蜻蛉日記 上巻 第9章
四十九日と一周忌、姉の旅立ち
母の四十九日の法要を家で営み、作者は母のために仏画を描かせる。母を弔った雲林院の僧の死を悼み、喪服を脱いで琴を弾けば母の不在が身にしみる。翌年秋の一周忌を母の亡くなった山寺で終えると、頼りにしていた姉が夫の任国へ旅立ち、作者は涙で見送る。
- 1これこれこれかれかれかれぞぞぞ殿殿てん上上じょうなどなどなどもももせせせねねねばばばけがらひけがらひけがらいももも一一ひとつつつにににしししなしなしなしためためためれれればばば、、、己己おのがががじゝじゝじしひきひきひきつぼねつぼねつぼねなどなどなどしししつゝつゝつつあああめるめるめるなかなかなかににに我我われをををのみのみのみぞぞぞまさるまさるまさることことことなくなくなくてててよよよはははねぶつねぶつねぶつののの聲聲こえ聞聞ききききはじむるはじむるはじむるよりよりより、、、やがてやがてやがて泣泣なきききのみのみのみあかさあかさあかさるるる。。。四十九日四十九日しじゅうくにちのののことことこと誰誰たれももも闕闕かくくく事事ことなくなくなくててて家家いえにににてててぞぞぞするするする。。。我我わががが知知しるるる人人ひと大大おおかたかたかたののの事事ことををを行行おこなひひいためためためれれればばば人人ひと々々びと多多おおくくくさしさしさしあひあひあいたりたりたり。。。我我わががが志志こころざしをををばばば佛佛ほとけをををばばば書書かかかかせせせたるたるたる。。。そのそのその日日ひ過過すぎぎぎぬれぬれぬればばばみなみなみなおのおのおのがががじゝじゝじしいきいきいきあかれあかれあかれぬぬぬ。。。ましてましてまして我我わががが心心ここちちちははは心心こころ細細ぼそうううなりなりなりまさりまさりまさりててていとゞいとゞいとどやるやるやる方方かたなくなくなく、、、人人ひとはははかうかうこう心心こころ細細ぼそげげげなるなるなるををを思思おもひひいてててありありありしししよりよりよりははは繁繁しげううう通通かよふふう。。。さてさてさて寺寺てらへへへものものものせせせししし時時とき、、、
- 2「「「はちすはちすはちす葉葉ばののの玉玉たまとととなるなるなるらむらむらんむすぶむすぶむすぶにににもももそでそでそでぬれぬれぬれまさるまさるまさるけさけさけさのののつゆつゆつゆかなかなかな」」」
- 3ととと書書かきききてててやりやりやりつつつ。。。又又またこのこのこの袈袈け裟裟さのののこのみこのみこのみももも法法ほう師師しにににてててあれあれあればばば祈祈いのりりりなどなどなどもももつけつけつけててて賴賴たのもしかりもしかりもしかりつるつるつるををを、、、にこりにこりにこりににに又又またかくかくかくなりなりなりぬぬぬととと聞聞きくくくにににももも、、、このこのこのはらからはらからはらからののの心心ここちちちいかいかいかならならならむむん。。。われわれわれもももいといといと口口くちをしをしおし。。。賴賴たのみみみつるつるつる人人ひとのののかうかうこうのみのみのみなどなどなど思思おもひひい亂亂みだるれるれるればばば屢屢しばしばとぶらふとぶらふとぶらう。。。さるさるさるべきべきべきやうやうようにににありありありててて雲雲うり林林んににに侍侍さぶらひひいししし人人ひとなりなりなり。。。四十九日四十九日しじゅうくにちなどなどなどはてはてはてゝゝてかくかくかくいひいひいいやるやるやる、、、
- 4「「「思思おもひひいきききややや雲雲くもののの林林はやしにににうちうちうち捨捨すてててゝゝてそらそらそらのののけぶりけぶりけぶりにににたゝたゝたたむむんものものものとととははは」」」
