蜻蛉日記 中巻 第19章
御嶽詣と屏風歌
兼家が道綱を連れて吉野の金峯山(御嶽)に詣で、作者はその無事を祈る。愛宮への長歌は、届け先の取り違えから正体が知れ、作者はあらためて歌を贈る。八月、小一条左大臣藤原師尹の五十賀の屏風に歌を求められ、月・千鳥・駒・網代などの絵に添える歌を詠む。冬、雪の深い日に、思うにまかせぬ身を恨む。
- 1かくかくかくあるあるあるほどほどほどににに心心ここちちち聊聊いささか人人ひとごちごちごちすれすれすれどどど二十日二十日はつかよひよひよいのののほどほどほどににに御御みにににとてとてとて急急いそぎぎぎ立立たつつつ。。。幼幼おさなききき人人ひと御御おおん供供ともにににとてとてとて物物ものすれすれすればばばとかくとかくとかく出出いだしだしだし立立たてゝてゝててぞぞぞそのそのその日日ひののの暮暮くれににに我我わがががもともともとののの所所ところなどなどなどすりすりすりしししはてはてはてつれつれつればばば渡渡わたるるる。。。供供ともなるなるなるべきべきべき人人ひとなどなどなどさしさしさし置置おきききてててけれけれければばばさてさてさて渡渡わたりりりぬぬぬ。。。それそれそれよりよりよりさかりさかりさかりうしろめたきうしろめたきうしろめたき人人ひとをををさへさへさへ添添そへへえてててしかしかしかばばば、、、いかにいかにいかにいかにいかにいかにととと念念ねんじじじつゝつゝつつ、、、七月七月しちがつ一日一日ついたちのののころころころ曉曉あかつきににに來來きててて「「「唯唯ただ今今いまなむなむなん歸歸かえりりり給給たまへへえるるる」」」などなどなど語語かたるるる。。。こゝこゝここははは程程ほどいといといと遠遠とおくくくなりなりなりにににたれたれたればばばしばししばししばしはははありきありきありきなどなどなどももも難難かたかりかりかりなむなむなんかしかしかしなどなどなど思思おもふふうににに晝晝ひるつつつ方方かたなつく〳〵なつく〳〵なつかなつかももも見見みえええたりたりたりしししはははなになになに事事ことにににかかかありありありけむけむけん。。。
- 2さてさてさてそのそのその頃頃ころ帥帥そち殿殿どのののの北北きたののの方方かたいかでいかでいかでにににかかかありありありけむけむけん。。。さゝさゝささののの峯峯みねよりよりよりなりなりなりけりけりけりととと聞聞きききき給給たまひひいててて、、、このこのこのみなみなみなつきつきつきとととごろごろごろとととおぼしおぼしおぼしけるけるけるををを、、、使使つかいもてもてもてたるたるたるゑゑえててて今今いま一一ひとつつつ所所ところへへへもてもてもて至至いたりりりけりけりけり。。。取取とりりり入入いれれれてててあやしあやしあやしともともともややや思思おもははわずずずありありありけむけむけん。。。かへりかへりかえりごとごとごとはははどどど聞聞きこえええてててけりけりけりととと傅傅つたへへえ聞聞ききききててて、、、かのかのかの返返かえりりり事事ごとををを聞聞ききききててて所所ところ違違たがへへえてててけりけりけり。。。いふいふいうかひかひかいなきなきなき事事ことををを又又また同同おなじじじ事事ことをををももも物物ものしししたらたらたらばばば傅傅つたへへえてててももも聞聞きくくくらむらむらんににに、、、いといといとねぢけねぢけねじけたるたるたるべしべしべし。。。いかにいかにいかに心心こころもももなくなくなく思思おもふふうらむらむらんとととなむなむなん騷騷さわがるゝがるゝがるるととと聞聞きくくくがががをかしけれをかしけれおかしければばば、、、かくかくかくてててはははやまやまやまじじじととと思思おもひひいてててさきさきさきののの手手てしししててて、、、
