古典ライブラリー

古事記 下巻

吉野の童女と葛城の一言主大神

雄略天皇は吉野で出会った童女に舞を舞わせて歌を詠み、阿岐豆野の狩りでは腕を刺した虻を蜻蛉がくわえて飛び去ったことを喜んで、大和を「蜻蛉島」と呼ぶ由来の歌を詠む。葛城山では怒った大猪に追われて榛の木に逃げ登る。また葛城山で天皇の行列とそっくりの一行に出会い、名を問うと葛城の一言主大神であった。天皇は恐れて太刀や衣服を献じ、大神は長谷の山口まで見送る。

  1. 1天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと、、、吉野えしぬ吉野えしぬえしぬののの宮みや宮みやみやににに幸さき幸さきさきせるときせるときせるとき、、、吉野えしぬ吉野えしぬえしぬ川かは川かはかわののの濱はま濱はまはまににに、、、童女をとめ童女をとめおとめののの遇あ遇ああへるへるへる、、、それそれそれ形容麗かほよ形容麗かほよかおよかりきかりきかりき。。。かれかれかれ、、、此こ此ここののの童女をとめ童女をとめおとめををを婚め婚めめしてしてして、、、宮みや宮みやみやににに還かへ還かへかえりましきりましきりましき。。。後のち後のちのちににに、、、更さら更さらさらににに亦また亦またまた吉野えしぬ吉野えしぬえしぬにいでませるにいでませるにいでませる時とき時ときときににに、、、そのそのその童女をとめ童女をとめおとめののの遇あ遇ああへりしへりしへりし所ところ所ところところににに留とど留とどとどまりましてまりましてまりまして、、、其處そこ其處そこそこにににををを立た立たたてててててて、、、そのそのその御おん御おんおん吳牀あぐら吳牀あぐらあぐらにましましてにましましてにましまして、、、御琴みこと御琴みことみことををを彈ひ彈ひひかしてかしてかして、、、そのそのその孃子をとめ孃子をとめおとめににに舞ま舞まませしめせしめせしめ給たま給たまたまひきひきいき。。。かれかれかれ、、、そのそのその孃子をとめ孃子をとめおとめののの好よ好よよくくく舞ま舞ままへるにへるにえるに因よ因よよりてりてりて、、、御歌みうた御歌みうたみうた詠よ詠よよみしみしみし給たま給たまたまへるへるえる、、、そのそのその御歌みうた御歌みうたみうた。。。吳牀座あぐらゐ吳牀座あぐらゐあぐらいののの   神かみ神かみかみののの御手みて御手みてみてもちもちもち   彈ひ彈ひひくくく琴こと琴ことことににに   するするする女め女めめ   常世とこよ常世とこよとこよにもがもにもがもにもがも天皇幸行吉野宮之時。吉野川之濱。有童女。其形姿美麗。故婚是童女而。還坐於宮。後更亦幸行吉野之時。留其童女之所遇。於其處立大御吳牀而。坐其御吳牀。彈御琴。令爲儛其孃子。爾因其孃子之好儛。作御歌。其歌曰。阿具良韋能。加微能美弖母知。比久許登爾。麻比須流袁美那。登許餘爾母加母。
  2. 2卽すなは卽すなはすなわちちち、、、ににに幸いでま幸いでまいでましてしてして、、、御獵みかり御獵みかりみかりせすせすせす時とき時ときときににに、、、天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと、、、御おん御おんおん吳牀あぐら吳牀あぐらあぐらににに坐ま坐まましけるにしけるにしけるに、、、、、、御腕みただむき御腕みただむきみただむきををを咋く咋くくひけるひけるひけるををを、、、蜻蛉來あきづき蜻蛉來あきづきあきずきててて、、、そのそのその虻あむ虻あむあむををを咋く咋くくひてひてひて、、、飛と飛ととびびび去い去いいにきにきにき。。。爰ここ爰ここここににに御歌みうた御歌みうたみうた詠よ詠よよみしみしみし給たま給たまたまへるへるえる、、、そのそのその御歌みうた御歌みうたみうた。。。みみみ吉野えしぬ吉野えしぬえしぬののの   小牟漏をむろ小牟漏をむろおむろががが岳たけ岳たけたけににに   猪鹿しし猪鹿ししししふすとふすとふすと   誰たれ誰たれたれぞぞぞ   大前おほまへ大前おほまへおおまえににに奏そう奏そうそうすすす   安見やすみ安見やすみやすみしししししし   吾あ吾ああががが大君おほきみ大君おほきみおおきみののの   猪鹿しし猪鹿しししし待ま待ままつとつとつと   吳牀あぐら吳牀あぐらあぐらににに坐ま坐ままししし   白服しろたへ白服しろたへしろたえののの   袖著具そできそな袖著具そできそなそできそなふふう   ににに   虻搔あむか虻搔あむかあむかききき著つ著つつききき   そのそのその虻あむ虻あむあむををを   蜻蛉あきづ蜻蛉あきづあきずはやはやはや咋く咋くくひひひ   かくのごとかくのごとかくのごと   名な名ななににに負お負おおはむとはむとわむと   虛空そら虛空そらそら見み見みみつつつ   倭やまと倭やまとやまとののの國くに國くにくにををを   とととふふふ   かれかれかれ、、、そのそのその時とき時ときときよりよりより、、、そのそのその野ぬ野ぬぬををを阿岐豆野あきづぬ阿岐豆野あきづぬあきずぬとととはははいひけるいひけるいいける。。。卽幸阿岐豆野而。御獵之時。天皇坐御吳牀爾。蝄咋御腕。卽蜻蛉來。咋其蝄而。飛。〈訓蜻蛉云阿岐豆〉於是作御歌。御歌曰。美延斯怒能。袁牟漏賀多氣爾。志斯布須登。多禮曾意富麻幣爾。麻袁須。夜須美斯志。和賀淤富岐美能。斯志麻都登。阿具良爾伊麻志。斯漏多閇能。蘇弖岐蘇那布。多古牟良爾。阿牟加岐都岐。曾能阿牟袁。阿岐豆波夜具比。加久能棊登。那爾淤波牟登。蘇良美都。夜麻登能久爾袁。阿岐豆志麻登布。故自其時。號其野謂阿岐豆野也。
