古事記 上巻
八千矛の神の歌物語
八千矛神(大国主神)は高志の国の沼河比売に求婚し、戸の外と内とで歌を交わして結ばれる。嫉妬した正妻の須勢理毘売を残して大和へ旅立とうとする八千矛神と、引き止める須勢理毘売の歌のやりとりは「神語」と呼ばれる。最後に大国主神の子孫、十七世の神の系譜を記す。
- 1此此このののののの神神かみ、、、高志高志こしののの國國くにのののををを婚婚よばひにひにいに幸行幸行いでましししししし時時とき、、、其其そののの沼河比賣沼河比賣ぬなかわひめののの家家いえににに到到いたりてりてりて歌歌うたひたまはくひたまはくいたまわく、、、八千矛八千矛やちほこののの 神神かみののの命命みことははは 八洲國八洲國やしまぐに 妻妻め覓覓まぎかねてぎかねてぎかねて 遠々遠々とおとおししし ののの國國くにににに ををを ありとありとありと聞聞きかしてかしてかして くはしめくはしめくわしめををを ありときこしてありときこしてありときこして ありたたしありたたしありたたし よばひによばひによばいに ありかよはせありかよはせありかよわせ 大刀大刀たちががが緒緒をももも 未未いまだだだ解解とかずてかずてかずて をもをもをも 未未いまだだだ解解とかねばかねばかねば 處女處女おとめののの 鳴鳴なすやすやすや板戶板戶いたどををを おそぶらひおそぶらひおそぶらい 我我あががが立立たたせればたせればたせれば ひこづらひひこづらひひこずらい 我我あががが立立たたせればたせればたせれば 靑山靑山あおやまににに ははは鳴鳴なききき さささ野野ぬつつつ鳥鳥とり 響響とよむむむ 庭庭にわつつつ鳥鳥とり ははは鳴鳴なくくく うれたくもうれたくもうれたくも 鳴鳴なくなるくなるくなる鳥鳥とりかかか このこのこの鳥鳥とりももも 打打うちやめこせねちやめこせねちやめこせね いしたふやいしたふやいしたうや 事事ことののの 語語かたりごともりごともりごとも こここをばをばをば 爾爾ここににに、、、其其そののの沼河比賣沼河比賣ぬなかわひめ、、、未未いまだだだ戶戶とををを開開ひらかずてかずてかずて、、、內內うちよりよりより歌歌うたひひい給給たまはくはくわく、、、八千矛八千矛やちほこののの 神神かみののの命命みこと ぬえぬえぬえののの 女女めにしあればにしあればにしあれば 我我あががが心心こころ 浦洲浦洲うらすののの鳥鳥とりぞぞぞ 今今いまこそはこそはこそわ 千鳥千鳥ちどりにあらめにあらめにあらめ 後後のちははは 和鳥和鳥などりにあらむにあらむにあらむををを 命命みことははは ななな死死しせせせ給給たまひそひそいそ いしたふやいしたふやいしたうや 天馳使天馳使あまはせづかい 事事ことののの 語語かたりごともりごともりごとも こここをばをばをば 靑山靑山あおやまににに 日日ひががが隱隱かくらばらばらば ぬばぬばぬばののの 夜夜よるははは出出いでなむでなむでなむ 朝日朝日あさひののの 笑笑わらみみみ榮榮さかえええ來來きててて ののの 白白しろききき腕腕ただむき 沫雪沫雪あわゆきののの 軟軟わかやるやるやる身根身根むねををを 叩叩たたきまながりきまながりきまながり ままま玉玉たま手手て 玉玉たま手手てさしまきさしまきさしまき 股長股長ももながににに 寢寢ねはははなさむなさむなさむををを あやになあやになあやにな戀戀こひきこしひきこしひきこし 八千矛八千矛やちほこののの 神神かみののの命命みこと 事事ことののの語語かたりごともりごともりごとも こここをばをばをば かれかれかれ、、、其其そののの夜夜よるははは娶娶あさずてさずてさずて、、、明明あかるるる日日ひののの夜夜よる娶娶あひしひしいし給給たまひきひきいき。。。此八千矛神。將婚高志國之沼河比賣幸行之時。到其沼河比賣之家。歌曰。夜知富許能。迦微能美許登波。夜斯麻久爾。都麻麻岐迦泥弖。登富登富斯。故志能久邇邇。佐加志賣遠。阿理登岐加志弖。久波志賣遠。阿理登伎許志弖。佐用婆比爾。阿理多多斯。用婆比邇。阿理加用婆勢。多知賀遠母。