蜻蛉日記 下巻 第46章
伊尹の死と八幡の祭
天禄三年十月、作者は山寺に紅葉を見に行く。十一月一日、一条の太政大臣伊尹が亡くなり、兼家の一族はいよいよ栄える。年が明けて天延元年、兼家は時折訪れるが、作者は老いた自分の姿を恥じる。院の小弓では道綱が諸矢を射て勝ち、八幡の祭では兼家の華やかな行列が作者の車の前を通る。道綱は大和の女に菖蒲の歌を贈り、近所の火事には兼家がすぐに見舞いに来る。
- 1神神かみ無無な月月づき、、、例例れいののの年年としよりよりよりももも時雨時雨しぐれがちがちがちなるなるなる心心こころなりなりなり。。。十十じゅうよよよ日日かののの程程ほどににに例例れいののの物物ものするするする山山やま寺寺でらににに、、、紅紅もみ葉葉じももも見見みがてらがてらがてらととと、、、これこれこれかれかれかれいざなはいざなはいざなわれれればばば物物ものすすす。。。今日今日きょうしもしもしも時雨時雨しぐれ、、、降降ふりりりみみみ降降ふらららずずずみみみひねもすひねもすひねもすににに、、、このこのこの山山やまいみじういみじういみじゅう面面おも白白しろきききほどほどほどなりなりなり。。。ついたちついたちついたちののの日日ひ、、、一條一條いちじょうののの太太だい政政じょうのののうせうせうせ給給たまひひいぬぬぬとととのゝしるのゝしるののしる。。。例例れいののの「「「あなあなあないみじいみじいみじ」」」などなどなどいひいひいいててて聞聞ききききあへあへあえるるる夜夜よ、、、初初はつ雪雪ゆき七八寸七八寸しちはっすんののの程程ほどたまれたまれたまれ。。。あはれあはれあわれあはれあはれあわれいかでいかでいかで君君きん達達だち步步あゆみみみ給給たまははわむむんなどなどなど、、、我我わがががするするする事事こともももなきなきなきまゝまゝままににに思思おもひひいをれをれおればばば、、、例例れいののの世世よののの中中なか、、、いよいよいよいよいよいよさかえさかえさかえのゝしるのゝしるののしる。。。しはすしはすしわすののの二十日二十日はつかあまりあまりあまりににに見見みえええたりたりたり。。。
- 2さてさてさて年年とし暮暮くれれれはてはてはてぬれぬれぬればばば、、、例例れいのののことことことしししてててのゝしりのゝしりののしり明明あかしししててて、、、三四日三四日みかよかもももなりなりなりにににためためためれれれどどど、、、こゝこゝここにににははは改改あらたまれれれるるる心心こころちちちもももせせせずずず。。。鶯鶯うぐいすばかりばかりばかりぞぞぞいつしかいつしかいつしかとととおとおとおとしししたるたるたるをををあはれあはれあわれととと聞聞きくくく。。。五日五日いつかばかりばかりばかりののの程程ほどににに晝晝ひる見見みえええ、、、又又また十十じゅうよよよ日日か廿日廿日はつかばかりばかりばかりににに、、、人人ひと寐寐い亂亂みだれれれたるたるたる程程ほど見見みえええ、、、このこのこの月月つきぞぞぞ少少すこしししあやしあやしあやしととと見見みえええたるたるたる。。。このこのこの頃頃ころ、、、つかさつかさつかさめしめしめしとてとてとて、、、例例れいののの暇暇いとまなげなげなげにににのゝしるのゝしるののしる。。。二月二月にがつににになりなりなりぬぬぬ。。。紅紅こう梅梅ばいののの常常つねののの年年としよりよりよりももも色色いろこくこくこく、、、めでたうめでたうめでとう匂匂においひひいたりたりたり。。。我我わがががこゝちこゝちここちにににのみのみのみあはれあはれあわれととと見見みなななれれれどどど何何なにととと見見みたるたるたる人人ひとなしなしなし。。。大大たい夫夫ふぞぞぞ折折おりりりりててて例例れいののの所所ところにににやるやるやる、、、
- 3「「「かひかひかいなくなくなくててて年年としへへへにににけりけりけりとととながむれながむれながむればばばたもとたもとたもと花花はなののの色色いろにににこそこそこそしめしめしめ」」」。。。
- 4かへりかへりかえりごとごとごと、、、
