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蜻蛉日記 下巻 第44章

賀茂祭と大和だつ女

天禄三年四月、作者は賀茂祭の御禊を見物し、一条の太政大臣伊尹の威勢を目にする。道綱は祭見物の帰りに見かけた女車を追い、大和の女と歌を贈答する。五月の節句には、作者が菖蒲の根に添えて歌を贈り、道綱も相手の女に歌を贈る。長雨の頃、作者は石山で会った法師に、道綱の出世だけを祈ってほしいと頼む。

  1. 1こゝこゝここににに物忌ものいみ物忌ものいみものいみ繁しげ繁しげしげくくくててて、、、四月しぐわつ四月しぐわつしがつははは十じふ十じふじゅうよよよ日にち日にちにちににになりなりなりたれたれたればばば、、、世よ世よよにににははは祭まつり祭まつりまつりとてとてとてのゝしるのゝしるののしるなりなりなり。。。人ひと人ひとひと、、、忍しの忍しのしのびびびてててとととさそへさそへさそえばばば、、、みそぎみそぎみそぎよりよりよりはじめはじめはじめててて見み見みみるるる。。。わたくしわたくしわたくしみてぐらみてぐらみてぐら奉たてまつ奉たてまつたてまつらららむむんとてとてとてまうでまうでもうでたれたれたればばば、、、一條いちでう一條いちでういちじょうのののおほきおほきおおきまうでまうでもうであひあひあい給たま給たまたまへへえりりり。。。いといといといかめしういかめしういかめしゅうのゝしるのゝしるののしるなどなどなどいへいへいえばばばさらさらさらなりなりなり。。。さしさしさし步あゆ步あゆあゆみみみなどなどなどししし給たま給たまたまへへえるるるさまさまさま、、、いたういたういとう似に似にに給たま給たまたまへへえるるるかなかなかなととと思おも思おもおもふふうににに、、、大方おほかた大方おほかたおおかたののの儀ぎ儀ぎぎ式しき式しきしきももも、、、これこれこれににに劣おと劣おとおとるるる事こと事ことことあらあらあらじじじかしかしかし。。。これこれこれをををあなあなあなめでためでためでた、、、いかなるいかなるいかなる人ひと人ひとひとなどなどなど、、、思おも思おもおもふふう人ひと人ひとひとももも聞き聞ききくくく人ひと人ひとひとももも、、、いふせきいふせきいうせきくくくぞぞぞいとゞいとゞいとどものものものははは覺おぼ覺おぼおぼえええけむけむけんかしかしかし。。。さるさるさる心こころ心こころこころちちちなからなからなからむむん人ひと人ひとひとににに引ひ引ひひかかかれれれててて、、、又また又またまたくくく院ゐん院ゐんいんのののわたりわたりわたりにににものものものするするする日ひ日ひひ、、、大たい大たいたい夫ふ夫ふふももも引ひ引ひひききき續つづ續つづつづけけけてててあるあるあるににに、、、車くるま車くるまくるまどもどもどもかへるかへるかえるほどほどほどににに、、、よろしきよろしきよろしきさまさまさまににに見み見みみえええけるけるける、、、女をんな女をんなおんな車くるま車くるまくるまのののしりしりしりににに續つづ續つづつづきききそめそめそめにににけれけれければばば、、、後おく後おくおくれれれずずずおもひきおもひきおもいきけれけれければばば、、、家いへ家いへいえををを見み見みみせせせじじじとととにににやややあらあらあらむむん、、、とくとくとく紛まぎ紛まぎまぎれれれいきいきいきにににけるけるけるををを、、、追お追おおひひいててて尋たづ尋たづたずねねねはじめはじめはじめててて、、、又また又またまたののの日ひ日ひひかくかくかくいひいひいいやるやるやるめるめるめる、、、
  2. 2「「「思おも思おもおもひひいそめそめそめ物もの物ものものをををこそこそこそおもへおもへおもえ今日けふ今日けふきょうよりよりよりはははあふひあふひあおい遙はるか遙はるかはるかににになりなりなりやややしししぬぬぬらむらむらん」」」
  3. 3とてとてとてやりやりやりたるたるたるににに、、、さらにさらにさらにおぼえおぼえおぼえずずずなどなどなどいひいひいいけむけむけんかしかしかし。。。されどされどされど、、、又また又またまた、、、
  4. 4「「「わりなくわりなくわりなくもももすぎすぎすぎ立た立たたちちちにににけるけるける心こころ心こころこころかなかなかな三輪みわ三輪みわみわののの山やま山やまやまもともともとたづねたづねたずねはじめはじめはじめててて」」」
  5. 5ととといひいひいいやりやりやりけりけりけり。。。大和やまと大和やまとやまと立た立たたつつつ人ひと人ひとひとなるなるなるべしべしべし。。。かへしかへしかへし、、、
  6. 6「「「三輪みわ三輪みわみわののの山やま山やまやままちまちまち見み見みみるるる事こと事ことことのののゆゝしさゆゝしさゆゆしさににに杉すぎ杉すぎすぎ立た立たたてててりりりともともともえええこそこそこそ知し知ししらせらせらせねねね」」」
