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古事記 下巻

顕宗天皇と置目老媼

第二十三代顕宗天皇(袁祁之石巣別命)は近つ飛鳥宮で八年天下を治めた。父の市辺王の遺骨を探すと、近江の老女が埋めた場所を知っていると名乗り出て、三枝のような押歯から遺骨を確かめることができた。天皇は老女を置目老媼と名づけて宮の近くに住まわせ、鈴を鳴らして呼び寄せた。また逃亡中に食べ物を奪った猪甘の老人を探し出して斬り、その一族の膝の筋を断った。

  1. 1袁祁をけ袁祁をけおけのののののの命みこと命みことみこと、、、近ちか近ちかちかつつつののの宮みや宮みやみやにましましてにましましてにましまして、、、天あめ天あめあめののの下し下しし、、、八歲知召やとせしろしめ八歲知召やとせしろしめやとせしろしめしきしきしき。。。此こ此ここののの天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと、、、石木いはき石木いはきいわきののの王みこ王みこみこののの御女みむすめ御女みむすめみむすめ、、、難波なには難波なにはなにわののの王みこ王みこみこにみあひましきにみあひましきにみあいましき。。。御子みこ御子みこみこはははまさざりきまさざりきまさざりき。。。此こ此ここののの天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと、、、そのそのその父王ちちみこ父王ちちみこちちみこ、、、市邊いちのべ市邊いちのべいちのべののの王みこ王みこみこののの御骨みかばね御骨みかばねみかばねををを求ま求ままぎぎぎ給たま給たまたまふふう時とき時ときときににに、、、淡海あふみ淡海あふみおうみののの國くに國くにくになるなるなる賤いや賤いやいやしきしきしき老媼おみな老媼おみなおみな、、、參出まゐい參出まゐいまいいててて申まを申まをもうしつらくしつらくしつらく、、、「「「王子みこ王子みこみこののの御骨みかばね御骨みかばねみかばねををを埋うづ埋うづうずみたりしみたりしみたりし所ところ所ところところははは、、、專もは專もはもわららら吾あ吾ああ能よ能よよくくく知し知ししれりれりれり。。。亦また亦またまたそのそのその御齒みは御齒みはみはもてもてもて知し知ししるべしるべしるべし。。。」」」ととと申まを申まをもうしきしきしき。。。(((御齒みは御齒みはみははははなすなすなす押齒おしは押齒おしはおしはませりきませりきませりき。。。)))かれかれかれ、、、民たみ民たみたみををを起おこ起おこおこてててててて、、、土に土ににををを掘こ掘ここりてそのりてそのりてその御骨みかばね御骨みかばねみかばねををを求ま求ままぎてぎてぎて、、、卽すなは卽すなはすなわちそのちそのちその御骨みかばね御骨みかばねみかばねををを獲え獲ええ給たま給たまたまひてひていて、、、そのそのその蚊屋野かやぬ蚊屋野かやぬかやぬののの東ひむがし東ひむがしひむがしののの山やま山やまやまににに、、、御陵みはか御陵みはかみはかををを作つく作つくつくりてりてりて葬をさ葬をさおさめめめ奉たてまつ奉たてまつたてまつりてりてりて、、、韓帒からふくろ韓帒からふくろからふくろががが子等こども子等こどもこどもににに、、、そのそのその御陵みはか御陵みはかみはかををを守かみ守かみかみらしめらしめらしめ給たま給たまたまひきひきいき。。。かれかれかれ、、、還かへ還かへかえりりり上たてまつ上たてまつたてまつりましてりましてりまして、、、そのそのその老媼おみな老媼おみなおみなををを召め召めめしてしてして、、、其そ其そそののの地ところ地ところところををを忘わす忘わすわすれずれずれず見み見みみ置お置おおきてきてきて、、、知し知ししれりしれりしれりし事こと事ことことををを譽ほ譽ほほめてめてめて、、、といふといふという名な名ななををを賜たま賜たまたまひきひきいき。。。かくてかくてかくて、、、宮みや宮みやみやののの內うち內うちうちににに召め召めめししし入い入いいれてれてれて、、、敦あつ敦あつあつくくく廣ひろ廣ひろひろくくく、、、慈めぐ慈めぐめぐみみみ給たま給たまたまひきひきいき。。。かれかれかれ、、、そのそのその老媼おみな老媼おみなおみなののの所住屋すむや所住屋すむやすむやをばをばをば、、、宮みや宮みやみやののの邊へ邊へへ近ちか近ちかちかくくく作つく作つくつくりてりてりて、、、日毎ひごと日毎ひごとひごとににに必かなら必かならかならずずず召め召めめしきしきしき。。。