古典ライブラリー

古事記 上巻

天若日子

天照大御神は葦原の中つ国を我が子天忍穂耳命に治めさせようとするが、地上は騒がしく、最初の使者天菩比神は大国主神に従って戻らない。次の使者天若日子も下照比売を妻にして八年戻らず、様子を見に来た雉の鳴女を射殺す。その矢を高木神が投げ返すと天若日子に当たって死ぬ。葬儀に来た阿遅志貴高日子根神は死者と間違えられて怒り、喪屋を切り倒す。

  1. 1天照大御神あまてらすおほみかみ天照大御神あまてらすおほみかみあまてらすおおみかみののの命みこと命みことみこと以も以ももちてちてちて、、、「「「ののの千秋ちあき千秋ちあきちあきののの長五百秋ながいほあき長五百秋ながいほあきながいおあきののの水穗みづほ水穗みづほみずほののの國くに國くにくにははは、、、我あ我ああががが御子みこ御子みこみこ、、、正勝吾勝勝速日天まさかあかつかちはやひあめ正勝吾勝勝速日天まさかあかつかちはやひあめまさかあかつかちはやひあめののの忍穗耳おしほみみ忍穗耳おしほみみおしほみみののの命みこと命みことみことののの知し知ししらさむらさむらさむ國くに國くにくに。。。」」」ととと言こと言ことことよさしたまひてよさしたまひてよさしたまいて、、、天降あも天降あもあもししし給たま給たまたまひきひきいき。。。是ここ是ここここににに天あめ天あめあめののの忍穗耳おしほみみ忍穗耳おしほみみおしほみみののの命みこと命みことみこと、、、天あめ天あめあめののの浮橋うきはし浮橋うきはしうきはしににに立た立たたたしてたしてたして詔の詔ののりりり給たま給たまたまはくはくわく、、、「「「豐葦原とよあしはら豐葦原とよあしはらとよあしはらののの千秋ちあき千秋ちあきちあきののの長五百秋ながいほあき長五百秋ながいほあきながいおあきののの水穗みづほ水穗みづほみずほののの國くに國くにくにははは、、、有あ有あありけりりけりりけり。。。」」」ととと告の告ののりりり給たま給たまたまひてひていて、、、更さら更さらさらににに還かへ還かへかえりりり上のぼ上のぼのぼらしてらしてらして、、、天照大御神あまてらすおほみかみ天照大御神あまてらすおほみかみあまてらすおおみかみににに申まを申まをもうししし給たま給たまたまひきひきいき。。。かれかれかれ、、、高御產巢日たかみむすび高御產巢日たかみむすびたかみむすびののの神かみ神かみかみ、、、天照大御神あまてらすおほみかみ天照大御神あまてらすおほみかみあまてらすおおみかみののの命みこと命みことみこともちてもちてもちて、、、天あめ天あめあめののの安やす安やすやすののの河かは河かはかはののの河かは河かはかわ原はら原はらはらににに、、、八百萬やほよろづ八百萬やほよろづやおよろずののの神かみ神かみかみををを神集かむつど神集かむつどかむつどへへへににに集つど集つどつどへてへてへて、、、思金おもひかね思金おもひかねおもいかねののの神かみ神かみかみににに思おも思おもおもはしめてはしめてわしめて詔の詔ののりりり給たま給たまたまはくはくわく、、、「「「このこのこの葦あし葦あしあし原はら原はらはらののの中なか中なかなかつつつ國くに國くにくにははは、、、我あ我ああががが御子みこ御子みこみこののの知し知ししらさむらさむらさむ國くに國くにくにととと、、、言こと言ことことよさしよさしよさし給たま給たまたまへるへるえる國くに國くにくになりなりなり。。。かれかれかれ、、、このこのこの國くに國くにくにににに荒振國あらぶるくに荒振國あらぶるくにあらぶるくにつつつ神かみ神かみかみどものどものどもの多おほ多おほおおなるとなるとなると思おも思おもおもほすほすおすははは、、、何いづ何いづいずれのれのれの神かみ神かみかみををを使つか使つかつかはははしてかことむけまししてかことむけまししてかことむけまし。。。」」」ととと詔の詔ののりりり給たま給たまたまひきひきいき。。。こゝにこゝにここに思金おもひかね思金おもひかねおもいかねののの神かみ神かみかみ、、、またまたまた八百萬やほよろづ八百萬やほよろづやおよろずののの神かみ神かみかみたちたちたち議はか議はかはかりてりてりて、、、「「「天あめ天あめあめののの菩比ほひ菩比ほひほひののの神かみ神かみかみ、、、これこれこれ遣つか遣つかつかはしてむはしてむわしてむ。。。」」」ととと白まを白まをもうしきしきしき。。。かれかれかれ、、、天あめ天あめあめののの菩比ほひ菩比ほひほひののの神かみ神かみかみををを遣つか遣つかつかはしつればはしつればわしつれば、、、やがてやがてやがて大國主おほくにぬし大國主おほくにぬしおおくにぬしののの神かみ神かみかみににに媚こ媚ここびびび附つ附つつきてきてきて、、、三年みとせ三年みとせみとせになるまでになるまでになるまで復奏かへりごとまを復奏かへりごとまをかえりごとまおさざりきさざりきさざりき。。。天照大御神之命以。豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者。我御子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命之所知國。言因賜而。天降也。於是天忍穗耳命。於天浮橋多多志〈此三字以音〉而詔之。豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者。伊多久佐夜藝弖〈此七字以音〉有祁理。〈此二字以音下效此〉告而。更還上。請于天照大御神。爾高御產巢日神。天照大御神之命以。於天安河之河原。神集八百萬神集而。思金神令思而詔。此葦原中國者。我御子之所知國。言依所賜國也。故以爲於此國道速振荒振國神等之多在。是使何神而將言趣。爾思金神及八百萬神議白之。天菩比神是可遣。故遣天菩比神者。乃媚附大國主神。至于三年不復奏。
