蜻蛉日記 下巻 第56章
巻末歌集(一)
日記の本文のあとに、後の人が道綱母の歌を集めて書き加えた歌集がある。前半には、仏名の朝の雪、兼家に代わって詠んだ子の日の歌、陸奥へ下る兄弟との贈答、道綱に代わって女に贈った歌、兼家の病のときの歌などを収める。
- 1佛佛ぶつ名名みょうのののあしたあしたあしたににに雪雪ゆきののの降降ふりりりけれけれければばば、、、
- 2「「「年年としののの內內うちににに積積つみみみ消消けすすす庭庭にわにににふるふるふる雪雪ゆきはははつとめてつとめてつとめてのののちちちはははつもらつもらつもらざらざらざらなむなむなん」」」。。。
- 3殿殿とのかなかなかな給給たまひひいててて久久ひさしうしうしゅうありありありててて、、、七月七月しちがつ十五日十五日じゅうごにちぼとぼとぼとのののことことことなななきききこえこえこえのたまへのたまへのたまえるるるつかつかつかそそそつかつかつかそそそとととよよよ
- 4「「「かゝりかゝりかかりけるけるけるこのこのこの世世よももも知知しらららずずず今今いまとてとてとてやややあはれあはれあわれはちすはちすはちすののの露露つゆをををまつまつまつらむらむらん」」」。。。
- 5四四しののの宮宮みやののの御御おんねねねののの日日ひににに、、、殿殿とのにににかはりかはりかわり奉奉たてまつりりりててて、、、
- 6「「「峰峰みねののの松松まつおのおのおのがががよはひよはひよわいののの數數かずよりよりよりもももいまいまいまいくいくいく千千ち世世よぞぞぞきみきみきみにににひかひかひかれれれててて」」」。。。
- 7そのそのその子子ねののの日日ひののの日日にっ記記きををを宮宮みやににに侍侍さぶらふふう人人ひとににに、、、借借かりりり給給たまへへえりりりけるけるけるををを、、、そのそのその年年としははは后后きさい宮宮のみやうせうせうせさせさせさせ給給たまへへえりりりけるけるけるほどほどほどににに暮暮くれれれはてはてはてぬれぬれぬればばば、、、又又またののの年年としののの春春はるかへしかへしかへし給給たまふふうとてとてとて、、、はしはしはしににに、、、
- 8「「「袖袖そでののの色色いろかはれかはれかわれるるる春春はるををを知知しらららずずずしししてててこぞこぞこぞにににならへならへならえるるる野野の邊邊べのののまつまつまつらむらむらん」」」。。。
- 9內內ない侍侍しのののかんかんかんののの殿殿との、、、「「「天天あまののの羽羽は衣衣ごろもととといふいふいう題題だいをををよみよみよみててて」」」ととと聞聞きこえさせえさせえさせ給給たまへへえりりりけれけれければばば、、、
- 10「「「ぬれぬれぬれぎぬぎぬぎぬににに天天あまののの羽羽は衣衣ごろもむすびむすびむすびけりけりけりかつかつかつはははもしほもしほもしおののの火火ひをををししし消消けたたたねねねばばば」」」。。。
- 11みちみちみちののの國國くににににをかしかりをかしかりおかしかりけるけるける所所ところ々々どころををを繪繪えににに書書かきききててて、、、もてもてもてのぼりのぼりのぼりててて見見みせせせ給給たまひひいけれけれければばば、、、
- 12「「「みちみちみちのののくくくのののちがちがちがののの島島しまにににててて見見みましましましかかかばばばいかにいかにいかに躑躑つつ躅躅じのののをかしからをかしからおかしからましましまし」」」。。。
- 13あるあるある人人ひと加加か茂茂もののの祭祭まつりののの日日ひ婿婿むことりとりとりせせせむむんとととするするするににに、、、男男おとこのののもともともとよりよりよりあふひあふひあうい嬉嬉うれしきしきしきよしよしよしいひいひいいおこせおこせおこせたりたりたりけるけるけるかへりかへりかえりごとごとごとににに、、、人人ひとにににかはりかはりかわりててて、、、
- 14「「「たのみたのみたのみずずずななな御御み垣垣かきをををせばみせばみせばみあふひあふひあういはははゝゝはしめしめしめのののほかほかほかにににありありありととといふいふいうなりなりなり」」」。。。