伊麻陀登加受弖。淤須比遠母。伊麻陀登加泥婆。遠登賣能。那須夜伊多斗遠。淤曾夫良比。和何多多勢禮婆。比許豆良比。和何多多勢禮婆。阿遠夜麻邇。奴延波那伎。佐怒都登理。岐藝斯波登與牟。爾波都登理。迦祁波那久。宇禮多久母。那久那留登理加。許能登理母。宇知夜米許世泥。伊斯多布夜。阿麻波勢豆加比。許登能。加多理其登母。許遠婆。爾其沼河日賣。未開戶。自內歌曰。夜知富許能。迦微能美許等。怒延久佐能。賣邇志阿禮婆。和何許許呂。宇良須能登理敍。伊麻許曾婆。知杼理邇阿良米。能知波。那杼理爾阿良牟遠。伊能知波。那志勢多麻比曾。伊斯多布夜。阿麻波世豆迦比。許登能。加多理棊登母。許遠婆。阿遠夜麻邇。比賀迦久良婆。奴婆多麻能。用波伊傳那牟。阿佐比能。惠美佐迦延岐弖。多久豆怒能。斯路岐多陀牟岐。阿和由岐能。和加夜流牟泥遠。曾陀多岐。多多岐麻那賀理。麻多麻傳。多麻傳佐斯麻岐。毛毛那賀爾。伊波那佐牟遠。阿夜爾。那古斐岐許志。夜知富許能。迦微能美許登。許登能。迦多理棊登母。許遠婆。故其夜者不合而。明日夜爲御合也。
- 2又又またそのそのその神神かみののの、、、須世理毘賣須世理毘賣すせりびめののの命命みこと、、、いたくいたくいたく嫉妒嫉妒うわなりねたみししし給給たまひきひきいき。。。かれかれかれ、、、そのそのその日子遲日子遲ひこじののの神神かみ、、、わびてわびてわびて、、、出雲出雲いずもよりよりより倭倭やまとののの國國くにににに上上のぼりまさむとしてりまさむとしてりまさむとして、、、裝束裝束よそいししし立立たたすときにたすときにたすときに、、、片御手片御手かたみてははは御馬御馬みまののの鞍鞍くらにかけにかけにかけ、、、片御足片御足かたみあしはははそのそのその御鐙御鐙みあぶみににに蹈蹈ふみみみ入入いれてれてれて、、、歌歌うたひたまはくひたまはくいたまわく、、、ぬばたまのぬばたまのぬばたまの 黑黑くろききき御衣御衣みけしををを ままま具具つぶさににに 取裝取裝とりよそひひひ 沖沖おきつつつ鳥鳥とり 胸胸むね見見みるるる時時とき はたゝぎもはたゝぎもはたたぎも これこれこれははは應應おうはははずずず 邊邊へつつつ浪浪なみ そにそにそに脫脫ぬぎぎぎうてうてうて ののの 靑靑あおききき御衣御衣みけしををを ままま具具つぶさににに 取裝取裝とりよそひひひ おきつおきつおきつ鳥鳥とり 胸胸むね見見みるるる時時とき はたゝぎもはたゝぎもはたたぎも こもこもこも應應おうはははずずず 邊邊へつつつ浪浪なみ そにそにそに脫脫ぬぎぎぎうてうてうて 山山やまがたにがたにがたに 求求まぎしぎしぎしつきつきつき 染木染木そめきががが汁汁しるににに 染衣染衣しめごろもををを ままま具具つぶさににに 取裝取裝とりよそひひひ 沖沖おきつつつ鳥鳥とり 胸胸むね見見みるるる時時とき はたゝぎもはたゝぎもはたたぎも 是是これしよろししよろししよろし いとこやのいとこやのいとこやの 妹妹いもののの命命みこと 羣鳥羣鳥むらとりののの わがわがわが羣羣むれれれ行行ゆなばなばなば ひけひけひけ鳥鳥とりののの 吾吾あががが引引ひけけけ行行ゆなばなばなば 泣泣なかじとかじとかじとははは 汝汝なはははいふともいふともいうとも 山山やまとのとのとの 一一いち本本もとすゝきすゝきすすき うなかぶしうなかぶしうなかぶし 汝汝なががが泣泣なかさまくかさまくかさまく 朝雨朝雨あさあめののの さささ霧霧ぎりにたたむぞにたたむぞにたたむぞ 若草若草わかくさののの つまのつまのつまの命命みこと 事事ことののの 語語かたりごともりごともりごとも こここをばをばをば又其神之嫡后須勢理毘賣命。甚爲嫉妒。故其日子遲神和備弖。〈三字以音〉自出雲。將上坐倭國而束裝立時。片御手者繫御馬之鞍。片御足蹈入其御鐙而歌曰。奴婆多麻能。久路岐美祁斯遠。麻都夫佐爾。登理與曾比。淤岐都登理。牟那美流登岐。波多多藝母。許禮婆布佐波受。幣都那美。曾邇奴岐宇弖。蘇邇杼理能。阿遠岐美祁斯遠。麻都夫佐邇。登理與曾比。淤岐都登理。牟那美流登岐。波多多藝母。許母布佐波受。幣都那美。曾邇奴棄宇弖。夜麻賀多爾。麻岐斯。阿多泥都岐。曾米紀賀斯流邇。斯米許呂母遠。麻都夫佐邇。登理與曾比。淤岐都登理。牟那美流登岐。波多多藝母。許斯與呂志。伊刀古夜能。伊毛能美許等。牟良登理能。和賀牟禮伊那婆。比氣登理能。和賀比氣伊那婆。那迦士登波。那波伊布登母。夜麻登能。比登母登須須岐。宇那加夫斯。那賀那加佐麻久。阿佐阿米能。佐疑理邇。多多牟敍。和加久佐能。都麻能美許登。許登能。加多理棊登母。許遠婆。
