枕草子 第7段 日記的章段
大進生昌が家に
中宮定子が大進平生昌の家に移られた折、門が狭くて女房の車が入れず恥をかいた作者は生昌をやりこめる。その夜、生昌が作者たちの部屋の障子を開けて忍んで来ようとし、若い女房たちに笑われる。

- 1大大だいなりまさなりまさなりまさががが家家いえににに宮宮みやののの出出いでででさせさせさせ給給たまふふうににに、、、ひんがしひんがしひんがしのののかどかどかどはははににになしなしなしてててそれそれそれよりよりより御御み輿輿こしははは入入いらららせせせ給給たまふふう。。。北北きたののの門門もんよりよりより女房女房にょうぼうののの車車くるまどもどもども陣陣じん屋屋やののの居居いねねねばばば入入いりりりなななむむんやややととと思思おもひひいててて、、、かしらかしらかしらつきつきつきわろきわろきわろき人人ひともももいたくいたくいたくもももつくろはつくろはつくろわずずず、、、よせよせよせててておるおるおるべきべきべきものものものととと思思おもひひいあなづりあなづりあなずりたるたるたるににに、、、ののの車車くるまなどなどなどははは門門もんちひさけれちひさけれちいさければばばさはりさはりさわりてててえええ入入いらららねねねばばば、、、例例れいののの筵筵えんしきしきしきててておるゝおるゝおるるににに、、、いといといとにくゝにくゝにくく腹腹はらだゝしけれだゝしけれだたしけれどどどいかゞいかゞいかがはははせせせむむん。。。殿上人殿上人てんじょうびと地地じ下下げなるなるなるももも陣陣じんににに立立たちちちそひそひそい見見みるるるもももねたしねたしねたし。。。
- 2御御お前前まえににに參參まいりりりてててありつるありつるありつるやうやうようけいすれけいすれけいすればばば「「「こゝこゝここにににももも人人ひとははは見見みるるるまじくまじくまじくやはやはやは。。。などなどなどかかかはははさしもさしもさしもうちうちうちとけとけとけつるつるつる」」」ととと笑笑わらははわせせせ給給たまふふう。。。「「「されされされどどどそれそれそれははは皆皆みなめめめなれなれなれててて侍侍はべれれればばばよくよくよくしたてゝしたてゝしたてて侍侍はべらららむむんにににしこそしこそしこそ驚驚おどろくくく人人ひとももも侍侍はべらららめめめ。。。さてもさてもさてもかばかりかばかりかばかりなるなるなる家家いえににに車車くるま入入いらららぬぬぬ門門もんやはやはやはあらあらあらむむん。。。見見みえええばばば笑笑わらははわむむん」」」などなどなどいふいふいう程程ほどにににしもしもしも「「「これこれこれまゐらせまゐらせまいらせむむん」」」とてとてとて御御み硯硯すずりなどなどなどさしさしさしいるいるいる。。。「「「いでいでいで、、、いといといとわろくわろくわろくこそこそこそおはしおはしおわしけれけれけれ。。。などなどなどてててかかかそのそのその門門もんせばくせばくせばくつくりつくりつくりててて住住すみみみ給給たまひひいけるけるけるぞぞぞ」」」ととといへいへいえばばば、、、笑笑わらひひいててて「「「家家いえのののほどほどほど身身みののの程程ほどににに合合あわせせせててて侍侍はべるるるなりなりなり」」」ととといらふいらふいらう。。。「「「されされされどどど門門もんのののかぎりかぎりかぎりををを高高たかくくくつくりつくりつくりけるけるける人人ひとももも聞聞きこゆるゆるゆるははは」」」ととといへいへいえばばば「「「あなあなあなおそろしおそろしおそろし」」」ととと驚驚おどろきききててて「「「それそれそれはははがががことことことにににこそこそこそ侍侍はべるるるなれなれなれ。。。ふるきふるきふるきしんじしんじしんじなどなどなどににに侍侍はべらららずずずばばば、、、承承うけたまわりりり知知しるるるべくべくべくももも侍侍はべらららざりざりざりけりけりけり。。。たまたまたまたまたまたま此此こののの道道みちにににまかりまかりまかり入入いりりりにににけれけれければばば、、、かうかうこうだにだにだにわきまへわきまへわきまえられられられ侍侍はべるるる」」」ととといふいふいう。。。