- 5などなどなどなむなむなんおのおのおのががが心心ここちちちのののわびしきわびしきわびしきまゝまゝままににに野野のにににももも山山やまにににもももかゝりかゝりかかりけるけるける。。。はかなはかなはかなながらながらながらかうかうこう秋秋あき冬冬ふゆもももすごしすごしすごしつつつ。。。一一ひとつつつところところところにににはははせうとせうとしょうと一一ひと人人り伯伯を母母ばとととおぼしきおぼしきおぼしき人人ひとぞぞぞ住住すむむむ。。。それそれそれををを親親おやのののごとごとごと思思おもひひいてててあれあれあれどどど、、、猶猶なお昔昔むかしををを戀戀こひひいつゝつゝつつ泣泣なきききあかしあかしあかしてててあるあるある所所ところににに、、、年年としかへりかへりかえりててて春春はる夏夏なつももも過過すぎぎぎぬれぬれぬればばば、、、今今いまははははてはてはてのののすすすとてとてとてこここたびたびたびばかりばかりばかりはははかのかのかのありありありししし山山やま寺寺でらにににてててぞぞぞするするする。。。ありありありししし事事ことどもどもども思思おもひひい出出いづるづるずるにににいとゞいとゞいとどいみじういみじういみじゅう哀哀あわれににに悲悲かなししし。。。導導どう師師しのののはじめはじめはじめにににてててうつたへうつたへうつたえににに秋秋あきのののやまやまやまべべべををを尋尋たずぬぬぬ給給たまふふうにににはははあらあらあらざりざりざりけるけるける。。。まなこまなこまなこたぢたぢたじ給給たまひひいしししところところところにににててて經經きょうののの心心こころ說說とかかかせせせ給給たまははわむむんとととにににこそこそこそありありありけれけれけれ。。。とととばかりばかりばかりいふいふいうををを聞聞きくくくににに、、、ものものもの覺覺おぼえええずずずなりなりなりてててのちのちのちののの事事ことどもどもどもはははおぼえおぼえおぼえずずずなりなりなりぬぬぬ。。。あるあるあるべきべきべき事事ことどもどもども終終おわりりりてててかへるかへるかえる。。。やがてやがてやがて服服ぶくぬぐぬぐぬぐににににびにびにび色色いろのののものものものどもどもども扇扇おうぎまでまでまではらへはらへはらえなどなどなどするするするほどほどほどににに、、、
- 6「「「藤藤ふじ衣衣ごろも流流ながすすすなみだなみだなみだのののかはかはかわみづみづみずはははきしきしきしにににもももまさるまさるまさるものものものにににぞぞぞありありありけるけるける」」」
- 7ととと覺覺おぼえええててていみじういみじういみじゅうなかなかなかるれるれるればばば人人ひとにににもももいはいはいわでででやみやみやみぬぬぬ。。。きるきるきるなどなどなど果果はてててししし例例れいのののつれづれつれづれつれづれなるなるなるににに彈彈ひくくくとととはははなけれなけれなけれどどど琴琴きんおしおしおしのごひのごひのごいてててかきかきかきならしならしならしなどなどなどするするするににに、、、忌忌いみなきなきなき程程ほどにににもももなりなりなりにににけるけるけるををを、、、あはれあはれあわれにににはかなくはかなくはかなくてててもももなどなどなど思思おもふふう程程ほどににに、、、あなたあなたあなたよりよりより、、、
- 8「「「今今いまはははとてとてとて彈彈ひききき出出いづるづるずる琴琴ことのののねねねををを聞聞きけけけばばばうちうちうちかへしかへしかえしてててももも猶猶なおぞぞぞ悲悲かなしきしきしき」」」
- 9とととあるあるあるにににことことことなるなるなることことこともももあらあらあらねねねどどどこれこれこれををを思思おもへへえばばばいとゞいとゞいとど泣泣なきききまさりまさりまさりててて、、、
- 10「「「なきなきなき人人ひとはははおとおとおとづれづれずれもももせせせでででことことことののの緖緖をををを斷斷たちちちしししつきつきつき日日ひぞぞぞかへりかへりかえりきにきにきにけるけるける」」」。。。
- 11かくかくかくてててあまたあまたあまたあるあるある中中なかにににももも賴賴たのもしきもしきもしきものものものににに思思おもふふう人人ひとこのこのこの夏夏なつよりよりより遠遠とおくくくもろもろもろこしぬこしぬこしぬべきべきべき事事ことのののあるあるあるををを、、、服服ぶく果果はてててゝゝてとととありありありつれつれつればばば、、、このこのこの頃頃ころ出出いででで立立たちちちなむなむなんとととすすす。。。これこれこれををを思思おもふふうににに心心こころ細細ぼそしししととと思思おもふふうにににぞぞぞおろかおろかおろかなりなりなり。。。今今いまはははとてとてとて出出いででで立立たつつつ日日ひ渡渡わたりりりててて見見みるるる。。。