古事記 下巻
欽明天皇から推古天皇まで
第二十九代欽明天皇(天国押波流岐広庭天皇)の后妃と二十五王の御子を記し、そのうち敏達・用明・推古・崇峻の四天皇が天下を治めたとする。敏達天皇の御子日子人太子の子に舒明天皇、用明天皇の御子に上宮之廐戸豊聡耳命(聖徳太子)が見える。崇峻天皇、そして第三十三代推古天皇(豊御食炊屋比売命)の宮と御陵を記して、古事記は終わる。
- 1ののの天皇天皇すめらみこと。。。ののの大宮大宮おおみやににに坐坐いましてしてして、、、天天あめののの下治下治したしろしめしきしめしきしめしき。。。此此こののの天皇天皇すめらみこと、、、檜坰檜坰ひのくまののの天皇天皇すめらみことののの御子御子みこ、、、石比賣石比賣いしひめののの命命みことににに娶娶あひましてひましていまして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、八田八田やたののの王王きみ。。。次次つぎにににののの命命みこと。。。次次つぎににに笠縫笠縫かさぬいののの王王きみ。。。(((三柱三柱みはしら。。。)))またまたまた其其そののの弟弟おとうと、、、小石比賣小石比賣おいしひめののの命命みことににに娶娶あひましてひましていまして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、上上うえののの王王きみ。。。(((一柱一柱ひとはしら。。。)))またまたまた春日之日爪春日之日爪かすがのひつまののの臣臣おみののの女女め、、、糠子糠子ぬかこののの郞女郞女いらつめををを娶娶あしてしてして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、春日春日かすがののの山田山田やまだののの郞女郞女いらつめ。。。つぎにつぎにつぎに麿古麿古まろこののの王王きみ。。。次次つぎににに宗賀之倉宗賀之倉そがのくらののの王王きみ。。。(((三柱三柱みはしら。。。)))又宗賀之稻目又宗賀之稻目またそがのいなめののの宿禰宿禰すくねののの大臣大臣おおおみののの女女め、、、岐多斯比賣岐多斯比賣きたしひめををを娶娶あしてしてして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、ののの命命みこと。。。次次つぎににに妹石坰妹石坰いもいわくまののの王王きみ。。。次次つぎににに足取足取あとりののの王王きみ。。。次次つぎににに豐御氣炊屋比賣豐御氣炊屋比賣とよみけかしきやひめののの命命みこと。。。次次つぎにまたにまたにまた麻呂古麻呂古まろこののの王王きみ。。。次次つぎににに大宅大宅おおやけののの王王きみ。。。次次つぎににに伊美賀古伊美賀古いみがこののの王王きみ。。。次次つぎににに山代山代やましろののの王王きみ。。。次次つぎににに妹大伴妹大伴いもおおともののの王王きみ。。。次次つぎににに櫻井之玄櫻井之玄さくらいのゆみはりののの王王きみ。。。次次つぎににに麻奴麻奴まぬののの王王きみ。。。次次つぎににに橘本之若子橘本之若子たちばなもとのわくごののの王王きみ。。。次次つぎににに泥杼泥杼ねどののの王王きみ。。。(((十三柱十三柱とおまりみはしら。。。)))又又また、、、岐多志比賣岐多志比賣きたしひめののの命命みことののの姨姨をば、、、小兄比賣小兄比賣おえひめををを娶娶あしてしてして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、馬木馬木うまきののの王王きみ。。。次次つぎににに葛城葛城かずらきののの王王きみ。。。次次つぎににに間人間人はしひとののの穴太部穴太部あなほべののの王王きみ。。。次次つぎににに三枝部三枝部さきくさべののの穴太部穴太部あなほべののの王王きみ、、、またのまたのまたの御名御名みなははは須賣伊呂杼須賣伊呂杼すめいろど。。。次次つぎににに長谷部長谷部はつせべののの若雀若雀わかさざきののの命命みこと。。。(((五柱五柱いつはしら。。。)))すべてすべてすべて此此こののの天皇天皇すめらみことののの御子御子みこたちたちたち併併あわせてせてせて二十五柱二十五柱はたちまりいつはしら。。。此此こののの中中なかににに沼名倉太玉敷沼名倉太玉敷ぬなくらふとたましきののの命命みことははは、、、天天あめののの下治下治したしろしめしきしめしきしめしき。。。