蜻蛉日記 下巻 第40章
養女を迎える
作者は、少女の異母兄にあたる京の法師を介して、志賀の麓に住む少女の母に養女の話を申し入れる。母は泣きながらも承諾し、二月十九日、道綱が迎えに行く。その日折悪しく兼家が来て、作者は「捨て子を拾った」と言って少女を見せる。それが自分の娘だと知った兼家は涙を流し、夜更けまで泣き笑いして過ごす。
- 1かくかくかくてててことことこと腹腹ばらのののせうとせうとしょうとももも京京きょうにににててて法法ほう師師しにににてててありありあり。。。こゝこゝここにににかくかくかくいひいひいい出出いだしししたるたるたる人人ひと知知しりりりたりたりたりけれけれければばば、、、それそれそれしししててて呼呼よびびび取取とらららせせせててて語語かたらはらはらわするするするににに「「「何何なにかかかははは。。。いといといと善善よききき事事ことなりなりなりとととなむなむなんおのれおのれおのれははは思思おもふふう。。。そもそもそもそもそもそもかしかしかしたにたにたにまほりまほりまおりててて物物ものせせせむむん。。。世世よののの中中なかいといといとはかなけれはかなけれはかなければばば今今いまはははかたちかたちかたちをををもももことことことににになしなしなしてててむむんとてとてとてなむなむなんさゝさゝささののの處處ところににに月月つき頃頃ごろははは物物ものせせせらるゝらるゝらるる」」」などなどなどいひいひいい置置おきききててて、、、又又またののの日日ひととといふいふいうばかりばかりばかりににに山山やま越越ごえええににに物物ものしししたりたりたりけれけれければばば、、、異異こと腹腹ばらにににてててこまかこまかこまかににになどなどなどしもしもしもあらあらあらぬぬぬ人人ひとのののふりふりふりはへはへはえたるたるたるをををあやしがるあやしがるあやしがる。。。「「「何何なに事事ごとににによりよりよりててて」」」などなどなどありありありけれけれければばばとととばかりばかりばかりありありありてててこのこのこの事事ことをををいひいひいい出出いだしししたりたりたりけれけれければばば、、、まづまづまずともともともかくかくかくもももあらあらあらででで、、、いかにいかにいかに思思おもひひいけるけるけるにににかかか、、、いといといといみじういみじういみじゅう泣泣なききき泣泣なきききててて、、、とかうとかうとこうためらひためらひためらいててて、、、「「「こゝこゝここにににももも今今いまははは限限かぎりににに思思おもふふう身身みをををばばばさるさるさるものものものにににててて、、、かゝるかゝるかかる所所ところにににこれこれこれをををさへさへさへひきひきひきさげさげさげてててあるあるあるををを、、、いといといといみじいみじいみじととと思思おもへへえどどどててていかゞいかゞいかがはははせせせむむんとてとてとてつるつるつるををを、、、さらさらさらばばばともともともかくかくかくももも、、、そこそこそこににに思思おもひひいさだめさだめさだめてててものものものししし給給たまへへえ」」」とととありありありけれけれければばば、、、又又またののの歸歸かえりりりてててさささなむなむなんととといふいふいう。。。うへうへうえなきなきなきことことことにににてててもももありありありけるけるけるかなかなかな。。。宿宿すく世世せやややありありありけむけむけん、、、いといといと哀哀あわれなるなるなるににに、、、「「「さらさらさらばばばかしこかしこかしこにににまづまづまず御御おおん文文ふみをををものものものせせせさせさせさせ給給たまへへえ」」」とととものものものすれすれすればばば、、、「「「いかゞいかゞいかがはははせせせててて。。。かくかくかく年年としごろごろごろははは聞聞きこえええぬぬぬばかりばかりばかりににに承承うけたまわりりり馴馴なれれれたれたれたればばば、、、たれたれたればかりばかりばかり覺覺おぼ束束つかなくなくなくはははおぼさおぼさおぼされれれずずずやややとてとてとてなむなむなん怪怪あやしししとととおぼさおぼさおぼされれれぬぬぬべきべきべきことことことなれなれなれどどど、、、このこのこの禪禪ぜん師師じののの君君きみににに、、、心心こころ細細ぼそききき憂憂うれひひいををを聞聞きこえええじじじををを、、、傳傳つたへへえ聞聞きこえええたるたるたるけるけるけるににに、、、いといといと嬉嬉うれしくしくしくなむなむなんのたまはせのたまはせのたまわせしししととと承承うけたまわれれればばば、、、喜喜よろこびびびながらながらながらなむなむなん聞聞きこゆるゆるゆる。。。