今鏡 第十「うちぎき」 第79章
奈良の御代
万葉集の成立をめぐる問答。聞き手が「万葉集はいつ作られたか」と問い、古今集の序の「ならの御時」と柿本人麻呂の時代とが合わないことを指摘する。語り手(老女)は、奈良の帝は一代ではなく、元明天皇以後の奈良朝の諸帝や平城天皇を指しうることを説き、人麻呂の活躍した時代、奈良の帝の御製の帰属、山上憶良撰者説などについて考証する。
- 1「「「此此こののの中中なかののの人人ひとののの、、、おぼつかなきおぼつかなきおぼつかなき事事こと、、、ついでについでについでに申申もうさんさんさん」」」。。。とてとてとて、、、「「「萬葉集萬葉集まんようしゅうははは、、、いづれのいづれのいずれの御時御時おおんとき、、、つくられつくられつくられ侍侍はべりけるぞりけるぞりけるぞ」」」。。。ととと問問とひしかばひしかばいしかば、、、「「「古今古今ここんににに、、、
- 2しぐれふりおけるならのしぐれふりおけるならのしぐれうりおけるならの葉葉はのなにおふのなにおふのなにおう宮宮みやのののふることぞこれふることぞこれふることぞこれ
- 3といふといふという歌歌うた侍侍はべりりり」」」。。。といひしにといひしにといいしに、、、「「「序序ついでににに、、、「「「かのおほんかのおほんかのおおん時時とき、、、おほきみつのおほきみつのおおきみつの位位くらい、、、柿本柿本かきのもとノノノなむなむなむ、、、歌歌うたのののひじりなりけるひじりなりけるひじりなりける」」」。。。とあるにとあるにとあるに、、、かのかのかの人丸人丸ひとまろははは、、、かのかのかの御時御時おおんときよりもよりもよりも、、、昔昔むかしののの歌歌うたよみとよみとよみと見見みゆるゆるゆるををを、、、萬葉集萬葉集まんようしゅうつくれるつくれるつくれる時時ときよりよりより、、、古今古今ここんえらばれたるえらばれたるえらばれたる時時ときまでまでまで、、、年年としはははもゝとせもゝとせももとせあまりあまりあまり、、、世世よははは十十とおつぎとあればつぎとあればつぎとあれば、、、とつぎといはゞとつぎといはゞとつぎといわば、、、同同おなののの御代御代みよととと聞聞きこえたるにこえたるにこえたるに、、、百百ももとせとせとせ餘餘あまりといふりといふりというははは、、、さきのさきのさきの事事ことときこゆるときこゆるときこゆる上上うえににに、、、人丸人丸ひとまろはははあがりたるあがりたるあがりたる世世よののの人人ひとととと見見みえたればえたればえたれば、、、えなむあるまじきえなむあるまじきえなむあるまじき。。。いかゞいかゞいかが」」」ととと問問とへばへばへば、、、「「「誠誠まことにおぼつかなきことにおぼつかなきことにおぼつかなきことををを、、、かくこまかにかくこまかにかくこまかに尋尋たずねさせねさせねさせ給給たまふこそふこそうこそ、、、いといといと心心こころにくゝにくゝにくく」」」。。。
- 4とてとてとて、、、「「「ならのみかどゝならのみかどゝならのみかどと申申もうさんことさんことさんこと、、、大大だい同同おなののの御世御世みよのみにもあらずやのみにもあらずやのみにもあらずや侍侍はべらんらんらん。。。明明あ天皇天皇てんのう奈良奈良ならののの都都みやこににに、、、和銅三年和銅三年わどうさんねんののの春春はるのころのころのころ、、、始始はじめてめてめて遷遷うつらせらせらせ給給たまひけるにひけるにいけるに、、、屋屋やののの原原はらににに、、、御輿御輿みこしとゞめてとゞめてとどめて、、、藤原藤原ふじわらのののふるさとふるさとふるさとををを顧顧かえりみみみ給給たまひてひていて、、、
