蜻蛉日記 上巻 第10章
兼家の病
康保三年(966)三月、作者の家に来ていた兼家が急病に倒れる。「これが見納めかもしれない」と泣きながら自邸へ運ばれた兼家から、十日余りして「夜のうちに来てほしい」と手紙が届く。作者は人目を忍んで兼家の邸を訪ね、灯火を消した暗がりで手を取られて導かれ、一夜を語り明かす。
- 1三月三月さんがつばかりばかりばかりこゝこゝここににに渡渡わたるるる程程ほどにににしししててて苦苦くるしがりしがりしがりそめそめそめててていといといとわりなうわりなうわりのう苦苦くるしししととと思思おもひひい惑惑まどふふうをををいといといといみじういみじういみじゅうととと見見みるるる。。。いふいふいうことことことははは「「「こゝこゝここにににもももいといといとあらあらあらまほしきまほしきまほしきををを何何なに事事ごともももせせせむむんにににいといといとびんびんびんなかるなかるなかるべけれべけれべければばばかしこかしこかしこへへへものものものしししなむなむなん。。。つらしつらしつらしとととなななおぼしおぼしおぼしそそそ。。。俄俄にはかにににもももいくばくいくばくいくばくもももあらあらあらぬぬぬ心心ここちちちなむなむなんするするするなむなむなんいといといとわりなきわりなきわりなき。。。あはれあはれあわれしらしらしらぬぬぬともともともおぼしおぼしおぼし出出いづづずべきべきべきとととのののなきなきなきなむなむなんいといといと悲悲かなしかりしかりしかりけるけるける」」」とてとてとて泣泣なくくくををを見見みるるるににに物物ものおぼえおぼえおぼえずずずなりなりなりててて、、、又又またいみじういみじういみじゅう泣泣なかかかるれるれるればばば「「「ななな泣泣なききき給給たまひひいそそそ。。。苦苦くるしさしさしさ增增まさるるる。。。世世よにににいみじういみじういみじゅうかるかるかるべきべきべきわざわざわざははは心心こころはからはからはからぬぬぬほどほどほどにににかゝるかゝるかかる別別わかれせせせむむんなむなむなんありありありけるけるける。。。いかにいかにいかにししし給給たまははわむむんずずずらむらむらん。。。ひとひとひととりとりとりははは世世よにににおはせおはせおわせじじじななな。。。さりとてさりとてさりとておのおのおのががが忌忌いみののの中中うちにににしらしらしらなからなからなから死死しなななずずずばばばありありありとてとてとて限限かぎりりりととと思思おもふふうなりなりなり。。。ありありありとてとてとてうちうちうちはははえええ參參まいらららましましまし。。。おのおのおのがががさかしからさかしからさかしからむむん時時ときこそこそこそ、、、いかでいかでいかでもももいかでいかでいかでももも物物ものししし給給たまははわめめめととと思思おもへへえばばば、、、かくかくかくててて死死しなななばばばこれこれこれこそこそこそははは見見み奉奉たてまつるるるべきべきべき限限かぎりなめれなめれなめれ」」」などなどなど、、、伏伏ふしししながらながらながらいみじういみじういみじゅう語語かたひひいててて泣泣なくくく。。。
- 2これこれこれかれかれかれあるあるある人人ひと々々びと呼呼よびびび寄寄よせせせつゝつゝつつ「「「こゝこゝここにににはははいかにいかにいかに思思おもひひい聞聞きこえええたりたりたりとととかかか見見みるるる。。。かくかくかくててて死死しなななばばば又又また對對たい面面めんせせせででで止止やみみみなむなむなんととと思思おもふふうこそこそこそいみじけれいみじけれいみじけれ」」」ととといへいへいえばばば皆皆みな泣泣なきききぬぬぬ。。。みづからみづからみずからはははましてましてまして物物ものだにだにだにいはいはいわれれれずずず、、、唯唯ただ泣泣なきききにににのみのみのみ泣泣なくくく。。。