蜻蛉日記 上巻 第6章
兼家の長歌と章明親王
作者の長歌に、兼家も長歌で応える。悪いのはあなたのほうだと言い返し、最後は「かたかひの駒」と道綱にことよせて結ぶ。駒の歌の応酬を経て、二人の仲はやや持ち直す。その後、兼家は兵部大輔となり、上司の兵部卿章明親王と、作者もまじえて機知に富んだ歌を交わす。
- 1さてさてさてかれかれかれよりよりよりかくかくかくぞぞぞあるあるある、、、
- 2「「「折折おりりりそめそめそめしししときときときのののもみぢもみぢもみじのののさだめさだめさだめなくなくなくうつろふうつろふうつろういろいろいろははは
- 3さささのみのみのみににに逢逢あふふうあきあきあきごとごとごとににに常常つねならならならぬぬぬなげきなげきなげきのののしたしたしたののの
- 4木木こののの葉葉はにににはははいとゞいとゞいとどいひいひいい置置おくくくはつはつはつしもしもしもにににふかきふかきふかきいろいろいろにににややや
- 5なりなりなりにににけむけむけんおもふおもふおもうおもひおもひおもいののの絕絕たえええもももせせせずずずいつしかいつしかいつしかまつまつまつののの
- 6みどりみどりみどり子子ごををを行行ゆきききてててははは見見みむむむとととするがするがするがなるなるなる田田た子子ごのののうらうらうらなみなみなみ
- 7立立たちちちよれよれよれどどどふじふじふじのののやまやまやまべべべのののけぶりけぶりけぶりにににはははふすぶるふすぶるふすぶることことことののの
- 8絕絕たえええもももせせせずずずあまあまあまぐもぐもぐもとととのみのみのみたなびけたなびけたなびけばばば絕絕たえええぬぬぬ我我わががが身身みははは
- 9しらしらしらいといといとのののまひまひまいくるくるくるほどほどほどをををおもはおもはおもわじじじとととあまたあまたあまたのののひとひとひとののの
- 10せせせにににすれすれすればばば身身みははははしはしはしたかたかたかのののすゞろすゞろすずろにににてててなつくるなつくるなつくるやどやどやどののの
- 11なけれなけれなければばばぞぞぞふるふるふるにににかへるかへるかえるまにまにまにまにまにまにははは飛飛とびびびくれくれくれ事事ことののの
- 12ありありありしかしかしかばばばひとりひとりひとりふすまふすまふすまのののとことことこにににしししててて寢寢ねざめざめざめのののつきつきつきののの
- 13眞眞ま木木きののの戶戶とにににひかりひかりひかりのこさのこさのこさずずずもりもりもりてててくるくるくるかげかげかげだにだにだに見見みえええすすす
- 14ありありありしししよりよりよりうとむうとむうとむこゝろこゝろこころぞぞぞつきつきつきそめそめそめしししたれたれたれかかかよよよづまづまずまととと
- 15あかしあかしあかしけむけむけんいかなるいかなるいかなるいろいろいろのののおもきおもきおもきぞぞぞととといふいふいうはははこれこれこれこそこそこそ
- 16つみつみつみならしならしならしとととはははあふくまあふくまあうくまのののあひあひあいももも見見みでででかゝらかゝらかからぬぬぬひとひとひとににに
- 17かゝれかゝれかかれかしかしかしなになになにのののいはいはいわ木木きののの身身みならならならぬぬぬはははおもふおもふおもうこゝろこゝろこころももも
- 18いさめいさめいさめぬぬぬにににうらうらうらのののはまはまはまゆふゆふゆういくいくいくかさねかさねかさねいいいだてだてだてはてはてはてつるつるつる
- 19からからからころもころもころもなみだなみだなみだのののかはかはかはにににそぼつそぼつそぼつともともともおもひしおもひしおもいしいでいでいでばばば
- 20たきたきたきものゝものゝもののこのこのこの目目めばかりばかりばかりはははかわきかわきかわきなむなむなんかひかひかいなきなきなきことことことははは
- 21甲甲か斐斐ひのののくにくにくにつみつみつみのののみみみににに荒荒あるゝるゝるる馬馬うまのののいかでいかでいかでかかかひとひとひとははは
- 22かけかけかけとめとめとめむむんとととおもふおもふおもうものものものからからからたらちねたらちねたらちねののの親親おやととと知知しるるるらむらむらん
