古典ライブラリー

蜻蛉日記 上巻 第10章

兼家の病

康保三年(966)三月、作者の家に来ていた兼家が急病に倒れる。「これが見納めかもしれない」と泣きながら自邸へ運ばれた兼家から、十日余りして「夜のうちに来てほしい」と手紙が届く。作者は人目を忍んで兼家の邸を訪ね、灯火を消した暗がりで手を取られて導かれ、一夜を語り明かす。

  1. 1三月さむぐわつ三月さむぐわつさんがつばかりばかりばかりこゝこゝここににに渡わた渡わたわたるるる程ほど程ほどほどにににしししててて苦くる苦くるくるしがりしがりしがりそめそめそめててていといといとわりなうわりなうわりのう苦くる苦くるくるしししととと思おも思おもおもひひい惑まど惑まどまどふふうをををいといといといみじういみじういみじゅうととと見み見みみるるる。。。いふいふいうことことことははは「「「こゝこゝここにににもももいといといとあらあらあらまほしきまほしきまほしきををを何なに何なになに事ごと事ごとごともももせせせむむんにににいといといとびんびんびんなかるなかるなかるべけれべけれべければばばかしこかしこかしこへへへものものものしししなむなむなん。。。つらしつらしつらしとととなななおぼしおぼしおぼしそそそ。。。俄にはか俄にはかにはかにににもももいくばくいくばくいくばくもももあらあらあらぬぬぬ心ここ心ここここちちちなむなむなんするするするなむなむなんいといといとわりなきわりなきわりなき。。。あはれあはれあわれしらしらしらぬぬぬともともともおぼしおぼしおぼし出い出いいづづずべきべきべきとととのののなきなきなきなむなむなんいといといと悲かな悲かなかなしかりしかりしかりけるけるける」」」とてとてとて泣な泣ななくくくををを見み見みみるるるににに物もの物ものものおぼえおぼえおぼえずずずなりなりなりててて、、、又また又またまたいみじういみじういみじゅう泣な泣ななかかかるれるれるればばば「「「ななな泣な泣ななききき給たま給たまたまひひいそそそ。。。苦くる苦くるくるしさしさしさ增まさ增まさまさるるる。。。世よ世よよにににいみじういみじういみじゅうかるかるかるべきべきべきわざわざわざははは心こころ心こころこころはからはからはからぬぬぬほどほどほどにににかゝるかゝるかかる別わかれ別わかれわかれせせせむむんなむなむなんありありありけるけるける。。。いかにいかにいかにししし給たま給たまたまははわむむんずずずらむらむらん。。。ひとひとひととりとりとりははは世よ世よよにににおはせおはせおわせじじじななな。。。さりとてさりとてさりとておのおのおのががが忌いみ忌いみいみののの中うち中うちうちにににしらしらしらなからなからなから死し死ししなななずずずばばばありありありとてとてとて限かぎ限かぎかぎりりりととと思おも思おもおもふふうなりなりなり。。。ありありありとてとてとてうちうちうちはははえええ參まゐ參まゐまいらららましましまし。。。おのおのおのがががさかしからさかしからさかしからむむん時とき時ときときこそこそこそ、、、いかでいかでいかでもももいかでいかでいかでももも物もの物ものものししし給たま給たまたまははわめめめととと思おも思おもおもへへえばばば、、、かくかくかくててて死し死ししなななばばばこれこれこれこそこそこそははは見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるべきべきべき限かぎり限かぎりかぎりなめれなめれなめれ」」」などなどなど、、、伏ふ伏ふふしししながらながらながらいみじういみじういみじゅう語かた語かたかたひひいててて泣な泣ななくくく。。。
  2. 2これこれこれかれかれかれあるあるある人ひと人ひとひと々びと々びとびと呼よ呼よよびびび寄よ寄よよせせせつゝつゝつつ「「「こゝこゝここにににはははいかにいかにいかに思おも思おもおもひひい聞きこ聞きこきこえええたりたりたりとととかかか見み見みみるるる。。。かくかくかくててて死し死ししなななばばば又また又またまた對たい對たいたい面めん面めんめんせせせででで止や止ややみみみなむなむなんととと思おも思おもおもふふうこそこそこそいみじけれいみじけれいみじけれ」」」ととといへいへいえばばば皆みな皆みなみな泣な泣ななきききぬぬぬ。。。みづからみづからみずからはははましてましてまして物もの物ものものだにだにだにいはいはいわれれれずずず、、、唯ただ唯ただただ泣な泣ななきききにににのみのみのみ泣な泣ななくくく。。。かゝるかゝるかかる程ほど程ほどほどににに心ここ心ここここちちちいといといと重おも重おもおもくくくなりなりなりまさりまさりまさりてててくるくるくるさしさしさし寄よ寄よよせせせててて乘の乘ののらららむむんとてとてとてかきかきかき起おこ起おこおこささされれれててて人ひと人ひとひとにににかゝりかゝりかかりてててものものものすすす。。。うちうちうち見み見みみおこせおこせおこせてててつくづくつくづくつくづくとととうちうちうち守まも守まもまもりりりててていといといといみじいみじいみじととと思おも思おもおもひひいたりたりたり。。。とまるとまるとまるははは更さら更さらさらにににもももいはいはいわずずずこのこのこのせうとせうとしょうとなるなるなる人ひと人ひとひとなむなむなん、、、「「「何なに何なになにかかかかくかくかくまかまかまかまがしうまがしうまがしゅう事こと事ことことかかかおはしまさおはしまさおわしまさむむん。。。はやはやはや奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりなむなむなん」」」とてとてとて、、、やがてやがてやがて乘の乘ののりりりてててかかかへへへてててものものものしししぬぬぬ。。。