つぎにつぎにつぎに橘之豐日橘之豐日たちばなのとよひののの命命みことももも、、、天天あめののの下治下治したしろしめしきしめしきしめしき。。。次次つぎににに豐御氣炊屋比賣豐御氣炊屋比賣とよみけかしきやひめののの命命みことももも、、、天天あめののの下治下治したしろしめしきしめしきしめしき。。。次次つぎにににののの命命みことももも、、、天天あめののの下治下治したしろしめしきしめしきしめしき。。。併併あわせてせてせて四柱四柱よはしらなもなもなも、、、天天あめののの下治下治したしろしめしけるしめしけるしめしける。。。天國押波流岐廣庭天皇。坐師木島大宮。治天下也。天皇娶檜坰天皇之御子石比賣命。生御子。八田王。次沼名倉太玉敷命。次笠縫王。〈三柱〉又娶其弟小石比賣命。生御子。上王。〈一柱〉又娶春日之日爪臣之女糠子郞女。生御子。春日山田郞女。次麻呂古王。次宗賀之倉王。〈三柱〉又娶宗賀之稻目宿禰大臣之女岐多斯比賣。生御子。橘之豐日命。次妹石坰王。次足取王。次豐御氣炊屋比賣命。次亦麻呂古王。次大宅王。次伊美賀古王。次山代王。次妹大伴王。次櫻井之玄王。次麻奴王。次橘本之若子王。次泥杼王。〈十三柱〉又娶岐多志比賣命之姨小兄比賣。生御子。馬木王。次葛城王。次間人穴太部王。次三枝部穴太部王。亦名須賣伊呂杼。次長谷部若雀命。〈五柱〉凡此天皇之御子等。幷二十五王。此之中沼名倉太玉敷命者。治天下。次橘之豐日命。治天下。次豐御氣炊屋比賣命。治天下。次長谷部之若雀命。治天下也。幷四王治天下也。
- 2沼名倉太玉敷沼名倉太玉敷ぬなくらふとたましきののの命命みこと。。。他田他田おさだののの宮宮みやにましましてにましましてにましまして、、、天天あめののの下十四歲治下十四歲治したとおまりよとせしろしめしきしめしきしめしき。。。此此こののの天皇天皇すめらみこと、、、庶妹豐御氣炊屋比賣庶妹豐御氣炊屋比賣ままいもとよみけかしきやひめののの命命みことににに婚婚よばひましてひましていまして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、靜貝靜貝しずかいののの王王きみ、、、又又またののの御名御名みなははは貝鮹貝鮹かいたこののの王王きみ。。。次次つぎににに竹田竹田たけだののの王王きみ。。。又又またののの御名御名みなははは小貝小貝おかいののの王王きみ。。。次次つぎににに小治田小治田おわりだののの王王きみ。。。次次つぎににに葛城葛城かずらきののの王王きみ。。。次次つぎににに宇毛理宇毛理うもりののの王王きみ。。。次次つぎににに小張小張おはりののの王王きみ。。。次次つぎににに多米多米ためののの王王きみ。。。次次つぎににに櫻井櫻井さくらいののの玄玄ゆみはりののの王王きみ。。。(((八柱八柱やはしら。。。)))又又また伊勢伊勢いせののの大鹿大鹿おおかののの首首おびとののの女女め、、、小熊子小熊子おくまこののの郞女郞女いらつめををを娶娶あしてしてして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、布斗比賣布斗比賣ふとひめののの命命みこと。。。つぎにつぎにつぎに寶寶たからののの王王きみ、、、またのまたのまたの御名御名みなははは糠代比賣糠代比賣ぬかでひめののの王王きみ。。。(((二柱二柱ふたはしら。。。)))又息長眞手又息長眞手またおきながまてののの王王みこののの御女御女みむすめ、、、比呂比賣比呂比賣ひろひめののの命命みことににに娶娶あひましてひましていまして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、忍坂忍坂おさかのののののの太子太子ひつぎのみこ、、、またのまたのまたの御名御名みなははは麻呂古麻呂古まろこののの王王きみ。。。次次つぎににに坂騰坂騰さかのぼりののの王王きみ。。。次次つぎににに宇遲宇遲うじののの王王きみ。。。(((三柱三柱みはしら。。。)))またまたまた春日春日かすがののの中中なかつつつ若子若子わくごががが女女め、、、老女子老女子おみなこののの郞女郞女いらつめををを娶娶あしてしてして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、難波難波なにわののの王王きみ。。。つぎにつぎにつぎに桑田桑田くわだののの王王きみ。。。