- 15親親おやののの御御おん忌忌いにににててて、、、一一ひとつつつ所所ところにににはらかはらかはらかたちたちたちあつりあつりあつりててておはするおはするおわするををを、、、ことことこと人人ひと々々びとははは忌忌いみみみはてはてはてゝゝて家家いえににに歸歸かえりりりぬるぬるぬる一一ひと人人りとまりとまりとまりててて、、、
- 16「「「深深ふか草草くさのののやとやとやとににになりなりなりぬるぬるぬるやどやどやどもももなどなどなどとまれとまれとまれるるるつゆつゆつゆのののたのもしげたのもしげたのもしげなきなきなき」」」。。。
- 17かへしかへしかへし、、、ためまさためまさためまさののの朝朝あ臣臣そん、、、
- 18「「「深深ふか草草くさののの誰誰たれもももこゝろこゝろこころにににしげりしげりしげりつゝつゝつつあさちあさちあさちがががはらはらはらのののつゆつゆつゆにににけけけぬぬぬべしべしべし」」」。。。
- 19當當とう代代だいののの御御おんいかいかいかににに、、、ゐのこゐのこいのこのののかたかたかたををを作作つくりりりたりたりたりけるけるけるににに、、、
- 20「「「よろづよろづよろず世世よをををよばふよばふよばう山山やまべべべののの猪猪いののの子子ここそこそこそきみきみきみがががつかふるつかふるつかうるよはひよはひよわいなるなるなるべしべしべし」」」。。。
- 21殿殿とのよりよりより八八や重重え山山やま吹吹ぶきををを奉奉たてまつらせらせらせ給給たまへへえりりりけるけるけるににに、、、
- 22「「「誰誰たれかかかこのこのこの數數かずははは定定さだめめめしししわれわれわれはははたゞたゞただとへとへとへとととぞぞぞおもふおもふおもうやまぶきやまぶきやまぶきのののはなはなはな」」」。。。
- 23はらからはらからはらからののの、、、みちみちみちのののくにくにくにののの守守かみにににててて下下しもるるるををを長長なが雨雨あめしししけるけるける頃頃ころ、、、そのそのその下下しもるるる日日ひ、、、晴晴はれれれたりたりたりけれけれければばば、、、かかかののの國國くににににかはくかはくかわくととといふいふいう神神かみありありあり。。。
- 24「「「我我わががが國國くにののの神神かみのののまもりまもりまもりややや添添そへへえりりりけむけむけんかはくかはくかわくげげげかりかりかりしししあまあまあまつつつ空空そらかなかなかな」」」。。。
- 25かへしかへしかへし、、、
- 26「「「今今いまぞぞぞ知知しるるるかはくかはくかわくととと聞聞きけけけばばば君君きみがががためためため天天あま照照てるるる神神かみののの名名なにににこそこそこそはははあれあれあれ」」」。。。
- 27鶯鶯うぐいす、、、柳柳やなぎののの枝枝えだにににありありありととといふいふいう題題だいををを、、、
- 28「「「我我わががが宿宿やどのののやなぎやなぎやなぎののの糸糸いとははは細細ほそくくくともともとも來來きるるるうぐひすうぐひすうぐいすははは絕絕たえええずずずもももあらあらあらなむなむなん」」」。。。
- 29傅傅ふののの殿殿との、、、始始はじめめめめててて女女おんなのののがりがりがりやりやりやり給給たまふふうにににかはりかはりかわりててて、、、
- 30「「「今日今日きょうぞぞぞとととやややつらくつらくつらく待待まちちち見見みむむんわわわががが戀戀こいははは始始はじめもももなきなきなきかかかこなたこなたこなたなるなるなるらむらむらん」」」。。。
- 31度度たび々々たびのののかへりかへりかえり事事ことなりなりなりけれけれければばば、、、時時ほとと鳥鳥ぎすのののかたかたかたをををつくりつくりつくりててて、、、
- 32「「「飛飛とびびびちがふちがふちがう鳥鳥とりのののつばさつばさつばさをををいかなれいかなれいかなればばばすだつすだつすだつ歎歎なげきききににに返返かえさささゞるゞるざるらむらむらん」」」。。。
- 33猶猶なお返返かえりりり事事ことせせせざりざりざりけれけれければばば、、、
- 34「「「さゝがにさゝがにささがにのののいかにいかにいかになるなるなるらむらむらん今日今日きょうだにだにだにももも知知しらららばばばややや風風かぜののの亂亂みだるるる氣氣け色色しきををを」」」。。。
