古事記 下巻
軽太子と衣通王
允恭天皇の崩御後、皇位を継ぐはずの木梨之軽太子は、同母妹の軽大郎女(衣通王)と通じたため人々の心が離れ、弟の穴穂御子に背かれる。大前小前宿禰の家に逃げ込むが捕らえられ、伊予の湯に流される。衣通王は恋しさに耐えきれず後を追い、二人はともに自ら命を絶つ。
- 1天皇天皇すめらみこと崩崩かむあがりましてりましてりまして後後のち、、、ののの輕輕かるののの太子太子ひつぎのみこ、、、日繼日繼ひつぎ知知しろしめすにろしめすにろしめすに定定さだまれるまれるまれるををを、、、未未いまだだだ位位くらいににに卽卽つききき給給たまはざりしはざりしわざりし間間ほどににに、、、そのそのその伊呂妹伊呂妹いろも輕輕かるののの大郞女大郞女おおいらつめにににけてけてけて、、、御歌御歌みうたよみしよみしよみし給給たまはくはくわく、、、足引足引あしひきののの 山田山田やまだををを作作つくりりり 山高山高やまだかみみみ ををを走走はしせせせ 下聘下聘したどににに 我我あががが聘聘とふふふ妹妹いもををを 下泣下泣したなににに 吾吾あががが泣泣なくくく妻妻めををを 今今いま日日ひこそはこそはこそわ 休休やすくくく肌觸肌觸はだふれれれ 此此こはははなりなりなり。。。またまたまた、、、小竹葉小竹葉ささばににに 打打うつやつやつや霰霰あられののの 慥々慥々たしだしににに 率寢率寢いねてむてむてむ後後のちははは 人議人議ひとはかゆともゆともゆとも 愛愛うるはははしとしとしと 眞寢眞寢さねししし眞寢眞寢さねてばてばてば 刈薦刈薦かりこもののの 亂亂みだればればれば亂亂みだれれれ 眞寢眞寢さねししし眞寢眞寢さねてばてばてば こここはははののの上歌上歌あげうたなりなりなり。。。天皇崩之後。定木梨之輕太子。所知日繼。未卽位之間。奸其伊呂妹輕大郞女而。歌曰。阿志比紀能。夜麻陀袁豆久理。夜麻陀加美。斯多備袁和志勢。志多杼比爾。和賀登布伊毛袁。斯多那岐爾。和賀那久都麻袁。許存許曾婆。夜須久波陀布禮。此者志良宜歌也。又歌曰。佐佐婆爾。宇都夜阿良禮能。多志陀志爾。韋泥弖牟能知波。比登波加由登母。宇流波斯登。佐泥斯佐泥弖婆。加理許母能。美陀禮婆美陀禮。佐泥斯佐泥弖波。此者夷振之上歌也。
- 2こゝこゝここををを以以もつててて百百ももののの官官つかさをををはじめてはじめてはじめて、、、天天あめののの下下したののの人達人達ひとども、、、輕輕かるののの太子太子ひつぎのみこににに背背そびらきてきてきて、、、穴穗穴穗あなほののの御子御子みこににに歸歸かえりぬりぬりぬ。。。かれかれかれ、、、輕輕かるののの太子太子ひつぎのみこ畏畏かしこみてみてみて、、、ののの宿禰宿禰すくねののの大臣大臣おおおみののの家家いえににに逃逃にげげげ入入いりてりてりて、、、兵器兵器つわものををを備備そなへへえ作作つくりりり給給たまひきひきいき。。。(((そのそのその時時ときににに作作つくれるれるれる矢矢やははは、、、そのそのその箭箭やのさきのさきのさきををを銅銅あかがねにしたりにしたりにしたり。。。かれそのかれそのかれその矢矢やをををといふといふという。。。)))穴穗穴穗あなほののの王王きみ子子こももも兵器兵器つわものををを作作つくりりり給給たまふふう。。。