かゝるかゝるかかる程程ほどににに心心ここちちちいといといと重重おもくくくなりなりなりまさりまさりまさりてててくるくるくるさしさしさし寄寄よせせせててて乘乘のらららむむんとてとてとてかきかきかき起起おこささされれれててて人人ひとにににかゝりかゝりかかりてててものものものすすす。。。うちうちうち見見みおこせおこせおこせてててつくづくつくづくつくづくとととうちうちうち守守まもりりりててていといといといみじいみじいみじととと思思おもひひいたりたりたり。。。とまるとまるとまるははは更更さらにににもももいはいはいわずずずこのこのこのせうとせうとしょうとなるなるなる人人ひとなむなむなん、、、「「「何何なにかかかかくかくかくまかまかまかまがしうまがしうまがしゅう事事ことかかかおはしまさおはしまさおわしまさむむん。。。はやはやはや奉奉たてまつりりりなむなむなん」」」とてとてとて、、、やがてやがてやがて乘乘のりりりてててかかかへへへてててものものものしししぬぬぬ。。。
- 3思思おもひひいやるやるやる心心ここちちちいふいふいうかたかたかたなしなしなし。。。日日ひにににふたゝびふたゝびふたたびみたびみたびみたび文文ふみをををやるやるやる。。。人人ひと憎憎にくしししととと思思おもふふう人人ひともももあらあらあらむむんととと思思おもへへえとてとてとていかゞいかゞいかがはははせせせむむん。。。返返かえり事事ごとはははかしかしかしににになるなるなるおとおとおとなきなきなき人人ひとしししててて書書かかかかせせせてててありありあり。。。「「「みづからみづからみずから聞聞きこえええぬぬぬがががわりなきわりなきわりなき事事こととととのみのみのみなむなむなんきこえきこえきこえ給給たまへへえ」」」などなどなどぞぞぞあるあるある。。。ありありありしししよりよりよりもももいたういたういとう煩煩わずらひひいまさるまさるまさるととと聞聞きけけけばばば、、、いひいひいいしししことことことみづからみづからみずから見見みるるるべうべうびょうもももあらあらあらずずず。。。いかにいかにいかにせせせむむんなどなどなど思思おもひひい歎歎なげきききててて、、、十十とよよよ日日かにににもももなりなりなりぬぬぬ。。。
- 4讀讀ど經經きょう修修ず法法ほうなどなどなどしししててていさゝかいさゝかいささか怠怠おこたりりりたるたるたるやうやうようなれなれなればばばゆふゆふゆうのののことことことみづからみづからみずから返返かえりりりごとごとごとすすす。。。いといといとあやしうあやしうあやしゅう怠怠おこたるるるともともともなくなくなくててて日日ひををを經經ふるるるににに、、、いといといとまどはれまどはれまどわれししし事事ことはははなけれなけれなければばばにににやややあらあらあらむむん、、、おぼつかなきおぼつかなきおぼつかなき事事ことなどなどなどひとひとひとまままにににこまごまこまごまこまごまととと書書かきききてててありありあり。。。「「「物物もの覺覺おぼえええにににたれたれたればばばあらはあらはあらわににになどなどなどもももあるあるあるべうべうびょうもももあらあらあらぬぬぬををを、、、夜夜よのののまままににに渡渡わたれれれ。。。かくかくかくてててのみのみのみ日日ひををを經經ふれれればばば」」」などなどなどあるあるあるををを、、、人人ひとはははいかゞいかゞいかがははは思思おもふふうべきべきべきなどなどなど思思おもへへえどどど、、、我我われももも又又またいといといと覺覺おぼ束束つかなきなきなきににに立立たちちち歸歸かえりりり同同おなじじじことことことのみのみのみあるあるあるをををいかゞいかゞいかがはははせせせむむんとてとてとて「「「車車くるまををを給給たまへへえ」」」ととといひいひいいたれたれたればばばさしさしさし離離はなれれれたるたるたる廓廓ろうののの方方かたにににいといといとようようようとりとりとりなしなしなししつらひしつらひしつらいててて端端はしににに待待まちちち臥臥ふしししたりたりたりけりけりけり。。。