- 5「「「年年としををを經經へてててなどなどなどかかかあやあやあやなくなくなく空空そらにににしもしもしも花花はなのののあたりあたりあたりををを立立たちちちははは染染そめめめけむけむけん」」」
- 6ととといへいへいえりりり。。。猶猶なおありありありのののごとごとごとやややととと待待まちちち見見みるるる。。。さてさてさてついたちついたちついたち三日三日みかののの程程ほどににに、、、午午うまののの時時ときばかりばかりばかりににに見見みえええたりたりたり。。。おつておつておつて耻耻はずかしうしうしゅうなりなりなりにににたるたるたるにににいといといと苦苦くるしけれしけれしけれどどどいかゞいかゞいかがはははせせせむむん。。。とととばかりばかりばかりありありありててて、、、「「「方方かたふたがりふたがりふたがりたりたりたり」」」とてとてとて、、、我我わががが染染そめめめたるたるたるともともともいはいはいわじじじ、、、匂匂においふふうばかりばかりばかりののの櫻櫻さくらがさねがさねがさねののの綾綾あや、、、文文もんはははこぼれこぼれこぼれぬぬぬばかりばかりばかりしししててて、、、かたかたかたもんもんもんのののうへうへうえののの袴袴はかまつやつやつやつやつやつやとととしししててて遙遙はるかにににおひおひおいちらしちらしちらしててて歸歸かえるるるををを聞聞ききききつゝつゝつつ、、、あなあなあな苦苦くるししし、、、いみじういみじういみじゅうもももうちうちうち解解とけけけたりたりたりつるつるつるかなかなかなゝゝなどどど思思おもひひいててて、、、なりなりなりをををうちうちうち見見みれれればばば、、、いたういたういとうしをれしをれしおれたりたりたり。。。鏡鏡かがみををを見見みれれればばばいといといとにくげにくげにくげにににはははありありあり。。。又又またこたびこたびこたびうじうじうじはてはてはてぬぬぬらむらむらんととと思思おもふふう事事こと限限かぎりなしなしなし。。。かゝるかゝるかかる事事ことををを盡盡つきききせせせずずず眺眺ながむるむるむる程程ほどににに、、、朔朔つい日日たちよりよりより雨雨あめがちがちがちににになりなりなりにににたれたれたればばば、、、いといといとなげなげなげにににめめめをををやすやすやすとととのみのみのみなむなむなんありありありけるけるける。。。五日五日いつか、、、夜夜よ中中なかばかりばかりばかりににに、、、世世よののの中中なか騷騷さわぐぐぐををを聞聞きけけけばばば、、、されにされにされに燒燒やけけけにににしししにくきにくきにくき所所ところ、、、こたみこたみこたみはははおしおしおしなぶるなぶるなぶるなりなりなりけりけりけり。。。十日十日とおかばかりばかりばかりににに、、、又又また晝晝ひるつつつ方方かた見見みえええててて、、、「「「春日春日かすがへへへなむなむなん詣詣もうづづずべきべきべき程程ほどののの覺覺おぼ束束つかなさなさなさににに」」」とととあるあるあるももも例例れいならならならねねねばばばあやしうあやしうあやしゅう覺覺おぼゆゆゆ。。。二月二月にがつ十五日十五日じゅうごにちににに、、、院院いんののの小小こ弓弓ゆみ始始はじめまりまりまりててて出出いでででぬぬぬなどなどなどのゝしるのゝしるののしる。。。前前まえしりへしりへしりえわきわきわきてててさうぞけさうぞけそうぞけばばば、、、そのそのその事事こと大大たい夫夫ふによりによりにより、、、とととかうかうこう物物ものすすす。。。そのそのその日日ひににになりなりなりててて、、、上上かん達達だち部部めあまたあまたあまた「「「今年今年ことしやんごとやんごとやんごとなかりなかりなかりけりけりけり。。。小小こ弓弓ゆみ思思おもひひいあなくりあなくりあなくりててて念念ねんせせせざりざりざりけるけるけるををを、、、いかならいかならいかならむむんととと思思おもひひいたれたれたればばば、、、さいそさいそさいそにににははは出出いでゝでゝでてもろもろもろ矢矢やしつしつしつ。。。つぎつぎつぎつぎつぎつぎあまたあまたあまたののの數數かずこのこのこの矢矢やににになむなむなんさしさしさしててて勝勝かちちちぬるぬるぬる」」」などなどなどのゝしるのゝしるののしる。。。