古事記 中巻
髪長比売と吉野の国主
応神天皇が日向から召し上げた美しい髪長比売を、太子の大雀命が見そめ、建内宿禰を通じて譲ってほしいと願う。天皇は豊明の宴で、比売に大御酒の柏を持たせて大雀命に与え、「いざ子ども野蒜摘みに」などの歌を詠む。吉野の国主たちは大雀命の太刀をたたえる歌や、大御酒を献じる歌を歌った。
- 1天皇天皇すめらみこと日向日向ひむかののの國國くにののの縣縣あがたののの君君きみののの女女むすめ、、、名名なははは、、、それそれそれ顏美顏美かおよしときこしめしてしときこしめしてしときこしめして、、、使使つかひたまはむとしてひたまはむとしてひたまわむとして、、、喚上喚上めさげげげ給給たまふふう時時ときににに、、、其其そののの太子太子ひつぎのみこ大雀大雀おおさざきののの命命みこと、、、其其そののの少女少女おとめののの波波なみ津津つににに泊泊はてたるてたるてたるををを見見みたまひてたまひてたまいて、、、其其そののの顏美顏美かおよきにきにきに愛愛えでたまひてでたまひてでたまいて、、、卽卽すなわちちち建內建內たけうちののの宿禰宿禰すくねののの大臣大臣おおおみににに誂誂あとらへたまはくへたまはくへたまわく、、、「「「このこのこの日向日向ひむかよりよりより喚上喚上めさげたまへるげたまへるげたまえる髮長比賣髮長比賣かみながひめをばをばをば、、、天皇天皇すめらみことののの大御所大御所おおみもとににに請請こひひひ申申もうしてしてして、、、吾吾あににに賜賜たまはしめよはしめよわしめよ。。。」」」とのりたまひきとのりたまひきとのりたまいき。。。かれかれかれ建內建內たけうちののの宿禰宿禰すくねののの大臣大臣おおおみ、、、大命大命おおみことををを請請こひしかばひしかばひしかば、、、天皇天皇すめらみこと卽卽すなわちちち髮長比賣髮長比賣かみながひめををを其其そののの御子御子みこににに賜賜たまひきひきいき。。。賜賜たまへるへるえる狀狀さまははは、、、天皇天皇すめらみことのののしめすしめすしめす日日ひ、、、髮長比賣髮長比賣かみながひめににに大御酒大御酒おおみきのののををを取取とらしめてらしめてらしめて、、、其其そののの太子太子ひつぎのみこににに賜賜たまひきひきいき。。。こゝにこゝにここに御歌御歌みうたよみしたまはくよみしたまはくよみしたまわく、、、いざいざいざ子子こどもどもども みにみにみに 蒜摘蒜摘ひるつみにみにみに わがわがわが行行ゆくみちのくみちのくみちの 香香かぐはしぐはしぐわし ははは 上上ほつつつ枝枝えははは 鳥鳥とりゐゐい枯枯かららしらしらし 下下しづづず枝枝えははは 人取人取ひととりりりり枯枯かららしらしらし 三栗三栗みつぐりののの 中中なかつつつ枝枝えののの 赤赤あかららら少女少女おとめををを いざささばいざささばいざささば 好好よらしならしならしな またまたまた、、、水渟水渟みずたまるるる ののの池池いけののの ちちち 菱殼菱殼ひしがらののの 刺刺さしけるしらにしけるしらにしけるしらに くりくりくり 延延はへへへけくしらにけくしらにけくしらに 吾吾あががが心心こころししし いやいやいやをををこにしてこにしてこにして 今今いまぞぞぞ悔悔くやしきしきしき かくかくかく歌歌うたはしてはしてわして賜賜たまひきひきいき。。。