- 23かたかたかたかひかひかいのののこまこまこまやややこひこひこいつゝつゝつついなかいなかいなかせせせむむんとととおもふおもふおもうばかりばかりばかりぞぞぞ
- 24あはれあはれあわれなるなるなるべきべきべき」」」
- 25とととかかか。。。使使つかいあれあれあればばばかくかくかくものものものすすす、、、
- 26「「「なつくなつくなつくべきべきべき人人ひとももも放放はなてててばばばみちみちみちのののくくくのののうまやうまやうまやかぎりかぎりかぎりにににあらあらあらむむんとととすすすらむらむらん」」」。。。
- 27いかゞいかゞいかが思思おもひひいけむけむけんたちたちたちかへりかへりかえり、、、
- 28「「「われわれわれがががなななをををををおふりふりふりののの駒駒こまのののあれあれあればばばこそこそこそなつくなつくなつくにににつかつかつかぬぬぬ身身みとととももも知知しららられれれめめめ」」」。。。
- 29かへしかへしかへしまたまたまた、、、
- 30「「「こまこまこまぞぞぞげにげにげになりなりなりまさりまさりまさりつゝつゝつつなつけなつけなつけぬぬぬをををこここ繩繩づな絕絕たえええずずずぞぞぞ賴賴たのみみみ來來きにににけりけりけり」」」。。。
- 31又又また、、、かへしかへしかへし、、、
- 32「「「白白しら川川かわののの關關せきのののせけせけせけばばばやややこまこまこまうくうくうくてててあまたあまたあまたののの日日ひをををばばばひきひきひき渡渡わたりりりつるつるつる」」」。。。
- 33あさてあさてあさてばかりばかりばかりははは逢坂逢坂おうさかとととぞぞぞあるあるある。。。時時ときははは七月七月しちがつ五日五日いつかのののことことこと、、、ながきながきながき物物もの忌忌いみにににさしさしさし籠籠こもりりりたるたるたるほどほどほどににに、、、かくかくかくありありありしししかへりかへりかえりごとごとごとにににははは、、、
- 34「「「天天あまののの河河がわ七日七日なぬかををを契契ちぎるるるこゝろこゝろこころあらあらあらばばばほしほしほしあひあひあいばかりばかりばかりのののかげかげかげををを見見みよよよとととややや」」」。。。
- 35ことことことはははかりかりかりにににもももややや思思おもひひいけむけむけん。。。すこしすこしすこし心心こころをををとめとめとめたるたるたるやうやうようにににててて月月つき頃頃ごろににになりなりなり行行ゆくくく。。。
- 36めざましめざましめざましととと思思おもひひいししし所所ところははは今今いまははは天天てん下下かのののわざわざわざをををししし騷騷さわぐぐぐととと聞聞きけけけばばば心心こころ安安やすししし。。。むかしむかしむかしよりよりよりののの事事ことをををばばばいかゞいかゞいかがはははせせせむむん。。。堪堪たへへえがたくがたくがたくともともとも、、、我我わががが宿宿すく世世せののの怠怠おこたりにににこそこそこそあああめれめれめれなどなどなど心心こころをををちゞちゞちぢににに思思おもひひいなしなしなしつゝつゝつつありありあり經經ふるるるほどほどほどににに、、、少納言少納言しょうなごんののの年年とし經經へててて、、、よつよつよつのののしなしなしなににになりなりなりぬれぬれぬればばば、、、殿殿てん上上じょうもももおりおりおりててて、、、つかさつかさつかさめしめしめしにににいといといとねぢけねぢけねじけたるたるたるをのをのおのゝゝの大大たいなどなどなどゝゝといはいはいわれれれぬれぬれぬればばば、、、世世よののの中中なかをををいといといとうとましげうとましげうとましげにににててて、、、こゝこゝここかしこかしこかしこ通通かよふふうよりよりより外外ほかのののありきありきありきなどなどなどもももなけれなけれなければばば、、、いといといとのどかのどかのどかにににててて二三日二三日ふつかみかなどなどなどありありあり。。。さてさてさてかくかくかく心心こころもももゆかゆかゆかぬぬぬつかさつかさつかさのののかみかみかみのののよりよりよりかくかくかくのたまへのたまへのたまえりりり、、、
- 37「「「みだれみだれみだれ糸糸いとのののつかさつかさつかさ一一ひとつつつににになりなりなりてててしもしもしもくるくるくる事事ことのののなどなどなど絕絕たえええにににたるたるたるらむらむらん」」」。。。