  3. 3思おも思おもおもひひいやるやるやる心ここ心ここここちちちいふいふいうかたかたかたなしなしなし。。。日ひ日ひひにににふたゝびふたゝびふたたびみたびみたびみたび文ふみ文ふみふみをををやるやるやる。。。人ひと人ひとひと憎にく憎にくにくしししととと思おも思おもおもふふう人ひと人ひとひともももあらあらあらむむんととと思おも思おもおもへへえとてとてとていかゞいかゞいかがはははせせせむむん。。。返かへり返かへりかえり事ごと事ごとごとはははかしかしかしににになるなるなるおとおとおとなきなきなき人ひと人ひとひとしししててて書か書かかかかかせせせてててありありあり。。。「「「みづからみづからみずから聞きこ聞きこきこえええぬぬぬがががわりなきわりなきわりなき事こと事ことこととととのみのみのみなむなむなんきこえきこえきこえ給たま給たまたまへへえ」」」などなどなどぞぞぞあるあるある。。。ありありありしししよりよりよりもももいたういたういとう煩わづら煩わづらわずらひひいまさるまさるまさるととと聞き聞ききけけけばばば、、、いひいひいいしししことことことみづからみづからみずから見み見みみるるるべうべうびょうもももあらあらあらずずず。。。いかにいかにいかにせせせむむんなどなどなど思おも思おもおもひひい歎なげ歎なげなげきききててて、、、十と十ととよよよ日か日かかにににもももなりなりなりぬぬぬ。。。
  4. 4讀ど讀どど經きやう經きやうきょう修ず修ずず法ほふ法ほふほうなどなどなどしししててていさゝかいさゝかいささか怠おこた怠おこたおこたりりりたるたるたるやうやうようなれなれなればばばゆふゆふゆうのののことことことみづからみづからみずから返かへ返かへかえりりりごとごとごとすすす。。。いといといとあやしうあやしうあやしゅう怠おこた怠おこたおこたるるるともともともなくなくなくててて日ひ日ひひををを經ふ經ふふるるるににに、、、いといといとまどはれまどはれまどわれししし事こと事ことことはははなけれなけれなければばばにににやややあらあらあらむむん、、、おぼつかなきおぼつかなきおぼつかなき事こと事ことことなどなどなどひとひとひとまままにににこまごまこまごまこまごまととと書か書かかきききてててありありあり。。。「「「物もの物ものもの覺おぼ覺おぼおぼえええにににたれたれたればばばあらはあらはあらわににになどなどなどもももあるあるあるべうべうびょうもももあらあらあらぬぬぬををを、、、夜よ夜よよのののまままににに渡わた渡わたわたれれれ。。。かくかくかくてててのみのみのみ日ひ日ひひををを經ふ經ふふれれればばば」」」などなどなどあるあるあるををを、、、人ひと人ひとひとはははいかゞいかゞいかがははは思おも思おもおもふふうべきべきべきなどなどなど思おも思おもおもへへえどどど、、、我われ我われわれももも又また又またまたいといといと覺おぼ覺おぼおぼ束つか束つかつかなきなきなきににに立た立たたちちち歸かへ歸かへかえりりり同おな同おなおなじじじことことことのみのみのみあるあるあるをををいかゞいかゞいかがはははせせせむむんとてとてとて「「「車くるま車くるまくるまををを給たま給たまたまへへえ」」」ととといひいひいいたれたれたればばばさしさしさし離はな離はなはなれれれたるたるたる廓らう廓らうろうののの方かた方かたかたにににいといといとようようようとりとりとりなしなしなししつらひしつらひしつらいててて端はし端はしはしににに待ま待ままちちち臥ふ臥ふふしししたりたりたりけりけりけり。。。
  5. 5火ひ火ひひともしともしともしたるたるたるにににいいい消け消けけたたたせせせててておりおりおりたれたれたればばばいといといと暗くら暗くらくろうううててて入い入いいらららむむん方かた方かたかたももも知し知ししらららねねねばばばあやしあやしあやし。。。「「「こゝこゝここにににぞぞぞあるあるある」」」とてとてとて手て手ててををを取と取ととりりりててて導みちび導みちびみちびくくく。。。「「「などなどなどかうかうこう久ひさ久ひさひさしうしうしゅうはははありありありつるつるつる」」」とてとてとて日ひ日ひひ頃ごろ頃ごろごろありありありつるつるつるやうやうようくつしくつしくつし語かた語かたかたらひらひらいててて、、、とととばかりばかりばかりあるあるあるににに「「「火ひ火ひひともしともしともしつけつけつけよよよ。。。いいいいいいととと暗くら暗くらくらししし。。。更さら更さらさらににに後うしろ後うしろうしろめめめたなくたなくたなくばばば猶なほ猶なほなおしうしうしゅう」」」とてとてとて屛びやう屛びやうびょう風ぶ風ぶぶのののうしろうしろうしろにににほのかほのかほのかにににとつとつとつしししたりたりたり。。。「「「まだまだまだいをいをいおなどなどなどももも食く食くくははわずずず今宵こよひ今宵こよひこよいなむなむなんおはせおはせおわせばばば諸もろ諸もろもろ共とも共ともともににに」」」とてとてとてあるあるある。。。「「「いづらいづらいずら」」」などなどなどいひいひいいてててものものもの參まゐ參まゐまいらせらせらせたりたりたり。。。少すこ少すこすこししし食く食くくひひいなどなどなどしししてててぜじぜじぜじたちたちたちありありありけれけれければばば、、、夜よ夜よようちうちうち更ふ更ふふけけけてててたしんたしんたしんにににとてとてとてものものものしししたれたれたればばば「「「今いま今いまいまはははうちうちうちやすみやすみやすみ給たま給たまたまへへえ。。。日ひ日ひひ頃ごろ頃ごろごろよりよりよりははは少すこ少すこすこししし休やす休やすやすまりまりまりたりたりたり」」」ととといへいへいえばばば大だい大だいだいとことことこ「「「しかしかしかおはしますおはしますおわしますなりなりなり」」」とてとてとて立た立たたちちちぬぬぬ。。。