さてさてさて又又また二三日二三日ふつかみか過過すぎぎぎててて、、、大大たい夫夫ふ「「「後後のちののの諸諸もろ矢矢やははは悲悲かなしかりしかりしかりしかしかしかななな」」」などなどなどあれあれあればばば、、、ましてましてまして我我わももも。。。おほやけおほやけおおやけにににははは、、、例例れいのののそのそのその頃頃ころ、、、八幡八幡やわたののの祭祭まつりににになりなりなりぬぬぬ。。。つれつれつれづれづれづれなるなるなるをををとてとてとて忍忍しのびやかびやかびやかににに立立たてててれれればばば、、、ことことことにににはなやかはなやかはなやかにににててて、、、いみじういみじういみじゅう追追おひひい散散ちらすらすらすものものものくくく。。。誰誰たれならならならむむんととと見見みれれればばば、、、御御ごぜんぜんぜんどもどもどもののの中中なかににに、、、例例れい見見みゆるゆるゆる人人ひとなどなどなどありありあり。。。さささなりなりなりけりけりけりととと思思おもひひいててて見見みるるるにににももも、、、ましてましてまして我我わががが身身みいとほしきいとほしきいとおしき心心こころちちちすすす。。。すだれすだれすだれ卷卷まきききあげあげあげ、、、したしたしたすだれすだれすだれおしおしおしはさみはさみはさみたれたれたればばば、、、おぼつかおぼつかおぼつかなきなきなき事事こともももなしなしなし。。。このこのこの車車くるまををを見見みつけつけつけててて、、、ふとふとふと扇扇おうぎをををさしさしさしかくしかくしかくしててて渡渡わたりりりぬぬぬ。。。御御おん文文ふみあるあるある。。。かへりかへりかえり事事ことのののはしはしはしににに、、、「「「昨昨きの日日うはははいといといとまばゆくまばゆくまばゆくててて渡渡わたりりり給給たまひひいにににききき」」」とととかたるかたるかたるばばば「「「などなどなどかかかははは。。。さささはははせせせでででぞぞぞなりなりなりけむけむけん。。。わかわかしうわかわかしうわかわかしゅう」」」ととと書書かきききたりたりたりけりけりけり。。。返返かえりりり事事ことにににははは「「「老老おいいい耻耻はずかしさかしさかしさにににこそこそこそありありありけりけりけり。。。まばゆきまばゆきまばゆきさまさまさまににに見見みなしなしなしけむけむけん人人ひとこそこそこそ、、、にくけれにくけれにくけれ」」」などなどなどぞぞぞあるあるある。。。又又またかきかきかき絕絕たえええててて、、、十十じゅうよよよ日日かににになりなりなりぬぬぬ。。。日日ひ頃頃ころののの絕絕たえええまままよりよりよりははは久久ひさしきしきしき心心こころちちちすれすれすればばば、、、又又またいかにいかにいかになりなりなりぬぬぬらむらむらんとととぞぞぞおもひおもひおもいけるけるける。。。大大たい夫夫ふ例例れいののの所所ところににに文文ふみものものものするするする。。。ことことことついついついつけつけつけてててもももあらあらあらずずず。。。これこれこれよりよりよりもももいといといと幼幼おさなきききほどほどほどののの事事ことをををのみのみのみいひいひいいけれけれけれははは、、、かうかうこうものものものしししけりけりけり、、、
- 7「「「みみみがくれがくれがくれのののほどほどほどゝゝといふいふいうとてとてとてあやめあやめあやめ草草ぐさなほなほなおしたしたしたからからからむむん思思おもひひいあふあふあうやややととと」」」。。。
- 8かへりかへりかえりごとごとごと、、、なほなほしなほなほしなおなおし。。。
- 9「「「したしたしたからからからむむん程程ほどをををもももしらしらしらずずずまこもまこもまこも草草ぐさ世世よににに生生おひひいそはそはそわじじじ人人ひとはははかるかるかるとてとてとて」」」。。。
