古事記 下巻
安康天皇と目弱王
第二十代安康天皇(穴穂御子)は石上の穴穂宮で天下を治めた。弟の大長谷王子に大日下王の妹若日下王を娶らせようとするが、使者の根臣が礼物を盗み、大日下王が無礼だと讒言したため、天皇は大日下王を殺してその妻長田大郎女を皇后とした。のちに天皇が「目弱王が父の死の真相を知ったら」と語るのを七歳の目弱王が聞き、眠る天皇を斬って都夫良意富美の家に逃げ込む。
- 1ののの御子御子みこ、、、ののの上上かみののの穴穗穴穗あなほののの宮宮みやにましましてにましましてにましまして、、、天天あめののの下知下知したし召召めしきしきしき。。。天皇天皇すめらみこと、、、伊呂弟大長谷伊呂弟大長谷いろどおおはつせののの王子王子みこののの爲爲ためににに、、、坂本坂本さかもとののの臣達臣達おみたちががが祖祖おや、、、ののの臣臣おみををを、、、ののの王王みこののの御許御許みもとににに遣遣つかはしてはしてわして、、、詔詔のらしめらしめらしめ給給たまへらくはへらくはえらくわ、、、「「「汝汝なががが命命みことののの妹妹いも、、、若日下若日下わかくさかののの王王きみををを、、、大長谷大長谷おおはつせののの王子王子みこににに婚婚あはせむとすはせむとすわせむとす。。。かれかれかれ、、、貢貢みつぎるべしるべしるべし。。。」」」ととと詔詔のらしめらしめらしめ給給たまひきひきいき。。。こゝにこゝにここに大日下大日下おおくさかののの王王きみ、、、四拜四拜よたびおろがみてみてみて申申もうししし給給たまはくはくわく、、、「「「若若もししし、、、かかるかかるかかる大命大命おおみこともあらむかともあらむかともあらむかと思思おもへるへるえる故故かれににに、、、外外とにもにもにも出出いださずてさずてさずて置置おきつきつきつ。。。これこれこれ畏畏かしこししし、、、大命大命おおみことのののまに〳〵まに〳〵まにまに進進たてまつらむらむらむ。。。」」」とまとまとまをををししし給給たまひきひきいき。。。然然しかれどもれどもれども、、、言言いもてもてもて申申もうすすす事事ことははは、、、禮禮いやなしとなしとなしと思思おもほしてほしておして、、、卽卽すなわちそのちそのちその妹妹いもののの禮物禮物いやじろとしてとしてとして、、、ののの玉縵玉縵たまかずらををを持持もたしめてたしめてたしめて獻獻まつりきりきりき。。。根根ねののの臣臣おみ、、、卽卽すなわちそのちそのちその禮物禮物いやじろののの玉縵玉縵たまかずらををを盜盜ぬすみみみ取取とりてりてりて、、、大日下大日下おおくさかののの王王きみををを讒讒よこしまつりけらくしまつりけらくしまつりけらく、、、「「「大日下大日下おおくさかののの王王きみははは、、、敕命敕命おおみことををを受受うけけけ給給たまはははらずてらずてらずて、、、『『『己己おのががが妹妹いもややや、、、等族等族ひとしならののの下席下席したむしろににに爲爲ためらむらむらむ。。。』』』といひてといひてといいて、、、橫刀橫刀たちののの取取とりしばりてりしばりてりしばりて、、、怒怒いかりましつりましつりましつ。。。」」」ととと申申もうしきしきしき。。。かれかれかれ、、、天皇天皇すめらみこといたくいたくいたく怒怒いかりましてりましてりまして、、、大日下大日下おおくさかののの王王きみををを殺殺ころしてしてして、、、そのそのその王王みこののの嫡妻嫡妻むかいめ、、、長田長田ながたののの大郞女大郞女おおいらつめををを取取とりりり持持もちちち來來きててて、、、皇后皇后おおきさきとしとしとし給給たまひきひきいき。。。穴穗御子。坐石上之穴穗宮。治天下也。天皇。爲伊呂弟大長谷王子而。坂本臣等之祖根臣。遣大日下王之許。令詔者。汝命之妹若日下王。欲婚大長谷王子。故可貢。爾大日下王。四拜白之。若疑有如此大命故。不出外以置也。是恐。隨大命奉進。然言以白事。其思无禮。卽爲其妹之禮物。令持押木之玉縵而。貢獻。根臣卽盜取其禮物之玉縵。讒大日下王曰。大日下王者。不受敕命曰己妹乎。爲等族之下席而。取橫刀之手上而怒歟。故天皇大怒。殺大日下王而。取持來其王之嫡妻長田大郞女爲皇后。