  6. 6さてさてさて「「「さささははは明あ明ああけけけぬるぬるぬるををを人ひと人ひとひとなどなどなど召め召めめせせせ」」」ととといへいへいえばばば「「「なにかなにかなにか。。。まだまだまだいといといと暗くら暗くらくらからからからむむん。。。しばししばししばし」」」とてとてとてあるあるあるほどほどほどににに、、、明あか明あかあこうううなれなれなればばばをのこをのこおのこどもどもども呼よ呼よよびびびててて、、、しとみしとみしとみ上あ上ああげげげさせさせさせててて見み見みみつつつ。。。「「「見み見みみ給たま給たまたまへへえ。。。草くさ草くさくさどもどもどもはははいかゞいかゞいかがうゑうゑうえたるたるたる」」」とてとてとて見み見みみ出いだ出いだいだしししたるたるたるににに「「「いといといとかたはかたはかたわなるなるなるほどほどほどににになりなりなりぬぬぬ」」」などなどなどいそげいそげいそげばばば「「「なにかなにかなにか今いま今いまいまははは粥かゆ粥かゆかゆなどなどなど參まゐ參まゐまいりりりててて」」」とととあるあるあるほどほどほどににに晝ひる晝ひるひるににになりなりなりぬぬぬ。。。さてさてさて「「「いざいざいざ諸もろ諸もろもろ共とも共ともともににに歸かへ歸かへかえりりりなむなむなん。。。またまたまたばばばものものものしかるしかるしかるべしべしべし」」」などなどなどあれあれあればばば、、、「「「かくかくかく參まゐ參まゐまいりりり來き來ききたるたるたるをををだにだにだに人ひと人ひとひといかにいかにいかにもももおもふおもふおもうににに、、、御おほん御おほんおおん迎むか迎むかむかへへえなりなりなりけるけるけるととと見み見みみばばば、、、いといといとうたてうたてうたてものものものしからしからしからむむん」」」ととといへいへいえるるる「「「さらさらさらばばばをのこをのこおのこどもどもども車くるま車くるまくるま寄よ寄よよせせせよよよ」」」とてとてとて寄よ寄よよせせせたれたれたればばば、、、乘の乘ののるるる所ところ所ところところもももかつがつかつがつかつがつとととあゆみあゆみあゆみ出い出いいでででたれたれたればばばいといといとあはれあはれあわれととと見み見みみるるる見み見みみるるる「「「いついついつかかか御おほん御おほんおおんありきありきありきははは」」」などなどなどいふいふいう程ほど程ほどほどににに淚なみだ淚なみだなみだ浮う浮ううきききにににけりけりけり。。。いといといと心こころ心こころこころもともともとなけれなけれなければばば「「「あすあすあすあさてあさてあさてののの程ほど程ほどほどばかりばかりばかりにににははは參まゐ參まゐまいりりりなむなむなん」」」とてとてとて、、、いといといとさうざうしげさうざうしげそうぞうしげなるなるなる氣け氣けけ色しき色しきしきなりなりなり。。。少すこ少すこすこししし引ひ引ひひききき出い出いいでゝでゝでて牛うし牛うしうし懸か懸かかくるくるくる程ほど程ほどほどににに見み見みみ通とほ通とほとおせせせばばば、、、ありありありつるつるつる所ところ所ところところににに歸かへ歸かへかえりりりててて見み見みみおこせおこせおこせててて、、、つくづくつくづくつくづくとととあるあるあるををを見み見みみつゝつゝつつ引ひ引ひひききき出い出いいづれづれずればばば、、、心こころ心こころこころにににもももあらあらあらででで顧かへり顧かへりかえりみみみのみのみのみぞぞぞせせせらるゝらるゝらるるかしかしかし。。。さてさてさて晝ひる晝ひるひるつつつ方かた方かたかた文ふみ文ふみふみありありあり。。。何なに何なになにくれくれくれととと書か書かかきききててて、、、
  7. 7「「「かぎりかぎりかぎりかかかととと思おも思おもおもひひいつゝつゝつつこここししし程ほど程ほどほどよりよりよりもももなかなかなかなかなかなかなるなるなるははは侘わ侘わわびしかりびしかりびしかりけりけりけり」」」。。。
  8. 8かへりかへりかえりごとごとごと猶なほ猶なほなおいといといと苦くる苦くるくるしげしげしげにににおぼしおぼしおぼしたりたりたりつれつれつればばば、、、「「「今いま今いまいまもももいといといと覺おぼ覺おぼおぼ束つか束つかつかなくなくなくなむなむなん。。。なかなかなかなかなかなかににに、、、
  9. 9我われ我われわれもももさささぞぞぞのどけきのどけきのどけきとことことこのののうらうらうらならならならででで歸かへ歸かへかえるるる波なみ波なみなみ路ぢ路ぢじはははあやしかりあやしかりあやしかりけりけりけり」」」。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

