蜻蛉日記 下巻 第45章
蝉の声と死の予感
天禄三年の夏、蝉の声に驚く老人の言葉に作者は心を動かされる。焼け出された父の一家が作者の家に移り住み、七月には盆の支度をして去る。八月、作者は死ぬべき月だという告げを気にかけながら日を送る。道綱は大和の女に、蜘蛛や葛城山を詠んだ歌を次々に贈るが、女はなかなか応じない。作者は、残る人の思い出にと絵を描く。
- 1かくかくかくててて、、、つれつれつれづれづれづれととと六月六月ろくがつににになしなしなしつつつ。。。ひんがしひんがしひんがしおもておもておもてののの朝朝あさ日日ひののの影影かげいといといと苦苦くるしけれしけれしければばば、、、みなみなみな廂廂ひさしににに出出いでででたるたるたるににに、、、つゝましきつゝましきつつましき人人ひとのののけけけ近近ちかくくくおぼゆれおぼゆれおぼゆればばば、、、やをらやをらやおらかたれかたれかたれらふしらふしらうしててて聞聞きけけけばばば、、、蟬蟬せみののの聲聲こえいといといと繁繁しぎょうううなりなりなりにににたるたるたるををを、、、覺覺おぼ束束つかなうなうのうてててまだまだまだ耳耳みみををを養養やしなははわぬぬぬ翁翁おきなありありありきりきりきり。。。庭庭にわ掃掃はくくくとてとてとて、、、はきゝはきゝはききををを持持もちちちてててきききののの下下しもににに立立たてててるるる程程ほどににに、、、俄俄にはかにににいちはやういちはやういちわようなきなきなきたれたれたればばば驚驚おどろきききてててふりふりふり仰仰あおぎぎぎててていふいふいうやうやうよう、、、「「「よひよひよいぞぞぞよひよひよいぞぞぞととといういういうなはなはなわ蟬蟬せみ來來きにににけるけるけるははは、、、蟲蟲むしだにだにだにときときときせちせちせちををを知知しりりりたるたるたるよよよ」」」ととと、、、ひとりひとりひとりごつごつごつににに合合あわせせせててて、、、しかしかしかしかしかしかととと鳴鳴なきききみちみちみちたるたるたるににに、、、をかしうをかしうおかしゅうもももあはれあはれあわれにににもももありありありけむけむけん心心こころちちちぞぞぞありありありなかりなかりなかりけるけるける。。。大大たい夫夫ふそばそばそばののの紅紅もみ葉葉じのののうちうちうちまじりまじりまじりたるたるたる枝枝えだにににつけつけつけててて、、、例例れいののの處處ところにににやるやるやる、、、
- 2「「「夏夏なつ山山やまののの木木きのののしたしたしたつゆつゆつゆのののふかけれふかけれふかければばばかつかつかつぞぞぞなげきなげきなげきののの色色いろもももえええにににけるけるける」」」。。。
- 3返返かえりりり事事こと、、、
- 4「「「露露つゆにににのみのみのみいろいろいろもえもえもえぬれぬれぬればばば言言ことののの葉葉はをををいくいくいくしほしほしおとととかかかははは知知しるるるべかべかべかるるるらむらむらん」」」
- 5などなどなどいふいふいう程程ほどににに、、、宵宵よいににになりなりなりててて珍珍めずらしきしきしき文文ふみこまやかこまやかこまやかにににてててありありあり。。。二十二十にじゅうよよよ日日にち、、、いといといとたまさかたまさかたまさかなりなりなりけりけりけり。。。あさましきあさましきあさましき事事ことととと目目め馴馴なれれれにににたれたれたればばば、、、いふいふいうかひかひかいなくなくなくててて、、、中中なか頃頃ころなきなきなきさまさまさまにににもてなすもてなすもてなすももも、、、侘侘わびびびぬれぬれぬればばばなななめりめりめりかしかしかしととと、、、かつかつかつ思思おもへへえばばば、、、いみじういみじういみじゅうなむなむなん、、、あはれあはれあわれにににありありありしししよりよりよりけにけにけにいそぐいそぐいそぐ。。。