蜻蛉日記 中巻 第16章
中巻の始まりと安和の変
安和二年(969)の元日、作者は「天地を袋に縫ひて」の古歌にちなんで正月の祝い言を兼家に贈る。三月には侍女たちと桃の節句や小弓の遊びを楽しむが、その月の末、左大臣源高明が謀反の疑いで大宰権帥に左遷される安和の変が起こる。作者は高明一家の悲運に心を痛め、日記に書きとどめる。
- 1かくかくかくはかなくはかなくはかなくかうかうこう年年とし立立たちちち歸歸かえるるるあしたあしたあしたにににはははなりなりなりにににけりけりけり。。。年年とし頃頃ごろあやしくあやしくあやしく世世よののの人人ひとのののするするする事事ことなどなどなどもももせせせぬぬぬ所所ところなれなれなればばばややや、、、かうかうこうはははあらあらあらむむんととと思思おもひひい置置おきききてててゐざりゐざりいざり出出いづるづるずるまゝまゝままににに「「「いづらいづらいずらこゝこゝここににに人人ひと々々びと今年今年ことしだにだにだにいかでいかでいかで事事こと忌忌いみなどなどなどしししててて世世よののの中中なか試試こころみみみむむん」」」ととといふいふいうををを聞聞ききききてててはらからはらからはらからととと覺覺おぼしきしきしき人人ひとまだまだまだ臥臥ふしししながらながらながらものものもの聞聞きこゆゆゆ。。。「「「天天あめ地地つちををを袋袋ふくろににに縫縫ぬひひいててて」」」とととすずるすずるすずるににに、、、いといといとをかしくをかしくおかしくなりなりなりててて「「「さらにさらにさらにみみみにににははは三三みそそそ日日か三三みそそそ夜夜よははは我我わがががもともともとにににととともももいはいはいわむむん」」」ととといへいへいえばばば、、、前前まえなるなるなる人人ひと々々びと笑笑わらひひいててて「「「いといといと思思おもふふうやうやうようなるなるなる事事ことにににももも侍侍はべるるるかなかなかな。。。同同おなじくじくじくばばばこれこれこれををを書書かかかかせせせ給給たまひひいててて殿殿とのにににやややははは奉奉たてまつらららせせせ給給たまははわぬぬぬ」」」ととといふいふいう。。。臥臥ふしししたりたりたりつるつるつる人人ひとももも起起おきききててて「「「いといといとよきよきよき事事ことなりなりなり。。。てんけてんけてんけのののゑはうゑはうえほうにににもももまさらまさらまさらむむん」」」などなどなど笑笑わらふふう笑笑わらふふういへいへいえばばばさながらさながらさながら書書かきききてててちひさきちひさきちいさき人人ひとしししててて奉奉たてまつれれれたれたれたればばば、、、このこのこの頃頃ころ時時ときののの世世よののの中中なか人人びとにににててて人人ひとはははいみじくいみじくいみじく多多おおくくく參參まいりりりこみこみこみたりたりたり。。。內內うちへへへももも疾疾とくくくとてとてとていといといと騷騷さわがしげがしげがしげなりなりなりけれけれけれどどどかくかくかくぞぞぞあるあるある、、、今年今年ことしはははさささ月月つき二二ふたつつつあれあれあればばばなるなるなるべしべしべし、、、
- 2「「「年年としごとごとごとにににあまれあまれあまれはははこひるこひるこいる君君きみがががためためため閏閏うるう月月ずきをををばばばおくおくおくにににやややあるあるあるらむらむらん」」」
- 3とととあれあれあればばばいはひいはひいわいそしそしそしつつつととと思思おもふふう。。。又又またののの日日ひこなたこなたこなたあなたあなたあなたげすげすげすのののなかなかなかよりよりより事事こと出出いででで來來きててていみじきいみじきいみじき事事ことどもどもどもあるあるあるををを、、、人人ひとはははこなたこなたこなたざまざまざまににに心心こころ寄寄よせせせててていとほしげいとほしげいとおしげなるなるなるけしきけしきけしきにににあれあれあれどどど、、、我我われはははすべてすべてすべて近近ちかきききかかかするするすることことことなりなりなり。。。悔悔くやしくしくしくなどなどなど思思おもふふう程程ほどににに、、、家家いえうつりうつりうつりとととかかかせせせらるゝらるゝらるる事事ことありありありててて我我われははは少少すこししし離離はなれれれたるたるたる所所ところににに渡渡わたりりりぬれぬれぬればばば、、、わざとわざとわざときらきらしくきらきらしくきらきらしくててて日日ひまぜまぜまぜなどなどなどにににうちうちうち通通かよひひいたれたれたればばば、、、はかなうはかなうはかのうちちちにににははは猶猶なおかくかくかくてててぞぞぞあるあるあるべかりべかりべかりけるけるける。。。家家いえににに錦錦にしきををを着着きてててとととこそこそこそいへいへいえ。。。故故ふる鄉鄉さとへへへももも歸歸かえりりりなむなむなんととと思思おもふふう。。。
