乳母まで付けてかわいがるという話は、一条天皇の猫好きを伝える貴重な記録でもある。一方、翁丸は三月三日に柳や桃、桜で飾られて歩かされるなど、定子のもとでも女房たちに愛されていた。

最後の「人々にもいはれてなきなどす」は、人間も同情の言葉をかけられれば泣くものだ、という作者の感慨と読まれる。笑い話の形をとりながら、生きものの心への共感で結ばれている。

関連

出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、175–177頁(コマ90–91)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日