和泉式部日記 第15章
北の方の退去
北の方の姉で東宮の女御である娍子から、噂を案じて里に戻るよう勧める文が届く。北の方は里帰りを決め、身の回りの物を片づけさせる。女房たちは女と宮を口々に非難し、迎えの車が来て邸は騒がしくなる。女は居づらさを感じながらも宮のそばに仕え続け、宮は北の方の退去を聞いても多くを語らない。
- 1御御おおん北北きたののの方方かたののの御御おおん姉姉あねははは、、、東宮東宮とうぐうのののにににてててさぶらひさぶらひさぶらい給給たまふふうががが、、、更更さらにににものものものししし給給たまふふうほどほどほどにににててて御御おおん文文ふみありありあり。。。「「「いかにいかにいかにぞぞぞこのこのこの頃頃ごろ人人ひとのののいふいふいうことことことありありあり。。。まことまことまことかかか我我われさへさへさへなむなむなん人人ひとげげげなうなうのうおぼゆるおぼゆるおぼゆる。。。夜夜よのののまままにににももも渡渡わたりりり給給たまへへえかしかしかし」」」とととあるあるあるににに
- 2かゝらかゝらかからぬぬぬ事事ことをををだにだにだに人人ひとはははいふいふいうをををましましましてててとととおぼすおぼすおぼすににに、、、いといといと心心こころ憂憂うくくくててて御御おおん返返かえりりり「「「承承うけたまわりりりぬぬぬいついついつももも思思おもふふうさまさまさまならならならぬぬぬ世世よののの中中なかののの、、、このこのこの頃頃ごろははは見見みぐるしきぐるしきぐるしき事事ことさへさへさへ侍侍はべりりりてててなむなむなん。。。
- 3あからさまあからさまあからさまににに參參まいりりり侍侍はべりりりててて宮宮みやたちたちたちをををももも見見み參參まいらせらせらせててて、、、心心こころももも慰慰なぐさめめめ侍侍はべらららむむんとととなむなむなん思思おもひひい給給たまふるふるうるををを、、、むかへむかへむかえににに給給たまははわせせせよよよ。。。これこれこれよりよりよりはははよもよもよも耳耳みみにににももも聞聞きききき入入いれれれ侍侍はべらららじじじととと思思おもひひい給給たまへへえてててなむなむなん」」」ととと聞聞きこえええ給給たまひひいててて、、、
- 4さるさるさるべきべきべき物物ものなどなどなどとりとりとりしたゝめしたゝめしたため給給たまひひいててて、、、むづかしきむづかしきむずかしき所所ところなどなどなどとりとりとりはらははらははらわせせせ給給たまふふう。。。「「「しばししばししばしかしこかしこかしこにににあらあらあらむむん。。。かくかくかくてててあれあれあればばばあぢきなくあぢきなくあじきなくこなたこなたこなたにににもももえええさしさしさし出出いででで給給たまははわぬぬぬももも、、、苦苦くるしうしうしゅう覺覺おぼえええ給給たまふふうらむらむらんににに」」」とととのたまふのたまふのたまうににに、、、
- 5人人ひと々々びと「「「いでいでいであさましきあさましきあさましき世世よののの中中なかののの人人ひとのののあざみあざみあざみ聞聞きこえええさするさするさする事事ことよよよ。。。まゐりまゐりまいりけるけるけるもももおはしましおはしましおわしましてててこそこそこそははは迎迎むかへへえさせさせさせおはしましおはしましおわしましけれけれけれ。。。すべてすべてすべていといといと目目めもももあやあやあやにににこそこそこそ侍侍はべるるるなるなるなる。。。かのかのかの局局つぼねににに侍侍はべるるるなるなるなるべしべしべし。。。
- 6晝晝ひるももも三三みたびたびたび四四よたびたびたびおはしますおはしますおわしますなりなりなり。。。いといといとよしよしよし。。。しばししばししばしこらしこらしこらし聞聞きこえええ給給たまへへえ。。。あまりあまりあまり物物もの聞聞きこえええさせさせさせおはしまさおはしまさおわしまさずずず」」」などなどなどにくみにくみにくみあへあへあえるるるににに、、、御御み心心こころにににもももいといといとむづかしうむづかしうむずかしゅう思思おぼしめすしめすしめす。。。
- 7さばれさばれさばれ苦苦くるしうしうしゅうもももなしなしなし、、、近近ちこうううだにだにだにももも見見み聞聞きこえええじじじとてとてとて「「「御御おおんむかへむかへむかえににに」」」ととと聞聞きこえええ給給たまへへえれれればばば、、、御御おおんののの君君きん達達だち女御女御にょうご殿殿どのののの御御おおんむかへむかへむかえにににまゐらせまゐらせまいらせたれたれたればばば、、、さささおぼしおぼしおぼしたりたりたり。。。