- 5火火ひともしともしともしたるたるたるにににいいい消消けたたたせせせててておりおりおりたれたれたればばばいといといと暗暗くろうううててて入入いらららむむん方方かたももも知知しらららねねねばばばあやしあやしあやし。。。「「「こゝこゝここにににぞぞぞあるあるある」」」とてとてとて手手てををを取取とりりりててて導導みちびくくく。。。「「「などなどなどかうかうこう久久ひさしうしうしゅうはははありありありつるつるつる」」」とてとてとて日日ひ頃頃ごろありありありつるつるつるやうやうようくつしくつしくつし語語かたらひらひらいててて、、、とととばかりばかりばかりあるあるあるににに「「「火火ひともしともしともしつけつけつけよよよ。。。いいいいいいととと暗暗くらししし。。。更更さらににに後後うしろめめめたなくたなくたなくばばば猶猶なおしうしうしゅう」」」とてとてとて屛屛びょう風風ぶのののうしろうしろうしろにににほのかほのかほのかにににとつとつとつしししたりたりたり。。。「「「まだまだまだいをいをいおなどなどなどももも食食くははわずずず今宵今宵こよいなむなむなんおはせおはせおわせばばば諸諸もろ共共ともににに」」」とてとてとてあるあるある。。。「「「いづらいづらいずら」」」などなどなどいひいひいいてててものものもの參參まいらせらせらせたりたりたり。。。少少すこししし食食くひひいなどなどなどしししてててぜじぜじぜじたちたちたちありありありけれけれければばば、、、夜夜ようちうちうち更更ふけけけてててたしんたしんたしんにににとてとてとてものものものしししたれたれたればばば「「「今今いまはははうちうちうちやすみやすみやすみ給給たまへへえ。。。日日ひ頃頃ごろよりよりよりははは少少すこししし休休やすまりまりまりたりたりたり」」」ととといへいへいえばばば大大だいとことことこ「「「しかしかしかおはしますおはしますおわしますなりなりなり」」」とてとてとて立立たちちちぬぬぬ。。。
- 6さてさてさて「「「さささははは明明あけけけぬるぬるぬるををを人人ひとなどなどなど召召めせせせ」」」ととといへいへいえばばば「「「なにかなにかなにか。。。まだまだまだいといといと暗暗くらからからからむむん。。。しばししばししばし」」」とてとてとてあるあるあるほどほどほどににに、、、明明あこうううなれなれなればばばをのこをのこおのこどもどもども呼呼よびびびててて、、、しとみしとみしとみ上上あげげげさせさせさせててて見見みつつつ。。。「「「見見み給給たまへへえ。。。草草くさどもどもどもはははいかゞいかゞいかがうゑうゑうえたるたるたる」」」とてとてとて見見み出出いだしししたるたるたるににに「「「いといといとかたはかたはかたわなるなるなるほどほどほどににになりなりなりぬぬぬ」」」などなどなどいそげいそげいそげばばば「「「なにかなにかなにか今今いまははは粥粥かゆなどなどなど參參まいりりりててて」」」とととあるあるあるほどほどほどににに晝晝ひるににになりなりなりぬぬぬ。。。さてさてさて「「「いざいざいざ諸諸もろ共共ともににに歸歸かえりりりなむなむなん。。。またまたまたばばばものものものしかるしかるしかるべしべしべし」」」などなどなどあれあれあればばば、、、「「「かくかくかく參參まいりりり來來きたるたるたるをををだにだにだに人人ひといかにいかにいかにもももおもふおもふおもうににに、、、御御おおん迎迎むかへへえなりなりなりけるけるけるととと見見みばばば、、、いといといとうたてうたてうたてものものものしからしからしからむむん」」」ととといへいへいえるるる「「「さらさらさらばばばをのこをのこおのこどもどもども車車くるま寄寄よせせせよよよ」」」とてとてとて寄寄よせせせたれたれたればばば、、、乘乘のるるる所所ところもももかつがつかつがつかつがつとととあゆみあゆみあゆみ出出いでででたれたれたればばばいといといとあはれあはれあわれととと見見みるるる見見みるるる「「「いついついつかかか御御おおんありきありきありきははは」」」などなどなどいふいふいう程程ほどににに淚淚なみだ浮浮うきききにににけりけりけり。。。