蜻蛉日記 中巻 第20章
賭弓と道綱の舞
天禄元年(970)、兼家は新邸(東三条邸)に移り、作者は取り残される。三月、宮中の賭弓に道綱が後方の組に選ばれ、勝てば舞を舞うことになって、作者は何もかも忘れて準備に打ちこむ。当日、道綱の組は負けると言われていたが、道綱の矢で引き分けに持ちこみ、舞を披露して御衣を賜る。兼家も泣きながら息子の晴れ姿を語る。
- 1などなどなど思思おもふふうほどほどほどににに晦晦つごもりののの日日ひ春春はるのののなかばなかばなかばにににもももなりなりなりにににけりけりけり。。。人人ひとはははめでたくめでたくめでたくつくりつくりつくりかゞやかしかゞやかしかがやかしつるつるつる所所ところににに「「「明日明日あすなむなむなんこよるこよるこよるなむなむなん」」」とととのゝしるのゝしるののしるなれなれなれどどど我我われははは、、、思思おもひひいしもしもしもしるくしるくしるくかくかくかくてててもももあれあれあれかしかしかしににになりなりなりにににたるたるたるなめりなめりなめり、、、されされさればばば、、、ことことことにににこりこりこりしかしかしかばばばなどなどなど思思おもひひいのべのべのべてててあるあるある程程ほどににに、、、三月三月さんがつ十日十日とおかのののほどほどほどににに、、、うちうちうちののののりのりのりのののことことことありありありててていみじくいみじくいみじくいといといとなむなむなんなりなりなり。。。をさなきをさなきおさなき人人ひとしりへしりへしりえののの方方かたにににとらとらとられれれててて出出いでででにににたりたりたり。。。かたかたかたかへかへかへ物物ものならならならばばばそのそのその方方かたののの舞舞まいもももすすすべしべしべしとととあれあれあればばば、、、このこのこのしろしろしろははは萬萬よろず忘忘わすれれれてててこのこのこの事事ことををを急急いそぐぐぐ。。。舞舞まいならはすならはすならわすとてとてとて日日ひ々々びににに樂樂がくをををしししのゝしるのゝしるののしる。。。射射い手手て射射いにににつきつきつきててて賭賭かけ物物ものとりとりとりてててまかでまかでまかでたりたりたり。。。いといといとゆゝしゆゝしゆゆしとととぞぞぞうちうちうち見見みるるる。。。
- 2十日十日とおかののの日日ひににになりなりなりぬぬぬ。。。今日今日きょうぞぞぞこゝこゝここにににててて試試しのののやうやうようなるなるなることことことするするする。。。舞舞まいののの師師し大大おお江江えのののよしもちよしもちよしもち女房女房にょうぼうよりよりよりあまたあまたあまたののの物物ものかづくかづくかずく。。。男男おとこ方方がたもももありありありとととあるあるある限限かぎりりりぬぐぬぐぬぐ。。。殿殿とのははは御御おおん物物もの忌忌いみなりなりなりとてとてとてをのこをのこおのこどもどもどもはははさながらさながらさながら來來きたりたりたり。。。事事ことはてはてはてがたがたがたににになるなるなる夕夕ゆう暮暮ぐれににに、、、よしもちよしもちよしもち胡胡こくらくらくら舞舞まひひいててていでいでいできききたるたるたるににに、、、黃黃きなるなるなるひとへひとへひとえ脫脫ぬぎぎぎてててかづけかづけかずけたるたるたる人人ひとありありあり。。。折折おりにににあひあひあいたるたるたる心心ここちちちすすす。。。またまたまた十二日十二日じゅうににちしりへしりへしりえののの方方かた人人うどさながらさながらさながら集集あつまりりりててて舞舞まははわすすすべしべしべし、、、こゝこゝここにににははは弓弓ゆみ塲塲ばなくなくなくててて惡惡あしかりしかりしかりぬぬぬべしべしべしとてとてとて彼彼かし所所こにににのゝしるのゝしるののしる。。。殿殿てん上上じょう人人びと數數かずををを多多おおくくく盡盡つくしししててて集集あつまりりりててて、、、よしよしよしももももちもちもちうづもれうづもれうずもれてててなむなむなんととと聞聞きくくく。。。我我われはははいかにいかにいかにいかにいかにいかにととと後後うしろめめめたくたくたく思思おもふふうににに、、、夜夜よ更更ふけけけててて送送おくりりり人人びとあまたあまたあまたなどなどなどしししてててものものものしししたりたりたりききき。。。