蜻蛉日記 下巻 第39章
夢解きと養女の話
天禄三年二月、くつろいでいたところに兼家がふいに訪れ、作者はきまりの悪い思いをする。石山の法師から「月と日を受ける」吉夢を告げられ、夢解きに問うと「天下を思いのままにする人が出る」と言われる。作者は将来を案じ、身分の卑しくない女の子を養女に迎えようと思い立つ。兼家がかつて通った源兼忠の娘が産んだ女の子が、志賀の麓で暮らしていると聞く。
- 1うちうちうち解解とけけけたるたるたる事事こと多多おおくくくてててあるあるある所所ところににに、、、午午うまののの時時ときばかりばかりばかりににに「「「おはしますおはしますおわしますおはしますおはしますおわします」」」とととのゝしるのゝしるののしる。。。いといといとあわたゞしきあわたゞしきあわただしき心心ここちちちするするするににに、、、這這はひひい入入いりりりたれたれたればばば、、、怪怪あやしくしくしくわれわれわれかかかひとりひとりひとりにににもももあらあらあらぬぬぬにににててて向向むかひひいゐゐいれれればばば、、、心心ここちちちもももにににらららなりなりなり。。。しばししばししばしありありありててて臺臺だいなどなどなど參參まいりりりたれたれたればばば少少すこしししくひくひくいなどなどなどしししててて、、、日日ひ暮暮くれれれぬぬぬととと見見みゆるゆるゆる程程ほどににに、、、明日明日あす春春かす日日がののの祭祭まつりなれなれなればばばみてぐらみてぐらみてぐら出出いだししし立立たつつつべかりべかりべかりけれけれければばばなどなどなどてててうるはしううるはしううるわしゅうひれひれひれさうぞきさうぞきそうぞき、、、ごぜんごぜんごぜんあまたあまたあまた引引ひきききつれつれつれ、、、おどろおどろしうおどろおどろしうおどろおどろしゅう追追おひひい散散ちらしししてててらるらるらる。。。即即すなわちちちこれこれこれかれかれかれさしさしさし集集あつまりりりててて、、、いといといとあやしうあやしうあやしゅううちうちうち解解とけけけたりたりたりつるつるつる程程ほどににに、、、「「「いかにいかにいかに御御ご覽覽らんじじじつつつらむらむらん」」」などなどなど、、、口口くち々々ぐちいとほしげいとほしげいとおしげなるなるなることことことをををいふいふいうににに、、、ましてましてまして見見み苦苦ぐるしきしきしき事事こと多多おおかりかりかりつるつるつるととと思思おもふふう心心ここちちちだにだにだに、、、身身みにににうじうじうじはてはてはてられられられぬるぬるぬるととと覺覺おぼえええけるけるける。。。いかなるいかなるいかなるにににかかかありありありけむけむけん、、、このこのこのごろごろごろののの日日ひ、、、照照てりりりみみみ曇曇くもりりりみみみ、、、いといといと春春はる寒寒さむるむるむる年年としとととおぼえおぼえおぼえたりたりたり。。。よるよるよるははは月月つきあかしあかしあかし。。。十二日十二日じゅうににち雪雪ゆきこちこちこちかぜかぜかぜにににたぐひたぐひたぐいててて、、、散散ちりりりまがふまがふまがう。。。午午うま時時どきばかりばかりばかりよりよりより雨雨あめににになりなりなりててて靜靜しずかににに降降ふりりり暮暮くらすすすまゝまゝまま、、、從從したがひひいててて世世よののの中中なか哀哀あわれげげげなりなりなり。。。今日今日きょうまでまでまで音音おとなきなきなき人人ひとももも、、、思思おもひひいしししにににたがはたがはたがわぬぬぬ心心ここちちちするするするををを、、、今日今日きょうよりよりより四日四日よかかかかののの物物もの忌忌いみにににやややあらあらあらむむんととと思思おもふふうにににぞぞぞ少少すこしししのどめのどめのどめたるたるたる。。。十七日十七日じゅうしちにち雨雨あめのどやかのどやかのどやかににに降降ふるるるににに、、、方方かたふたがりふたがりふたがりたりたりたりととと思思おもふふう事事こともももありありあり。。。