蜻蛉日記 中巻 第33章
兼家の甥の見舞い
鳴滝の寺に、関白伊尹の子で兼家の甥にあたる兵衛佐が見舞いに訪れる。かつてこの寺に来たことを覚えているかと問う作者に、佐は今は疎遠になっていると答え、作者は声をつまらせる。「世の中がこのまま終わるはずはない。今日にも山を出られては」と勧められても、作者は動かない。
- 1かくかくかくなんなんなんととと見見みつゝつゝつつ經經ふるるる程程ほどににに、、、あるあるある人人ひと晝晝ひるつつつ方方かた、、、大大だい門門もんののの方方かたににに馬馬うまのののいなゝくいなゝくいななく聲聲こえしししててて、、、人人ひとのののあまたあまたあまたあるあるあるけはひけはひけわいしししたりたりたり。。。木木このののまままよりよりより見見み通通とおしししやりやりやりたれたれたればばば、、、姿姿すがたなほなほなお人人ひとあまたあまたあまた見見みえええててて、、、步步あゆみみみ步步あゆみみみあるあるあるへへへ。。。中中なかににに關關かん白白ぱく殿殿どののののともともともえええのののととと申申もうしししけるけるけるとととかかかやややなななめりめりめりととと思思おもへへえばばば、、、大大たい夫夫ふよりよりよりかかか出出いだしししててて、、、「「「今今いままでまでまで聞聞きこえええさせさせさせつりつりつりつるつるつるかしこまりかしこまりかしこまり、、、取取とりりり重重かさねねねてててとてとてとてなむなむなん參參まいりりり來來きたるたるたる」」」ととといひいひいい入入いれれれてててききき蔭蔭かげににに立立たりりりやすらふやすらふやすらうさまさまさま、、、きやうきやうきょう覺覺おぼえええてててひとひとひとをかしをかしおかしかかかめりめりめり。。。このこのこのことことことばゝばゝばは後後のちにににととといひいひいいししし人人ひとももものぼりのぼりのぼりあれあれあればばばそれそれそれににに猶猶なおしもしもしもあらあらあらぬぬぬやうやうようにににあれあれあればばばいたくいたくいたく氣氣け色色しきばみばみばみ立立たてててりりり。。。「「「返返かえりりり事事ごとはははいといといと嬉嬉うれしきしきしきみみみ名名ななるなるなるををを、、、早早はやくくく此此こ方方なたににに入入いりりり給給たまへへえ。。。さきざきさきざきさきざきののの御御おおん不不ふしやうしやうしょうはははいかでいかでいかで事事こと無無なかるかるかるべくべくべく祈祈いのりりり聞聞きこえええむむん」」」ととと物物ものしししたれたれたればばば、、、步步あゆみみみ出出いでゝでゝでて高高こう欄欄らんにににおしおしおしかゝりかゝりかかりててて、、、まづまづまずてうづてうづちょうずなどなどなどものものものしししてててゐゐいたりたりたり。。。萬萬よろずののの事事ことどもどもどもいひいひいいもてもてもてゆくゆくゆくににに「「「昔昔むかしこゝこゝここははは見見み給給たまひひいしししははは、、、覺覺おぼえええさせさせさせ給給たまふふうややや」」」ととと問問とへへへばばば、、、「「「いかゞいかゞいかがははは。。。いといといとたしかたしかたしかにににおぼえおぼえおぼえててて、、、今今いまこそこそこそかくかくかく疎疎うとくくくてててももも候候さぶらへへえ」」」などなどなどいふいふいうををを思思おもひひいまはせまはせまわせばばば、、、物物ものもももいひいひいいさしさしさしててて聲聲こえかはるかはるかわるこゝちこゝちここちすれすれすればばば、、、暫暫しばらしししためらへためらへためらえばばば、、、人人ひともももいみじいみじいみじととと思思おもひひいててて、、、とはにとはにとはに物物ものもももいはいはいわずずず。。。さてさてさて「「「御御おおんこゑこゑこえなどなどなどかはらかはらかわらせせせ給給たまふふうなるなるなるはははいといといとことわりことわりことわりにににはははあれあれあれどどど、、、更更さらにににかくかくかくおぼさおぼさおぼさじじじ。。。世世よにににかくかくかくててて止止やみみみ給給たまふふうやうやうようはははあらあらあらじじじなどなどなど、、、ひがひがひがざまざまざまににに思思おもひひいなしなしなしてててにににやややあらあらあらむむん」」」いふいふいう。。。「「「かくかくかく參參まいらららばばば、、、よくよくよく聞聞きこえええ合合あわせせせよよよなどなどなどのたまひのたまひのたまいつるつるつる」」」ととといへいへいえばばば「「「などなどなどかかか人人ひとのののさささはははのたまはのたまはのたまわすすすともともとも、、、今今いまににに入入いりりりなむなむなん」」」などなどなどいへいへいえばばば、、、さらさらさらばばば同同おなじくじくじくははは今日今日きょう出出いでででさせさせさせ給給たまへへえ。。。やがてやがてやがて御御おおん供供とも仕仕つこうううまつらまつらまつらむむん。。。まづまづまずはははこのこのこの大大たい夫夫ふのののまれまれまれまれまれまれ京京きょうににに物物ものしししてててははは日日ひだにだにだにたぶけたぶけたぶけばばば山山やま寺寺でらへへへととと急急いそぐぐぐををを見見み給給たまふるふるうるににに、、、いといといとなむなむなんゆゝしきゆゝしきゆゆしき心心ここちちちししし侍侍はべるるる」」」などなどなどいへいへいえどどど、、、氣氣け色色しきもももなけれなけれなければばば、、、しばししばししばしやすらひやすらひやすらいててて歸歸かえりりりぬぬぬ。。。かくかくかくのみのみのみ出出いででで煩煩わずらひひいつゝつゝつつ人人ひともももとぶらひとぶらひとぶらいつきつきつきぬれぬれぬればばば、、、又又またははは問問とふふうべきべきべき人人ひともももなしなしなしとととぞぞぞ心心こころのののうちうちうちににに覺覺おぼゆるゆるゆる。。。