一一ひとくだりくだりくだりばかりばかりばかりはかなきはかなきはかなき物物ものなどなどなど硯硯すずり筥筥ばこ一一ひとよろひよろひよろいににに入入いれれれててていみじういみじういみじゅう騷騷さわがしうがしうがしゅう罵罵ののしりりりみちみちみちたれたれたれどどど、、、我我われももも行行ゆくくく人人ひとももも目目めももも見見み合合あわせせせずずず唯唯ただ向向むかひひい居居いててて淚淚なみだをををせきせきせきかねかねかねつゝつゝつつ「「「皆皆みな人人ひとはははかかかなどなどなど念念ねんぜぜぜさせさせさせ給給たまへへえいみじういみじういみじゅう忌忌いむむむなりなりなり」」」などなどなどにににいふいふいう。。。されされさればばば車車くるまににに乘乘のりりり果果はてててむむんををを見見みむむむはははいみじからいみじからいみじからむむんととと思思おもふふうににに家家いえよりよりより「「「疾疾とくくく渡渡わたりりりねねね。。。こゝこゝここににに物物ものしししたりたりたり」」」とととあれあれあればばば車車くるま寄寄よせせせさせさせさせててて乘乘のるるるほどほどほどににに、、、行行ゆくくく人人ひとはははふたふたふたゐゐいののの小小こ袿袿うちきなりなりなり。。。とまるとまるとまるははは唯唯ただうすうすうすものゝものゝものの赤赤あか朽朽くち葉葉ばををを着着きたるたるたるをををぬぎぬぎぬぎ更更かへへえててて別別わかれれれぬぬぬ。。。九月九月くがつ十十とよよよ日日かののの程程ほどなりなりなり。。。家家いえににに來來きてててもももなくなくなくかくかくかくまがまがしくまがまがしくまがまがしくととと咎咎とがむるむるむるまでまでまでいみじういみじういみじゅう泣泣なかかかるるる。。。さてさてさて昨日昨日きのう今日今日きょうははは關關せき山山やまばかりばかりばかりにににぞぞぞ物物ものすすすらむらむらんかしかしかしととと思思おもひひいやりやりやりててて月月つきのののいといといと哀哀あわれなるなるなるににに詠詠ながめめめやりやりやりてててゐゐいたるたるたるばばば、、、あなたあなたあなたにににもももまたまたまた起起おきききててて琴琴きん彈彈ひきききなどなどなどしししてててかくかくかくいひいひいいたりたりたり、、、
- 12「「「引引ひきききとむるとむるとむるものものものとととはははなしなしなしににに逢逢おう坂坂さかののの關關せきののの朽朽くちちちめめめのののねねねにににぞぞぞそぼつそぼつそぼつるるる」」」。。。
- 13これこれこれももも同同おなじじじ思思おもふふうべきべきべき人人ひとなれなれなればばばなりなりなりけりけりけり、、、
- 14「「「思思おもひひいやるやるやる逢逢おう坂坂さか山山やまのののせきせきせきのののねねねははは聞聞きくくくにににもももそでそでそでぞぞぞくちくちくちめめめつきつきつきぬるぬるぬる」」」
- 15などなどなど思思おもひひいやるやるやるににに年年としもももかへりかへりかえりぬぬぬ。。。
現代語訳
あの人もこの人も、殿上勤めなどもしていないので、穢れの期間も皆一緒にして過ごしているから、それぞれ屏風などで仕切った部屋に籠っている中で、私だけはまぎれることもなく、夜は念仏の声が聞こえはじめるとすぐに、泣いてばかりで夜を明かしてしまう。四十九日の法要は、誰も欠けることなく、家で行う。私の夫(兼家)が大方のことを取り仕切ってくれたので、人々が大勢集まった。私の志としては、仏の絵を描かせた。その日が過ぎると、皆それぞれ別れて行った。まして私の気持ちは、いっそう心細くなって、ますますやり場がなく、あの人は私がこんなに心細そうにしているのを思いやって、以前よりはしげしげと通ってくる。さて、山寺へ参った時、
「蓮の葉の上で玉となるのだろうか、手にすくおうとしても袖がいっそう濡れまさる、今朝の露は(母は極楽の蓮の上に生まれ変わるのだろうか)」
と書いて送った。また、母の法事を頼んだ僧で、袈裟の施主となる人も法師であったので、祈祷なども頼んで頼もしく思っていたのに、急にその人もまた亡くなったと聞くにつけ、その人の兄弟たちの気持ちはどんなだろう。私もほんとうに残念だ。頼りにしていた人が、こうしてばかり亡くなるなどと思い乱れるので、たびたびお見舞いする。しかるべき縁があって、雲林院に仕えていた人である。四十九日なども済んで、こう言ってやった。
