蜻蛉日記 下巻 第41章
紅梅の下の兼家
養女を迎えてから、兼家の手紙には必ず「小さい人はどうしている」とある。二月、町の小路の女の家の近くで火事があり、八日には兼家が紅梅の盛りの下に車を寄せて訪れる。兼家は養女の裳着をしようと言い、作者は娘に手習いや歌を教える。閏二月の夜更け、近所の火事に兼家が駆けつけ、「昔なら馬に乗ってでも来たのに」と語る。
- 1それそれそれよりよりより後後のち、、、文文ふみなどなどなどあるあるあるにににははは、、、必必かならずずず、、、「「「小小ちいさききき人人ひとはははいかにいかにいかにぞぞぞ」」」などなどなどしばしばしばしばしばしばありありあり。。。さてさてさて二十五日二十五日にじゅうごにちのののよよよ、、、宵宵よいうちうちうち過過すぎぎぎてててのゝしるのゝしるののしる。。。火火ひののの事事ことなりなりなりけりけりけり。。。「「「いといといと近近ちかししし」」」などなどなど騷騷さわぐぐぐををを聞聞きけけけばばば、、、憎憎にくしししととと思思おもふふう所所ところなりなりなりけりけりけり。。。そのそのその五六日五六日いつかむいかははは例例れいのののものものもの忌忌いみととと聞聞きくくくををを、、、「「「みかどみかどみかどのののしたしたしたよりよりよりなむなむなん」」」とてとてとて文文ふみありありあり。。。なになになにくれくれくれとととこまやかこまやかこまやかなりなりなり。。。いれいれいれはははかたかるかたかるかたかる。。。八日八日ようかののの日日ひ、、、未未ひつじののの時時ときばかりばかりばかりににに、、、「「「おはしますおはしますおわしますおはしますおはしますおわします」」」とととのゝしるのゝしるののしる。。。中中ちゅう門門もんおしおしおしあけあけあけててて、、、車車くるまごめごめごめ引引ひききき入入いるゝるゝるるををを見見みれれればばば、、、御御ご前前ぜんのののをのこをのこおのこどもどもども、、、あまたあまたあまたながえながえながえにににつけつけつけててて、、、すだれすだれすだれ卷卷まきききあげあげあげ、、、下下したすだれすだれすだれ左左さ右右ゆうおしおしおし挾挾はさみみみたりたりたり。。。榻榻しじもてもてもて寄寄よりりりたれたれたればばば、、、おりおりおり走走はしりりりててて、、、紅紅こう梅梅ばいののの唯唯ただ今今いま盛盛さかりりりなるなるなるしたしたしたよりよりよりさしさしさしあげあげあげたるたるたるににに、、、似似にげげげなうなうのうもももあるあるあるまじまじまじ。。。うちうちうち擧擧あげげげつゝつゝつつ「「「あなあなあな面面おも白白しろ」」」ととといひいひいいつゝつゝつつ、、、步步あゆみみみのぼりのぼりのぼりぬぬぬ。。。さてさてさてのののるるるををを思思おもひひいたれたれたればばば、、、又又また南南みなみふたがりふたがりふたがりにににけりけりけり。。。「「「などなどなどかかかははは、、、さささははは吿吿つけけけざりざりざりししし」」」とととあれあれあればばば、、、「「「さささ聞聞きこえええたらたらたらましかましかましかばばば、、、いかゞいかゞいかがあるあるあるべかりべかりべかりべけるべけるべける」」」とととものものものすれすれすればばば、、、「「「違違たがへへえこそこそこそせせせましかましかましか」」」とととありありあり。。。「「「思思おもふふう心心こころをををややや、、、今今いまよりよりよりこそこそこそははは試試こころみるみるみるべかりべかりべかりけれけれけれ」」」などなどなど、、、猶猶なおもももあらあらあらじじじににに、、、たれたれたれもももののののののしけりしけりしけり。。。ちひさきちひさきちいさき人人ひとにににははは手手て習習ならひひい歌歌うたよみよみよみなどなどなど敎敎をしへへへ、、、こゝこゝここにににてててはははけしうけしうけしゅうはははあらあらあらじじじととと思思おもふふうををを、、、「「「思思おもははわずずずにににてててははは、、、いといといとあしからあしからあしからむむん。。。今今いまかしこかしこかしこなるなるなるととと諸諸もろ共共ともににに、、、裳裳も着着きせせせむむん」」」などなどなどいひいひいいててて日日ひ暮暮くれれれにににけりけりけり。。。「「「同同おなじうじうじゅうははは院院いんへへへ參參まいらららむむん」」」とてとてとてのゝしりのゝしりののしりててて出出いでででられられられぬぬぬ。。。このこのこの頃頃ころ空空そらののの氣氣け色色しきなほりなほりなおり立立たちちちててて、、、うらうらうらうらうらうらとととのどかのどかのどかなりなりなり。。。暖暖あたたかかかにににもももあらあらあらずずず、、、寒寒さむくむくむくもももあらあらあらぬぬぬ風風かぜ、、、梅梅うめにににたぐひたぐひたぐいててて、、、鶯鶯うぐいすをををさそふさそふさそうははは、、、鳥鳥とりののの聲聲こえなどなどなどさまざまさまざまさまざまなななごうごうごう聞聞きこえええたりたりたり。。。