(((このこのこの王王きみ子子こののの作作つくらせるらせるらせる矢矢やははは、、、卽卽すなわちちち今今いま時時ときののの矢矢やなりなりなり。。。是是ここををを穴穗箭穴穗箭あなほやといふといふという。。。)))是是ここににに穴穗穴穗あなほののの王王きみ子子こ軍軍いくさををを興興おこしてしてして、、、大前小前大前小前おおまえおまえののの宿禰宿禰すくねののの家家いえををを圍圍かくみみみ給給たまふふう。。。かれそのかれそのかれその門門かどににに到到いたりませるりませるりませる時時ときににに、、、大冰雨大冰雨おおひさめ零零ふりきりきりき。。。かれかれかれ歌歌うたひひい給給たまはくはくわく、、、大前大前おおまえ 小前宿禰小前宿禰おまえすくねががが かくかくかく寄寄よりりり來來きねねね 雨立雨立あめたちちち止止やめむめむめむ こゝにこゝにここに、、、そのそのその大前小前大前小前おおまえおまえののの宿禰宿禰すくね、、、手手てををを擧擧あげげげ膝膝ひざををを打打うちちち舞舞まひかなでひかなでいかなで歌歌うたひひい參來參來まいき。。。そのそのその歌歌うたははわ、、、宮宮みや人人ひとののの ののの小鈴小鈴こすず 落落おちにきとちにきとちにきと 宮人轟宮人轟みやひととよむむむ 里人里人さとびともゆめもゆめもゆめ このこのこの歌歌うたはははなりなりなり。。。かくかくかく歌歌うたひつゝひつゝいつつ參來參來まいきててて申申もうしけらくしけらくしけらく、、、「「「我我あががが天皇天皇すめらみことののの御子御子みこ、、、伊呂兄伊呂兄いろせののの王王きみををを攻攻せめたまふめたまふめたまう勿勿な。。。若若もししし攻攻せめめめ給給たまはばはばわば、、、必必かならずずず人人ひと咲咲わらはははむむん。。。僕僕あ捕捕とらへてへてえて奉奉まつらむらむらむ。。。」」」ととと申申もうしきしきしき。。。かれかれかれ兵兵いくさををを解解やめてめてめて退退さりましきりましきりましき。。。かれかれかれ大前小前大前小前おおまえおまえののの宿禰宿禰すくね、、、そのそのその輕輕かるののの太子太子ひつぎのみこををを捕捕とらへてへてえて率率いてまるいでててまるいでててまるいでて貢貢たてまつりきりきりき。。。そのそのその太子太子ひつぎのみこ捕捕とらへらえてへらえてえらえて歌歌うたひひい給給たまはくはくわく、、、むむむ 輕輕かるののの孃子孃子おとめ 甚泣甚泣いたなかばかばかば 人人ひと知知しりぬべしりぬべしりぬべし 羽挾羽挾はさののの山山やまののの 鳩鳩はとののの 下泣下泣したなきにきにきに泣泣なけけけ またまたまた、、、あまだむあまだむあまだむ 輕孃子輕孃子かるおとめ 下々下々しただにもにもにも 倚倚よりりり寢寢ねててて通通とおれれれ 輕孃子輕孃子かるおとめどもどもども是以百官及。天下人等。背輕太子而。歸穴穗御子。爾輕太子畏而。逃入大前小前宿禰大臣之家而。備作兵器。〈爾時所作矢者。銅其箭之內。故號其矢謂輕箭也。〉穴穗王子亦作兵器。〈此王子所作之矢者。卽今時之矢者也。是謂穴穗箭也。〉於是穴穗御子興軍。圍大前小前宿禰之家。爾到其門時。零大冰雨。故歌曰。意富麻幣。袁麻幣須久泥賀。加那斗加宜。加久餘理許泥。阿米多知夜米牟。爾其大前小前宿禰。擧手打膝。儛訶那傳〈自訶下三字以音〉歌參來。其歌曰。美夜比登能。阿由比能古須受。淤知爾岐登。美夜比登登余牟。佐斗毘登母由米。此歌者。宮人振也。如此歌參歸。白之。我天皇之御子。於伊呂兄王無及兵。若及兵者。必人咲。僕捕以貢進。爾解兵退坐。故大前小前宿禰。捕其輕太子。率參出以貢進。其太子。被捕歌曰。阿麻陀牟。加流乃袁登賣。伊多那加婆。比登斯理奴倍志。波佐能夜麻能。波斗能。斯多那岐爾那久。又歌曰。阿麻陀牟。加流袁登賣。志多多爾母。余理泥弖登富禮。加流袁登賣杼母。