かれかれかれ、、、大殿おほとの大殿おほとのおおとのののの戸と戸ととにににををを懸か懸かかけてけてけて、、、そのそのその老媼おみな老媼おみなおみなををを召め召めめさむとするさむとするさむとする時とき時ときときははは、、、かならずそのかならずそのかならずその鐸ぬりで鐸ぬりでぬりでををを引ひ引ひひききき鳴な鳴なならしたまひきらしたまひきらしたまいき。。。かれかれかれ御歌みうた御歌みうたみうた詠よ詠よよみしみしみし給たま給たまたまへるへるえる、、、そのそのその御歌みうた御歌みうたみうた。。。   小谷をだに小谷をだにをだにををを過す過すすぎてぎてぎて   百傳ももづた百傳ももづたももづたふふふ   鐸動ぬりでゆら鐸動ぬりでゆらぬりでゆらぐもぐもぐも   置目おきめ置目おきめおきめ來く來くくらしもらしもらしも   是ここ是ここここににに、、、置目老媼おきめおみな置目老媼おきめおみなおきめおみな、、、「「「僕あ僕ああ、、、いたくいたくいたく老お老おおいにたればいにたればいにたれば、、、本もと本もともとつつつ國くに國くにくにににに退まか退まかまからまほしらまほしらまほし。。。」」」ととと申まを申まをもうしきしきしき。。。かれかれかれ、、、申まを申まをもうせるせるせるまに〳〵まに〳〵まにまに、、、退さ退ささりりり給たま給たまたまふふう時とき時ときときににに、、、天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと見み見みみ送おく送おくおくらしてらしてらして、、、歌うた歌うたうたひひい給たま給たまたまはくはくわく、、、置目おきめ置目おきめおきめもやもやもや   淡海あふみ淡海あふみおうみののの置目おきめ置目おきめおきめ   明日あす明日あすあすよりはよりはよりわ   深山隱みやまがく深山隱みやまがくみやまがくりてりてりて   見み見みみえずかもあらむえずかもあらむえずかもあらむ   初はじ初はじはじめめめ、、、天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと、、、難わざはひ難わざはひわざわいににに逢あ逢ああひてひていて、、、逃に逃ににげまししげまししげましし時とき時ときときににに、、、そのそのその御粮みかれひ御粮みかれひみかれいををを奪うば奪うばうばりしりしりし、、、猪飼ゐかひ猪飼ゐかひいかいののの老人おきな老人おきなおきなををを求ま求ままぎぎぎ給たま給たまたまひきひきいき。。。是ここ是ここここににに、、、求ま求ままぎぎぎ得え得ええたるたるたるををを、、、喚よ喚よよびびび上あ上ああげてげてげて、、、飛鳥河あすかがは飛鳥河あすかがはあすかがわののの河原かはら河原かはらかわらににに斬き斬ききりてりてりて、、、皆みな皆みなみなそのそのその族うから族うからうからどものどものどもの膝ひざ膝ひざひざののの筋すぢ筋すぢすじををを斷た斷たたちちち給たま給たまたまひきひきいき。。。是ここ是ここここををを以もつ以もつもつててて、、、今いま今いまいまににに至いた至いたいたるまでるまでるまで、、、そのそのその子孫すゑ子孫すゑすえ、、、倭やまと倭やまとやまとににに上うへ上うへうえるるる日ひ日ひひ、、、必かなら必かならかならずずず自づか自づかずかららら跛あしなへ跛あしなへあしなえぐなりぐなりぐなり。。。かれかれかれ、、、そのそのその老人おきな老人おきなおきなののの所在ありか所在ありかありかををを能よ能よよくくく見み見みみしめきしめきしめき。。。かれかれかれ、、、其地そこ其地そこそこをををといふといふという。。。袁祁之石巢別命。坐近飛鳥宮。治天下捌歲也。天皇。娶石木王之女難波王。无子也。此天皇。求其父王市邊王之御骨時。在淡海國賤老媼參出白。王子御骨所埋者。專吾能知。亦以其御齒可知。〈御齒者。如三枝押齒坐也。〉爾起民。掘土。求其御骨。卽獲其御骨而。於其蚊屋野之東山。作御陵葬。以韓帒之子等。令守其御陵。然後持上其御骨也。故還上坐而。召其老媼。譽其不失見置知其地。以賜名號置目老媼。仍召入宮內。敦廣慈賜。故其老媼所住屋者。近作宮邊。每日必召。故鐸懸大殿戶。欲召其老媼之時。必引鳴其鐸。爾作御歌。其歌曰。阿佐遲波良。袁陀爾袁須疑弖。毛毛豆多布。奴弖由良久母。淤岐米久良斯母。於是置目老媼。白僕甚耆老。欲退本國。故隨白退時。天皇見送。歌曰。意岐米母夜。阿布美能淤岐米。阿須用理波。美夜麻賀久理弖。美延受加母阿良牟。初天皇逢難。逃時。求奪其御粮猪甘老人。是得求。喚上而。斬於飛鳥河之河原。皆斷其族之膝筋。以是至今。其子孫上於倭之日。必自跛也。故能見志米岐其老所在。〈志米岐三字以音〉故其地謂志米須也。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

