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古事記 下巻

口子臣と三色の虫

山代に移った大后を迎えるため、天皇は鳥山、ついで丸邇臣口子を遣わして歌を贈る。口子臣は雨の中、大后に避けられながら庭にひざまずき、水たまりに浸かって青い衣が紅に染まる。口子臣と妹口比売、奴理能美は「大后は三度姿を変える珍しい虫を見に来られた」と取りなし、天皇は奴理能美の家を訪れる。天皇と八田若郎女の贈答歌を記す。

  1. 1天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと、、、大后おほきさき大后おほきさきおおきさき山代やましろ山代やましろやましろよりよりより上たてまつ上たてまつたてまつりいでましぬとりいでましぬとりいでましぬと聞きこ聞きこきこしめしてしめしてしめして、、、舍人とねり舍人とねりとねり名な名ななはははといふといふという人ひと人ひとひとををを使つか使つかつかはははしけるしけるしける時とき時ときときににに、、、送おく送おくおくりりり給たま給たまたまへるへるえる御歌みうた御歌みうたみうた、、、山代やましろ山代やましろやましろににに   鳥山とりやま鳥山とりやまとりやま   いしけ〳〵いしけ〳〵いしけいしけ   あがあがあがはしはしはし妻め妻めめににに   いしきあはむかもいしきあはむかもいしきあわむかも天皇。聞看大后自山代上幸而。使舍人名謂鳥山人。送御歌曰。夜麻斯呂邇。伊斯祁登理夜麻。伊斯祁伊斯祁。阿賀波斯豆摩邇。伊斯岐阿波牟迦母。
  2. 2又また又またまたつぎてつぎてつぎて丸邇わに丸邇わにわにののの臣おみ臣おみおみ子こ子ここををを遣つか遣つかつかはしてはしてわして、、、歌うた歌うたうたひたまはくひたまはくいたまわく、、、ののの   そのそのその高城たかき高城たかきたかきなるなるなる   大韋古おほゐこ大韋古おほゐこおおいこががが原はら原はらはら   大韋古おほゐこ大韋古おほゐこおおいこががが   原はら原はらはらにあるにあるにある   ふふう   心こころ心こころこころをををだにかだにかだにか   あひあひあい思おも思おもおもはずあらむはずあらむわずあらむ   またまたまた、、、つぎねふつぎねふつぎねう   山代女やましろめ山代女やましろめやましろめののの   小鍬持こくはも小鍬持こくはもこくわもちちち   打う打ううちしちしちし大根おほね大根おほねおおね   根白ねじろ根白ねじろねじろののの      纏ま纏ままかずけばこそかずけばこそかずけばこそ   知し知ししらずともいはめらずともいはめらずともいわめ   かれかれかれ、、、このこのこの口くち口くちくち子こ子ここののの臣おみ臣おみおみ、、、このこのこの御歌みうた御歌みうたみうたををを申まを申まをもうすすす折を折ををしもしもしも、、、雨あめ雨あめあめいたくいたくいたく降くだ降くだくだりきりきりき。。。こゝにそのこゝにそのここにその雨あめ雨あめあめをもをもをも避さ避ささけずけずけず、、、前まへ前まへまえつつつ殿との殿とのとのののの戸と戸ととににに參伏まゐふ參伏まゐふまいふせばせばせば、、、違たが違たがたがひてひていて後しり後しりしりつつつ戸と戸ととににに出い出いいででで給たま給たまたまひひい、、、後しり後しりしりつつつ殿との殿とのとのののの戸と戸ととににに參伏まゐふ參伏まゐふまいふせばせばせば、、、違たが違たがたがひてひていて前まへ前まへまえつつつ戸と戸ととににに出い出いいででで給たま給たまたまふふう。。。かれかれかれ匍匐進退はひしづま匍匐進退はひしづまはいしずまひてひてひて、、、庭中にはなか庭中にはなかにわなかににに跪ひざまづ跪ひざまづひざまずききき居を居をおるるる時とき時ときときににに、、、につけりにつけりにつけり。。。そのそのその臣おみ臣おみおみ、、、紅紐あかひも紅紐あかひもあかひもつけたるつけたるつけたるののの衣きぬ衣きぬきぬををを著つ著つつたりければたりければたりければ、、、水潦紅紐にはたづみあかひも水潦紅紐にはたづみあかひもにわたずみあかひもにににふれてふれてふれて、、、青皆紅あをみなあけ青皆紅あをみなあけあおみなあけになりぬになりぬになりぬ。。。