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蜻蛉日記 上巻 第8章

母の死

康保元年(964)秋のはじめ、長く患っていた母が山寺で亡くなる。作者は悲しみのあまり手足がすくんで気を失いかけ、幼い道綱を引き寄せて兼家への遺言を託す。兼家は穢れもかまわず駆けつける。僧たちが語る「みみらくの島」の話に、亡き母の姿を見たいと歌を詠み、やがて母のいない家へと帰る。

  1. 1さささいふいふいういふいふいうももも女め女めめ親おや親おやおやととといふいふいう人ひと人ひとひとあるあるあるかぎりかぎりかぎりはははありありありけるけるけるををを、、、久ひさ久ひさひさしうしうしゅうわづらひわづらひわずらいててて秋あき秋あきあきののの初はじめ初はじめはじめのののころほひころほひころおいむなしくむなしくむなしくなりなりなりぬぬぬ。。。さらにさらにさらにせせせむむんかくかくかくなくなくなくわびしきわびしきわびしき事こと事ことことのののよよよのののつねつねつねののの人ひと人ひとひとにににはははまさりまさりまさりたりたりたり。。。あまたあまたあまたあるあるある中なか中なかなかにににこれこれこれはははおくれおくれおくれじじじおくれおくれおくれじじじととと惑まど惑まどまどはるゝはるゝわるるもももしるくしるくしるくいかなるいかなるいかなるにににかかかあらあらあらむむん。。。足あし足あしあし手て手ててなどなどなど唯ただ唯ただただすくみすくみすくみにににすくみすくみすくみててて絕た絕たたえええ入い入いいるるるやうやうようこここすすす。。。
  2. 2さささいふいふいういふいふいうものものものををを語かた語かたかたらひらひらいおきおきおきなどなどなどすすすべきべきべき人ひと人ひとひとははは京きやう京きやうきょうにににありありありけりけりけり。。。山やま山やまやま寺でら寺でらでらにににてててかゝるかゝるかかるめめめははは見み見みみれれればばば幼をさな幼をさなおさなききき子こ子ここををを引ひ引ひひきききよせよせよせててて僅わづか僅わづかわずかにににいふいふいうやうやうようははは「「「われわれわれはははかなくかなくかなくててて死し死ししぬるぬるぬるなななめりめりめり。。。かしこかしこかしこににに聞きこ聞きこきこえええむむんやうやうようはははおのおのおのがががうへうへうえをををばばばいかにいかにいかにもももいかにいかにいかにもももななな知し知ししりりり給たま給たまたまひひいそそそ。。。このこのこの御おほん御おほんおおん後のち後のちのちののの事こと事ことことををを人ひと人ひとひと々びと々びとびとのののものものものせせせらむらむらんうへうへうえにににもももとぶらひとぶらひとぶらいものものものしししたまへたまへたまえととと聞きこ聞きこきこえええよよよ」」」とてとてとて、、、いかにいかにいかにせせせむむんとととばかりばかりばかりいひいひいいてててものものものもももいはいはいわれれれずずずなりなりなりぬぬぬ。。。
  3. 3日ひ日ひひごろごろごろ月つき月つきつきごろごろごろわづらひわづらひわずらいてててかくかくかくなりなりなりぬるぬるぬる人ひと人ひとひとををを、、、今いま今いまいまはははいふいふいうかしかしかしなきなきなきものものものににになしなしなしててて、、、これこれこれにににぞぞぞ皆みな皆みなみな人ひと人ひとひとはははかゝりかゝりかかりててて、、、ましてましてましていかにいかにいかにせせせむむんよよよとととからからからはははととと、、、泣な泣ななくくくがががうへうへうえににに又また又またまた泣な泣ななききき惑まど惑まどまどふふう人ひと人ひとひと多おほ多おほおおかりかりかり。。。ものものものはははいはいはいわねねねどどどまたまたまた心こころ心こころこころはははありありあり。。。目め目めめははは見み見みみゆるゆるゆる程ほど程ほどほどにににいたはしいたはしいたわしととと思おも思おもおもふふうべきべきべき人ひと人ひとひとよりよりよりきてきてきて「「「親おや親おやおやははは一ひと一ひとひと人り人りりやややはははあるあるある。。。などなどなどかくかくかくはははあるあるあるぞぞぞ」」」とてとてとてゆくゆくゆくをををせめせめせめててて入い入いいるれるれるればばば、、、のみのみのみなどなどなどしししててて見み見みみなどなどなどなほりなほりなおりもてもてもてゆくゆくゆく。。。