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古事記 下巻

履中天皇と墨江中王の火攻め

第十七代履中天皇(伊邪本和気命)は伊波礼の若桜宮で天下を治めた。即位の前、難波の宮で大嘗の宴に酔って眠っていると、弟の墨江中王が天皇を討とうと御殿に火を放つ。阿知直に助け出された天皇は、多遅比野で目を覚まし、燃える難波の宮を振り返りながら大和へ逃れ、石上神宮に入る。

  1. 1ののの命みこと命みことみこと、、、伊波禮いはれ伊波禮いはれいわれのののののの宮みや宮みやみやにましましてにましましてにましまして、、、天あめ天あめあめののの下治したしろ下治したしろしたしろしめしきしめしきしめしき。。。此こ此ここののの天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと、、、葛城かづらき葛城かづらきかずらきののの曾都毘古そつびこ曾都毘古そつびこそつびこののの子こ子ここ、、、葦田あしだ葦田あしだあしだののの宿禰すくね宿禰すくねすくねののの女め女めめ、、、名な名ななははは黑比賣くろひめ黑比賣くろひめくろひめののの命みこと命みことみことににに娶あ娶ああひましてひましていまして生う生ううみませるみませるみませる御子みこ御子みこみこ、、、市いち市いちいちののの邊べ邊べべのののののの王みこ王みこみこ、、、次つぎ次つぎつぎににに御馬みま御馬みまみまののの王みこ王みこみこ、、、次つぎ次つぎつぎににに妹青海いもあをみ妹青海いもあをみいもあおみののの郞女いらつめ郞女いらつめいらつめ、、、亦また亦またまたののの御名みな御名みなみなをををののの郞女いらつめ郞女いらつめいらつめ。。。(((三柱みはしら三柱みはしらみはしら。。。)))もともともと難かた難かたかた波なみ波なみなみののの宮みや宮みやみやににに坐ま坐ままししし時とき時ときとき、、、ににに坐いま坐いまいましてしてして、、、豐明とよのあかり豐明とよのあかりとよのあかりせすせすせす時とき時ときときににに、、、大御酒おほみき大御酒おほみきおおみきににに樂あそ樂あそあそけてけてけて、、、大御寢おほみね大御寢おほみねおおみねましきましきましき。。。爰ここ爰ここここにそのにそのにそのののの江え江ええののの中王なかつみこ中王なかつみこなかつみこ、、、天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみことををを取と取ととりりり奉まつ奉まつまつらむとしてらむとしてらむとして、、、大殿おほとの大殿おほとのおおとのににに火ひ火ひひをををつけたりきつけたりきつけたりき。。。爰ここ爰ここここににに倭やまと倭やまとやまとののの漢あや漢あやあやののの直あたへ直あたへあたえののの祖おや祖おやおや、、、ののの直あたへ直あたへあたえ、、、盜ぬす盜ぬすぬすみみみ出い出いいでてでてでて、、、御馬みま御馬みまみまににに乘じよう乘じようじようせせせ奉たてまつ奉たてまつたてまつりてりてりて、、、倭やまと倭やまとやまとにいでまさしめきにいでまさしめきにいでまさしめき。。。かれかれかれににに到いた到いたいたりましてりましてりまして、、、寤さ寤ささめましてめましてめまして、、、「「「こゝこゝここははは何處いづく何處いづくいずくぞぞぞ。。。」」」ととと詔の詔ののりりり給たま給たまたまひきひきいき。。。かれかれかれ阿知あち阿知あちあちののの直あたへ直あたへあたえ申まを申まをもうさくさくさく、、、「「「墨すみ墨すみすみののの江え江ええののの中なか中なかなかつつつ王みこ王みこみこ、、、大殿おほとの大殿おほとのおおとのににに火ひ火ひひををを著つ著つつけけけ給たま給たまたまへりへりえり。。。かれかれかれ率ゐ率ゐいててて奉たてまつ奉たてまつたてまつりてりてりて倭やまと倭やまとやまとににに逃に逃ににげげげ行ゆ行ゆゆくなりくなりくなり。。。」」」