そのそのその頃頃ころ縣縣あがたありきありきありきののの家家いえなくなくなくなりなりなりにににしかしかしかばばば、、、こゝこゝここにににうつろひうつろひうつろいててて、、、ないないない多多おおくくく事事こと騷騷さわがしくがしくがしくててて明明あけけけ暮暮くるゝるゝるるももも、、、人人ひとめめめいかにいかにいかにととと思思おもふふう心心こころあるあるあるまでまでまで音音ねなしなしなし。。。
- 6七月七月しちがつ十十じゅうよよよ日日にちににになりなりなりててて、、、まらうどまらうどまろうどかへりかへりかえりぬれぬれぬればばば、、、名名な殘殘ごりなうなうのうつれつれつれづれづれづれにににててて、、、ぼにぼにぼにののの事事ことのののふうふうふうなどなどなど、、、さまざまさまざまさまざまににに歎歎なげくくく。。。人人ひと々々びとのののいきざしいきざしいきざしをををきくきくきくもももあはれあはれあわれにににもももありありあり、、、安安やすからからからずずずもももありありあり。。。三日三日みか例例れいのののごとごとごと調調ちょうじじじててて、、、してしてしてまどころまどころまどころののの贈贈おくり文文ぶみ添添そへへえてててありありあり。。。いついついつまでまでまでかかかこゝこゝここにににととと物物ものはははいはいはいわででで思思おもふふう。。。さながらさながらさながら八月八月はちがつににになりなりなりぬぬぬ。。。ついたちついたちついたちののの日日ひ雨雨あめ降降ふりりり暮暮くすすす。。。時雨時雨しぐれだちだちだちたるたるたるににに、、、未未ひつじののの時時ときばかりばかりばかりににに晴晴はれれれててて、、、くつくつぼうしくつくつぼうしくつくつぼうしいといといとかしがしきかしがしきかしがしきまでまでまで鳴鳴なくくくををを聞聞きくくくにににももも「「「ものものものははは」」」ととといはいはいわるるる。。。如何如何いかなるなるなるにににかかかあらあらあらむむん、、、あやしうあやしうあやしゅうももも心細心細こころぼそううう淚淚なみだ浮浮うかぶぶぶ日日ひなりなりなり。。。たゞたゞただ心心こころつきつきつきににに、、、しぬしぬしぬべしべしべしととといふいふいうさとしさとしさとしもももしししたれたれたればばば、、、このこのこの月月つきにににやややともともともおもふおもふおもう。。。すまひすまひすまいののの會會えあるあるあるべしべしべしなどなどなどものものものゝしるゝしるのしるをををばばばよそよそよそににに聞聞きくくく。。。十一日十一日じゅういちにちににになりなりなりててて、、、いといといと覺覺おぼえええぬぬぬ夢夢ゆめ見見みたりたりたりとてとてとて、、、かうかうこうてててなどなどなど、、、例例れいのののまことまことまことにににしもしもしもあるあるあるまじきまじきまじき事事ことももも多多おおかれかれかれどどど、、、ちりちりちりにににものものものででで、、、物物ものもももいはいはいわれれれねねねばばば、、、「「「などなどなどかかか物物ものもももいはいはいわれれれぬぬぬ」」」とととありありあり。。。「「「なになになに事事ことをををかかかははは」」」ととといらへいらへいらえたれたれたればばば「「「などなどなどかかかこここぬぬぬとととはぬはぬはぬ」」」、、、「「「にくしにくしにくし、、、あからしあからしあからしとてとてとてうちうちうちもももつみつみつみもももししし給給たまへへえかしかしかし」」」ととといひいひいい續續つづけけけらるれらるれらるればばば、、、聞聞きこゆゆゆべきべきべき限限かぎりのたまふのたまふのたまうめれめれめればばば、、、「「「何何なにかかかははは」」」とてとてとて止止やみみみぬぬぬ。。。