三月ごろ、あの人がこちらに来ていた時に、急に苦しみはじめて、ひどく苦しいと思い惑うのを、たいへんなことだと見ていた。あの人が言うには、「ここにいたいのはやまやまだが、何をするにもたいそう都合が悪いだろうから、あちら(自邸)へ移ることにしよう。薄情だと思わないでおくれ。急に、もう長くはない気がしてならないのがつらい。ああ、情けを知らない人だとしても、思い出してくれそうな人がいないのが、ひどく悲しいのだ」と言って泣くのを見ると、何もわからなくなって、私もまたひどく泣いてしまうので、「泣かないでおくれ。苦しさがつのる。この世でひどくつらいことは、思いもかけない時にこんな別れをすることなのだ。あなたはどうなさるだろう。独りでは生きていられまい。かといって、私が喪中で、死なずにいても、もうこれが最後だと思う。生きていても、ここへは来られないだろう。私が元気な時こそ、どうにでもしてお世話もできようと思うけれど、こうして死んでしまったら、これがお目にかかる最後なのだろう」などと、横になったまま、しきりに語って泣く。

居合わせた侍女たちを呼び寄せては、「私がこの人をどう思っていると見ているか。このまま死んだら、二度と会えずに終わると思うのがつらいのだ」と言うので、皆泣いてしまった。私自身は、まして口もきけず、ただ泣きに泣くばかり。そうするうちに、容態がますます重くなって、車を寄せて乗ろうとして、抱き起こされて人に寄りかかって行く。こちらを振り返って、じっと見つめて、ひどくつらそうに思っている。残る私は言うまでもなく、この兄にあたる人が、「どうして、そんな縁起でもないことがございましょう。早くお乗りください」と言って、そのまま一緒に乗って抱きかかえて行った。

