古事記 下巻
大長谷王子と都夫良意富美
安康天皇が殺されたと聞いた少年の大長谷王子は激しく怒り、平然としている兄の黒日子王を斬り、白日子王を生き埋めにする。さらに目弱王をかくまう都夫良意富美の家を軍で囲む。都夫良意富美は娘の訶良比売と五か所の屯宅を差し出しながらも、頼ってきた王子は見捨てられないと戦い抜き、力尽きて目弱王を刺し、自らも命を絶つ。
- 1こゝにこゝにここに、、、ののの王子王子みこ、、、そのかみそのかみそのかみににに坐坐ましけるしけるしける、、、このことこのことこのことををを聞聞きかしてかしてかして、、、慷慷うれたみみみ忿忿いかりましてりましてりまして、、、乃乃すなわちそのちそのちその兄兄いろせ、、、ののの王王みこののの許許もとににに到到いた坐坐いましてしてして、、、「「「人人ひと、、、天皇天皇すめらみことををを取取とりりり奉奉たてまつれりれりれり。。。如何如何いかににに爲爲ためましましまし。。。」」」ととと申申もうししし給給たまひきひきいき。。。然然しかるにるにるに、、、そのそのその黑日子黑日子くろひこののの王王きみ、、、打驚打驚うちおどろかずてかずてかずて、、、怠緩怠緩おおろかににに思思おもほせりほせりおせり。。。こゝにこゝにここに大長谷大長谷おおはつせののの王王きみ、、、そのそのその兄兄いろせををを詈詈のりてりてりて、、、「「「一一ひとつにつにつにははは天皇天皇すめらみことににに坐坐まししし、、、一一ひとつにつにつにははは兄弟兄弟はらからににに坐坐ますすすををを、、、何何なにぞもぞもぞも恃恃たのもしげなくもしげなくもしげなく、、、人人ひとのそののそののその兄兄いろせををを殺殺とりりり奉奉たてまつれるれるれる事事ことををを聞聞ききつゝきつゝきつつ、、、驚驚おどろきもせずてきもせずてきもせずて怠怠おおろかにおもほせるかにおもほせるかにおもおせる。。。」」」ととと言言いひてひていて、、、卽卽すなわちそのちそのちその衣衣きぬののの衿衿くびををを握握とりてりてりて控控ひききき出出いでてでてでて、、、刀刀たちををを拔拔ぬきてきてきてうちうちうち殺殺ころししし給給たまひきひきいき。。。亦亦またそのそのその兄兄いろせ、、、白日子白日子しろひこののの王王みこににに到到いた坐坐いましてしてして、、、前前さきののの如如ごと狀狀さまををを告告つげげげ申申もうししし給給たまふにふにうに、、、亦亦また黑日子黑日子くろひこののの王王みこののの如如ごと、、、緩緩おおろかにかにかに思思おもほせりしかばほせりしかばおせりしかば、、、卽卽すなわちそのちそのちその衣衣きぬののの衿衿くびををを握握とりてりてりて、、、引引ひききき率率いててて來來きててて、、、ににに到到いたりてりてりて、、、穴穴あなををを掘掘こりてりてりて立立たちながらにちながらにちながらに埋埋うみしかばみしかばみしかば、、、腰腰こしををを埋埋うむむむ時時ときににに至至いたりてりてりて、、、兩目走兩目走ふたつのめはしりりり拔拔ぬけてぞけてぞけてぞ死死しせせせ給給たまひぬるひぬるいぬる。。。爾大長谷王子。當時童男。卽聞此事以。慷愾忿怒。乃到其兄黑日子王之許曰。人取天皇爲那何。然其黑日子王。不驚而。有怠緩之心。於是大長谷王詈其兄。言一爲天皇。一爲兄弟。何無恃心。聞殺其兄。不驚而怠乎。卽握其衿控出。拔刀打殺。亦到其兄白日子王而。告狀如前。緩亦如黑日子王。卽握其衿以。引率來。到小治田。掘穴而。隨立埋者。至埋腰時。兩目走拔而死。
- 2亦亦また軍軍いくさををを興興おこしてしてして、、、ののの家家いえををを圍圍かくみみみ給給たまひきひきいき。。。かれかれかれ、、、軍軍いくさををを興興おこしてしてして待待まちちち戰戰たたかひてひていて、、、射出射出いいづるづるずる矢矢や、、、葦葦あしののの盛盛さかりにりにりに散散ちるがるがるが如如ごとくなりきくなりきくなりき。。。是是ここににに大長谷大長谷おおはつせののの王王きみ、、、矛矛ほこををを御杖御杖みつえににに衝衝つかしてかしてかして、、、そのそのその內內うちををを臨臨のぞみましてみましてみまして詔詔のりりり給給たまはくはくわく、、、「「「我我あががが相言相言あいいへるへるえる孃子孃子おとめははは、、、若若もしこのしこのしこの家家いえにありやにありやにありや。。。」」」