- 4三月三月さんがつ三日三日みつかせくせくせくなどなどなど物物ものしししたるたるたるををを、、、人人ひとなくなくなくてててさうざうしさうざうしそうぞうしとてとてとてこゝこゝここののの人人ひと々々びとかしこかしこかしこののの侍侍さぶらいにににかうかうこう書書かきききてててやるやるやるありありあり。。。戯戯たわぶれぶれぶれににに、、、
- 5「「「もゝもゝももののの花花はなすきすきすき物物ものどもどもどもをををがががそのそのそのわたりわたりわたりまでまでまで尋尋たずねねねにににぞぞぞやるやるやる」」」。。。
- 6即即すなわちかいかいかいつれつれつれててて來來きたりたりたり。。。おろしおろしおろしいだしいだしいだし酒酒さけ飮飮のみみみなどなどなどしししててて暮暮くらしししつつつ。。。中中なかののの十日十日とおかのののほどほどほどにににこのこのこの人人ひと々々びと方方かた分分わきききててて小小こ弓弓ゆみのののことことことせせせむむんとととすすす。。。かたみかたみかたみににに出出いでででいるいるいるとととぞぞぞししし騷騷さわぐぐぐ。。。しりへしりへしりえののの方方かたののの限限かぎりこゝこゝここににに集集あつまりりりてててなすなすなす日日ひ、、、女房女房にょうぼうにににかけかけかけものものもの乞乞こひひいたれたれたればばば、、、さながらさながらさながらににに、、、物物ものややや忽忽たちまちににに覺覺おぼえええざりざりざりけむけむけん、、、侘侘わびびびざれざれざれににに靑靑あおききき紙紙かみををを柳柳やなぎののの枝枝えだににに結結むすびびびつけつけつけたりたりたり。。。
- 7「「「山山やま風風かぜのののまへまへまえよりよりよりふけふけふけばばばたたたこのこのこの春春はるのののやなぎやなぎやなぎのののいといといとはははしりへしりへしりえにににぞぞぞよるよるよる」」」。。。
- 8かへしかへしかへし口口くち々々ぐちしししたるたるたるどどど忘忘わするゝるゝるる程程ほど押押おしししはからはからはからなむなむなん。。。一一ひとつつつはははかくかくかくぞぞぞあるあるある、、、
- 9「「「數數かず々々かずににに君君きみかたかたかたよりよりよりててて引引ひくくくなれなれなればばばやなぎやなぎやなぎのののまゆまゆまゆもももいまいまいまぞぞぞひらくるひらくるひらくる」」」。。。
- 10つごもりつごもりつごもり方方がたにににせせせむむんととと定定さだむるむるむる程程ほどににに世世よののの中中なかにににいかなるいかなるいかなる咎咎とが勝勝まさりりりたりたりたりけむけむけん。。。てんけてんけてんけ人人ひと々々びと流流ながさささるゝるゝるるとととのゝしるのゝしるののしる事事こといでいでいで來來きててて紛紛まぎれれれにににけりけりけり。。。廿五日廿五日にじゅうごにち六日六日むいかののの程程ほどににに西西にしののの宮宮みやののの左左ひだりののの流流ながささされれれ給給たまふふう。。。見見み奉奉たてまつらららむむんとてとてとて天天あめののの下下したゆすりゆすりゆすりててて西西にしののの宮宮みやへへへ人人ひと走走はしりりり惑惑まどふふう。。。いといといといみじきいみじきいみじき事事ことかなかなかなととと聞聞きくくく程程ほどににに人人ひとにににももも見見みえええ給給たまははわででで逃逃にげげげ出出いででで給給たまひひいにににけりけりけり。。。