思いやる気持ちは言いようもない。日に二度も三度も手紙をやる。憎らしいと思う人(時姫たち)もいるだろうと思うけれど、どうしようもない。返事は、あちらの年配の女房に書かせてある。「自分でお返事を差し上げられないのが、やむを得ないこととだけ申し上げなさい」などとある。以前よりもひどく病が重くなったと聞くので、言っていたように、自分で見舞いに行くこともできない。どうしようと思い嘆いているうちに、十日余りになった。

読経や修法などをして、少し快方に向かったようなので、夕方には自分で返事を書いてよこす。ひどく妙なことに、すっかり治るというのでもなく日を過ごしていたが、ひどく苦しむことはなくなったからだろうか、気がかりなことなどを、人目のない時にこまごまと書いてきた。「意識もはっきりしたので、人目につくようなこともないから、夜のうちに来ておくれ。こうしてばかり日を過ごしているので」などとあるのを、人がどう思うだろうなどと思うけれど、私もまたひどく気がかりなうえに、何度も同じことばかり言ってくるので、どうしようもなくて、「車をよこしてください」と言ったところ、離れた廊の方に、たいそうよく整えて設けて、端近くで横になって待っていた。

灯がともしてあるのを消させて車から降りると、ひどく暗くて、入る方向もわからないので困っていると、「ここにいるよ」と言って手を取って導く。「どうしてこんなに長く来なかったのだ」と言って、ここ数日のことを少しずつ話して、しばらくしてから、「灯をつけなさい。ひどく暗い。もう少しも心配なことはないから」と言って、屏風の後ろにほのかに灯をともした。「まだ魚なども食べていない。今夜あなたがいらしたら一緒にと思っていた」と言う。「どこに」などと言って、食事を差し上げた。少し食べたりして、加持の僧たちがいたので、夜も更けて護身のためにと来たところ、「もうお休みください。いつもより少し楽になった」と言うので、大徳(僧)は「そうでいらっしゃるようです」と言って立ち去った。

さて、「もう夜が明けたので、人などをお呼びください」と言うと、「いや、まだひどく暗いだろう。もうしばらく」と言っているうちに、明るくなったので、下男たちを呼んで、蔀を上げさせて外を見た。「ご覧なさい。草木はどんなふうに植えてあるか」と言って外を見やるので、「ひどく見苦しい時刻になりました」などと私が急ぐと、「いや、今は粥などを召し上がって」と言っているうちに昼になった。そして、「さあ、一緒に帰ろう。また来るのは面倒だろう」などと言うので、「こうして参上したのでさえ、人がどう思うかと気になるのに、お迎えに来たのだと見られたら、ひどく不愉快なことでしょう」と言うと、「それなら、下男たち、車を寄せよ」と言って寄せたので、乗る所までも、やっとのことで歩いて出てきたので、たいそうしみじみと見ながら、「いつお出かけになれるのでしょう」などと言ううちに、涙が浮かんだ。ひどく気がかりなので、「明日か明後日のころには参ります」と言って、たいそう寂しそうな様子である。少し車を引き出して牛をつける時に見通すと、あの人はもとの所に戻って、こちらを見て、じっとしているのを見ながら車を引き出すので、思わず振り返ってばかりいた。さて、昼ごろ手紙が来た。あれこれと書いて、