- 35又又また、、、
- 36「「「絕絕たえええてててなほなほなおすみすみすみのののえええににになきなきなき中中なかならならならばばばきしきしきしににに生生おふふうなるなるなるくさくさくさもももがながながなきみきみきみ」」」。。。
- 37かへしかへしかへし、、、
- 38「「「すみよしすみよしすみよしののの岸岸きしににに生生おふふうとととははは知知しりりりにににけりけりけりつまつまつまむむん摘摘つまままじじじはははきみきみきみがががまにまにまにまにまにまに」」」。。。
- 39さねかたさねかたさねかたののの兵兵ひょう衞衞えののの佐佐すけにににあはすあはすあわすべしべしべしととと聞聞ききききたまひたまひたまいててて、、、少少しょう將將しょうにににぞぞぞおはしおはしおわしけるけるけるほどほどほどのののことことことなるなるなるべしべしべし、、、
- 40「「「かしはぎかしはぎかしわぎののの森森もりだにだにだにしげくしげくしげく聞聞きくくくものものものをををなどなどなどかかか三三み笠笠かさののの山山やまのののかひかひかいなきなきなき」」」。。。
- 41かへしかへしかへし、、、
- 42「「「かしはぎかしはぎかしわぎののの三三み笠笠かさのののやまやまやまももも夏夏なつなれなれなればばばしげりしげりしげりどどどあやあやあやななな人人ひとののの知知しらららなくなくなく」」」。。。
- 43かへりかへりかえりごとごとごとするするするををを、、、親親おやからからからはらはらはら制制せいすすすととと聞聞ききききててて、、、まろまろまろ小小こ菅菅すげにににさしさしさしててて、、、
- 44「「「うちうちうちそばみそばみそばみ君君きみ一一ひと人人り見見みよよよまろまろまろこすげこすげこすげまろまろまろははは一一ひとすげすげすげなしなしなしととといふいふいうなりなりなり」」」。。。
- 45わづらひわづらひわずらい給給たまひひいててて、、、
- 46「「「うつせうつせうつせがはがはがわ淺淺あささささののの程程ほどももも知知しらららはじはじはじととと思思おもひひいしししわれわれわれやややまづまづまず渡渡わたりりりなななむむん」」」。。。
- 47かへしかへしかへし、、、
- 48「「「みつせみつせみつせ川川がわわれわれわれよりよりよりさきさきさきににに渡渡わたりりりなななばばばみぎはみぎはみぎわにににわぶるわぶるわぶる身身みとととやややなりなりなりなななむむん」」」。。。
- 49かへりかへりかえりごとごとごと、、、するするするをりをりおりせせせぬぬぬをりをりおりのののありありありけれけれければばば、、、
- 50「「「かくかくかくめりめりめりととと見見みれれればばば絕絕たえええぬるぬるぬるさゝがにさゝがにささがにののの糸糸いとゆゑゆゑゆえ風風かぜのののつらくつらくつらくもももあるあるあるかなかなかな」」」。。。
- 51七月七月しちがつ七日七日なのか、、、
- 52「「「七七たな夕夕ばたにににけさけさけさひくひくひく糸糸いとののの露露つゆをををにににもももみたわむみたわむみたわむけしきけしきけしきももも見見みでででややややみやみやみなななむむん」」」。。。
- 53これこれこれはははあしたあしたあしたののの、、、
- 54「「「わろわろわろよりよりよりあしたあしたあしたのののそでそでそでぞぞぞぬれぬれぬれにににけるけるけるなになになにををを晝晝ひるまままののの慰慰なぐさめめめにににせせせむむん」」」。。。
現代語訳
仏名会の翌朝に雪が降ったので、
「年の内に積もった罪を消す(仏名の)庭に降る雪は、早朝の勤行の後は、もう積もらないでほしいものです」
殿(兼家)が……なさって久しくして、七月十五日、……(底本のまま)
「このような(無常の)世とも知らずに、今になって、ああ、蓮の露を待つのでしょうか」
四の宮の御子の日の遊びに、殿(兼家)に代わって、
「峰の松は、自分の齢の数よりも、これからさらに幾千年を加えることでしょう。あなた(宮)に引かれて」