「思いもよらなかった。雲の林(雲林院)にうち捨てて、空の煙となって立ちのぼってしまうとは」
などと、自分の心のつらさのままに、野にも山にも思いがかかっていたのだった。はかないながら、こうして秋も冬も過ごした。同じ家には、兄が一人と、叔母にあたる人が住んでいる。その叔母を親のように思っているけれど、やはり昔を恋しく思っては泣き明かしているうちに、年が改まって春も夏も過ぎたので、今は一周忌の法事をするといって、今度だけは、あの山寺で行う。あの頃のことを思い出すにつけ、ますますひどくしみじみと悲しい。導師が初めに言うには、「ひたすら秋の山辺を訪ねてこられたのではなかったのですね。故人が目を閉じられた所で、お経の意味を説かせようとなさってのことだったのですね」。それだけ言うのを聞くと、何もわからなくなって、そのあとのことは覚えていない。なすべきことが終わって帰る。そのまますぐに喪服を脱ぐので、鈍色の衣類や扇まで、祓えなどをする時に、
「藤衣(喪服)を流すほどの涙の川の水は、岸にもまさるほどあふれるものであったよ」
と思われて、ひどく泣かれるので、人にも言わずにすませた。喪が明けたあと、いつものように所在ないので、弾くというほどではないけれど、琴の塵を払って、かき鳴らしたりしていると、忌みのない時期にもなっていたのに、しみじみとはかないことだなどと思っていた時に、あちら(叔母)から、
「今はもうと、弾きはじめた琴の音を聞くと、繰り返し思い返しても、やはり悲しいことです」
と言ってきたので、別に変わったことでもないけれど、これを思うと、ますます泣かれて、
「亡き人は訪れもしないで、琴の緒を断ってしまった(喪に服していた)その月日がまためぐってきたのですね」。
こうして、大勢いる中でも頼もしく思っていた人(姉)が、この夏から遠い国へ下らなければならないことになっていたのを、喪が明けてからということだったので、この頃出発しようとしている。これを思うと、心細いなどと言っても言い足りない。いよいよ出発するという日に、姉の所へ行って会う。装束ひとそろいと、ちょっとした品などを、硯箱一対に入れて贈った。ひどく騒がしく大声で騒ぎたてているけれど、私も旅立つ姉も目も合わせず、ただ向かい合って座って、涙をこらえかねていると、「皆さん、どうかこらえてください。(旅立ちに涙は)ひどく忌むことです」などと人々が言う。それなら、車に乗り終えるのを見るのはつらいだろうと思っていると、家から「早く帰っておいで。こちらに(あの人が)来ている」と言ってきたので、車を寄せさせて乗る時に、旅立つ姉は二藍の小袿、残る私はただ薄物の赤朽葉を着ていたのを、脱いで取り替えて別れた。九月十日過ぎのことであった。家に帰っても、縁起でもないと咎められるほど、ひどく泣いてしまう。さて、昨日今日は、逢坂の関山あたりに行っているのだろうと思いやって、月がたいそうしみじみと美しいのに、物思いにふけって眺めていると、あちら(叔母)もまた起きていて、琴を弾いたりして、こう言ってきた。
「引き止めるものでもないのに、逢坂の関の朽ちた(関の)音のように、私もただ泣き濡れています」。
この人も、同じように姉を思うはずの人だからであった。
「思いやる逢坂山の関の音(琴の音)を聞くにつけても、私の袖は涙で朽ちてしまいました」
などと思いやっているうちに、年も改まった。
意訳
〔四十九日〕兼家は四十九日の法要を取り仕切り、母を失って心細そうな作者のもとへ、以前よりしげしげと通ってくる。悲しみの中で、夫婦の関係はむしろ穏やかになっている。作者は母のために仏画を描かせ、極楽の蓮の上に生まれ変わる母を思って歌を詠む。
〔一周忌〕翌年秋、母の一周忌を、母の亡くなった山寺で営む。導師の「秋の山辺を訪ねてこられたのではない」という言葉に、作者は気を失うほど泣く。喪服を脱ぎ、久しぶりに琴をかき鳴らすと、同じ家に住む叔母から「今はとて弾き出づる琴の音」と歌が届く。母を失った家族が、互いに悲しみを分かち合う姿である。
