蜻蛉日記 中巻 第27章
素通りする車と呉竹
天禄二年(971)の正月、兼家は元日に来ず、作者の家の門前を先払いの声も高く素通りしていく。近江という女に通っているとの噂に、作者は大饗の夜も車の音ごとに胸をつぶす。たまに来た兼家にも岩木のように黙して朝を迎える。二月、彼岸の精進を始め、山寺に籠もることを考える作者は、前年に所望した呉竹を植えさせる。
- 1さてさてさて年年とし頃頃ごろ思思おもへへえばばば、、、何何なに事事ごとにににかかかあらあらあらむむん。。。ついたちついたちついたちののの日日ひははは見見みえええずずずしししててて、、、止止やむむむべきべきべきなめりなめりなめりききき。。。さささもももやややととと思思おもふふう心心こころ遣遣づかひひいせせせらるらるらる。。。ひつじひつじひつじののの時時ときばかりばかりばかりにににさきさきさきおひおひおいのゝしるのゝしるののしるぞぞぞなどなどなど人人ひとももも騷騷さわぐぐぐほどほどほどににに、、、ふとふとふときききひきひきひき過過すぎぎぎぬぬぬ。。。いそいそいそなななだだだこそこそこそはははととと思思おもひひいかへしかへしかえしつれつれつれどどど、、、よるよるよるもももさてさてさてやみやみやみぬぬぬ。。。つとめてつとめてつとめてこゝこゝここににに、、、縫縫ぬふふう物物ものどもどもども取取とりりりがてらがてらがてら「「「昨日昨日きのうののの前前まえわたりわたりわたりははは日日ひののの暮暮くれれれにににししし」」」などなどなどありありあり。。。いといといと返返かえりりり事事ごとせせせまうけれまうけれもうけれどどど猶猶なお「「「年年としののの初初はじめににに、、、腹腹はら立立たちちちなななめそめそめそ」」」なんどなんどなんどいへいへいえばばば、、、少少すこしししはははくねりくねりくねりててて書書かきききつつつ。。。かくかくかくしもしもしも安安やすからからからずずず覺覺おぼえええ、、、いふいふいうやうやうようははは、、、「「「このこのこのおしおしおしはかりはかりはかりししし近近おう江江みににになむなむなん文文ふみ通通かよふふう。。。さささなりなりなりたるたるたるべしべしべしととと、、、世世よにににもももいひいひいい騷騷さわぐぐぐ心心こころづきづきずきなさなさなさににになりなりなりけりけりけり」」」。。。さてさてさて二三日二三日ふつかみかすごしすごしすごしつつつ。。。三日三日みつか又又また申申さるののの時時ときににに、、、一日一日ひとひよりよりよりもももけにけにけにのゝしりのゝしりののしりててて來來くるるるををを、、、「「「おはしますおはしますおわしますおはしますおはしますおわします」」」ととといひいひいい續續つづくるくるくるををを、、、一日一日ひとひのののやうやうようにににもももこそこそこそあれあれあれ、、、かたはらかたはらかたわらいたしいたしいたしととと思思おもひひいつゝつゝつつ、、、さすがさすがさすがににに胸胸むね走走ばしりりりするするするををを、、、近近ちかくくくなれなれなればばば、、、こゝこゝここなるなるなるをのこをのこおのこどもどもども、、、中中ちゅう門門もんおしおしおし開開ひらきききててて、、、ひざまづきひざまづきひざまずきてててをるをるおるににに、、、うべうべうべもももなくなくなく引引ひききき過過すぎぎぎぬぬぬ。。。今日今日きょうましてましてまして思思おもふふう心心こころおしおしおしはからはからはからなむなむなん。。。又又またののの日日ひははは大大だい饗饗きょうとてとてとてのゝしるのゝしるののしる。。。いといといと近近ちかけれけれければばば今宵今宵こよいさりともさりともさりともととと試試こころみみみむむんととと人人ひと知知しれれれずずず思思おもふふう。。。車車くるまののの音音おとごとごとごとににに胸胸むね潰潰つぶるるる。。。よきよきよき程程ほどにににててて皆皆みな歸歸かえるるる音音おとももも聞聞きこゆるゆるゆる。。。かどかどかどのののもともともとよりよりよりももも、、、あまたあまたあまた追追おひひいくらしくらしくらしつゝつゝつつ行行ゆくくくををを過過すぎぎぎぬぬぬととと聞聞きくくく度度たび每每ごとににに心心こころははは疎疎うとくくく、、、限限かぎりりりととと聞聞ききききはてはてはてつれつれつればばばすべてすべてすべてものものものぞぞぞおぼえおぼえおぼえぬぬぬ。。。