さてさてさてとととばかりばかりばかりありありありててて人人ひと々々びとあやしあやしあやしととと思思おもふふうににに這這はひひい入入いりりりててて「「「これこれこれがががいといといとらうたくらうたくろうたく舞舞まひひいつるつるつる事事ことかたりかたりかたりににになむなむなんものものものしししつるつるつる。。。皆皆みな人人ひとののの泣泣なきききあはれあはれあわれがりがりがりつるつるつる事事こと。。。明日明日あす明後日明後日あさて物物もの忌忌いみいかにいかにいかにおぼつかなからおぼつかなからおぼつかなからむむん。。。五日五日いつかののの日日ひまだしきまだしきまだしきににに渡渡わたりりりててて事事ことどもどもどもはははすすすべしべしべし」」」などなどなどいひいひいいててて歸歸かえららられれれぬれぬれぬればばば、、、常常つねににに行行ゆかかかぬぬぬ心心ここちちちもももあはれあはれあわれににに嬉嬉うれしうしうしゅう覺覺おぼゆるゆるゆる事事こと限限かぎりりりなしなしなし。。。そのそのその日日ひににになりなりなりてててまだしきまだしきまだしきににに物物ものしししててて、、、舞舞まいのののしやうぞくしやうぞくしょうぞくののの事事ことなどなどなど人人ひといといといと多多おおくくく集集あつまりりりてててししし騷騷さわぎぎぎ出出いだししし立立たてゝてゝてて又又また弓弓ゆみのののことことことををを念念ねんずるずるずるににに、、、かねてかねてかねてよりよりよりいふいふいうやうやうよう「「「しりへしりへしりえはははさしさしさしてててのののまけまけまけものものものぞぞぞ。。。射射い手手ていといといとあやしうあやしうあやしゅうとりとりとりたりたりたり」」」などなどなどいふいふいうににに、、、舞舞まいをををかひかひかいなくなくなくやややなしなしなしてててむむん、、、いかならいかならいかならむむんいかならいかならいかならむむんととと思思おもふふうににに、、、夜夜よににに入入いりりりぬぬぬ。。。月月つきいといといとあかけれあかけれあかければばば格格こう子子しなどなどなどもももおろさおろさおろさででで念念ねんじじじ思思おもふふうほどほどほどににに、、、これこれこれかれかれかれ走走はしりりり來來きつゝつゝつつまづまづまずこのこのこの物物もの語語がたりをををすすす。。。「「「いくついくついくつなむなむなん射射いえるえるえる。。。かたきかたきかたきにににははは右右う兵兵ひょう源源げん中中ちゅう將將じょうなむなむなんあるあるある。。。多多おおくくく多多おおくくく射射い伏伏ふせせせられられられぬぬぬ」」」とてとてとてさゝさゝささとととののの心心こころににに嬉嬉うれしうしうしゅう悲悲かなしきしきしき事事こと物物ものににに似似にずずず。。。「「「まけまけまけ物物ものととと定定さだめめめししし方方かたのののこのこのこの矢矢や鞆鞆ともにににかゝりかゝりかかりてててなむなむなんににになりなりなりぬるぬるぬる」」」とととまたまたまた吿吿つげげげおこするおこするおこする人人ひともももありありあり。。。
- 3ぢぢじににになりなりなりにににけれけれければばばまづまづまず陵陵りょう舞舞まひひいけりけりけり。。。それそれそれももも同同おなじじじほどほどほどのののわらはわらはわらわにににててて我我わががが甥甥おいなりなりなり。。。馴馴ならしししつるつるつるほどほどほど、、、こゝこゝここにににててて見見み、、、かしこかしこかしこにににててて見見みなななかたみかたみかたみにににしししつつつ。。。されされさればばば次次つぎににに舞舞まひひいててておぼえおぼえおぼえににによりよりよりてててにににややや、、、御御おおんぞぞぞ賜賜たまはりはりわりたりたりたり。。。內內うちよりよりよりはははやがてやがてやがて車車くるまのののしりしりしりににに陵陵りょう王王おうももも乘乘のせせせてててまかでまかでまかでられられられたりたりたり。。。