つとめてつとめてつとめて「「「今今いまこのこのこのけいめいけいめいけいめいすぐしすぐしすぐしててて參參まいらららむむんよよよ」」」とてとてとて歸歸かえるるる。。。十七日十七日じゅうしちにちにににぞぞぞ、、、かへりかへりかえりあるじあるじあるじときときとき。。。つごもりつごもりつごもりににになりなりなりぬれぬれぬればばば、、、契契ちぎりりりりしししけいめいけいめいけいめい多多おおくくく過過すぎぎぎぬれぬれぬれどどど、、、今今いまははは何何なに事事こともももおぼえおぼえおぼえずずず、、、愼愼つつしめめめととといふいふいう月月つき日日ひ、、、近近ちこうううなりなりなりにににけるけるける事事ことをををあはれあはれあわれとととばかりばかりばかり思思おもひひいつゝつゝつつ經經へるるる。。。大大たい夫夫ふ、、、例例れいののの所所ところににに文文ふみやるやるやる。。。さきざきさきざきさきざきのののかへりかへりかえり事事ことどもどもどもみづからみづからみずからのののとととははは見見みえええざりざりざりけれけれければばば、、、恨恨うらみみみなどなどなどしししててて、、、
- 7「「「夕夕ゆうされされされののの寢寢ね屋屋やのののつまつまつまづまづまづま詠詠ながむれむれむればばばてててづからづからずからのののみみみぞぞぞ蜘蜘く蛛蛛ももももかきかきかきぬるぬるぬる」」」
- 8とととあるあるあるをををいかゞいかゞいかが思思おもひひいけむけむけん、、、白白しろいいい紙紙かみににに物物もののののさきさきさきにににしししててて書書かきききたりたりたり、、、
- 9「「「蜘蜘く蛛蛛ものののかくかくかくいといといとぞぞぞあやしきあやしきあやしき風風かぜ吹吹ふけけけばばば空空そらににに亂亂みだるゝるゝるるものものものとととしるしるしるしるしるしる」」」。。。
- 10立立たちちちかへりかへりかえり、、、
- 11「「「露露つゆにににてててもももいのちいのちいのちかけかけかけたるたるたる蜘蜘く蛛蛛ものののいいいにににあらきあらきあらき風風かぜをををばばば誰誰たれかかかふせがふせがふせがむむん」」」。。。
- 12「「「暗暗くらししし」」」ととと返返かえりりり事事ことなしなしなし。。。又又またののの日日ひ、、、昨昨きの日日うのののしらしらしら紙紙かみ思思おもひひい出出いでゝでゝでてにににやややあらあらあらむむん、、、かくかくかくいふいふいうめりめりめり、、、
- 13「「「たじろたじろたじろのののやくくひやくくひやくくい火火ひのののあとあとあとををを今日今日きょう見見みれれればばば雪雪ゆきののの白白しら濱濱はま白白しろくくくてててははは見見みししし」」」
- 14とてとてとて、、、やりやりやりたるたるたるををを「「「物物ものへへへなむなむなん」」」とてとてとて、、、かへりかへりかえりごとごとごとなしなしなし。。。又又またののの日日ひ歸歸かえりりりにににたりたりたりややや、、、かへりかへりかえりごとごとごと、、、言言こと葉葉はにににてててこひこひこいにににやりやりやりたれたれたればばば、、、「「「昨昨きの日日うのののはははいといといとふるめかしきふるめかしきふるめかしき心心こころちちちすれすれすればばば聞聞きこえええずずず」」」ととといはせいはせいわせたりたりたり。。。又又またののの日日ひ「「「はははふるめかしふるめかしふるめかしとととかかか、、、いといといとことわりことわりことわりなりなりなり」」」とてとてとて、、、