- 3かれかれかれ其其そののの輕輕かるののの太子太子ひつぎのみこをばをばをば、、、ののの湯湯ゆににに流流ながちまつりきちまつりきちまつりき。。。またまたまた流流ながたえたえたえ給給たまはむとせしはむとせしわむとせし時時ときににに、、、歌歌うたひひい給給たまはくはくわく、、、天飛天飛あまだぶぶぶ 鳥鳥とりももも使使つかぞぞぞ 田鶴田鶴たづががが音音おんののの 聞聞きこえむえむえむ時時ときははは 我我あががが名名な問問とはさねはさねわさね このこのこの三歌三歌みうたはははなりなりなり。。。又又また歌歌うたひひい給給たまはくはくわく、、、大王大王おおきみををを 島島しまににに放放はぶらばらばらば 船餘船餘ふなあまりりり いいい還還かえりりり來來きむぞむぞむぞ わがわがわが疊疊たたみゆめゆめゆめ 言言いをををこそこそこそ 疊疊たたみといはめといはめといわめ わがわがわが妻妻めはははゆめゆめゆめ 此此こののの歌歌うたははは夷振夷振ひなぶりののの片下片下かたおろしなりなりなり。。。其其そのののののの王王きみ、、、御歌御歌みうたををを獻獻たてまつるるる。。。そのそのその御歌御歌みうた、、、夏草夏草なつくさののの 相寢相寢あいねののの濱濱はまののの 蠣貝蠣貝かきがいににに 足踏足踏あしふますなますなますな 明明あかしてしてして通通とおれれれ故其輕太子者。流於伊余湯也。亦將流之時。歌曰。阿麻登夫。登理母都加比曾。多豆賀泥能。岐許延牟登岐波。和賀那斗波佐泥。此三歌者。天田振也。又歌曰。意富岐美袁。斯麻爾波夫良婆。布那阿麻理。伊賀幣理許牟敍。和賀多多彌由米。許登袁許曾。多多美登伊波米。和賀都麻波由米。此歌者。夷振之片下也。其衣通王。獻歌。其歌曰。那都久佐能。阿比泥能波麻能。加岐賀比爾。阿斯布麻須那。阿加斯弖杼富禮。
- 4かれかれかれ、、、後後のちににに亦亦また戀戀こひかねてひかねてひかねて、、、追追おひひい往往ゆますますます時時ときににに歌歌うたひひい給給たまはくはくわく、、、君君きみががが行行ゆききき けけけ長長ながくなりぬくなりぬくなりぬ ののの 迎迎むかへへえををを行行ゆかむかむかむ 待待まつにつにつにははは待待またじたじたじ (((此此こののの山多豆山多豆やまたづといふといふというははは今今いまののの造木造木たづなりなりなり。。。)))かれかれかれ追追おひひい到到いたりませるりませるりませる時時ときににに、、、待待まちちち懷懷なつひてひてひて歌歌うたひひい給給たまはくはくわく、、、 長谷長谷はつせののの山山やまののの 大峽大峽おおおにににははは 幡帳建幡帳建はたはりだててて 小峽小峽さおにににははは 幡帳立幡帳立はたはりだててて 大峽大峽おおおにしにしにし なかさだめるなかさだめるなかさだめる おもひおもひおもい妻妻めあはれあはれあわれ 槻弓槻弓つくゆみののの 伏伏ふるるる伏伏ふりもりもりも 梓弓梓弓あずさゆみ 