  7. 7とととなむなむなん。。。かくかくかくてててつごもりつごもりつごもりににになりなりなりぬれぬれぬればばば、、、人ひと人ひとひとははは卯う卯ううののの花はな花はなはなののの蔭かげ蔭かげかげにににももも見み見みみえええずずず、、、音ね音ねねだにだにだになくなくなくてててはてはてはてぬぬぬ。。。廿八日にじふはちにち廿八日にじふはちにちにじゅうはちにちにににぞぞぞ例れい例れいれいのののひもろぎひもろぎひもろぎのののたよりたよりたよりににに「「「なやましきなやましきなやましき事こと事ことことありありありててて」」」などなどなどありありありききき。。。五月ごぐわつ五月ごぐわつごがつににになりなりなりぬぬぬ。。。「「「さうぶさうぶそうぶののの根ね根ねね長なが長ながながききき」」」などなどなどこゝこゝここなるなるなる若わか若わかわかききき人ひと人ひとひと騷さわ騷さわさわげげげばばば、、、徒つれ徒つれつれ然づれ然づれづれなるなるなるににに取と取ととりりり寄よ寄よよせせせてててつらぬきつらぬきつらぬきなどなどなどすすす。。。「「「これこれこれかしこかしこかしこににに、、、同おな同おなおなじじじほどほどほどなるなるなる人ひと人ひとひとににに奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり」」」などなどなどいひいひいいててて、、、
  8. 8「「「かくれかくれかくれぬぬぬににに生お生おおひひいそめそめそめにににけるけるけるあやめあやめあやめ草ぐさ草ぐさぐさ知し知ししるるる人ひと人ひとひとなしなしなしににに深ふか深ふかふかきききしたしたした根ね根ねねををを」」」
  9. 9ととと書か書かかきききててて、、、なかなかなかにににむすびむすびむすびつけつけつけててて、、、大たい大たいたい夫ふ夫ふふののの參まゐ參まゐまいるるるにににつけつけつけてててものものものすすす。。。かへりかへりかえりごとごとごと、、、
  10. 10「「「菖あや菖あやあや蒲め蒲めめ草ぐさ草ぐさぐさ根ね根ねねににに顯あらは顯あらはあらわるゝるゝるる今日けふ今日けふきょうだにだにだにはははいついついつかかかととと待ま待ままちちちしししかひかひかいもももありありありけれけれけれ」」」。。。
  11. 11大たい大たいたい夫ふ夫ふふににに、、、今いま今いまいまひとつひとつひとつ、、、とととかくかくかくしししてててかのかのかの所ところ所ところところににに、、、
  12. 12「「「我わ我わわががが袖そで袖そでそでははは引ひ引ひひくくくとととぬらしぬらしぬらしつつつあやめあやめあやめ草ぐさ草ぐさぐさ人ひと人ひとひとのののたもとたもとたもとにににかけかけかけてててかわかせかわかせかわかせ」」」。。。
  13. 13御おほん御おほんおん返かへ返かへかえりりり事こと事ことこと、、、
  14. 14「「「引ひ引ひひきききつつつらむらむらん袂たもと袂たもとたもとはははしらしらしらずずずあやめあやめあやめ草ぐさ草ぐさぐさあやあやあやなきなきなき袖そで袖そでそでにににかけかけかけずずずもももあらあらあらなむなむなん」」」
  15. 15ととといひいひいいたなりたなりたなり。。。六日むゆか六日むゆかむいかのののつとめてつとめてつとめてよりよりより、、、あやあやあやはじまりはじまりはじまりててて三四日みかよか三四日みかよかみかよか降ふ降ふふるるる。。。川かは川かはかわとととまさりまさりまさりててて人ひと人ひとひと流なが流ながながるるるととといふいふいう。。。それそれそれもももよろづよろづよろずをををながめながめながめ思おも思おもおもふふうににに、、、いといといといふいふいうぞぞぞ限かぎり限かぎりかぎりにににもももあらあらあらねねねどどど今いま今いまいまはははおもおもおも馴な馴ななれれれにににたるたるたる事こと事ことことなどなどなどはははいかにいかにいかにもももいかにいかにいかにももも思おも思おもおもははわぬぬぬににに、、、このこのこの石山いしやま石山いしやまいしやまににに逢あ逢ああひひいたりたりたりししし法師ほふし法師ほふしほうしののの許もと許もともとよりよりより、、、「「「御おほん御おほんおんいのりいのりいのりをををなむなむなんするするする」」」ととといひいひいいたるたるたる。。。返かへ返かへかえりりり事こと事ことことににに「「「今いま今いまいまははは限かぎり限かぎりかぎりににに思おも思おもおもひひいはてはてはてにににたるたるたる身み身みみをををばばば佛ほとけ佛ほとけほとけもももいかゞいかゞいかがししし給たま給たまたまははわむむん。。。