- 10かくかくかくててて又又また二十二十にじゅうよよよ日日かののの程程ほどににに見見みえええたりたりたり。。。さてさてさて三四日三四日みかよかのののほどほどほどににに、、、近近ちこううう火火ひのののさわぎさわぎさわぎすすす。。。驚驚おどろききき騷騷さわぎぎぎするするするほどほどほどににに、、、いといといととくとくとく見見みえええたりたりたり。。。風風かぜ吹吹ふきききててて久久ひさしうしうしゅう移移うつりりり行行ゆくくくほどほどほどににに、、、とりとりとり過過すぎぎぎぬぬぬ。。。さらさらさらなれなれなればばばとてとてとて、、、歸歸かえるるる。。。こゝこゝここにににととと見見み聞聞ききききけるけるける人人ひとははは、、、まゐりまゐりまいりたりたりたりつるつるつるよしよしよしきこえきこえきこえよよよとてとてとて、、、かへりかへりかえりぬぬぬととと聞聞きくくくももも、、、おもおもおもだゝしだゝしだたしげげげなりなりなりつるつるつるなどなどなどかたるかたるかたるももも、、、くしくしくしはてはてはてにににたるたるたる所所ところにににつけつけつけててて見見みゆるゆるゆるならならならむむんかしかしかし。。。又又またつごもりつごもりつごもりののの又又またののの日日ひばかりばかりばかりにににありありあり。。。「「「這這はひひい入入いるるるまゝまゝままににに、、、火火ひなどなどなど近近ちかききき夜夜よこそこそこそきにきにきにはゝしはゝしははしけれけれけれ」」」とととあれあれあればばば、、、「「「衞衞え士士じのののたくたくたくははは、、、いついついつももも」」」とととみえみえみえたりたりたり。。。
現代語訳
十月、例年よりも時雨がちな心である。十日過ぎごろに、いつも出かける山寺に、紅葉も見がてらと、誰彼に誘われたので出かける。今日にかぎって時雨が、降ったりやんだり一日中続いて、この山はたいそう趣深いころである。(十一月)一日、一条の太政大臣(伊尹)がお亡くなりになったと騒ぐ。例によって「ああ、たいへんなことだ」などと言って聞き合っている夜、初雪が七、八寸ほど積もった。ああ、ああ、どうやって(亡き人の)若君たちは(葬送に)歩いて行かれるだろうなどと、自分にはすることもないままに思っていると、例の世の中(兼家の一族)は、いよいよ栄えて騒いでいる。十二月の二十日過ぎに(あの人が)来た。
さて年もすっかり暮れたので、例年のように行事をして騒いで夜を明かし、三、四日にもなったようだが、ここでは改まった気持ちもしない。鶯だけが早くも声を立てたのをしみじみと聞く。五日ごろに昼に(あの人が)来て、また十日過ぎ、二十日ごろに、人が寝静まったころに来て、この月は少し妙だと思われた。このころ、除目だといって、例によって忙しそうに騒いでいる。二月になった。紅梅が例年よりも色濃く、すばらしく咲き匂っている。私の気持ちだけでしみじみと見るけれど、何とも見てくれる人はいない。大夫(道綱)が折って、例の所(大和の女)に送る。
「かいもなく年を経てしまったと眺めていると、袂は紅梅の花の色に染まってしまいます(血の涙で)」
返事は、
「年を経て、どうしてわけもなく、よりによって空に、花のあたりを立って染めたのでしょう」
と言ってきた。(兼家は)やはり以前のように(来るか)と待って見る。さて(三月)一日から三日ごろに、昼の時ごろに(あの人が)来た。……恥ずかしくなっているのでたいそう苦しいけれど、どうしようもない。しばらくして、「方角がふさがっている」と言って、私が染めたとも言うまい、匂うばかりの桜襲の綾、紋はこぼれるほど(鮮やかに)して、固紋の表袴をつやつやとさせて、遠くまで先払いをさせて帰るのを聞きながら、ああ苦しい、たいそう気を許した姿でいたことだと思って、身なりを見てみると、ひどくしおれている。鏡を見ると、たいそうみっともない。また今度は(あの人も)すっかり嫌になってしまっただろうと思うことはこの上ない。
このようなことを尽きることなく物思いしているうちに、一日から雨がちになったので、たいそう……とばかり思っていた。五日、夜中ごろに、世間が騒ぐのを聞くと、先ごろ焼けたにくらしい所が、今度は全部焼けてしまったのだった。十日ごろに、また昼ごろ(あの人が)来て、「春日へ参詣しなければならないので、しばらく会えないのが気がかりで」と言うのも、いつもと違うので妙に思われる。