こゝにこゝにここに口くち口くちくち子こ子ここののの臣おみ臣おみおみののの妹いも妹いもいも口くち口くちくち比賣ひめ比賣ひめひめ、、、大后おほきさき大后おほきさきおおきさきににに仕つか仕つかつかへへえ奉たてまつ奉たてまつたてまつれりれりれり。。。かれこのかれこのかれこの口くち口くちくち比賣ひめ比賣ひめひめ歌うた歌うたうたひけらくひけらくいけらく、、、山代やましろ山代やましろやましろののの   ののの宮みや宮みやみやににに   ものものもの申まを申まをもうすすす   わがせのわがせのわがせの君きみ君きみきみははは   なみだぐましもなみだぐましもなみだぐましも   こゝにこゝにここに大后おほきさき大后おほきさきおおきさきそのそのその所以このゆゑ所以このゆゑこのゆえををを問と問ととひひい給たま給たまたまふふう時とき時ときときににに、、、「「「あがあがあが兄いろせ兄いろせいろせ口くち口くちくち子こ子ここののの臣おみ臣おみおみなりなりなり。。。」」」ととと申まを申まをもうしきしきしき。。。又續遣丸邇臣口子而。歌曰。美母呂能。曾能多迦紀那流。意富韋古賀波良。意富韋古賀。波良邇阿流。岐毛牟加布。許許呂袁陀邇迦。阿比淤母波受阿良牟。又歌曰。都藝泥布。夜麻志呂賣能。許久波母知。宇知斯淤富泥。泥士漏能。斯漏多陀牟岐。麻迦受祁婆許曾。斯良受登母伊波米。故是口子臣。白此御歌之時。大雨。爾不避其雨。參伏前殿戶者。違出後戶。參伏後殿戶者。違出前戶。爾匍匐進赴。跪于庭中時。水潦至腰。其臣。服著紅紐青摺衣故。水潦拂江紐。青皆變紅色。爾口子臣之妹口日賣。仕奉大后。故是口日賣歌曰。夜麻志呂能。都都紀能美夜邇。母能麻袁須。阿賀勢能岐美波。那美多具麻志母。爾大后問其所由之時。答白僕之兄口子臣也。
  3. 3こゝにこゝにここに口くち口くちくち子こ子ここののの臣おみ臣おみおみ、、、またそのまたそのまたその妹いも妹いもいも口くち口くちくち比賣ひめ比賣ひめひめ、、、またまたまた奴理能美ぬりのみ奴理能美ぬりのみぬりのみ、、、三人議みたりはか三人議みたりはかみたりはかりてりてりて、、、天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみことににに申まを申まをもうさしめけらくさしめけらくさしめけらく、、、「「「大后おほきさき大后おほきさきおおきさきいでませるいでませるいでませる故かれ故かれかれははは、、、奴理能美ぬりのみ奴理能美ぬりのみぬりのみががが飼か飼かかふふふ蟲むし蟲むしむし、、、一いち一いちいち度まかな度まかなまかなははは匐は匐ははふふふ蟲むし蟲むしむしになりになりになり、、、一いち一いちいち度まかな度まかなまかなははは殼かひこ殼かひこかいこになりになりになり、、、一いち一いちいち度まかな度まかなまかなははは飛と飛ととぶぶぶ鳥とり鳥とりとりになりになりになり、、、ににに變かは變かはかわるるる奇あや奇あやあやしきしきしき蟲むし蟲むしむしありありあり。。。このこのこの蟲むし蟲むしむしをををみそなはしにみそなはしにみそなわしに入い入いいりませるにこそあれりませるにこそあれりませるにこそあれ、、、更さら更さらさらにけしきにけしきにけしき御心みこころ御心みこころみこころはははまさずまさずまさず。。。」」」かくかくかく申まを申まをもうすすす時とき時ときときににに、、、天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと、、、「「「然しか然しかしからばあれもらばあれもらばあれも奇異あや奇異あやあやととと思おも思おもおもへばへばえば、、、見み見みみににに行ゆ行ゆゆかなかなかな。。。」」」ととと詔の詔ののりりり給たま給たまたまひひい、、、大宮おほみや大宮おほみやおおみやよりよりより上たてまつ上たてまつたてまつりいでましてりいでましてりいでまして、、、奴理能美ぬりのみ奴理能美ぬりのみぬりのみががが家いへ家いへいえににに入い入いいりませるりませるりませる時とき時ときときににに、、、そのそのその奴理能美ぬりのみ奴理能美ぬりのみぬりのみ、、、おのがおのがおのが飼か飼かかへるへるへる三種みくさ三種みくさみくさののの蟲むし蟲むしむしををを、、、大后おほきさき大后おほきさきおおきさきににに獻まつ獻まつまつりきりきりき。。。