- 15「「「ことわりことわりことわりやややいはいはいわでででなげしなげしなげし年年とし月月つきもももふるふるふるのののやしろやしろやしろのののかみかみかみさびさびさびにににけむけむけん」」」
- 16とととあれあれあればばば、、、「「「今日今日きょう明日明日あすははは、、、物忌物忌ものいみ」」」とととかへりかへりかえりごとごとごとなしなしなし。。。明明あくくくらむらむらんととと思思おもふふう日日ひのののまだしきまだしきまだしきににに、、、
- 17「「「夢夢ゆめばかりばかりばかり見見みてててしししばかりばかりばかりににに惑惑まどひひいつゝつゝつつ明明あくるくるくるぞぞぞ遲遲おそきききあまあまあまののの戶戶とざしざしざしははは」」」。。。
- 18このこのこの度度たびももも、、、とととかうかうこういひいひいい紛紛まぎらはせらはせらわせばばば、、、又又また、、、
- 19「「「さささもももこそこそこそははは葛葛かずら城城き山山やまににになれなれなれたらたらたらめめめ唯唯ただひとひとひとことことことやややかぎりかぎりかぎりなりなりなりけるけるける。。。
- 20誰誰たれかかかはははならはせならはせならわせるるる」」」とととなむなむなん。。。若若わかききき人人ひとこそこそこそかやうかやうかようにににいふいふいうめれめれめれ。。。我我わははは春春はるののの夜夜よのののつねつねつね、、、秋秋あきのののつれつれつれづれづれづれいといといとあはれあはれあわれ深深ふかききき詠詠ながめめめをををするするするよりよりよりははは殘殘のこりらららむむん人人ひとののの思思おもひひい出出いでででにににももも見見みよよよとてとてとて、、、繪繪えをををぞぞぞ書書かくくく。。。さるさるさるうちうちうちにににももも今今いまややや今日今日きょうやややととと待待またたたるゝるゝるる命命いのちやうやうやうやうようよう月月つき立立たちちちててて日日ひももも行行ゆけけけばばば、、、されされさればばばよよよ、、、よもよもよも死死しなななじじじ物物ものををを、、、幸幸さいわひひいあるあるある人人ひとこそこそこそ命命いのちはははつゞむれつゞむれつづむれととと思思おもふふうにににそへそへそえもももなくなくなく、、、九月九月くがつももも立立たちちちぬぬぬ。。。二十七日二十七日にじゅうしちにちののの程程ほどににに、、、つちつちつちをををかすかすかすとてとてとて、、、ほかほかほかなるなるなるよしよしよしももも珍珍めずらしきしきしき事事ことありありありけるけるけるををを、、、人人ひと吿吿つげげげににに來來きたるたるたるもももなめなめなめことことこともももおぼえおぼえおぼえねねねばばばうとうとうとてててやみやみやみぬぬぬ。。。
現代語訳
こうして、所在なく六月を過ごした。東向きの部屋の朝日の光がたいそう苦しいので、皆、廂の間に出ていると、気のおける人(父の一家)が近くにいるように思われるので、そっと物に寄りかかって横になって聞いていると、蝉の声がたいそうしきりになっているのを、ぼんやりとしてまだ耳にしていない老人がいた。庭を掃くといって、ほうきを持って木の下に立っていると、急に勢いよく鳴きだしたので、驚いて振り仰いで言うことには、「よいぞよいぞと言うのは蝉が来たのだな。虫でさえ季節を知っているよ」と、独り言を言うのに合わせて、しきりに鳴き満ちたので、おかしくもしみじみともあったような気持ちがした。大夫(道綱)が、そばの紅葉のまじった枝につけて、例の所(大和の女)に送る。
「夏山の木の下露が深いので、一方で嘆きの木の色も(紅葉して)燃えてしまいました」
返事は、