唯ただ唯ただただ今いま今いまいまはははこのこのこの大たい大たいたい夫ふ夫ふふををを人ひと人ひとひと々びと々びとびとしくしくしくてててあらせあらせあらせ給たま給たまたまへへえなどなどなどばかりばかりばかりををを申まう申まうもうししし給たま給たまたまへへえ」」」とととかくかくかくにににぞぞぞ何なに何なになにとととをりをりおりあらあらあらむむん。。。かきかきかきくらしくらしくらしててて淚なみだ淚なみだなみだこぼるゝこぼるゝこぼるる。。。十日とをか十日とをかとおかににになりなりなりぬぬぬ。。。今日けふ今日けふきょうぞぞぞ大たい大たいたい夫ふ夫ふふにににつけつけつけてててふみふみふみあるあるある。。。「「「惱なや惱なやなやましきましきましき事こと事ことことのみのみのみありありありつゝつゝつつ、、、覺おぼ覺おぼおぼ束つか束つかつかなきなきなき程ほど程ほどほどににになりなりなりにににけるけるけるををを、、、いかにいかにいかに」」」などなどなどぞぞぞあるあるある。。。返かへ返かへかえりりり事こと事ことこと、、、又また又またまたののの日ひ日ひひ物もの物ものものするするするにににぞぞぞつくるつくるつくる。。。「「「昨きの昨きのきの日ふ日ふうははは立た立たたちちちかへりかへりかえり聞きこ聞きこきこゆゆゆべくべくべく思おも思おもおもひひい給たま給たまたまへへえしししををを、、、このこのこのたよりたよりたよりならならならでででははは聞きこ聞きこきこえええむむん事こと事ことこともももびなきびなきびなき心こころ心こころこころちちちににになりなりなりにににけれけれければばばなむなむなん。。。いかにいかにいかにとととのたまはせのたまはせのたまわせたるたるたるははは何なに何なになにかかかよろづよろづよろずことわりことわりことわりににに思おも思おもおもひひい給たま給たまたまふるふるうるべきべきべき。。。こゝろらこゝろらこころらねねねばばば、、、なかなかなかなかなかなかいといといと心こころ心こころこころやすくやすくやすくなむなむなんなりなりなりにににたるたるたる。。。風かぜ風かぜかぜだにだにだにさむくさむくさむくととと聞きこ聞きこきこえさすれえさすれえさすればばば、、、ゆゝしゆゝしゆゆしややや」」」ととと書か書かかきききけりけりけり。。。「「「引ひ引ひひかかかれれれててて賀か賀かか茂も茂ももててていづみいづみいずみにににおはしおはしおわしつれつれつればばば、、、御おほん御おほんおんかへりかへりかえりももも聞きこ聞きこきこえええででで歸かへ歸かへかえりりりぬぬぬ」」」ととといふいふいう。。。「「「めでためでためでたののの事こと事ことことややや」」」とととぞぞぞ心こころ心こころこころにににもももあらあらあらでででうちうちうちいはいはいわれれれけるけるける。。。このこのこの頃ころ頃ころころ、、、雲くも雲くもくものののたゝずまひたゝずまひたたずまい、、、しづしづしず心こころ心こころこころなくなくなくててて、、、ともともともすれすれすればばば田子たご田子たごたごのののもももすそすそすそ思おも思おもおもひひいやらやらやらるゝるゝるる。。。郭ほとと郭ほととほとと公ぎす公ぎすぎすののの聲こゑ聲こゑこえ鳴な鳴ななきききかすかすかす。。。物もの物ものもの思おも思おもおもははわしきしきしき人ひと人ひとひとははは、、、いいいこそこそこそ寢ね寢ねねららられれれざなれざなれざなれ。。。あやしうあやしうあやしゅう心こころ心こころこころようようよう寢ね寢ねねらららるゝるゝるるけけけなるなるなるべしべしべし、、、これこれこれもももかれかれかれももも「「「一ひと一ひとひと夜よ夜よよ聞き聞きききききゝゝき。。。このこのこの曉あかつき曉あかつきあかつきにににももも鳴な鳴ななきききつるつるつる」」」ととといふいふいうををを、、、人ひと人ひとひとしもしもしもこそこそこそあれあれあれ、、、我わ我わわしもしもしもまだしまだしまだしととといはいはいわむむんももも、、、いといといと耻はづか耻はづかはずかしけれしけれしければばば、、、物もの物ものものはははいはいはいわででで心こころ心こころこころののの中なか中なかなかにににおぼゆるおぼゆるおぼゆるやうやうよう、、、
  16. 16「「「我わ我わわぞぞぞげにげにげにとけとけとけてててぬらぬらぬらめめめややや郭ほとと郭ほととほとと公ぎす公ぎすぎすものものものおもひおもひおもいまさるまさるまさる聲こゑ聲こゑこえとととなるなるなるらむらむらん」」」
  17. 17とととぞぞぞ忍しの忍しのしのびびびててていはいはいわれれれけるけるける。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