次次つぎににに春日春日かすがののの王王きみ。。。次次つぎににに大股大股おおまたののの王王きみ。。。(((四柱四柱よはしら。。。)))此此こののの天皇天皇すめらみことののの御子御子みこたちたちたち、、、併併あわせてせてせて十七柱坐十七柱坐とおまりななはしらませるせるせる中中なかににに、、、日子人日子人ひこひとののの太子太子ひつぎのみこ、、、庶妹田村庶妹田村ままいもたむらののの王王きみ、、、またのまたのまたの御名御名みなははは糠代比賣糠代比賣ぬかでひめののの命命みことににに婚婚よばひましてひましていまして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、ののの宮宮みやにましましてにましましてにましまして、、、天天あめののの下治下治したしろしめしししめしししめしし天皇天皇すめらみこと、、、次次つぎににに中津中津なかつののの王王きみ。。。次次つぎににに多良多良たらののの王王きみ。。。(((三柱三柱みはしら。。。)))またまたまた漢漢あやののの王王みこののの妹妹いも、、、大股大股おおまたののの王王みこににに婚婚よばひましてひましていまして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、智奴智奴ちぬののの王王きみ。。。次次つぎににに妹桑田妹桑田いもくわだののの王王きみ。。。(((二柱二柱ふたはしら。。。)))又庶妹玄又庶妹玄またままいもゆみはりののの王王みこににに婚婚よばひましてひましていまして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、山代山代やましろののの王王きみ。。。次次つぎににに笠縫笠縫かさぬいののの王王きみ。。。(((二柱二柱ふたはしら。。。)))併併あわせてせてせて七王七王ななはしら。。。御陵御陵みはかははは、、、川內川內こうちのののにありにありにあり。。。沼名倉太玉敷命。坐他田宮。治天下壹拾肆歲也。此天皇。娶庶妹豐御食炊屋比賣命。生御子。靜貝王。亦名貝鮹王。次竹田王。亦名小貝王。次小治田王。次葛城王。次宇毛理王。次小張王。次多米王。次櫻井玄王。〈八柱〉又娶伊勢大鹿首之女小熊子郞女。生御子。布斗比賣命。次寶王。亦名糠代比賣王。〈二柱〉又娶息長眞手王之女比呂比賣命。生御子。忍坂日子人太子。亦名麻呂古王。次坂騰王。次宇遲王。〈三柱〉又娶春日中若子之女老女子郞女。生御子。難波王。次桑田王。次春日王。次大股王。〈四柱〉此天皇之御子等。幷十七王之中。日子人太子。娶庶妹田村王亦名糠代比賣命。生御子。坐岡本宮。治天下之天皇。次中津王。次多良王。〈三柱〉又娶漢王之妹大股王。生御子。智奴王。次妹桑田王。〈二柱〉又娶庶妹玄王。生御子。山代王。次笠縫王。〈二柱〉幷七王。御陵在川內科長也。
- 3橘橘たちばなののの豐日豐日とよひののの命命みこと。。。池池いけののの邊邊べののの宮宮みやにましましてにましましてにましまして、、、天天あめののの下三歲知下三歲知したみとせしろしめしきしめしきしめしき。。。このこのこの天皇天皇すめらみこと、、、ののの宿禰宿禰すくねののの大臣大臣おおおみののの女女め、、、意富藝多志比賣意富藝多志比賣おおぎたしひめををを娶娶あしてしてして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、多米多米ためののの王王きみ。。。(((一柱一柱ひとはしら。。。)))またまたまたののの王王みこににに娶娶あひましてひましていまして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、上上うえののの宮之廐戶宮之廐戶みやのうまやどのののののの命命みこと。。。次次つぎににに久米久米くめののの王王きみ。。。次次つぎににに植栗植栗うえくりののの王王きみ。。。次次つぎににに茨田茨田まむたののの王王きみ。。。(((四柱四柱よはしら。。。)))又又また當麻當麻たぎまののの倉首倉首くらびと、、、比呂比呂ひろががが女女め、、、飯女之子飯女之子いいめのこををを娶娶あしてしてして生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、當麻當麻たぎまののの王王きみ。。。