  2. 2こゝこゝここをもてをもておもて、、、高御產巢日たかみむすび高御產巢日たかみむすびたかみむすびののの神かみ神かみかみ、、、天照大御神あまてらすおほみかみ天照大御神あまてらすおほみかみあまてらすおおみかみ、、、またまたまた諸もろもろ諸もろもろもろもろののの神かみ神かみかみたちにたちにたちに問と問ととひひい給たま給たまたまはくはくわく、、、「「「葦あし葦あしあし原はら原はらはらののの中なか中なかなかつつつ國くに國くにくにににに遣つか遣つかつかはせるはせるわせる天あめ天あめあめののの菩比ほひ菩比ほひほひののの神かみ神かみかみ、、、久ひさ久ひさひさしくかへりごとしくかへりごとしくかえりごと申まを申まをもうさずさずさず。。。又何またいづ又何またいづまたいずれのれのれの神かみ神かみかみをばをばをば遣つか遣つかつかはしてばえけむはしてばえけむわしてばえけむ。。。」」」こゝにこゝにここに思金おもひかね思金おもひかねおもいかねののの神かみ神かみかみ申まを申まをもうしけらくしけらくしけらく、、、「「「天津國玉あまつくにたま天津國玉あまつくにたまあまつくにたまののの神かみ神かみかみののの子こ子ここ、、、ををを遣つか遣つかつかはしてむはしてむわしてむ。。。」」」ととと申まを申まをもうしきしきしき。。。かれかれかれ、、、こゝにこゝにここに、、、天あめ天あめあめののの麻迦古弓まかこゆみ麻迦古弓まかこゆみまかこゆみ、、、天あめ天あめあめののの波々矢ははや波々矢ははやははやををを天若日子あめわかひこ天若日子あめわかひこあめわかひこににに賜たま賜たまたまひてひていて遣つか遣つかつかはしきはしきわしき。。。こゝにこゝにここに、、、天若日子あめわかひこ天若日子あめわかひこあめわかひこ、、、かのかのかの國くに國くにくにににに降くだ降くだくだりつきてりつきてりつきて、、、卽すなは卽すなはすなわちちち大國主おほくにぬし大國主おほくにぬしおおくにぬしののの神かみ神かみかみののの女をんな女をんなおんなををを妻め妻めめとしとしとし、、、又また又またまた其そ其そそののの國くに國くにくにををを獲え獲ええむとむとむと思おも思おもおもひひいはははかりてかりてかりて、、、八年やとせ八年やとせやとせににに至いた至いたいたるまでるまでるまで復奏かへりごとまを復奏かへりごとまをかえりごとまおさざりきさざりきさざりき。。。かれこゝにかれこゝにかれここに、、、天照大御神あまてらすおほみかみ天照大御神あまてらすおほみかみあまてらすおおみかみ、、、高御產巢日たかみむすび高御產巢日たかみむすびたかみむすびののの神かみ神かみかみ、、、またまたまた諸もろもろ諸もろもろもろもろののの神等かみたち神等かみたちかみたちににに問と問ととひひい給たま給たまたまはくはくわく、、、「「「天若日子あめわかひこ天若日子あめわかひこあめわかひこ、、、久ひさ久ひさひさしくしくしく復奏かへりごとまを復奏かへりごとまをかえりごとまおさずさずさず、、、またいづれのまたいづれのまたいずれの神かみ神かみかみををを遣つか遣つかつかはしてかはしてかわしてか、、、天若日子あめわかひこ天若日子あめわかひこあめわかひこががが久ひさ久ひさひさしくしくしく留とど留とどとどまるまるまる故かれ故かれかれををを問と問ととはしめむはしめむわしめむ。。。」」」ととと問と問ととひひい給たま給たまたまひきひきいき。。。こゝにこゝにここに諸もろもろ諸もろもろもろもろののの神かみ神かみかみたちたちたち、、、またまたまた思金おもひかね思金おもひかねおもいかねののの神かみ神かみかみ申まを申まをもうさくさくさく、、、「「「、、、名な名なな鳴女なきめ鳴女なきめなきめををを遣つか遣つかつかはしてむはしてむわしてむ。。。」」」ととと申まを申まをもうすすす時とき時ときときににに、、、詔の詔ののりりり給たま給たまたまはくはくわく、、、「「「汝な汝なな行ゆ行ゆゆきてきてきて、、、天若日子あめわかひこ天若日子あめわかひこあめわかひこににに問と問ととはむさまははむさまはわむさまわ、、、汝な汝ななををを葦あし葦あしあし原はら原はらはらののの中なか中なかなかつつつ國くに國くにくにににに遣つか遣つかつかはせるはせるわせる故かれ故かれかれははは、、、其そ其そそののの國くに國くにくにののの荒振神あらぶるかみ荒振神あらぶるかみあらぶるかみどもどもどもををを言こと言ことことむけむけむけ和やは和やはやわせとなりせとなりせとなり。。。なぞなぞなぞ八年やとせ八年やとせやとせになるまでかへりごとになるまでかへりごとになるまでかえりごと申まを申まをもうさざるとさざるとさざると問と問ととへへへ。。。」」」ととと詔の詔ののりりり給たま給たまたまひきひきいき。。。是以高御產巢日神天照大御神。亦問諸神等。所遣葦原中國之天菩比神。久不復奏。亦使何神之吉。爾思金神答白。可遣天津國玉神之子。天若日子。故爾以天之麻迦古弓〈自麻下三字以音〉天之波波〈此二字以音〉矢。賜天若日子而遣。於是天若日子。降到其國。卽娶大國主神之女下照比賣。亦慮獲其國。至于八年不復奏。故爾天照大御神高御產巢日神。亦問諸神等。天若日子久不復奏。又遣曷神以。問天若日子之淹留所由。於是諸神及思金神答白。可遣雉名鳴女時。詔之。汝行問天若日子狀者。汝所以使葦原中國者。言趣和其國之荒振神等之者也。何至于八年不復奏。
