蜻蛉日記 中巻 第23章
出家の思いと道綱の鷹
尚侍となった登子に、作者は夫との仲が絶えかけていることを歌で打ち明ける。ときおり来る兼家は悪びれもせず、作者はいっそ死にたい、それが無理なら尼になろうと思いつめる。そのことを道綱に話すと、道綱は「それなら私も法師になる」と泣き、大切に飼っていた鷹を空へ放してしまう。
- 1貞貞じょう觀觀がん殿殿でんののの御御おおんかたかたかたはははをとゝしをとゝしおととしないしないしないしのののににになりなりなりにににたまひたまひたまいにににききき。。。あやしくあやしくあやしくかゝるかゝるかかる世世よをををももも問問とひひい給給たまははわぬぬぬははは、、、このこのこのさるさるさるまじきまじきまじき御御おおん中中なかののの違違たがひひいにににたれたれたればばば、、、こゝこゝここをををもももけうとくけうとくけうとくおぼすおぼすおぼすにににやややあらあらあらむむん。。。かくかくかく事事ことののの外外ほかなるなるなるをををももも知知しりりり給給たまははわでででととと思思おもひひいててて御御おおん文文ふみ奉奉たてまつるるるついでついでついでににに、、、
- 2「「「さゝがにさゝがにささがにののの今今いまはははととと限限かぎるるるすぢすぢすじにににてててもももかくかくかくてててはははしばししばししばし絕絕たえええとととぞぞぞ思思おもふふう」」」
- 3ととと聞聞きこえええたりたりたり。。。かへりかへりかえり事事ごとなになになにくれくれくれととといといといと哀哀あわれににに多多おおくくくのたまひのたまひのたまいててて、、、
- 4「「「絕絕たえええきききとととももも聞聞きくくくぞぞぞ悲悲かなしきしきしき年年とし月月つきをををいかにいかにいかにかけかけかけこしこしこしくもくもくもならならならなくなくなくににに」」」。。。
- 5これこれこれををを見見みるるるにににももも見見み聞聞きききき給給たまひひいしかしかしかばばばならならならぬぬぬ思思おもふふうににに、、、いみじくいみじくいみじく心心ここちちちまさりまさりまさりててて、、、詠詠ながめめめくらすくらすくらすほどほどほどににに文文ふみありありあり。。。「「「文文ふみもももすれすれすれどどど返返かえりりり事事ごともももなくなくなく、、、はしたなげはしたなげはしたなげにににのみのみのみあああめれめれめればばば、、、つゝましくつゝましくつつましくなむなむなん。。。今日今日きょうもももととと思思おもへへえどもどもども」」」などなどなどぞぞぞあああめるめるめる。。。これこれこれかれかれかれそゝのかせそゝのかせそそのかせばばばかへりかへりかえりごとごとごと書書かくくくほどほどほどににに日日ひ暮暮くれれれぬぬぬ。。。又又またいきいきいきもももつかつかつかじじじかしかしかしととと思思おもふふうほどほどほどににに見見みえええたるたるたる。。。人人ひと々々びと「「「猶猶なおあるあるあるやうやうようあらあらあらむむん。。。つれなくつれなくつれなくてててけしきけしきけしきををを見見みよよよ」」」などなどなどいへいへいえばばば、、、思思おもひひいかへしかへしかえしてててのみのみのみありありあり。。。「「「愼愼つつしむむむ事事ことのみのみのみあれあれあればばばこそこそこそあれあれあれ。。。さらにさらにさらに來來こずずずとととなむなむなん我我われははは思思おもははわぬぬぬ。。。人人ひとのののけしきけしきけしきばみばみばみくせくせくせぐせしきぐせしきぐせしきをををなむなむなんあやしあやしあやしととと思思おもふふう」」」などなどなど、、、うらうらうらなくなくなくけしきけしきけしきもももなけれなけれなければばばけうとくけうとくけうとく覺覺おぼゆゆゆ。。。