- 8御御おおんめのとめのとめのとののの曹曹ぞう司司しなるなるなるものものものどもどもども、、、むづかしきむづかしきむずかしきものものものどもどもどもなどなどなどはらはするはらはするはらわするはははととと聞聞ききききててて、、、「「「せんじせんじせんじかうかうかうかうこうこうしししててて渡渡わたらららせせせおはしますおはしますおわしますなりなりなり。。。春宮春宮とうぐうののの聞聞きかかかせせせおはしまさおはしまさおわしまさむむん事事ことももも侍侍はべりりり。。。おはしまいおはしまいおわしまいててて申申もうししし慰慰なぐさめめめ參參まいらせらせらせおはしませおはしませおわしませ」」」ととと騷騷さわぐぐぐををを見見みるるるもももいといといといとほしういとほしういとおしゅう苦苦くるしけれしけれしけれどもどもども、、、ともかくもともかくもともかくもいふいふいうべきべきべき事事ことにににしししあらあらあらねねねばばば唯唯ただ聞聞きききき居居いたりたりたり。。。
- 9かくかくかく聞聞ききききにくきにくきにくき所所ところしばししばししばしまかでまかでまかでばやばやばやととと思思おもへへえどどど、、、それそれそれもももうたてうたてうたてあるあるあるべけれべけれべければばば、、、唯唯ただ侍侍さぶらふふうももも猶猶なお物物もの思思おもひひいたゆたゆたゆまじきまじきまじき身身みかなかなかなととと思思おもふふう。。。
- 10宮宮みやおはしませおはしませおわしませばばばさりげなくさりげなくさりげなくててておはすおはすおわす。。。「「「まことまことまことにににややや女御女御にょうご殿殿どのにににわたりわたりわたり給給たまふふうととと聞聞きくくくははは、、、などなどなど車車くるまののの事事ことももものたまはのたまはのたまわせせせぬぬぬ」」」とととののの給給たまへへえばばば、、、「「「なになになにかかかあれあれあれよりよりよりとととあれあれあればばば」」」とてとてとてものものものももものたまはのたまはのたまわずずず。。。
- 11宮宮みやのののうへうへうえ御御おおん文文ふみ書書かききき、、、女御女御にょうご殿殿どのののの御御おおん言言こと葉葉ばざしざしざしもももあらあらあらあらあらあら書書かきききなしなしなしなめりなめりなめり。。。
現代語訳
北の方の姉君は東宮の女御としてお仕えしていらっしゃるが、ちょうど里に下がっていらっしゃるころで、(北の方のもとに)お手紙がある。「どうなっているのですか。このごろ人の噂していることがあります。本当ですか。わたしまで人並みに扱われていないように思われます。夜のうちにでも(こちらへ)いらっしゃいな」とあるので、
こんなことでなくてさえ人は噂するのに、ましてとお思いになると、たいそうつらくて、お返事に、「承りました。いつも思いどおりにならない夫婦の仲ですが、このごろは見苦しいことまでございまして。
ちょっとそちらへ参って、宮たち(女御の御子たち)にもお目にかかって、心を慰めようと思っておりますので、迎えをよこしてください。ここからは、もう(噂など)耳にも入れまいと思いまして」と申し上げなさって、
しかるべき物などを整理なさって、散らかった所などを片づけさせなさる。「しばらくあちらにいましょう。こうしていると、(宮が)おもしろくなく、こちら(北の方の対)にも顔をお出しになれないのも、心苦しくお思いでしょうから」とおっしゃると、
女房たちは「まあ、あきれた、世間の人がお噂申し上げていることといったら。(あの女が)参ったのも、(宮が)ご自身でいらっしゃってお迎えになったのですって。すべて目もあてられないことだそうです。あの局にいるのでしょう。
昼も三度も四度も(宮は)いらっしゃるそうです。けっこうですわ。しばらく(宮を)こらしめておあげなさいませ。あまりに(宮は北の方に)何もお話し申し上げなさらないのですもの」などと口々に憎み合っているので、(北の方は)お心の中でもたいそう不快にお思いになる。
ままよ、苦しいこともない、せめて近くで(二人を)見聞きすまいと思って、「お迎えを」と(女御に)申し上げなさったので、(北の方の)ご兄弟の君達が、女御殿のお迎えとして参上させたので、(北の方は)そのおつもりでいらっしゃる。