あたごあたごあたごににになむなむなんときよしほときよしほときよしおににになどなどなどゆすりゆすりゆすりててて遂遂ついににに尋尋たずねねね出出いでゝでゝでて流流ながししし奉奉たてまつるるるととと聞聞きくくくににに、、、あいなしあいなしあいなしととと思思おもふふうまでまでまでいみじういみじういみじゅう悲悲かなしくしくしく心心こころもともともとなきなきなき身身みだにだにだにかくかくかく思思おもひひいしりしりしりたるたるたる人人ひとははは袖袖そでをををぬらさぬらさぬらさぬぬぬととといふいふいう類類たぐひひいなしなしなし。。。あまたあまたあまたののの御御おおん子子こ供供どももももあやしきあやしきあやしき國國くに々々ぐにののの空空そらににになりなりなりつゝつゝつつ行行ゆくくくへへへももも知知しらららずずずちりぢりちりぢりちりぢり別別わかれれれ給給たまふふうめるめるめるぞぞぞ、、、御御みぐしぐしぐしおろしおろしおろしなどなどなどすべてすべてすべていへいへいえばばばおろかおろかおろかいみじいみじいみじ。。。おとゞおとゞおとどももも法法ほう師師しににになりなりなり給給たまひひいにににけれけれけれどどど、、、强强しひひいててて帥帥そちににになしなしなし奉奉たてまつりりりててて追追おひひいくだしくだしくだし奉奉たてまつるるる。。。そのそのそのこゝろこゝろこころをををいたみいたみいたみののの事事ことにににててて過過すぎぎぎぬぬぬ。。。身身みののの上上うえをををのみのみのみするするするにきにきにきにににははは入入いるるるまじきまじきまじきとととなれなれなれどもどもども、、、なしなしなしととと思思おもひひい入入いりりりしししももも誰誰たれならならならねねねばばば記記しるししし置置おくくくなりなりなり。。。
- 11そのそのそのまままののの五月雨五月雨さみだれののの二十二十にじゅうよよよ日日にちのののほどほどほど物物もの忌忌いみもももありありあり。。。長長ながきききももも始始はじめめめたるたるたる人人ひと山山やま寺寺でらににに籠籠こもれれれりりり。。。雨雨あめいたくいたくいたく降降ふりりりててて詠詠ながむるむるむるににに、、、いといといとあやしくあやしくあやしく心心こころ細細ぼそききき所所ところににになむなむなんなどなどなどもももあるあるあるべしべしべし。。。返返かえりりり事事ごとににに、、、
- 12「「「時時ときしもしもしもあれあれあれかくかくかく五月雨五月雨さみだれとととまさまさまさかかかにににをちをちおち方方かた人人びとのののひとひとひともももこそこそこそふれふれふれ」」」
- 13とととものものものしししたるたるたる返返かへししし、、、
- 14「「「ましましましみづみづみずのののましましましててて程程ほどふるふるふる物物ものならならならばばばおなじおなじおなじぬれぬれぬれにににもももおおおるるるももも立立たちちちなむなむなん」」」
現代語訳
こうして、はかないまま、年が改まる元日の朝になった。長年、妙なことに、世間の人がする言葉の忌みなどもしない家だからだろうか、こんなふうなのだろうと思って、いざり出るとすぐに、「さあ、ここにいる人たち、今年こそ何とかして言葉の忌みなどをして、世の中(夫婦仲)を試してみよう」と言うのを聞いて、妹らしい人が、まだ横になったまま申し上げる。「天地を袋に縫って」と口ずさむので、たいそうおかしくなって、「さらにその袋には、三十日三十夜は私のもとに(いてほしい)とも言おう」と言うと、そばにいる侍女たちが笑って、「たいそうけっこうなことでございますね。同じことなら、これをお書きになって、殿に差し上げなさいませ」と言う。横になっていた人も起きて、「たいそうよいことです。天下の恵方にもまさるでしょう」などと笑い笑い言うので、そのまま書いて、子どもに持たせて差し上げると、この頃あの人は時の人で、人々がたいそう大勢参上して混み合っていた。宮中にも早く参内しようとたいそう慌ただしそうだったけれど、こう返してきた。今年は五月が二つあるからだろう、
「毎年、余るほど恋うるあなたのために、閏月を置いたのだろうか(今年は月が多いから、ずっと一緒にいられる)」