いといといと心心こころもともともとなけれなけれなければばば「「「あすあすあすあさてあさてあさてののの程程ほどばかりばかりばかりにににははは參參まいりりりなむなむなん」」」とてとてとて、、、いといといとさうざうしげさうざうしげそうぞうしげなるなるなる氣氣け色色しきなりなりなり。。。少少すこししし引引ひききき出出いでゝでゝでて牛牛うし懸懸かくるくるくる程程ほどににに見見み通通とおせせせばばば、、、ありありありつるつるつる所所ところににに歸歸かえりりりててて見見みおこせおこせおこせててて、、、つくづくつくづくつくづくとととあるあるあるををを見見みつゝつゝつつ引引ひききき出出いづれづれずればばば、、、心心こころにににもももあらあらあらででで顧顧かえりみみみのみのみのみぞぞぞせせせらるゝらるゝらるるかしかしかし。。。さてさてさて晝晝ひるつつつ方方かた文文ふみありありあり。。。何何なにくれくれくれととと書書かきききててて、、、
- 7「「「かぎりかぎりかぎりかかかととと思思おもひひいつゝつゝつつこここししし程程ほどよりよりよりもももなかなかなかなかなかなかなるなるなるははは侘侘わびしかりびしかりびしかりけりけりけり」」」。。。
- 8かへりかへりかえりごとごとごと猶猶なおいといといと苦苦くるしげしげしげにににおぼしおぼしおぼしたりたりたりつれつれつればばば、、、「「「今今いまもももいといといと覺覺おぼ束束つかなくなくなくなむなむなん。。。なかなかなかなかなかなかににに、、、
- 9我我われもももさささぞぞぞのどけきのどけきのどけきとことことこのののうらうらうらならならならででで歸歸かえるるる波波なみ路路じはははあやしかりあやしかりあやしかりけりけりけり」」」。。。
現代語訳
三月ごろ、あの人がこちらに来ていた時に、急に苦しみはじめて、ひどく苦しいと思い惑うのを、たいへんなことだと見ていた。あの人が言うには、「ここにいたいのはやまやまだが、何をするにもたいそう都合が悪いだろうから、あちら(自邸)へ移ることにしよう。薄情だと思わないでおくれ。急に、もう長くはない気がしてならないのがつらい。ああ、情けを知らない人だとしても、思い出してくれそうな人がいないのが、ひどく悲しいのだ」と言って泣くのを見ると、何もわからなくなって、私もまたひどく泣いてしまうので、「泣かないでおくれ。苦しさがつのる。この世でひどくつらいことは、思いもかけない時にこんな別れをすることなのだ。あなたはどうなさるだろう。独りでは生きていられまい。かといって、私が喪中で、死なずにいても、もうこれが最後だと思う。生きていても、ここへは来られないだろう。私が元気な時こそ、どうにでもしてお世話もできようと思うけれど、こうして死んでしまったら、これがお目にかかる最後なのだろう」などと、横になったまま、しきりに語って泣く。
居合わせた侍女たちを呼び寄せては、「私がこの人をどう思っていると見ているか。このまま死んだら、二度と会えずに終わると思うのがつらいのだ」と言うので、皆泣いてしまった。私自身は、まして口もきけず、ただ泣きに泣くばかり。そうするうちに、容態がますます重くなって、車を寄せて乗ろうとして、抱き起こされて人に寄りかかって行く。こちらを振り返って、じっと見つめて、ひどくつらそうに思っている。残る私は言うまでもなく、この兄にあたる人が、「どうして、そんな縁起でもないことがございましょう。早くお乗りください」と言って、そのまま一緒に乗って抱きかかえて行った。