屋屋やのののうへうへうえをををながむれながむれながむればばば巢巢すくふくふくう雀雀すずめどもどもども瓦瓦かわらののの下下したををを出出いでゝでゝでて入入いりりり囀囀さえづるづるずる。。。庭庭にはののの草草くさ、、、氷氷こおりにににゆるさゆるさゆるされれれ顏顏がおなりなりなり。。。うるふうるふうるう二月二月にがつののの朔日朔日ついたちののの日日ひ、、、雨雨あめのどかのどかのどかなりなりなり。。。それそれそれよりよりより後後のち空空そら晴晴はれれれたりたりたり。。。三日三日みつか方方かた明明あきききぬぬぬととと思思おもふふうををを音音おとなしなしなし。。。ようかようかようかもももはやはやはや暮暮くれれれぬるぬるぬるをををあやしあやしあやしととと思思おもふふう思思おもふふうねねねててて聞聞きけけけばばば、、、夜夜よ中中なかばかりばかりばかりににに火火ひののの騷騷さわぎぎぎするするする所所ところありありあり。。。近近ちかしししととと聞聞きけけけどどどものものもの憂憂うくくくててて起起おきききもももあがらあがらあがられれれぬぬぬををを、、、これこれこれかれかれかれ問問とふふうべきべきべき人人ひとがちがちがちからからからあるあるあるまじきまじきまじきもももありありあり。。。其其それにににぞぞぞ起起おきききててて出出いでゝでゝでて答答こたへへえなどなどなどしししててて「「「めしめりめしめりめしめりぬぬぬめりめりめり」」」とてとてとてあかれあかれあかれぬれぬれぬればばば、、、入入いりりりてててうちうちうち臥臥ふすすす程程ほどにににさきさきさきおふおふおう者者もの門門かどにににとまるとまるとまる心心ここちちちすすす。。。あやしあやしあやしととと聞聞きくくく程程ほどににに、、、「「「おはしますおはしますおわします」」」ととといふいふいう。。。燈燈とも火火しびののの消消きえええててて、、、這這はひひい入入いりりりににに暗暗くらけれけれければばば、、、「「「あなあなあなくらくらくら。。。ありありありつるつるつる物物ものををを、、、賴賴たのまままれれれたりたりたりけるけるけるにににこそこそこそありありありけれけれけれ。。。近近ちかききき心心ここちちちのののしししつれつれつればばばなむなむなん。。。今今いまははは歸歸かえりりりなむなむなんかしかしかし」」」ととといふいふいういふいふいううちうちうち臥臥ふしししててて、、、「「「宵宵よいよりよりより參參まいりりりこここまほしうまほしうまほしゅうてててありありありつるつるつるををを、、、をのこをのこおのこどもどもどもゝゝも皆皆みな能能まかりりりてててにげにげにげにににけれけれければばばえええものものものせせせででで。。。昔昔むかしならならならましかましかましかばばば馬馬うまににに這這はひひい乘乘のりりりてててももも、、、物物ものしししなましなましなまし。。。なでふなでふなでう身身みにににはははあらあらあらむむん。。。何何なにばかりばかりばかりののの事事ことあらあらあらばばばかかかとてとてとてきききなむなむなんやややなどなどなど思思おもひひいつゝつゝつつ寐寐ねにににしししけるけるけるををを、、、かうかうこうのゝしりのゝしりののしりつれつれつればばば、、、いといといとをかしをかしおかし。。。怪怪あやしうしうしゅうこそこそこそありありありつれつれつれ」」」などなどなど志志こころざしありありありげげげにににありありありけりけりけり。。。明明あけけけぬれぬれぬればばば車車くるまなどなどなどことことことやうやうようならならならむむんとてとてとて急急いそぎぎぎ歸歸かえららられれれぬぬぬ。。。
現代語訳
それから後、手紙などがある時には、必ず「小さい人はどうしているか」などと、しばしば書いてくる。さて、二十五日の夜、宵を少し過ぎて騒がしい。火事だった。「たいそう近い」などと騒ぐのを聞くと、憎いと思う所(町の小路の女の家のあたり)だった。その五、六日は例の物忌みと聞いていたが、「門の下からでも」といって手紙が来た。何やかやとこまやかである。……八日、未の刻ごろに、「おいでになります、おいでになります」と騒ぐ。中門を押し開けて、車ごと引き入れるのを見ると、御前の男たちが大勢轅に取りついて、簾を巻き上げ、下簾を左右に挟んでいる。榻を持って寄ったので、(あの人は)降り走って、紅梅のちょうど盛りの下から簾を差し上げたのに、似つかわしくなくもない。(紅梅の枝を)見上げながら「ああ、美しい」と言いながら、歩いて上がってきた。さて、泊まっていくかと思っていたら、また南の方角がふさがっていた。「どうして、そうと知らせなかったのか」と言うので、「そう申し上げていたら、どうなさるおつもりでしたか」と言うと、「方違えをしただろうに」と言う。「(あなたを)思う心を、今からこそ試してみるべきだったな」などと、なおも(そのままでは)いられないので、誰もかれもが騒いだ。