- 2これよりこれよりこれより後後のちににに、、、天皇天皇すめらみことにましましてにましましてにましまして、、、晝寢晝寢ひるねましきましきましき。。。かれかれかれ、、、そのそのその后后きさきととと語語かたらひてらひてらいて、、、「「「汝汝な、、、思思おもほすほすおす事事ことありやありやありや。。。」」」ととと詔詔のりりり給給たまひければひければいければ、、、「「「我我あががが天皇天皇すめらみことののの敦澤敦澤うつくしみののの深深ふかければければければ、、、何何なにののの思思おもふことかあらむふことかあらむうことかあらむ。。。」」」ととと申申もうししし給給たまひきひきいき。。。是是ここににに、、、そのそのその大后大后おおきさきののの先先さきののの御子御子みこ、、、目弱目弱まよわののの王王きみ、、、是年七歲是年七歲ことしななつになりになりになり給給たまへりへりえり。。。是是こののの王王きみ、、、そのそのその時時ときしもそのしもそのしもその殿殿とのののの下下したににに遊遊あそびませりきびませりきびませりき。。。故故かれ、、、天皇天皇すめらみことそのそのその少少わかききき王王みこののの、、、殿殿とのののの下下したににに遊遊あそびませるびませるびませる事事ことををを、、、知召知召しろしめさずてさずてさずて、、、大后大后おおきさきににに詔詔のりりり給給たまはくはくわく、、、「「「吾吾あははは恒恒とこしへににに思思おもほすほすおす事事ことありありあり。。。何何なにぞといへばぞといへばぞといえば、、、汝汝なのののののの王王きみ、、、人人ひとととと成成なりたらむりたらむりたらむ時時とき、、、吾吾あががが、、、そのそのその父王父王ちちみこををを殺殺ころせしせしせし事事ことををを知知しりなばりなばりなば、、、還還かへしてしてして邪心邪心きたなきこころあらむかあらむかあらむか。。。」」」ととと詔詔のりりり給給たまひきひきいき。。。是是ここににに、、、そのそのその殿殿とのののの下下したににに遊遊あそびませるびませるびませる目弱目弱まよわののの王王きみ、、、このこのこの言言いををを聞聞きききき取取とりてりてりて、、、便便すなわちちち天皇天皇すめらみことののの御寢御寢みねませるませるませるををを竊竊うかがひてひてひて、、、そのそのその傍傍かたえなるなるなる太刀太刀たちををを執執とりてりてりて、、、そのそのその天皇天皇すめらみことののの御頸御頸みくびををを打打うちちち斬斬きりまつりてりまつりてりまつりて、、、ががが家家いえににに逃逃にげげげ入入いりましきりましきりましき。。。このこのこの天皇天皇すめらみこと、、、御年五十六歲御年五十六歲みとしいそじまりむつ、、、御陵御陵みはかははは菅原菅原すがわらのののののの岡岡おかにありにありにあり。。。自此以後。天皇坐神牀而。晝寢。爾語其后曰汝有所思乎。答曰被天皇之敦澤。何有所思。於是大后之先子目弱王。是年七歲。是王。當于其時而。遊其殿下。爾天皇不知其少王遊殿下以。詔大后言。吾恒有所思。何者。汝之子目弱王。成人之時。知吾殺其父王者。還爲有邪心乎。於是所遊其殿下目弱王。聞取此言。便竊伺天皇之御寢。取其傍大刀。乃打斬其天皇之頸。逃入都夫良意富美之家也。天皇御年伍拾陸歲。御陵在菅原之伏見岡也。
現代語訳
穴穂御子(安康天皇)は、石上の穴穂の宮にいらして天下を治められた。天皇は、同母弟の大長谷王子のために、坂本臣らの祖の根臣を大日下王のもとに遣わして、こう伝えさせた。「あなたの妹の若日下王を、大長谷王子と結婚させたい。だから差し出しなさい」。すると大日下王は、四度拝礼して申し上げた。「もしやこのようなお言葉もあろうかと思って、外にも出さずに置いておりました。恐れ多いことです。お言葉のままに差し上げましょう」。けれども、言葉だけで申し上げるのは無礼だと思って、すぐにその妹の礼物として、押木の玉縵(冠の飾り)を持たせて献上した。ところが根臣は、その礼物の玉縵を盗み取って、大日下王を讒言して申し上げた。「大日下王は勅命を受けずに、『私の妹を、同じ一族の下敷きにさせるものか』と言って、太刀の柄を握りしめて怒っておりました」。そこで天皇はひどくお怒りになって、大日下王を殺し、その王の正妻の長田大郎女を連れてきて、皇后とされた。