思いやる気持ちは言いようもない。日に二度も三度も手紙をやる。憎らしいと思う人(時姫たち)もいるだろうと思うけれど、どうしようもない。返事は、あちらの年配の女房に書かせてある。「自分でお返事を差し上げられないのが、やむを得ないこととだけ申し上げなさい」などとある。以前よりもひどく病が重くなったと聞くので、言っていたように、自分で見舞いに行くこともできない。どうしようと思い嘆いているうちに、十日余りになった。
読経や修法などをして、少し快方に向かったようなので、夕方には自分で返事を書いてよこす。ひどく妙なことに、すっかり治るというのでもなく日を過ごしていたが、ひどく苦しむことはなくなったからだろうか、気がかりなことなどを、人目のない時にこまごまと書いてきた。「意識もはっきりしたので、人目につくようなこともないから、夜のうちに来ておくれ。こうしてばかり日を過ごしているので」などとあるのを、人がどう思うだろうなどと思うけれど、私もまたひどく気がかりなうえに、何度も同じことばかり言ってくるので、どうしようもなくて、「車をよこしてください」と言ったところ、離れた廊の方に、たいそうよく整えて設けて、端近くで横になって待っていた。
灯がともしてあるのを消させて車から降りると、ひどく暗くて、入る方向もわからないので困っていると、「ここにいるよ」と言って手を取って導く。「どうしてこんなに長く来なかったのだ」と言って、ここ数日のことを少しずつ話して、しばらくしてから、「灯をつけなさい。ひどく暗い。もう少しも心配なことはないから」と言って、屏風の後ろにほのかに灯をともした。「まだ魚なども食べていない。今夜あなたがいらしたら一緒にと思っていた」と言う。「どこに」などと言って、食事を差し上げた。少し食べたりして、加持の僧たちがいたので、夜も更けて護身のためにと来たところ、「もうお休みください。いつもより少し楽になった」と言うので、大徳(僧)は「そうでいらっしゃるようです」と言って立ち去った。
さて、「もう夜が明けたので、人などをお呼びください」と言うと、「いや、まだひどく暗いだろう。もうしばらく」と言っているうちに、明るくなったので、下男たちを呼んで、蔀を上げさせて外を見た。「ご覧なさい。草木はどんなふうに植えてあるか」と言って外を見やるので、「ひどく見苦しい時刻になりました」などと私が急ぐと、「いや、今は粥などを召し上がって」と言っているうちに昼になった。そして、「さあ、一緒に帰ろう。また来るのは面倒だろう」などと言うので、「こうして参上したのでさえ、人がどう思うかと気になるのに、お迎えに来たのだと見られたら、ひどく不愉快なことでしょう」と言うと、「それなら、下男たち、車を寄せよ」と言って寄せたので、乗る所までも、やっとのことで歩いて出てきたので、たいそうしみじみと見ながら、「いつお出かけになれるのでしょう」などと言ううちに、涙が浮かんだ。ひどく気がかりなので、「明日か明後日のころには参ります」と言って、たいそう寂しそうな様子である。少し車を引き出して牛をつける時に見通すと、あの人はもとの所に戻って、こちらを見て、じっとしているのを見ながら車を引き出すので、思わず振り返ってばかりいた。さて、昼ごろ手紙が来た。あれこれと書いて、
「これが最後かと思いながら過ごしてきた時よりも、なまじ逢ったあとのほうが、かえってつらいことだ」。
返事には、まだたいそう苦しそうにしていらしたので、「今もたいへん気がかりです。かえって、
私もそうです。のどかな床の浦(あなたの床)ではなく、帰る波路は妙につらいものでした」。
意訳
〔病に倒れる兼家〕作者の家に来ていた兼家が、急に重い病に倒れる。「これがあなたに会える最後かもしれない」「独りではいられまい」と泣きながら語る兼家の姿は、上巻の中でもとりわけ情のこもった場面である。日ごろの冷淡さとは別人のような夫の言葉を、作者はそのまま書きとめる。