- 3こゝにそのこゝにそのここにその后后きさき、、、大御酒坏大御酒坏おおみさかずきををを取取とらしてらしてらして、、、立立たちよりさゝげてちよりさゝげてちよりささげて歌歌うたひひい給給たまはくはくわく、、、八千矛八千矛やちほこののの 神神かみののの命命みことややや 吾吾あががが大國大國おおくに 主主ぬしこそはこそはこそわ 男男をににに坐坐ませばせばせば 打見打見うちみるるる 島島しまのさきざきのさきざきのさきざき 搔搔かききき見見みるるる 磯磯いそのさきのさきのさき落落おちずちずちず 若草若草わかくさののの 妻持妻持つまもたせらめたせらめたせらめ 吾吾あはもよはもよはもよ 女女めにしあればにしあればにしあれば 汝汝なをををきてきてきて 夫夫ひこじはははなしなしなし 汝汝なをををきてきてきて 夫夫ひこじはははなしなしなし 綾垣綾垣あやかきののの ふふふはやがはやがはやが下下しもににに むしぶすまむしぶすまむしぶすま にごやがにごやがにごやが下下しもににに 栲栲たくぶすまぶすまぶすま さやぐがさやぐがさやぐが下下しもににに 沫雪沫雪あわゆきののの わかやるわかやるわかやる身根身根むねををを 栲綱栲綱たくずのののの 白白しろききき腕腕ただむき そだたきそだたきそだたき 叩叩たたきまながりきまながりきまながり ままま玉玉たま手手て 玉玉たま手手てさしまきさしまきさしまき もゝもゝもも長長ながににに 寢寢ねをををしなせしなせしなせ 豐御酒豐御酒とよみき 獻獻たてまつらせらせらせ かくかくかく歌歌うたひてひていて、、、卽卽すなわちちち、、、、、、今今いまににに至至いたるまでるまでるまで鎭鎭しずまりますまりますまります。。。これこれこれをををといふといふという。。。爾其后。取大御酒坏。立依指擧而。歌曰。夜知富許能。加微能美許登夜。阿賀淤富久邇。奴斯許曾波。遠邇伊麻世婆。宇知微流。斯麻能佐岐邪岐。加岐微流。伊蘇能佐岐淤知受。和加久佐能。都麻母多勢良米。阿波母與。賣邇斯阿禮婆。那遠岐弖。遠波那志。那遠岐弖。都麻波那斯。阿夜加岐能。布波夜賀斯多爾。牟斯夫須麻。爾古夜賀斯多爾。多久夫須麻。佐夜具賀斯多爾。阿和由岐能。和加夜流牟泥遠。多久豆怒能。斯路岐多陀牟岐。曾陀多岐。多多岐麻那賀理。麻多麻傳。多麻傳佐斯麻岐。毛毛那賀邇。伊遠斯那世。登與美岐。多弖麻都良世。如此歌。卽爲宇伎由比〈四字以音〉而。宇那賀氣理弖。〈六字以音〉至今鎭坐也。此謂之神語也。
- 4かれかれかれ、、、此此こののの大國主大國主おおくにぬしののの神神かみ、、、胸形胸形むなかたののの奧津宮奧津宮おきつみやにますにますにます神神かみ、、、多紀理毘賣多紀理毘賣たきりびめののの命命みことににに娶娶あひましてひましていまして生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、ののの神神かみ。。。次次つぎににに妹高比賣妹高比賣いもたかひめののの命命みこと、、、亦亦またののの御名御名みなははは下光比賣下光比賣したてるひめののの命命みこと。。。此此こののの阿遲鉏高日子根阿遲鉏高日子根あじしきたかひこねののの神神かみははは、、、今今いま迦毛迦毛かもののの大御神大御神おおみかみとまとまとまをををすすす神神かみなりなりなり。。。故此大國主神。娶坐胸形奧津宮神。多紀理毘賣命生子。阿遲〈二字以音〉鉏高日子根神。次妹高比賣命。亦名下光比賣命。此之阿遲鉏高日子根神者。今謂迦毛大御神者也。