袁祁之石巣別命(顕宗天皇)は、近つ飛鳥の宮にいらして、八年のあいだ天下を治められた。この天皇は、石木王の娘の難波王を妻とされたが、御子はなかった。この天皇が、父王の市辺王の御骨をお探しになったとき、近江の国に住む身分の低い老女が参上して申し上げた。「王子の御

骨を埋めた所は、私がよく知っております。またその御歯で見分けられます」。(御歯は、三枝のように重なった八重歯であった。)そこで民を動員して土を掘り、その御骨を探して、とうとうその御骨を見つけ出し、その蚊屋野の東の山に御陵を作って葬り、韓帒の子らにその御陵を守らせなさった。そして都に帰り上って、その老女を呼び、その場所を忘れずに見覚えていて知っていたことをほめて、置目老媼という名をお与えになった。こうして宮の中に召し入れて、手厚く広くいつくしまれた。そしてその老女の住まいを宮のそば近くに作って、毎日必ず呼び寄せられた。そこで御殿の戸口に鈴を掛けて、その老女を呼ぼうとするときは、必ずその鈴を引き鳴らされた。そこで御歌をお詠みになった。その御歌は、

浅茅原の小さな谷を過ぎて、(ももづたふ)鈴が鳴り響くよ。置目がやって来るらしい。

さて置目老媼が「私はたいへん年老いましたので、故郷に帰りとうございます」と申し上げた。そこで願いのとおりに帰るとき、天皇は見送ってお歌いになった。

置目よ、近江の置目よ。明日からは、深い山に隠れて見えなくなってしまうのだろうか。

さて初めに、天皇が災難にあって逃げられたとき、その食べ物を奪った猪甘の老人を探させ

なさった。そして見つけ出して呼び上げ、飛鳥河の河原で斬り、その一族の膝の筋をすべて断ち切られた。そのため今に至るまで、その子孫は大和に上る日には、必ず自ら足を引きずって歩くのである。そしてその老人の居場所をよく見つけさせた。それでその地を志米須という。

意訳

即位した顕宗天皇がまず行ったのは、殺されて飼い葉桶に入れて埋められた父の遺骨を探すことでした。近江の老女が場所を覚えていて名乗り出て、三枝のように重なった特徴的な歯から父の骨と確かめられます。天皇は老女を「置目(場所を見覚えておいた目)」と名づけ、宮の近くに住まわせて、鈴を鳴らして毎日呼び寄せました。老女が故郷に帰るときの別れの歌には、恩人を慕う天皇の情がにじんでいます。

一方、逃亡中に食べ物を奪った猪甘の老人には厳しい罰を与えました。受けた恩と受けた仇をそれぞれに報いる、少年時代に苦難をなめた天皇の姿が描かれています。

語釈・文法注

袁祁の石巢別の命
第二十三代顕宗天皇。市辺之忍歯王の子。日本書紀では弘計天皇。
近つ飛鳥の宮
大阪府羽曳野市飛鳥の辺りにあったとされる宮。
三枝なす押齒
三つに枝分かれしたように重なった八重歯。
置目老媼
「おきめのおみな」。場所を見覚えておいた老女の意の名。日本書紀では置目。
鐸
「ぬりで」。大きな鈴。
淺茅原
丈の低い茅の生えた野原。
志米須
所在は未詳。猪甘の老人の居場所を「見しめた(見つけさせた)」ことによる地名とする。

文法

原文の「故能見志米岐其老所在」
「志米岐」は音で書いた「しめき」。見つけさせた、の意。
跛ぐ
「あしなへぐ」。足を引きずって歩く。

歌謡

淺茅原 小谷を過ぎて 百傳ふ 鐸動ぐも 置目來らしも

詠者
顕宗天皇
状況
置目老媼を呼ぶ鈴の音を聞いて詠んだ歌。

修辞

枕詞
「百傳ふ」は「鐸」にかかる。

置目もや 淡海の置目 明日よりは 深山隱りて 見えずかもあらむ

詠者
顕宗天皇
状況
故郷の近江に帰る置目老媼を見送って詠んだ歌。

修辞

くり返し
「置目」をくり返して呼びかける。

解説

日本書紀では、顕宗天皇は置目に「置目よ、来」と呼ぶために縄に鈴をかけたとし、天皇の情け深さを伝えています。父の遺骨を探し出し、恩人を手厚く遇する話は、孝行と報恩の物語として語られました。

関連

出典

底本
古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。288〜291頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
更新日