もしもしもしうううつゝましきつゝましきつつましき事事ことなれなれなれどどどあまたあまたあまたととと承承うけたまわるるるにににははは、、、睦睦むつしきしきしき方方かたにににてててももも思思おもひひい放放はなちちち給給たまふふうやややとてとてとてなむなむなん」」」などなどなどものものものしししたれたれたればばば、、、又又またののの日日ひ返返かえりりり事事ごとありありあり。。。喜喜よろこびびびしししなどなどなどありありありててて、、、いといといと心心こころようようようゆるしゆるしゆるしたりたりたり。。。かのかのかの語語かたらひらひらいけるけるける事事ことののの筋筋すじもももそこそこそこののの文文ふみもももあるあるある。。。かつかつかつははは思思おもひひいやるやるやる心心ここちちちいといといと哀哀あわれなりなりなり。。。よろづよろづよろず書書かききき書書かきききててて「「「霞霞かすみににに立立たちちちこめこめこめられられられててて、、、筆筆ふでのののたちたちたちどどどててて知知しららられれれねねねばばばあやしあやしあやし」」」とととあるあるあるももも、、、げにげにげにととと覺覺おぼえええたりたりたり。。。それそれそれよりよりより後後のちももも、、、二二ふた度度たびばかりばかりばかり文文ふみものものものしししててて、、、事事こと定定さだまりまりまり果果はてててぬれぬれぬればばば、、、このこのこのぜじぜじぜじたちたちたち至至いたりりりててて末末すえににに出出いだししし立立たてててけりけりけり。。。唯唯ただ獨獨ひとり出出いだししし立立たてててけむけむけんももも思思おもへへえばばばいといといと悲悲かなししし。。。おぼろげおぼろげおぼろげにににてててかくかくかくあらあらあらむむんややや。。。唯唯ただ親親おやもしもしもし見見み給給たまははわゞゞばなどなどなどにににこそこそこそはははあらあらあらめめめ、、、さささ思思おもひひいたらたらたらむむんににに、、、我我わがががもともともとにににてててももも同同おなじじじごとごとごと見見みるるる事事こと難難かたからからからむむんととと、、、又又またさささとてとてとてならならならむむん時時とき、、、なかなかなかなかなかなかいとほしういとほしういとおしゅうもももあるあるあるべきべきべきかなかなかなゝゝなどどどゝゝと思思おもふふう心心こころ添添そひひいぬれぬれぬれどどどいかゞいかゞいかがはははせせせむむん。。。かくかくかくいひいひいい契契ちぎりりりつれつれつればばば、、、思思おもひひい歸歸かえるるるべきべきべきにににもももあらあらあらずずず。。。このこのこの十九日十九日じゅうくにち宜宜よろしきしきしき日日ひなるなるなるをををととと定定さだめめめてててしかしかしかばばば、、、これこれこれ迎迎むかへへえににに物物ものすすす。。。しのびしのびしのびててて唯唯ただ淸淸きよげげげなるなるなる網網あ代代じろ車車ぐるまににに、、、馬馬うまににに乘乘のりりりたるたるたるをのこをのこおのこどもどもども四四よ人人たり、、、しもしもしも人人びとはははあまたあまたあまたあるあるある。。。大大たい夫夫ふやりやりやりててて這這はひひい乘乘のりりりててて、、、しりしりしりににに、、、このこのこの事事ことににに口口くち入入いれれれたるたるたる人人ひとととと乘乘のせせせてててやりやりやりつつつ。。。今日今日きょう珍珍めずらしきしきしきせうそこせうそこしょうそこありありありつれつれつればばば「「「さささもももぞぞぞあるあるある。。。引引ひききき合合あひひいてててははは惡惡あしからしからしからむむん。。。いといといととくとくとくものものものせよせよせよ。。。暫暫しばらしししはははけしきけしきけしき見見みせせせじじじ。。。すべてすべてすべてありありありやうやうようににに從從したがははわむむん」」」などなどなど定定さだめめめつるつるつるかひかひかいもももなくなくなく、、、さきさきさきだゝだゝだたれれれにににたれたれたればばば、、、いふいふいうかひかひかいなくなくなくてててあるあるある程程ほどににに、、、とととばかりばかりばかりありありありててて來來きぬぬぬ。。。「「「大大たい夫夫ふはははいづこいづこいずこにににいきいきいきたりたりたりつるつるつるぞぞぞ」」」とととあれあれあればばば、、、とかうとかうとこういひいひいい紛紛まぎらはしらはしらわしてててありありあり。。。