蜻蛉日記 下巻 第54章
疱瘡の流行と堀河殿の歌
天延二年七月、遠度が人の妻を盗んで隠れているという噂が立ち、作者はかえって安堵する。八月、疱瘡が流行して道綱も重くわずらうが、九月には治る。伊尹の子の挙賢・義孝の兄弟が同じ日に亡くなる。道綱は大和の女と車の轅が触れ合ったのを機に歌を贈る。十月、太政大臣兼通から、作者の「いかなる駒か」の歌を聞き知った歌が届き、作者は返歌を贈る。
- 1そのそのその程程ほどににに左左さ京京きょうののの官官かんうせうせうせ給給たまひひいぬぬぬととと物物ものすすすべかべかべかめるめるめる。。。內內うちにににももも愼愼つつしみみみ深深ふこうううててて山山やま寺寺でらににになどなどなどしげうしげうしぎょうててて、、、時時とき々々どき驚驚おどろかしかしかしてててみなみなみなつきつきつきもももはてはてはてぬぬぬ。。。七月七月しちがつににになりなりなりぬぬぬ。。。八月八月はちがつ近近ちかききき心心こころちちちするするするににに、、、見見みるるる人人ひとははは猶猶なおいといといとうらうらうら若若わかくくく、、、いかならいかならいかならむむんととと思思おもふふうとととしげきしげきしげきにににまぎれまぎれまぎれててて、、、わわわががが思思おもふふうとととははは今今いまははは絕絕たえええ果果はてててににになりなりなり。。。七月七月しちがつ中中なかののの十日十日とおかばかりばかりばかりににになりなりなりぬぬぬ。。。かうかうこうののの君君きみいといといとあさりあさりあさり、、、かれかれかれははは我我わををを賴賴たのみみみたるたるたるかなかなかなととと思思おもふふう程程ほどににに、、、或或ある人人ひとのののいふいふいうやうやうよう「「「こまこまこまのののかんかんかんののの君君きみはははもともともとのののめめめををを盜盜ぬすみみみとりとりとりてててなむなむなんあるあるあるとととそろそろそろににに隱隱かくれれれゐゐい給給たまへへえるるる。。。いみじういみじういみじゅうをこをこおこなるなるなる事事ことににになむなむなん世世よにににもももいひいひいい騷騷さわぐぐぐなるなるなる」」」ととと聞聞ききききつれつれつればばば、、、我我わははは限限かぎりなくなくなくめやすいめやすいめやすい事事ことをををももも聞聞きくくくかなかなかな、、、月月つきののの過過すぐるぐるぐるにににいかにいかにいかにいひいひいいやらやらやらむむんととと思思おもひひいつるつるつるにににととと思思おもふふうものものものからからから、、、怪怪あやしししののの心心こころやややとととははは思思おもひひいなななむむんかしかしかし。。。さてさてさて又又また文文ふみありありあり。。。見見みれれればばば人人ひとしもしもしも問問とひひいたらたらたらむむんやうやうようににに「「「いでいでいであなあなあなあさましあさましあさましややや。。。心心こころにににもももあらあらあらぬぬぬ事事ことををを聞聞きこえさせえさせえさせはつはつはつべきべきべきにににもももすすすまじまじまじ。。。かゝらかゝらかからぬぬぬすぢすぢすじにににてててもももとりとりとり聞聞きこえさするえさするえさする事事こと侍侍はべりりりしかしかしかばばば、、、さりさりさりともともとも」」」などなどなどぞぞぞあるあるある。。。かへりかへりかえりごとごとごと「「「心心こころにににもももあらあらあらぬぬぬことことことのたまはせのたまはせのたまわせたるたるたるははは、、、何何なににににかかかあらあらあらむむん。。。かゝらかゝらかからぬぬぬさまさまさまにににててて、、、とりとりとりものものもの忘忘わすれれれをををせせせさせさせさせ給給たまははわざりざりざりけるけるけるととと見見み給給たまふるふるうるなむなむなんいといといとうしろうしろうしろやすきやすきやすき」」」とととものものものしししけりけりけり。。。