- 3「「「そのそのその御御おおん道道みちもももかしこからかしこからかしこからざざざめりめりめり。。。筵筵えん道道どうしきしきしきたれたれたればばば皆皆みなおちおちおち入入いりりりてててさわぎさわぎさわぎつるつるつるははは」」」ととといへいへいえばばば「「「雨雨あめののの降降ふりりり侍侍はべれれればばばげにげにげにさもさもさも侍侍はべらららむむん。。。よしよしよしよしよしよし、、、またまたまた仰仰おおせせせかくかくかくべきべきべき事事こともももぞぞぞ侍侍はべるるる。。。罷罷まかりりり立立たちちち侍侍はべりりりなななむむん」」」とてとてとていぬいぬいぬ。。。「「「何何なに事事ごとぞぞぞ、、、なりまさなりまさなりまさがががいみじういみじういみじゅうおぢおぢおじつるつるつるははは」」」ととと問問とはははせせせ給給たまふふう。。。「「「あらあらあらずずず、、、車車くるまののの入入いらららざりざりざりつるつるつることことことととといひいひいい侍侍はべるるる」」」ととと申申もうしししててておりおりおりぬぬぬ。。。
- 4おなじおなじおなじ局局つぼねににに住住すむむむ若若わかききき人々人々ひとびとなどなどなどしししてててよろづよろづよろずののの事事ことももも知知しらららずずず、、、ねぶたけれねぶたけれねぶたければばば皆皆みなねねねぬぬぬ。。。東東ひんがしのののたいたいたいののの西西にしののの廂廂ひさしかけかけかけてててあるあるある北北きたのののさうじさうじそうじにににはははかけがねかけがねかけがねもももなかりなかりなかりけるけるけるををを、、、それそれそれももも尋尋たずねねねずずず家家いえぬしぬしぬしなれなれなればばば案案あん內內ないをををよくよくよく知知しりりりてててあけあけあけてててけりけりけり。。。あやしうあやしうあやしゅうかればみかればみかればみたるたるたるものものものゝゝの聲聲こえにてにてにて「「「侍侍さぶらははわむむんにににはははいかゞいかゞいかが」」」とととあまたあまたあまたたびたびたびいふいふいう聲聲こえににに、、、驚驚おどろきききててて見見みれれればばば凡凡き帳帳ちょうのののうしろうしろうしろににに立立たてててたるたるたる燈燈とう臺臺だいののの光光ひかりもももあらはあらはあらわなりなりなり。。。さうじさうじそうじををを五五ご寸寸すんばかりばかりばかりあけあけあけててていふいふいうなりなりなりけりけりけり。。。いみじういみじういみじゅうをかしをかしおかし。。。更更さらにににかやうかやうかようのののすきずきしきすきずきしきすきずきしきわざわざわざゆめゆめゆめにににせせせぬぬぬものものものゝゝの、、、家家いえにににおはしましおはしましおわしましたりたりたりとてとてとてむげむげむげににに心心こころにににまかするまかするまかするなななめりめりめりととと思思おもふふうもももいといといとをかしをかしおかし。。。
- 5我我わががが傍傍かたわらなるなるなる人人ひとををを起起おこしししててて「「「かれかれかれ見見み給給たまへへえ。。。かゝるかゝるかかる見見みえええぬぬぬものものものあああめるめるめるををを」」」ととといへいへいえばばば、、、頭頭かしらをををもたげもたげもたげててて見見みやりやりやりててていみじういみじういみじゅう笑笑わらふふう。。。「「「あれあれあれはははたぞたぞたぞ、、、けそうけそうけそうににに」」」ととといへいへいえばばば「「「あらあらあらずずず。。。家家いえあるじあるじあるじ局局つぼねあるじあるじあるじととと定定さだめめめ申申もうすすすべきべきべき事事ことののの侍侍はべるるるなりなりなり」」」ととといへいへいえばばば「「「門門もんののの事事ことをををこそこそこそ申申もうしししつれつれつれ。。。さうじさうじそうじあけあけあけ給給たまへへえとととやはやはやはいふいふいう」」」。。。「「「なほなほなおそのそのその事事こと申申もうししし侍侍はべらららむむん。。。