- 38御御おおんかへりかへりかえり、、、
- 39「「「絕絕たゆゆゆととといへいへいえばばばいといといとぞぞぞ悲悲かなしきしきしき君君きみににによりよりより同同おなじじじつかさつかさつかさにににくるくるくるかひかひかいもももなくなくなく」」」。。。
- 40又又また立立たちちちかへりかへりかえり、、、
- 41「「「夏夏なつ引引ひきのののいといといとことわりことわりことわりやややふたふたふためめめみみみめめめよりよりよりありくありくありくまままににに程程ほどののの經經ふるるるかもかもかも」」」。。。
- 42御御おおんかへりかへりかえり
- 43「「「泣泣なくくくばかりばかりばかりありありありてててこそこそこそあれあれあれ夏夏なつ引引ひきのののいとまいとまいとまやややはははなきなきなき一一ひと目目め二二ふた目目めににに」」」。。。
- 44又又また宮宮みやよりよりより、、、
- 45「「「君君きみととと我我われ猶猶なおしらしらしらいといといとのののいかにいかにいかにしししてててうきうきうきふしふしふしなくなくなくててて絕絕たえええむむんとととぞぞぞ思思おもふふう。。。
- 46ふたふたふためめめみみみめめめはははげにげにげに少少すくなくくくしししてててけりけりけり。。。いみいみいみあれあれあればばばとゞめとゞめとどめつつつ」」」とととのたまへのたまへのたまえるるる御御おおんかへりかへりかえり、、、
- 47「「「世世よをををふふふともともとも契契ちぎりりりおきおきおきてててししし中中なかよりよりよりはははいとゞいとゞいとどゆゝしきゆゝしきゆゆしき事事ことももも見見みゆゆゆらむらむらん」」」
- 48ととと聞聞きこえええらるらるらる。。。そのそのその頃頃ころ五月五月ごがつ二十日二十日はつかよるよるよるばかりばかりばかりよりよりより四十九日四十九日しじゅうくにちののの忌忌いみたがへたがへたがえむむんとてとてとて、、、ありありありたたたありきありきありきののの所所ところにににわたりわたりわたりたるたるたるににに、、、宮宮みやたゞたゞただ垣垣かきをををつつつだるだるだる所所ところにににわたりわたりわたり給給たまひひいてててあるあるあるにににみなみなみな月月づきばかりばかりばかりかけかけかけててて雨雨あめいたういたういとう降降ふりりりたるたるたるににに、、、たれたれたれももも降降ふりりりこめこめこめられられられたるたるたるなるなるなるべしべしべし。。。こなたこなたこなたにににはははあやしきあやしきあやしき所所ところなれなれなればばばもりもりもりぬるぬるぬるさわぎさわぎさわぎをををするするするににに、、、かくかくかくのたまへのたまへのたまえるるるぞぞぞいとゞいとゞいとどものものものくるほしきくるほしきくるおしき、、、
- 49「「「つれづれつれづれつれづれのののながめながめながめのののうちうちうちにににそゝぐそゝぐそそぐらむらむらんことことことのののすぢすぢすじこそこそこそをかしかりをかしかりおかしかりけれけれけれ」」」。。。
- 50かへりかへりかえり、、、
- 51「「「いづこいづこいずこにににもももながめながめながめのののそゝぐそゝぐそそぐころころころなれなれなればばば世世よにににふるふるふる人人ひとはははのどけからのどけからのどけからじじじををを」」」。。。
- 52又又また、、、のたまへのたまへのたまえりりり、、、「「「のどけからのどけからのどけからじじじとととかかか、、、
- 53天天あめののの下下した騷騷さわぐぐぐこゝろこゝろこころもももおほおほおおみづみづみずにににたれたれたれもももこひこひこい路路じにににぬれぬれぬれざらざらざらめめめやややははは」」」。。。
- 54御御おおんかへりかへりかえり、、、
- 55「「「世世よとととともともともにににかつかつかつみるみるみる人人ひとののの戀戀こい路路じをををもももほすほすほす世世よあらあらあらじじじととと思思おもひひいこそこそこそやれやれやれ」」」。。。
- 56又又また、、、宮宮みやににに、、、
- 57「「「しりしりしりもももゐゐいぬぬぬ君君きみはははぬるぬるぬるらむらむらんつねつねつねににに住住すむむむところところところにににははは又又また戀戀こい路路じだにだにだになしなしなし。。。
