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蜻蛉日記 上巻 第13章

貞観殿の御方との交わり

蔵人頭となった兼家は、作者を自邸の近くの家に移す。年の暮れ、兼家の妹で故村上天皇の女御であった登子(貞観殿)が同じ邸の西の対に里下がりし、作者は正月の雉の足と海松(みる)の干物を使った趣向で歌を交わす。春には兼家の手紙の取り違えを機に、夏には夢をめぐって、登子と親しく歌を詠み交わす。

  1. 1かゝるかゝるかかる世よ世よよににに中ちゆう中ちゆうちゅう將じやう將じやうじょうにににややや、、、三さむ三さむさん位み位みみにににややや三さむ三さむさん位み位みみにににややや、、、などなどなどよろこびよろこびよろこびをををしきりしきりしきりたるたるたる人ひと人ひとひとはははところどころところどころところどころなるなるなるいといといと騷さわが騷さわがさわがしけれしけれしければばばあしきあしきあしきををを近ちか近ちかちこううう去さ去ささりりりぬぬぬべきべきべき所ところ所ところところいでいでいで來き來ききたりたりたりとてとてとて渡わた渡わたわたしししててて乘のり乘のりのり物もの物ものものなきなきなきほどほどほどににに這は這ははひひい渡わた渡わたわたるるるほどほどほどなれなれなればばば、、、人ひと人ひとひとははは思おも思おもおもふふうやうやうようなりなりなりととと思おも思おもおもふふうべかべかべかめりめりめり。。。霜しも霜しもしも月つき月つきつきなかなかなかののの程ほど程ほどほどなりなりなり。。。しはすしはすしわす晦つごもり晦つごもりつごもり方がた方がたがたににに貞ぢやう貞ぢやうじょう觀ぐわん觀ぐわんがん殿でん殿でんでんののの御おほん御おほんおおん方かた方かたかたこのこのこの西にし西にしにしなるなるなる方かた方かたかたにににまかでまかでまかで給たま給たまたまへへえりりり。。。晦つごもり晦つごもりつごもりののの日ひ日ひひににになりなりなりてててなまなまなまととといふいふいうものものもの心こころ心こころこころににに見み見みみるるるををを、、、又また又またまた晝ひる晝ひるひるよりよりよりこほこほこほこほこほこほはたはたはたはたはたはたとととするするするぞぞぞひとりひとりひとりゑみゑみえみせせせはれはれはれてててあるあるあるほどほどほどににに、、、あけあけあけぬれぬれぬればばば晝ひる晝ひるひるつつつかたかたかたまらうどまらうどまろうどののの御おほん御おほんおおんかたかたかた男をとこ男をとこおとこなんどなんどなんど立た立たたちちちまじらまじらまじらねねねばばばのどけしのどけしのどけし。。。我われ我われわれももものこるのこるのこるおおおはははとととなりなりなりにににきゝきゝききててて待ま待ままたるゝたるゝたるるものものものはははなんどなんどなんどうちうちうち笑わら笑わらわらひひいてててあるあるあるほどほどほどににに、、、あるあるあるものものもの手て手ててまさぐりまさぐりまさぐりにににかいかいかい粟あは粟あはあわをををあしあしあしたてたてたてゝゝてにににつつつにににしししてててきききをををつくりつくりつくりたるたるたるをのこをのこおのこのののかたかたかたをををとりとりとりよせよせよせてててありありありししし雉きじ雉きじきじのののはしはしはしたはぎたはぎたわぎにににおしおしおしつけつけつけててて、、、それそれそれににに書か書かかきききつけつけつけてててあのあのあの御おほん御おほんおおん方かた方かたかたににに奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる、、、
  2. 2「「「かたかたかたごひごひごいやややくるしかるくるしかるくるしかるらむらむらんやまやまやまがつがつがつのののなしなしなしとととははは見み見みみえええぬぬぬものものものからからから」」」