かれかれかれ其其そののの少女少女おとめををを賜賜たまはははりてりてりて後後のちににに、、、太子太子ひつぎのみこののの詠詠よみたまへるみたまへるみたまえる、、、道道みちののの後後のち ををを 神神かみのごとのごとのごと 聞聞きこえしかどもえしかどもえしかども 相枕纒相枕纒あいまくらまくくく またまたまた、、、道道みちののの後後のち 古波陀少女古波陀少女こはだおとめははは 爭爭あらそはずはずわず 寢寢ねしくしくしくをををしぞもしぞもしぞも 愛愛うるはははしみしみしみ思思おもふふう またまたまた吉野吉野えしぬのののどもどもども、、、大雀大雀おおさざきののの命命みことののの佩佩はかせるかせるかせる御大御大みお刀刀たちををを見見みててて、、、歌歌うたひけらくひけらくいけらく、、、品陀品陀ほむだののの 日日ひののの御子御子みこ 大雀大雀おおさざき 大雀大雀おおさざき 佩佩はかせるかせるかせる大刀大刀たち 末振末振すえふゆゆゆ 冬木冬木ふゆきのすのすのす 枯枯からがらがらが下樹下樹したきののの さや〳〵さや〳〵さやさや またまたまた吉野吉野えしぬののの白橋生白橋生かしふにににををを作作つくりてりてりて、、、其其そののの橫臼橫臼よくすににに大御酒大御酒おおみきををを釀釀かみてみてみて、、、そのそのその大御酒大御酒おおみきををを獻獻たてまつるるる時時ときににに、、、ををを擊擊うちちち、、、伎伎わざををを爲爲なしてしてして、、、歌歌うたひけらくひけらくいけらく、、、白橋白橋かしののの生生ふににに 橫臼橫臼よくすををを作作つくりりり 橫臼橫臼よくすににに 釀釀かみしみしみし大御酒大御酒おおみき 甘甘うまらにらにらに 聞聞きこしもちしもちしもちをををせせせ 我我あがちがちがち このこのこの歌歌うたははわ、、、國主國主くずどもどもどもるるる時々時々ときどき、、、恆恆つねににに今今いまににに至至いたるまでるまでるまで歌歌うたふふう歌歌うたなりなりなり。。。天皇聞看日向國諸縣君之女。名髮長比賣。其顏容麗美。將使而。喚上之時。其太子大雀命。見其孃子泊于難波津而。感其姿容之端正。卽誂告建內宿禰大臣。是自日向喚上之髮長比賣者。請白天皇之大御所而。令賜於吾。爾建內宿禰大臣請大命者。天皇卽以髮長比賣賜于其御子。所賜狀者。天皇聞看豐明之日。於髮長比賣令握大御酒柏。賜其太子。爾御歌曰。伊邪古杼母。怒毘流都美邇。比流都美邇。和賀由久美知能。迦具波斯。波那多知婆那波。本都延波。登理韋賀良斯。志豆延波。比登登理賀良斯。美都具理能。那迦都延能。本都毛理。阿迦良袁登賣袁。伊邪佐佐婆。余良斯那。又御歌曰。美豆多麻流。余佐美能伊氣能。韋具比宇知。比斯賀良能。佐斯祁流斯良邇。奴那波久理。波閇祁久斯良邇。和賀許許呂志。敍伊夜袁許邇斯弖。伊麻敍久夜斯岐。如此歌而賜也。故被賜其孃子之後。太子歌曰。美知能斯理。古波陀袁登賣袁。迦微能碁登。岐許延斯迦杼母。阿比麻久良麻久。又歌曰。美知能斯理。古波陀袁登賣波。阿良蘇波受。泥斯久袁斯敍母。宇流波志美意母布。又吉野之國主等。瞻大雀命之所佩御刀歌曰。本牟多能。比能美古。意富佐邪岐。意富佐邪岐。波加勢流多知。母登都流藝。須惠布由。布由紀能須。加良賀志多紀能。佐夜佐夜。又於吉野之白橋上作橫臼而。於其橫臼釀大御酒。獻其大御酒之時。擊口鼓爲伎而。歌曰。加志能布邇。余久須袁都久理。余久須邇。迦美斯意富美岐。宇麻良爾。岐許志母知袁勢。麻呂賀知。此歌者。國主等獻大贄之時時恆。至于今詠之歌者也。
現代語訳
天皇は、日向の国の諸県君の娘、名は髪長比売が、容姿が美しいとお聞きになって、宮仕えさせようとして召し上げられた。そのとき、太子の大雀命は、その少女が難波津に船を着けたのをご覧になって、その姿の美しさに心ひかれ、すぐに建内宿禰大臣に頼んでおっしゃった。「この日向から召し上げられた髪長比売を、天皇のおそばに願い出て、私にくださるようにしてくれ」。そこで建内宿禰大臣が天皇のお言葉を願い出ると、天皇はすぐに髪長比売をその御子にお与えになった。お与えになった様子は、天皇が豊明(宴)をなさる日に、髪長比売に大御酒を盛った柏の葉を持たせて、その太子にお与えになったのである。そこで天皇がお詠みになった歌は、