- 58さもさもさもけしからけしからけしからぬぬぬ御御おおんさまさまさまかなかなかな」」」などなどなどいひいひいいつゝつゝつつ諸諸もろ共共ともににに見見みるるる。。。あまあまあまゝゝまににに例例れいののの通通かよひひい所所どころにににものものものしししたるたるたる日日ひ例例れいののの御御おおん文文ふみありありあり。。。「「「おはせおはせおわせずずず」」」ととといへいへいえははは「「「猶猶なおとととのみのみのみのたまふのたまふのたまう」」」とてとてとて入入いれれれたるたるたるををを見見みれれればばば、、、
- 59「「「とことことこなつなつなつににに戀戀こいしきしきしきことことことややや慰慰なぐさみみみむむんきみきみきみがががかきかきかきほほほににに折折おるるるととと知知しらららずずずややや」」」。。。
- 60さてさてさてもももかひかひかいなけれなけれなければばばまかりまかりまかりぬるぬるぬるとととにににあるあるある。。。
現代語訳
さて、あの人からはこう言ってきた。
「初めて折りそめた(あなたと結ばれた)時の紅葉は、定めなく移ろう色が
そんなふうに秋の来るたびに変わるもので、常ならぬ嘆きの木の下の
木の葉には、いっそう霜が置き、その初霜に深い色に
なったのでしょうか。思う思いが絶えることもなく、早く松(待つ)の
みどり子(道綱)を行って見ようと、駿河にある田子の浦波のように
立ち寄るけれど、富士の山辺の煙のように、くすぶる(嫉妬する)ことが
絶えることもなく、空の雲のようにそっけなくたなびくばかりなので、絶えることのない私の身は
白糸を繰るように手繰り寄せようとは思うまいと、大勢の人(侍女たち)が
背を向けるので、わが身は、はし鷹のように所在なくて、なついて留まる宿も
ないので、もとの巣に帰るように、たまには飛んで来ることも
あったのに、一人寝の床で、目覚めた夜の月が
真木の戸に光を残さず漏れ入ってくる、その月影さえ見えない(あなたは姿を見せない)。
そういうことがあってから、疎む心がつきはじめたのです。いったい誰が夜の妻として
夜を明かしたというのでしょう。どんな色が重い罪かといえば、これこそ
罪であるらしい。逢わずに(私を)避けるような人とは違う人に
心を掛けなさいというのか。何の岩木でもない身なのだから、思う心も
抑えないのに、浦の浜木綿のように、幾重にも隔てを置いてしまったのは(あなたのほう)。
唐衣が涙の川に濡れても、思い出してくれたら、
薫物の籠の目(この目)ばかりは乾くでしょう。かいのないことは、
甲斐の国の都留の牧に荒れる馬を、どうして人が
繋ぎとめておけようと思うものの、その母(親)だと知るでしょう、
片親の子馬(道綱)が母を恋いながら、いななこうかと思うばかりこそ
あわれなことです」
とか。使いが待っていたので、こう書いて送る。
「なつくはずの人(あなた)も手放してしまうので、陸奥の厩(うまや)のような私も、これが最後となるのでしょう」。
どう思ったのか、すぐに返事があって、
「私の名を、雄振りの駒(荒々しい駒)だと思っているからこそ、なつかない身だとも知られるのだろう」。
その返しにまた、
「駒はほんとうに、ますます荒々しくなってなつかないけれど、小綱を絶やさずに頼みにしてきたのです」。
また、その返し、
「白河の関が堰き止めたからか、駒が進まず、何日も引きずって過ごしてしまったよ」。
明後日あたりは逢坂(逢いに行く)と書いてある。時は七月五日のことで、あの人が長い物忌みにこもっていた時に、こうあった返事には、
「天の川で七日に逢おうと契る心があるなら、せめて星合いほどの姿を見よというのですか」。
道理だとでも思ったのだろうか。少し心をとめたようになって、何か月かが過ぎていく。
目障りだと思っていた所(町の小路の女)は、今ではさんざんな目にあって騒いでいると聞くので、気が晴れる。昔からのことは、どうしようもない。耐えがたくても、わが宿縁の至らなさのためなのだろうなどと、心をあれこれと思い直しながら過ごしているうちに、あの人は少納言として年を経て、四位になったので、殿上の役も退いて、司召(除目)でひどくひねくれた兵部大輔などに任じられてしまったので、世の中をひどくうとましく思っている様子で、あちこちの女の所に通うほかには出歩くこともないので、たいそうのんびりとして、二、三日などこちらにいる。さて、こうして気に入らない役所の長官である宮(兵部卿章明親王)から、こう仰せがあった。