  3. 3またまたまた、、、或ある或あるある時とき時ときとき、、、天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと葛城かづらき葛城かづらきかずらきののの山やま山やまやまのののうへにうへにうえに登のぼ登のぼのぼりいでましきりいでましきりいでましき。。。こゝにこゝにここに、、、大猪おほゐ大猪おほゐおおい出い出いいでたりきでたりきでたりき。。。卽すなは卽すなはすなわちちち天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみことをもちてをもちておもちて、、、そのそのその猪ゐ猪ゐいををを射給いたま射給いたまいたまへるへるえる時とき時ときときににに、、、そのそのその猪ゐ猪ゐい怒いか怒いかいかりてりてりて、、、嘯うた嘯うたうたききき依よ依よよりりり來き來きき。。。かれかれかれ、、、天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみことそのそのその嘯うた嘯うたうたきききををを畏かしこ畏かしこかしこみてみてみて、、、ののの木こ木ここののの上うへ上うへうえににに登のぼ登のぼのぼりましきりましきりましき。。。かれかれかれ、、、御歌みうた御歌みうたみうたよみしよみしよみし給たま給たまたまはくはくわく、、、安見やすみ安見やすみやすみしししししし   吾あ吾ああががが大君おほきみ大君おほきみおおきみののの   遊あそび遊あそびあそびばししばししばしし   猪ゐ猪ゐいののの   ののの   嘯うた嘯うたうたききき畏かしこ畏かしこかしこみみみ   吾あ吾ああががが逃に逃ににげげげ登のぼ登のぼのぼりしりしりし   ありありあり丘を丘ををののの   榛はり榛はりはりののの木こ木ここののの枝えだ枝えだえだ又一時。天皇登幸葛城之山上。爾大猪出。卽天皇以鳴鏑。射其猪之時。其猪怒而。宇多岐依來。〈宇多岐三字以音〉故天皇畏其宇多岐。登坐榛上。爾歌曰。夜須美斯志。和賀意富岐美能。阿蘇婆志斯。志斯能。夜美斯志能。宇多岐加斯古美。和賀爾宜。能煩理斯。阿理袁能。波理能紀能延陀。
  4. 4又また又またまた、、、或ある或あるある時とき時ときとき、、、天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと葛城かづらき葛城かづらきかずらき山やま山やまやまににに登のぼ登のぼのぼりいでませるときりいでませるときりいでませるとき、、、百官つかさづかさ百官つかさづかさつかさずかさののの人ひと人ひとひとたちたちたち、、、こと〴〵こと〴〵ことごと紅紐著あかひもつ紅紐著あかひもつあかひもつけるけるける青摺あをずり青摺あをずりあおずりののの衣きぬ衣きぬきぬををを賜たま賜たまたまはははりてりてりて服き服ききたりきたりきたりき。。。そのときにそのときにそのときに、、、そのそのその向むか向むかむかひのひのいの山やま山やまやまののの尾を尾ををよりよりより、、、山やま山やまやまののの上うへ上うへうえににに登のぼ登のぼのぼるるる人ひと人ひとひとありありあり。。。既すで既すですでににに、、、天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみことのののににに等ひと等ひとひとしくしくしく、、、そのそのその裝束よそひ裝束よそひよそいのさまのさまのさま、、、またまたまた人衆ひとども人衆ひとどもひとどもももも、、、相似あひに相似あひにあいにててて傾かたぶ傾かたぶかたぶれずれずれず。。。こゝにこゝにここに、、、天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと、、、望みさけ望みさけみさけやらしてやらしてやらして問と問ととはしめはしめわしめ給たま給たまたまはくはくわく、、、「「「玆ここ玆ここここののの倭やまと倭やまとやまとののの國くに國くにくにににに、、、吾あ吾ああををを除お除おおきてきてきて亦また亦またまた王きみ王きみきみははは無な無ななきききををを、、、今いま今いまいま、、、誰たれ誰たれたれぞかくてゆくぞかくてゆくぞかくてゆく。。。」」」ととと問と問ととはしめはしめわしめ給たま給たまたまひしかばひしかばいしかば、、、答こた答こたこたへへえ申まを申まをもうせるせるせる狀さま狀さまさまももも、、、天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみことののの命みこと命みことみことののの如ごと如ごとごとくなりきくなりきくなりき。。。