  3. 3ととと聞きこ聞きこきこえええたれたれたればばばのののひきひきひきぼしぼしぼしののの短みじか短みじかみじかくくくちぎりちぎりちぎりたるたるたるをををゆひゆひゆい集あつ集あつあつめめめててて、、、木き木ききのののさきさきさきににに荷にな荷になになひひいかへかへかへさせさせさせててて細ほそ細ほそほそかりかりかりつるつるつるかたかたかたののの足あし足あしあしにににもともともとのののこひこひこいをををもももけづりけづりけずりつけつけつけててて、、、もともともとのののよりよりよりももも大おほ大おほおおきききにににてててかへしかへしかへし給たま給たまたまへへえりりり。。。見み見みみれれればばば、、、
  4. 4「「「やまやまやまがつがつがつのののあとあとあとまちまちまち出い出いいでゝでゝでてくらぶれくらぶれくらぶればばばこひこひこいまさりまさりまさりけりけりけり方かた方かたかたもももありありありけりけりけり」」」。。。
  5. 5日ひ日ひひたくれたくれたくればばば節せ節せせ供く供くくまゐりまゐりまいりなどなどなどすすすめるめるめる。。。こなたこなたこなたにににもももさやうさやうさようににになどなどなどしししててて、、、十五日じふごにち十五日じふごにちじゅうごにちにににももも例れい例れいれいのののごとごとごとしししててて過す過すすぐしぐしぐしつつつ。。。
  6. 6三月さむぐわつ三月さむぐわつさんがつにににもももなりなりなりぬぬぬ。。。まらうどまらうどまろうどののの御おほん御おほんおおんかたかたかたにににとととおぼしかりおぼしかりおぼしかりけるけるける文ふみ文ふみふみをををもてもてもて違たが違たがたがへへえたりたりたり。。。見み見みみれれればばば、、、「「「なほなほなおしもしもしもあらあらあらででで近ちか近ちかちかきききほどほどほどににに參まゐ參まゐまいらららむむんととと思おも思おもおもへへえどどど、、、われわれわれならならならでででととと思おも思おもおもふふう人ひと人ひとひとややや侍はべ侍はべはべらららむむんとてとてとて」」」などなどなど書か書かかいいいたりたりたり。。。年とし年としとし頃ごろ頃ごろごろ見み見みみ給たま給たまたまひひいなりなりなりにににたれたれたればばばかうかうこうもももあるあるあるなめりなめりなめりととと思おも思おもおもふふうににに、、、猶なほ猶なほなおもももあらあらあらでででいといといとちひさくちひさくちいさく書か書かかいいいつくつくつく。。。
  7. 7「「「松まつ松まつまつ山やま山やまやまのののさしさしさし越こ越ここえええてててしもしもしもあらあらあらじじじよよよををを我われ我われわれににによそへよそへよそえててて騷さわ騷さわさわぐぐぐ波なみ波なみなみかなかなかな」」」
  8. 8とてとてとて、、、「「「あのあのあの御おほん御おほんおおん方かた方かたかたみみみもももかくかくかくまゐれまゐれまいれ」」」とてとてとて返かへ返かへかへしししつつつ。。。見み見みみ給たま給たまたまひひいてててけれけれければばば即すなは即すなはすなわちちち御おほん御おほんおおん返かへ返かへかえりりりありありあり。。。
  9. 9「「「ましましましまえまえまえののの風かぜ風かぜかぜにににしたがふしたがふしたがうなみなみなみなれなれなれやややよするよするよするかたかたかたこそこそこそ立た立たたちちちまさりまさりまさりけれけれけれ」」」。。。
  10. 10このこのこの御おほん御おほんおおん方かた方かたかた春とう春とうとう宮ぐう宮ぐうぐうののの御おほん御おほんおおん親おや親おやおやのののごとごとごとしししててて侍さぶら侍さぶらさぶらひひい給たま給たまたまへへえばばば參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまひひいぬぬぬべしべしべし。。。かうかうこうてててやややなどなどなど度たび度たびたび々たび々たびたびしばしばしばしばしばしばののの給たま給たまたまへへえばばば宵よひ宵よひよいのののほどほどほどににに參まゐ參まゐまいりりりたりたりたり。。。