  3. 3かれこゝにかれこゝにかれここに鳴女なきめ鳴女なきめなきめ、、、天あめ天あめあめよりよりより降くだ降くだくだりつきてりつきてりつきて、、、天若日子あめわかひこ天若日子あめわかひこあめわかひこががが門かど門かどかどなるなるなるののの上うへ上うへうえににに居を居をおててて、、、まつぶさにまつぶさにまつぶさに天あま天あまあまつつつ神かみ神かみかみののの詔命みこと詔命みことみことのごとのりきのごとのりきのごとのりき。。。こゝにこゝにここに天あめ天あめあめののの、、、このこのこの鳥とり鳥とりとりのいふことのいふことのいうことををを聞き聞きききてきてきて、、、天若日子あめわかひこ天若日子あめわかひこあめわかひこににに、、、「「「このこのこの鳥とり鳥とりとりははは鳴な鳴ななくくく聲こゑ聲こゑこえいといといと惡あ惡ああししし、、、かれかれかれ射殺いころ射殺いころいころしたまひねしたまひねしたまいね。。。」」」といひすゝむればといひすゝむればといいすすむれば、、、卽すなは卽すなはすなわちちち天若日子あめわかひこ天若日子あめわかひこあめわかひこ、、、天あま天あまあまつつつ神かみ神かみかみののの賜たま賜たまたまへるへるえる天あめ天あめあめののの波士弓はじゆみ波士弓はじゆみはじゆみ、、、天あめ天あめあめののの加久矢かくや加久矢かくやかくやををを持も持ももちてちてちて、、、このこのこの雉きぎし雉きぎしきぎしををを射殺いころ射殺いころいころしつしつしつ。。。こゝにこゝにここに其そ其そそののの矢や矢やや、、、雉きぎし雉きぎしきぎしののの胸むな胸むなむなよりとよりとよりとほりてほりてほりて、、、さかさまにさかさまにさかさまに射上いあ射上いあいあげらえてげらえてげらえて、、、天あめ天あめあめののの安やす安やすやすののの河かは河かはかわ原はら原はらはらにましますにましますにまします、、、天照大御神あまてらすおほみかみ天照大御神あまてらすおほみかみあまてらすおおみかみ、、、ののの神かみ神かみかみののの御所みと御所みとみとにいたりきにいたりきにいたりき。。。このこのこの高木たかぎ高木たかぎたかぎののの神かみ神かみかみははは、、、高御產巢日たかみむすび高御產巢日たかみむすびたかみむすびののの神かみ神かみかみのまたののまたののまたの御名みな御名みなみななりなりなり。。。かれかれかれ、、、高木たかぎ高木たかぎたかぎののの神かみ神かみかみ、、、そのそのその矢や矢ややををを取と取ととらしてみそなはすればらしてみそなはすればらしてみそなわすれば、、、そのそのその矢や矢ややののの羽は羽ははににに血ち血ちちつきたりつきたりつきたり。。。こゝにこゝにここに高木たかぎ高木たかぎたかぎののの神かみ神かみかみ、、、「「「このこのこの矢や矢ややははは天若日子あめわかひこ天若日子あめわかひこあめわかひこににに賜たま賜たまたまへりしへりしえりし矢や矢ややぞかしぞかしぞかし。。。」」」ととと告の告ののりたまひてりたまひてりたまいて、、、卽すなは卽すなはすなわちちち諸もろもろ諸もろもろもろもろののの神かみ神かみかみたちにたちにたちに見み見みみせてせてせて詔の詔ののりりり給たま給たまたまへらくはへらくはえらくわ、、、「「「もしもしもし天若日子あめわかひこ天若日子あめわかひこあめわかひこ、、、命みこと命みことみことをををたがたがたがへずへずへず、、、荒あら荒あらあらぶるぶるぶる神かみ神かみかみををを射い射いいたりしたりしたりし矢や矢ややののの來き來ききつるならばつるならばつるならば、、、天若日子あめわかひこ天若日子あめわかひこあめわかひこににに中なか中なかなからざれらざれらざれ、、、もしきたなきもしきたなきもしきたなき心こころ心こころこころあらばあらばあらば、、、天若日子あめわかひこ天若日子あめわかひこあめわかひここのこのこの矢や矢ややにまがれにまがれにまがれ。。。」」」とのりとのりとのり給たま給たまたまひてひていて、、、其そ其そそののの矢や矢ややををを取と取ととらしてらしてらして、、、そのそのその矢や矢ややのののよりよりより、、、つきかへしたまひしかばつきかへしたまひしかばつきかえしたまいしかば、、、天若日子あめわかひこ天若日子あめわかひこあめわかひこががが胡牀あぐら胡牀あぐらあぐらににに寢ね寢ねねたるたるたる高胸坂たかむなさか高胸坂たかむなさかたかむなさかにあたりてにあたりてにあたりて身失みう身失みうみうせにきせにきせにき。。。またかのまたかのまたかの雉きぎし雉きぎしきぎしかへらずかへらずかえらず。。。かれかれかれ今いま今いまいまににに諺ことわざ諺ことわざことわざににに、、、雉きぎし雉きぎしきぎしのののといふといふという本もと本もともとこれなりこれなりこれなり。。。故爾鳴女自天降到。居天若日子之門湯津楓上而。言委曲如天神之詔命。爾天佐具賣。〈此三字以音〉聞此鳥言而。語天若日子言。此鳥者其鳴音甚惡。故可射殺云進。卽天若日子。持天神所賜天之波士弓天之加久矢。射殺其雉。爾其矢自雉胸通而。逆射上。逮坐天安河之河原天照大御神。高木神之御所。是高木神者。高御產巢日神之別名。故高木神取其矢見者。血著其矢羽。於是高木神。告之此矢者所賜天若日子之矢。卽示諸神等詔者。或天若日子。不誤命。爲射惡神之矢之至者。不中天若日子。或有邪心者。天若日子於此矢麻賀禮。〈此三字以音〉云而。取其矢。自其矢穴衝返下者。中天若日子。寢胡床之高胸坂以死。〈此還矢可恐之本也〉亦其雉不還。故於今諺。曰雉之頓使本是也。
  4. 4かれかれかれ天若日子あめわかひこ天若日子あめわかひこあめわかひこががが妻め妻めめ、、、下照比賣したてるひめ下照比賣したてるひめしたてるひめののの哭な哭ななかせるかせるかせる聲こゑ聲こゑこえ、、、風かぜ風かぜかぜのむたのむたのむた響とよ響とよとよきてきてきて天あめ天あめあめににに到いた到いたいたりきりきりき。。。こゝにこゝにここに、、、天あめ天あめあめなるなるなる天若日子あめわかひこ天若日子あめわかひこあめわかひこががが父ちち父ちちちち、、、天津國玉あまつくにたま天津國玉あまつくにたまあまつくにたまののの神かみ神かみかみ、、、又また又またまたそのそのその妻子供めこども妻子供めこどもめこども、、、聞き聞きききてきてきて、、、降くだ降くだくだりりり來き來ききててて泣な泣ななききき悲かな悲かなかなしみてしみてしみて、、、すなはちすなはちすなわち其處そこ其處そこそこにににををを作つく作つくつくりてりてりて、、、をををきさりもちとしきさりもちとしきさりもちとし、、、鷺さぎ鷺さぎさぎををを掃持ははきもち掃持ははきもちははきもちとしとしとし、、、ををを御食人みけびと御食人みけびとみけびととしとしとし、、、雀すずめ雀すずめすずめををを碓女うすめ碓女うすめうすめとしとしとし、、、雉きぎし雉きぎしきぎしををを泣女なきめ泣女なきめなきめとしとしとし、、、かくかくかく行ゆ行ゆゆひひい定さだ定さださだめてめてめて、、、日八日ひやか日八日ひやかひやか、、、夜八夜よやよ夜八夜よやよよやよををを遊あそ遊あそあそびたりきびたりきびたりき。。。故天若日子之妻下照比賣之哭聲。與風響。到天。於是在天天若日子之父。天津國玉神。及其妻子聞而。降來哭悲。乃於其處作喪屋而。河鴈爲岐佐理持。〈自岐下三字以音〉鷺爲掃持。翠鳥爲御食人。雀爲碓女。雉爲哭女。如此行定而。日八日夜八夜以遊也。