ありありありつるつるつるやうやうよう語語かたりりり我我わがががおもておもておもてををを興興おこしししつるつるつる事事こと、、、上上かん達達だち部部めどもどもどもののの皆皆みな泣泣なきききらうたがりらうたがりろうたがりつるつるつる事事ことなどなどなどかへすかへすかえすがへすがへすがえすももも泣泣なくくく泣泣なくくく語語かたらららるるる。。。弓弓ゆみののの師師し呼呼よびびびにににやりやりやりきてきてきて又又またこゝこゝここにににてててなになになにくれくれくれとてとてとてやややゝゝやかづくれかづくれかずくればばば憂憂うきききみみみかかかともともとも覺覺おぼえええずずず。。。嬉嬉うれしきしきしきことことことぞぞぞものものものこきこきこき。。。そのそのその夜夜よもももののの後後のちののの二三日二三日ふつかみかまでまでまで知知しりりりととと知知しりりりたるたるたる人人ひと法法ほう師師しににに至至いたるるるまでまでまで若若わか君君ぎみののの御御おおん喜喜よろこびきこえきこえきこえにににきこえきこえきこえにににとととおこせおこせおこせいふいふいうををを聞聞きくくくにににももも、、、あやしきあやしきあやしきまでまでまで嬉嬉うれししし。。。
現代語訳
などと思っているうちに、月末の日になって、春も半ばになった。あの人は、立派に造って輝くばかりにした所(新邸)に、「明日移る、今夜移る」と騒いでいるようだけれど、私は、思ったとおり、このまま(ここに)いればいいということになってしまったようだ、それなら、特にこりごりしたのだから、などと思って気持ちをのばしているうちに、三月十日ごろに、宮中の賭弓のことがあって、たいへんな準備をしているようだ。幼い子(道綱)は、後方の組に選ばれて出て行った。「組が勝ったなら、その組の舞もしなければならない」ということなので、このところは何もかも忘れて、この準備を急ぐ。舞を習わせるといって、毎日楽を奏して大騒ぎする。射手として射場について、賞品をもらって退出してきた。たいそうめでたいことだと見る。
十日の日になった。今日はここで試楽のようなことをする。舞の師の大江のよしもちが、女房たちからたくさんの品物をもらう。男たちも、ありったけの衣を脱いで与える。殿(兼家)は物忌みだということで、下人たちがそのまま来ている。事が終わりがけの夕暮れに、よしもちが胡蝶楽を舞って出てきたところ、黄色い単衣を脱いで与えた人がいた。折にかなった感じがする。また、十二日に後方の組の人々が皆集まって舞わせることになったが、ここには弓場がなくて不都合だろうといって、あちら(兼家邸)で大騒ぎする。殿上人がありったけ集まって、よしもちも人に埋もれていたと聞く。私はどうだろうか、どうだろうかと気がかりに思っていると、夜更けに、送りの人などが大勢ついて帰ってきた。さて、しばらくして、人々が妙だと思っていると、あの人が這い入ってきて、「この子がたいそうかわいらしく舞ったことを話そうと思ってやって来たのだ。皆が泣いて感心していたよ。明日明後日は物忌みだ、どんなに気がかりだろう。(賭弓の)十五日の日は、朝早く出かけて、支度などをしよう」などと言って帰られたので、いつもは行ってくれない気持ちも、しみじみとうれしく思われることはこの上ない。その日になって、朝早くやって来て、舞の装束のことなど、人がたいそう大勢集まって騒いで送り出して、また弓のことを祈っていると、前々から言われていたのは、「後方の組は、まず負けだろう。射手をひどくまずく選んだ」などということなので、舞をむだにしてしまうのではないか、どうなるだろう、どうなるだろうと思っているうちに、夜になった。月がたいそう明るいので、格子なども下ろさずに祈りながら思っていると、あの人もこの人も走って来ては、まずこの話をする。「いくつ射当てました。相手は右兵衛の源中将でした。何本も何本も射負かされました」と言うので、うれしくも悲しくも、たとえようもない。「負けと決まっていた組のこの子の矢が当たって、引き分けになりました」と、また知らせてくる人もいる。