その子の日の日記を、宮にお仕えする人から(兼家が)お借りになったが、その年は后の宮がお亡くなりになったころに年が暮れてしまったので、翌年の春に返しなさるというので、端に、
「(喪服に)袖の色が変わった春とも知らずに、去年のように野辺の松は(子の日を)待っているのでしょうか」
尚侍の殿が、「『天の羽衣』という題で詠んで」と申し上げなさったので、
「濡れ衣に天の羽衣を結びました。一方では藻塩の火を消さないので(乾くでしょう)」
陸奥国の趣深い所々を絵に描いて、持って上京してお見せになったので、
「陸奥の千賀の島で見たならば、どんなに躑躅が趣深かったことでしょう」
ある人が賀茂の祭の日に婿取りをしようとしたところ、男のもとから「逢う日(葵)がうれしい」ということを言ってきた返事に、人に代わって、
「頼みにしないでください。御垣が狭いので、葵(逢う日)は、標の外にあるということです」
親の御忌みで、一つ所に兄弟たちが集まっていらっしゃったのを、ほかの人々は忌みが明けて家に帰ってしまったのに、一人残って、
「深草の宿となってしまったこの家にも、どうして残っている露(私)が、心細いのでしょう」
返しは、為雅朝臣、
「深草のように、誰も心に(悲しみが)茂りながら、浅茅が原の露のように消えてしまいそうです」
当代(円融天皇)の御五十日の祝いに、猪の子の形を作ったものに、
「万代を呼ぶ山辺の猪の子こそ、あなたがお仕えする御齢(の長さ)なのでしょう」
殿から八重山吹を贈ってこられたので、
「誰がこの(花びらの)数を定めたのでしょう。私はただ、(八重ではなく一重でも)訪れてほしいと思う山吹の花です」
兄弟が陸奥国の守として下るのに、長雨の続いていたころ、その下る日に晴れたので、あの国に「かはく」という神がいる(ので)、
「わが国の神の守りが添ったのでしょうか。乾いたように晴れた天の空ですね」
返しは、
「今こそ知りました。『かはく』と聞けば、あなたのために天照る神の名だったのです」
「鶯が柳の枝にいる」という題で、
「わが宿の柳の糸は細くても、来る鶯は絶えずにいてほしいものです」
傅の殿(道綱)が初めて女のもとに(手紙を)おやりになるのに代わって、
「今日こそはと、つらい思いで待って見ることでしょう。私の恋は、始まりもないのに、こちら側だけなのでしょうか」
たびたびの返事が(来ない)ので、ほととぎすの形を作って、
「飛び交う鳥の翼を、どうして巣立つ嘆きに返さないのでしょう」
やはり返事をしなかったので、
「蜘蛛はどうなるのでしょう。今日だけでも知りたいものです、風の乱れる様子を」
また、
「絶えてやはり住むこともない仲なら、岸に生えるという(忘れ)草があればよいのに」
返しは、
「住吉の岸に生えるとは知りました。摘むか摘まないかは、あなたの心のままに」
実方の兵衛佐に(娘を)結婚させようとお聞きになって、少将でいらっしゃったころのことであろう、
「柏木の森でさえ茂っていると聞くのに、どうして三笠の山(近衛の私)は甲斐がないのでしょう」
返しは、
「柏木の三笠の山も夏なので茂っていますが、わけもなく人は知らないのです」
返事をするのを、親から(兄弟から)制していると聞いて、丸小菅に挿して、
「そっと横を向いて、あなた一人で見てください。丸小菅、私は一筋もない(他意はない)ということです」
(兼家が)病気になられて、
「三途の川の浅さのほども知るまいと思っていた私が、先に渡ってしまうのだろうか」
返しは、
「三途の川を私より先に渡ってしまったら、水際で嘆く身となるのでしょうか」
返事を、する時としない時があったので、
「このように(巣をかけている)と見ると絶えてしまう蜘蛛の糸のために、風がつらいことです」
七月七日、
「七夕に今朝引く糸の露が……たわむ様子も見ないで終わるのでしょうか」
これは翌朝の(歌)、
「別れるときより、翌朝の袖の方が濡れてしまいました。何を昼間の慰めにしましょう」
意訳
〔巻末歌集〕日記の本文の後に、後の人が道綱母の歌を集めて書き加えた歌集が続く。底本の注記には「以下後人所補歟」とある。日記に収められなかった歌が中心で、本文と重なる歌もある。