世世よののの中中なか哀哀あわれににに心心こころぼそくぼそくぼそく覺覺おぼゆるゆるゆる程程ほどににに石石いし山山やまにににをとゝしをとゝしおととし詣詣もうでででたりたりたりしししににに、、、心心こころ細細ぼそかりかりかりししし夜夜よななな夜夜よななな、、、陀陀だ羅羅ら尼尼にいといといと尊尊とうとううう讀讀よみみみつゝつゝつつ、、、らいだうらいだうらいどうにににたゝずむたゝずむたたずむ法法ほう師師しありありありききき。。。問問とひひいしかしかしかばばば「「「こぞこぞこぞからからから山山やま籠籠ごもりりりしししててて侍侍はべるるるなりなりなり。。。糓糓こく斷斷だちなりなりなり」」」などなどなどいひいひいいしかしかしかばばば「「「さらさらさらばばば祈祈いのりせよせよせよ」」」ととと語語かたらひらひらいししし法法ほう師師しのののもともともとよりよりよりいひいひいいおこせおこせおこせたるたるたるやうやうよう「「「いぬるいぬるいぬる五日五日いつかののの夜夜よののの夢夢ゆめににに、、、御御おおんににに手手てににに、、、月月つきととと日日ひとととををを受受うけけけ給給たまひひいててて、、、月月つきをををばばば足足あしののの下下したににに踏踏ふみみみ、、、日日ひをををばばば胸胸むねにににあてあてあてゝゝて抱抱いだききき給給たまふふうとととなむなむなん見見みててて侍侍はべるるる。。。これこれこれ夢夢ゆめときときときににに問問とはははせせせ給給たまへへえ」」」ととといひいひいいたりたりたり。。。いといといとうたてうたてうたておどろおどろしおどろおどろしおどろおどろしとととおもふおもふおもうににに、、、疑疑うたがいそひそひそいてててをこをこおこなるなるなる心心ここちちちすれすれすれははは、、、人人ひとにににももも解解とかかかせせせぬぬぬ時時ときしもしもしもあれあれあれ、、、夢夢ゆめあはするあはするあわするものものもの來來きたるたるたるににに、、、異異こと人人びとののの上上うえにににててて問問とはははすれすれすればばば、、、「「「うへうへうえもももなくなくなくいかなるいかなるいかなる人人ひとののの見見みたるたるたるぞぞぞ」」」ととと驚驚おどろきききててて「「「みかどみかどみかどををを我我わがががまゝまゝままにににおぼしきおぼしきおぼしきさまさまさまののの政政まつりごとせせせむむんものものものぞぞぞ」」」とととぞぞぞいふいふいう。。。「「「されされさればばばよよよ。。。これこれこれががが空空そらあはせあはせあわせにににはははあらあらあらずずず。。。いひいひいいおこせおこせおこせたるたるたる僧僧そうののの疑疑うたがわしきしきしきなりなりなり。。。あなあなあなかまかまかま、、、いといといとにげにげにげなしなしなし」」」とてとてとて止止やみみみぬぬぬ。。。又又またあるあるあるものものものゝゝのいふいふいう、、、「「「このこのこの殿殿とののののみかどみかどみかどををを、、、四四よつつつ足足あしににになすなすなすをををこそこそこそ見見みしかしかしか」」」ととといへいへいえばばば、、、「「「これこれこれははは大大だい臣臣じん公公く卿卿ぎょういでいでいでききき給給たまふふうべきべきべき夢夢ゆめなりなりなり。。。かくかくかく申申もうせせせばばば男男おとこ君君ぎみののの大大だい臣臣じん近近ちかくくくものものものししし給給たまふふうををを申申もうすすすとととぞぞぞおぼすおぼすおぼすらむらむらん。。。さささにににはははあらあらあらずずず。。。公公きん達達だち御御おおん行行ゆくくく先先さきののの事事ことなりなりなり」」」とととぞぞぞいふいふいう。。。