枕草子 第6段 随想的章段
思はむ子を
かわいい子を法師にするのは気の毒だ。世間は法師を木の切れ端のように扱い、少しのことでも非難する。まして修験者は山々で修行し、加持で呼ばれても居眠りを咎められて気苦労が多い、と法師の身の上を同情的に描く。

- 1おもはおもはおもわむむん子子こををを法法ほう師師しににになしなしなしたらたらたらむむんこそこそこそはははいといといと心心こころ苦苦ぐるしけれしけれしけれ。。。さるさるさるははは、、、いといといとたのもしきたのもしきたのもしきわざわざわざををを、、、たゞたゞただ木木きのののはしはしはしなどなどなどのののやうやうようににに思思おもひひいたらたらたらむむんこそこそこそ。。。さうじさうじそうじものものものゝゝのあしきあしきあしきをををくひくひくい、、、いぬるいぬるいぬるをををももも、、、若若わかきききははは物物ものもももゆかしからゆかしからゆかしからむむん。。。女女おんななどなどなどのののあるあるある所所ところをををもももなどなどなどかかか忌忌いみみみたるたるたるやうやうようにににさしさしさしのぞかのぞかのぞかずずずもももあらあらあらむむん。。。それそれそれをををももも安安やすからからからずずずいふいふいう。。。ましてましてまして驗驗げんなどなどなどのののかたかたかたはははいといといと苦苦くるしげしげしげなりなりなり。。。みみみ嶽嶽たけ、、、くまのくまのくまの、、、かゝらかゝらかからぬぬぬ山山やまなくなくなくありくありくありく程程ほどににに、、、おそろしきおそろしきおそろしき目目めももも見見み、、、しるししるししるしあるあるあるきこえきこえきこえ出出いででできききぬれぬれぬればばば、、、こゝかしここゝかしこここかしこににによばよばよばれれれ時時ときめくめくめくにににつけつけつけてててやすげやすげやすげもももなしなしなし。。。いたくいたくいたく煩煩わずらふふう人人ひとにににかゝりかゝりかかりててて、、、ものものものゝゝのけけけてうずるてうずるちょうずるもももいといといと苦苦くるしけれしけれしければばば、、、こうじこうじこうじてててうちうちうちねぶれねぶれねぶればばば「「「ねぶりねぶりねぶりなどなどなどのみのみのみしししててて」」」ととと咎咎とがむるむるむるもももいといといと所所ところせくせくせく、、、いかにいかにいかに思思おもははわむむんととと、、、これこれこれははは昔昔むかしのののことことことなりなりなり。。。いまいまいまやうやうようはははやすげやすげやすげなりなりなり。。。
現代語訳
かわいいと思う子を法師にしたとしたら、たいそう気の毒だ。それというのも、法師はたいそう頼もしい仕事であるのに、世間の人がただ木の切れ端か何かのように思っているのが、かわいそうなのである。精進物の粗末なものを食べ、寝ることにさえ文句を言われる。若い者は、何でも見たいと思うだろう。女などのいる所を、どうして忌み嫌っているようにのぞかずにいられようか。それをも、とやかく非難する。まして修験者などのほうは、たいそうつらそうだ。御嶽や熊野など、行かない山はないほど歩き回るうちに、恐ろしい目にも遭い、霊験があると評判が立ってしまうと、あちこちに呼ばれて、もてはやされるにつけても心の休まる暇がない。重い病の人に付ききりで、物の怪を調伏するのもたいそう苦しいので、疲れてついうとうとすると、「居眠りばかりして」と咎めるのも、たいそう窮屈で、どう思うだろうかと思われる。もっとも、これは昔のことである。今どきの法師は気楽そうだ。
意訳
大切な子を出家させるのはかわいそうだ。法師は尊い仕事のはずなのに、世間は木の切れ端のように扱い、食事や睡眠にまで口を出す。若い法師が女性のいる所をのぞきたくなるのも当然なのに、それすら責められる。山岳修行の修験者はなおさらで、評判が立てばあちこち呼ばれ、病人の加持で疲れて居眠りすれば叱られる。…もっとも、それは昔の話で、今の法師は気楽そうだけれど。最後の一言で、それまでの同情をひっくり返してみせるところに、作者の皮肉がある。
語釈・文法注
- いとほし
- 気の毒だ、かわいそうだ。
- 驗者
- 修験者。山で修行して霊験を身につけ、加持祈祷で病気や物の怪を払う僧。
文法
- 「さるは」
- 接続詞。それというのは。前に述べたことの理由を説明する。
- 「などか…あらむ」
- 反語。どうして…しないでいられようか、いや、いられない。
- 「み嶽、くまの」
- 吉野の金峰山(御嶽)と熊野。いずれも修験道の霊場。
- 「ものゝけてうずる」
- 物の怪を調伏する。加持祈祷によって病人に取りついた霊を退散させること。
解説
出家した法師、とりわけ修験者の気苦労を同情をこめて描く段である。世間の目の厳しさ、山岳修行の危険、加持の疲れと、法師の生活の窮屈さを次々に挙げていく。
ところが結びで「これは昔のことなり。いまやうはやすげなり」と、それまでの同情を軽くはぐらかす。当時の僧の世俗化を皮肉ったものとも読め、作者らしい切り返しの効いた終わり方である。この結びの一文は、後人の書き加えとみる説もある。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、172頁(コマ89)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日