- 3「「「やまやまやまびこびこびこののの答答こたえありありありとととははは聞聞ききききながらながらながらあとあとあとなきなきなき空空そらをををたづねたづねたずねわびわびわびぬるぬるぬる」」」
- 4とととあさあさあさはなだはなだはなだなるなるなる紙紙かみににに書書かきききててて、、、一一ひと葉葉は繁繁しげうううつきつきつきたるたるたる枝枝えだににに立立たて文文ぶみにににしししてててつけつけつけたりたりたり。。。またまたまたさしさしさし置置おきききててて失失うせせせにににけれけれければばば、、、先先さきのののやうやうようにににやややあらあらあらむむんとてとてとてつゝみつゝみつつみ給給たまふふうにににやややありありありけむけむけん。。。猶猶なおおぼつかなしおぼつかなしおぼつかなし。。。あやしくあやしくあやしくのみのみのみあるあるあるににになななととと思思おもふふう。。。程程ほど經經へてててたしかたしかたしかなるなるなるべきべきべきたよりたよりたよりををを尋尋たずねねねてててかくかくかくのたまへのたまへのたまえるるる、、、
- 5「「「吹吹ふくくく風風かぜにににつけつけつけててて物物もの思思おもふふうあまあまあまのののたくたくたくしほしほしおのののけぶりけぶりけぶりははは尋尋たずねねね出出いでででずずずややや」」」
- 6とてとてとて、、、いといといとけなきけなきけなき手手てしししててて薄薄うす純純にびののの紙紙かみにににててて心心しんののの枝枝えだにににつけつけつけててて給給たまへへえりりり。。。御御おおんかへりかへりかえりにににははは、、、
- 7「「「あるゝあるゝあるるうらうらうらににに鹽鹽しおののの煙煙けぶりははは立立たちちちけれけれけれどどどこなたこなたこなたにににかへすかへすかえす風風かぜぞぞぞなかりなかりなかりししし」」」
- 8とてとてとて、、、胡胡くる桃桃み色色いろののの紙紙かみににに書書かきききててて色色いろかはりかはりかわりたるたるたる松松まつにににつけつけつけててて。。。
- 9八月八月はちがつににになりなりなりぬぬぬ。。。そのそのその頃頃ころ小小こ一一いち條條じょうののの左左ひだりのののののの御御おおん賀賀がとてとてとて世世よにににのゝしるのゝしるののしる。。。左左さ衞衞え門門もんののの督督かみののの御御おおん屛屛びょう風風ぶののの事事ことせせせらるゝらるゝらるるとてとてとて、、、繪繪えさるさるさるまじきまじきまじきたよりたよりたよりをををはからひはからひはからいててて責責せめめめらるゝらるゝらるる事事ことありありあり。。。契契ちぎりののの所所ところ々々どころ書書かききき出出いだしししたるたるたるなりなりなり。。。いといといとしらしらしきしらしらしきしらしらしき事事こととてとてとてあまたあまたあまたゝびゝびたびかへすかへすかえすををを、、、せめてせめてせめてわりなくわりなくわりなくあれあれあればばば、、、宵宵よいののの程程ほど月月つき見見みるるるあひたあひたあいたなどなどなどににに、、、一一ひとつつつ二二ふたつつつなどなどなど思思おもひひいてててものものものしししけりけりけり。。。人人ひとののの家家いえににに賀賀がしししたるたるたる所所ところありありあり。。。
- 10「「「大大おお空空ぞらをををめぐるめぐるめぐる月月つき日日ひのののいくいくいくかへりかへりかえり今日今日きょう行行ゆくくくすゑすゑすえにににあはあはあわむむんとととすすすらむらむらん」」」。。。
- 11旅旅たび行行ゆくくく人人ひとののの濱濱はまづらづらずらににに馬馬うまとめとめとめててて千千ち鳥鳥どりののの聲聲こえ聞聞きくくく所所ところありありあり。。。