是ここ是ここここににに天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと、、、大いた大いたいたくくく忿いか忿いかいからしてらしてらして、、、矢刺やさ矢刺やさやさししし給たま給たまたまひひい、、、百官つかさづかさ百官つかさづかさつかさずかさののの人ひと人ひとひとどももどももどもも、、、悉ことごと悉ことごとことごとににに矢刺やさ矢刺やさやさしければしければしければ、、、かのかのかの人ひと人ひとひとどももみなどももみなどももみな矢刺やさ矢刺やさやさせりせりせり。。。かれかれかれ、、、天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみことまたまたまた問と問ととはしめはしめわしめ給たま給たまたまはくはくわく、、、「「「然しか然しかしからばらばらば、、、そのそのその名な名ななををを告の告ののらさねらさねらさね。。。各おのおの各おのおのおのおの名な名ななををを告の告ののりてりてりて矢彈やはな矢彈やはなやはなたむたむたむ。。。」」」ととと詔の詔ののりりり給たま給たまたまひきひきいき。。。是ここ是ここここににに答こた答こたこたへへえ申まを申まをもうさくさくさく、、、「「「吾あ吾ああ先ま先ままづづず問と問ととはははえたればえたればえたれば、、、吾あ吾ああ先ま先ままづづず名告なの名告なのなのせむせむせむ。。。吾あ吾ああははは、、、惡事まがごと惡事まがごとまがごとももも一いち一いちいち言い言いい、、、善事よごと善事よごとよごとももも一いち一いちいち言い言いい、、、言離ことさか言離ことさかことさかののの神かみ神かみかみ、、、葛城かづらき葛城かづらきかずらきのののののの大神おほかみ大神おほかみおおかみなりなりなり。。。」」」ととと申まを申まをもうしたまひきしたまひきしたまいき。。。玆ここ玆ここここににに、、、天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと、、、惶かしこ惶かしこかしこみてみてみて申まを申まをもうしたまはくしたまはくしたまわく、、、「「「恐かしこ恐かしこかしこししし吾あ吾ああががが大神おほかみ大神おほかみおおかみ、、、まさむとまさむとまさむとははは覺さと覺さとさとらざりきらざりきらざりき。。。」」」ととと申まを申まをもうしてしてして、、、大御刀おほみたち大御刀おほみたちおおみたちまたまたまた弓矢ゆみや弓矢ゆみやゆみやをををはじめてはじめてはじめて、、、百官つかさづかさ百官つかさづかさつかさずかさののの人ひと人ひとひとどものどものどもの服き服ききせるせるせる衣服きもの衣服きものきものをををぬがしめてぬがしめてぬがしめて、、、拜をろが拜をろがおろがみみみ獻まつ獻まつまつりりり給たま給たまたまひきひきいき。。。かれかれかれ、、、そのそのその一言主ひとことぬし一言主ひとことぬしひとことぬしののの大神おほかみ大神おほかみおおかみ、、、手て手てて打う打ううちてそのちてそのちてその捧物ささげもの捧物ささげものささげものををを受う受ううけけけ給たま給たまたまひきひきいき。。。かれかれかれ、、、天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみことののの還かへ還かへかえりますりますります時とき時ときとき、、、そのそのその大神おほかみ大神おほかみおおかみ、、、山やま山やまやまををを降くだ降くだくだりりり來き來ききましてましてまして、、、長谷はつせ長谷はつせはつせののの山やま山やまやまののの口くち口くちくちににに送おく送おくおくりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつりきりきりき。。。かれかれかれ、、、このこのこの一言主ひとことぬし一言主ひとことぬしひとことぬしののの大神おほかみ大神おほかみおおかみははは、、、そのそのその時とき時ときときにぞにぞにぞ顯あら顯あらあらはははれませるれませるれませる。。。又一時天皇登幸葛城山之時。百官人等。悉給著紅紐之青摺衣服。彼時有其自所向之山尾。登山上人。既等天皇之鹵簿。亦其裝束之狀。及人衆。相似不傾。爾天皇望令問曰。於玆倭國。除吾亦無王。今誰人。如此而行。卽答曰之狀亦。如天皇之命。於是天皇大忿而。矢刺。百官人等。悉矢刺爾。其人等亦皆矢刺。故天皇亦問曰。然告其名。爾各告名而彈矢。於是答曰。吾先見問故。吾先爲名告。吾者。雖惡事而一言。雖善事而一言。言離之神。葛城之一言主之大神者也。天皇於是惶畏而白。恐我大神。有宇都志意美者〈自宇下五字以音〉不覺白而。大御刀及弓矢始而。脫百官人等所服之衣服。以拜獻。爾其一言主大神手打受其捧物。故天皇之還幸時。其大神滿山末。於長谷山口送奉。故是一言主之大神者。彼時所顯也。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