「「「日日ひ頃頃ごろもももかくかくかく思思おもひひいまうけまうけもうけしかしかしかばばば、、、身身みののの心心こころ細細ぼそさささににに人人ひとののの捨捨すてててたるたるたる子子こをををなむなむなん取取とりりりたるたるたる」」」などなどなどものものものししし置置おきききたれたれたればばば「「「いでいでいで見見みむむむ。。。たたたががが子子こぞぞぞ。。。我我われ今今いまははは老老おいいいにににたりたりたりとてとてとて、、、わかうどわかうどわこうど求求もとめめめててて、、、我我われをををかんだてかんだてかんだてししし給給たまへへえるるるならならならむむん」」」とととあるあるあるににに、、、いといといとをかしうをかしうおかしゅうなりなりなりててて、、、「「「さささははは見見みせせせ奉奉たてまつらららむむん。。。御御み子子こにににししし給給たまははわむむんややや」」」とととものものものすれすれすればばば、、、「「「いといといとよかよかよかなりなりなり。。。させさせさせむむん猶猶なお々々なお」」」とととあれあれあればばば、、、れれれもももとうとうとういぶかしさいぶかしさいぶかしさににに呼呼よびびび出出いでででたりたりたり。。。聞聞ききききつるつるつる年年としよりよりよりもももいといといとちひさくちひさくちいさくいふいふいうかひかひかいなくなくなく幼幼おさなげげげなりなりなり。。。近近ちこううう呼呼よびびびよせよせよせててて「「「立立たててて」」」とてとてとて立立たてててたれたれたればばば、、、たけたけたけ四尺四尺しさくばかりばかりばかりにににててて、、、髮髮かみははは落落おちちちたるたるたるにににやややあらあらあらむむん、、、裾裾すそさきさきさきたるたるたる心心ここちちちしししててて、、、たけたけたけににに四寸四寸しすんばかりばかりばかりぞぞぞ足足たらららぬぬぬ。。。いといといとらうたげらうたげろうたげにににてててかしらかしらかしらつきつきつきをかしげをかしげおかしげにににてててやうだいやうだいようだいいといといとあてあてあてはかはかはかなりなりなり。。。見見みててて「「「あはれあはれあわれいといといとらうたげらうたげろうたげなめりなめりなめり。。。誰誰たががが子子こぞぞぞ。。。猶猶なおいへいへいえいへいへいえ」」」とととあれあれあればばば、、、耻耻はぢぢじなかなかなかめるめるめるををを、、、さばれさばれさばれあらはしあらはしあらわしてててむむんととと思思おもひひいててて、、、「「「さささはははらうたしらうたしろうたしととと見見み給給たまふふうややや。。。聞聞きこえええてててむむん」」」ととといへいへいえばばば、、、ましてましてまして責責せめめめらるらるらる。。。「「「あなあなあなかましかましかましつらつらつらにににかしかしかし」」」ととといふいふいうににに、、、驚驚おどろきききててて、、、「「「いかにいかにいかにいかにいかにいかにいづれいづれいずれぞぞぞ」」」とととあれあれあれどどど、、、とみとみとみにににいはいはいわねねねばばば「「「もしもしもしさゝさゝささののの所所ところにににありありありととと聞聞ききききしかしかしか」」」とととあれあれあればばば、、、「「「さささなめりなめりなめり」」」とととものものものするするするににに、、、「「「いといといといみじきいみじきいみじき事事ことかなかなかな。。。今今いまははははふれはふれはふれうせうせうせにににけむけむけんとととこそこそこそ思思おもひひいしかしかしか。。。かうかうこうなるなるなるまでまでまで見見みざりざりざりけるけるける事事ことよよよ」」」とてとてとてうちうちうち泣泣なかかかれれれぬぬぬ。。。このこのこの子子こもももいかにいかにいかに思思おもふふうにににかかかあらあらあらむむん、、、うちうちうちうつうつうつ伏伏ぶしししててて泣泣なききき居居いたりたりたり。。。見見みるるる人人ひとももも哀哀あわれににに、、、むかしむかしむかし物物もの語語がたりのののやうやうようなれなれなればばば皆皆みな泣泣なきききぬぬぬ。。。ひとへひとへひとえののの袖袖そであまたあまたあまたゝびゝびたび引引ひききき出出いでででつゝつゝつつ泣泣なかかかるれるれるればばば、、、いといといとうちつけうちつけうちつけにににもももありありあり。。。「「「こゝこゝここにににはははいまだいまだいまだ來來こじじじとととするするする所所ところににに、、、かつてかつてかつていましいましいましたるたるたる事事こと、、、我我われゐゐいててていないないなむむん」」」などなどなど、、、たはぶれたはぶれたわぶれいひいひいいつゝつゝつつ、、、夜夜よ更更ふくるくるくるまでまでまで泣泣なきききみみみ笑笑わらひひいみみみしししててて皆皆みな寢寢ねぬぬぬ。。。つとめてつとめてつとめて歸歸かえらららむむんとてとてとて、、、呼呼よびびび出出いだしししててて、、、「「「いといといとらうたかりらうたかりろうたかりけりけりけり。。。今今いまゐゐいててていないないなむむん。。。車車くるま寄寄よせせせばばばふとふとふと乘乘のれれれよよよ」」」ととと、、、うちうちうち笑笑わらひひいててて出出いでででられられられぬぬぬ。。。