さてさてさて猶なほ猶なほなお思おも思おもおもふふうにににもももいきいきいきたるたるたるまじきまじきまじき心ここ心ここここちちちするするするははは、、、このこのこの過す過すすぎぎぎぬるぬるぬる人ひと人ひとひとわらひわらひわらいつるつるつる日ひ日ひひごろごろごろものものものなどなどなどもももいはいはいわずずず、、、唯ただ唯ただただいふいふいうことことことゝゝとてててははは「「「かくかくかくものものものはかなくはかなくはかなくてててありありありふるふるふるををを夜よ夜よよ晝ひる晝ひるひる歎なげ歎なげなげきききにににしかしかしかばばば哀あは哀あはあわれれれいかにいかにいかにししし給たま給たまたまははわむむんずずずらむらむらん」」」とととしばししばししばしははは息いき息いきいきのののしたしたしたにににもももものものものせせせられられられしししををを、、、おもひおもひおもい出い出いいづるづるずるににに、、、かうかうこうまでまでまでもももあるあるあるなりなりなりけるけるける。。。人ひと人ひとひと聞き聞きききききつけつけつけてててものものものしししたりたりたり。。。我われ我われわれはははものものものももも覺おぼ覺おぼおぼえええねねねばばば知し知ししりりりももも知し知ししららられれれずずず。。。人ひと人ひとひとそそそあひあひあいててて「「「しかじかしかじかしかじかなむなむなんものものものししし給たま給たまたまひひいつるつるつる」」」ととと語かた語かたかたれれれははは、、、うちうちうち泣な泣ななききき、、、けがらひけがらひけがらいももも忌い忌いいむむむまじきまじきまじきさまさまさまにににありありありけれけれければばば、、、いといといとびんびんびんなかるなかるなかるべしべしべしなどなどなどみみみのののしししててて、、、立た立たたちちちながらながらながらなむなむなんそのそのそのほどほどほどのののありありありさまさまさまはははしもしもしもいといといと哀あは哀あはあわれれれににに志こころざし志こころざしこころざしあるあるあるやうやうようににに見み見みみえええけりけりけり。。。
  4. 4かくかくかくてててとかうとかうとこうものものものするするすることことことなどなどなどいたづらいたづらいたずら人びと人びとびと多おほ多おほおおくくくててて皆みな皆みなみなしししはてはてはてつつつ。。。今いま今いまいまはははいといといとあはれあはれあわれなるなるなる山やま山やまやま寺でら寺でらでらにににつどひつどひつどいてててつれづれつれづれつれづれとととありありあり。。。よるよるよる目め目めめもももあはあはあわぬぬぬまゝまゝままににに歎なげ歎なげなげきききあかしあかしあかしつゝつゝつつ山やま山やまやまづらづらずらををを見み見みみれれればばば霧きり霧きりきりぞぞぞげにげにげに麓ふもと麓ふもとふもとをををこめこめこめたりたりたり。。。京きやう京きやうきょうもももげにげにげにたたたがががもともともとへへへかかかははは出い出いいでででむむんとととすすすらむらむらん。。。いでいでいで猶なほ猶なほなおみみみながらながらながら死し死ししなななむむんととと思おも思おもおもへへえどどど、、、生い生いいくるくるくる人ひと人ひとひとぞぞぞいといといとつらきつらきつらきややや。。。
  5. 5かくかくかくててて十と十ととよよよ日か日かかににになりなりなりぬぬぬ。。。そうそうそうどもどもどもねぶつねぶつねぶつのののひまひまひまににに物もの物ものもの語がたり語がたりがたりするするするををを聞き聞ききけけけばばば、、、「「「このこのこのなくなくなくなりなりなりぬるぬるぬる人ひと人ひとひとのののあらはあらはあらわににに見み見みみゆるゆるゆる所ところ所ところところなむなむなんあるあるある。。。さてさてさて近ちか近ちかちかくくくよれよれよればばば消き消ききええよ失う失ううせせせぬぬぬなりなりなり。。。遠とほ遠とほとおうううてててははは見み見みみゆゆゆなりなりなり。。。いづれいづれいずれののの國くに國くにくにとととかかかやややみえくちみえくちみえくちのののとととなむなむなんいふいふいうなるなるなる」」」などなどなど口くち口くちくち々ぐち々ぐちぐち語かた語かたかたるるるををを聞き聞ききくくくににに、、、いといといと知し知ししらららまほしうまほしうまほしゅう悲かな悲かなかなしうしうしゅう覺おぼ覺おぼおぼえええてててかくかくかくぞぞぞいはいはいわるゝるゝるる、、、