- 2八月八月はちがつににになりなりなりぬぬぬ。。。このこのこの世世よのののなかなかなかはははもがさもがさもがさおこりおこりおこりてててのゝしるのゝしるののしる。。。二十日二十日はつかのののほどほどほどににに、、、このこのこのわたりわたりわたりにににももも來來きにににたりたりたり。。。佐佐すけいふいふいうかたかたかたなくなくなく重重おもくくく煩煩わずらふふう。。。いかゞいかゞいかがはははせせせむむんとてとてとて事事こと絕絕たえええたるたるたる人人ひとにににもももつぐつぐつぐばかりばかりばかりあるあるあるににに、、、我我わがががうちうちうちははは、、、まいてまいてまいてせむせむせむかたかたかた知知しらららずずず。。。さささいひいひいいてててやややはははとてとてとてふもふもふもしししててて吿吿つげげげたれたれたればばば、、、かへりかへりかえりごとごとごといといといとあらゝかあらゝかあららかにににてててありありあり。。。さてさてさてははは詞詞ことばにににてててぞぞぞいかにいかにいかにととといはせいはせいわせたるたるたる。。。さるさるさるまじきまじきまじき人人ひとだにだにだにぞぞぞきききとぶらふとぶらふとぶらうめるめるめるととと見見みるるる心心こころちちちぞぞぞそへそへそえてててたゞたゞただならならならざりざりざりけるけるける。。。うまうまうまののの頭頭かみもももなくなくなくしばしばしばしばしばしばとひとひとい給給たまふふう。。。九月九月くがつついたちついたちついたちにににをこたりをこたりおこたりぬぬぬ。。。八月八月はちがつ二十二十にじゅうよよよ日日かよりよりよりふけふけふけそめそめそめにににししし雨雨あめ、、、このこのこの月月つきもももやまやまやまずずず降降ふりりりくらがりくらがりくらがりててて、、、このこのこの中中なか河河がわももも大大おお路路じももも、、、一一ひとつつつににに行行ゆきききあひあひあいぬぬぬべくべくべく見見みゆれゆれゆればばば、、、今今いまややや流流ながるゝるゝるるとととさへさへさへおぼゆおぼゆおぼゆ。。。世世よののの中中なかいといといとあはれあはれあわれなりなりなり。。。かどかどかどのののわわわさださださだもももいまだいまだいまだ刈刈かりりり集集あつめめめずずず。。。たまさかたまさかたまさかなるなるなるあまあまあまゝゝまににに、、、やいごめやいごめやいごめばかりばかりばかりぞぞぞわかわかわかにににしししたるたるたる。。。もがさもがさもがさせりせりせりいかにもいかにもいかにもさかりさかりさかりにににててて、、、このこのこの一條一條いちじょうののの大大だい政政じょうののの大大おおとのとのとのゝゝの子子こ二二ふた人人り、、、そのそのその月月つきののの十六日十六日じゅうろくにちににになくなくなくなりなりなりぬぬぬととといひいひいい騷騷さわぐぐぐ。。。思思おもひひいやるやるやるもももいみじきいみじきいみじき事事こと限限かぎりなしなしなし。。。これこれこれををを聞聞きくくくもももをこたりをこたりおこたりにににたるたるたる人人ひとぞぞぞゆゝしきゆゝしきゆゆしき。。。かくかくかくてててあれあれあれどどどことことことなるなるなる事事ことなけれなけれなければばばまだまだまだありきありきありきもももせせせずずず。。。廿日廿日はつかあまりあまりあまりにににいといといと珍珍めずらしきしきしき文文ふみにににててて「「「佐佐すけはははいかにいかにいかにぞぞぞ。。。こゝこゝここなるなるなる人人ひとははは皆皆みなをこたりをこたりおこたりにににたるたるたるににに、、、いかなれいかなれいかなればばば見見みえええざらざらざらむむんとととおぼつかおぼつかおぼつかなさなさなさににになむなむなん。。。