  5. 5このこのこの時とき時ときとき、、、ののの神かみ神かみかみ來き來ききましてましてまして、、、天若日子あめわかひこ天若日子あめわかひこあめわかひこががが喪も喪ももををを弔とぶら弔とぶらとぶらひひひ給たま給たまたまふふう時とき時ときときににに、、、天あめ天あめあめよりよりより降くだ降くだくだりりり來き來ききつるつるつる天若日子あめわかひこ天若日子あめわかひこあめわかひこががが父ちち父ちちちち、、、またそのまたそのまたその妻め妻めめ皆みな皆みなみな哭な哭ななきてきてきて、、、「「「我あ我ああががが子こ子ここははは死し死ししなずてありけりなずてありけりなずてありけり。。。」」」「「「あがあがあが君きみ君きみきみははは死し死ししなずてなずてなずて坐ま坐まましけりしけりしけり。。。」」」ととと云い云いいひてひていて、、、手足てあし手足てあしてあしににに取と取ととりかゝりてりかゝりてりかかりて、、、哭な哭ななききき悲かな悲かなかなしみきしみきしみき。。。そのそのその過あやま過あやまあやまてるゆゑはてるゆゑはてるゆえわ、、、このこのこの二柱ふたはしら二柱ふたはしらふたはしらののの神かみ神かみかみののの顏かほ顏かほかおいとよくいとよくいとよく似に似ににたりたりたり。。。故かれ故かれかれ、、、こゝこゝここををを以もつ以もつもつててて過あやま過あやまあやまてるなりけりてるなりけりてるなりけり。。。こゝにこゝにここに阿遲志貴高日子根あぢしきたかひこね阿遲志貴高日子根あぢしきたかひこねあじしきたかひこねののの神かみ神かみかみ、、、大いた大いたいたくくく怒いか怒いかいかりてりてりて曰い曰いいひけらくひけらくひけらく、、、「「「我あ我ああははは愛うる愛うるうるはははしきしきしき友とも友ともともなれこそなれこそなれこそ弔とぶら弔とぶらとぶらひひひ來き來ききつれつれつれ。。。何なに何なになにとかもとかもとかも吾あ吾ああををを穢きたな穢きたなきたなききき死し死しし人ひと人ひとひとににに比なぞら比なぞらなぞらふるぞふるぞふるぞ。。。」」」ととと云い云いいひてひていて、、、御佩みはか御佩みはかみはかせるせるせる十掬劒とつかつるぎ十掬劒とつかつるぎとつかつるぎををを拔ぬ拔ぬぬきてきてきて、、、そのそのその喪屋もや喪屋もやもやををを切き切ききりりり伏ふ伏ふふせせせ、、、足た足たたもてもてもて蹶くゑ蹶くゑくえはははなちやりきなちやりきなちやりき。。。此こ此ここははは美濃みの美濃みのみのののの國くに國くにくにののの藍見河あゐみがは藍見河あゐみがはあいみがわののの河上かはかみ河上かはかみかわかみなるなるなるといふといふという山やま山やまやまなりなりなり。。。そのそのその持も持ももちてちてちて切き切ききれるれるれる大刀たち大刀たちたちののの名な名ななははは大量おほはかり大量おほはかりおおはかりといふといふという。。。またのまたのまたの名な名ななははは神度かむど神度かむどかむどののの劒つるぎ劒つるぎつるぎといふといふという。。。かれかれかれ、、、阿治志貴高日子根あぢしきたかひこね阿治志貴高日子根あぢしきたかひこねあじしきたかひこねののの神かみ神かみかみははは、、、忿いか忿いかいかりてりてりて飛と飛ととびびび去さ去ささりりり給たま給たまたまふふう時とき時ときとき、、、そのそのその高比賣たかひめ高比賣たかひめたかひめののの命みこと命みことみこと、、、そのそのその御名みな御名みなみなをををあらはさむとあらはさむとあらわさむと思おも思おもおもひてひていて歌うた歌うたうたひけらくひけらくいけらく、、、あめなるやあめなるやあめなるや      うながせるうながせるうながせる   玉たま玉たまたまののの御統みすまる御統みすまるみすまる   御統瓊みすまるに御統瓊みすまるにみすまるに   あなだまはやあなだまはやあなだまはや   みたにみたにみたに   ふたわたらすふたわたらすふたわたらす   あぢしきたかひこねあぢしきたかひこねあじしきたかひこねののの神かみ神かみかみぞやぞやぞや   このこのこの歌うた歌うたうたはははなりなりなり。。。此時阿遲志貴高日子根神〈自阿下四字以音〉到而。弔天若日子之喪時。自天降到天若日子之父。亦其妻皆哭云。我子者不死有祁理。〈此二字以音下效此〉我君者不死坐祁理云。取懸手足而。哭悲也。其過所以者。此二柱神之容姿。甚能相似。故是以過也。於是阿遲志貴高日子根神大怒曰。我者愛友故弔來耳。何吾比穢死人云而。拔所御佩之十掬劒。切伏其喪屋。以足蹶離遣。此者在美濃國藍見河之河上。喪山之者也。其持所切大刀名謂大量。亦名謂神度劒。〈度字以音〉故阿治志貴高日子根神者。忿而飛去之時。其伊呂妹高比賣命。思顯其御名。故歌曰。阿米那流夜。淤登多那婆多能。宇那賀世流。多麻能美須麻流。美須麻流邇。阿那陀麻波夜。美多邇。布多和多良須。阿治志貴多迦比古泥能。迦微曾也。此歌者夷振也。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