次次つぎににに妹須賀志呂古妹須賀志呂古いもすがしろこののの郞女郞女いらつめ。。。このこのこの天皇天皇すめらみこと、、、御陵御陵みはかははは、、、石寸石寸いわれののの掖掖わきののの上上うえにありしにありしにありしををを、、、後後のちににに科長科長しながののの中中なかののの陵陵みささぎににに遷遷うつしまつりきしまつりきしまつりき。。。橘豐日命。坐池邊宮。治天下參歲。此天皇。娶稻目宿禰大臣之女。意富藝多志比賣。生御子。多米王。〈一柱〉又娶庶妹間人穴太部王。生御子。上宮之廐戶豐聰耳命。次久米王。次植栗王。次茨田王。〈四柱〉又娶當麻之倉首比呂之女。飯女之子。生御子。當麻王。次妹須賀志呂古郞女。此天皇。御陵在石寸掖上。後遷科長中陵也。
- 4長谷部長谷部はつせべののの若雀若雀わかさざきののの天皇天皇すめらみこと。。。倉椅倉椅くらはしののの柴垣柴垣しばかきののの宮宮みやにましましてにましましてにましまして、、、天天あめののの下四歲治下四歲治したよとせしろしめしきしめしきしめしき。。。御陵御陵みはかははは倉椅倉椅くらはしののの岡岡をかののの上上うえにありにありにあり。。。長谷部若雀天皇。坐倉椅柴垣宮。治天下肆歲。御陵在倉椅岡上也。
- 5ののの命命みこと。。。小治田小治田おわりだののの宮宮みやにましましてにましましてにましまして、、、天天あめののの下三十七歲治下三十七歲治したみそとせまりななとせしろしめしきしめしきしめしき。。。御陵御陵みはかははは大野大野おおぬののの岡岡をかののの上上うえにありしにありしにありしををを、、、後後のちににに科長科長しながののの大陵大陵おおみささぎににに遷遷うつししし奉奉たてまつりきりきりき。。。豐御食炊屋比賣命。坐小治田宮。治天下參拾漆歲。御陵在大野岡上。後遷科長大陵也。
現代語訳
天国押波流岐広庭天皇(欽明天皇)は、師木島の大宮にいらして天下を治められた。この天皇は、檜坰天皇(宣化天皇)の御子、石比売命を妻として生んだ御子は、八田王、次に沼名倉太玉敷命、次に笠縫王。(三柱。)またその妹の小石比売命を妻として生んだ御子は、上王。(一柱。)また春日之日爪臣の娘、糠子郎女を妻として生んだ御子は、
春日山田郎女、次に麿古王、次に宗賀之倉王。(三柱。)また宗賀之稲目宿禰大臣の娘、岐多斯比売を妻として生んだ御子は、橘之豊日命、次に妹の石坰王、次に足取王、次に豊御気炊屋比売命、次にまた麻呂古王、次に大宅王、次に伊美賀古王、次に山代王、次に妹の大伴王、次に桜井之玄王、次に麻奴王、次に橘本之若子王、次に泥杼王。(十三柱。)また岐多志比売命の叔母、小兄比売を妻として生んだ御子は、馬木王、次に葛城王、次に間人穴太部王、次に三枝部穴太部王、またの名は須売伊呂杼、次に長谷部若雀命。(五柱。)すべてこの天皇の御子たちはあわせて二十五柱。この中で、沼名倉太玉敷命(敏達天皇)は天下を治められた。次に橘之豊日命(用明天皇)も天下を治められた。次に豊御気炊屋比売命(推古天皇)も天下を治められた。次に長谷部之若雀命(崇峻天皇)も天下を治められた。あわせて四柱が天下を治められた。
沼名倉太玉敷命(敏達天皇)は、他田の宮にいらして、十四年天下を治められた。この天皇は、異母妹の豊御気炊屋比売命を妻として生んだ御子は、静貝王、またの名は貝鮹王、次に竹田王、またの名は小貝王、次に小治田王、次に葛城王、次に宇毛理王、次に小張王、次に多米王、次に桜井玄王。(八柱。)また伊勢の大鹿首の娘、小熊子郎女を妻として生んだ御子は、布斗比売命、次に宝王、またの名は糠代比売王。(二柱。)また息長真手王の娘、比呂比売命を妻として生んだ御子は、忍
坂日子人太子、またの名は麻呂古王、次に坂騰王、次に宇遅王。(三柱。)また春日中若子の娘、老女子郎女を妻として生んだ御子は、難波王、次に桑田王、次に春日王、次に大股王。(四柱。)この天皇の御子たち、あわせて十七柱の中で、日子人太子は、異母妹の田村王、またの名は糠代比売命を妻として生んだ御子は、岡本の宮にいらして天下を治められた天皇(舒明天皇)、次に中津王、次に多良王。(三柱。)また漢王の妹、大股王を妻として生んだ御子は、智奴王、次に妹の桑田王。(二柱。)また異母妹の玄王を妻として生んだ御子は、山代王、次に笠縫王。(二柱。)あわせて七王。御陵は河内の科長にある。