ととと詔詔のりりり給給たまひきひきいき。。。こゝにこゝにここに、、、都夫良意美都夫良意美つぶらおみ、、、このこのこの大命大命おおみことををを聞聞ききてきてきて、、、自自ずかららら參出參出まいいててて、、、佩佩はけるけるける兵兵つわものををを解解ときてきてきて、、、八度拜八度拜やたびおろがみてみてみて申申もうしけるしけるしけるははは、、、「「「先先さきににに問問とひたまへるひたまへるいたまえる女子女子むすめ、、、ははは侍侍さもらはむはむわむ。。。またまたまた五處五處いつところののの屯宅屯宅みやけををを副副そへてへてえて獻獻たてまつらむらむらむ。。。(((ののの屯宅屯宅みやけははは、、、今今いまののの葛城葛城かずらきののの五村五村いつむらのののなりなりなり。。。)))然然しかるにるにるに、、、そのそのその正身正身むざね、、、參來參來まいきざるざるざる所以所以このゆえははは、、、往古往古いにしえよりよりより今時今時いまににに至至いたるまでるまでるまで、、、臣連臣連おみむらじののの、、、王子王子みこののの宮宮みやににに隱隱かくることることることははは聞聞きけどけどけど、、、未未いまだだだ王子王子みこののの、、、臣臣おみののの家家いえににに隱隱かくりませることりませることりませることははは聞聞きかずかずかず。。。是是ここををを以以もつててて思思おもふにふにうに、、、賤奴意富美賤奴意富美やつこおおみははは、、、力力ちからををを竭竭つくしてしてして戰戰たたかふともふともうとも、、、更更さらににに得得え勝勝かちちち奉奉まつらじらじらじ。。。然然しかれどもれどもれども、、、己己おのををを恃恃たのみてみてみて、、、奴奴やつこののの家家いえににに入入いりませるりませるりませる王子王子みこははは、、、命命みこと死死しぬともぬともぬとも棄棄うててて奉奉まつらじらじらじ。。。」」」かくかくかく申申もうしてしてして、、、亦亦また兵兵つわものををを取取とりてりてりて、、、還還かえりりり入入いりてりてりて戰戰たたかひきひきいき。。。かれかれかれ、、、力盡力盡ちからつききき、、、矢矢やももも盡盡つきぬればきぬればきぬれば、、、そのそのその王子王子みこににに申申もうしけらくしけらくしけらく、、、「「「僕僕あははは傷手負傷手負いたでおひぬひぬいぬ。。。矢矢やももも盡盡つきぬきぬきぬ。。。今今いまははは得戰得戰えたたかはじはじわじ。。。如何如何いかにせむにせむにせむ。。。」」」ととと申申もうしければしければしければ、、、そのそのその王子王子みこ、、、「「「然然しからばらばらば、、、更更さらににに爲爲ためむむむ術術すべなしなしなし、、、今今いまははは吾吾あををを殺殺ころせよせよせよ。。。」」」ととと詔詔のりりり給給たまひきひきいき。。。かれかれかれ刀刀たちもちてもちてもちて、、、そのそのその王子王子みこををを刺刺さししし殺殺ころせまつりてせまつりてせまつりて、、、乃乃すなわちちち己己おのががが頸頸くびををを切切きりてりてりて死死しせにきせにきせにき。。。亦興軍圍都夫良意美之家。爾興軍待戰。射出之矢如葦來散。於是大長谷王。以矛爲杖。臨其內詔。我所相言之孃子者。若有此家乎。爾都夫良意美聞此詔命。自參出。解所佩兵而。八度拜。白者。先日所問賜之女子訶良比賣者侍。亦副五處之屯宅以獻。〈所謂五村屯宅者。今葛城之五村苑人也。〉然其正身所以不參向者。自往古至今時。聞臣連隱於王宮。未聞王子隱於臣之家。是以思。賤奴意富美者。雖竭力戰。更無可勝。然恃己。入坐于隨家之王子者。死而不棄。如此白而。亦取其兵。還入以戰。爾力窮。矢盡。白其王子。僕者手悉傷。矢亦盡。今不得戰。如何。其王子。答詔然者更無可爲。今殺吾。故以刀刺殺其王子。乃切己頸以死也。
現代語訳
さて大長谷王子は、そのころまだ少年であったが、この事件をお聞きになって、嘆き怒って、すぐにその兄の黒日子王のもとに行き、「人が天皇を殺しました。どうしましょう」と申し上げた。ところがその黒日子王は驚きもせず、のんびりと構えておられた。そこで大長谷王はその兄をののしって、「一つには天皇でいらっしゃり、一つには兄弟でいらっしゃるのに、どうして頼りがいもなく、人が兄を殺したことを聞いても驚きもせず、のんびりしておられるのか」と言って、すぐにその衣の襟をつかんで引きずり出し、刀を抜いて打ち殺された。またその兄の白日子王