- 5大國主大國主おおくにぬしののの神神かみ、、、またまたまた神屋楯比賣神屋楯比賣かむやたてひめののの命命みことににに娶娶あひてひていて生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、ののの神神かみ。。。またまたまた八島牟遲能神八島牟遲能神やしまむじのかみののの女女おんな、、、鳥耳鳥耳とりみみののの神神かみににに娶娶あひてひていて生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、鳥鳴海鳥鳴海とりなるみののの神神かみ。。。このこのこの神神かみ日名照額田毘道男伊許知邇日名照額田毘道男伊許知邇ひなてるぬかたびちおいこちにののの神神かみににに娶娶あひてひていて生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、國忍富國忍富くにおしとみののの神神かみ。。。このこのこの神神かみ葦那陀迦葦那陀迦あしなだかののの神神かみ、、、亦亦またののの名名なははは八河江比賣八河江比賣やかわえひめににに娶娶あひてひていて生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、速甕之多氣佐波夜遲奴美速甕之多氣佐波夜遲奴美はやみかのたけさはやじぬみののの神神かみ。。。このこのこの神神かみ天之甕主天之甕主あめのみかぬしののの神神かみののの女女おんな、、、前玉比賣前玉比賣さきたまひめににに娶娶あひてひていて生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、甕主日子甕主日子みかぬしひこののの神神かみ。。。このこのこの神神かみ淤加美淤加美おかみののの神神かみののの女女おんな、、、比那良志毘賣比那良志毘賣ひならしびめににに娶娶あひてひていて生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、多比理岐志麻流美多比理岐志麻流美たひりきしまるみののの神神かみ。。。このこのこの神神かみ比々羅木之其花麻豆美比々羅木之其花麻豆美ひいらぎのそのはなまずみののの神神かみののの女女おんな、、、活玉前玉比賣活玉前玉比賣いくたまさきたまひめののの神神かみににに娶娶あひてひていて生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、美呂浪美呂浪みろなみののの神神かみ。。。このこのこの神神かみ敷山主敷山主しきやまぬしののの神神かみののの女女おんな、、、靑沼馬沼押比賣靑沼馬沼押比賣あおぬまぬおしひめににに娶娶あひてひていて生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、布忍富鳥鳴海布忍富鳥鳴海ぬのおしとみとりなるみののの神神かみ。。。このこのこの神神かみ若晝女若晝女わかひるめののの神神かみににに娶娶あひてひていて生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、天天あめののの日腹大科度美日腹大科度美ひばらおおしなどみののの神神かみ。。。このこのこの神神かみ天天あめののの狹霧狹霧さぎりののの神神かみののの女女おんな、、、遠津待根遠津待根とおつまちねののの神神かみににに娶娶あひてひていて生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、遠津山岬多良斯遠津山岬多良斯とおつやまざきたらしののの神神かみ。。。右右みぎりののの件件くだり、、、八島士奴美八島士奴美やしまじぬみののの神神かみよりよりより下下しも、、、遠津山岬多良斯遠津山岬多良斯とおつやまざきたらしののの神神かみまでまでまで、、、ののの神神かみといふといふという。。。大國主神。亦娶神屋楯比賣命生子。事代主神。亦娶八島牟遲能神〈自牟下三字以音〉之女鳥耳神生子。鳥鳴海神。〈訓鳴云那留〉此神。