その後、天皇は神床にいらして昼寝をなさった。そしてその后と語り合って、「あなたは何か気にかかることがあるか」とお尋ねになると、后は「天皇の深いご寵愛をいただいていますので、何の気にかかることがありましょう」と申し上げた。さて、その大后の先夫との子の目弱王は、この年七歳になっておられた。この王は、ちょうどそのとき、その御殿の下で遊んでおられた。天皇は、その幼い王が御殿の下で遊んでいることをご存じなく、大后にこうおっしゃった。「私にはいつも気にかかることがある。というのは、あなたの子の目弱王が大人になったとき、私がその父王を殺したことを知ったなら、かえって悪い心を起こすのではないか」。そこで、その御殿の下で遊んでいた目弱王は、この言葉を聞き取って、天皇が眠っておられるところをうかがい、そのそばにあった太刀を取って、その天皇の首を打ち斬
って、都夫良意富美の家に逃げ込まれた。この天皇のお年は五十六歳。御陵は菅原の伏見の岡にある。
意訳
安康天皇は、弟の大長谷王子(のちの雄略天皇)の結婚の仲立ちをしようとして、使者の根臣の裏切りにあいます。大日下王が妹の結婚を承諾して贈った宝の冠を、根臣が横取りし、「大日下王は勅命を拒んで怒っていた」とうそをついたのです。天皇は大日下王を殺し、その妻を自分の皇后にしてしまいました。
この理不尽な事件が、天皇自身の死を招きます。皇后の連れ子で七歳の目弱王が、床下で天皇と母の会話を聞き、自分の父を殺したのが天皇だと知ったのです。目弱王は眠る天皇の首を斬り、大臣の都夫良意富美の家に逃げ込みました。天皇が臣下ではなく、幼い子に殺されるという衝撃的な事件は、続く大長谷王子の荒々しい皇位継承の物語へとつながっていきます。
語釈・文法注
- 穴穗の御子
- 第二十代安康天皇。允恭天皇の子。日本書紀では眉輪王に殺されたとする。
- 石の上の穴穗の宮
- 奈良県天理市田町の辺りにあったとされる宮。
- 大日下の王
- 仁徳天皇の皇子で、母は髪長比売。妹の若日下王はのちに雄略天皇の皇后となる。
- 根の臣
- 坂本臣らの祖。日本書紀では根使主。のちに雄略天皇の代に罪が露見して殺される。
- 押木の玉縵
- 木の枝の形をした冠の飾り。立派な宝物。
- 橫刀の手上
- 太刀の柄。それを握りしめるのは怒りのしぐさ。
- 神牀
- 神の託宣を受けるための床。天皇がそこで休んでいた。
- 目弱の王
- 大日下王と長田大郎女の子。日本書紀では眉輪王。七歳で父の仇の安康天皇を殺した。
- 都夫良意富美
- 葛城氏の円大臣(つぶらのおおおみ)。目弱王をかくまった。
- 菅原の伏見の岡
- 安康天皇陵。奈良市宝来の古城一号墳(宝来山)に治定されている。
文法
- 原文の「爲等族之下席」
- 同じ一族(皇族)の下に敷く者にするものか、の意。妹を臣下扱いされたと怒ったとする讒言。
- 原文の「不受敕命」
- 底本は「敕」の字を刷る。
- 還して邪心あらむか
- 「かえって悪い心を起こすのではないか」。
解説
安康天皇の暗殺は、日本書紀にもほぼ同じ形で記されています。古代の天皇の中で、臣下や近親によって殺されたことが明記されているのは、安康天皇と崇峻天皇だけです。
大日下王の事件は、仁徳天皇の系統の中での皇位争いの一面をもっています。このあと大長谷王子は、兄弟や従兄弟を次々に殺して即位し、強大な権力をもつ雄略天皇となります。中国の史書『宋書』に見える倭王「興」は、安康天皇にあてる説が有力です。
関連
出典
- 底本
- 古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。261〜264頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日