又又またみづからみづからみずからのののをとゝひをとゝひおとといのののよよよ見見みたるたるたる夢夢ゆめ、、、右右みぎののの方方かたののの足足あしののの裏裏うらににに、、、男男おとこかかかとくとくとくいふいふいう文文も字字じををを、、、ふとふとふと書書かきききてててつくれつくれつくればばば、、、驚驚おどろきききててて引引ひききき入入いるるるととと見見みしししををを問問とへへへばばば、、、「「「このこのこの頃頃ころののの同同おなじじじ事事ことののの見見みゆるゆるゆるなりなりなり」」」ととといふいふいう。。。これこれこれもももをこをこおこなるなるなるべきべきべきことことことなれなれなればばば、、、物物ものぐるほしぐるほしぐるおしととと思思おもへへえどどど、、、さらさらさらぬぬぬ御御みぞうぞうぞうにににはははあらあらあらぬぬぬ我我わががが一一ひと人人りもたるもたるもたる人人ひとももも覺覺おぼえええぬぬぬさいはひさいはひさいわいもももやややとととぞぞぞ心心こころののの中中うちににに思思おもふふう。。。
- 2かくかくかくはははあれあれあれどどど唯唯ただ今今いまののの如如ごとくくくにににてててははは行行ゆくくく末末すえさへさへさへ心心こころ細細ぼそきききににに、、、唯唯ただ一一ひと人人り男男おとこにににてててあれあれあればばば、、、年年とし頃頃ごろもももこゝこゝここかしこかしこかしこににに詣詣もううでうでうでなどなどなどするするする所所ところにににはははいのいのいの事事ことををを申申もうししし盡盡つくしししつれつれつればばば、、、今今いまはははましてましてまして難難かたかるかるかるべきべきべき年年としよはひよはひよわいににになりなりなり行行ゆくくくををを、、、いかでいかでいかで賤賤いやしからしからしからざらざらざらむむん人人ひとののの、、、をんなをんなおんなごごご一一ひと人人りとりとりとりてててうしろみうしろみうしろみもももせせせむむん、、、一一ひと人人りあるあるある人人ひとをををもももうちうちうち語語かたらひらひらいててて、、、我我わががが命命いのちのののはてはてはてにににもももあらあらあらせせせむむんとととこのこのこの日日ひ頃頃ごろ思思おもひひい立立たちちちててて、、、これこれこれかれかれかれにににもももいひいひいい合合あはすれはすれわすればばば「「「殿殿とのののの通通かよははわせせせ給給たまひひいししし源源げん宰宰さい相相しょう兼兼かねとととかかか聞聞きこえええししし人人ひとののの御御おおんむすめむすめむすめののの腹腹はらにににこそこそこそ、、、女女おんな君君ぎみいといといと美美うつくしげくしげくしげにににてててものものものししし給給たまふふうなれなれなれ。。。同同おなじうじうじゅうはははそれそれそれをををやややははは、、、さやうさやうさようにににももも聞聞きこえええさせさせさせ給給たまははわぬぬぬ。。。今今いまははは志志し賀賀がののの麓麓ふもとににになむなむなんかのかのかのせうとせうとしょうとののの禪禪ぜん師師じののの君君きみととといふいふいうににに就就つきききてててものものものしししたまふたまふたまうなるなるなる」」」などなどなどいふいふいう人人ひとあるあるあるときときときににに、、、「「「そよそよそよやややさるさるさることことことありありありきききかしかしかし。。。故故こ陽陽よう成成ぜい院院いんののの御御おおんのちのちのちぞぞぞかしかしかし。。。宰宰さい相相しょうなくなくなくなりなりなりてててまだまだまだ服服ぶくののの中中うちににに、、、例例れいのののさやうさやうさようののの事事こと聞聞きききき過過すぐさぐさぐされれれぬぬぬ心心こころにににててて、、、なになになにくれくれくれとととありありありしししほどほどほどににに、、、さめりさめりさめりしししことことことぞぞぞ。。。人人ひとはははまづまづまずそのそのその心心こころばへばへばえにににててて、、、ことことことににに今今いまめかしうめかしうめかしゅうもももあらあらあらぬぬぬうちうちうちににに、、、齡齡よわいなどなどなどもももおうおうおうよりよりよりにににたへたへたえけれけれければばば、、、女女おんなはははさらさらさらむむんともともとも思思おもははわずずずやややありありありけむけむけん。。。