娶日名照額田毘道男伊許知邇神〈田下毘、又自伊下至邇皆以音〉生子。國忍富神。此神。娶葦那陀迦神〈自那下三字以音〉亦名八河江比賣生子。速甕之多氣佐波夜遲奴美神。〈自多下八字以音〉此神。娶天之甕主神之女。前玉比賣生子。甕主日子神。此神。娶淤加美神之女。比那良志毘賣〈此神名以音〉生子。多比理岐志麻流美神。〈此神名以音〉此神。娶比比羅木之其花麻豆美神〈木上三字花下三字以音〉之女。活玉前玉比賣神生子。美呂浪神。〈美呂二字以音〉此神。娶敷山主神之女。靑沼馬沼押比賣生子。布忍富鳥鳴海神。此神娶若晝女神生子。天日腹大科度美神。〈度美二字以音〉此神。娶天狹霧神之女。遠津待根神生子。遠津山岬多良斯神。右件。自八島士奴美神以下。遠津山岬帶神以前。稱十七世神。
現代語訳
この八千矛神が、高志の国の沼河比売に求婚しようとお出かけになったとき、その沼河比売の家に着いて歌われた歌。
八千矛の神の命は、大八島の国中で妻を求めかねて、遠い遠い越の国に賢い乙女がいるとお聞きになり、美しい乙女がいるとお聞きになって、求婚に何度もお出かけになり、求婚に通い続けて、大刀の緒もまだ解かず、上着もまだ脱がないうちに、乙女の寝ている家の板戸を押し揺さぶって私が立っていると、引き揺さぶって私が立っていると、青い山ではぬえが鳴き、野の鳥のきじは鳴き騒ぐ、庭の鳥の鶏は鳴く。いまいましくも鳴く鳥たちよ。この鳥どもを打ちたたいて鳴きやめさせてくれ。――天を駆ける使いの者が語り伝える事の次第は、このとおりでございます。
すると沼河比売は、まだ戸を開けずに、内から歌われた。
八千矛の神の命よ。なよなよとした草のような女ですから、私の心は入り江の州にいる鳥のように、落ち着かずにあなたを待っています。今は自分のままの鳥でいても、のちにはあなたの思いどおりになる鳥になりましょう。ですから、鳥たちの命は殺さないでください。――天を駆ける使いの者が語り伝える事の次第は、このとおりでございます。
青い山に日が隠れたら、真っ暗な夜にはきっと出てまいりましょう。そのとき、朝日がさしてくるように笑みを浮かべておいでになって、白い腕や、淡雪のように柔らかな若々しい胸を、そっとたたき、愛撫して、玉のように美しい手を互いに枕にして、足をのばしてお休みになれましょうから、そんなにむやみに恋い焦がれなさいますな、八千矛の神の命よ。――事の次第を語り伝える言葉は、このとおりでございます。
それで、その夜は会わずに、翌日の夜にお会いになった。
また、その神の正妻の須世理毘売命は、たいそう嫉妬深くていらした。そこで夫の神は困り果てて、出雲から大和の国へ上ろうとして、旅支度をして立たれたとき、片方の手を馬の鞍に掛け、片方の足を鐙に踏み入れて歌われた。
ぬばたまの黒い衣装をきちんと身につけて、沖の水鳥が胸元を見るように自分の姿を見ると、袖を羽ばたくように動かしてみても、これは似合わない。波打ち際に寄せる波が引くように、後ろに脱ぎ捨てて、かわせみの羽のような青い衣装をきちんと身につけて、胸元を見てみると、羽ばたいてみても、これも似合わない。また後ろに脱ぎ捨てて、山の畑に蒔いた茜をつき砕き、その染め草の汁で染めた衣をきちんと身につけて、胸元を見てみると、羽ばたいてみても、これはよく似合う。いとしい妻よ、群れ鳥が飛び立つように私が供の者を連れて行ってしまったら、引かれて飛び立つ鳥のように私が行ってしまったら、泣くまいとあなたは言っても、山のふもとの一本のすすきのようにうなだれて、あなたは泣くでしょう。その嘆きの息は、朝の雨が霧となって立ちこめるように立つでしょう。若草のような妻よ。――事の次第を語り伝える言葉は、このとおりでございます。
そこでその后は、大きな杯を手に取り、夫のそばに寄り添って杯を捧げながら歌われた。