ここでは物忌みが続いて、四月は十日過ぎになったので、世間では祭だと騒いでいる。ある人が、こっそり(見物しよう)と誘うので、御禊(賀茂の斎院の禊)から見物する。私的な幣を奉ろうと参詣すると、一条の太政大臣(藤原伊尹)が参詣にいらしていた。たいそう盛大に人が騒いでいるのは言うまでもない。歩いていらっしゃる様子が、たいそう(兼家に)似ていらっしゃるなと思うにつけても、全体の儀式も、これ(兼家の場合)に劣ることはないだろう。これを「ああ、すばらしい、どういう方か」などと、思う人も聞く人も(言うのを聞くと)、心が晴れずにいっそう物思いがされたことだろう。

そのような物思いのない人に誘われて、また……院のあたりへ出かけた日、大夫(道綱)も車を続けてついて来ていたが、車が帰るときに、感じのよい様子に見えた女車の後ろについて行き始めたので、遅れずに後を追ったところ、家を見せまいとしたのだろうか、すばやく紛れてしまったのを、追って行って探し始めて、翌日、このように言い送ったようだ。

「思い初めてから物思いをしています。葵祭の今日からは、逢う日もはるか遠くなってしまったのでしょうか」

と送ったところ、まったく覚えがないなどと言ったのだろう。けれども、また、

「わけもなく杉の立つ所を過ぎて来てしまった心ですよ。三輪の山もとを探し始めて」

と言い送った。大和の家筋の人であるようだ。返しは、

「三輪の山で待って逢うことが恐ろしいので、杉が立っている(そこが家だ)とも、お知らせできません」

とのことだった。こうして月末になったが、あの人(兼家)は卯の花の陰にも姿を見せず、便りさえないまま月が終わった。二十八日に、例の神事のついでに「気分のすぐれないことがあって」などと言ってきた。

五月になった。「菖蒲の根の長いもの」などと、ここにいる若い人々が騒ぐので、所在ないので取り寄せて(薬玉に)通したりする。「これを、あちら(兼家の邸)の同じ年頃の人(兼家の娘)に差し上げなさい」などと言って、