そこそこそこににに侍侍さぶらははわむむんはははいかにいかにいかにいかにいかにいかに」」」ととといへいへいえばばば「「「いといといと見見み苦苦ぐるしきしきしきことことこと、、、更更さらにににえええおはせおはせおわせじじじ」」」とてとてとて笑笑わらふふうめれめれめればばば、、、「「「若若わかききき人々人々ひとびとおはしおはしおわしけりけりけり」」」とてとてとてひきひきひきたてゝたてゝたてていぬるいぬるいぬるのちのちのちににに笑笑わらふふうことことこといみじいみじいみじ。。。あけあけあけぬぬぬとととならならならばばば唯唯ただまづまづまず入入いりりりねねねかしかしかし。。。せうそこせうそこしょうそこをををするするするににによかよかよかなりなりなりとととははは誰誰たれかかかはははいはいはいわむむんととと、、、げにげにげにをかしきをかしきおかしきににに、、、つとめてつとめてつとめておまへおまへおまえににに參參まいりりりててて啓啓けいすれすれすればばば「「「さるさるさる事事ことももも聞聞きこえええざりざりざりつるつるつるををを、、、よべよべよべのののことことことにににめでゝめでゝめでて入入いりりりにににたりたりたりけるけるけるなななめりめりめり。。。あはれあはれあわれあれあれあれをををはしたなくはしたなくはしたなくいひいひいいけむけむけんこそこそこそいとほしけれいとほしけれいとおしけれ」」」ととと笑笑わらははわせせせ給給たまふふう。。。
現代語訳
大進の平生昌の家に中宮様がお出ましになるときに、東の門は四足門に造り替えて、そこから御輿はお入りになる。北の門から女房の車は、まだ陣屋の者も詰めていないので入れるだろうと思って、髪の毛の具合のよくない人もたいして手入れもせず、車を寄せて降りればよいものと高をくくっていたところ、檳榔毛の車などは門が小さいのでつかえて入れないので、いつものように筵道を敷いて降りるのが、たいそう憎らしく腹立たしいけれど、どうしようもない。殿上人や地下の人たちまでもが陣のところに立ち並んで見ているのも、いまいましい。
中宮様の御前に参上して、さっきの様子を申し上げると、「ここでも人が見ないとは限らないでしょうに。どうしてそんなに気を許していたの」とお笑いになる。「けれども、それはみな見慣れた人たちですから、私たちがきちんと身繕いしていたら、かえって驚く人もいるでしょう。それにしても、これほどの家に車の入らない門があるものですか。生昌が来たら笑ってやりましょう」などと言っているちょうどその時に、生昌が「これを差し上げましょう」と言って御硯などを差し入れる。「まあ、ずいぶんひどい方でいらっしゃいますね。どうしてその門を狭く造ってお住みになっていたのですか」と言うと、笑って「家の程度、身の程に合わせているのでございます」と答える。「でも、門だけを高く造った人もいると聞きますよ」と言うと、「ああ恐ろしい」と驚いて、「それは于定国の故事のことでございましょう。年功を積んだ進士などでもございませんと、うかがい知ることもできないところでございました。たまたまこの学問の道に入っておりましたので、これくらいのことはわきまえております」と言う。
「その御学問の道もたいしたことはなさそうですね。筵道を敷いてあったけれど、みな穴に落ち込んで大騒ぎでしたよ」と言うと、「雨が降りましたので、なるほどそうでございましょう。いやいや、またどんな難題を言いかけられるかわかりません。退散いたしましょう」と言って去った。「何があったの。生昌がひどく怖じ気づいていたのは」と中宮様がお尋ねになる。「いいえ、車が入らなかったことを申しておりました」と申し上げて、局に下がった。
同じ局に住む若い女房たちなどと一緒に、何も気づかずに、眠かったのでみな寝てしまった。東の対の西の廂の間にかけて続いている北の障子には掛け金もなかったのを、それも確かめずにいたところ、生昌は家の主人なので勝手をよく知っていて、開けてしまった。妙にしゃがれた浮ついた声で、「お伺いしてはいかがでしょう」と何度も言う声に、驚いて見ると、几帳の後ろに立ててある灯台の光で、すっかり丸見えである。障子を五寸ほど開けて言っているのだった。たいそうおかしい。決してこんな色めいたことは夢にもしない人なのに、中宮様が家にお出ましになったからといって、すっかりいい気になっているのだろうと思うのも、たいそうおかしい。