八千矛の神の命よ、私の大国主よ。あなたは男でいらっしゃるから、巡って行く島の岬ごとに、巡って行く磯の岬のどこにでも、若草のような妻をお持ちでしょう。けれども私は女ですから、あなたのほかに男はいません。あなたのほかに夫はいません。綾織りの帳がふわふわと垂れる下で、柔らかな絹の夜具の下で、白い栲の夜具がさやさやと鳴る下で、淡雪のように柔らかな若々しい胸を、栲の綱のように白い腕を、そっとたたき、愛撫して、玉のような手を互いに枕にして、足をのばしてお休みなさいませ。さあ、この御酒をお召し上がりください。
このように歌って、すぐに杯を交わして夫婦の契りを固め、互いに首に手を掛け合って、今に至るまで出雲に鎮座していらっしゃる。これらの歌を「神語(かむがたり)」という。
さて、この大国主神が、胸形の奥津宮にいらっしゃる神、多紀理毘売命と結婚して生んだ子は、阿遅鉏高日子根神、次に妹の高比売命、またの名は下光比売命。この阿遅鉏高日子根神は、今、迦毛大御神という神である。
大国主神が、また神屋楯比売命と結婚して生んだ子は、事代主神。また八島牟遅能神の娘、鳥耳神と結婚して生んだ子は、鳥鳴海神。この神が日名照額田毘道男伊許知邇神と結婚して生んだ子は、国忍富神。この神が葦那陀迦神、またの名は八河江比売と結婚して生んだ子は、速甕之多気佐波夜遅奴美神。この神が天之甕主神の娘、前玉比売と結婚して生んだ子は、甕主日子神。この神が淤加美神の娘、比那良志毘売と結婚して生んだ子は、多比理岐志麻流美神。この神が比比羅木之其花麻豆美神の娘、活玉前玉比売神と結婚して生んだ子は、美呂浪神。この神が敷山主神の娘、青沼馬沼押比売と結婚して生んだ子は、布忍富鳥鳴海神。この神が若昼女神と結婚して生んだ子は、天日腹大科度美神。この神が天狭霧神の娘、遠津待根神と結婚して生んだ子は、遠津山岬多良斯神。以上、八島士奴美神から遠津山岬多良斯神までを、十七世の神という。
意訳
八千矛神(大国主神の別名)の求婚の歌は、夜の戸口に立つ男が、なかなか戸を開けてもらえないうちに夜明けを告げる鳥が鳴き出す、という場面を歌っています。古代の「妻問い婚」では、男は夜に女の家を訪れ、夜明け前に帰らなければなりませんでした。鳥を「打ちやめこせね(黙らせてくれ)」と頼む男のいらだちには、夜が明けてしまうことへの焦りがこめられています。
沼河比売は「今は自分の鳥でも、のちにはあなたの鳥になります」と、すぐには戸を開けないものの、やがて結ばれることを約束します。歌の終わりに必ず付く「いしたふや 天馳使 事の語りごとも こをば」は、天を駆ける使いが語り伝える話はこのとおりです、という語り部の決まり文句で、これらの歌が宮廷で語り物として伝えられていたことを示しています。
一方、正妻の須勢理毘売の嫉妬に困って大和へ旅立とうとする八千矛神は、黒・青・赤と衣装を着替えてみせ、「行ってしまえば、あなたは泣くだろう」と歌います。これに須勢理毘売は、杯を捧げて「あなたは男だから島々に妻がいるでしょうが、私にはあなたしかいない」と歌い返し、二人は和解します。ここに描かれる夫婦の情愛と嫉妬は、神々の話でありながら、きわめて人間的です。
語釈・文法注
- 沼河比賣
- 高志(越)の国の女神。新潟県糸魚川市の奴奈川神社などに祭られる。糸魚川はヒスイの産地で、ヒスイ(翡翠)の女神とする説もある。
- 八千矛の神
- 大国主神の別名。多くの矛をもつ神の意で、武力をもって国を治める神の性格を表す。
- 越の國
- 高志とも書く。北陸地方。
- さかしめ・くはしめ
- 「さかしめ」は賢い女、「くはしめ」は美しい女。
- よばひ
- 求婚すること。「呼ばふ」(何度も呼ぶ)から。男が女の家に通う古代の婚姻の習わしをいう。
- おすひ
- 頭からかぶって裾まで垂らす上着。
- 鵺
- トラツグミ。夜にもの悲しい声で鳴く鳥。
- きゞし
- きじ(雉)。
- 鷄
- 「かけ」。鶏。鳴き声から名づけられたという。夜明けを告げる鳥。
- 天馳使
- 天を駆ける使い。「いしたふや」は「天馳使」にかかる枕詞とされるが、意味は未詳。語り部が歌を語り終えるときの決まった言葉。
- ぬえ草の
- なよなよとした草のような。「め(女)」にかかる枕詞。
- ぬば玉の
- 「夜」「黒」などにかかる枕詞。ぬばたまはヒオウギの黒い実。