時とき時ときときしもしもしもこそこそこそあれあれあれあなたあなたあなたににに人ひと人ひとひとののの聲こゑ聲こゑこえすれすれすればばば「「「そゝそゝそそ」」」などなどなどのたまふのたまふのたまうににに、、、聞き聞きききききももも入い入いいれれれねねねばばばよひよひよいまどひまどひまどいししし給たま給たまたまふふうやうやうようににに聞きこ聞きこきこゆるゆるゆるををを「「「ろなうろなうろのうむつかられむつかられむつかられ給たま給たまたまははわゞゞばややや」」」とととののの給たま給たまたまへへえばばば「「「乳め乳めめ母のと母のとのとなくなくなくともともとも」」」とてとてとてしぶしぶしぶしぶしぶしぶなるなるなるににに、、、ものものものあゆみあゆみあゆみ來き來ききててて聞きこ聞きこきこえええたてたてたてばばばのどかのどかのどかならならならででで返かへ返かへかえりりりぬぬぬ。。。又また又またまたののの日ひ日ひひののの暮くれ暮くれくれににに參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。
  11. 11五月ごぐわつ五月ごぐわつごがつにににみかどみかどみかどののの御おほん御おほんおおん服ぶく服ぶくぶくぬぎぬぎぬぎにににまかでまかでまかで給たま給たまたまふふうににに、、、さきさきさきのののごとごとごとこなたこなたこなたににになどなどなどあるあるあるををを、、、「「「夢ゆめ夢ゆめゆめにににものしくものしくものしく見み見みみえええししし」」」などなどなどいひいひいいてててかなたかなたかなたにににまかでまかでまかで給たま給たまたまへへえりりり。。。さてさてさてしばしばしばしばしばしば夢ゆめ夢ゆめゆめのののさとしさとしさとしありありありけれけれければばば、、、ちがふるちがふるちがうるわざわざわざもももがながながなとてとてとて、、、七月しちぐわつ七月しちぐわつしちがつ、、、月つき月つきつきのののいといといとあかきあかきあかきにににかくかくかくのたまへのたまへのたまえりりり、、、
  12. 12「「「見み見みみししし夢ゆめ夢ゆめゆめをををちがへちがへちがえ侘わ侘わわびびびぬるぬるぬる秋あき秋あきあきののの夜よ夜よよににに寐ね寐ねね難がた難がたがたきききものものものととと思おも思おもおもひひいしりしりしりぬるぬるぬる」」」。。。
  13. 13御おほん御おほんおおんかへりかへりかえり、、、
  14. 14「「「さささもももこそこそこそはははちがふるちがふるちがうる夢ゆめ夢ゆめゆめはははかたからかたからかたからめめめ逢あ逢ああははわででで程ほど程ほどほど經ふ經ふふるるる身み身みみさへさへさへ憂う憂ううきききかなかなかな」」」。。。
  15. 15たちたちたちかへりかへりかえり、、、
  16. 16「「「逢あ逢ああふふうととと見み見みみししし夢ゆめ夢ゆめゆめににになかなかなかなかなかなかくらさくらさくらされれれてててなごりなごりなごり戀こひ戀こひこいしくしくしくさめさめさめぬぬぬなりなりなりけりけりけり」」」
  17. 17とととのたまへのたまへのたまえれれればばば、、、又また又またまた、、、
  18. 18「「「ことことこと絕た絕たたゆるゆるゆるうつゝうつゝうつつややや何なに何なになにぞぞぞなかなかなかなかなかなかににに夢ゆめ夢ゆめゆめはははかよひかよひかよいぢぢじありありありととといふいふいうものものものををを」」」。。。
  19. 19又また又またまた「「「ことことこと絕た絕たたゆるゆるゆるははは何なに何なになに事ごと事ごとごとぞぞぞ。。。あなあなあなまがまがしまがまがしまがまがし」」」とてとてとて、、、
  20. 20「「「かはかはかはととと見み見みみてててゆかゆかゆかぬぬぬ心こころ心こころこころををを詠なが詠ながながむれむれむればばばいとゞいとゞいとどゆゝしくゆゝしくゆゆしくいひいひいいややや果は果ははつつつべきべきべき」」」
  21. 21とととあるあるある、、、御おほん御おほんおおんかへりかへりかえり、、、
  22. 22「「「渡わた渡わたわたらららねねねばばばをちをちおち方かた方かたかた人びと人びとびとににになれなれなれるるる身み身みみををを心こころ心こころこころばかりばかりばかりはははふちふちふち瀨せ瀨せせやややはははわくわくわく」」」
  23. 23とととなむなむなん、、、夜よ夜よよ一ひと一ひとひと夜よ夜よよいひいひいいけるけるける。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