天照大御神の仰せで、「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国(いつまでも稲穂の実る国)は、我が子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命が治める国である」と任されて、天から降らせなさった。そこで天忍穂耳命は天の浮橋にお立ちになって、「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国は、ひどく騒がしいようだ」とおっしゃって、また天に戻って、天照大御神に申し上げられた。そこで高御産巣日神と天照大御神の仰せで、天の安の河の河原に八百万の神々を集めて、思金神に考えさせておっしゃった。「この葦原の中つ国は、我が子が治める国として任せた国である。ところが、この国には勢いの激しい荒々しい国つ神どもが多くいると思われる。どの神を遣わして従わせたらよいだろうか」。そこで思金神と八百万の神々が相談して、「天菩比神を遣わしましょう」と申し上げた。そこで天菩比神を遣わしたところ、すぐに大国主神にこびへつらって、三年たっても報告に戻らなかった。

そこで高御産巣日神と天照大御神は、また神々に「葦原の中つ国に遣わした天菩比神は、久しく報告をしない。次はどの神を遣わせばよいか」とお尋ねになった。思金神は「天津国玉神の子、天若日子を遣わしましょう」と申し上げた。そこで天之麻迦古弓(鹿を射る弓)と天之波波矢(大きな羽の矢)を天若日子に授けて遣わした。ところが天若日子は、その国に降り着くとすぐに大国主神の娘、下照比売を妻とし、さらにその国を自分のものにしようと企んで、八年たっても報告に戻らなかった。そこで天照大御神と高御産巣日神は、また神々に「天若日子が久しく報告をしない。また、どの神を遣わして、天若日子が長くとどまっているわけを尋ねさせようか」とお尋ねになった。そこで神々と思金神が「雉の、名は鳴女を遣わしましょう」と申し上げたので、おっしゃった。「おまえが行って天若日子に尋ねるのは、こういうことだ。『おまえを葦原の中つ国に遣わしたのは、その国の荒々しい神どもを説き伏せて従わせよということである。どうして八年たっても報告しないのか』と問え」。