とあったので、祝い言はうまくいったと思う。翌日、こちらとあちら(時姫の家)の下人の間から事が起こって、ひどいことがあったのを、あの人はこちら側に心を寄せて、気の毒そうな様子でいるけれど、私はすべて身近でいやなことだと思う。悔やまれるなどと思っているうちに、引っ越しをなさることがあって、私は少し離れた所に移ったので、あの人はわざわざ華やかに一日おきなどに通ってくるので、頼りない身としては、やはりこうしているべきだったのだ。「故郷に錦を着て帰る」とも言うではないか。古い家へも帰ってしまおうと思う。
三月三日、節供などを用意したのに、人がいなくて物足りないというので、ここの侍女たちが、あちら(兼家邸)の侍所に、こう書いて送った。戯れに、
「桃の花の好き者たちを、西王母の園のあたりまで、尋ねに遣わします」。
すぐに連れだってやって来た。料理を下げて出し、酒を飲んだりして一日を過ごした。中の十日ごろに、この人たちが左右に組を分けて、小弓の勝負をしようとする。互いに出たり入ったりして騒いでいる。後方の組の人ばかりがここに集まって練習する日、女房に賞品をねだったので、すぐには品物も思いつかなかったのだろう、苦しまぎれのしゃれで、青い紙を柳の枝に結びつけて与えた。
「山風が前から吹くので、この春の柳の糸は後ろ(後方の組)になびき寄るのです」。
返しは口々にしたけれど、忘れてしまったので、推し量ってほしい。一つはこうだった。
「次々にあなたが味方してくださるので、柳の眉(芽)も今こそ開きます」。
月末に勝負をしようと決めているうちに、世の中にどんな罪があったのだろうか、「天下の人々が流される」と大騒ぎすることが起こって、小弓のことは立ち消えになった。二十五、六日ごろに、西の宮の左大臣(源高明)が流されなさる。そのお姿を見申し上げようと、世間じゅうが騒いで、西の宮へ人々が走りまどう。たいそうひどいことだと聞いているうちに、人にも見られないで逃げ出しておしまいになった。「愛宕山に」「清水に」などと大騒ぎして、とうとう探し出して流し申し上げると聞くと、どうしようもないと思うほど、ひどく悲しく、身の上を思えば頼りない私でさえこう思うのだから、事情を知っている人で袖を濡らさない者はいない。大勢のお子様方も、遠い国々の空へと、行方も知れず散り散りにお別れになるようで、出家なさるなど、何もかも言葉では言いつくせないほど悲しい。大臣も法師になっておしまいになったけれど、無理に大宰権帥にしてさしあげて、都から追い下し申し上げる。その頃は、その(大臣への)心の痛みのことで過ぎた。自分の身の上のことだけを書く日記には入れるべきでないことだけれど、悲しいと思い入ったのも誰でもない私なのだから、書き記しておくのである。
その間の五月雨の二十日過ぎのころ、あの人は物忌みもある。長い精進も始めた人(兼家)が山寺に籠もっていた。雨がひどく降って物思いにふけっていると、「たいそう妙に心細い所にいる」などと言ってきたのだろう。返事に、
「ちょうど折も折、こんなふうに五月雨が降って、まさに遠くにいるあなたも濡れているでしょう」
と送った返しに、
「清水がいっそう増して日が経つものなら、同じ濡れるにしても、山を下りて出かけて行こう」
意訳
〔元日の祝い言〕中巻は安和二年の元日から始まる。言葉の忌みも気にしない作者の家でも、今年こそはと縁起をかつぐ。妹が口ずさんだ「天地を袋に縫ひて」の古歌に、作者は「三十日三十夜は私のもとに」と付け加え、兼家に送る。兼家は「今年は閏月があるから、恋しいあなたのためだ」と応じる。正月らしい明るい幕開けである。
〔春の遊び〕作者は兼家の新邸から少し離れた家に移り、兼家は一日おきに通ってくるようになった。三月三日には兼家邸の侍たちを桃の節句に招き、小弓の勝負に賞品として柳の枝に歌を結んで与える。女房たちのにぎやかな遊びの様子が描かれる。
〔安和の変〕ところが三月の末、左大臣源高明が謀反の疑いで大宰権帥に左遷される。高明は逃げ出したが探し出され、出家しても許されず九州へ送られた。作者は「自分の身の上だけを書く日記に入れるべきことではない」と断りながらも、その悲しみを書き記す。作者が日記の性格を自ら語った一文として名高い。
語釈・文法注
- 事忌
- 言忌(こといみ)。正月などに不吉な言葉を避けること。
- さいわう
- 西王母。中国の伝説の仙女。その園の桃は三千年に一度実るとされた。
- 西の宮の左のおとゞ