かれかれかれ、、、天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと、、、そのそのその大后おほきさき大后おほきさきおおきさきのませるのませるのませる殿との殿とのとのののの戸と戸ととににに御立みた御立みたみたたしてたしてたして、、、歌うた歌うたうたはしけらくはしけらくわしけらく、、、つぎねふつぎねふつぎねう   山代女やましろめ山代女やましろめやましろめののの   小鍬持こくはも小鍬持こくはもこくわもちちち   打う打ううちしちしちし大根おほね大根おほねおおね   さわ〳〵にさわ〳〵にさわさわに   ながいへせこそながいへせこそながいえせこそ   うちわたすうちわたすうちわたす   やがやがやが榮さか榮さかさかえなすえなすえなす   來入きい來入きいきいりりり參まゐ參まゐまいるるる來こ來ここれれれ   このこのこの天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみことととと大后おほきさき大后おほきさきおおきさきととと、、、みみみ歌うた歌うたうたはしけるはしけるわしける六歌むうた六歌むうたむうたははわ、、、のかへしのかへしのかえし歌うた歌うたうたなりなりなり。。。天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと、、、八田やた八田やたやたののの若郞女わかいらつめ若郞女わかいらつめわかいらつめををを戀こ戀ここひひひ給たま給たまたまひてひていて、、、御歌みうた御歌みうたみうたををを賜たま賜たまたまりりり給たま給たまたまへるへるえる、、、そのそのその御歌みうた御歌みうたみうた。。。八田やた八田やたやたののの   ははは   子持こも子持こもこもたずたずたず   立た立たたちかちかちか荒あ荒ああれなむれなむれなむ   あたらあたらあたら菅原すがはら菅原すがはらすがわら   ことことことをををこそこそこそ   菅原すがはら菅原すがはらすがわらといはめといはめといわめ   あたらあたらあたら淸すが淸すがすがししし女め女めめ   かれかれかれ、、、八田やた八田やたやたののの若郞女わかいらつめ若郞女わかいらつめわかいらつめののの御答みこた御答みこたみこたへのへのえの歌うた歌うたうた。。。八田やた八田やたやたののの   一本菅ひともとすげ一本菅ひともとすげひともとすげははは   一人居ひとりを一人居ひとりをひとりおりともりともりとも   大君おほきみ大君おほきみおおきみししし   よしときこさばよしときこさばよしときこさば   一人居ひとりを一人居ひとりをひとりおりともりともりとも   かれかれかれ、、、八田やた八田やたやたののの若郞女わかいらつめ若郞女わかいらつめわかいらつめののの御名代みなしろ御名代みなしろみなしろとしてとしてとして、、、ををを定さだ定さださだめめめ給たま給たまたまひきひきいき。。。於是口子臣。亦其妹口比賣。及奴理能美。三人議而。令奏天皇云。大后幸行所以者。奴理能美之所養蟲。一度爲匐蟲。一度爲殼。一度爲飛鳥。有變三色之奇蟲。看行此蟲而入坐耳。更無異心。如此奏時。天皇詔然者。吾思奇異故。欲見行。自大宮上幸行。入坐奴理能美之家時。其奴理能美。己所養之三種蟲。獻於大后。爾天皇。御立其大后所坐殿戶。歌曰。都藝泥布。夜麻斯呂賣能。許久波母知。宇知斯意富泥。佐和佐和爾。那賀伊幣勢許曾。宇知和多須。夜賀波延那須。岐伊理麻韋久禮。此天皇與大后所歌之六歌者。志都歌之返歌也。天皇。戀八田若郞女。賜遣御歌。其歌曰。夜多能。比登母登須宜波。古母多受。多知迦阿禮那牟。阿多良須賀波良。許登袁許曾。須宜波良登伊波米。阿多良須賀志賣。爾八田若郞女答歌曰。夜多能。比登母登須宜波。比登理袁理登母。意富岐彌斯。與斯登岐許佐婆。比登理袁理登母。故爲八田若郞女之御名代。定八田部也。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