「乱れ糸のように、同じ司(役所)の一つになってからというもの、来ることがどうして絶えてしまったのだろう」。
あの人のお返事に、
「絶えるとおっしゃると、たいそう悲しいことです。あなた様のせいで、同じ役所に来るかいもなくて」。
また、すぐに宮から、
「夏引きの糸のように、まことにもっともだ。二人、三人の女の所を歩き回っているうちに、時が過ぎてしまうのだね」。
お返事に、
「泣くほどのことはあっても、夏引きの糸のように、一目、二目の女の所に行く暇などあるでしょうか」。
また宮から、
「あなたと私は、やはり白糸のように、なんとか憂き節(つらい結び目)もなく、すっぱり縁を切りたいと思うよ。
二人、三人とは、なるほど少なく言ったものだ。物忌みなので、これでやめておく」とおっしゃったお返事に、
「世を経ても、契りを結んだ仲よりは、いっそう不吉なことも見えることでしょう」
と申し上げた。その頃、五月二十日の夜ごろから、四十九日の忌みの方角を避けようとして、受領として地方を回っている人(父)の所に移っていたところ、宮がちょうど垣根を隔てた所にお移りになっていて、六月いっぱい雨がひどく降ったので、誰もが降りこめられていたのであろう。こちらは粗末な家なので、雨漏りの騒ぎをしていると、こうおっしゃってきたのが、いっそう物狂おしいことだった。
「つれづれの長雨の物思いの中で、そそいでいるらしいその筋(雨の筋・お二人の仲)こそ、おもしろいことだ」。
お返事に、
「どこでも長雨の降りそそぐ頃なので、世に経る(降る)人は、のどかではいられないでしょうに」。
また、仰せがあって、「のどかでないとか。
天の下が騒ぐ心も大水で、誰もが恋路に濡れないことがあろうか」。
お返事に、
「いつも一方で逢っている人の恋路でさえ、乾く時はあるまいと思いやられます」。
また、宮に、
「落ち着いて座ってもいられないあなたは濡れているでしょう。いつも住んでいる所には、また恋路さえありません。
なんとまあ、けしからぬご様子ですね」などと言いながら、二人で一緒に見る。雨の晴れ間に、あの人がいつもの通い所へ出かけた日に、いつもの宮のお手紙が来た。「お留守です」と言うと、「それでも」とばかりおっしゃって差し入れたのを見ると、
「常夏に恋しい思いが慰められるだろうか。あなたの垣根で花を折るとは知らないのか」。
「それでもかいがないので、帰ります」とあった。
意訳
〔兼家の長歌〕作者の長歌に、兼家も同じ長歌で応える。その言い分は、「私が通わなくなったのは、あなたがくすぶってばかりで、侍女たちまで背を向けるからだ」というもの。作者の「罪」を逆に責めながら、最後は「母を恋う片親の子馬(道綱)」にことよせて、やはり道綱のためにも縁は切れないと結ぶ。兼家なりの誠意とも、巧みな言い逃れとも読める。
〔駒の歌〕作者は「なつく(なつかせる)べき人まで放す」と応じ、兼家は「私を荒馬だと思っているからだ」と返す。駒、小綱、白河の関と、馬の縁語でやりとりが続くうちに、二人の仲は少し持ち直し、兼家は七夕の頃には逢いに来ると約束する。
〔章明親王との贈答〕その後、兼家は意に染まない兵部大輔に任じられ、仕事もないまま作者の家でのんびり過ごす。上司の兵部卿章明親王は、出仕しない兼家を「乱れ糸」「夏引の糸」とからかい、兼家の女性関係まで話題にする。親王の家と垣根ひとつ隔てて住んだ夏、長雨と恋路をめぐる軽妙な歌のやりとりには、作者も加わった。苦しい結婚生活の中でも、こうした明るいひとときがあったことを、日記は伝えている。
語釈・文法注
- 大輔
- 八省の次官。兼家は応和二年(962)に兵部大輔となった。四位の少納言から兵部省の次官への転任は、不本意なものだったらしい。
- かみの宮
- 兵部省の長官(兵部卿)である章明親王(924〜990)。醍醐天皇の皇子。
文法
- 「いだてはてつる」
- 底本どおり。注記に「へ」の異文があり、「隔て果てつる」と解される。
- 「親と知るらむ」
- 底本どおり。注記に「も」かとある。
- 「われがなををふりの駒の」