「露にばかり色が燃えるというのなら、言葉(の葉)を、幾度染めたものと知ればよいのでしょう」
などと言っているうちに、宵になって珍しく(兼家から)手紙が心をこめて来た。二十日余り、たいそうまれなことだった。あきれたことと見慣れてしまったので、言っても仕方がなくて、このごろ(私が)何事もないふうにふるまっているのも、(あの人が)困り果てたからなのだろうと、一方では思うと、たいそう、しみじみと、以前よりいっそう(返事を)急ぐ。そのころ、地方回りの人(父)の家が焼けてしまったので、ここに移ってきて、……多くて騒がしく明け暮れるのも、(あの人が)人目をどう思うかと思われるほどまで、音沙汰がない。
七月十日過ぎになって、客(父の一家)が帰ってしまったので、名残もなく所在なくて、盆の事の支度などを、あれこれと嘆く。人々の様子を聞くのもしみじみともあり、心穏やかでなくもある。三日(十五日の盆)には例年のように調えて、政所の送り文を添えて(兼家から)届いた。いつまでここで(こうしていられるか)と、何も言わずに思う。
そのまま八月になった。一日は雨が降って暮れる。時雨めいていたが、未の刻ごろに晴れて、つくつく法師がたいそうやかましいほど鳴くのを聞くにつけても「ものは」と口に出てしまう。どうしたことだろう、妙に心細く涙が浮かぶ日である。ただ、心に気がかりなことに、(この年に)死ぬだろうという予言もあったので、この月だろうかとも思う。相撲の節会があるだろうなどと世間で騒いでいるのをよそに聞く。
十一日になって、(あの人が)思いがけない夢を見たといって、こうして(やって来て)などと、例の、本当にはありそうにない事も多かったが、……で、物も言われないので、「どうして物も言わないのか」と言う。「何を申し上げることがありましょう」と答えると、「どうして来ないのか、訪ねないのかと(恨めばよい)」、「憎い、ひどいと言って、打ちもつねりもしなさいよ」と言い続けられるので、(私の)申し上げるべきことを全部おっしゃるようなので、「何を(申しましょう)」と言って終わった。翌朝、「今度の行事(相撲)を済ませて参ろう」と言って帰った。十七日に、還饗(かえりあるじ)だと聞く。月末になったので、約束した行事は多く過ぎたけれど、(来ない。)今は何も気にならず、慎めという月日(死ぬと告げられた時期)が近づいたことを、しみじみとばかり思いながら過ごす。
大夫が、例の所に手紙を送る。これまでの返事が(女)自身の筆とは見えなかったので、恨みなどして、
「夕暮れの寝屋の軒端を眺めていると、自分の手でだけ蜘蛛も巣をかいています(あなたは自分で書いてくれない)」
とあるのをどう思ったのか、白い紙に、物の先で(爪などで)書いてあった。
「蜘蛛のかく糸はたいそう頼りないものです。風が吹けば空に乱れるものと、知りながら(かいているのです)」
すぐに返して、
「露ほどにも命をかけている蜘蛛の巣に、荒い風を誰が防いでくれるのでしょうか」
「暗い(もう読めない)」と言って返事はない。翌日、昨日の白い紙を思い出したのだろうか、このように言ったようだ。
「たじろの……火の跡を今日見ると、雪の白浜のように白く見えたことでした」
と送ったが、「外出しております」と言って、返事はない。翌日、帰っただろうかと、返事を口頭で求めにやったところ、「昨日のはたいそう古めかしい気がしたので、お返事しません」と言わせた。翌日、「古めかしいとか、まことにもっともだ」と言って、
「もっともなことです。言わずに嘆いてきた年月も、布留の社の神のように古びてしまったのでしょう」
とあると、「今日明日は物忌み」と言って返事がない。(物忌みが)明けるだろうと思う日のまだ早いうちに、