されどされどされど返返かえりりり事事ごとなどなどなどすすすめりめりめりししし程程ほどににに、、、みづからみづからみずからふたゝびふたゝびふたたびばかりばかりばかりなどなどなどものものものしししててて、、、いかでいかでいかでにににかかかあらあらあらむむん、、、ひとへひとへひとえぎぬぎぬぎぬののの限限かぎりなむなむなん取取とりりりてててものものものしししたりたりたりししし。。。ことことことどもどもどもなどなどなどもももありありありしかしかしかどどど忘忘わすれれれにににけりけりけり。。。さてさてさていかゞいかゞいかがありありありけむけむけん、、、
- 3關關せき越越こえええててて旅旅たび寐寐ねなりなりなりつるつるつるくさくさくさまくらまくらまくらかりそめかりそめかりそめにににはははたたたおもほえおもほえおもおえぬぬぬかなかなかな、、、
- 4とととかかか、、、いひいひいいやりやりやり給給たまははわめりめりめりししし。。。猶猶なおもももありありありしかしかしかばばば返返かえりりり、、、ことごとしうことごとしうことごとしゅうもももあらあらあらざりざりざりききき。。。
- 5おぼつかなおぼつかなおぼつかな我我われにににもももあらあらあらぬぬぬ草草くさまくらまくらまくらまだまだまだこそこそこそ知知しらららねねねかゝるかゝるかかる旅旅たび寐寐ねははは、、、
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- 7置置おききき添添そふるふるうる露露つゆににに夜夜よななな夜夜よななな濡濡ぬれれれこしこしこしははは思思おもひひいのののなかなかなかにににかわくかわくかわくそでそでそでかはかはかは、、、
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現代語訳
くつろいだ様子でいた所に、午の刻ごろ、「おいでになります、おいでになります」と騒ぐ。たいそう慌ただしい気持ちがしていると、(あの人が)這い入ってきたので、妙に、自分が自分でないような思いで向かい合っていると、気持ちも……である。しばらくして、食膳などを差し上げると、少し食べたりして、日が暮れたと見える頃に、「明日は春日の祭なので、幣を出し立てなければならない」などと言って、きちんと装束を整え、御前(先払い)を大勢引き連れて、大げさに先払いをしてお帰りになる。すぐに侍女たちが集まって、「ひどくくつろいでいらしたところを、どうご覧になったでしょう」などと、口々に気の毒そうなことを言うので、まして見苦しいことが多かったと思う気持ちでも、身にしみてうんざりされてしまったと思われた。どうしたことだろうか、この頃の日は、照ったり曇ったりして、たいそう春の寒い年だと思われた。夜は月が明るい。十二日、雪が東風にまじって散り乱れる。午の刻ごろから雨になって、静かに一日降り続くにつれて、世の中がしみじみとしている。今日まで便りのない人も、思っていたとおりの気がするが、今日から四日はあの物忌みだろうかと思うと、少し心が落ち着いた。十七日、雨がのどかに降るが、(こちらの)方角がふさがっていると思うこともある。世の中がしみじみと心細く思われる時に、一昨年石山に参詣した時、心細かった夜々に、陀羅尼をたいそう尊く読みながら、礼堂にたたずんでいた法師がいた。尋ねたところ、「去年から山籠りしております。穀断ちをしております」などと言ったので、「それなら祈ってください」と頼んでおいた法師のもとから言ってきたことには、「去る五日の夜の夢に、あなた様が御手に月と日とをお受けになって、月を足の下に踏み、日を胸に当ててお抱きになると見ました。これを夢解きにお尋ねなさいませ」と言ってきた。