〔姉の旅立ち〕さらに、頼りにしていた姉が、夫の任国へ下ることになった。旅立ちの日、作者は姉と装束を取り替えて別れる。これは、互いの形見とする当時の別れの作法である。姉を見送った夜、作者は叔母と琴と歌を交わし、逢坂の関を越えて行く姉を思いやる。
語釈・文法注
- 雲林院
- 京の北、紫野にあった寺院。もとは淳和天皇の離宮で、のち寺となった。
- はての事
- 一周忌の法要。喪が明ける最後の法事。
- さうずく
- 装束。衣装ひとそろい。底本は「さうずく」と刷る。
文法
- 「我をのみぞまさることなくて」
- 底本の注記に「まぎるゝ」の異文がある。私だけは、気がまぎれることもなく、の意に解する。
- 「袈裟のこのみも」
- 底本どおり。注記に「供養の」の異文がある。母の法事で袈裟を施した僧、の意に解される。
- 「にこりに」
- 底本どおり。注記に「はか」の異文があり、「にはかに」(急に)と解する。
- 「はかなながら」
- 「はかなきながら」の約。はかないながらも。
- 「うつたへに秋のやまべを尋ぬ給ふには」
- ひたすら秋の山の紅葉を訪ねていらしたのではない、の意。母が亡くなった山寺で一周忌を営む家族への導師の言葉。
- 「まなこたぢ給ひしところ」
- 底本どおり。注記に「とぢ」の異文があり、「眼閉ぢ給ひし所」(息を引き取られた所)と解する。
- 「きるなど果てし」
- 底本どおり。注記に「はて」の異文がある。喪の明けたあと、の意に解する。
- 「遠くもろこしぬべき事」
- 底本どおり。注記に「二字」とあり、「遠くものしぬべき事」(遠い国へ下らなければならないこと)と解される。
- 「皆人はかなど念ぜさせ給へ」
- 底本どおり。注記に異文がある。皆さん、どうかこらえてください、の意に解する。
和歌
はちす葉の玉となるらむむすぶにもそでぬれまさるけさのつゆかな
- 詠者
- 道綱母(作者)
- 状況
- 四十九日の後、山寺へ参った時に詠んだ歌。
修辞
- 見立て
- 蓮の葉の上の露を玉に見立て、極楽の蓮の上に生まれ変わる母を思う。「むすぶ」に、露を手にすくうことと、結ばれた縁を重ねる。
藤衣流すなみだのかはみづはきしにもまさるものにぞありける
- 詠者
- 道綱母(作者)
- 状況
- 一周忌を終え、喪服を脱いで祓えをした時に詠んだ歌。
修辞
- 縁語
- 「流す」「かはみづ」「きし(岸)」と川の縁語でまとめ、喪服を川に流す祓えの行事に、涙の多さを重ねる。
なき人はおとづれもせでことの緖を斷ちしつき日ぞかへりきにける
- 詠者
- 道綱母(作者)
- 状況
- 喪が明けて琴を弾いたとき、叔母から歌が届き、それに返した歌。
修辞
- 掛詞
- 「ことの緖」に琴の糸と「言(こと)」を響かせる。喪中に琴を弾かなかったことを「緒を断つ」と言い、その月日がめぐってきたと嘆く。
思ひやる逢坂山のせきのねは聞くにもそでぞくちめつきぬる
- 詠者
- 道綱母(作者)
- 状況
- 姉を見送った夜、琴を弾いて歌を寄せた叔母への返歌。
修辞
- 掛詞
- 「せきのね」に関の「音」と琴の「音」、「くちめ」に関の「朽ち目」と袖の「朽ち目」を掛ける。
解説
康保元年(964)の秋から翌二年(965)の秋までの記事である。四十九日の法要は兼家が取り仕切り、多くの人が集まった。母を失った作者を思いやって兼家がしげしげと通ったことも書かれており、悲しみの中で夫婦の距離がやや近づいたことがうかがえる。
一周忌を終えて喪服を脱ぐ「服ぬぎ」の際には、川辺で祓えをして、喪服や鈍色の調度を流したり焼いたりした。作者は、喪服を流すほどの涙と詠んで、母を失った悲しみがまだ癒えないことを示している。
旅立つ姉と装束を交換する場面は、別れの際に互いの衣を形見として取り替える習慣による。姉の夫は藤原為雅とされ、地方官として任国に下った。母の死に続く姉との別れによって、作者の身辺はいっそう寂しくなり、兼家への依存が強まっていく。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、47–49頁(コマ26–27)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日