「「「つとめてつとめてつとめてははは物物ものすすすべきべきべき事事ことのののあれあれあればばばなむなむなん。。。いまいまいま明日明日あす明後日明後日あさてののの程程ほどにににももも」」」などなどなどあるあるあるににに誠誠まこととととははは思思おもははわねねねどどど、、、思思おもひひい直直なおるるるにににやややあらあらあらむむんととと思思おもふふうべしべしべし。。。若若もしししはははたたたこのこのこの度度たびばかりばかりばかりにににやややあらあらあらむむんととと試試こころみるみるみるにににやうやうやうやうようよう又又また日日ひ數數かず過過すぎぎぎ行行ゆくくく。。。されされさればばばよよよととと思思おもふふうにににありありありしししよりよりよりもももげにげにげにものものものぞぞぞ悲悲かなしきしきしき。。。
- 6つくづくつくづくつくづくととと思思おもうううつゞくるつゞくるつづくることことことははは猶猶なおいかでいかでいかで心心こころとととしししててて祈祈いのりにににもももえええにににしがなしがなしがなととと思思おもふふうよりよりより外外ほかのののことことこともももなきなきなきををを、、、唯唯ただこのこのこの一一ひと人人りあるあるある人人ひとををを思思おもふふうにににぞぞぞいといといと悲悲かなしきしきしき。。。人人ひととととなしなしなしてててうしろうしろうしろやすからやすからやすからむむん女女めなどなどなどににに預預あずけけけてててこそこそこそ、、、しかしかしかももも心心こころ安安やすからからからむむんとととははは思思おもひひいしかしかしか、、、いかなるいかなるいかなる心心ここちちちしししてててさすらへさすらへさすらえむむんずらずらずらむむんととと思思おもふふうににに、、、猶猶なおいといといと死死しににに難難がたくくくいかゞいかゞいかがはははせせせむむん、、、形形かたちをををかへかへかへててて世世よををを思思おもひひい離離はなるるるやややととと試試こころみみみむむんももも、、、語語かたらへらへらえばばば又又また深深ふかくくくもももあらあらあらぬぬぬなれなれなれどどどいみじういみじういみじゅうさくりさくりさくりもももよゝよゝよよととと泣泣なきききててて「「「さささなりなりなりたまはたまはたまわゞゞばまろまろまろももも法法ほう師師しににになりなりなりてててこそこそこそあらあらあらめめめ。。。何何なにせせせむむんにににかかかははは世世よにににもももまじろはまじろはまじろわむむん」」」とてとてとて、、、いみじくいみじくいみじくよゝよゝよよととと泣泣なけけけばばば、、、我我われもももえええせきせきせきあへあへあえねねねどどどいみじさいみじさいみじさににに、、、たはぶれたはぶれたわぶれにににいひいひいいなさなさなさむむんとてとてとて、、、さてさてさて「「「たかたかたかくくくはははてててはははいかゞいかゞいかがししし給給たまははわむむんずるずるずる」」」ととといひいひいいたれたれたればばば、、、やをらやをらやおら立立たちちち走走はしりりりてててしししすゑすゑすえたるたるたる鷹鷹たかをををきりきりきりはなちはなちはなちつつつ。。。見見みるるる人人ひとももも淚淚なみだせきせきせきあへあへあえずずず。。。ましてましてまして日日ひ暮暮くらしししかたきかたきかたき心心ここちちちににに覺覺おぼゆるゆるゆるやうやうよう、、、
- 7「「「あらそへあらそへあらそえばばば思思おもひひいにににわぶるわぶるわぶるあまあまあまくくくまづまづまずそるそるそる鷹鷹たかぞぞぞかなしかりかなしかりかなしかりけるけるける」」」
- 8とととぞぞぞ。。。日日ひ暮暮くるゝるゝるる程程ほどははは文文ふみ見見みえええたりたりたり。。。天天てん下下かそらそらそらごとごとごとならならならむむんととと思思おもへへえばばば「「「唯唯ただ今今いま心心ここちちち惡惡あしくしくしくててて、、、漸漸ようよう今今いまははは」」」とてとてとてやりやりやりつつつ。。。