二月十五日に、院の小弓の競技が始まって(道綱も)出場するなどと騒ぐ。前方・後方に分かれて装束を整えるので、その事を大夫のためにあれこれとする。その日になって、上達部が大勢、「今年はたいしたものだった。小弓は……て気にかけていなかったが、どうなるかと思っていたら、最初に出て諸矢(二本とも命中)を射た。次々と多くの数を、この矢で取って勝ったのだ」などと騒ぐ。さて、また二、三日過ぎて、大夫が「後の諸矢は悲しかった(見事だった)なあ」などと言うので、まして私も(うれしい)。
朝廷では、例年のそのころの八幡の祭になった。所在ないのでと、こっそり車を止めて見物していると、とりわけ華やかに、ひどく先払いをして来る者がある。誰だろうと見ると、御前駆の中に、いつも見かける人などがいる。(あの人)だったのだと思って見るにつけても、ますますわが身がみじめな気がする。簾を巻き上げ、下簾を挟んでいたので、(こちらの姿も)はっきり見える。(あの人は)この車を見つけて、さっと扇で顔を隠して通り過ぎた。(その後)お手紙がある。返事の端に、「昨日はたいそうまぶしそうにお通りになりました」と(供の者が)語っていたので、「どうしてですか。そんなことはしなくてもよかったでしょうに。若々しいこと」と書いた。返事には「老いの恥ずかしさからだったのだ。まぶしそうに見えたという人こそ憎らしい」などとある。
また(訪れが)途絶えて、十日余りになった。ふだんの途絶えよりも長い気がするので、またどうなってしまうのだろうと思った。大夫が例の所に手紙を送る。ことさらに……。こちらからも、ひどく幼いころのことばかり言ってきたので、こう贈った。
「水に隠れている(幼い)ほどだというので、菖蒲草がやはり下の根を張って(いるように、私の)思いが(あなたと)合うかと(待っています)」
返事は、ありきたりのものだった。
「下に張っているという程(の思い)も知りません。真菰草は世間に生い添うことはしないでしょう、人が刈るといって」
こうして、また二十日余りのころに(あの人が)来た。さて三、四日ごろに、近くで火事騒ぎがある。驚いて騒いでいるうちに、たいそう早く(あの人が)来た。風が吹いて長く燃え移っていくうちに、鶏の鳴く時も過ぎた。(火事は)もう心配ないというので帰る。ここにと見聞きした人は、(兼家が)参上したことを申し上げよと言って帰ったと聞くのも、(兼家が)面目ありげだったなどと話すのも、すっかり嫌になってしまった所につけて(そう)見えるのだろう。また月末の翌日ごろに来た。「這い入るなり、火など近い夜こそ……」と言うので、「衛士のたく火は、いつも(燃えています)」と答えた。
意訳
〔伊尹の死〕天禄三年十一月一日、兼家の兄で太政大臣の伊尹が亡くなる。初雪の夜、作者は遺された若君たちを思いやるが、兼家の一族はかえっていよいよ栄えていく。
〔新年と紅梅〕天延元年、作者の家では年が改まった気もしない。紅梅が例年より美しく咲いても、ともに見る人はいない。
〔老いの恥〕三月初め、昼に訪れた兼家は、華やかな桜襲の装いで帰っていく。気を許した姿でいた作者は、鏡に映るしおれた自分を見て、今度こそ兼家に愛想をつかされたと思う。
〔小弓と諸矢〕院の小弓の競技で、道綱は諸矢を射て勝ちに貢献する。上達部たちの賞賛を聞いて、作者は母として誇らしい。
〔八幡の祭〕祭見物の車の前を、兼家が華やかな行列を従えて通る。作者の車に気づいた兼家は扇で顔を隠す。「老いの恥ずかしさからだ」という兼家の返事に、作者はかえって二人の間の距離を思う。
〔火事の見舞い〕近所の火事に、兼家はすぐに駆けつける。作者は人々が兼家の面目を語るのを聞きながら、もう心の離れた自分には、それも冷めて見えるのだろうと思う。
語釈・文法注
- 一條の太政のおとゞ
- 一条の太政大臣、藤原伊尹。兼家の同母兄。天禄三年(972)十一月一日に四十九歳で亡くなった。
文法
- 「時雨がちなる心」
- 時雨のように涙がちな心。
- 「たまれ」
- 底本どおり。注記に「る」の異文があり、「たまる」と解する。
- 「君達」
- 伊尹の若君たち。挙賢・義孝など。
- 「さかえのゝしる」
- 兼家の一族がますます栄えて騒ぐ。伊尹の死後、政権は兼通に移るが、兼家も権勢を伸ばした。
- 「寐亂れたる程」