たいそういやに大げさだと思うにつけ、疑わしさも加わって、ばかばかしい気持ちがするので、人にも解かせないでいたが、折しも夢合わせをする者が来たので、他人の夢ということにして尋ねさせると、「この上もない。どなたが見た夢か」と驚いて、「朝廷を思いのままにして、思いどおりの政治をするにちがいない人だ」と言う。「やっぱり。これは夢解きが空合わせをしたのではない。言ってきた僧が疑わしいのだ。ああ黙って、まったく似つかわしくない」と言ってやめにした。また、ある者が言うには、「この殿の門を、四足門にするのを夢に見ました」と言うと、(夢解きは)「これは大臣公卿がお出になるはずの夢です。こう申し上げると、殿が大臣に近くていらっしゃることを申していると思われるでしょう。そうではありません。若君の御行く末のことです」と言う。また、私自身が一昨日の夜に見た夢、右の足の裏に、男が「かど」という文字をさっと書きつけたので、驚いて足を引き入れたと見たのを尋ねると、「この頃(の吉夢)と同じことが見えるのです」と言う。これもばかばかしいことなので、ばかげていると思うけれど、ほかでもない、私の一人持っている子(道綱)にも、思いがけない幸運があるのではないかと心の中で思う。
そうはいっても、今のようでは行く末までも心細いのに、ただ一人の男の子なので、長年あちこちに参詣などする所では、そのこと(娘がほしいこと)を申し尽くしてきたけれど、今はいっそう(子を産むのは)難しい年齢になっていくので、何とかして身分の卑しくない人の女の子を一人引き取って世話もしよう、一人いる子(道綱)とも話し合わせて、私の命の終わりまでいさせようと、ここ数日思い立って、あの人この人に相談すると、「殿がお通いになった源宰相兼忠とか申し上げた人の御娘の腹に、女君がたいそうかわいらしくていらっしゃるそうです。同じことなら、その方をどうして、そのようにお申し入れなさらないのですか。今は志賀の麓に、あの(娘の)兄の禅師の君という方について暮らしていらっしゃるそうです」などと言う人がいた時に、「そうそう、そういうことがあったわ。故陽成院のご子孫だったのよ。宰相が亡くなって、まだ喪中のうちに、例によってそういうこと(女のこと)を聞き過ごせない性分で、何やかやとあったうちに、そうなったことなのよ。あの人はもともとそういう気性で、特に当世風でもなかったうちに、年齢なども(女より)ずっと上だったので、女の方はそうなろうとも思わなかったのでしょうか。それでも返事などはしていたようで、(あの人は)自分で二度ほど出かけて、どうしたものか、単衣だけを取って帰ってきたことがあったわ。いろいろあったけれど忘れてしまった。さて、どうだったか、
関を越えて旅寝をした草枕、仮初めのこととは思われないことだ、
とか、言いやりなさったようだったわ。それでもなおあったので、返事は、たいしたこともなかった。
はっきりしないことです。我にもあらぬ草枕、まだ知りません、こんな旅寝は、
とあったのを、度重なったのが妙だなどと、一緒に笑ったことだった。その後、はっきりしたこともなかったのだろうか、どんな返事だったか、こうあったようだ、
置き添える露に夜ごと濡れてきたのは、(あなたの)思いの火の中で乾く袖でしょうか、
などとあったうちに、ましてはかなくなってしまったのを、後に聞いたところでは、あの所に女の子が生まれたそうよ。そうよ」と言うようだ。そうなのだろう。「(あの人が)ここに引き取って置いてはどうかなどとおっしゃったのが、その子なのでしょう。そうしましょう」などと話がまとまって、つてを求めて尋ねると、この人(禅師)も知らない。幼い人は十二、三歳ほどになったという。ただその子一人をわが身に代えて、あの志賀の東の麓で、海(湖)を前に見て、志賀の山を後ろに見る所の、言いようもなく心細そうな所で、明かし暮らしているそうだと聞いて、わが身をつねってみるにつけても、何もかも、そんな住まいで思い残し、言い残しているだろうと、まず思いやった。