いといといとにくゝにくゝにくくししし給給たまふふうめれめれめればばば、、、うとむうとむうとむとととはははなくなくなくててて、、、いどみいどみいどみなむなむなん過過すぎぎぎにににけるけるける。。。忘忘わすれれれぬぬぬ事事ことはははありありありながらながらながら」」」ととと、、、こまやかこまやかこまやかなるなるなるををを、、、あやしあやしあやしとととぞぞぞ思思おもふふう。。。かへりかへりかえりごとごとごと、、、問問とひひいたるたるたる人人ひとのののうへうへうえばかりばかりばかりきくきくきくはしはしはしににに「「「まことまことまこと忘忘わするゝるゝるるははは、、、さささもももややや侍侍はべらららむむん」」」ととと書書かきききてててものものものしししつつつ。。。佐佐すけありきありきありきしはじむるしはじむるしわじむる日日ひ、、、道道みちににに、、、かのかのかの文文ふみやりやりやりししし所所ところ行行ゆきききあひあひあいたりたりたりけるけるけるををを、、、いかゞいかゞいかがしししけむけむけん、、、車車くるまのののとうとうとうかゝりかゝりかかりてててわづらひわづらひわずらいけりけりけりとてとてとて、、、あくるあくるあくる日日ひ「「「よべよべよべはははさらにさらにさらになむなむなん知知しらららざりざりざりけるけるける。。。さてさてさてももも、、、
- 3年年とし月月つきのののめぐりめぐりめぐりくるくるくるまままのののわわわににになりなりなりててて思思おもへへえばばばかゝるかゝるかかるをををもももありありありけりけりけり」」」
- 4ととといひいひいいたりたりたりけるけるけるををを取取とりりり入入いれれれててて見見みててて、、、そのそのその文文ふみのののはしはしはしににに、、、なほなほしきなほなほしきなおなおしき手手てしししててて、、、あゝあゝああすすす。。。「「「こゝこゝここにににはははこゝこゝここにににははは」」」とととぢうてんぢうてんじゅうてんがちがちがちにににかへしかへしかへしたりたりたりけむけむけんこそこそこそ、、、なほなほなおあらあらあら。。。かくかくかくててて神神かみ無無な月月づきににになりなりなりぬぬぬ。。。二十日二十日はつかあまりあまりあまりのののほどほどほどににに、、、忌忌いみみみ違違たがふふうとてとてとて、、、わなりわなりわなりたるたるたるところところところにににててて聞聞きけけけばばば、、、かかかのののはははかのかのかの忌忌いののの所所ところにににははは、、、子子こ產產うみみみたなりたなりたなりととと人人ひといふいふいう。。。なほなほなおあらあらあらむむんよりよりよりはははあなあなあなにくにくにくとととももも聞聞きききき思思おもふふうべけれべけれべけれどどどつれなうつれなうつれのうててて、、、あるあるある宵宵よいのののほどほどほどもももじだいじだいじだいなどなどなどものものものしししたるたるたるほどほどほどににに、、、せうとせうとしょうとゝゝとおぼしきおぼしきおぼしき人人ひと、、、近近ちこううう這這はひひいよりよりよりててて、、、ふところふところふところよりよりよりみちのくみちのくみちのくににに紙紙がみにににててて、、、引引ひききき結結むすびびびたるたるたる文文ふみののの、、、枯枯かれれれたるたるたる薄薄すすきにににさしさしさしたるたるたるをををとりとりとり出出いでででたりたりたり。。。「「「あやしあやしあやし。。。たがたがたがぞぞぞ」」」ととといへいへいえばばば、、、「「「なほなほなお御御ご覽覽らんぜぜぜよよよ」」」ととといふいふいう。。。あけあけあけてててひひひかげかげかげににに見見みれれればばば、、、心心こころつきつきつきなきなきなき人人ひとののの手手てのののすぢすぢすじにににいといといとようようよう似似にたりたりたり。。。書書かいいいたるたるたる事事ことははは、、、「「「かのかのかのいかなるいかなるいかなるこまこまこまかかかとととありありありけむけむけんはははいかゞいかゞいかが。。。