「夢ほど(わずかに)見ただけで、迷いながら(夜が)明けるのが遅く思われます、天の岩戸の戸閉ざしは」
今度も、あれこれと言い紛らすので、また、
「そのように葛城山(の一言主の神)に慣れているのでしょう。ただ一言だけで終わりなのですか。
誰がそう慣らしたのですか」とのこと。若い人こそ、こんなふうに言うものだ。私は、春の夜の常、秋の所在なさの中で、たいそうしみじみとした物思いにふけるよりは、(私の死後に)残る人の思い出にも見よと思って、絵を描く。そうしているうちにも、今か今日かと待たれる命は、だんだんと月が改まり日も過ぎていくので、やはりそうだ、まさか死にはしないものを、幸いのある人こそ命は縮まるのだと思うにつけても……なく、九月も過ぎた。二十七日ごろに、土を犯す(土忌み)というので、よそにいる間に珍しいことがあったのを、人が知らせに来たけれど、……とも思われないので、……と言って終わった。
意訳
〔蝉の声〕夏の朝、まだ蝉の声を聞いていなかった老人が、木の下で急に鳴きだした蝉に驚き、「虫でさえ季節を知っている」とつぶやく。作者はその素朴な言葉に、おかしさとしみじみとした思いを同時に感じる。
〔父の一家〕地方回りの父の家が焼け、一家が作者の家に身を寄せる。人の出入りで騒がしいのに、兼家は人目を気にしてか、まったく音沙汰がない。
〔死の予感〕八月は、作者が死ぬと予言された月だった。つくつく法師の声に涙ぐみ、「この月だろうか」と思う。兼家は夢見が悪かったと言って訪れるが、作者は口をきかず、兼家ばかりがしゃべって帰る。作者は、慎めと言われた月日が近づくのを、しみじみと待つ。
〔道綱の贈答〕道綱は大和の女に、蜘蛛の巣や布留の社、天の岩戸、葛城山の神をふまえた歌を次々に贈る。女は代筆や物忌みを口実になかなか本気で応じない。
〔残す絵〕若い人々の恋の歌をよそに、作者は「自分が死んだ後に残る人の思い出に」と絵を描く。だが八月も九月も過ぎ、「幸いのある人こそ命は縮むのだ」と、死ねない自分を皮肉に思う。
語釈・文法注
文法
- 「かたれらふして」
- 底本どおり。注記に異文があり、「かたへに臥して」の意か。
- 「耳を養はぬ」
- まだ(蝉の声を)耳にしていない。
- 「翁ありきり」
- 底本どおり。注記に「けり」の異文がある。
- 「よひぞよひぞといふなは」
- 蝉の鳴き声を「よいぞ、よいぞ」と聞きなしたもの。
- 「ときせち」
- 時節。季節。
- 「ありなかりける」
- 底本どおり。注記に異文がある。
- 「なげき」
- 「嘆き」と「投げ木(薪)」を掛ける。
- 「縣ありきの家」
- 地方回りの人、すなわち受領として各地を歴任した作者の父、藤原倫寧の家。
- 「ぼにの事」
- 盆の事。七月十五日の盂蘭盆。
- 「してまどころの贈文」
- 底本どおり。注記に異文がある。政所(兼家の家政機関)からの送り状か。
- 「くつくつぼうし」
- つくつく法師。
- 「ものは」
- 「ものは」と口に出る。古歌の一節を口ずさむか。
- 「しぬべしといふさとし」
- この年に死ぬだろうという予言。夢や占いによるもの。
- 「すまひの會」
- 相撲の節会。七月末に宮中で行われる。
- 「ちりにもので」
- 底本どおり。注記に「五字あるにもあらイ」とあり、意味がとりにくい。
- 「うちもつみもし給へかし」
- 打ちもつねりもしなさい。「つみ」は「抓む」。
- 「かへりあるじ」
- 還饗。相撲の節会などの後に、近衛大将が自邸で催す饗宴。
- 「愼めといふ月日」
- 死ぬと告げられた、慎むべき月日。
- 「ふるのやしろ」
- 布留の社。大和の石上神宮。「古る」を掛ける。