- 12「「「一一ひと聲聲こえにににやがてやがてやがて千千ち鳥鳥どりととと聞聞ききききつれつれつればばば世世よ々々よをををつくさつくさつくさむむんかずかずかずももも知知しららられれれずずず」」」。。。
- 13あはだあはだあわだ山山やまよりよりより駒駒こま引引ひくくく。。。そのそのそのわたりわたりわたりなるなるなる人人ひとののの家家いえににに引引ひききき入入いれれれててて見見みるるる所所ところなりなりなり。。。
- 14「「「あまたあまたあまた年年とし越越こゆるゆるゆる山山やまべべべににに家家いえ居居いしししてててつなつなつなひくひくひくこまこまこまもももおもおもおもなれなれなれにににけりけりけり」」」。。。
- 15人人ひとののの家家いえののの前前まえ近近ちかききき泉泉いずみににに八月八月はちがつ十五十五じゅうごややや月月つきののの影影かげうつりうつりうつりたるたるたるををを女女おんなどもどもども見見みるるる程程ほどににに、、、垣垣かきてててのののとととよりよりより大大おお路路じににに笛笛ふえ吹吹ふきききててて行行ゆくくく人人ひとありありあり。。。
- 16「「「雲雲くもゐゐいよりよりよりうちえうちえうちえののの聲聲こえををを聞聞きくくくなべなべなべにににさしさしさしくむくむくむばかりばかりばかり見見みゆるゆるゆるつきつきつきかげかげかげ」」」。。。
- 17田田い舍舍なか人人びとののの家家いえののの前前まえののの濱濱はまづらづらずらににに松松まつ原原ばらありありあり。。。鶴鶴たず群群むれれれててて遊遊あそぶぶぶ。。。ふたつふたつふたつ歌歌うたあるあるあるべしべしべしとととありありあり。。。
- 18「「「なみなみなみかげかげかげののの見見みやりやりやりににに立立たてててるるる小小こ松松まつばらばらばらこゝろこゝろこころをををよするよするよすることことことぞぞぞあるあるあるべしべしべし」」」
- 19松松まつのののかげかげかげ眞眞ま砂砂さごのののなかなかなかととと尋尋たずぬるぬるぬるはははなになになにのののあかあかあかぬぬぬぞぞぞたづたづたずのののむらむらむらとりとりとり」」」。。。
- 20網網あ代代じろのののかたかたかたあるあるある所所ところありありあり。。。
- 21「「「あじろあじろあじろぎぎぎににに心心こころをををよせよせよせててて日日ひををを經經ふれれればばばあまたあまたあまたののの夜夜よこそこそこそ旅旅たび寐寐ねしししてててけれけれけれ」」」。。。
- 22濱濱はまべべべにににいざりいざりいざり火火びともしともしともし釣釣つり舟舟ぶねなどなどなどあるあるある所所ところありありあり。。。
- 23「「「いざりいざりいざりびびびもももあまあまあまのののこここ舟舟ぶねももものどけのどけのどけかなかなかな生生いけけけるるるかひかひかいあるあるあるうらうらうらににに來來きにににけりけりけり」」」。。。
- 24女女おんな車車ぐるま、、、紅紅もみ葉葉じ見見みけるけるけるついでついでついでににに、、、又又また紅紅もみ葉葉じ多多おおかりかりかりけりけりけり人人ひとののの家家いえににに來來きたりたりたり。。。
- 25「「「よろづよろづよろずよよよををを野野のべべべのののあたりあたりあたりににに住住すむむむ人人ひとはははめぐるめぐるめぐるめぐるめぐるめぐるやややあきあきあきををを待待まつつつらむらむらん」」」