- 5霜霜しもがれがれがれののの草草くさのののゆかりゆかりゆかりぞぞぞあはれあはれあわれなるなるなるこまこまこまがへりがへりがえりてててもももなつけなつけなつけてててしがしがしがななな。。。
- 6あなあなあな心心こころ苦苦くるししし」」」とととぞぞぞあるあるある。。。我我わががが人人ひとにににいひいひいいやりやりやりててて、、、くやしくやしくやしととと思思おもひひいししし事事ことのののなゝなゝななもじもじもじなれなれなればばばいといといとあやしあやしあやし。。。「「「こここはははがががぞぞぞととと後後ご堀堀ほり河河かわ殿殿どののののことことことにににややや」」」ととと問問とへへへばばば「「「おほきおほきおおきののの御御おん文文ふみなりなりなり。。。御御み隨隨ずい身身じんにににあるあるあるそれがしそれがしそれがしなむなむなん殿殿とのにににもてもてもて來來きたりたりたりけるけるけるををを、、、おはせおはせおわせずずずととといひいひいいけりけりけりどどど、、、なほなほなおぞぞぞたしかたしかたしかにににとてとてとてなむなむなん、、、おきおきおきてててけりけりけり」」」ととといふいふいう。。。いかにいかにいかにしししててて聞聞きききき給給たまひひいけるけるけることことことにににかかかあらあらあらむむんととと、、、思思おもへへえどもどもども思思おもへへえどもどもどもいといといとあやしあやしあやし。。。又又また人人ひとごとごとごとにににいひいひいい合合あはせはせわせなどなどなどすれすれすればばば、、、ふるめかしきふるめかしきふるめかしき人人ひと、、、聞聞きくくくけてけてけて、、、「「「いといといと忝忝かたじけなししし。。。はやはやはや御御おん返返かえりりりしししててて、、、かのかのかのもてもてもて來來きたりたりたりけむけむけん御御み隨隨ずい身身じんににに取取とらすらすらすべきべきべきものものものなりなりなり」」」とととかしこまるかしこまるかしこまる。。。されされさればばば、、、かくかくかくおろかおろかおろかにににははは思思おもははわざりざりざりけめけめけめどどど、、、いといといとなほざりなほざりなおざりなりなりなりややや。。。
- 7「「「さゝさゝささわけわけわけばばばあれあれあれこそこそこそまさまさまさめめめ草草くさ枯枯がれのののこまこまこまなつくなつくなつくべきべきべきもりもりもりののの下下しもかかかははは」」」
- 8とととぞぞぞ聞聞きこえええけるけるける。。。あるあるある人人ひとのののいふいふいうやうやうよう、、、「「「これこれこれがががかへしかへしかへし今今いま一一ひと度度たびせせせむむんとてとてとて、、、なからなからなからまでまでまではははあそばしあそばしあそばしたなるたなるたなるををを、、、末末すえなむなむなんまだしきまだしきまだしきとととのたまふのたまふのたまうなるなるなる」」」ととと聞聞ききききててて久久ひさしうしうしゅうなりなりなりぬるぬるぬるなむなむなんをかしをかしおかしけりけりけり。。。
現代語訳