- 「あまの戶ざし」
- 天の岩戸の戸閉ざし。夜が明けないこと、女が会ってくれないことにたとえる。
- 「葛城山」
- 一言主の神が、容貌の醜さを恥じて夜しか働かず、一言しか言わなかったという伝説をふまえる。
- 「つゞむれ」
- 縮むれ。命を縮める。
- 「つちをかす」
- 土を犯す。土木工事の禁忌(土忌み)。
- 「なめこともおぼえねばうと」
- 底本どおり。注記に異文があり、意味がとりにくい。
和歌
夏山の木のしたつゆのふかければかつぞなげきの色もえにける
- 詠者
- 藤原道綱
- 状況
- 紅葉のまじった枝につけて、大和の女に贈った歌。
修辞
- 掛詞
- 「なげき」に「嘆き」と「投げ木」、「もえ」に「萌え」と「燃え」を掛ける。
露にのみいろもえぬれば言の葉をいくしほとかは知るべかるらむ
- 詠者
- 大和の女
- 状況
- 道綱への返歌。
修辞
- 縁語
- 「色」「しほ(入)」は染色の縁語。
夕されの寢屋のつまづま詠むればてづからのみぞ蜘蛛もかきぬる
- 詠者
- 藤原道綱
- 状況
- 女の返事が代筆ばかりなのを恨んで贈った歌。
修辞
- 掛詞
- 「かき」に蜘蛛が巣を「かく」と、文を「書く」を掛ける。
蜘蛛のかくいとぞあやしき風吹けば空に亂るゝものとしるしる
- 詠者
- 大和の女
- 状況
- 白い紙に爪で書いてよこした返歌。
修辞
- 掛詞
- 「いと」に「糸」と「いと(たいそう)」を掛ける。
露にてもいのちかけたる蜘蛛のいにあらき風をば誰かふせがむ
- 詠者
- 藤原道綱
- 状況
- 女の返歌にすぐに返した歌。
修辞
- 掛詞
- 「い」に蜘蛛の「い(糸)」をこめる。
たじろのやくくひ火のあとを今日見れば雪の白濱白くては見し
- 詠者
- 藤原道綱
- 状況
- 前日の白い紙の返事を思い出して贈った歌。
ことわりやいはでなげし年月もふるのやしろのかみさびにけむ
- 詠者
- 藤原道綱
- 状況
- 女が「古めかしいので返事をしない」と言ってきたのに対する歌。
修辞
- 掛詞
- 「ふる」に「布留」と「古る」を掛ける。
夢ばかり見てしばかりに惑ひつゝ明くるぞ遲きあまの戶ざしは
- 詠者
- 藤原道綱
- 状況
- 女の物忌みが明ける日の早朝に贈った歌。
修辞
- 掛詞
- 「あま」に「天」と「尼」、「明くる」に夜が「明ける」と戸を「開ける」をひびかせる。
さもこそは葛城山になれたらめ唯ひとことやかぎりなりける
- 詠者
- 藤原道綱
- 状況
- 女が言い紛らすので、さらに贈った歌。
修辞
- 本説
- 葛城山の一言主の神の伝説をふまえ、一言しか返さない女を責める。
解説
蝉の声に驚く老人の場面は、『蜻蛉日記』の中でも生き生きとした描写として知られる。作者は老人の素朴なつぶやきに耳を傾け、自分の物思いを離れて、季節の移ろいを受け止めている。
この年、作者は死ぬと予言されていた。八月の作者は、つくつく法師の声に涙を浮かべ、残される人のために絵を描く。しかし何事もなく九月を迎え、「幸いのある人こそ命が縮む」と皮肉に書きつける。死をめぐる不安と、死ねない身の憂さとが交錯している。
道綱と大和の女の贈答は、古歌や伝説をふまえた技巧的な歌が多く、作者が代作したと考えられる。若い人々の恋のやりとりを、作者は「若き人こそかやうにいふめれ」と一歩引いて見ている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、130–133頁(コマ68–69)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日