立立たてりてりてり立立たてりもてりもてりも 後後のちももも取取とりりり見見みるるる 思妻思妻おもいづまあはれあはれあわれ またまたまた、、、こもりくのこもりくのこもりくの 長谷長谷はつせののの河河かはののの 上上ほつつつ瀨瀨せににに ををを打打うちちち 下下しもつつつ瀨瀨せににに 眞杙眞杙まくいををを打打うちちち 齋杙齋杙いくいにににははは 鏡鏡かがみをををかけかけかけ 眞杙眞杙まくいにににははは 眞玉眞玉またまをををかけかけかけ 眞玉眞玉またまなすなすなす 我我あががが思思おもふふう妹妹いも 鏡鏡かがみなすなすなす 吾吾あががが思思おもふふう妻妻め ありとありとありと いはばこそにいはばこそにいわばこそに 家家いえにもにもにも行行ゆかめかめかめ 國國くにをもをもをも思思しぬばめばめばめ かくかくかく歌歌うたひてひていて、、、卽卽すなわちちち共共ともににに自自ずかららら死死しせせせ給給たまひきひきいき。。。かれこのかれこのかれこの二歌二歌ふたうたはははなりなりなり。。。故後亦不堪戀慕而。追往時。歌曰。岐美賀由岐。氣那賀久那理奴。夜麻多豆能。牟加閇袁由加牟。麻都爾波麻多士。〈此云山多豆者。是今造木者也。〉故追到之時。待懷而。歌曰。許母理久能。波都世能夜麻能。意富袁爾波。波多波理陀弖。佐袁袁爾波。波多波理陀弖。意富袁爾斯。那加佐陀賣流。淤母比豆麻阿波禮。都久由美能。許夜流許夜理母。阿豆佐由美。多弖理多弖理母。能知母登理美流。意母比豆麻阿波禮。又歌曰。許母理久能。波都世能賀波能。賀美都勢爾。伊久比袁宇知。斯毛都勢爾。麻久比袁宇知。伊久比爾波。加賀美袁加氣。麻久比爾波。麻多麻袁加氣。麻多麻那須。阿賀母布伊毛。加賀美那須。阿賀母布都麻。阿理登。伊波婆許曾爾。伊幣爾母由加米。久爾袁母斯怒波米。如此歌。卽共自死。故此二歌者。讀歌也。
現代語訳
天皇がお亡くなりになった後、木梨之軽太子が皇位を継ぐことに決まっていたが、まだ即位なさらないうちに、同母妹の軽大郎女と通じて、お詠みになった歌は、
(あしひきの)山に田を作り、山が高いので地下に樋を通すように、ひそかに求婚した私の妹を、ひそかに泣いて恋した私の妻を、今夜こそは心安らかに肌に触れるのだ。
これは志良宜歌である。また、
笹の葉に打つ霰の音のように、たしかに共寝した後は、人が離れていってもかまわない。いとしいと、共寝さえしたならば、刈った薦のように乱れるなら乱れてもよい。共寝さえしたならば。
これは夷振の上歌である。
こういうわけで、役人たちをはじめ、天下の人々は軽太子に背いて、穴穂御子に心を寄せた。そこで軽太子は恐れて、大前小前宿禰大臣の家に逃げ込み、武器を備え作られた。(そのとき作った矢は、矢じりを銅にした。それでその矢を軽箭という。)
穴穂王子も武器を作られた。(この王子が作らせた矢は、今の矢である。これを穴穂箭という。)そこで穴穂王子は軍を起こして、大前小前宿禰の家を囲まれた。そしてその門に着かれたとき、大粒の雹が降ってきた。そこでお歌いになった歌は、
大前小前宿禰の家の金門の陰に、こうして寄って来い。雨がやむのを待とう。
すると、その大前小前宿禰は、手を挙げ膝を打ち、舞い踊りながら歌ってやって来た。その歌は、
宮人の足結(あゆい)の小鈴が落ちてしまったと、宮人たちが騒いでいる。里の人々も騒ぐなよ。