引き分けになったので、まず(左方の)陵王が舞った。それも同じくらいの年の少年で、私の甥である。稽古の間、ここで見たり、あちらで見たりして、互いに見せ合っていた。それで、次に(道綱が)舞って、評判がよかったからだろうか、御衣を賜った。宮中から、そのまま車の後ろに陵王も乗せて退出してこられた。その場の様子を語り、自分の面目を施したこと、上達部たちが皆泣いてかわいがったことなどを、繰り返し繰り返し泣きながら語られる。弓の師を呼びにやって来させて、またここで何やかやと褒美を与えたので、つらい身だとも思われない。うれしいことこの上ない。その夜も、その後の二、三日まで、知っている人はすべて、法師に至るまで、若君のお喜びを申し上げに申し上げにと、使いをよこしたり言ってきたりするのを聞くにつけても、不思議なほどうれしい。
意訳
〔新邸への移転〕天禄元年の春、兼家は壮麗な新邸(東三条邸)に移る。作者は「このままここにいればいいということになったようだ」と、迎えられなかったことを淡々と書く。
〔賭弓の準備〕三月、宮中の賭弓(のりゆみ)で、十六歳の道綱が後方の組の射手に選ばれた。勝った組は舞を舞うことになっており、作者は「萬忘れて」準備に打ちこむ。試楽の日には、舞の師に褒美の衣が次々に与えられ、兼家邸でも盛大に稽古が行われた。兼家は夜更けにやって来て、「この子がかわいらしく舞った」と報告し、作者を喜ばせる。
〔晴れ舞台〕当日、道綱の組は負けると予想されていたが、道綱の矢で引き分けに持ちこみ、道綱は舞を披露して御衣を賜った。兼家は息子の晴れ姿を泣きながら何度も語り、知人たちから祝いの使いがひっきりなしに来る。作者が「憂き身かとも覚えず」と書く、日記の中でもっとも明るく幸福な場面である。
語釈・文法注
- のりゆみ
- 賭弓(のりゆみ)。正月十八日などに宮中で行われた弓の競技。左右の組(前方・後方)に分かれて射て、勝った組が舞を奏した。この年は三月に行われた。
- 試樂
- 本番の前に行う舞楽の予行演習。
- 胡蝶
- 胡蝶楽。右方の舞楽で、四人の童が蝶の羽をつけて舞う。
- 持
- 勝負が引き分けになること。
- 陵王
- 蘭陵王。左方の舞楽で、竜の面をつけて一人で舞う。ここでは、陵王を舞った少年(作者の甥)を指す。
文法
- 「明日なむこよるなむ」
- 底本どおり。注記に「よひ」の異文があり、「明日なむ、今宵なむ(移る)」と解する。
- 「かくてもあれかしに」
- このままでいればよいということに。
- 「かたかへ物ならば」
- 底本の注記に「つ」の異文があり、「方勝つ物ならば」(組が勝ったなら)と解する。
- 「このしろは」
- 底本どおり。注記に「ご」の異文があり、「この頃は」と解する。
- 「胡蝶くら舞ひて」
- 底本どおり。注記に「楽(らく)」とあり、「胡蝶楽舞ひて」と解する。
- 「よしももち」
- 底本の注記に「一字衍歟」とあり、「よしもち」の重複と見られる。
- 「右兵源中將」
- 底本どおり。右兵衛督の源中将の意か。通行本文は「右衛門督」などとする。
- 「ものこき」
- 底本どおり。注記に異文がある。この上ない、の意に解する。
解説
天禄元年(970)、兼家は東三条邸に移った。作者はここに迎えられることを期待していたが、結局声はかからなかった。新邸には時姫が迎えられ、作者は正妻としての立場を失ったことをはっきり自覚する。
その一方で、この年の三月には、道綱が宮中の賭弓で活躍した。賭弓は、貴族の子弟にとって晴れの舞台であり、勝った組の童が舞を舞うのは名誉なことであった。作者は「萬忘れて」準備に打ちこみ、兼家もまた、息子の舞を見て感涙にむせぶ。夫婦の間がどうであれ、道綱は二人をつなぐ存在であった。
この章の作者は、日記の中でもっとも生き生きとしている。子の晴れ姿を喜ぶ母の姿は、千年の時を超えて共感を呼ぶ。しかし、この喜びは長くは続かず、この年の夏から兼家の訪れは途絶えがちになり、作者は唐崎へ、石山へと、心の慰めを求めて出かけるようになる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、72–74頁(コマ39–40)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日