そのころ、左京の官(左京大夫)がお亡くなりになったと言うようだ。(遠度は)宮中でも慎みが深くて、山寺になどしきりに(籠もって)いて、時々便りをよこして、六月も過ぎた。七月になった。八月が近い気がするにつけても、世話をする人(養女)はやはりたいそう幼く、どうなるだろうと思うことが多いのに紛れて、自分の物思いは今はすっかり絶えてしまった。七月の中の十日ごろになった。頭の君(遠度)はたいそう……、あの人は私を頼みにしているのだなと思っていると、ある人が言うには、「右馬頭の君は、もとの妻(人の妻)を盗み取って、……隠れていらっしゃる。たいそう愚かなことだと世間でも騒いでいるようだ」と聞いたので、私はこの上なく好都合なことを聞いたものだ、(八月の)月が過ぎるときにどう言ってやろうかと思っていたのにと思うものの、妙な心だとは思われることだろう。さて、また(遠度から)手紙がある。見ると、人が尋ねでもしたかのように、「いやもう、あきれたことです。心にもないことを申し上げてしまうはずもありません。そういうのではない筋でも申し上げることがございましたので、いくらなんでも(お疑いには)」などとある。返事に、「心にもないことをおっしゃったのは、何のことでしょう。そういう様子で、(こちらのことを)お忘れにならなかったと拝見しますのが、たいそう安心なことで」と言ってやった。
八月になった。世の中は疱瘡が流行して騒いでいる。二十日ごろに、このあたりにも来た。助(道綱)が言いようもなく重くわずらう。どうしようもないと思って、縁の絶えた人(兼家)にも知らせるほどだったが、わが家では、まして手の施しようもない。そう言ってばかりもいられないと思って、手紙で知らせると、返事はたいそう素っ気なかった。そして口上で、具合はどうかと言わせてきた。そうでもない人でさえ、来て見舞うようだと見るにつけても、心穏やかでなかった。右馬頭も、絶えずしばしば見舞ってくださる。九月一日に(道綱は)治った。八月二十日過ぎから降りだした雨が、この月も止まずに降って暗く、この中川も大路も、一つに流れ合ってしまいそうに見えるので、今にも流されるかとさえ思われる。世の中はたいそうしみじみと悲しい。門の早稲田もまだ刈り集めていない。たまの雨の晴れ間に、焼米だけを少し作った。疱瘡はまったく盛りで、あの一条の太政大臣(伊尹)の子が二人とも、その月の十六日に亡くなったと騒ぐ。思いやるにつけても、悲しいことはこの上ない。これを聞くにつけても、(病の)治った人(道綱)のことが縁起でもなく(心配に)思われる。
こうしているが、変わったこともないので、(道綱は)まだ出歩きもしない。二十日過ぎに、たいそう珍しく(兼家から)手紙で、「助はどうか。こちらの人は皆治ったのに、どうして姿を見せないのかと気がかりで。(あなたが)たいそう冷たくなさるようなので、うとむというのではなくて、張り合ううちに(時が)過ぎてしまった。忘れないことはありながら」と、心をこめて書いてあるのを、妙だと思う。返事は、尋ねられた人(道綱)のことだけを……書いて、端に「本当にお忘れになるのは、そうでもございましょう」と書いて送った。
助が出歩き始めた日、道で、あの手紙をやった所(大和の女)の車と行き合ったが、どうしたのだろう、車の轅が引っかかって困ったといって、翌日、「昨夜はまったく(あなたとは)知りませんでした。それにしても、
年月がめぐって来る、その車の輪のように(めぐり合って)みると、こういうこともあるのですね」
と言ってやったのを、(女は)取り入れて見て、その手紙の端に、ありきたりの筆跡で、……。「ここには、ここには」と、点ばかりつけて返してきたのは、やはり……。
こうして十月になった。二十日過ぎごろに、方違えといって、……所で聞くと、あの忌みの所(近江の女の家)では、子を産んだそうだと人が言う。以前のような(夫婦の)間柄だったら、ああ憎らしいとも聞き思うのだろうが、平気でいて、ある宵のころ、双六などをしているときに、兄弟と思われる人が、近く這い寄って、懐から陸奥紙で引き結んだ手紙の、枯れた薄に挿したものを取り出した。「妙なこと。誰のですか」と言うと、「まあご覧なさい」と言う。開けて灯火の明かりで見ると、気に入らない人(兼家)の筆跡によく似ている。書いてあることは、「あの『いかなる駒か』とあったのはどうしたのか。