現代語訳
貞観殿の御方(登子)は、一昨年、尚侍におなりになった。不思議なことに、こんな(つらい)身の上をもお尋ねくださらないのは、この(兼家とのあいだの)あってはならないご兄妹の仲違いがあったので、私のことも疎ましくお思いなのだろうか。このように思いのほかのことになっているのもご存じないのだろうと思って、お手紙を差し上げるついでに、
「蜘蛛の糸のように、今はもう限りという筋(夫との仲)になっても、こうしてしばらくは、(あなたとのご縁が)絶えたかと思われることです」
と申し上げた。お返事に、あれこれとたいそうしみじみと多くのことをおっしゃって、
「絶えたなどと聞くのは悲しいことです。長い年月を、どうして掛けてきた蜘蛛(の糸)でもないのに」。
これを見るにつけても、(尚侍は)見聞きしていらしたのではないかと思うと、ますます気分が沈んで、物思いにふけって暮らしているうちに、(兼家から)手紙が来た。「手紙を出しても返事もなく、そっけない様子ばかりなので、気がひけてね。今日も(行こう)と思うけれど」などとあるようだ。周りの者たちがせきたてるので、返事を書いているうちに日が暮れた。まさか来はしないだろうと思っていると、姿を見せた。侍女たちが「やはり何かわけがあるのでしょう。平気なふりをして様子をご覧なさい」などと言うので、思い直してだけはいた。「謹慎することばかりがあったからだ。もう来ないなどとは、私は思っていない。あなたが機嫌を損ねてひねくれているのを、妙だと思っているのだ」などと、屈託もなく悪びれた様子もないので、うとましく思われる。「明朝はしなければならないことがあるので(帰る)。すぐ明日か明後日のうちにも(来る)」などと言うので、本当だとは思わないけれど、思い直したのだろうかと(侍女たちは)思うだろう。あるいはまた、今度だけのことだろうかと試していると、だんだんまた日数が過ぎていく。やっぱりそうだったと思うと、以前よりいっそう悲しい。
つくづくと思いつづけることは、やはり何とかして自分の心のままに(死を)祈ってでも得たいものだと思うよりほかのこともないのだが、ただこの一人いる子(道綱)のことを思うと、ひどく悲しい。一人前にして、安心できる妻などに預けてこそ、それなら安心して(死ねる)と思っていたのに、(私が死んだら)どんな気持ちでさすらうことだろうと思うと、やはりとても死ねそうもない。どうしようか、姿を変えて(尼になって)世を思い離れられるか試してみようかと、話してみると、まだ深い考えもない年ではあるけれど、ひどくしゃくりあげて泣いて、「そうおなりになるなら、私も法師になってしまおう。何のために世の中に交わっていられよう」と言って、ひどくおいおいと泣くので、私も涙をこらえきれないけれど、あまりにつらくて、冗談に言い紛らそうとして、さて「それでは、鷹はどうなさるの」と言うと、そっと立ち走って行って、据えていた鷹を(綱を切って)放してしまった。見ている侍女たちも涙をこらえきれない。まして私は、日を暮らしかねる気持ちに思われたのは、
「(母が尼になると)言い争えば、物思いにわびて、母が尼になるより先に、まず(子が)剃る(放つ)鷹こそ悲しいことだ」
という歌であった。日が暮れるころには(兼家の)手紙が来た。どうせまったくのうそだろうと思うので、「ただ今は気分が悪くて、ようやく今は(少し)」と返事をやった。
意訳
〔登子への手紙〕兼家と妹の登子との間には何か仲違いがあったらしく、登子からの便りも途絶えていた。作者は「夫との縁は今は限り、あなたとのご縁もしばらく絶えたかと」と訴え、登子は「どうして絶えたなどと」と温かく返す。