- 2あるあるある日日ひ、、、又又またつとめてつとめてつとめてなほなほなおもももあらあらあらででで文文ふみ見見みゆゆゆ。。。かへりかへりかえりごとごとごとせせせずずず。。。又又また二日二日ふつかばかりばかりばかりありありありててて、、、「「「心心こころののの怠怠おこたりにににはははあれあれあれどどど、、、いといといと事事こと繁繁しげききき頃頃ころにににてててなむなむなん。。。ようようようさりさりさりものものものせせせむむんにににいかならいかならいかならむむん。。。恐恐おそろしさしさしさににに」」」などなどなどありありあり。。。「「「心心ここちちち惡惡あしきしきしき程程ほどにににてててえええ聞聞きこえええずずず」」」とととものものものしししててて思思おもひひい絕絕たえええぬるぬるぬるににに、、、つれなくつれなくつれなく見見みえええたりたりたり。。。あさましあさましあさましととと思思おもふふうににに、、、うらうらうらもももなくなくなく戯戯たわぶるれぶるれぶるればばば、、、いといといとねたさねたさねたさににに、、、こゝらこゝらここらののの月月つき頃頃ごろ念念ねんじじじつるつるつることことことをををいふいふいうににに、、、いかなるいかなるいかなるものものものととと、、、絕絕たえええててていらへいらへいらえもももなくなくなくててて、、、寢寢ねたるたるたるががが、、、うちうちうち驚驚おどろくくくさまさまさまにににててて、、、「「「いづらいづらいずら。。。はやはやはや寢寢ね給給たまへへえるるる」」」ととといひいひいい笑笑わらひひいててて、、、人人ひとわろげわろげわろげなるなるなるまでまでまでもももあれあれあれどどど、、、岩岩いわ木木きのののごとごとごとしししててて、、、明明あかしししつれつれつればばば、、、つとめてつとめてつとめて物物ものもももいはいはいわででで歸歸かえりりりぬぬぬ。。。それそれそれよりよりより後後のち、、、しひてしひてしいてつれなくつれなくつれなくててて、、、例例れいのののことわりことわりことわり、、、これこれこれとととしししてててかくかくかくしししてててなどなどなどあるあるあるもももいといといとにくゝにくゝにくくててて、、、いひいひいいかへしかへしかえしなどなどなどしししててて、、、ことことこと絕絕たえええててて、、、二十二十にじゅうよよよ日日にちににになりなりなりぬぬぬ。。。あらたまれあらたまれあらたまれどもどもどもててていふいふいうなるなるなる日日ひのののけしきけしきけしき、、、鶯鶯うぐいすののの聲聲こえなどなどなどををを聞聞きくくくまゝまゝままににに、、、淚淚なみだのののかぬきくかぬきくかぬきくなしなしなし。。。
- 3二月二月にがつももも十十とよよよ日日かににになりなりなりぬぬぬ。。。聞聞きくくく所所ところににに、、、十十とよよよなんなんなん通通かよへへえるるるととと、、、ちぐさちぐさちぐさににに人人ひとはははいふいふいう。。。つれづれつれづれつれづれとととあるあるあるほどほどほどににに、、、彼彼ひ岸岸がんににに入入いりりりぬれぬれぬればばば、、、猶猶なおあるあるあるよよよにににははは、、、しやうじしやうじしょうじせせせむむんとてとてとて、、、うはうはうわむしろむしろむしろたゞたゞただのののむしろむしろむしろののの淸淸きよきききぞぞぞ敷敷しきききかへかへかえさすれさすれさすればばば、、、塵塵ちり拂拂はらひひいなどなどなどするするするををを見見みるるるにににももも、、、かやうかやうかようののの事事ことははは、、、思思おもひひいかけかけかけざりざりざりしししものものものをををなどなどなど思思おもへへえばばば、、、いみじういみじういみじゅうててて、、、
- 4「「「うちうちうちはらふはらふはらう塵塵ちりののの積積つもるるるさささむしろむしろむしろをををなげくなげくなげく敷敷かずにににはははしかしかしかじじじとととぞぞぞおもふおもふおもう」」」。。。