さあ若者たちよ、野蒜を摘みに、蒜を摘みに私が行く道の、かぐわしい花橘は、上の枝は鳥がとまって枯らし、下の枝は人が取って枯らしてしまい、(みつぐりの)中ほどの枝の、ふっくらと赤く色づいた少女を、さあ手に入れるがよい、それがよいだろう。
また、
水のたまった依網の池の、堰の杙を打っていたのも知らずに、菱の茎が伸びていたのも知らずに、蓴菜をたぐる手が伸びていたのも知らずに、私の心はなんと愚かであったことか。今になって悔やまれることだ。
こう歌ってお与えになった。そしてその少女をいただいたあとで、太子がお詠みになった歌は、
(みちのしり)古波陀の少女は、神のように近寄りがたいと噂に聞いていたが、今は共寝をすることよ。
また、
(みちのしり)古波陀の少女が、拒みもせずに共寝してくれたことが、いとおしく思われる。
また吉野の国主たちが、大雀命が腰に帯びておられる御太刀を見て歌った歌は、
品陀の日の御子、大雀よ、大雀よ。お帯びになっている太刀は、根もとは剣、先は霊威を振るい、冬枯れの木の下の木々のように、さやさやと鳴ることよ。
また吉野の白檮の林に横臼を作って、その横臼で大御酒を醸して、その大御酒を差し上げるときに、口鼓を打ち、しぐさをして歌った歌は、
白檮の林で横臼を作り、その横臼で醸した大御酒を、おいしく召し上がってください、わが父君よ。
この歌は、国主たちが大贄(土地の産物)を献上するたびに、今に至るまでいつも歌う歌である。
意訳
日向から召し上げられた髪長比売に、太子の大雀命(のちの仁徳天皇)が一目ぼれします。父の天皇が召した女性を息子が願い出るという話ですが、天皇は宴の席で、比売に酒を盛った柏の葉を持たせて息子に与えるという、粋な形で願いをかなえました。
天皇の二首の歌は、「花橘」にたとえた比売を「さあ手に入れよ」と勧める歌と、「池の堰を打っているのも知らずに、菱や蓴菜の茎が伸びるのも知らずにいた、私は愚かだった」と、息子の恋に気づかなかった自分を悔やむ歌です。大雀命はこれに応えて、「神のように近寄りがたいと聞いていた少女と共寝できた」と喜びを歌います。
吉野の国主(国栖)は、吉野の山奥に住む人々で、宮廷の儀式で歌舞を奉納しました。口鼓を打ち、しぐさを交えて歌う「国栖の歌」は、平安時代以降も宮中の節会で演じられ続けました。
語釈・文法注
- 髮長比賣
- 日向の諸県君の娘。仁徳天皇の妃となり、大日下王・若日下部命を生んだ。
- 日向の國の諸縣の君
- 日向国諸県郡(宮崎県南西部から鹿児島県の一部)の豪族。
- 難波津
- 大阪湾にあった港。のちに仁徳天皇の高津宮が置かれた。
- 豐明
- 「とよのあかり」。宮中の宴。酒を飲んで顔が赤らむことからの名という。
- 大御酒の柏
- 柏の葉を器にして酒を盛ったもの。比売に持たせて太子に与えた。
- 野蒜
- ノビル。ネギの仲間の野草。
- 花橘
- 花の咲いた橘。髪長比売をたとえる。
- ほつもり
- 「秀つ守り」か。実がふくらんでいるさま、またはつぼみのふくらんだ枝とする説がある。
- 依綱の池
- 大阪市住吉区・堺市の辺りにあった依網池。
- 堰杙
- 「ゐぐひ」。池の堰に打ち込む杙。
- 蓴
- 「ぬなは」。ジュンサイ。水草で、茎が長く伸びる。
- 古波陀少女
- 日向の古波陀(地名)の少女。髪長比売のこと。「道の後(みちのしり)」は都から遠い国の意で、日向を言う。
- 吉野の國主
- 「くず」。国栖。吉野川上流(奈良県吉野町の国栖)に住んでいた人々。宮廷に土地の産物を献じ、歌舞を奏した。
- 本劒・末振ゆ
- 太刀の根もとは剣のように鋭く、先は霊威を振るう、の意か。
- 橫臼
- 「よくす」。横に長い臼か。酒を醸すのに用いた。
- 口鼓
- 口で鼓のような音を出すこと。国栖の歌舞の特徴。