そこで鳴女は天から降り着いて、天若日子の家の門の神聖な桂の木の上にとまって、天つ神の仰せのとおりに詳しく伝えた。すると天佐具売(あまのさぐめ)が、この鳥の言うことを聞いて、天若日子に「この鳥は鳴く声がひどく不吉です。射殺してしまいなさい」とけしかけたので、天若日子はすぐに、天つ神から授かった天之波士弓と天之加久矢を持って、その雉を射殺してしまった。すると、その矢は雉の胸を貫き通って逆さまに天へと射上げられ、天の安の河原にいらっしゃる天照大御神と高木神のもとに届いた。この高木神は、高御産巣日神の別名である。高木神がその矢を取ってご覧になると、矢の羽に血がついていた。そこで高木神は「この矢は天若日子に授けた矢である」とおっしゃって、すぐに神々に見せておっしゃった。「もし天若日子が命令に背かず、悪い神を射た矢が飛んで来たのならば、天若日子には当たるな。もし邪心があるならば、天若日子はこの矢に当たって死ね」。こう言って、その矢を取り、矢が通ってきた穴から突き返されると、あぐらに寝ていた天若日子の胸に当たって死んでしまった。また、あの雉も帰ってこなかった。今のことわざに「雉の頓使(ひたづかい。行ったきりの使い)」というのは、これがもとである。