- 栲綱の
- 楮の繊維で作った白い綱のように。「白き」にかかる枕詞。
- そだゝき叩きまながり
- 「そだたき」はそっとたたく、「まながる」は愛撫する意とされる。
- 嫡后
- 正妻。須世理毘売命を指す。前の話で須佐之男命から「嫡妻とせよ」と言われた。
- 鴗鳥
- かわせみ(翡翠)。羽の青い鳥なので、「青き」にかかる枕詞になる。
- 茜
- アカネ。根から赤い染料をとる草。黒・青・赤と衣装を替え、赤がいちばん似合うと歌う。
- うきゆひ
- 杯を交わして固く契りを結ぶこと。「うき」は杯、「ゆひ」は結ぶ意。
- うながけり
- 互いに首(うな)に手を掛け合うこと。仲むつまじいさま。
- 神語
- 「かむがたり」。神々の物語の歌。宮廷で歌われた歌曲の名と考えられる。
- 阿遲鉏高日子根の神
- 大国主神と多紀理毘売命の子。鋤(すき)の神とも雷神ともいう。のちの天若日子の葬儀の場面で、死者と間違えられて怒る。迦毛(かも)大御神として奈良県御所市の高鴨神社に祭られる。
- 事代主の神
- 大国主神の子。国譲りの場面で父に代わって国を献上することを承諾する。託宣の神。のちに恵比寿神と同一視された。
- 十七世の神
- 八島士奴美神から遠津山岬多良斯神までの系譜。須佐之男命の子孫として大国主神を位置づけ、その子孫を数える。
文法
- 原文の歌謡
- 歌謡は原文では一字一音の万葉仮名で書かれる。底本は「其」「棊」「理」「敍」など、他の本と異なる字を用いる所があり、底本どおりとした(「加多理其登母」と「加多理棊登母」など、同じ句でも字が違う)。
- 打ちやめこせね
- 「打ちやむ」の連用形+願望の補助動詞「こす」の未然形+願望の終助詞「ね」。「打って鳴きやめさせてほしい」。
- な死せ給ひそ
- 「な…そ」の禁止。「死なせないでください」。原文は「那志勢多麻比曾」。
- 取裝ひ
- 「とりよそふ」。身なりを整えて着ること。
- 持たせらめ
- 「持つ」の未然形+尊敬の助動詞「す」の未然形+存続の助動詞「り」の未然形+推量の助動詞「む」の已然形。「(妻を)お持ちでしょう」。
- 阿遲鉏
- 原文の分注〈二字以音〉は「阿遲」の二字を音で読むことを示す。
歌謡
八千矛の 神の命は 八洲國 妻覓ぎかねて 遠々し 越の國に さかしめを ありと聞かして くはしめを ありときこして さよばひに ありたたし よばひに ありかよはせ 大刀が緒も 未だ解かずて おすひをも 未だ解かねば 處女の 鳴すや板戶を おそぶらひ 我が立たせれば ひこづらひ 我が立たせれば 靑山に 鵺は鳴き さ野つ鳥 きゞしは響む 庭つ鳥 鷄は鳴く うれたくも 鳴くなる鳥か この鳥も 打ちやめこせね いしたふや 天馳使 事の 語りごとも こをば
- 詠者
- 八千矛神(大国主神)
- 状況
- 高志の国の沼河比売に求婚しに行き、その家の戸口で歌った。夜通し戸を押しゆすっているうちに夜明けを告げる鳥が鳴き出し、いらだつ。
修辞
- 自敬表現
- 自分のことを「神の命は」「聞かして」「我が立たせれば」と敬語で歌う。語り手が神の立場に立って歌う、語り物の歌の特徴。
- 対句
- 「さかしめを ありと聞かして/くはしめを ありときこして」「おそぶらひ 我が立たせれば/ひこづらひ 我が立たせれば」と、対句を重ねる。
- 結びの句
- 「いしたふや 天馳使 事の語りごとも こをば」は、語り部が歌を語り終えるときの決まり文句。
八千矛の 神の命 ぬえ草の 女にしあれば 我が心 浦洲の鳥ぞ 今こそは 千鳥にあらめ 後は 和鳥にあらむを 命は な死せ給ひそ いしたふや 天馳使 事の 語りごとも こをば
- 詠者
- 沼河比売
- 状況
- 戸を開けずに内から答えた歌。今は自分のままの鳥でも、のちにはあなたの鳥になるから、鳥を殺さないでと願う。
修辞
- 枕詞
- 「ぬえ草の」は「女」にかかる。
- 比喩
- 自分の心を、入り江の州で落ち着かない鳥にたとえる。