- 5これこれこれよりよりよりやがてやがてやがて長長ながさうじさうじそうじしししててて、、、山山やま寺寺でらににに籠籠こもりりりなむなむなんににに、、、さてさてさてもももありありありぬぬぬべくべくべくばばば、、、いかでいかでいかで猶猶なお、、、世世よののの人人ひとののの絕絕たえええ易易やすくくく、、、そむくそむくそむく方方かたにににもももやややなりなりなりなましなましなましととと思思おもひひい立立たつつつををを、、、人人ひと々々びと「「「しやうじしやうじしょうじははは、、、秋秋あき程程ほどよりよりよりするするするこそこそこそ、、、いといといとかしこかかしこかかしこかなれなれなれ」」」ととといへいへいえばばば、、、えええさらさらさらずずず思思おもふふうべきべきべき。。。そそそふふふやややののの事事こともももあるあるあるををを、、、これこれこれすごすすごすすごすべしべしべしととと思思おもひひいててて、、、立立たたたたむむん月月つきをををぞぞぞ待待まつつつ。。。さばれさばれさばれ、、、よろづよろづよろずにににこのこのこの世世よのののことことことははは、、、あいなくあいなくあいなく思思おもふふうををを、、、こぞこぞこぞ春春はる吳吳くれ竹竹たけ植植うゑゑえむむんとてとてとて乞乞こひひいしししををを、、、このこのこの頃頃ころ奉奉たてまつらららむむんととといへいへいえばばば、、、「「「いさいさいさやややありありありもももとぐとぐとぐまじうまじうまじゅう思思おもひひいにににたるたるたる世世よののの中中なかににに、、、心心こころなげなげなげなるなるなるわざわざわざをををやややしししおかおかおかむむん」」」ととといへいへいえばばば、、、「「「いといといと心心こころせばきせばきせばき御御おおん事事ことなりなりなり。。。行行ぎょう基基き菩菩ぼ薩薩さつははは、、、行行ゆくくく末末すえののの人人ひとののの爲爲ためにににこそこそこそ實實みなるなるなるにににははは心心こころははは植植うゑゑえ給給たまひひいけれけれけれ」」」などなどなどいひいひいいててておこせおこせおこせたれたれたればばば、、、哀哀あわれにににありありありししし所所ところとてとてとて、、、見見みむむむ人人ひとももも見見みよよよかしかしかしととと思思おもふふうににに、、、淚淚なみだこぼれこぼれこぼれててて植植うゑゑえさすさすさす。。。二日二日ふつかばかりばかりばかりありありありててて、、、雨雨あめいたくいたくいたく降降ふりりり、、、こちこちこちかぜかぜかぜはげしくはげしくはげしく吹吹ふきききててて、、、一一ひと筋筋すじ二二ふた筋筋すじうちうちうちかたぶきかたぶきかたぶきたれたれたればばば、、、いかでいかでいかでなほなほなおさせさせさせむむん、、、雨雨あま間間まもももがながながなととと思思おもふふうまゝまゝままににに、、、
- 6「「「なびくなびくなびくかなかなかな思思おもははわぬぬぬかたかたかたににに吳吳くれ竹竹たけのののうきうきうき世世よのののすゑすゑすえはははかくかくかくこそこそこそありありありけれけれけれ」」」。。。
- 7今日今日きょうははは二十四日二十四日にじゅうよっか、、、雨雨あめののの脚脚あしいといといとのどかのどかのどかにににてててあはれあはれあわれなりなりなり。。。夕夕ゆうつけつけつけててて、、、いといといと珍珍めずらしきしきしき文文ふみありありあり。。。「「「いといといと怖怖おそろしきしきしきけしきけしきけしきにににおぢおぢおじてててなむなむなん日日ひ頃頃ごろ經經へにににけるけるける」」」などなどなどぞぞぞあるあるある。。。返返かえりりり事事ごとなりなりなり。。。五日五日いつか、、、猶猶なお雨雨あめやまやまやまででで、、、つれづれつれづれつれづれととと思思おもははわぬぬぬ山山やま々々やまとととかかかやややいふいふいうやうやうようににに、、、物物ものののの覺覺おぼゆるゆるゆるまゝまゝままににに、、、盡盡つきききせせせぬぬぬものものものははは淚淚なみだなりなりなりけりけりけり。。。
- 8「「「降降ふるるる雨雨あめのののあしあしあしともともとも落落おつるつるつるなみだなみだなみだかなかなかなこまかこまかこまかにににものものものををを思思おもひひい碎碎くだけけけばばば」」」。。。
現代語訳