さて、天若日子の妻、下照比売の泣く声が、風とともに響いて天にまで届いた。そこで、天にいる天若日子の父の天津国玉神と、その妻子たちが聞いて、降りてきて泣き悲しみ、すぐにそこに喪屋を作って、川雁を死者の食べ物を運ぶ役、鷺をほうきで掃き清める役、かわせみを死者の食事を作る役、雀を米をつく女、雉を泣き女として、このように役目を定めて、八日八晩、歌い舞って死者の魂を慰めた。

このとき、阿遅志貴高日子根神がやって来て、天若日子の喪を弔ったところ、天から降りてきた天若日子の父と妻たちはみな泣いて、「我が子は死なずに生きていた」「我が夫は死なずにいらっしゃった」と言って、手足に取りすがって泣き悲しんだ。間違えたわけは、この二柱の神の顔かたちが、たいそうよく似ていたからである。それで間違えたのだった。すると阿遅志貴高日子根神はひどく怒って、「私は親しい友だからこそ弔いに来たのだ。どうして私を汚れた死人と比べるのか」と言って、腰に帯びていた十掬剣を抜いて、その喪屋を切り倒し、足で蹴飛ばしてしまった。これが美濃の国の藍見河の川上にある喪山という山である。その切った大刀の名を大量といい、またの名を神度剣という。

さて、阿遅志貴高日子根神が怒って飛び去ろうとしたとき、その妹の高比売命は、兄神の名を明らかにしようと思って、歌った。

天上の若い機織り女が、首に掛けている玉の首飾り、その首飾りの穴玉のように輝いて、谷を二つも渡ってお照らしになる、あの方こそ阿遅志貴高日子根神ですよ。

この歌は夷振(ひなぶり)である。

意訳

天孫降臨に先立って、高天の原の神々は地上を平定するために次々と使者を送ります。しかし最初の天菩比神は大国主神に心服して戻らず、二番目の天若日子は大国主神の娘と結婚して地上の王になろうとします。天上の神々の思惑どおりにはいかない国譲りの難しさが、使者たちの「裏切り」として描かれています。

天若日子の死は、「還矢(かえしや)恐るべし」という古いことわざの由来とされます。高木神は、矢を投げ返す前に「天若日子に悪い心がなければ当たるな、あれば当たれ」と誓いを立てます。これも一種の誓約(うけい)で、矢の行方によって天若日子の心が判定されたのです。行ったきり帰らない使いを「雉の頓使い」というのも、このときの鳴女の話から生まれたことわざです。

天若日子の葬儀の場面は、古代の葬送儀礼(殯(もがり))の様子を伝える貴重な記録です。鳥たちに役目を割り当て、八日八晩歌い舞う様子には、死者を悼みつつ魂を呼び戻そうとする儀礼の姿が見えます。死者と間違えられて激怒し喪屋を切り倒す阿遅志貴高日子根神の話は、死の穢れを強く忌む古代の感覚を表しています。最後の高比売命の歌は、兄の名を輝く玉にたとえて明かす、美しい讃め歌です。