橘豊日命(用明天皇)は、池辺の宮にいらして、三年天下を治められた。この天皇は、稲目宿禰大臣の娘、意富芸多志比売を妻として生んだ御子は、多米王。(一柱。)また異母妹の間人穴太部王を妻として生んだ御子は、上宮之廐戸豊聡耳命(聖徳太子)、次に久米王、次に植栗王、次に茨田王。(四柱。)また当麻の倉首比呂の娘、飯女之子を妻として生んだ御子は、当麻王、次に妹の須賀志呂古郎女。この天皇の御陵は、石寸の掖上にあったが、後に科長の中の陵に移し申し上げた。
長谷部若雀天皇(崇峻天皇)は、倉椅の柴垣の宮にいらして、四年天下を治められた。御陵は倉椅の岡の上にある。
豊御食炊屋比売命(推古天皇)は、小治田の宮にいらして、三十七年天下を治められた。御陵は大野の岡の上にあったが、後に科長の大陵に移し申し上げた。
意訳
古事記の最後は、欽明天皇から推古天皇までの系譜です。欽明天皇と、蘇我稲目の娘たちとの間に生まれた御子から、用明・推古・崇峻の三天皇が出ました。このころから蘇我氏が天皇家と深く結びつき、大きな力をもつようになります。
用明天皇の御子として、上宮之廐戸豊聡耳命、すなわち聖徳太子の名が見えます。また敏達天皇の孫にあたる「岡本の宮にいらして天下を治められた天皇」は舒明天皇で、その子孫に天智天皇・天武天皇が出ます。古事記を作らせた天武天皇につながる系譜が、ここで示されているのです。
古事記は、日本最初の女性天皇である推古天皇の宮と御陵を記して終わります。天地のはじまりから語り起こされた物語は、こうして古事記が書かれた時代の少し前、飛鳥時代のはじめにまで至ります。
語釈・文法注
- 天國押波流岐廣庭の天皇
- 第二十九代欽明天皇。継体天皇と手白髪命の子。この御世に百済から仏教が伝えられた。
- 師木島の大宮
- 奈良県桜井市金屋の辺りにあったとされる宮。「しきしま」はのちに大和・日本の美称となった。
- 宗賀之稻目の宿禰の大臣
- 蘇我稲目。娘の堅塩媛(岐多斯比売)・小姉君(小兄比売)を欽明天皇の妃とした。
- 沼名倉太玉敷の命
- 第三十代敏達天皇。
- 忍坂の日子人の太子
- 押坂彦人大兄皇子。敏達天皇の子で、舒明天皇の父。
- 岡本の宮に坐して天の下治しめしし天皇
- 第三十四代舒明天皇。天智天皇・天武天皇の父。古事記は名を記さずにこう呼ぶ。
- 橘の豐日の命
- 第三十一代用明天皇。
- 上の宮之廐戶の豐聰耳の命
- 聖徳太子。用明天皇の子で、推古天皇の摂政として政治をとったとされる。
- 間人穴太部の王
- 穴穂部間人皇女。聖徳太子の母。
- 長谷部の若雀の天皇
- 第三十二代崇峻天皇。日本書紀では蘇我馬子に殺されたとされる。
- 豐御食炊屋比賣の命
- 第三十三代推古天皇。日本最初の女性天皇。古事記の最後に記される天皇。
- 科長
- 大阪府南河内郡太子町の磯長谷。敏達・用明・推古天皇陵や聖徳太子墓がある。
文法
- 豐御食と豐御氣・豐御家
- 原文は推古天皇の名を「豐御食炊屋比賣」とし、底本の訓み下しは欽明・敏達天皇の段で「豐御氣」、推古天皇の段で「豐御家」と書く。いずれも底本どおりとした。
- 麿古と麻呂古
- 底本の訓み下しは、糠子郎女の子を「麿古の王」、岐多斯比売の子を「麻呂古の王」と書き分ける。原文はどちらも「麻呂古王」。
- 玄の王
- 底本は「玄」と刷り、「ゆみはり」と訓む。通行本文は「弦」。
解説
古事記の序文によれば、古事記は天武天皇の命で稗田阿礼が誦み習った帝紀・旧辞を、元明天皇の命で太安万侶が撰録し、和銅五年(712)に献上されました。その本文は推古天皇で終わります。推古天皇の御世は、聖徳太子と蘇我馬子が天皇記・国記を編纂したと伝えられる時代で、古事記はそれ以前の歴史をまとめた書物という性格をもっています。
古事記の上巻は神々の時代、中巻は神武天皇から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までを扱います。全三巻を通じて、天地のはじまりから天皇家の歴史を一続きの物語として語り、天皇による国土統治の正しさを示そうとした書物といえます。
関連
出典
- 底本
- 古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。299〜304頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日