  6. 6「「「ありありありとととだにだにだによそよそよそにににてててももも見み見みみむむむ名な名ななにににしししおはおはおわゞゞばわれわれわれかぎりかぎりかぎりせよせよせよ耳みみ耳みみみみくらくらくらののの山やま山やまやま」」」
  7. 7ととといふいふいうをををなるなるなる人ひと人ひとひと聞き聞きききききててて、、、それそれそれもももなくなくなくなくなくなく、、、
  8. 8「「「いづこいづこいずことととかかか音おと音おとおとにににのみのみのみ聞き聞ききくくくみゝくらみゝくらみみくらののの島しま島しましまがくれがくれがくれにににししし人ひと人ひとひとをををたづねたづねたずねむむん」」」。。。
  9. 9かくかくかくてててあるあるあるほどほどほどににに立た立たたちちちながらながらながらものものものしししててて人ひと人ひとひとににに問と問ととふふうめれめれめれどどど、、、唯ただ唯ただただ今いま今いまいまははは何なに何なになに心ごころ心ごころごころもももなきなきなきににに、、、からひからひからいののの心こころ心こころこころもともともとなきなきなき事こと事ことことおぼつかなきおぼつかなきおぼつかなき事こと事ことことなどなどなどむつかしきむつかしきむつかしきまでまでまで書か書かかきききつゞけつゞけつづけてててあれあれあれどどど、、、物もの物ものもの覺おぼ覺おぼおぼえええざりざりざりしししほどほどほどののの事こと事ことことなれなれなればばばにににややや、、、誠まこと誠まことまことにににいそがいそがいそがねねねどどど心こころ心こころこころにににしししまかせまかせまかせねねねばばば今日けふ今日けふきょう皆みな皆みなみな出い出いいででで立た立たたつつつ日ひ日ひひににになりなりなりぬぬぬ。。。こここししし時とき時ときときははは膝ひざ膝ひざひざににに臥ふ臥ふふししし給たま給たまたまへへえりりり人ひと人ひとひとをををいかでいかでいかでなりなりなりぬぬぬこここしししかかか安やす安やすやすらからからかにににととと思おも思おもおもひひいつゝつゝつつわわわがががみみみはははあせあせあせににになりなりなりつゝつゝつつさりともさりともさりともととと思おも思おもおもふふう心こころ心こころこころ添そ添そそひひいてててたのもしかりたのもしかりたのもしかりききき。。。にたみにたみにたみはははいといといとやすらかやすらかやすらかにににてててあさましきあさましきあさましきまでまでまでくつろかくつろかくつろかにににのこれのこれのこれたるたるたるにににももも道みち道みちみちすがらすがらすがらいみじういみじういみじゅう悲かな悲かなかなししし。。。おりおりおりててて見み見みみるるるにににもももさらにさらにさらにももも覺おぼ覺おぼおぼえええずずず悲かな悲かなかなししし。。。諸もろ諸もろもろ共とも共ともともににに出い出いいでででゐゐいつゝつゝつつつくろはつくろはつくろわせせせててて草くさ草くさくさなどなどなどもももわづらひわづらひわずらいしししよりよりより初はじ初はじはじめめめてててうちうちうち捨す捨すすてててたりたりたりけれけれければばば、、、生お生おおひひいこりこりこりててていろいろいろいろいろいろににに咲さ咲ささききき亂みだ亂みだみだれれれたりたりたり。。。わざとわざとわざとののの事こと事ことことなどなどなどももも皆みな皆みなみなおのおのおのとりとりとりどりどりどりすれすれすればばば我われ我われわれはははたゞたゞただつれづれつれづれつれづれとととながめながめながめをををのみのみのみしししててて「「「一ひと一ひとひとむらむらむらすゝきすゝきすすきむしむしむしののの音ね音ねねののの」」」とととのみのみのみぞぞぞいはいはいわるゝるゝるる。。。
  10. 10「「「手て手ててふれふれふれねねねどどど花はな花はなはなはははさかりさかりさかりににになりなりなりにににけりけりけりとゞめとゞめとどめおきおきおきけるけるける露つゆ露つゆつゆにににかゝりかゝりかかりててて」」」なななとととぞぞぞ覺おぼ覺おぼおぼゆるゆるゆる。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