天皇は、大后が山代から上っていかれたとお聞きになって、舎人で名を鳥山という人を遣わして、お贈りになった御歌は、

山代で大后に追いつけ、鳥山よ。追いつけ、追いつけ。私のいとしい妻に、追いついて会えるだろうか。

また続いて丸邇臣口子を遣わして、お歌いになった歌は、

三室の、その高い城にある大韋古が原、その大韋古が原にある(きもむかふ)心だけでも、互いに思い合わずにいられようか。

また、

(つぎねふ)山代の女が、小さな鍬で掘り起こした大根、その根のように白い腕を、枕にして寝たことがなかったなら、知らないとも言えようが。

さて、この口子臣がこの御歌を申し上げようとしたとき、雨がひどく降っていた。それでもその雨を避けずに、前の御殿の戸口にひれ伏すと、大后は入れ違いに後ろの戸口からお出になり、後ろの御殿の戸口にひれ伏すと、入れ違いに前の戸口からお出になった。そこで這うようにして進み、庭の中にひざまずいていると、水たまりの水が腰まで達した。その臣は紅い紐をつけた青摺りの衣を着ていたので、水たまりの水が紅い紐に触れて、青い色がすっかり紅に染まってしまった。さて口子臣の妹の口比売は、大后にお仕えしていた。そこでこの口比売が歌った歌は、

山代の筒木の宮で、ものを申し上げようとしている私の兄の君は、涙ぐましいことです。

そこで大后がそのわけをお尋ねになると、「私の兄の口子臣です」と申し上げた。

そこで口子臣と、その妹の口比売、そして奴理能美の三人が相談して、天皇にこう申し上げさせた。

「大后がおいでになったわけは、奴理能美が飼っている虫で、一度は這う虫になり、一度は殻になり、一度は飛ぶ鳥になる、三色に変わる不思議な虫がおりまして、この虫をご覧になりにおいでになったのです。ほかに別のお心はございません」。こう申し上げると、天皇は「それなら私も不思議に思うので、見に行こう」とおっしゃって、大宮から上っていかれ、奴理能美の家にお入りになった。そのとき奴理能美は、自分が飼っている三種の虫を大后に差し上げた。そこで天皇は、大后のいらっしゃる御殿の戸口にお立ちになって、お歌いになった。

(つぎねふ)山代の女が、小さな鍬で掘り起こした大根のように、ざわざわとおまえが言い立てるので、見渡す限り茂る木々のように、大勢を引き連れてやって来たのだ。

この天皇と大后がお歌いになった六首の歌は、静歌の返し歌である。

天皇は八田若郎女を恋しく思われて、御歌を贈られた。その御歌は、

八田の一本の菅は、子も持たずに立ち枯れてしまうのだろうか。もったいない菅原よ。言葉でこそ菅原と言うけれど、もったいない清らかな女よ。

そこで八田若郎女がお答えした歌は、

八田の一本の菅は、たとえ一人でいようとも、大君がそれでよいとおっしゃるなら、一人でいようとも。

そこで、八田若郎女の御名代として、八田部を定められた。

意訳

怒って山代に去った大后を、天皇は使者を送って呼び戻そうとします。使者の口子臣は雨の中で必死に取り次ぎを願いますが、大后は会おうとせず、前に回れば後ろに、後ろに回れば前にと避け続けます。水たまりにひざまずく口子臣の青い衣が、紅い紐の色で染まってしまったという描写は、使者の苦労と大后のかたくなさを鮮やかに伝えています。

最後は、口子臣と妹の口比売、奴理能美の三人が「大后は珍しい虫(蚕)を見に来ただけです」と取りなして、天皇が自ら迎えに行く形で収まります。這う虫・殻・飛ぶ鳥と姿を変える虫は蚕のことで、渡来人の奴理能美が養蚕の技術をもっていたことをうかがわせます。

一方、天皇は八田若郎女を思い続け、「子も持たずに立ち枯れるのか、もったいない」と歌を贈り、八田若郎女は「大君がよいとおっしゃるなら、一人でいます」と答えます。結局、八田若郎女は御子をもたず、その名を伝える八田部が置かれました。