天皇が吉野の宮においでになったとき、吉野川のほとりに少女がいて、その姿が美しかった。そこでこの少女と結ばれて、宮にお帰りになった。その後、また吉野においでになったとき、その少女に出会った所にとどまり、そこに大御呉床(腰かけ)を立てて、その呉床にお座りになり、御琴を弾いて、その少女に舞わせなさった。そしてその少女が上手に舞ったので、御歌をお詠みになった。その御歌は、

呉床に座る神のような私の手で弾く琴に合わせて、舞を舞う乙女よ。いつまでもこのままでいてほしい。

そしてそのまま阿岐豆野においでになって、狩りをなさったとき、天皇が御呉床に座っておられると、虻が御腕を刺した。するとすぐに蜻蛉が飛んできて、その虻をくわえて飛び去った。そこで御歌をお詠みになった。その御歌は、

(みよしのの)小牟漏が岳に、猪や鹿が伏していると、誰が大君の前に申し上げたのか。(やすみしし)わが大君が猪や鹿を待とうと、呉床にお座りになると、白い衣の袖を整えた腕のふくらみに、虻が取りついた。その虻を蜻蛉がすばやくくわえた。このように蜻蛉の名を負おうと、(そらみつ)大和の国を蜻蛉島というのだ。

それで、そのときから、その野を阿岐豆野というようになった。

またあるとき、天皇は葛城山の上にお登りになった。すると大きな猪が出てきた。そこで天皇が鳴鏑の矢でその猪を射られると、その猪は怒って、うなり声をあげて向かってきた。そこで天皇はそのうなり声を恐れて、榛の木の上にお登りになった。そしてお詠みになった歌は、

(やすみしし)わが大君がお射になった猪の、手負いの猪のうなり声が恐ろしくて、私が逃げ登った丘の上の、榛の木の枝よ。

またあるとき、天皇が葛城山にお登りになったとき、役人たちはみな、紅い紐をつけた青摺りの衣をいただいて着ていた。そのとき、向かいの山の尾根から山の上に登ってくる人々がいた。

その行列は天皇の行列とまったく同じで、その装束の様子も、人数も、そっくりで見分けがつかなかった。そこで天皇は、はるかに見やって問わせなさった。「この大和の国に、私のほかに王はいないのに、今、誰がこのようにして行くのか」。すると答えた様子も、天皇のお言葉とまったく同じであった。そこで天皇はひどくお怒りになって矢をつがえ、役人たちもみな矢をつがえると、向こうの人々もみな矢をつがえた。そこで天皇はまた問わせなさった。「それなら名を名乗れ。互いに名を名乗ってから矢を放とう」。すると答えて申し上げた。「私の方が先に問われたので、私から先に名乗ろう。私は、悪いことも一言、良いことも一言で言い放つ神、葛城の一言主大神である」。そこで天皇は恐れかしこまって申し上げた。「恐れ多いことです、わが大神よ。現実の姿をもっておいでになるとは気づきませんでした」。そして大御刀や弓矢をはじめ、役人たちの着ていた衣服を脱がせて、拝んで献上なさった。するとその一言主大神は、手を打ってその捧げ物を受け取られた。そして天皇がお帰りになるとき、その大神は山を下ってきて、長谷の山の入口まで見送りなさった。この一言主大神は、そのときに姿を現されたのである。