霜枯れの草のゆかりこそ、しみじみと心ひかれます。若返った駒になってでも、なつけたいものです。
ああ心苦しい」とある。私が人(兼家)に言ってやって、悔しいと思った言葉の七文字(いかなる駒か)なので、たいそう妙だ。「これは誰のものですか、堀河殿のことですか」と尋ねると、「太政大臣のお手紙です。御随身の某という者が殿(兄弟の邸)に持って来たのを、(作者は)いらっしゃらないと言ったけれど、やはり確かに(渡せ)と言って、置いていったのです」と言う。どうやってお聞きになったのだろうかと、いくら考えてもたいそう妙だ。また人ごとに相談などすると、古風な人が聞きつけて、「たいそう恐れ多い。早くお返事をして、あの持って来たという御随身に渡すべきものです」と恐縮する。だから、こういい加減には思わなかったのだろうけれど、たいそうなおざりなことよ。
「笹を分けて入れば荒れがまさるばかりでしょう。草の枯れた(私の所は)駒がなつくような森の下ではありません」
と申し上げた。ある人が言うには、「これの返しをもう一度しようとして、半分まではお詠みになったそうだが、下の句がまだだとおっしゃっているそうだ」と聞いて、長くたってしまったのがおかしかった。
意訳
〔遠度の醜聞〕七月、遠度が人の妻を盗んで隠れているという噂を聞いて、作者はかえってほっとする。八月の約束をどう断ろうかと悩んでいたからである。遠度は「心にもないこと」と弁解してくるが、作者は軽く受け流す。
〔疱瘡の流行〕八月、疱瘡が流行し、道綱も重くわずらう。作者は縁の絶えた兼家にも知らせるが、返事は素っ気ない。むしろ遠度がしばしば見舞ってくれる。道綱は九月に治るが、伊尹の子の挙賢・義孝の兄弟は同じ日に疱瘡で亡くなる。
〔車の輪〕道綱は大和の女の車と道で轅が触れ合ったのを機に、「めぐり来る車の輪」の歌を贈る。女は点ばかり打って返してくる。
〔堀河殿の歌〕十月、近江の女が子を産んだと聞いても、作者はもう平気である。そこへ太政大臣兼通から、作者の「いかなる駒か」の歌を聞き知った歌が届く。作者は驚きながらも、「草の枯れた私の所は駒がなつく森ではありません」と返す。
語釈・文法注
- 大政の大とのゝ子二人
- 藤原伊尹の子、挙賢(たかかた)と義孝(よしたか)の兄弟。天延二年(974)九月十六日、疱瘡のために同じ日に亡くなった。義孝は歌人として知られ、百人一首の「君がため惜しからざりし命さへ」の作者である。
- おほきおとゞ
- 太政大臣、藤原兼通(925〜977)。兼家の同母兄。伊尹の死後に関白となり、天延二年に太政大臣。兼家とは激しく対立した。堀河殿と呼ばれた。
文法
- 「左京の官」
- 左京大夫。誰をさすかは諸説ある。
- 「みなつき」
- 水無月。六月。
- 「見る人」
- 世話をしている人。養女。
- 「思ふとしげき」「わが思ふとは」
- 底本どおり。「と」は「こと」の意か。
- 「あさり」
- 底本どおり。意味がとりにくい。
- 「こまのかんの君」
- 駒の頭の君。右馬頭の遠度。
- 「もとのめ」
- 人の妻。
- 「そろに」
- 底本どおり。意味がとりにくい。
- 「めやすい事」
- 見苦しくないこと。ここでは、好都合なこと。
- 「もがさ」
- 疱瘡(天然痘)。天延二年に大流行した。
- 「事絕えたる人」
- 縁の絶えた人。兼家。
- 「ふもして」
- 底本どおり。注記に「み」の異文があり、「文して」と解する。