〔夜の訪問〕自邸に移った兼家とは、正妻の家であるために自由に行き来できない。十日あまりして持ち直した兼家は、「夜のうちに来てほしい」と何度も手紙をよこす。人目をはばかりながら訪ねた作者を、兼家は灯を消した暗がりで手を取って導き、魚も食べずに待っていたと言う。翌朝、庭の草木を見せ、粥を勧め、名残を惜しむ兼家。苦しい結婚生活の中で、二人の心が最も近づいたひとときであった。
語釈・文法注
文法
- 「あはれしらぬともおぼし出づべきとのなきなむ」
- 底本どおり。注記に「ら」の衍字かとある。情けを知らない人だと思っても、思い出してくれそうな人がいないのが、の意に解する。
- 「世にいみじうかるべきわざ」
- 底本どおり。注記に「う」の衍字かとあり、「いみじかるべきわざ」と解する。
- 「ひととりは世におはせじな」
- 底本の注記に「と」の衍字かとあり、「ひとりは」(独りでは)と解する。
- 「しらなから死なずば」
- 底本どおり。注記に「なまよし」の異文がある。
- 「くるさし寄せて」
- 底本どおり。「車」の脱字かとされ、車を寄せて、と解する。
- 「まかまがしう」
- 底本どおり。「まがまがしう」(縁起でもなく)の意。
- 「乘りてかへて」
- 底本どおり。注記に「か」の異文があり、「乗りて抱へて」(抱きかかえて)と解する。
- 「かしになるおとなき人」
- 底本どおり。注記に「なる」「な」などの異文がある。あちらにいる年配の女房、の意に解する。
- 「ゆふのこと」
- 底本どおり。注記に「かた」の異文があり、「夕方」と解する。
- 「いいと暗し」
- 底本の注記に「い」の衍字かとある。
- 「猶しう」
- 底本どおり。注記に「かし」の異文がある。
- 「たしんに」
- 底本どおり。注記に「か」の異文があり、「加持(かぢ)に」とも「護身に」とも解される。
- 「また ば ものしかるべし」
- 底本どおり。「またば」は「またあらば」(また来るのは)の意に解する。
和歌
かぎりかと思ひつゝこし程よりもなかなかなるは侘びしかりけり
- 詠者
- 藤原兼家
- 状況
- 病床に作者を呼び寄せた翌日、帰った作者に送った歌。
修辞
- 対比
- もう会えないと思っていた時よりも、なまじ会った後のほうがつらい、と逢瀬の後の寂しさを訴える。
我もさぞのどけきとこのうらならで歸る波路はあやしかりけり
- 詠者
- 道綱母(作者)
- 状況
- 兼家の歌への返歌。
修辞
- 掛詞・縁語
- 「とこ」に「床」と地名の「とこの浦」を掛け、「うら」「波路」と海の縁語でまとめる。
解説
康保三年(966)三月、兼家は作者の家で急病に倒れた。当時、病人や死者が出ると家に穢れが及ぶため、兼家は自邸に移されることになった。作者の家で死ぬわけにはいかないという事情もある。正妻の時姫のいる東三条邸へ運ばれた兼家とは、作者は自由に会うことができない。
それでも兼家は、少し持ち直すと、夜のうちに来てほしいと何度も作者を呼ぶ。妻がほかの妻のいる夫の邸を訪ねるのは異例のことで、作者も人目を気にしながら出かけた。暗がりで手を取って導く兼家、魚も食べずに待っていた兼家、翌朝名残を惜しむ兼家の姿は、作者が日記の中で描いた夫の最も優しい姿である。
この章は、作者と兼家の夫婦関係が、憎しみや恨みだけでは語れないことをよく示している。日記全体を通じて作者は兼家の不実を責めつづけるが、その裏には、こうした愛情の記憶があった。だからこそ、愛情が失われていく過程を、作者は書かずにはいられなかったのである。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、49–51頁(コマ27–28)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日