〔代作の歌〕兼家や道綱に代わって詠んだ歌が多い。四の宮の子の日の歌、尚侍への天の羽衣の題詠、道綱が初めて女に贈る歌などである。
〔家族との歌〕陸奥守として下る兄弟を送る歌、親の忌みに残された兄弟との贈答、病の兼家との三途の川の贈答など、身近な人々との歌も収められている。
語釈・文法注
文法
- 「佛名」
- 仏名会。十二月に三世の諸仏の名を唱えて罪障を懺悔する法会。
- 「殿かな給ひて…つかそつかそとよ」
- 底本どおり。注記に「八字御返り事にイ」などとあり、意味がとりにくい。
- 「はちすの露」
- 蓮の露。七月十五日の盂蘭盆にちなみ、極楽往生を願う。
- 「四の宮の御ねの日」
- 四の宮の子の日の遊び。正月の子の日に野に出て小松を引く行事。
- 「后宮うせさせ給へりける」
- 底本の注記に「安子村上后」とある。
- 「內侍のかんの殿」
- 尚侍。兼家の娘、超子(ちょうし)をさすか。
- 「ちがの島」
- 千賀の塩竈(宮城県)の島。
- 「あふひはゝしめの」
- 底本どおり。注記に異文がある。
- 「はらかたちあつりて」
- 底本どおり。注記に「ら」の異文があり、「はらからたち集まりて」と解する。
- 「やとになりぬる」
- 底本どおり。注記に「ど」の異文がある。
- 「ためまさの朝臣」
- 藤原為雅。作者の姉の夫。
- 「當代の御いか」
- 当代(円融天皇)の御五十日(いか)の祝い。
- 「ゐのこ」
- 猪の子。多産にちなむ祝いの品。
- 「かはく」
- 陸奥国の神の名。「乾く」を掛ける。
- 「傅の殿」
- 東宮傅、藤原道綱。のちの官職名で記している。
- 「始もなきかこなたなるらむ」
- 底本どおり。注記に異文がある。
- 「すだつ」
- 巣立つ。
- 「すみのえ」
- 住の江。「住み」を掛ける。
- 「さねかたの兵衞の佐」
- 藤原実方か。
- 「かしはぎ」
- 柏木。兵衛・衛門の別称。
- 「三笠の山」
- 近衛の別称。少将(近衛)の自分をいう。
- 「まろ小菅」
- 丸小菅。小菅を丸く束ねたもの。
- 「うつせがは」
- 三途の川。
- 「知らはじ」
- 底本どおり。注記に「れ」の異文がある。
- 「かくめりと」
- 底本どおり。意味がとりにくい。
- 「露をにもみたわむ」
- 底本どおり。注記に異文があり、意味がとりにくい。
- 「わろより」
- 底本どおり。注記に異文があり、「別れより」の意か。
和歌
年の內に積み消す庭にふる雪はつとめてのちはつもらざらなむ
- 詠者
- 道綱母
- 状況
- 仏名会の翌朝に雪が降ったときの歌。
修辞
- 掛詞
- 「積み」に雪が「積み」と「罪」を掛ける。
かゝりけるこの世も知らず今とてやあはれはちすの露をまつらむ
- 詠者
- 道綱母
- 状況
- 七月十五日の歌。詞書は底本で意味がとりにくい。
峰の松おのがよはひの數よりもいまいく千世ぞきみにひかれて
- 詠者
- 道綱母
- 状況
- 四の宮の子の日に、兼家に代わって詠んだ歌。
修辞
- 掛詞
- 「ひかれて」に子の日の小松を「引かれ」と、宮に「引かれ(あやかって)」を掛ける。
袖の色かはれる春を知らずしてこぞにならへる野邊のまつらむ
- 詠者
- 道綱母
- 状況
- 后の宮の崩御の翌春、子の日の日記を返すときに端に書いた歌。
修辞
- 掛詞
- 「まつ」に「松」と「待つ」を掛ける。
ぬれぎぬに天の羽衣むすびけりかつはもしほの火をし消たねば
- 詠者
- 道綱母
- 状況
- 尚侍に「天の羽衣」の題で詠むよう求められた歌。
みちのくのちがの島にて見ましかばいかに躑躅のをかしからまし
- 詠者
- 道綱母
- 状況
- 陸奥の名所を描いた絵を見せられて詠んだ歌。
たのみずな御垣をせばみあふひはゝしめのほかにありといふなり
- 詠者
- 道綱母
- 状況
- 賀茂祭の日の婿取りで、人に代わって男への返事に詠んだ歌。
修辞
- 掛詞
- 「あふひ」に「葵」と「逢ふ日」を掛ける。
深草のやとになりぬるやどもなどとまれるつゆのたのもしげなき
- 詠者
- 道綱母
- 状況
- 親の忌みに、兄弟が帰った後も一人残って詠んだ歌。