- 寝静まったころ。
- 「つかさめし」
- 司召。官職を任命する儀式(除目)。
- 「見なれど」
- 底本どおり。注記に「ゆ」の異文がある。
- 「たもと花の色にこそしめ」
- 底本どおり。「たもと」と「花」の間に注記がある。
- 「おつて」
- 底本どおり。注記に異文がある。
- 「櫻がさね」
- 桜襲。表が白、裏が赤(または紫)の襲の色目。
- 「かたもんのうへの袴」
- 固紋の表袴。
- 「うじはてぬらむ」
- 嫌になってしまっただろう。「倦ず」。
- 「いとなげにめをやす」
- 底本どおり。注記に異文があり、意味がとりにくい。
- 「されに燒:や+けにしにくき所」
- 底本どおり。注記に「き」の異文があり、「先に焼けたにくらしい所」と解する。前年の隣家の火事(第43章)のあった所か。
- 「二月十五日」
- 底本どおり。「二」の脇に「三」の異文の注記がある。
- 「院の小弓」
- 冷泉院で行われた小弓の競技。
- 「前しりへ」
- 前方・後方。競技の二組。
- 「あなくりて念せざりける」
- 底本どおり。注記に「げ」の異文がある。
- 「さいそ」
- 最初。
- 「もろ矢」
- 諸矢。二本の矢がともに的に当たること。
- 「後の諸矢は悲しかりしかな」
- 「悲し」はここでは、感に堪えない、見事だ、の意。
- 「八幡の祭」
- 石清水八幡宮の臨時祭。三月に行われる。
- 「御ぜん」
- 御前駆。行列の先払い。
- 「まばゆくて」
- 恥ずかしそうに。
- 「とかたるば」
- 底本どおり。注記に「れ」の異文があり、「とかたれば」と解する。
- 「ことついつけても」
- 底本どおり。注記に「二字なげ」とあり、意味がとりにくい。
- 「みがくれ」
- 水隠れ。水中に隠れていること。幼くて人目に出ないことをいう。
- 「とり過ぎぬ」
- 底本どおり。注記に異文がある。鶏の鳴く時刻も過ぎた、の意に解する。
- 「くしはてにたる」
- 底本どおり。「屈し果つ」すっかりふさぎこんでしまった、の意に解する。
- 「きにはゝしけれ」
- 底本どおり。注記に「二字には」とあり、意味がとりにくい。
- 「衞士のたく」
- 「御垣守衛士のたく火の夜は燃え昼は消えつつ物をこそ思へ」(『詞花和歌集』)をふまえ、いつも思いに燃えていると答える。
和歌
かひなくて年へにけりとながむればたもと花の色にこそしめ
- 詠者
- 藤原道綱
- 状況
- 紅梅の枝を折って大和の女に贈った歌。
修辞
- 見立て
- 紅梅の色を、血の涙に染まった袂の色に見立てる。
年を經てなどかあやなく空にしも花のあたりを立ちは染めけむ
- 詠者
- 大和の女
- 状況
- 道綱への返歌。
みがくれのほどゝいふとてあやめ草なほしたからむ思ひあふやと
- 詠者
- 藤原道綱
- 状況
- 女がまだ幼いと言ってくるのに対して贈った歌。
修辞
- 掛詞
- 「あふ」に思いが「合ふ」と「逢ふ」を重ねる。
したからむ程をもしらずまこも草世に生ひそはじ人はかるとて
- 詠者
- 大和の女
- 状況
- 道綱への返歌。
修辞
- 掛詞
- 「かる」に草を「刈る」と、人が「離る(かる)」を掛ける。
解説
天禄三年(972)十一月一日、摂政太政大臣の藤原伊尹が亡くなった。伊尹の死後、関白には弟の兼通がつき、兼家との兄弟の確執が始まるが、作者は「例の世の中、いよいよさかえのゝしる」と、兼家の一族の繁栄を遠くから眺めるだけである。
翌天延元年(973)、兼家は時折昼に訪れるが、作者は自分の老いた姿を恥じ、鏡を見て「いとにくげ」と嘆く。八幡の祭で扇で顔を隠して通り過ぎる兼家とのやりとりも、かつての情熱的な関係とは違う、気まずい距離を感じさせる。
一方で、道綱は院の小弓で諸矢を射て評判をとった。作者の喜びは、もっぱら息子の活躍に向けられている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、133–135頁(コマ69–70)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日