現代語訳
こうして、(少女の)異母兄も京で法師をしている。ここにこの話を持ち出した人が知っていたので、その人を介して呼び寄せて相談させると、「どうして(異存がありましょう)。たいそう良いことだと私は思います。そもそも……して行きましょう。世の中がたいそうはかないので、今は姿も変えてしまおう(出家しよう)と言って、そこの所に、この何か月かはおいでなのです」などと言い置いて、翌日というくらいに山越えに出かけたところ、異腹で特に親しくもない人がわざわざやって来たのを、(母は)不審がる。「何の用で」などと言ったので、しばらくしてこの事を切り出したところ、まず何とも言わずに、どう思ったのだろうか、ひどく泣きに泣いて、あれこれためらって、「私自身も今はもう最期だと思っている身はさておいて、こんな所にこの子まで連れているのを、ひどくつらいと思うけれどどうしようもないと思っていましたが、それならどうでも、あなたが決めてください」と言ったので、(法師は)また帰ってきて、こういうことでしたと言う。この上もないことであった。前世の縁があったのだろうか、たいそうしみじみとしているので、「それなら、あちらにまずお手紙を差し上げなさいませ」と言うので、「どうしましょう。(書いた。)こうして長年、お便りを差し上げはしないものの、お噂を聞き慣れておりますので、どなたかとご不審には思われまいかと思って、妙だとお思いになるにちがいないことですが、この禅師の君に、心細い悩みを申し上げましたのを、お伝え申し上げたところ、たいそううれしいとおっしゃったと承りましたので、喜びながら申し上げます。まことに気がひけることですが、大勢(お子様がいらっしゃる)と承りますので、親しい方としてでも思い放ってくださるかと思いまして」などと書いてやったところ、翌日返事があった。喜んでいることなどがあって、たいそう快く許してくれた。あの(兼家との)恋のいきさつのことも、そこの手紙にある。一方では思いやる気持ちがたいそうしみじみとする。何やかやと書き書きして、「霞に立ちこめられて、筆の立ちどころもわからないので妙で」とあるのも、なるほどと思われた。それから後も二度ほど手紙をやりとりして、事がすっかり決まったので、この禅師たちが行って、(少女を)京に出立させた。ただ一人で送り出したのだろうと思うと、たいそう悲しい。並々のことでこうするだろうか。ただ父親がもしお世話してくださるならなどと思ってのことだろう、そう思っているのに、私のもとでも同じように(父親に)会うことは難しいだろうし、またそうなった時には、かえって気の毒なことになるだろうなどと思う心も加わったけれど、どうしようもない。こう約束してしまったので、思い返すべきでもない。この十九日がよい日だと決めていたので、これを迎えにやる。ひそかに、ただこぎれいな網代車に、馬に乗った男たち四人、下人は大勢いる。大夫をやって(車に)乗せて、後ろには、この事に口をきいた人と乗せてやった。今日、珍しく(あの人から)便りがあったので、「そういうこともあるかもしれない。鉢合わせしては具合が悪い。早く出かけなさい。しばらくは様子を見せまい。すべて成り行きに任せよう」などと決めたかいもなく、(あの人に)先を越されてしまったので、どうしようもなくているうちに、しばらくして(少女たちが)着いた。「大夫はどこに行っていたのか」と言うので、あれこれ言い紛らしていた。「日ごろもこうして考えておいたので、身の心細さから、人の捨てた子を引き取ったのです」などと言っておいたところ、「さあ見よう。誰の子だ。私が今はもう年をとったからといって、若い者を探して、私を見限りなさったのだろう」と言うので、たいそうおかしくなって、「それではお見せしましょう。御子になさいますか」と言うと、「たいそうよかろう。そうしよう、ぜひ」と言うので、私もとても見たかったので呼び出した。聞いていた年齢よりもたいそう小さく、たわいなく幼げである。