意訳

雄略天皇の段の後半には、吉野・葛城を舞台にした逸話が続きます。吉野の童女の舞を「いつまでもこのままでいてほしい」とたたえる歌は、のちに宮中の五節の舞の起源とされました。

狩りの最中に腕を刺した虻を、蜻蛉(トンボ)がくわえて飛び去ったので、天皇は蜻蛉をほめたたえ、大和の国を「蜻蛉島(あきづしま)」と呼ぶ由来を歌います。一方、葛城山では手負いの猪に追いかけられて木に逃げ登るという、強い天皇らしからぬ姿も描かれています。

最も有名なのが一言主大神との出会いです。天皇の行列とそっくりの一行が現れ、天皇が怒って矢をつがえると、相手もまったく同じことをします。名を問うと「悪いことも一言、良いことも一言で言い放つ、葛城の一言主大神だ」と答えました。強大な天皇も神の前では恐れかしこまり、衣服まで脱いで献上します。葛城の地の神の力の大きさを示す話です。

語釈・文法注

大御吳牀
天皇が座る腰かけ。
舞する女
吉野の童女の舞。のちに宮中の五節の舞の起源とされた。
阿岐豆野
奈良県吉野町の宮滝の辺りの野。
虻
「あむ」。アブ。天皇の腕を刺した。
蜻蛉島
「あきづしま」。大和の国の美称。のちに日本全体を指すようにもなった。
手腓
「たこむら」。腕の肉のふくらんだ所。
鳴鏑
射ると音を立てて飛ぶ鏑矢。
惱猪
「やみしし」。手負いの猪。
榛の木
ハンノキ。
鹵簿
「みゆきのつら」。天皇の行列。
葛城の一言主の大神
悪いことも良いことも一言で言い放つ神。奈良県御所市の葛城一言主神社に祭られる。日本書紀では天皇と神が並んで狩りを楽しんだとし、のちの続日本紀では天皇と争って土佐に流されたとも伝える。
現大身
「うつしおほみ」。現実の人の姿。原文は「宇都志意美」と音で書く。

文法

原文の「蝄咋御腕」
底本は「虫」偏の字を刷り、訓み下しは「虻」とする。
原文の「令爲儛其孃子」
その少女に舞わせた。
原文の「登坐榛上」
底本は「榛」と刷り、訓み下しは「榛の木の上」とする。

歌謡

吳牀座の 神の御手もち 彈く琴に 舞する女 常世にもがも

詠者
雄略天皇
状況
吉野の童女に琴に合わせて舞わせたときに詠んだ歌。

修辞

願望
「もがも」で、いつまでもこうであってほしいと願う。

み吉野の 小牟漏が岳に 猪鹿ふすと 誰ぞ 大前に奏す 安見しし 吾が大君の 猪鹿待つと 吳牀に坐し 白服の 袖著具ふ 手腓に 虻搔き著き その虻を 蜻蛉はや咋ひ かくのごと 名に負はむと 虛空見つ 倭の國を 蜻蛉島とふ

詠者
雄略天皇
状況
阿岐豆野の狩りで、腕を刺した虻を蜻蛉がくわえて飛び去ったときに詠んだ歌。

修辞

枕詞
「安見しし」は「大君」に、「虛空見つ」は「倭」にかかる。
地名起源
大和を「蜻蛉島」と呼ぶ由来を歌う。

安見しし 吾が大君の 遊ばしし 猪の 惱猪の 嘯き畏み 吾が逃げ登りし あり丘の 榛の木の枝

詠者
雄略天皇
状況
葛城山で手負いの猪に追われ、榛の木に逃げ登って詠んだ歌。

修辞

枕詞
「安見しし」は「大君」にかかる。

解説

一言主大神の話は、日本書紀では雄略天皇と神が狩りを競って楽しみ、天皇は神を「有徳の天皇」と呼んだと記されます。古事記では天皇が神に恐れかしこまる姿が描かれ、葛城の地の神が大和の王権にとって重要な存在であったことをうかがわせます。のちには、役小角に使役されて岩橋をかけさせられた神としても伝えられています。

「蜻蛉島」の名は、日本書紀では神武天皇が国見をして「蜻蛉の臀呫の如し」と言ったことに由来するとされます。古事記と日本書紀で由来の語り方が異なる例の一つです。

関連

出典

底本
古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。274〜278頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
更新日