「隠れた沼に生え始めた菖蒲のように、知る人もないまま深く根を張っている(この子の)根を(見てください)」

と書いて、中に結びつけて、大夫が参上するのに託して贈る。返事は、

「菖蒲草の根が現れる今日こそは、いつかと待っていたかいもあったことです」

大夫も、もう一つ、あれこれとして、あの女の所に、

「私の袖は、菖蒲を引こうとして濡らしてしまいました。その菖蒲草を、あなたの袂にかけて乾かしてください」

女の返事は、

「お引きになったという袂のことは存じません。菖蒲草を、わけもない(私の)袖にかけないでいただきたいものです」

と言ってきたようだ。

六日の早朝から長雨が始まって、三、四日降る。川が増水して人が流されたという。それにつけても、何もかもぼんやりと物思いにふけっていると、ひどく……と言うほどでもないが、今は見慣れてしまったことなどは、どうとも思わないでいると、あの石山で会った法師のもとから、「(あなたのための)御祈りをしております」と言ってきた。返事に「今はもうこれまでと思い切ってしまった身を、仏もどうなさいましょう。ただ今は、この大夫を一人前にしてくださいなどということだけを、お祈りください」と書くにつけても、何ということだろう、目の前が暗くなって涙がこぼれる。

十日になった。今日、大夫に託して(兼家からの)手紙がある。「気分の悪いことばかり続いて、すっかりご無沙汰になってしまったが、いかがか」などとある。返事は、翌日に出すときに託す。「昨日はすぐにお返事を差し上げようと存じましたが、このついででなくてはお便りするのも不都合な気持ちになってしまいましたので。いかがかとおっしゃったのは、何も、すべてもっともなことと存じましょうか。……ないので、かえってたいそう気楽になっております。風さえ寒くと申し上げれば、縁起でもないことですね」と書いた。(道綱が)「(兼家が)誘われて、賀茂の泉にいらっしゃったので、お返事も差し上げないで帰ってきました」と言う。「結構なことですね」と、心にもなく口に出してしまった。

このごろ、雲の様子が落ち着かず、ともすれば田子の裳裾(田植えの女の濡れた裾)が思いやられる。ほととぎすの声が鳴いて聞こえる。物思いのある人は眠れないというのに、不思議なほど気持ちよく眠ってしまうためだろう、誰もかれも「一晩聞いた。この明け方にも鳴いた」と言うのに、ほかならぬ私だけがまだだと言うのも、たいそう恥ずかしいので、何も言わずに心の中で思うことには、

「私が本当に、うちとけて寝ていたのだろうか。ほととぎすよ、物思いのつのる声となって鳴くのだろう」

と、そっと口ずさんでしまった。

意訳

〔賀茂祭の御禊〕天禄三年四月、作者は賀茂祭の御禊を見物し、一条の太政大臣伊尹の盛大な参詣を見る。兼家によく似た伊尹の姿に、人々の賞賛を聞きながら、作者は自分の境遇との隔たりを思う。

〔道綱の恋〕道綱は祭見物の帰りに、感じのよい女車を追いかけ、大和の家筋の女に歌を贈る。女は「杉の立つ所(三輪の山)を知らせることはできない」とつれなく返す。作者は息子の初めての恋の様子を、少し距離をおいて書きとめている。

〔端午の節句〕五月、作者は菖蒲の根に添えて、兼家の娘(道綱の異母姉妹)に歌を贈る。「隠れ沼に生えた菖蒲」は、世間に知られずにいる養女のことでもある。道綱も大和の女に菖蒲の歌を贈るが、女の返事はやはりそっけない。

〔祈りと諦め〕長雨の頃、石山で会った法師が祈りを続けていると言ってくる。作者は「自分のことはもう仏もどうにもならない。ただ道綱が一人前になるよう祈ってほしい」と答え、涙をこぼす。兼家の手紙にも、作者は「かえって気楽になった」と突き放した返事を書く。

〔ほととぎす〕人々がほととぎすの声を聞いたと言うのに、作者だけがまだ聞いていない。物思いのある人は眠れないはずなのに、と作者は自分の寝つきのよさを恥じ、「物思いがつのる声だから聞こえないのか」と歌う。