「これが最後かと思いながら過ごしてきた時よりも、なまじ逢ったあとのほうが、かえってつらいことだ」。

返事には、まだたいそう苦しそうにしていらしたので、「今もたいへん気がかりです。かえって、

私もそうです。のどかな床の浦(あなたの床)ではなく、帰る波路は妙につらいものでした」。

意訳

〔病に倒れる兼家〕作者の家に来ていた兼家が、急に重い病に倒れる。「これがあなたに会える最後かもしれない」「独りではいられまい」と泣きながら語る兼家の姿は、上巻の中でもとりわけ情のこもった場面である。日ごろの冷淡さとは別人のような夫の言葉を、作者はそのまま書きとめる。

〔夜の訪問〕自邸に移った兼家とは、正妻の家であるために自由に行き来できない。十日あまりして持ち直した兼家は、「夜のうちに来てほしい」と何度も手紙をよこす。人目をはばかりながら訪ねた作者を、兼家は灯を消した暗がりで手を取って導き、魚も食べずに待っていたと言う。翌朝、庭の草木を見せ、粥を勧め、名残を惜しむ兼家。苦しい結婚生活の中で、二人の心が最も近づいたひとときであった。

語釈・文法注

文法

「あはれしらぬともおぼし出づべきとのなきなむ」
底本どおり。注記に「ら」の衍字かとある。情けを知らない人だと思っても、思い出してくれそうな人がいないのが、の意に解する。
「世にいみじうかるべきわざ」
底本どおり。注記に「う」の衍字かとあり、「いみじかるべきわざ」と解する。
「ひととりは世におはせじな」
底本の注記に「と」の衍字かとあり、「ひとりは」(独りでは)と解する。
「しらなから死なずば」
底本どおり。注記に「なまよし」の異文がある。
「くるさし寄せて」
底本どおり。「車」の脱字かとされ、車を寄せて、と解する。
「まかまがしう」
底本どおり。「まがまがしう」(縁起でもなく)の意。
「乘りてかへて」
底本どおり。注記に「か」の異文があり、「乗りて抱へて」(抱きかかえて)と解する。
「かしになるおとなき人」
底本どおり。注記に「なる」「な」などの異文がある。あちらにいる年配の女房、の意に解する。
「ゆふのこと」
底本どおり。注記に「かた」の異文があり、「夕方」と解する。
「いいと暗し」
底本の注記に「い」の衍字かとある。
「猶しう」
底本どおり。注記に「かし」の異文がある。
「たしんに」
底本どおり。注記に「か」の異文があり、「加持(かぢ)に」とも「護身に」とも解される。
「また ば ものしかるべし」
底本どおり。「またば」は「またあらば」(また来るのは)の意に解する。

和歌

かぎりかと思ひつゝこし程よりもなかなかなるは侘びしかりけり

詠者
藤原兼家
状況
病床に作者を呼び寄せた翌日、帰った作者に送った歌。

修辞

対比
もう会えないと思っていた時よりも、なまじ会った後のほうがつらい、と逢瀬の後の寂しさを訴える。

我もさぞのどけきとこのうらならで歸る波路はあやしかりけり

詠者
道綱母(作者)
状況
兼家の歌への返歌。

修辞

掛詞・縁語
「とこ」に「床」と地名の「とこの浦」を掛け、「うら」「波路」と海の縁語でまとめる。

解説

康保三年(966)三月、兼家は作者の家で急病に倒れた。当時、病人や死者が出ると家に穢れが及ぶため、兼家は自邸に移されることになった。作者の家で死ぬわけにはいかないという事情もある。正妻の時姫のいる東三条邸へ運ばれた兼家とは、作者は自由に会うことができない。

それでも兼家は、少し持ち直すと、夜のうちに来てほしいと何度も作者を呼ぶ。妻がほかの妻のいる夫の邸を訪ねるのは異例のことで、作者も人目を気にしながら出かけた。暗がりで手を取って導く兼家、魚も食べずに待っていた兼家、翌朝名残を惜しむ兼家の姿は、作者が日記の中で描いた夫の最も優しい姿である。

この章は、作者と兼家の夫婦関係が、憎しみや恨みだけでは語れないことをよく示している。日記全体を通じて作者は兼家の不実を責めつづけるが、その裏には、こうした愛情の記憶があった。だからこそ、愛情が失われていく過程を、作者は書かずにはいられなかったのである。

関連

出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、49–51頁(コマ27–28)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日