- 「きとぶらふ」
- 来て見舞う。
- 「なくしばしば」
- 底本どおり。注記に異文がある。
- 「ふけそめにし」
- 底本どおり。注記に「り」の異文があり、「降りそめにし」と解する。
- 「わさだ」
- 早稲田。早く実る稲の田。
- 「わかにしたる」
- 底本どおり。注記に異文がある。
- 「をこたりにたる人」
- 病の治った人。道綱。
- 「いどみなむ」
- 張り合うことで。
- 「きくはしに」
- 底本どおり。注記に「二字きこえイ」とある。
- 「車のとう」
- 底本どおり。車の轅(ながえ)や筒(とう)の部分か。
- 「くるまのわ」
- 「来る」と「車」、「輪」と「我(わ)」を掛ける。
- 「あゝす」
- 底本どおり。注記に「か」の異文があり、意味がとりにくい。
- 「ぢうてんがちに」
- 重点(くり返しの記号)がちに。点ばかり打って返事をしたことか。
- 「なほあら」
- 底本どおり。注記に異文があり、意味がとりにくい。
- 「わなりたるところ」
- 底本どおり。注記に「だ」の異文がある。
- 「かのはかの忌の所」
- 底本どおり。注記に異文がある。兼家の通う近江の女の家と解する。
- 「じだい」
- 双六(すごろく)の一種か。
- 「みちのくに紙」
- 陸奥紙。厚手の上質な紙。
- 「ひかげ」
- 灯影。灯火の明かり。
- 「なゝもじ」
- 七文字。「いかなるこまか」の七字。
- 「こはがぞと後堀河殿の」
- 底本どおり。注記に異文があり、「こは誰がぞ、堀河殿の」と解する。
- 「いひけりど」
- 底本どおり。注記に「れ」の異文がある。
- 「聞くけて」
- 底本どおり。注記に「一字き」とあり、「聞きつけて」と解する。
- 「さゝわけば」
- 笹分けば。
和歌
年月のめぐりくるまのわになりて思へばかゝるをもありけり
- 詠者
- 藤原道綱
- 状況
- 道で大和の女の車と轅が触れ合った翌日に贈った歌。
修辞
- 掛詞
- 「くるま」に「来る」と「車」を掛ける。
- 縁語
- 「めぐり」「くるま」「わ(輪)」は車の縁語。
霜がれの草のゆかりぞあはれなるこまがへりてもなつけてしがな
- 詠者
- 藤原兼通
- 状況
- 作者の「いかなる駒か」の歌を聞き知って、陸奥紙に書き、枯れた薄に挿して届けた歌。
修辞
- 掛詞
- 「こまがへり」に「駒」と「若返り(こまがへる)」を掛ける。
- 縁語
- 「霜がれ」「草」「駒」「なつく」は、作者の歌の言葉を受ける。
さゝわけばあれこそまさめ草枯のこまなつくべきもりの下かは
- 詠者
- 道綱母(作者)
- 状況
- 兼通への返歌。
修辞
- 本歌
- 「大荒木の森の下草老いぬれば駒もすさめず刈る人もなし」(『古今和歌集』雑上)をふまえる。
解説
遠度が人の妻を盗んだという噂で、養女への求婚は立ち消えになった。作者は「限なくめやすい事をも聞くかな」と率直に安堵を記しつつ、そう思う自分を「怪しの心」と省みている。
天延二年(974)秋の疱瘡の大流行では、伊尹の子の挙賢と義孝が同じ日に亡くなった。病から回復した道綱を思うにつけ、作者は他家の悲しみを身にしみて受け止めている。
太政大臣兼通が、作者の「いかなる駒か」の歌を知って歌を贈ってきたことは、作者の歌が当時の貴族社会で話題になっていたことを示している。兼家と対立していた兼通からの歌に、作者は慎重に、しかし機知をもって答えている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、153–156頁(コマ79–81)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日