この歌は宮人振である。こう歌いながらやって来て、「わが天皇の御子よ、同母兄の王を攻めてはなりません。もし攻めたら、きっと人に笑われましょう。私が捕らえて差し出しましょう」と申し上げた。そこで穴穂王子は兵を解いて退かれた。そして大前小前宿禰は、その軽太子を捕らえて連れ出し、差し出した。その太子が捕らえられて歌われた歌は、
(あまだむ)軽の少女よ、ひどく泣いたら人に知られてしまうだろう。羽狭の山の鳩のように、忍び泣きに泣きなさい。
また、
(あまだむ)軽の少女よ、ひそかに寄り添って寝て行きなさい、軽の少女たちよ。
そしてその軽太子を、伊余の湯に流した。また流されようとするとき、お歌いになった歌は、
空を飛ぶ鳥も使いなのだ。鶴の鳴く声が聞こえたら、私の名を言って消息を尋ねてほしい。
この三首は天田振である。またお歌いになった歌は、
大君(私)を島に流したとしても、船に乗りあふれる人ではなく、必ず帰って来るぞ。私の畳を清めて慎んでいなさい。言葉でこそ畳と言うが、私の妻こそ慎んでいなさい。
この歌は夷振の片下である。その衣通王が歌を献じた。その御歌は、
(なつくさの)あいねの浜の牡蠣の貝殻で、足を踏み切らないように。夜が明けてからお行きなさい。
そして後に、また恋しさに耐えかねて、追って行かれたとき、お歌いになった歌は、
あなたが行ってしまってから、日数が長くなりました。山たづの葉のように向かい合うお迎えに行きましょう。もう待ってなどいられません。
(この「山たづ」というのは、今の造木(にわとこ)である。)そして追いつかれたとき、太子は待ち焦がれていて、お歌いになった歌は、
(こもりくの)泊瀬の山の大きな尾根には旗を立て、小さな尾根にも旗を立て、大きな尾根のように、二人の仲を定めた、いとしい妻よ、ああ。槻弓のように伏しているときも、梓弓のように立っているときも、後々まで手に取って
見よう、いとしい妻よ、ああ。
また、
(こもりくの)泊瀬の川の上の瀬に斎杙を打ち、下の瀬に真杙を打ち、斎杙には鏡を掛け、真杙には玉を掛け、その玉のように私が大切に思う妹、鏡のように私が大切に思う妻が、いると言うならば、家にも帰ろう、国をも偲ぼう。
こう歌って、すぐに二人ともに自ら命を絶たれた。そしてこの二首は読歌である。
意訳
皇太子の木梨之軽太子は、同母妹の軽大郎女と愛し合ってしまいます。古代には異母のきょうだいの結婚は許されていましたが、同母のきょうだいの結婚は禁じられていました。この禁を破ったため、人々の心は太子から離れ、弟の穴穂御子(安康天皇)が皇位を得ることになります。
捕らえられた太子は伊予(愛媛県)の道後温泉に流され、「天を飛ぶ鳥も使いだ、鶴の声が聞こえたら私の名を尋ねてくれ」と歌って別れを告げます。残された軽大郎女(衣通王)は、身の光が衣を通して輝くほど美しい皇女でしたが、恋しさに耐えきれず「もう待っていられない」と伊予へ向かいました。
再会した二人は、「玉のように、鏡のように思う妻がいるなら、家にも帰ろう、国も偲ぼう」と歌い、ともに死を選びます。古事記の中でも最も悲しい恋の物語の一つで、多くの歌が歌謡の名(志良宜歌・夷振・天田振・読歌)とともに伝えられています。
語釈・文法注
- 木梨の輕の太子
- 允恭天皇の皇太子。同母妹と通じたことで皇位を失った。
- 奸けて