ととと申まを申まをもうしきしきしき。。。こゝにこゝにここに天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと御歌みうた御歌みうたみうたはしけらくはしけらくわしけらく、、、多遲比野たぢひぬ多遲比野たぢひぬたじひぬににに   寢ね寢ねねむとむとむと知し知ししりせばりせばりせば   ももも   持も持ももちてちてちて來き來ききましものましものましもの   寢ね寢ねねむとむとむと知し知ししりせばりせばりせば   ににに到いた到いたいたりましてりましてりまして、、、難かた難かたかた波なみ波なみなみののの宮みや宮みやみやををを見み見みみやりやりやり給たま給たまたまへばへばえば、、、其そ其そそののの火ひ火ひひなほなほなお炳あか炳あかあかくくく見み見みみえたりえたりえたり。。。かれまたかれまたかれまた御歌みうた御歌みうたみうたはしけらくはしけらくわしけらく、、、波邇賦坂はにふざか波邇賦坂はにふざかはにふざか   吾あ吾ああががが立た立たたちちち見み見みみればればれば   ののの   燃も燃ももゆるゆるゆる家羣いへむら家羣いへむらいえむら   妻め妻めめががが家いへ家いへいえのあたりのあたりのあたり   かれかれかれ大坂おほさか大坂おほさかおおさかののの山やま山やまやまののの口くち口くちくちににに到いた到いたいたりませるりませるりませる時とき時ときときににに、、、女人をみな女人をみなおみな遇あ遇ああへりへりへり。。。其そ其そそののの女人をみな女人をみなおみなののの申まを申まをもうさくさくさく、、、「「「兵つはもの兵つはものつわものををを持も持ももたるたるたる人ひと人ひとひとどもどもども、、、多あまた多あまたあまたこのこのこの山やま山やまやまををを塞せ塞せせききき居を居をおりりり。。。よりよりより廻もとほ廻もとほもとおりてりてりて越こし越こしこしえいでますべしえいでますべしえいでますべし。。。」」」ととと申まを申まをもうしきしきしき。。。かれかれかれ、、、天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと御歌みうた御歌みうたみうたはしけらくはしけらくわしけらく、、、大坂おほさか大坂おほさかおおさかににに   遇あ遇ああふやふやふや孃子をとめ孃子をとめおとめををを   道みち道みちみち問と問ととへばへばえば   直ただ直ただただにににははは告の告ののらずらずらず   當岐麻道たぎまぢ當岐麻道たぎまぢたぎまじををを告の告ののるるる   かれかれかれ上たてまつ上たてまつたてまつりいでましてりいでましてりいでまして、、、ののの上かみ上かみかみののの神かみ神かみかみののの宮みや宮みやみやにましましきにましましきにましましき。。。伊邪本和氣命。坐伊波禮之若櫻宮。治天下也。此天皇娶葛城之曾都毘古之子。葦田宿禰之女名黑比賣命。生御子市邊之忍齒王。次御馬王。次妹青海郞女。亦名飯豐郞女。〈三柱〉本坐難波宮之時。坐大嘗而。爲豐明之時。於大御酒宇良宜而。大御寢也。爾其弟墨江中王。欲取天皇。以火著大殿。於是倭漢直之祖。阿知直。盜出而。乘御馬。令幸於倭。故到于多遲比野而。寤。詔此間者何處。爾阿知直白。墨江中王。火著大殿。故率逃於倭。爾天皇歌曰。多遲比怒邇。泥牟登斯理勢波。多都基母母。母知氐許麻志母能。泥牟登斯理勢婆。到於波邇賦坂。望見難波宮。其火猶炳。爾天皇亦歌曰。波邇布邪迦。和賀多知美禮婆。迦藝漏肥能。毛由流伊幣牟良。都麻賀伊幣能阿多理。故到幸大坂山口之時。遇一女人。其女人白之。持兵人等。多塞玆山。自當岐麻道。廻應越幸。爾天皇歌曰。淤富佐迦邇。阿布夜袁登賣袁。美知斗閇婆。多陀邇波能良受。當藝麻知袁能流。故上幸。坐石上神宮也。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