- 源高明(914〜983)。醍醐天皇の皇子で臣籍に下り、左大臣となった。西宮に住んだので西宮左大臣と呼ばれる。安和二年(969)、謀反の疑いで大宰権帥に左遷された(安和の変)。
- しやうじ
- 精進。肉や魚を断ち、身を清めて仏道に励むこと。
文法
- 「天地を袋に縫ひて」
- 古歌「天地を袋に縫ひて幸ひを入れて持たれば思ふことなし」をふまえた正月の祝い言。
- 「すずるに」
- 「誦ずるに」。口ずさむので。
- 「さらにみには」
- 底本どおり。注記に「袋」かとあり、さらにその袋には、の意に解する。
- 「てんけのゑはう」
- 底本どおり。「天下の恵方」と解する。恵方はその年の縁起のよい方角。
- 「あまれはこひる」
- 底本どおり。注記に「恋ふる」の異文がある。余るほど恋うる、の意に解する。
- 「我はすべて近きかすることなり」
- 底本どおりで意味がとりにくい。身近でいやなこと、の意に解する。
- 「はかなうちには」
- 底本どおり。注記に「一字の」とあり、「はかなき(身の)うちには」と解される。
- 「家に錦を着て」
- 「故郷に錦を着て帰る」(『史記』項羽本紀)をふまえる。
- 「侘びざれに」
- 苦しまぎれのしゃれで。
- 「身の上をのみするにきには入るまじき」
- 「にき」は「日記」。自分の身の上だけを書く日記には入れるべきでないことだが。作者が自分の日記の性格を述べたものとして注目される。
- 「なしと思ひ入りしも」
- 底本どおり。注記に「かな」の脱字かとあり、「かなしと思ひ入りしも」と解する。
- 「まさかにをち方人」
- 底本どおり。注記に「一字のたカ」とある。
- 「おるも立ちなむ」
- 底本どおり。注記に「り」の脱字かとあり、「下るるも立ちなむ(山を下りて出かけよう)」と解する。
和歌
年ごとにあまれはこひる君がため閏月をばおくにやあるらむ
- 詠者
- 藤原兼家
- 状況
- 元日、作者が「三十日三十夜は私のもとに」と祝い言を送ったのに答えた歌。この年は閏五月があった。
修辞
- 機知
- 閏月を、毎年あなたを恋しく思う月が余るから置いたのだろうと、恋の歌に仕立てる。
もゝの花すき物どもをさいわうがそのわたりまで尋ねにぞやる
- 詠者
- 作者の侍女たち
- 状況
- 三月三日、兼家邸の侍たちを節供に招くために送った歌。
修辞
- 故事
- 西王母の園の桃の故事をふまえ、「すき物(好き者)」の侍たちを招く。
山風のまへよりふけばたこの春のやなぎのいとはしりへにぞよる
- 詠者
- 道綱母(作者)方の女房
- 状況
- 小弓の練習に来た後方の組の人々に、賞品として青い紙を柳の枝に結んで与えた歌。
修辞
- 掛詞
- 「いと」に柳の「糸」と「いと(たいそう)」、「しりへ」に「後ろ」と「後方の組」を掛ける。
ましみづのまして程ふる物ならばおなじぬれにもおるも立ちなむ
- 詠者
- 藤原兼家
- 状況
- 五月雨のころ、山寺に籠もっていた兼家が、作者の見舞いに返した歌。
修辞
- 掛詞
- 「ふる」に雨が「降る」と日が「経る」を掛ける。
解説
中巻は安和二年(969)から天禄二年(971)までの三年間を描く。上巻が十五年を振り返ってまとめたものであるのに対し、中巻は出来事からあまり時を置かずに書かれたと考えられ、日々の記述が詳しくなる。
安和二年三月二十五日、左大臣源高明が、為平親王を皇位につけようとする陰謀に加わったとして、大宰権帥に左遷された。これを安和の変といい、藤原氏が他氏を排斥した最後の事件とされる。兼家の兄の伊尹らが関わったともいわれ、兼家の一族にとっては権力を固める出来事であった。
作者が「身の上をのみする日記には入るまじき」と書いたことは重要である。作者は自分の日記を、あくまで自分の身の上を書くものと考えていた。それでも高明一家の悲運を書きとめずにいられなかったのは、のちに高明の北の方(愛宮)と歌を交わす縁があったからでもある(第18章)。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、63–65頁(コマ34–35)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日