- 「たはけて」。道に外れた交わりをすること。同母のきょうだいの結婚は禁忌だった。
- 下樋を走せ
- 地中に樋を通して水を引く。人目を忍ぶ恋のたとえ。
- 志良宜歌
- 歌謡の曲名。後半を高く歌い上げる歌とも言われる。
- 夷振の上歌
- 「夷振」は地方風の歌曲、「上歌」は調子を上げて歌う歌。
- 大前小前の宿禰
- 物部氏の人とされる。軽太子をかくまったが、のちに捕らえて差し出した。
- 輕箭・穴穗箭
- 軽太子の作った銅の矢じりの矢と、穴穂王子の作った今の形の矢。
- 加那斗陰
- 金属で飾った門の陰。
- 足結の小鈴
- 袴の膝下を結ぶ紐(足結)につけた鈴。
- 宮人振
- 歌謡の曲名。
- 天飛む・あまだむ
- 「軽」にかかる枕詞。
- 伊余の湯
- 伊予国の温泉。愛媛県松山市の道後温泉。
- 天田振
- 歌謡の曲名。「あまだむ」で始まる歌であることからの名とされる。
- 衣通の王
- 軽大郎女。日本書紀では、允恭天皇の皇后の妹の弟姫を衣通郎姫とし、別人とする。
- 山釿・山多豆
- 「やまたづ」。ニワトコ。葉が向かい合ってつくので「迎へ」にかかる枕詞。
- こもりくの
- 「泊瀬(はつせ)」にかかる枕詞。山に囲まれた地の意。
- 齋杙・眞杙
- 神聖な杭と立派な杭。神を祭るために川に打ち、鏡や玉を掛けた。
- 讀歌
- 歌謡の曲名。節をつけずに読むように歌う歌とされる。
文法
- 原文の「儛訶那傳」
- 「舞ひかなで」。手を挙げ膝を打って舞い踊る。
- 原文の「麻都爾波麻多士」
- 「待つには待たじ」。もう待ってはいられない。
- 休く肌觸れ
- 底本の訓み下しは「今日こそは休く肌觸れ」と刷る。
- なかさだめる
- 底本の訓み下しは「なかさだめる」と刷る。原文は「那加佐陀賣流」。
歌謡
足引の 山田を作り 山高み 下樋を走せ 下聘に 我が聘ふ妹を 下泣に 吾が泣く妻を 今日こそは 休く肌觸れ
- 詠者
- 木梨之軽太子
- 状況
- 同母妹の軽大郎女と通じたときに詠んだ歌(志良宜歌)。
修辞
- 枕詞
- 「足引の」は「山」にかかる。
- 序詞
- 山田に地下の樋を通すことから「下聘(したど)」を導く。
小竹葉に 打つや霰の 慥々に 率寢てむ後は 人議ゆとも 愛はしと 眞寢し眞寢てば 刈薦の 亂れば亂れ 眞寢し眞寢てば
- 詠者
- 木梨之軽太子
- 状況
- 前の歌に続けて詠んだ歌(夷振の上歌)。
修辞
- 序詞
- 笹の葉に打つ霰の音から「たしだしに」を導く。
- 枕詞
- 「刈薦の」は「亂る」にかかる。
大前 小前宿禰が 加那斗陰 かく寄り來ね 雨立ち止めむ
- 詠者
- 穴穂御子(安康天皇)
- 状況
- 大前小前宿禰の家を囲み、雹が降ってきたときに詠んだ歌。
修辞
- 呼びかけ
- 「かく寄り來ね」と呼びかける。
宮人の 足結の小鈴 落ちにきと 宮人轟む 里人もゆめ
- 詠者
- 大前小前宿禰
- 状況
- 手を挙げ膝を打ち、舞いながら穴穂御子のもとに来て歌った歌(宮人振)。
修辞
- 比喩
- 小鈴が落ちたと騒ぐさまに、騒動をたとえる。
天飛む 輕の孃子 甚泣かば 人知りぬべし 羽挾の山の 鳩の 下泣きに泣け
- 詠者
- 木梨之軽太子
- 状況
- 捕らえられたときに軽大郎女に詠んだ歌。
修辞
- 枕詞