語釈・文法注

豐葦原の千秋の長五百秋の水穗の國
葦が豊かに茂り、千年も五百年も長く稲穂がみずみずしく実る国。葦原の中つ国(日本の国土)をたたえる呼び名。
いたくさやぎて
ひどく騒がしくて。地上の国つ神たちが従わず、騒然としている様子。原文は「伊多久佐夜藝弖」と音で書く。
道速振荒振國つ神
勢いが激しく荒々しい、地上の神々。「ちはやぶる」はのちに「神」にかかる枕詞となった。
天若日子
天津国玉神の子。国譲りの二番目の使者だが、大国主神の娘を妻にして地上にとどまり、高木神が投げ返した矢で死ぬ。
下照比賣
大国主神と多紀理毘売命の娘。前の話では高比売命・下光比売命と書かれた。天若日子の妻。
雉、名鳴女
雉の名。使者として天若日子のもとに遣わされたが、射殺された。
湯津楓
神聖な桂の木。門の前の木に神や使いが降りるという考えがあった。山幸彦の話にも同じ木が現れる。
天の佐具賣
天探女。人の心を探り、ものごとを悪い方へ導く女神。のちの「天邪鬼(あまのじゃく)」の起源ともされる。
高木の神
高御産巣日神の別名。神の降りる高い木を神格化した名とされる。この後、天孫降臨の場面では主にこの名で現れる。
還矢
投げ返された矢。原文の分注「此れ還矢恐るべしといふ本なり」は、射た矢が射た者に返ってくることを恐れるべきだという、ことわざの由来を示す。
雉の頓使
行ったきり帰らない使いのたとえ。
喪屋
死者を葬る前に遺体を安置し、殯(もがり)の儀礼を行う小屋。
きさりもち
葬送のとき、死者に供える食物を頭に載せて運ぶ役とされる。原文は「岐佐理持」。以下、掃持・御食人・碓女・泣女と、葬送の役目を鳥たちに当てる。
翠鳥
かわせみ。「そにどり」。死者の食事(御食)を作る役。
阿遲志貴高日子根の神
大国主神と多紀理毘売命の子で、下照比売の兄。天若日子と顔がよく似ていた。迦毛大御神。原文では「阿遅志貴」「阿治志貴」の両方の表記が見える。
喪山
美濃国の藍見河(長良川とされる)の川上にある山。岐阜県美濃市に喪山の伝承地がある。
伊呂妹
同じ母から生まれた妹。「いろも」。
おとたなばた
若い機織り女。「おと」は若い、「たなばた」は機を織る女。天上の機織り女が首に掛けた玉に、兄神の輝きをたとえる。
夷振
「ひなぶり」。宮廷で歌われた歌曲の名の一つ。地方(ひな)風の歌の意とされる。

文法

知らさむ國
「知る」(治める)の未然形+尊敬の助動詞「す」の未然形+推量(意志)の助動詞「む」の連体形。「お治めになるはずの国」。
遣はしてむ
「遣はす」の連用形+強意の助動詞「つ」の未然形+意志の助動詞「む」。「きっと遣わしましょう」。
射上げらえて
「射上ぐ」の未然形+受身の上代の助動詞「らゆ」の連用形「らえ」。「射上げられて」。
まがれ
原文は「麻賀禮」と音で書く。「曲がる」(災いに遭う、死ぬ)の命令形。「(矢に当たって)死ね」。
十掬劒
底本は「十掬劒」と書く(ほかの段の「十拳劍」と同じく、握りこぶし十個分の長さの剣)。
御統瓊
底本の訓み下しは「御統瓊(みすまるに)」と書き、原文の「美須麻流邇」に当てる。

歌謡

あめなるや おとたなばたの うながせる 玉の御統 御統瓊 あなだまはや みたに ふたわたらす あぢしきたかひこねの神ぞや

詠者
高比売命(下照比売)
状況
天若日子と間違えられて怒り、喪屋を切り倒して飛び去ろうとする兄、阿遅志貴高日子根神の名を明らかにしようとして歌った。

修辞

比喩
兄神を、天上の機織り女が首に掛けた玉飾りの穴玉にたとえ、その輝きが谷を二つ渡るほどだとたたえる。
名を明かす
歌の最後で「あぢしきたかひこねの神ぞや」と名を明かす。名を明らかにすることで、死者と間違えられた神の正体を示している。
夷振
宮廷の歌曲の一つで、日本書紀にも同じ歌が「夷曲(ひなぶり)」として載る。

解説

天若日子の物語は、国譲りの交渉が難航するさまを描いた前半部です。天照大御神と高御産巣日神(高木神)は、地上を治める正統な者は天の子孫であると主張しますが、送り込まれた使者たちは次々と地上の神々に取り込まれてしまいます。これは、地方の勢力を服属させることがいかに難しかったかを、神話の形で語っているとも読めます。

天若日子は、天から来た若者が地上の娘と結ばれる貴種流離の主人公のようでもあり、命令に背いた反逆者でもあります。高木神の投げ返した矢で死ぬ場面は、神の誓約の力を示すとともに、天上の秩序に背いた者の運命を語っています。のちに『宇津保物語』などで天稚御子(あめわかみこ)として、天上から降る若者の名として受け継がれ、七夕伝説とも結びつけられました。

葬儀の場面には、殯(もがり)の儀礼や、鳥を死者の魂を運ぶものとみる古代の観念が表れています。この後、高天の原の神々は、ついに武力をもつ建御雷之男神を遣わし、大国主神に国譲りを迫ることになります。

関連

出典

底本
古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。82〜89頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
更新日