そうは言っても、母という人がいる間は頼りにしてやってきたのに、母は長く患って、秋の初めのころに亡くなってしまった。まったくどうしようもなく、つらいことは世間の人にもまさっていた。大勢いる子の中で、私は母に死に遅れまい、遅れまいと取り乱していたが、そのとおり、どうしたことだろう、手足などがただすくみにすくんで、息も絶えそうになる。

そうはいっても、あとのことを頼んでおくべき人(兼家)は京にいた。山寺でこんな目に遭ったので、幼い子(道綱)を引き寄せて、やっとのことで言うには、「私ははかなく死ぬようです。あちら(父上)に申し上げることは、私の身の上のことはどうか構わないでください。この(母上の)ご葬儀のことを、人々がする上にも、どうかお見舞いくださいと申し上げなさい」と言って、どうしようとばかり言って、それきり口もきけなくなってしまった。

長い間患ってこうなった母のことは、今はもう言ってもかいのないことにして、皆が私にかかりきりになって、「ましてどうしよう、あとを追われては」と、泣いた上にまた泣き惑う人が多かった。口はきけないけれど、意識はある。目は見える程度だった時に、私をいとおしく思ってくれるはずの人(父)がやって来て、「親は一人だけか(私もいるではないか)。どうしてこんなふうになるのだ」と言って、薬湯を無理に口に入れたので、飲んだりしているうちに、だんだん持ち直していった。さて、それでもやはり、生きていられそうにない気持ちがするのは、この亡くなった人(母)が患っていた日々、ものもあまり言わず、ただ口にすることといっては、「こうして頼りなく暮らしているのを、私が夜昼嘆いていたので、ああ、私が死んだらどうなさるのでしょう」と、息も絶え絶えに言っていたのを思い出すと、こんなにまで悲しいのであった。あの人も聞きつけてやって来た。私は何もわからないので、知ることもできない。侍女が応対して、「これこれでございました」と話すと、あの人は泣いて、穢れも気にしない様子だったので、「たいへん不都合なことでございましょう」などと言うと、立ったまま、その間の様子は、たいそうしみじみと誠意のあるように見えた。

こうして葬送のことなどは、手のあいた人が多くて、皆がやってしまった。今はひどく物寂しい山寺に集まって、所在なく過ごしている。夜も眠れないまま、嘆き明かしては山の方を見ると、霧がほんとうに麓をとじこめている。京へも、ほんとうに誰のもとへ帰ろうというのか。いっそこのまま死んでしまおうと思うけれど、生きている子(道綱)のことを思うと、それがたいそうつらいのだ。

こうして十日余りになった。僧たちが念仏の合間に話をしているのを聞くと、「この亡くなった人の姿がはっきり見える所があるのです。そうして近くに寄ると、消え失せてしまうそうです。遠くからなら見えるのだそうです。どこの国とかいう、みみらくの島というそうだ」などと口々に話すのを聞くと、ほんとうに知りたく、悲しく思われて、こう口にした。

「せめて母がいるということだけでも、よそながら見たいもの。耳楽(みみらく)という名を持っているなら、私に聞かせておくれ、みみらくの山よ」

と言うのを、兄にあたる人が聞いて、その人も泣きながら、

「どこにあるというのか、うわさにばかり聞くみみらくの島に隠れてしまった人を、たずねて行けるだろうか」。

こうしているうちに、あの人は(穢れに触れないよう)立ったままやって来ては、人に様子を尋ねるようだが、私は今は何の考えもないのに、穢れの間の気がかりなこと、心配なことなどを、うるさいほど書き連ねてよこすけれど、気も動転していた頃のことなので、よく覚えていない。本当は急ぎたくはないけれど、思うにまかせないので、今日みな山寺から帰る日になった。来る時は、私の膝に母を寝かせて、どうにかして楽にしてあげたいと思いながら、わが身は汗にまみれて、それでもと思う心も添って、頼もしい思いがしていた。帰りは、たいそうゆったりとして、あきれるほど広々とした車の中で、道中ずっとひどく悲しい。家に着いて車から降りて見るにつけても、まったく何もわからないほど悲しい。母と一緒に縁先に出て座っては手入れをさせていた草なども、母が患ってからはうち捨てていたので、生い茂って、色とりどりに咲き乱れていた。法事などのことも皆それぞれが受け持ってするので、私はただ所在なく物思いにふけってばかりいて、「ひとむらすすき虫の音の」とばかり口ずさんでいた。

「手を触れないのに、花は盛りになったことだ。母が残しておいた露(恵み)のおかげで」と思われる。

意訳

〔母の死〕康保元年の秋、作者の母が山寺で亡くなった。母の後を追いたいと取り乱す作者は、自分も意識を失いかけ、幼い道綱に兼家への遺言を託すほどだった。父に励まされて持ち直すが、生前の母が「この子はどうなるのか」と嘆いていた言葉を思い出すと、生きていられないほどつらい。