語釈・文法注

鳥山
天皇の舎人。大后を追う使者として遣わされた。
いしけ
「追いつけ」の意。原文は「伊斯祁」。
丸邇の臣口子
丸邇(和珥)氏の人。日本書紀では的臣の祖口持臣。
三室
神の降りる所。三輪山などを言う。
肝向ふ
「心」にかかる枕詞。
しろたゞむき
白い腕。大根の白さから導く。
水潦
「にはたづみ」。雨が降って地面にたまった水。
青摺の衣
山藍などで模様を摺り染めにした衣。神事や宮廷の行事で着た。
綴喜の宮
山代の筒木(京都府京田辺市)の宮。奴理能美の家。
三色に變る奇しき蟲
蚕のこと。幼虫(這う虫)、繭(殻)、蛾(飛ぶ鳥)と姿を変える。
靜歌のかへし歌
宮廷で歌われた歌曲の名。静かに歌う歌とされる。
一本菅
一本だけ生えている菅。独り身の八田若郎女をたとえる。
八田部
八田若郎女の名を伝える御名代の部。

文法

原文の「水潦拂江紐」
底本の原文は「江紐」と刷る(通行本文は「紅紐」)。訓み下しは「紅紐」とする。底本の誤植と思われるが、底本どおりとした。
原文の「泥士漏能」
底本の原文は「泥士漏能」と刷る(通行本文は「泥自漏能」)。底本どおりとした。
青
底本はこの段の原文・訓み下しの「青」を新字体の形で刷る。底本どおりとした。
纏かずけばこそ
「枕にして寝なかったならば」。「まく」は腕を枕にして共寝する意。

歌謡

山代に いしけ鳥山 いしけ〳〵 あがはし妻に いしきあはむかも

詠者
仁徳天皇
状況
山代へ去った大后を追わせるため、舎人の鳥山に託して贈った歌。

修辞

くり返し
「いしけ」をくり返して、追いつくことを促す。

三室の その高城なる 大韋古が原 大韋古が 原にある 肝向ふ 心をだにか あひ思はずあらむ

詠者
仁徳天皇
状況
口子臣に託して大后に贈った歌。

修辞

枕詞
「肝向ふ」は「心」にかかる。
反語
心だけでも思い合わずにいられようか。

つぎねふ 山代女の 小鍬持ち 打ちし大根 根白の しろたゞむき 纏かずけばこそ 知らずともいはめ

詠者
仁徳天皇
状況
前の歌に続けて大后に贈った歌。

修辞

序詞
山代女が掘った大根の白さから、「しろたゞむき(白い腕)」を導く。

山代の 綴喜の宮に もの申す わがせの君は なみだぐましも

詠者
口比売
状況
雨の中、庭にひざまずく兄の口子臣を見て、大后に仕える妹の口比売が詠んだ歌。

修辞

詠嘆
「なみだぐましも」で兄を思う心を詠嘆する。

つぎねふ 山代女の 小鍬持ち 打ちし大根 さわ〳〵に ながいへせこそ うちわたす やが榮えなす 來入り參る來れ

詠者
仁徳天皇
状況
奴理能美の家を訪れ、大后のいる御殿の戸口で詠んだ歌。

修辞

序詞
大根の葉がざわざわと鳴ることから「さわさわに」を導く。

八田の 一本菅は 子持たず 立ちか荒れなむ あたら菅原 ことをこそ 菅原といはめ あたら淸し女

詠者
仁徳天皇
状況
八田若郎女を恋しく思って贈った歌。

修辞

比喩
一本だけの菅に、独り身の八田若郎女をたとえる。

八田の 一本菅は 一人居りとも 大君し よしときこさば 一人居りとも

詠者
八田若郎女
状況
天皇の歌に答えた歌。

修辞

くり返し
「一人居りとも」を二度くり返す。

解説

大后の怒りと和解の物語は、天皇と大后、使者たちの歌のやりとりで進んでいきます。古事記は、このうち天皇と大后の六首を「静歌の返し歌」と呼び、宮廷の歌曲として伝えられていたことを記しています。日本書紀では、皇后は天皇の迎えに応じず、筒城宮で亡くなったとされます。

奴理能美の三色に変わる虫は、蚕を指していると考えられます。山代の筒木には渡来系の人々が住み、養蚕や機織りの技術を伝えていました。大后が訪れた理由を蚕の見物とした取りなしには、渡来の珍しい技術への関心がうかがえます。

関連

出典

底本
古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。237〜241頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
更新日