意訳
〔吉夢〕石山の法師から、「月と日を手に受け、月を足に踏み、日を胸に抱く」という夢を見たと知らせがある。夢解きに問うと「天下を思いのままにする人が出る」と言われ、作者は大げさだと思いながらも、道綱に思いがけない幸運があるのではと心ひそかに思う。
〔養女を思い立つ〕自分ももう子を産む年齢ではない。作者は身分の卑しくない女の子を養女に迎え、道綱とともに自分の老後の頼りにしようと思い立つ。
〔兼家の昔の恋〕侍女の一人が、兼家がかつて源兼忠の娘のもとに通い、女の子が生まれたことを思い出させる。作者は、兼家とその女との歌のやりとりまで覚えていて、侍女と笑い合った昔を語る。その女の子は十二、三歳になり、志賀の麓で母とともに心細く暮らしているという。かつての嫉妬の相手の子を、作者は養女に迎えようとするのである。
語釈・文法注
- 源宰相兼忠
- 源兼忠(902〜958)。陽成天皇の孫。参議。兼家はその娘のもとに通い、女の子をもうけた。
文法
- 「心ちもにらなり」
- 底本どおり。注記に異文があり、意味がとりにくい。
- 「ひれさうぞき」
- 底本どおり。注記に異文がある。装束を整えて、の意に解する。
- 「追ひ散してらる」
- 底本の注記に「出で」の脱字かとあり、「追ひ散らして出でらる」と解する。
- 「うじはてられぬる」
- 底本どおり。「倦じ果てられぬる」(すっかり嫌気がさされた)と解する。
- 「らいだう」
- 礼堂。本堂の前の、礼拝のための堂。
- 「糓斷」
- 穀断ち。穀物を断つ修行。
- 「御に手に」
- 底本の注記に「は」の異文があり、「御手に」と解する。
- 「夢とき」「夢あはするもの」
- 夢解き。夢の吉凶を判断する者。
- 「空あはせ」
- いいかげんな夢合わせ。
- 「四つ足になす」
- 四足門にする。四足門は大臣家の門の形式。
- 「男かとくいふ文字」
- 底本の注記に「が」とあり、「かど(門)といふ文字」と解する。
- 「さらぬ御ぞうにはあらぬ我が一人もたる人」
- 底本どおりで意味がとりにくい。ほかでもない、私の一人持っている子(道綱)、の意に解する。
- 「いの事」
- 底本どおり。注記に異文がある。そのこと(娘を得たいこと)、の意に解する。
- 「難波のことを」
- 「何は(なには)のことを」。何もかも。
和歌
關越えて旅寐なりつるくさまくらかりそめにはたおもほえぬかな
- 詠者
- 藤原兼家
- 状況
- 昔、源兼忠の娘のもとに通った兼家が贈った歌として、侍女が思い出して語る。
修辞
- 縁語
- 「関」「旅寝」「草枕」と旅の縁語でつなぎ、一夜の契りを仮初めとは思わないと詠む。
おぼつかな我にもあらぬ草まくらまだこそ知らねかゝる旅寐は
- 詠者
- 源兼忠の娘
- 状況
- 兼家の歌への返歌。
修辞
- 縁語
- 兼家の「草枕」「旅寝」を受け、そんな旅寝はまだ知らないとそっけなく返す。
解説
天禄三年(972)二月、作者は養女を迎えることを思い立った。作者には道綱一人しか子がなく、娘をもつことは、当時の貴族の家にとって、入内や良縁による家の繁栄につながる大切なことであった。
養女の候補として挙がったのは、かつて兼家が通った源兼忠の娘の子であった。作者はその頃のことをよく覚えていて、兼家と女との歌を侍女と笑い合ったことまで語る。かつての嫉妬の相手の娘を引き取ろうとするところに、作者の心境の変化がうかがえる。
石山の法師の吉夢や夢解きの記事は、当時の人々が夢を重んじていたことを示している。作者は半信半疑ながらも、道綱の将来に期待を寄せている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、117–120頁(コマ61–63)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日