このような世の中で、「中将にか、三位にか」などと昇進のお祝いを次々に受けている人(兼家)は、あちこちの家(の妻たち)がたいそう騒がしいので、私の家の悪いのを、近くに移れる所ができたといって移らせ、乗り物なしで歩いて行けるほどの距離なので、世間の人は私が思いどおりになったと思っているようだ。十一月の中ごろのことである。十二月の末ごろ、貞観殿の御方(登子)が、この邸の西の対に里下がりなさった。大晦日になって、追儺(ついな)とかいうものを心の中で思っていると、昼からごほごほ、ばたばたとするのを、一人笑いをして見ているうちに、年が明けた。昼ごろ、客人の御方(登子)の方は、男などが立ちまじらないので、のどかである。私も、残る「を」は(と口ずさむような正月の楽しみが)あるのだと聞いて、待たれるものは何かなどと笑い合っているうちに、侍女の一人が手すさびに、粟の穂で脚を立てて作った雉の雄の形を取り寄せて、元日の雉の脚に押しつけて、それに書きつけて、あの御方に差し上げた。

「片恋は苦しいことでしょう。山がつ(作り物の雉)に、天秤棒(逢う期)がないようには見えませんのに」

と申し上げたところ、海松(みる)の干物を短く切ったのを結び集めて、木の先に担がせて、細かった方の足にも、元の雉の足を削りつけて、元のよりも大きくしてお返しになった。見ると、

「山がつ(雉)の足跡を待ち出して比べてみると、恋(こひ・足)はまさっていました。こちらにも相手がいたのです」。

日が高くなると、正月の節供を差し上げたりするようだ。こちらでもそのようにして、十五日にもいつものように過ごした。

三月にもなった。あの人が、客人の御方(登子)に宛てたと思われる手紙を、取り違えてこちらに持ってきた。見ると、「やはりそのままではいられず、近いうちに伺おうと思うけれど、私でなければと思う人がいるでしょうか」などと書いてある。長年の兄妹の間柄だから、こんなふうにも書くのだろうと思うにつけ、そのままにもしておけず、たいそう小さく書きつける。

「末の松山を越えるようなことはありますまいに、私にことよせて波が騒ぐことです(私のせいにして浮気心を騒がせるのですね)」

と書いて、「あちらの御方にも、こうしてお届けなさい」と言って返した。ご覧になったので、すぐにお返事があった。

「真島江の風に従う波なのでしょうか、寄せる方(あなたの方)こそ高く立つのですね(兄はあなたに心を寄せているのです)」。

この御方は、東宮の御母親代わりとしてお仕えなさっているので、宮中へ参上なさるはずである。「このままで(ここにいるのか)」などとたびたびおっしゃるので、宵のころに参上した。折しも、あちらに人の声がするので、「それそれ(東宮が)」などとおっしゃるが、聞き入れないでいると、東宮が夜泣きをなさるように聞こえるのを、「きっとむずかっていらっしゃるのでは」とおっしゃるので、「乳母がいなくとも」と言って、しぶしぶでいるうちに、人が歩いて来て申し上げるので、落ち着かずに帰ってしまった。翌日の夕暮れに参内なさった。

五月に、故帝の喪服を脱ぐために退出なさる時に、以前のようにこちらへとおっしゃったのに、「夢見が悪かった」などと言って、あちらに退出なさった。そうして、しきりに夢のお告げがあったので、夢違えのまじないでもしたいものだと言って、七月、月のたいそう明るい夜に、こうおっしゃってきた。

「見た夢を違えかねている秋の夜に、寝にくいものだと思い知りました」。

お返事に、

「そうでしょうとも、夢を違えるのは難しいでしょう。お逢いしないまま月日がたつ私の身までつらいことです」。

すぐに返事があって、

「逢うと見た夢に、かえって心を乱されて、名残が恋しくて、目が覚めないのでした」

とおっしゃったので、また、

「縁の絶える現実とは何でしょう。かえって夢には通い路があるといいますのに」。

また、「縁が絶えるとは何事ですか。ああ縁起でもない」とおっしゃって、

「川だと思って渡って行かない心を眺めていると、いっそう縁起でもないことを言い果ててしまいそうです」

とあったお返事に、

「川を渡らないので、遠くの人になってしまった身ですが、心だけは、淵と瀬を分け隔てなどしましょうか」

と、一晩中言い交わしたのだった。

意訳

〔近くへの転居〕蔵人頭となって祝いの客が絶えない兼家は、作者を自邸の近くに移した。歩いて行ける距離になり、世間は作者の思いどおりになったと見る。しかし作者は、それを冷静に「人は思ふやうなりと思ふべかめり」と書くだけである。