語釈・文法注

一條のおほきおとゞ
一条の太政大臣、藤原伊尹(924〜972)。兼家の同母兄。天禄元年(970)に摂政、翌年太政大臣。この年の十一月に亡くなる(第46章)。

文法

「みそぎ」
賀茂祭の前に斎院が賀茂川で行う禊。
「わたくしみてぐら」
私的に奉る幣帛。
「いふせきくぞ」
底本どおり。注記に異文がある。心が晴れない、の意に解する。
「又く院」
底本どおり。注記に異文があり、院の名ははっきりしない。
「後れずおもひきければ」
底本どおり。「おも」と「ひきければ」の間に注記がある。遅れずについて行った、の意に解する。
「あふひ」
「葵」と「逢ふ日」を掛ける。
「大和立つ人」
底本どおり。注記に異文がある。大和の家筋の人、の意に解する。
「ひもろぎのたより」
神事のついで。
「さうぶの根」
菖蒲の根。五月五日に長い根を比べたり、薬玉に通したりした。
「同じほどなる人」
養女と同じ年頃の人。兼家の娘(のちの超子・詮子など)をさすか。
「あや」
底本どおり。注記に「め」の異文があり、「雨」と解する。
「いといふぞ」
底本どおり。意味がとりにくい。
「とかくにぞ何とをりあらむ」
底本どおり。意味がとりにくい。
「こゝろらねば」
底本どおり。注記に異文があり、意味がとりにくい。
「賀茂ていづみ」
底本どおり。注記に「の」の異文があり、「賀茂の泉」と解する。
「田子のもすそ」
田植えをする女の裳裾。長雨で濡れることを思いやる。
「寢らるゝけ」
寝られるせい。「け」は原因を表す。

和歌

思ひそめ物をこそおもへ今日よりはあふひ遙になりやしぬらむ

詠者
藤原道綱
状況
祭見物の帰りに見かけた女車の女に、翌日贈った歌。

修辞

掛詞
「あふひ」に「葵」と「逢ふ日」を掛ける。

わりなくもすぎ立ちにける心かな三輪の山もとたづねはじめて

詠者
藤原道綱
状況
女が「覚えがない」と返したのに、重ねて贈った歌。

修辞

掛詞
「すぎ」に「過ぎ」と「杉」を掛ける。
本歌
「我が庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門」(『古今和歌集』雑下)をふまえる。

三輪の山まち見る事のゆゝしさに杉立てりともえこそ知らせね

詠者
大和の女
状況
道綱への返歌。

修辞

本歌
同じく「杉立てる門」の古歌をふまえ、家の目印の杉を教えられないと拒む。

かくれぬに生ひそめにけるあやめ草知る人なしに深きした根を

詠者
道綱母(作者)
状況
五月の節句に、菖蒲の根に結びつけて兼家の娘に贈った歌。

修辞

掛詞
「かくれぬ」に「隠れ沼」と「隠れぬ」を掛け、人に知られずにいる養女を菖蒲の根にたとえる。

菖蒲草根に顯るゝ今日だにはいつかと待ちしかひもありけれ

詠者
兼家の娘
状況
作者の歌への返歌。

修辞

掛詞
「根」に「音」をひびかせる。

我が袖は引くとぬらしつあやめ草人のたもとにかけてかわかせ

詠者
藤原道綱
状況
五月の節句に、大和の女に贈った歌。

修辞

縁語
「袖」「たもと」「かけ」「かわかせ」は衣の縁語。

引きつらむ袂はしらずあやめ草あやなき袖にかけずもあらなむ

詠者
大和の女
状況
道綱への返歌。

修辞

掛詞
「あやめ」と「あやなき」の音を重ねる。

我ぞげにとけてぬらめや郭公ものおもひまさる聲となるらむ

詠者
道綱母(作者)
状況
人々がほととぎすの声を聞いたと言うのに、自分だけ聞いていないのを恥じて、心の中で詠んだ歌。

解説

天禄三年(972)四月の賀茂祭で、作者は太政大臣伊尹の盛大な参詣を見た。兼家によく似た兄の栄華を目の当たりにして、作者は兼家の一族の繁栄と、そこから遠い自分の境遇を思わずにはいられない。伊尹はこの年の十一月に亡くなる。

下巻では、成長した道綱の恋が描かれる。大和の女との贈答は、『古今和歌集』の「我が庵は三輪の山もと」の歌をふまえたもので、道綱の歌の多くは母の作者が代作したと考えられている。

石山の法師への返事で、作者は自分のことはもう祈らなくてよい、道綱の出世だけを祈ってほしいと言う。兼家への期待を捨て、息子に望みをかける作者の心境の変化がよく表れている。

関連

出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、127–130頁(コマ66–68)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日