- 大贄
- 「おほにへ」。天皇に献上する土地の産物。
文法
- 原文の「敍伊夜袁許邇斯弖」
- 底本は原文の「敍伊」の二字を枠で囲んで刷る。訓み下しは「いやをこにして」。
- 原文の「比斯賀良能」
- 底本は原文の「比斯」「良能」を枠で囲んで刷る。翻刻では枠を入れなかった。
- 原文の「泥斯久袁斯敍母」
- 底本の原文は「泥斯久袁斯敍母」と刷り、訓み下しは「寢しくをしぞも」とする。
- いざささば好らしな
- 「さあ(手を)さしのべれば、よいだろうよ」。「好らし」は「よろし」の古い形。
- 白橋
- 底本は「白橋」と刷り、「かし」とふりがなを付ける。白檮(かし)のこと。
- 我がち
- 原文は「麻呂賀知」。「まろがち」は「わが父」の意で、天皇への親しみをこめた呼びかけとされる。
歌謡
いざ子ども 野蒜摘みに 蒜摘みに わが行くみちの 香ぐはし 花橘は 上つ枝は 鳥ゐ枯らし 下づ枝は 人取り枯らし 三栗の 中つ枝の ほつもり 赤ら少女を いざささば 好らしな
- 詠者
- 応神天皇
- 状況
- 豊明の宴で、髪長比売を太子の大雀命に与えるときに詠んだ歌。
修辞
- 比喩
- 花橘の中ほどの枝の実に、髪長比売をたとえる。
- 対句
- 「上つ枝は鳥ゐ枯らし」「下づ枝は人取り枯らし」。
- 枕詞
- 「三栗の」は「中」にかかる。
水渟る 依綱の池の 堰杙打ち 菱殼の 刺しけるしらに 蓴くり 延へけくしらに 吾が心し いやをこにして 今ぞ悔しき
- 詠者
- 応神天皇
- 状況
- 前の歌に続けて詠んだ歌。息子の恋心に気づかなかった自分を悔やむ。
修辞
- 比喩
- 池の菱や蓴菜の茎がいつの間にか伸びていたことに、息子の恋がひそかに育っていたことをたとえる。
道の後 古波陀少女を 神のごと 聞えしかども 相枕纒く
- 詠者
- 大雀命(仁徳天皇)
- 状況
- 髪長比売を賜わったあとに詠んだ歌。
修辞
- 比喩
- 近寄りがたい少女を「神のごと」とたとえる。
道の後 古波陀少女は 爭はず 寢しくをしぞも 愛はしみ思ふ
- 詠者
- 大雀命(仁徳天皇)
- 状況
- 前の歌に続けて詠んだ歌。
修辞
- くり返し
- 初句・二句を前の歌とそろえて歌い継ぐ。
品陀の 日の御子 大雀 大雀 佩かせる大刀 本劒 末振ゆ 冬木のす 枯らが下樹の さや〳〵
- 詠者
- 吉野の国主
- 状況
- 大雀命の帯びた太刀を見てたたえた歌。
修辞
- くり返し
- 「大雀 大雀」と名をくり返して呼びかける。
- 擬音
- 結びの「さやさや」は太刀の鳴る音、また冬枯れの木々の鳴る音。
白橋の生に 橫臼を作り 橫臼に 釀みし大御酒 甘らに 聞しもちをせ 我がち
- 詠者
- 吉野の国主
- 状況
- 吉野の白檮の林で醸した大御酒を献上するときに、口鼓を打ち、しぐさをして歌った歌。
修辞
- くり返し
- 「橫臼を作り 橫臼に」と語をくり返して歌い継ぐ。
解説
髪長比売の話は、日本書紀にもほぼ同じ形で記されています。父の天皇が召し上げた女性を息子に譲るという筋は、のちに天皇となる大雀命の人柄と、父子の和やかな関係を示すものとして語られています。
吉野の国栖(くず)は、吉野の山中に住み、独自の習俗をもつ人々とされ、宮廷の大嘗祭や節会で「国栖奏」を奏しました。この段の二首は、その国栖奏の歌の起源を語るものです。奈良県吉野町の浄見原神社では、今も国栖奏が伝えられています。
関連
出典
- 底本
- 古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。213〜215頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日