小さい人には手習いや歌を詠むことなどを教えて、ここでは悪くはないだろうと思うのに、(あの人は)「思いがけないことになっては、たいそう具合が悪いだろう。そのうち、あちらにいる(娘)と一緒に裳着をさせよう」などと言って、日が暮れた。「同じことなら院へ参ろう」と言って、騒がしく出て行かれた。この頃は、空の様子もよくなって、うららかにのどかである。暖かくもなく寒くもない風が、梅の香にまじって鶯を誘うと、鳥の声などがさまざまに和やかに聞こえる。屋根の上を眺めると、巣を作る雀たちが瓦の下を出たり入ったりしてさえずる。庭の草は、氷に許されたような顔をしている。閏二月一日、雨がのどかに降る。それから後は空が晴れた。三日に方角が開いたと思うのに、音沙汰がない。八日ももう暮れたのを妙だと思いながら寝て聞くと、夜中ごろに火事騒ぎをする所がある。近いと聞いたけれど、もの憂くて起き上がれないでいると、見舞いに来るはずの人の中には、力になってくれそうにない人もいる。その人のために起きて出て応対などして、「火はおさまったようです」と言って別れたので、入って横になるうちに、先払いの者が門に止まる気配がする。妙だと聞いているうちに、「おいでになりました」と言う。灯火が消えて、這い入るのに暗いので、「ああ暗い。(灯が)ついていたのに、私を頼みにしていたのだな。近い気がしたので(来たのだ)。今は帰ろう」と言いながら横になって、「宵から来たいと思っていたが、男たちも皆退出して逃げてしまったので来られなくてね。昔なら馬に這い乗ってでも来ただろうに。どんな身分になってしまったのか。何ほどのことがあれば来られようかなどと思いながら寝てしまったが、こう騒いだので、たいそうおもしろい。妙なことだった」などと、心づかいがありそうな様子だった。夜が明けたので、車なども変に見えるだろうといって、急いで帰られた。
意訳
〔娘を気づかう兼家〕養女を迎えてから、兼家の手紙には必ず「小さい人はどうしている」とある。二月八日、兼家は紅梅の盛りの下に車を寄せて訪れ、「ああ美しい」と言いながら上がってくる。方角がふさがっていて泊まれないとわかると、「今からでも試してみよう」と冗談を言い、娘の裳着の話もする。
〔春の庭〕閏二月の初め、作者は春の庭をのどかに眺める。梅の香、鶯の声、瓦の下を出入りする雀、氷の解けた庭の草。作者の心にも、穏やかな春が訪れている。
〔火事の夜〕閏二月八日の夜中、近所で火事があり、兼家が駆けつけてくる。「昔なら馬に乗ってでも来たのに、今はどんな身分になってしまったのか」と語る兼家の言葉には、作者への変わらぬ情がにじむ。
語釈・文法注
文法
- 「憎しと思ふ所なりけり」
- 町の小路の女の家のあたりをいう。
- 「いれはかたかる」
- 底本どおり。注記に異文があり、意味がとりにくい。
- 「車ごめ」
- 車ごと。
- 「さてのるを思ひたれば」
- 底本どおり。注記に「ゐる」の異文があり、「さてゐるを思ひたれば」(泊まっていくと思っていたら)と解する。
- 「あるべかりべける」
- 底本どおり。注記に「べ」は衍字かとある。
- 「たれもののしけり」
- 底本どおり。注記に「が」の異文があり、「誰もがののしりけり」と解される。
- 「今かしこなると諸共に、裳着せむ」
- そのうち、あちら(時姫の所)にいる娘と一緒に裳着をさせよう。裳着は女子の成人式。
- 「さまざまなごう」
- 底本どおり。和やかに、の意に解する。
- 「ようかも」
- 八日も。
- 「めしめりぬめり」
- 底本どおり。注記に「ひ」の異文があり、「火しめりぬめり」(火がおさまったようだ)と解する。
- 「皆能りて」
- 底本どおり。「能」は「罷(まか)り」の誤植と見られる。
- 「何ばかりの事あらばかとてきなむや」
- 底本どおり。注記に異文がある。
- 「ことやうならむ」
- 異様に見えるだろう。
解説
養女を迎えてから、兼家の訪れはやや増えた。手紙には必ず娘の様子を尋ねる言葉があり、娘が夫婦をつなぐ新しい絆となっていることがわかる。
紅梅の下に車を寄せて降り立つ兼家の姿は、日記の中でも絵画的な場面である。兼家は、作者の家で娘の裳着を行おうと言い出す。裳着は女子の成人式で、娘を正式に家の一員として認めることを意味した。
閏二月の春の庭の描写は、下巻の作者の心境をよく表している。かつての嫉妬や恨みの激しさは影をひそめ、作者は季節の移ろいを静かに見つめている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、122–124頁(コマ64–65)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
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