靑山に 日が隱らば ぬば玉の 夜は出でなむ 朝日の 笑み榮え來て 栲綱の 白き腕 沫雪の 軟やる身根を そだゝき 叩きまながり ま玉手 玉手さしまき 股長に 寢はなさむを あやにな戀ひきこし 八千矛の 神の命 事の語りごとも こをば
- 詠者
- 沼河比売
- 状況
- 前の歌に続けて、夜になれば会いましょうと約束する歌。
修辞
- 枕詞
- 「ぬば玉の」は「夜」、「栲綱の」は「白き」、「沫雪の」は「軟やる」にかかる。
- 対照
- 日が隠れる夜と、朝日のような笑顔とを対比させる。
ぬばたまの 黑き御衣を ま具に 取裝ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたゝぎも これは應はず 邊つ浪 そに脫ぎうて 鴗鳥の 靑き御衣を ま具に 取裝ひ おきつ鳥 胸見る時 はたゝぎも こも應はず 邊つ浪 そに脫ぎうて 山がたに 求ぎし茜つき 染木が汁に 染衣を ま具に 取裝ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたゝぎも 是しよろし いとこやの 妹の命 羣鳥の わが羣れ行なば ひけ鳥の 吾が引け行なば 泣かじとは 汝はいふとも 山との 一本すゝき うなかぶし 汝が泣かさまく 朝雨の さ霧にたたむぞ 若草の つまの命 事の 語りごとも こをば
- 詠者
- 八千矛神(大国主神)
- 状況
- 嫉妬深い須勢理毘売を残して大和へ旅立とうとし、馬に片足をかけて歌った。衣装を次々に着替えてみせ、私が行ってしまえばあなたは泣くだろうと歌う。
修辞
- くり返し
- 黒・青・赤の衣装について、同じ句をくり返しながら少しずつ変えていく。
- 比喩
- 「沖つ鳥 胸見る時」は水鳥が胸の羽を見るように自分の装いを見ること。泣く妻を「一本すすき」、嘆きの息を「朝雨のさ霧」にたとえる。
八千矛の 神の命や 吾が大國 主こそは 男に坐せば 打見る 島のさきざき 搔き見る 磯のさき落ちず 若草の 妻持たせらめ 吾はもよ 女にしあれば 汝をきて 夫はなし 汝をきて 夫はなし 綾垣の ふはやが下に むしぶすま にごやが下に 栲ぶすま さやぐが下に 沫雪の わかやる身根を 栲綱の 白き腕 そだたき 叩きまながり ま玉手 玉手さしまき もゝ長に 寢をしなせ 豐御酒 獻らせ
- 詠者
- 須勢理毘売命
- 状況
- 旅立とうとする夫に杯を捧げて歌った。あなたには島ごとに妻がいるだろうが、私にはあなたしかいないと訴え、引き止める。二人はこの後、杯を交わして和解する。
修辞
- 対句
- 「汝をきて 夫はなし」を二度くり返し、思いの強さを表す。
- くり返し
- 「綾垣の…下に/むしぶすま…下に/栲ぶすま…下に」と寝所の様子を重ねる。
解説
この段は、古事記の中で歌謡が集中して現れる最初の場面です。八千矛神と沼河比売、八千矛神と須勢理毘売のあいだで交わされる五首の長い歌は、それぞれが「神語(かむがたり)」と呼ばれる一連の歌物語をなしており、宮廷の儀礼で歌われた歌曲が古事記に取り入れられたものと考えられています。
これらの歌は、男が夜に女の家を訪ねる妻問い婚や、正妻と他の妻との関係など、古代の婚姻の習わしを生き生きと映し出しています。また「いしたふや 天馳使 事の語りごとも こをば」という結びの句は、語り部が語り伝えた古い語り物の形をとどめるものとして注目されます。
後半の系譜では、大国主神と宗像の多紀理毘売命の子、阿遅鉏高日子根神と下光比売命(下照比売)が登場します。この二柱は、のちの天若日子の物語で重要な役割を果たします。事代主神も、国譲りの場面で大国主神に代わって国を譲る神として再び現れます。
関連
出典
- 底本
- 古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。71〜78頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日