〔登子との正月〕年の暮れ、兼家の妹登子が同じ邸の西の対に里下がりしてきた。正月、作者は作り物の雉の脚に「片恋は苦しいでしょう」と歌を書いて贈り、登子は海松の干物を担がせた雉の足を大きく削り直して「恋(脚)はこちらがまさる」と返す。女同士の、手のこんだ遊び心あふれる贈答である。

〔取り違えた手紙と夢〕兼家が登子宛ての手紙を取り違えたことを機に、二人は兼家をからかう歌を交わす。東宮の母代わりとして宮中に戻った登子とは、夏には夢をめぐって一晩中歌を交わした。上巻の後半は、兼家との夫婦の物語に加えて、登子との友情が作者の慰めとなっていたことを伝えている。

語釈・文法注

あふご
朸(おうご)。荷を担ぐ天秤棒。「逢ふ期(逢う機会)」を掛ける。
みる
海松。海藻の一種。正月の祝い物として用いた。「見る」を掛ける。

文法

「三位にや三位にや」
底本の注記に「四字衍歟」とあり、重複と見られる。
「なまといふもの」
底本どおり。注記に「み」の異文があり、「なやみ(追儺、鬼やらい)」の意に解される。大晦日の夜に鬼を払う行事。
「ひとりゑみせはれて」
底本どおり。注記に「ら」かとあり、一人笑いをして見ていると、の意に解する。
「のこるおはとなりにきゝて」
底本どおりで意味がとりにくい。正月を待つ心をいう、と解される。
「かい粟をあしたてゝにつにして」
底本どおりで意味がとりにくい。粟の穂で脚を立てて、作り物の雉の雄の形を作った、の意に解される。
「あの御方みもかくまゐれ」
底本どおり。注記に「三字にカ」とあり、「あの御方にもかく参れ」と解する。
「ましまえ」
底本どおり。注記に「つ」の異文があり、地名「真島江(ましまえ)」とも「待つ島江」とも解される。
「ろなうむつかられ給はゞや」
「論なう」は、きっと。東宮がむずかっていらっしゃるのでは、の意。

和歌

かたごひやくるしかるらむやまがつのあふごなしとは見えぬものから

詠者
道綱母(作者)
状況
正月、作り物の雉の脚に書きつけて登子に贈った歌。

修辞

掛詞
「あふご」に、荷を担ぐ「朸」と「逢ふ期」を掛け、片方だけの脚の雉を「片恋」にたとえる。

やまがつのあとまち出でゝくらぶればこひまさりけり方もありけり

詠者
登子(貞観殿)
状況
作者の歌への返歌。雉の足を大きく削り直して返した。

修辞

掛詞
「こひ」に「恋」と、雉の「脛(こひ・こはぎ)」を響かせる。

松山のさし越えてしもあらじよを我によそへて騷ぐ波かな

詠者
道綱母(作者)
状況
兼家が登子宛ての手紙を取り違えて持ってきたとき、その手紙に書き添えて返した歌。

修辞

本歌
『古今和歌集』東歌「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ」をふまえ、心変わりを「末の松山を波が越える」と表す。

渡らねばをち方人になれる身を心ばかりはふち瀨やはわく

詠者
道綱母(作者)
状況
夢をめぐる贈答の最後に、登子に返した歌。

修辞

縁語
「渡る」「をち方(川の向こう)」「ふち瀨」と川の縁語でまとめ、会えなくても心は変わらないと結ぶ。

解説

康保四年(967)、蔵人頭となった兼家は、ますます多忙になり、作者の家を自邸の近くに移した。作者にとっては、夫の近くに住むことで、かえってほかの妻たちとの関係が意識されるようになる。

登子は兼家の同母妹で、村上天皇の後宮に入り、寵愛を受けた。天皇の崩御後は、東宮守平親王(のちの円融天皇)の母代わりを務め、のちに尚侍となった。作者と登子の交流は、日記の中でも珍しい女性同士の友情の記録である。正月の雉の贈答は、作り物に歌を添えて機知を競う、王朝の遊びの典型的な例である。

夢をめぐる贈答で、登子は「こと絶ゆる」という不吉な言葉をとがめ、作者は「心ばかりは淵瀬やは分く」と答える。兄の妻と、夫の妹という関係でありながら、二人は互いに心を許し合っていた。

関連

出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、56–58頁(コマ31–32)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日