現代語訳
こうして(過ごして)いるうちに、ある日の昼ごろ、大門の方で馬のいななく声がして、大勢の人の気配がした。木の間から見通すと、姿のいい人たちが大勢見えて、歩いてやって来る。その中に、関白殿(伊尹)の子の兵衛佐と申し上げた方だろうかと思っていると、大夫(道綱)を呼び出して、「今までお便り申し上げなかったお詫びを、重ねて申し上げようと思って参りました」と言い入れて、木陰に立ってたたずんでいる様子は、京を思い出させて、たいそう趣深いようだ。このお言葉は、後でと言っていた人(侍女)も上って来ていたので、それにまだ(返事も)ないような様子なので、ひどく気色ばんで立っている。「お返事は、たいそううれしいお名前ですので、早くこちらへお入りください。以前のご不精は、どうにか無事に済むようにお祈り申し上げましょう」と申し上げたところ、歩み出て、高欄に寄りかかって、まず手水などを使って座った。いろいろなことを話していくうちに、「昔ここをご覧になったのは、覚えていらっしゃいますか」と尋ねると、「どうして(忘れましょう)。たいそうはっきり覚えていて、今でこそこうして疎遠になってもおりますが」などと言うのを思いめぐらすと、言葉もとぎれて、声が変わる(涙声になる)気がするので、しばらくためらっていると、佐もつらいと思って、しばらく何も言わない。さて、「お声などがお変わりになるのは、まことにもっともではありますが、決してそうお思いになりますな。世の中がこのまま終わってしまうはずはないなどと、ひがんで思いなしていらっしゃるのでしょうか」と言う。「(殿は)こうして参上したら、よくご相談申し上げよなどとおっしゃいました」と言うので、「どうしてあの人がそうおっしゃっても、今はもう(山に)入ってしまいましょう」などと言うと、「それならいっそ今日お出ましください。すぐにお供いたしましょう。まずは、この大夫が、たまたま京に出ても、日が傾くとすぐ山寺へと急ぐのを見ると、たいそう気がかりな気持ちがいたします」などと言うけれど、(私に)その様子もないので、しばらくたたずんで帰ってしまった。こうしてばかり山を出かねているうちに、人々の見舞いも途絶えてしまったので、もう尋ねてくれる人もないと、心の中で思われる。
意訳
〔甥の訪問〕ある日の昼、兼家の甥にあたる兵衛佐が、供を連れて鳴滝の寺を訪れる。京の香りを運んでくる若い貴公子の姿に、作者は心を動かされる。
〔昔の記憶〕「昔ここに来たことを覚えていますか」と尋ねる作者に、佐は「よく覚えています。今は疎遠になっていますが」と答える。その言葉に作者は声をつまらせ、佐も黙ってしまう。かつて兼家と一緒に来た寺で、兼家の甥と昔を語る作者の胸中は複雑である。
〔下山の勧め〕佐は「世の中がこのまま終わるはずはない。今日にもお出ましになれば、お供いたします」と勧めるが、作者は動かない。見舞いの人々も途絶え、作者は「もう尋ねてくれる人もない」と孤独を深める。
語釈・文法注
- ともえのすけ
- 底本どおり。注記に「兵衛の佐」とある。関白藤原伊尹の子で、兼家の甥にあたる。藤原義孝(954〜974)とする説がある。
文法
- 「步み步みあるへ」
- 底本どおり。注記に「三字來る」とあり、「歩み歩み来る」と解する。
- 「大夫よりか出して」
- 底本どおり。注記に「三字よび」とあり、「大夫を呼び出して」と解する。
- 「聞えさせつりつる」
- 底本どおり。注記に「ざ」の異文があり、「聞えさせざりつる」と解する。
- 「立りやすらふ」
- 底本どおり。注記に「ち」の異文がある。立ってたたずむ。
- 「きやう覺えて」
- 京を思い出させて。
- 「このことばゝ後にといひし人ものぼりあれば」
- 底本どおり。注記に十六字ほどの異文があり、意味がとりにくい。
- 「さきざきの御不しやう」
- 以前のご不精(お便りのなかったこと)。
- 「とはに物もいはず」
- 底本どおり。注記に「と」の異文があり、「とばかり物もいはず」と解する。
- 「日だにたぶけば」
- 底本の注記に「か」の脱字かとあり、「日だにかたぶけば」(日が傾くとすぐ)と解する。
解説
兵衛佐は、関白伊尹の子で、兼家の甥にあたる。若い貴公子の訪問は、山寺に籠もる作者にとって、京の世界との久しぶりの接触であった。佐が兼家の意を受けて下山を勧めに来たことは、言葉の端々からうかがえる。
この寺は、かつて作者が兼家とともに訪れた思い出の場所であった。佐もその時のことを覚えていたが、「今こそかく疎くても」と言う。その言葉は、兼家と作者との仲が疎遠になったことをも響かせ、作者の涙を誘った。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、102–103頁(コマ54)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
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