- 底本どおり。注記に「ち」の異文がある。「をふり」は荒々しくふるまうこと。通行本文は「われが名を尾ぶちの駒の」。
- 「ことはかりにもや」
- 底本どおり。注記に「わり」の二字の脱字かとあり、「ことわりにもや」と解する。
- 「天下のわざをし騷ぐ」
- 底本の頭注によれば、これ以下の数行は流布本にない本文で、異本によって補ったもの。「天下のわざ」は、ありとあらゆるひどい目。
- 「をのゝ大輔」
- 底本どおり。通行本文は「兵部の大輔」。
- 「ありたありきの所」
- 底本どおり。注記に「かる」の脱字かとあり、「県ありき(地方官として地方を回る人)の所」と解する。作者の父倫寧の家。
- 「垣をつだる所」
- 底本どおり。注記に「へ」「つ」の脱字かとあり、「垣を隔てたる所」と解する。
- 「あまゝに」
- 底本どおり。注記に「ま」かとあり、「雨間に」(雨の晴れ間に)と解する。
- 「まかりぬるとにある」
- 底本どおり。注記に「ぞ」かとあり、「まかりぬるとぞある」と解する。
和歌
折りそめしときのもみぢのさだめなくうつろふいろは…かたかひのこまやこひつゝいなかせむとおもふばかりぞあはれなるべき
- 詠者
- 藤原兼家
- 状況
- 作者の長歌(第5章)を持ち帰った兼家が返した長歌。
修辞
- 構成
- 作者の長歌と同じく秋の「もみぢ」から始め、通わなくなったのは作者の嫉妬と侍女たちの冷たさのせいだと反論し、最後は母を恋う子馬(道綱)の哀れさで結ぶ。
- 掛詞・縁語
- 「まつ」に「松」と「待つ」、「ふすぶる」に「燻ぶる」と嫉妬を掛ける。「甲斐のくに」「荒るゝ馬」「かたかひのこま」と、馬の縁語で道綱にことよせる。
なつくべき人も放てばみちのくのうまやかぎりにあらむとすらむ
- 詠者
- 道綱母(作者)
- 状況
- 兼家の長歌を持ってきた使いに託した返歌。
修辞
- 縁語
- 「なつく」「放つ」「うまや(厩)」と、兼家の「駒」に合わせて馬の縁語でまとめる。「みちのく」に父の任国をこめる。
白川の關のせけばやこまうくてあまたの日をばひき渡りつる
- 詠者
- 藤原兼家
- 状況
- 駒の歌の応酬の最後に、兼家が返した歌。
修辞
- 歌枕
- 陸奥の「白河の関」を出し、「せけば」に「堰けば」を掛け、駒が進まず、何日も来られなかったと言い訳する。
天の河七日を契るこゝろあらばほしあひばかりのかげを見よとや
- 詠者
- 道綱母(作者)
- 状況
- 七月五日、物忌みで籠もっていた兼家から、明後日には逢いに行くと言ってきたことへの返事。
修辞
- 見立て
- 七夕の牽牛・織女になぞらえ、年に一度の星合いほどにしか逢わないつもりかと皮肉る。
つれづれのながめのうちにそゝぐらむことのすぢこそをかしかりけれ
- 詠者
- 章明親王
- 状況
- 垣根ひとつ隔てて住んでいた夏、長雨で雨漏りに騒ぐ作者の家に贈った歌。
修辞
- 掛詞
- 「ながめ」に「長雨」と「眺め(物思い)」、「すぢ」に雨の筋と夫婦の仲のいきさつを掛ける。
解説
兼家の長歌は、作者の長歌への正面からの反論である。作者が兼家の心変わりを責めたのに対し、兼家は、通わなくなった原因は作者の嫉妬と冷たいもてなしにあると言い返す。どちらの言い分も一方的だが、日記が兼家の長歌をそのまま書き写していることは注目される。作者は、自分に都合の悪い夫の言葉も記録しており、そこにこの日記の書き手としての誠実さがある。
応和二年(962)、兼家は兵部大輔に任じられた。左右の大臣家の子息として順調に昇進してきた兼家にとって、武官の役所の次官は不本意な人事であった。仕事に身が入らず、作者の家で過ごす時間が増えたこの時期は、皮肉にも二人にとって穏やかな日々となった。
章明親王は醍醐天皇の皇子で、兵部卿として兼家の上司にあたる。日記には、親王が兼家をからかい、作者もそれに加わる軽妙なやりとりが書かれている。親王と兼家の贈答は、男同士の冗談まじりの社交であり、作者がそれを書きとめたことで、兼家の社交的で陽気な一面も伝わってくる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、38–42頁(コマ22–24)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日