伊邪本和気命(履中天皇)は、伊波礼の若桜の宮にいらして天下を治められた。この天皇は、葛城の曾都毘古の子、葦田宿禰の娘、名は黒比売命を妻として生んだ御子は、市辺之忍歯王、次に御馬王、次に妹の青海郎女、またの名は飯豊郎女。(三柱。)

まだ難波の宮にいらしたとき、大嘗の祭りをなさって、豊明(宴)を催されたとき、大御酒に浮かれて、ぐっすりお休みになった。そこでその弟の墨江中王が、天皇を討ち取ろうとして、御殿に火をつけた。そのとき倭漢直の祖の阿知直が、天皇をこっそり連れ出して、御馬にお乗せし、大和へお連れした。そして多遅比野まで来て、天皇は目を覚まされ、「ここはどこか」とおっしゃった。そこで阿知直が「墨江中王が御殿に火をつけました。それでお連れして大和へ逃げていくところです」と申し上げた。そこで天皇がお歌いになった歌は、

多遅比野で寝ると知っていたら、風よけの屛風も持ってきたものを。寝ると知っていたら。

波邇賦坂まで来て、難波の宮を見やられると、その火はまだ赤々と燃えていた。そこでまたお歌いになった歌は、

波邇賦坂に私が立って見ると、陽炎のように燃え立つ家々、妻の家のあたりよ。

そして大坂の山の入口に着いたとき、一人の女に出会った。その女は「武器を持った人たちが、大勢この山をふさいでいます。当岐麻道から回って越えていかれるのがよいでしょう」と申し上げた。そこで天皇がお歌いになった歌は、

大坂で出会った少女に道を尋ねると、まっすぐ行けとは言わずに、当岐麻道を教えてくれた。

そして大和に上っていかれ、石上の神宮にお入りになった。

意訳

仁徳天皇の後を継いだ長男の履中天皇は、即位の祝宴の夜、弟の墨江中王に宮を焼かれます。酔って眠っていた天皇を、渡来系の阿知直が馬に乗せて救い出しました。目を覚ました天皇が「こんな所で寝ると知っていたら、屛風を持ってきたのに」と歌う場面には、どこかとぼけた味わいがあります。

燃え上がる難波の宮を振り返って「妻の家のあたりが燃えている」と歌い、大坂の山で出会った女に敵の待ち伏せを教えられて回り道をするなど、逃避行が歌とともに語られます。兄弟の皇位争いという深刻な事件が、旅の歌物語として描かれています。

語釈・文法注

伊邪本和氣の命
第十七代履中天皇。仁徳天皇と石之日売命の長子。
伊波禮の若櫻の宮
奈良県桜井市池之内の辺りにあったとされる宮。
市の邊の忍齒の王
履中天皇の皇子。のちに雄略天皇に殺される。その子が顕宗・仁賢天皇。
飯豐の郞女
青海郎女。のちに顕宗・仁賢天皇の即位前に政をとったとされる。
大嘗
即位の後、初めて新穀を神に供える大嘗祭。
墨の江の中王
履中天皇の同母弟。皇位を狙って兄を討とうとした。
阿知の直
倭漢直(東漢氏)の祖。応神天皇の代に渡来した阿知使主とされる。
多遲比野
河内国丹比郡(大阪府松原市・羽曳野市の辺り)。
防壁
「たつごも」。風を防ぐ屛風、むしろ。
波邇賦坂
大阪府羽曳野市の辺りの坂。
炫火の
「かぎろひの」。陽炎のようにゆらめく火。「燃ゆ」にかかる。
當岐麻道
大坂越えの南の道。奈良県葛城市當麻へ抜ける竹内越えの道。
石の上の神の宮
奈良県天理市の石上神宮。

文法

原文の「多塞玆山」
底本は「玆」と刷る。「茲」と同じ。
宇良宜
原文の「於大御酒宇良宜而」は、酒に浮かれて。訓み下しは「樂けて」と書いて「うらけて」と訓む。

歌謡

多遲比野に 寢むと知りせば 防壁も 持ちて來ましもの 寢むと知りせば

詠者
履中天皇
状況
燃える難波の宮から救い出され、多遅比野で目を覚まして詠んだ歌。

修辞

反実仮想
「知りせば…ましもの」。
くり返し
「寢むと知りせば」を初めと終わりにくり返す。

波邇賦坂 吾が立ち見れば 炫火の 燃ゆる家羣 妻が家のあたり

詠者
履中天皇
状況
波邇賦坂から燃える難波の宮を見て詠んだ歌。

修辞

枕詞
「炫火の」は「燃ゆ」にかかる。

大坂に 遇ふや孃子を 道問へば 直には告らず 當岐麻道を告る

詠者
履中天皇
状況
大坂の山で、敵の待ち伏せを教えてくれた少女に出会って詠んだ歌。

修辞

対比
「直には告らず」と「當岐麻道を告る」を対にする。

解説

墨江中王の反乱は、日本書紀では、中王が履中天皇の妃にしようとした黒媛と密通したことが発端とされています。古事記はその経緯を記さず、火攻めと逃避行を歌とともに語っています。

天皇を救った阿知直は、渡来系氏族の倭漢氏の祖で、このあと蔵の官に任じられます。渡来人が朝廷の財政や記録を担うようになったことを示す記事として注目されます。

関連

出典

底本
古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。247〜249頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
更新日