- 26などなどなどあぢきなくあぢきなくあじきなく、、、あまたあまたあまたにににさへさへさへ强强しひひいなさなさなされれれててて、、、これこれこれらららががが中中なかにににいざりいざりいざりびびびとととむむんこここどりどりどりてててとととはははとまりとまりとまりにににけりけりけりととと聞聞きくくくににに、、、ものものものしかうしかうしこうなどなどなどしししゐゐいたるたるたるほどほどほどににに、、、秋秋あきははは暮暮くれれれ冬冬ふゆににになりなりなりぬれぬれぬればばば、、、何何なに事事ごとにににあらあらあらねねねどどど事事こと騷騷さわがしきがしきがしきこゝちこゝちここちしししてててありありありふるふるふる中中なか、、、しもしもしも月月つきににに雪雪ゆきはははいといといと深深ふかくくく積積つもりりりててて、、、いかなるいかなるいかなるにににかかかありありありけむけむけん、、、わりなくわりなくわりなく身身み心心こころ憂憂うくくく人人ひとつらくつらくつらく悲悲かなしくしくしく覺覺おぼゆるゆるゆる日日ひありありあり。。。つくづくつくづくつくづくととと詠詠ながむるむるむるににに思思おもふふうやうやうよう、、、
- 27「「「降降ふるるる雪雪ゆきにににつもるつもるつもる年年としをををばばばよそへよそへよそえつゝつゝつつ消消きえええむむんごごごもももなきなきなき身身みをををぞぞぞ恨恨うらむるむるむる」」」
現代語訳
こうしているうちに、気分も少し人心地がついたけれど、(あの人は)二十日過ぎに御嶽へといって急いで出発する。幼い子(道綱)もお供にというので、あれこれ支度をして送り出し、その日の暮れに、私のもとの家などを修理し終えたので移る。供をするはずの人なども残しておいたので、それで移った。それからさらに、気がかりな子まで一緒に行かせたので、どうか無事にと祈りつづけていると、七月一日ごろの明け方に、人が来て「ただ今お帰りになりました」などと話す。こちらは(あの人の家から)ずいぶん遠くなってしまったので、しばらくは通ってくることも難しいだろうなどと思っていると、昼ごろ、思いがけなく姿を見せたのは、何事だったのだろう。
さて、その頃、帥殿の北の方(愛宮)は、どうしたことだろうか。あの長歌は多武峯からだと聞いて、この六月ごろの(歌)とお思いになったのを、使いが持って、もう一方の所(多武峯の入道)へ届けてしまった。(入道は)受け取って、妙だと思わなかったのだろうか。返事などは差し上げたと伝え聞いて、あの返事を聞いて、届け先が違ってしまったのだった。言ってもしかたのないことを、また同じことを送ったら、伝え聞くだろうから、ひどくひねくれたことになるだろう。(北の方は)どんなに心ない者と思っているだろうと騒いでいらっしゃると聞くのがおもしろいので、このままでは終わるまいと思って、先の(長歌と同じ)筆跡で、
「山彦の答え(お返事)があったとは聞きながら、跡もない空を(どこに届いたのかと)尋ねあぐねております」
と浅縹色の紙に書いて、葉がびっしりついた枝に立文にしてつけた。またそっと置いて使いが姿を消したので、先のようなことになるのではと、(北の方は)用心なさったのだろうか。やはりはっきりしない。妙なことばかりだと思う。しばらくして、確かな手づるを探して、こうおっしゃってきた。
「吹く風につけて物思いをする海人の焚く塩の煙(私の嘆き)は、どこから立つのか、尋ね出せないのでしょうか」
と、たいそう幼い筆跡で、薄鈍色の紙に書いて、樒(しきみ)の枝につけてくださった。お返事には、
「荒れた浦に塩焼く煙は立ちのぼりましたが、こちらへ(返事を)吹き返す風はありませんでした」
と、胡桃色の紙に書いて、色の変わった松につけて差し上げた。
八月になった。その頃、小一条の左大臣(藤原師尹)の五十の御賀だといって世間が騒いでいる。左衛門督(師尹の子、済時)が屏風を作らせなさるというので、私には縁のないはずの手づるを頼って、歌を詠めと責められることがあった。絵の場面の所々を書き出したものである。たいそう興ざめなことだと思って何度も断ったけれど、無理にとせがまれるので、宵のころ月を見る合間などに、一つ二つなどと思って詠んだ。人の家で賀の祝いをしている所がある。