さて、長年のことを思うと、何事だろうか、元日にはあの人は姿を見せないで、(私との仲も)終わりそうな様子だった。そうかもしれないと覚悟をしてしまう。未の刻ごろに先払いの声が騒がしいというので、侍女たちも騒いでいるうちに、さっと通り過ぎてしまった。急いでいるのだろうと思い直したけれど、夜もそのまま来なかった。翌朝、こちらに縫い物を取りに来るついでに、「昨日の前を通ったのは、日が暮れてしまったので」などと手紙がある。ひどく返事をしたくないけれど、侍女たちがやはり「年の初めに腹をお立てになりますな」などと言うので、少しすねて書いた。こうも心穏やかでなく思われて、侍女の言うことには、「あの推量していた近江という女に手紙を通わせているのです。そういう仲になったのだろうと、世間でも噂しているのが不愉快なのですわ」。さて二、三日過ごした。三日の申の刻に、また先日よりもいっそう大声で先払いをして来るので、「おいでになります、おいでになります」と侍女たちが言い続けるのを、先日のようになるかもしれない、きまりが悪いと思いながらも、さすがに胸がどきどきするのに、近くなったので、ここの下男たちが中門を押し開けて、ひざまずいていると、案の定、通り過ぎてしまった。今日の私の気持ちは、なおさら推し量ってほしい。翌日は大饗だといって騒いでいる。たいそう近いので、今夜はいくら何でもと試してみようと人知れず思う。車の音のたびに胸がつぶれる。ちょうどよいころに皆が帰る音も聞こえる。門の前からも、たくさんの先払いをしながら行くのを、通り過ぎたと聞くたびに心はうとましくなり、最後の車と聞き終えると、もう何もわからなくなった。
ある日、また翌朝、平気ではいられないのか手紙が来る。返事をしない。また二日ほどして、「私の怠慢ではあるが、たいそう多忙な時期でね。今夜行こうと思うがどうだろう。恐ろしさに(様子をうかがう)」などとある。「気分の悪い時で、お返事できません」と書いて、もう縁が絶えたと思っていると、平然と姿を見せた。あきれたと思っていると、屈託もなくふざけるので、ひどく憎らしくて、ここ何か月もこらえてきたことを言うと、どう思ったのか、まったく返事もせずに寝ていたが、ふと目を覚ましたふりをして、「どうした。もうお休みか」と言って笑い、みっともないほどだけれど、私は岩や木のように黙って夜を明かしたので、翌朝、何も言わずに帰って行った。それから後、無理に平気なふりをして、いつものように「道理はこうで、ああで」などと言ってくるのもたいそう憎らしくて、言い返したりして、便りも絶えて二十日余りになった。年が改まったというけれど、日の様子や鶯の声などを聞くにつけて、涙がかきくれるばかりである。
二月も十日過ぎになった。聞くところでは、(あの女のもとに)十日余りも通っていると、人はさまざまに言う。所在なく過ごしているうちに、彼岸に入ったので、このまま何もしないでいるよりはと、精進をしようと思って、上筵(うわむしろ)を普通の清らかな筵に敷き替えさせると、塵を払ったりするのを見るにつけても、こんなことは思いもしなかったのになどと思うと、ひどくつらくて、
「払い清める塵が積もっている狭筵は、嘆きの数(敷物の数)にはとても及ぶまいと思う」。
これからすぐに長い精進をして、山寺に籠もってしまおう、そうしてもいられるのなら、何とかして、世の人がたやすく縁を絶つように、世を背く方向(出家)にでもなってしまおうかと思い立ったけれど、侍女たちが「精進は秋ごろからするのが、たいそうよいそうです」と言うので、断ることもできないと思った。……のこともあるので、これを過ごしてからにしようと思って、来月を待つ。どうせこの世のことは何もかもつまらなく思うのに、去年の春、呉竹を植えようと言って所望していたのを、この頃差し上げようと(ある人が)言うので、「さあ、生き長らえそうもないと思うようになった世の中で、心ないことをしておこうか」と言うと、「たいそう心の狭いお言葉です。行基菩薩は、後の世の人のためにこそ、実のなる木をお植えになったのですよ」などと言って送ってきたので、しみじみと(私が)住んでいた所として、見る人も見てほしいと思うと、涙がこぼれて植えさせた。二日ほどして、雨がひどく降り、東風が激しく吹いて、一、二本傾いたので、何とかして直させよう、雨の晴れ間があればと思っているうちに、
「思いもしない方に靡くことよ、呉竹は。つらい世の行く末は、こんなふうだったのだ」。