- 「天飛む」は「輕」にかかる。
- 比喩
- 鳩の鳴き声のように忍び泣きに泣け。
あまだむ 輕孃子 下々にも 倚り寢て通れ 輕孃子ども
- 詠者
- 木梨之軽太子
- 状況
- 前の歌に続けて詠んだ歌。
修辞
- くり返し
- 「輕孃子」を初めと終わりにくり返す。
天飛ぶ 鳥も使ぞ 田鶴が音の 聞えむ時は 我が名問はさね
- 詠者
- 木梨之軽太子
- 状況
- 伊予の湯に流されるときに詠んだ歌(天田振)。
修辞
- 比喩
- 空を飛ぶ鳥を、二人の間を行き来する使いと見る。
大王を 島に放らば 船餘り い還り來むぞ わが疊ゆめ 言をこそ 疊といはめ わが妻はゆめ
- 詠者
- 木梨之軽太子
- 状況
- 流されるときに、帰りを誓って詠んだ歌(夷振の片下)。
修辞
- くり返し
- 「ゆめ(慎め)」をくり返す。
夏草の 相寢の濱の 蠣貝に 足踏ますな 明して通れ
- 詠者
- 衣通王(軽大郎女)
- 状況
- 流されていく太子に献じた歌。
修辞
- 枕詞
- 「夏草の」は「相寢」にかかる。
君が行き け長くなりぬ 山釿の 迎へを行かむ 待つには待たじ
- 詠者
- 衣通王(軽大郎女)
- 状況
- 恋しさに耐えかねて、太子を追って伊予へ向かうときに詠んだ歌。
修辞
- 枕詞
- 「山釿の」は「迎へ」にかかる。
- 類歌
- 万葉集巻二の磐姫皇后の歌「君が行き日長くなりぬ」と同じ発想の歌。
こもりくの 長谷の山の 大峽には 幡帳建て 小峽には 幡帳立て 大峽にし なかさだめる おもひ妻あはれ 槻弓の 伏る伏りも 梓弓 立てり立てりも 後も取り見る 思妻あはれ
- 詠者
- 木梨之軽太子
- 状況
- 追ってきた衣通王を迎えて詠んだ歌(読歌)。
修辞
- 枕詞
- 「こもりくの」は「長谷」にかかる。
- 対句
- 「大峽には」「小峽には」、「槻弓の」「梓弓」など。
こもりくの 長谷の河の 上つ瀨に 齋杙を打ち 下つ瀨に 眞杙を打ち 齋杙には 鏡をかけ 眞杙には 眞玉をかけ 眞玉なす 我が思ふ妹 鏡なす 吾が思ふ妻 ありと いはばこそに 家にも行かめ 國をも思ばめ
- 詠者
- 木梨之軽太子
- 状況
- 衣通王とともに死ぬ前に詠んだ歌(読歌)。
修辞
- 対句
- 「上つ瀨に」「下つ瀨に」、「眞玉なす」「鏡なす」など対句を重ねる。
解説
軽太子と衣通王の物語は、古事記の歌物語の中でも特に有名で、十二首の歌が歌謡の名とともに記されています。もとは別々に歌われていた歌謡を、一つの悲恋の物語に組み立てたものと考えられています。日本書紀では、軽皇子は伊予に流されたとし、ともに死んだとは記していません。
「君が行きけ長くなりぬ」の歌は、万葉集の巻二の冒頭に磐姫皇后の歌として「君が行き日長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ」と載り、その左注に古事記のこの歌が引かれています。古代の歌が、作者を変えて伝えられていたことがわかります。
関連
出典
- 底本
- 古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。255〜261頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日