〔兼家の弔問〕知らせを聞いた兼家は、死の穢れもいとわず駆けつけ、作者の容態を聞いて泣いた。その後も穢れに触れないよう「立ちながら」の弔問を重ね、こまごまと心配する手紙を送ってくる。夫婦の不和の中にあって、兼家の誠意がはっきり書きとめられた場面である。

〔みみらくの島〕僧たちの話によれば、遠くからなら亡き人の姿が見える「みみらく」という島があるという。作者は「せめてよそながら見たい」と詠み、兄も「どこにあるのか」と嘆く。母のいない家に帰ると、母と手入れした庭の草花だけが咲き乱れていた。

語釈・文法注

みえくちの島
底本の本文は「みえくち」で、注記に「みみらく」の異文がある。肥前の五島列島の西にあるとされた「みみらくの島」。死者に会える島と信じられた。歌の「耳くら」「みゝくら」も同じ。
せうと
兄弟。ここでは作者の兄の藤原理能(まさよし)。

文法

「せむかくなく」
底本どおり。注記に「た」の異文があり、「せむかたなく」(どうしようもなく)と解する。
「絕え入るやうこす」
底本どおり。注記に「に」の異文があり、「絶え入るやうにす」と解する。
「な知り給ひそ」
「な…そ」は禁止。構わないでください。
「いふかしなきもの」
底本の注記に「ひ」の異文があり、「言ふかひなきもの」と解する。
「人そあひて」
底本どおり。注記に「に」の異文があり、侍女が応対して、と解する。
「などみのして」
底本どおり。注記に「も」の異文があり、「などものして」と解する。
「からひの心もとなき事」
底本どおり。注記に「な」の脱字かとあり、「けがらひの」(穢れの)と解される。
「膝に臥し給へり人をいかでなりぬこしか安らかにと」
底本どおりで意味がとりにくい。通行本文は「膝に臥し給へりし人を、いかで安らかにと」とし、母を膝に寝かせて、どうにか楽にと、と解される。
「にたみは」
底本どおり。注記に「こ」の異文があり、「こたみは」(今度は)と解する。
「一むらすゝきむしの音の」
『古今和歌集』の「君が植ゑし一むらすすき虫の音のしげき野辺ともなりにけるかな」(御春有助)を口ずさむ。

和歌

ありとだによそにても見む名にしおはゞわれかぎりせよ耳くらの山

詠者
道綱母(作者)
状況
亡き人の姿が見えるという「みみらくの島」の話を聞いて詠んだ歌。

修辞

掛詞
「みみらく」に「耳」を響かせ、名に負うなら母のことを私の耳に聞かせよ、と呼びかける。

いづことか音にのみ聞くみゝくらの島がくれにし人をたづねむ

詠者
藤原理能(作者の兄)
状況
作者の歌を聞いた兄が、泣きながら詠んだ歌。

修辞

掛詞
「島がくれ」に、島の陰に隠れると、人が亡くなることを重ねる。

手ふれねど花はさかりになりにけりとゞめおきける露にかゝりて

詠者
道綱母(作者)
状況
山寺から帰って、母と手入れした庭の草花が咲き乱れているのを見て詠んだ歌。

修辞

見立て
花を育てた「露」に、母の遺した恵みと、作者の涙を重ねる。

解説

作者の母は、康保元年(964)秋に亡くなった。母は娘の結婚を案じつづけ、病床でも「この子はどうなるのか」と嘆いていた。上巻で、作者が兼家との不和を書くとき、いつもその背後には母の存在があった(第4章で、町の小路の女の衣装の仕立てを気の毒がったのも母である)。その母を失ったことは、作者にとって最大の支えを失うことであった。

この章では、ふだん冷淡に描かれる兼家が、穢れもいとわず駆けつけ、作者の容態を聞いて涙を流す姿が書かれている。死の穢れに触れると一定期間参内できないため、「立ちながら」(座らずに立ったまま)見舞うのが作法だったが、兼家は最初は気にせず入ってこようとした。作者は「いと哀れに志あるやうに見えけり」と、夫の誠意を素直に認めている。

「みみらくの島」は、肥前の国の五島列島(今の長崎県)の西のはてにあるとされた島で、死者の姿が見えるという伝承があった。のちに『散木奇歌集』などにも詠まれる。母を慕う作者と兄のやりとりは、残された家族の悲しみを伝えている。

関連

出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、44–47頁(コマ25–26)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日