近く呼び寄せて「立ってごらん」と言って立たせると、背丈は四尺ほどで、髪は抜け落ちたのだろうか、裾がそいだような感じで、背丈に四寸ほど足りない。たいそうかわいらしくて、頭の形も愛らしく、姿もたいそう上品である。(あの人が)見て、「ああ、たいそうかわいらしいようだ。誰の子だ。さあ言え言え」と言うので、恥ずかしいことでもないようなので、ままよ明かしてしまおうと思って、「それなら、かわいいとご覧になりますか。申し上げましょう」と言うと、ますます責められる。「まあうるさい、あなたの子ですよ」と言うと、驚いて、「どうした、どうした、どの子だ」と言うけれど、すぐには言わないでいると、「もしや、あの所にいると聞いていた(子)か」と言うので、「そのようです」と言うと、「たいそうたいへんなことだ。今はもう落ちぶれて行方知れずになっただろうと思っていた。こんなになるまで見なかったとは」と言って泣いてしまわれた。この子もどう思ったのか、うつぶして泣いている。見る人もしみじみとして、昔物語のようなので、皆泣いた。単衣の袖を何度も引き出しては泣かれるので、たいそう唐突なことでもある。「ここにはもう来まいと思う所に、(この子が)いらしたとは。私が連れて行こう」などと、冗談を言いながら、夜更けまで泣いたり笑ったりして皆寝た。翌朝、帰ろうとして(少女を)呼び出して、「たいそうかわいかった。すぐに連れて行こう。車を寄せたらさっと乗れよ」と、笑ってお出かけになった。
意訳
〔少女の母〕少女の異母兄の法師が、志賀の麓の母のもとへ養女の話を伝えに行く。母は泣きに泣き、「私はもう最期と思う身、こんな所で娘を連れているのはつらい。あなたが決めて」と承諾する。作者は母に丁重な手紙を送り、母からも快い返事が届く。手紙には兼家との昔のいきさつも書かれていた。
〔迎えの日〕二月十九日、道綱が網代車で少女を迎えに行く。ところがその日、兼家から便りがあり、鉢合わせを避けようとしたかいもなく、兼家が先に来てしまった。
〔父と娘の対面〕作者は「人の捨てた子を拾ったのです」と言って少女を見せる。兼家は「私を見限って若い者を探したのか」と冗談を言うが、少女のかわいらしさに「誰の子だ、言え」と責める。「あなたの子ですよ」と明かすと、兼家は「落ちぶれて行方知れずになったと思っていた」と泣き、少女もうつぶして泣く。侍女たちも「昔物語のよう」と涙を流す。日記の中でもとりわけ劇的な場面である。
語釈・文法注
文法
- 「かしたにまほりて」
- 底本どおりで意味がとりにくい。
- 「ふりはへたる」
- わざわざやって来た。
- 「思へどていかゞはせむとてつるを」
- 底本どおり。注記に異文がある。
- 「いかゞはせて」
- 底本どおり。注記に「てかく書く」などの異文があり、「いかがはせむとて(書く)」と解する。
- 「筆のたちどて知られねば」
- 底本どおり。注記に「も」の異文がある。筆の立ち所もわからないので。
- 「末に出し立てけり」
- 底本どおり。注記に「京」の異文があり、「京に出し立てけり」と解する。
- 「さきだゝれにたれば」
- (兼家に)先を越されてしまったので。
- 「かんだてし給へる」
- 底本どおり。「勘当し給へる」(見限った)の意に解する。
- 「れもとういぶかしさに」
- 底本どおり。注記に「我」の異文があり、「我もとういぶかしさに」と解する。
- 「あなかましつらにかし」
- 底本どおり。注記に異文がある。まあうるさい、あなたの子ですよ、の意に解する。
- 「はふれうせにけむ」
- 落ちぶれて行方知れずになったのだろう。
- 「うちつけにもあり」
- 唐突なことでもある。
解説
天禄三年(972)二月十九日、作者は兼家と源兼忠の娘との間に生まれた少女を養女に迎えた。少女は十二、三歳で、志賀の麓で母と心細く暮らしていた。
兼家が少女を自分の娘と知って泣く場面は、日記の中でも特に劇的である。兼家にとって、忘れかけていた娘との思いがけない対面であった。兼家の涙には、作者への見方を改める気持ちも含まれていたかもしれない。
養女を迎えたことで、作者の家には新しい家族が加わった。下巻では、この養女の成長と、のちに持ち上がる縁談の話が、大きな筋の一つとなる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、120–122頁(コマ63–64)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日