深草の誰もこゝろにしげりつゝあさちがはらのつゆにけぬべし
- 詠者
- 藤原為雅
- 状況
- 作者への返歌。
よろづ世をよばふ山べの猪の子こそきみがつかふるよはひなるべし
- 詠者
- 道綱母
- 状況
- 円融天皇の五十日の祝いに、猪の子の形の作り物に添えた歌。
誰かこの數は定めしわれはたゞとへとぞおもふやまぶきのはな
- 詠者
- 道綱母
- 状況
- 兼家から八重山吹を贈られて詠んだ歌。
修辞
- 掛詞
- 「とへ」に「十重」と「問へ(訪れよ)」を掛ける。
我が國の神のまもりや添へりけむかはくげかりしあまつ空かな
- 詠者
- 道綱母
- 状況
- 陸奥守として下る兄弟の出立の日が晴れたときの歌。
修辞
- 掛詞
- 「かはく」に神の名と「乾く」を掛ける。
今ぞ知るかはくと聞けば君がため天照る神の名にこそはあれ
- 詠者
- 作者の兄弟
- 状況
- 作者への返歌。
我が宿のやなぎの糸は細くとも來るうぐひすは絕えずもあらなむ
- 詠者
- 道綱母
- 状況
- 「鶯、柳の枝にあり」の題で詠んだ歌。
今日ぞとやつらく待ち見むわが戀は始もなきかこなたなるらむ
- 詠者
- 道綱母
- 状況
- 道綱が初めて女に手紙を送るのに代わって詠んだ歌。
飛びちがふ鳥のつばさをいかなればすだつ歎きに返さゞるらむ
- 詠者
- 道綱母
- 状況
- 返事のない女に、ほととぎすの作り物に添えて贈った歌。
さゝがにのいかになるらむ今日だにも知らばや風の亂る氣色を
- 詠者
- 道綱母
- 状況
- 同じ女に重ねて贈った歌。
絕えてなほすみのえになき中ならばきしに生ふなるくさもがなきみ
- 詠者
- 道綱母
- 状況
- 同じ女に贈った歌。
修辞
- 掛詞
- 「すみのえ」に「住の江」と「住み」を掛ける。
すみよしの岸に生ふとは知りにけりつまむ摘まじはきみがまにまに
- 詠者
- 女
- 状況
- 道綱への返歌。
かしはぎの森だにしげく聞くものをなどか三笠の山のかひなき
- 詠者
- 道綱母
- 状況
- 少将であった道綱が、娘を実方に嫁がせると聞いて詠んだ歌の代作。
かしはぎの三笠のやまも夏なればしげりどあやな人の知らなく
- 詠者
- 女
- 状況
- 返歌。
うちそばみ君一人見よまろこすげまろは一すげなしといふなり
- 詠者
- 道綱母
- 状況
- 返事を親兄弟が制していると聞いて、丸小菅に挿して贈った歌。
修辞
- 掛詞
- 「まろ」に「丸」と「麿(私)」、「すげ」に「菅」と「筋」をひびかせる。
うつせがは淺さの程も知らはじと思ひしわれやまづ渡りなむ
- 詠者
- 藤原兼家
- 状況
- 病気になったときの歌。
みつせ川われよりさきに渡りなばみぎはにわぶる身とやなりなむ
- 詠者
- 道綱母
- 状況
- 兼家への返歌。
かくめりと見れば絕えぬるさゝがにの糸ゆゑ風のつらくもあるかな
- 詠者
- 道綱母
- 状況
- 返事をする時としない時があったので詠んだ歌。
七夕にけさひく糸の露をにもみたわむけしきも見でややみなむ
- 詠者
- 道綱母
- 状況
- 七月七日の歌。
わろよりあしたのそでぞぬれにけるなにを晝まの慰めにせむ
- 詠者
- 道綱母
- 状況
- 七夕の翌朝の歌。
解説
日記の本文の後には、後の人が道綱母の歌を集めて書き加えた「巻末歌集」がある。底本の冒頭の注記には「以下後人所補歟」とあり、末尾には「心得ぬ所々は本のまゝに書けり。賀の歌は日記にあれば書かず」と、集めた人の言葉が記されている。
収められた歌は、日記の時期以後のものも含み、兼家・道綱の代作や、家族・知人との贈答が多い。道綱を「傅の殿」と、のちの官職(東宮傅)で呼んでいることからも、日記より後にまとめられたことがわかる。本文の乱れが多く、意味のとりにくい詞書もあるが、底本のまま翻刻した。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、160–163頁(コマ83–84)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日