のもとに行って、前と同じように事情を告げられたが、やはり黒日子王と同じようにのんびりと構えておられたので、すぐにその衣の襟をつかんで引き連れてきて、小治田に着くと、穴を掘って立ったまま埋めたところ、腰まで埋めたとき、両目が飛び出して死んでしまわれた。
また軍を起こして、都夫良意美の家を囲まれた。すると都夫良意美も軍を起こして迎え撃ち、射出す矢は葦の穂が散るように飛び交った。そこで大長谷王は、矛を杖について、その中をのぞき込んでおっしゃった。「私が約束した少女は、もしやこの家にいるか」。
すると都夫良意美は、このお言葉を聞いて、自ら出てきて、帯びていた武器を解き、八度拝んで申し上げた。「先日お尋ねくださった娘の訶良比売は差し上げましょう。また五か所の屯宅を添えて献上いたしましょう。(いわゆる五村の屯宅は、今の葛城の五村の苑人である。)けれども、私自身が参上しないわけは、昔から今に至るまで、臣下が王子の宮に隠れることは聞いても、王子が臣下の家に隠れたことはまだ聞いたことがありません。そこで考えますに、卑しい私意富美が力を尽くして戦っても、とうてい勝つことはできないでしょう。けれども、私を頼って私の家に入られた王子は、命を落としても見捨てることはできません」。こう申し上げて、また武器を取って、家に戻って戦った。そして力尽き、矢も尽きたので、その王子に「私は深手を負いました。矢も尽きました。もう戦えません。どういたしましょう」と申し上げると、その王子は「それなら、もうどうしようもない。今は私を殺せ」とおっしゃった。そこで刀で王子を刺し殺し、すぐに自分の首を切って死んだ。
意訳
兄の安康天皇が殺されると、少年の大長谷王子(のちの雄略天皇)は激しく怒り、事件に関心を示さない兄たちを次々と殺してしまいます。黒日子王は斬り殺され、白日子王は生き埋めにされて目が飛び出して死にました。のちに雄略天皇となる皇子の、すさまじい気性が描かれています。
目弱王をかくまった都夫良意富美(葛城円大臣)は、娘と領地を差し出しながらも、「自分を頼ってきた王子は、命を捨てても見捨てられない」と最後まで戦います。力尽きると幼い王子を刺し、自らも命を絶ちました。勝ち目のない戦いで義を貫いた臣下の姿は、古事記の中でも胸を打つ場面です。この事件で、強大だった葛城氏は大きく力を失いました。
語釈・文法注
- 大長谷の王子
- のちの第二十一代雄略天皇。允恭天皇の子。
- 童男
- 「をぐな」。少年。
- 黑日子の王・白日子の王
- 允恭天皇の皇子で、大長谷王子の兄。日本書紀では八釣白彦皇子・坂合黒彦皇子。
- 小治田
- 奈良県明日香村の小墾田の辺り。
- 都夫良意美
- 葛城円大臣。葛城氏の首長で、目弱王をかくまって討たれた。
- 訶良比賣
- 都夫良意美の娘。日本書紀では韓媛で、雄略天皇の妃となり清寧天皇を生んだ。
- 五村の屯宅
- 葛城の五つの村の屯倉。娘とともに差し出した領地。
- 苑人
- 朝廷の園(果樹園など)を管理する人々。
文法
- 原文の「人取天皇爲那何」
- 「人が天皇を殺した。どうしよう」。「那何」は「如何」と同じ。
- 兩目走り拔けて
- 両目が飛び出して。生き埋めにされた苦しさを示す。
- 賤奴意富美
- 都夫良意富美が自分をへりくだって言う言葉。
解説
日本書紀でも、大長谷皇子(雄略天皇)は兄の八釣白彦皇子・坂合黒彦皇子を殺し、円大臣の家を焼いて眉輪王とともに殺したと記されています。雄略天皇はこのあとも従兄の市辺押磐皇子を殺し、対抗する皇族をすべて倒して即位しました。
葛城氏は仁徳天皇の大后石之日売命を出すなど、大和の有力豪族でしたが、この事件をきっかけに衰えていきます。かわって大伴氏・物部氏などが朝廷の中心になっていきました。
関連
出典
- 底本
- 古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。264〜266頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
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