「大空をめぐる月日が幾たびめぐって、今日のようなおめでたい行く末に会うのでしょう」。
旅をする人が浜辺に馬をとめて、千鳥の声を聞いている所がある。
「一声で、すぐに千鳥(千代)と聞いたので、幾世を尽くすか、その数も知れません」。
粟田山から駒を引いて来る。そのあたりの人の家に引き入れて見ている所である。
「長年、駒が越える山辺に住んでいるので、綱で引かれてくる駒も見慣れてしまったことだ」。
人の家の前近くの泉に、八月十五夜の月の影が映っているのを女たちが見ていると、垣根の外の大路を笛を吹いて行く人がある。
「雲居から(聞こえる)笛の声を聞くにつれて、手ですくえるほどに見える月影だ」。
田舎人の家の前の浜辺に松原がある。鶴が群れて遊んでいる。二首の歌があるようにとのこと。
「波の影の見渡すかぎりに立っている小松原は、(鶴が)心を寄せることもあるのでしょう」
松の陰か砂の中かと尋ねているのは、何が飽き足りないのか、鶴の群れよ」。
網代のある所がある。
「網代木に心を寄せて日を過ごすので、幾夜も旅寝をしてしまったことだ」。
浜辺に漁り火をともし、釣舟などがある所がある。
「漁り火も海人の小舟ものどかなことだ。生きているかいのある浦に来たことよ」。
女車が、紅葉を見たついでに、また紅葉のたくさんある人の家に来ている。
「万代を、野辺のあたりに住む人は、めぐりめぐって秋を待っているのでしょう」
などと、つまらないものを、たくさん無理に詠まされて、これらの中で、漁り火の歌と群鳥の歌とが(屏風に)採られたと聞くにつけて、不愉快な思いなどしているうちに、秋は暮れ冬になったので、何ということもないけれど慌ただしい気持ちで過ごしているなか、十一月に雪がたいそう深く積もって、どうしたことだろうか、むやみにわが身も心もつらく、人もつらく、悲しく思われる日がある。つくづくと物思いにふけって思うことは、
「降る雪に、積もる年を重ね合わせながら、消える時もない(死ぬこともできない)この身を恨むことです」
意訳
〔御嶽詣〕七月、兼家は道綱を連れて吉野の金峯山(御嶽)に参詣した。作者は修理を終えたもとの家に移り、二人の無事を祈る。兼家の家から遠くなったので通いも途絶えるだろうと思っていたのに、兼家は帰るとすぐに顔を見せた。
〔愛宮との贈答〕愛宮への長歌は、使いが多武峯の入道のもとへも届けてしまったため、贈り主が別人であることが知れてしまった。愛宮が困惑していると聞いた作者は、同じ筆跡で「山彦の答えがあったとは聞きながら」と歌を贈る。愛宮は確かな手づるを探して、喪の薄鈍色の紙に書いた返歌を寄こし、二人の歌のやりとりが実現した。
〔屏風歌〕八月、兼家の叔父の左大臣藤原師尹の五十賀の屏風に、作者は歌を求められる。断りきれずに月夜の合間に詠んだ歌が、賀の祝い、千鳥、粟田山の駒、十五夜の泉、浜の鶴、網代、漁り火、紅葉と並ぶ。採用されたのは二首だけと聞いて、作者はおもしろくない。冬、深い雪の日、作者は「消えむ期もなき身」を恨む。
語釈・文法注
- 御嶽
- 吉野の金峯山(きんぷせん)。蔵王権現をまつり、修験の霊山として貴族も参詣した。参詣の前には長い精進(御嶽精進)をした。
- 小一條の左のおとゞ
- 藤原師尹(もろただ、920〜969)。師輔の弟で兼家の叔父。小一条に住んだ。安和二年(969)左大臣となったが、この年の十月に亡くなった。
文法
- 「すりしはてつれば」
- 底本どおり。注記に「修理」とあり、「修理し果てつれば」と解する。
- 「それよりさかり」
- 底本の注記に「は」の脱字かとあり、「それよりはさかり」と解する。
- 「なつく〳〵」