私のそばにいる人を起こして、「あれをご覧なさい。あんな見慣れない者がいるようですよ」と言うと、頭をもたげてそちらを見て、ひどく笑う。「あれは誰。これ見よがしに」と言うと、「いいえ、この家の主人として、局の主人と相談申し上げるべきことがございますのです」と言うので、「門のことは申しましたけれど、障子を開けてくださいとは申しましたか」と言う。「やはりそのことを申し上げましょう。そちらへ伺うのはいかがでしょう、いかがでしょう」と言うので、若い女房が「まあ見苦しいこと。とても入っていらっしゃれませんよ」と言って笑うようなので、「若い方々がいらっしゃったのですね」と言って障子を閉めて立ち去ったあとで、みなで大笑いした。開けたのなら、たださっさと入ってくればよいものを。声をかけて、どうぞよろしいなどと誰が言うものですか、と本当におかしいので、翌朝、中宮様の御前に参上して申し上げると、「そんな話も聞いたことはなかったのに、昨夜のあなたの言葉に感心して入って来たのでしょう。ああ、あの人をきまり悪くさせるような言い方をしたのは気の毒なことよ」とお笑いになる。
意訳
中宮定子が生昌の家に移られた日、門が小さくて女房たちの車が入れず、作者たちは身なりも整えないまま人前で筵道を歩かされた。腹を立てた作者は、生昌に「どうして門を狭くしたの」と皮肉を言い、生昌は漢籍の故事を持ち出して学問自慢をする。ところがその夜、生昌は作者たちの寝所の障子をそっと開けて、ぎこちなく忍び込もうとし、女房たちに笑われて退散する。翌朝その話を聞いた定子は、昨日の言葉に感心して来たのでしょう、恥をかかせてかわいそうに、と笑う。才気を見せる作者と、それを温かく受けとめる定子の姿が描かれている。
語釈・文法注
- 大進
- 中宮職の三等官。ここでは平生昌(たいらのなりまさ)。長保元年(999)、中宮定子は出産のため生昌の家に移った。
- よつあし
- 四足門。四本の控え柱をもつ格式の高い門。中宮の御輿を入れるため、東の門をこの形に造り替えた。
- びらうげ
- 檳榔毛の車。檳榔の葉を細く裂いて屋形を覆った牛車で、上流の貴族や女房が用いた。屋形が高く大きい。
- 筵道
- 貴人が歩く道筋に敷く筵。車を門の中へ寄せられないため、外で降りて筵道の上を歩かねばならなかった。
- うていこく
- 于定国。前漢の人。その父于公が、子孫に高官が出ると見込んで門を高く大きく造らせたという故事(『漢書』)。作者の皮肉に、生昌が学識をもって応じた。
文法
- 「いかゞはせむ」
- 反語。どうしようか、いやどうしようもない。
- 「しんじ」(ふるきしんじなどに侍らずば)
- 進士。文章生の試験に及第した人。生昌は自分が漢学を修めた者であることを誇っている。
- 「けそうに」
- 「顕証(けしょう)に」の意で、人目につくように、あらわに。
- 「入りねかし」
- 完了の助動詞「ぬ」の命令形「ね」+終助詞「かし」。さっさと入ってしまえばよいのに。
解説
中宮定子が出産のため、中宮職の役人である平生昌の家に移った長保元年(999)の出来事を回想した、日記的章段の代表的な一段である。藤原道長の権勢が強まり、定子の後ろ盾であった兄伊周らが失脚した後の時期にあたる。
門の小ささに恥をかかされた作者が生昌をやりこめる前半と、その生昌が夜に障子を開けて忍んで来ようとして笑われる後半とからなる。生昌は少し野暮でまじめな人物として描かれ、作者たちの格好のからかいの相手になっている。
最後に定子が「はしたなくいひけむこそいとほしけれ」と生昌をかばうように笑うところに、作者が仕えた定子の、才気を愛しながらも人への思いやりを忘れない人柄が表れている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、172–174頁(コマ89–90)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日