今日は二十四日、雨の降り方がたいそうのどかで、しみじみとする。夕方になって、たいそう珍しい手紙が来た。「たいそう恐ろしい様子(あなたの怒り)におびえて、日が経ってしまった」などとある。返事は……。二十五日も、やはり雨がやまないで、所在なく、「思はぬ山」とかいうように、物思いがわくにつれて、尽きないものは涙であった。
「降る雨の足のように落ちる涙だなあ。こまごまと物を思い砕くので」。
意訳
〔素通りする車〕天禄二年の元日、兼家は姿を見せず、三日には先払いの声も高く作者の家の門前を通り過ぎていく。下男たちが中門を開けてひざまずいて待つのに、車は止まらない。翌日の大饗の夜も、作者は車の音のたびに胸をつぶす。兼家が通っているのは、近江という女だと噂されていた。
〔岩木のごとく〕たまに訪れた兼家は、屈託なくふざける。作者が積もる恨みを口にしても、兼家は寝たふりをして「もう寝たのか」と笑うだけ。作者は岩木のように黙って朝を迎え、兼家は何も言わずに帰った。夫婦の心の断絶が、ここに極まっている。
〔呉竹〕二月、作者は彼岸の精進を始め、山寺への籠居と出家を考える。生き長らえるとも思えない身で呉竹を植えるのは気が進まなかったが、「行基菩薩は後の世の人のために木を植えた」と言われ、涙ながらに植えさせる。雨と東風に傾いた呉竹に、作者は自分のうき世の行く末を重ねる。
語釈・文法注
文法
- 「ふときひき過ぎぬ」
- 底本の注記に「き」は衍字かとある。さっと通り過ぎてしまった。
- 「いそなだこそは」
- 底本どおり。注記に「二字ぐ」とあり、「急ぐなめりこそは」と解される。
- 「腹立ちなめそ」
- 底本どおり。注記に「せ」の異文があり、「腹立ちなせそ」(お腹立ちなさるな)と解する。
- 「くねりて」
- すねて。ひねくれて。
- 「大饗」
- 正月に大臣家で行われる大宴会。
- 「淚のかぬきくなし」
- 底本どおり。注記に「四字かきくらす」とあり、涙にかきくれる、の意に解する。
- 「そふやの事」
- 底本どおり。注記に「三字さいはうイ」などとあり、意味がとりにくい。
- 「行基菩薩は…實なるには心は植ゑ給ひけれ」
- 奈良時代の僧行基が、後の世の人のために果樹を植えたという故事。
- 「思はぬ山々とかや」
- 古歌「ながめつつ思はぬ山々…」などをふまえるか。
和歌
うちはらふ塵の積るさむしろをなげく敷にはしかじとぞおもふ
- 詠者
- 道綱母(作者)
- 状況
- 彼岸の精進のために筵を敷き替え、塵を払うのを見て詠んだ歌。
修辞
- 掛詞
- 「さむしろ」に「狭筵」と「寒し」、「敷」に「数」を掛け、積もる塵も嘆きの数には及ばないと詠む。
なびくかな思はぬかたに吳竹のうき世のすゑはかくこそありけれ
- 詠者
- 道綱母(作者)
- 状況
- 植えさせた呉竹が雨と東風で傾いたのを見て詠んだ歌。
修辞
- 掛詞
- 「よ」に竹の「節(よ)」と「世」、「すゑ」に竹の「末」と行く末を掛ける。思わぬ方に靡く竹に、心変わりした夫を重ねる。
降る雨のあしとも落つるなみだかなこまかにものを思ひ碎けば
- 詠者
- 道綱母(作者)
- 状況
- 二月二十五日、雨のやまない日に詠んだ歌。
修辞
- 見立て
- 涙を雨脚にたとえ、細かく思い砕く心が細かな雨のような涙になると詠む。
解説
天禄二年(971)の正月、兼家は大納言として大饗を開くなど、華やかな日々を送っていた。作者の家は兼家の邸と近く、先払いの声や車の音がそのまま聞こえてくる。下男たちが中門を開けて待つのに素通りされる屈辱は、作者の家全体の屈辱でもあった。
兼家が恨み言を寝たふりでかわす場面は、夫婦の関係がもはや言葉では修復できないところまで来ていることを示している。作者は「岩木のごとして」朝を迎える。
呉竹を植える場面では、作者は自分がいなくなった後の家を思い描いている。「見む人も見よかし」という言葉には、死や出家を意識した作者の心境がにじむ。この後、作者は長い精進を経て、六月には鳴滝の般若寺に籠もることになる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、87–89頁(コマ46–47)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日