〔悪びれない兼家〕ときおり訪れる兼家は、「あなたがひねくれているのが妙だ」と屈託がない。作者には兼家の言葉が信じられず、また訪れの絶えた日々が続く。
〔道綱の鷹〕いっそ死にたい、けれど道綱を残しては死ねない。それなら尼になろうかと十六歳の道綱に話すと、道綱は「それなら私も法師になる」と泣きじゃくる。冗談に紛らそうと「鷹はどうするの」と言うと、道綱は黙って立ち、大切な鷹を空へ放してしまった。母の嘆きを受けとめようとする少年のけなげさに、侍女たちも涙する。『蜻蛉日記』の中でも、とりわけ胸を打つ場面である。
語釈・文法注
- ないしのかみ
- 尚侍(ないしのかみ)。内侍司の長官で、天皇のそば近くに仕える女官の最高位。后妃に準じる地位とされた。登子は安和二年(969)に尚侍となった。
文法
- 「見聞き給ひしかばならぬ思ふに」
- 底本どおり。注記に「二字にや」とあり、見聞きしていらしたのではないかと思うと、の意に解する。
- 「くせぐせしき」
- ひねくれている。
- 「祈にもえにしがな」
- 底本どおりで意味がとりにくい。死を祈ってでも得たい、の意に解する。
- 「さくりもよゝと」
- しゃくりあげて、おいおいと(泣く)。
- 「たかくはてはいかゞし給はむずる」
- 底本どおり。「鷹(を飼うこと)は、それではどうなさるの」の意に解する。
- 「しすゑたる鷹」
- 底本どおり。手に据えて飼っていた鷹。
- 「あまくまづそる鷹」
- 「あま」に「尼」、「そる」に「剃る」と「逸る(それる)」を掛ける。
- 「天下そらごと」
- まったくのうそ。
和歌
さゝがにの今はと限るすぢにてもかくてはしばし絕えとぞ思ふ
- 詠者
- 道綱母(作者)
- 状況
- 兼家との仲が絶えかけていることを、尚侍登子に手紙で打ち明けた歌。
修辞
- 縁語
- 「さゝがに(蜘蛛)」「すぢ(糸筋)」「絶え」は蜘蛛の糸の縁語。
絕えきとも聞くぞ悲しき年月をいかにかけこしくもならなくに
- 詠者
- 登子(尚侍)
- 状況
- 作者の歌への返歌。
修辞
- 掛詞
- 「くも」に「蜘蛛」と「雲」を掛け、作者の「さゝがに」を受けて、長年掛けてきた縁が絶えるはずはないと慰める。
あらそへば思ひにわぶるあまくまづそる鷹ぞかなしかりける
- 詠者
- 道綱母(作者)
- 状況
- 出家を口にした母の言葉に、道綱が自分も法師になると泣き、飼っていた鷹を放ったのを見て詠んだ歌。
修辞
- 掛詞
- 「あま」に「尼」と「天」、「そる」に髪を「剃る」と鷹が「逸る(それる)」を掛ける。母が尼になるより先に、子が鷹を放って出家の覚悟を示したことを詠む。
解説
天禄元年(970)の夏、作者は死を願い、それがかなわないなら出家しようと思いつめた。平安時代の女性にとって、出家は夫婦関係を断ち、世俗から離れる最後の手段であった。しかし、まだ十六歳の道綱を残しての出家は、作者にもためらわれる。
道綱が鷹を放つ場面は、日記の中でもとりわけ印象深い。鷹狩りは貴族の男子のたしなみであり、鷹は道綱の大切な宝であった。母が尼になるなら自分も法師になる、その証として鷹を手放した少年の行動は、言葉より雄弁に母への思いを伝えている。
この出来事が、作者の出家への思いを一度押しとどめた。けれども兼家の訪れは戻らず、作者はこの後、石山寺への参籠(第24〜25章)、さらに翌年には鳴滝の般若寺への長い籠居へと向かうことになる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、78–80頁(コマ42–43)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日