(宮の)乳母の部屋にいる者たちが、不快な物などを片づけさせているのはと聞いて、(女房たちが)「宣旨がこうこうして、(北の方が)お移りになるそうです。東宮がお聞きになることもございます。(宮が)いらっしゃって、慰めて差し上げなさいませ」と騒ぐのを見るのも、(女は)たいそう気の毒で苦しいけれど、どうこう言えることでもないので、ただ聞いていた。
こんな聞き苦しい所からしばらく退出したいと思うけれど、それもいやな噂の種になるだろうから、ただお仕えしているのも、やはり物思いの絶えることのない身だなと思う。
宮がいらっしゃると、(北の方は)何事もない様子でいらっしゃる。(宮が)「本当ですか、女御殿のもとへお移りになると聞いたのは。どうして車のことも言ってくださらないのか」とおっしゃると、「何の、あちらから(迎えをよこす)とありましたので」と言って、何もおっしゃらない。
宮の北の方のお手紙の書きぶりや、女御殿のお言葉づかいも、(ここに)あらあら書きつけたのであろう。
意訳
噂は宮邸の外にまで広がり、北の方の姉で東宮の女御である娍子から、「わたしまで面目を失う、すぐに帰っておいで」という文が届く。北の方は、もう耳にも入れたくないと里帰りを決め、身の回りを片づけさせる。宮に気をつかわせまいという言葉に、名門の娘の誇りがにじむ。
北の方の女房たちは、宮が自ら迎えに行ったこと、昼に三度も四度も女の局へ通うことを口々に言い立て、「宮をこらしめておやりなさい」とけしかける。女はそれを聞きながら、何も言えずに身を縮めている。宮邸に入れば濡れ衣が晴れると思った女の期待は、まったく逆の結果になった。
宮は「車のことも言わないのか」と問うが、北の方は「あちらから迎えが来るので」とだけ答えて口を閉ざす。夫婦の会話はそこで途切れ、日記もまた、北の方と女御の手紙の言葉を「あらあら書きなしたのだろう」という一文で、突然終わる。勝ち誇ることもなく、物思いの絶えない身を見つめる女の姿で、十か月の恋の記録は幕を閉じる。
語釈・文法注
- 東宮の女御
- 藤原済時の娘、娍子(972〜1025)。東宮居貞親王(のちの三条天皇)の女御で、のちに皇后。帥宮の北の方の姉。
- せうと
- 兄弟(せうと)。女性から見た男のきょうだい。北の方の兄弟で、藤原済時の子の藤原為任・通任らにあたる。
文法
- 「更にものし給ふほどにて」
- 底本のまま。通行本文では「里にものし給ふほど」。女御が宮中から里邸に下がっていたころ、の意に解した。
- 「承りぬいつも」
- 底本は「承りぬ」のあとに句点を打たない。
- 「すべていと目もあやにこそ侍るなる」
- 底本は「なる」の脇に異本の字を小字で注記する。本文は底本の大字に従った。
- 「せんじかうかうして」
- 「宣旨(せんじ)」は宮家の上席の女房。女房たちが、宣旨の手配で北の方が移るのだと噂している。
- 「宮のうへ御文書き…書きなしなめり」
- 書き手の注記のような結び。北の方や女御の手紙の言葉は、聞き伝えたものをおおよそ書いたのだろう、と断って日記を閉じる。
解説
日記は、北の方が宮邸を去るところで終わる。史実では、北の方はこのあと宮のもとに戻らなかったとされる。宮と和泉式部の関係はその後も続き、二人は賀茂祭の見物に一つの車で出かけて世の人を驚かせたことが『大鏡』などに伝わる。しかし宮は寛弘四年(1007)十月、二十七歳で亡くなった。
和泉式部は宮の死を悼む挽歌を百首以上詠み、のちに藤原道長の娘、中宮彰子に仕えた。同僚の紫式部は『紫式部日記』で「和泉式部といふ人こそおもしろう書きかはしける」と、その手紙と歌の才を認めつつ、身持ちには批判を加えている。
最後の一文「宮のうへ御文書き、女御殿の御言葉ざしもあらあら書きなしなめり」は、北の方側の手紙や会話は伝え聞いたものを大まかに書いたのだろう、という書き手の注記とも読める。自作説・他作説の議論でもしばしば取り上げられる一文である。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(和泉式部日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、454–456頁(コマ239–240)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
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