- 底本どおり。注記に「つかなつかしく」などとある。思いがけなく、の意に解する。
- 「さゝの峯」
- 底本どおり。注記に「たふ」の異文があり、「多武(たふ)の峯」と解する。
- 「みなつきとごろ」
- 底本の注記に「の」の脱字かとあり、「六月の頃」と解する。
- 「もてたるゑて」
- 底本どおり。注記に「たがへ」の異文があり、「持て違へて」(取り違えて)と解する。
- 「かへりごとはど聞えてけり」
- 底本の注記に「な」の脱字かとあり、「かへりごとはなど聞えてけり」と解する。
- 「さきの手して」
- 前の(長歌の)筆跡で。
- 「薄純」
- 底本どおり。「薄鈍(うすにび)」(喪の色の薄墨色)の意に解する。
- 「心の枝」
- 底本どおり。注記に「樒(しきみ)」の異文がある。仏前に供える木。
- 「繪さるまじきたより」
- 底本どおり。注記に「さ」の異文がある。縁のないはずの手づる、の意に解する。
- 「しらしらしき事」
- 興ざめなこと。
- 「垣てのと」
- 底本どおり。注記に異文がある。垣根の外、の意に解する。
- 「うちえの聲」
- 底本どおり。注記に「ふえ」かとあり、笛の声と解する。
- 「いざりびとむこどりて」
- 底本どおり。注記に「むらどり」かとあり、漁り火の歌と群鳥の歌、と解する。
和歌
やまびこの答ありとは聞きながらあとなき空をたづねわびぬる
- 詠者
- 道綱母(作者)
- 状況
- 愛宮への長歌が多武峯からのものではないと知れたあと、同じ筆跡で贈った歌。
修辞
- 見立て
- 愛宮の返事を「山彦の答え」にたとえ、自分は名乗れない身であることを「あとなき空」と言う。
あるゝうらに鹽の煙は立ちけれどこなたにかへす風ぞなかりし
- 詠者
- 道綱母(作者)
- 状況
- 愛宮から「塩の煙は尋ね出でずや」と歌が届いたことへの返歌。
修辞
- 縁語
- 「うら」「鹽」「煙」「風」と海辺の縁語でまとめ、返事が自分に届かなかったことを言う。
一聲にやがて千鳥と聞きつれば世々をつくさむかずも知られず
- 詠者
- 道綱母(作者)
- 状況
- 藤原師尹の五十賀の屏風の、浜辺で千鳥の声を聞く旅人の絵に添えた歌。
修辞
- 掛詞
- 「千鳥」に「千(ち)」を響かせ、千代を重ねる長寿の祝いとする。
降る雪につもる年をばよそへつゝ消えむごもなき身をぞ恨むる
- 詠者
- 道綱母(作者)
- 状況
- 十一月、雪の深く積もった日に詠んだ歌。
修辞
- 縁語
- 「降る」「つもる」「消え」と雪の縁語でまとめ、年を重ねても死ぬこともできない身を恨む。
解説
安和二年(969)七月、兼家は道綱を連れて吉野の金峯山に参詣した。御嶽詣は、長い精進を経て行う厳しい参詣で、兼家は自身の昇進や一族の繁栄を祈ったのであろう。道綱はこのとき十五歳で、父に連れられての旅であった。
愛宮との贈答は、作者が身分を隠して歌を送り、それが思わぬところから露見して、改めて交流が始まるという、物語のような展開である。愛宮が喪の薄鈍色の紙に書き、樒の枝に結んだ返歌は、配流された夫を持つ尼としての悲しみを伝えている。
屏風歌は、屏風に描かれた絵の場面に合わせて詠む歌で、歌人の腕の見せどころであった。作者が左大臣の賀の屏風歌を依頼されたことは、歌人としての評価が高かったことを示している。もっとも作者は「いとしらしらしき事」と気が進まず、採用が二首にとどまったことにも不満を漏らしている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、69–72頁(コマ37–39)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日