- 5とぶとぶとぶ鳥鳥とりのあすかののあすかののあすかの里里さとをををおきていなばおきていなばおきていなば君君きみががが邊邊べははは見見みえずかもあらむえずかもあらむえずかもあらむ
- 6とよませとよませとよませ給給たまへりへりえり。。。はしのはしのはしの目錄目錄もくろくにもにもにも、、、御歌御歌おおんうたとてとてとて、、、かきつらねてかきつらねてかきつらねて侍侍はべるめりるめりるめり。。。寧樂寧樂ならはははならのといひならのといひならのといい名名なつくるなるべしつくるなるべしつくるなるべし。。。かくてかくてかくて後後のち七七しち八代八代やしろははは、、、奈良奈良ならののの都都みやこにぞおはしましけるにぞおはしましけるにぞおわしましける。。。
- 7そのそのその御世御世みよどもにもどもにもどもにも侍侍はべらんらんらん。。。ならのみかどとならのみかどとならのみかどと申申もうすすす御代御代みよははは、、、三代三代さんだいおはしますかとおはしますかとおわしますかと申申もうすすす人人ひともありとぞもありとぞもありとぞ聞聞ききききはべりしはべりしはべりし。。。原原はらのみかどののみかどののみかどの御時御時おおんとき、、、長岡長岡ながおかののの京京きょうにわたりにわたりにわたり給給たまひてひていて、、、十年十年じゅうねんばかりありてばかりありてばかりありて、、、このこのこの平平たいらののの京京きょうにににははは遷遷うつらせらせらせ給給たまひてひていて、、、そのそのその御子御子みこののの大大だい同同おなののの帝帝みかどももも、、、このこのこの京京きょうののの後後のちなれどもなれどもなれども、、、平城平城ならとととははは、、、おりたまひておりたまひておりたまいて後後のち、、、べちのべちのべちの御名御名みななるべしなるべしなるべし。。。
- 8萬葉集萬葉集まんようしゅうににに、、、人丸人丸ひとまろががが歌歌うたどものどものどもの入入いりたるとりたるとりたると聞聞きききき侍侍はべりしにもりしにもりしにも、、、柿柿かきノノノ本本ほん人麿人麿ひとまろ集集しゅうにいでたりにいでたりにいでたり。。。などいひてなどいひてなどいいて、、、其其そののの世世よののの人人ひととととははは、、、きこえずなんきこえずなんきこえずなん侍侍はべるうちにるうちにるうちに、、、奈良奈良ならののの京京きょうのさきよりものさきよりものさきよりも、、、人丸人丸ひとまろががが歌歌うたははわ、、、多多おおくくく見見みえええ侍侍はべるめりるめりるめり。。。
- 9見見み原原はらのみかどののみかどののみかどの、、、吉野吉野よしのののの宮宮みやににに、、、みゆきしたまひけるにもみゆきしたまひけるにもみゆきしたまいけるにも、、、よめるよめるよめる歌歌うた侍侍はべるめりるめりるめり。。。ののの皇皇おう太子太子ひつぎのみこ、、、安安やす騎騎き野野のににに宿宿やどりりり給給たまふふう時時ときののの歌歌うたとてもとてもとても侍侍はべるめりるめりるめり。。。
- 10文文ふみ武武ぶののの御事御事おおんことなるべしなるべしなるべし。。。又又また人丸人丸ひとまろががが讃讃さぬとてとてとて、、、いづれのいづれのいずれの博士博士はかせかかか。。。作作つくられたるにられたるにられたるにははは、、、「「「持持も統統とう文文ふみ武武ぶののの聖聖ひじり朝朝あしたにつかへにつかへにつかえ、、、新田新田にいた高市高市たけちののの皇子皇子みこにあへりにあへりにあえり」」」。。。
- 11となむとなむとなむ侍侍はべるめるるめるるめる。。。かくてかくてかくて奈良奈良ならののの御世御世みよまでありてまでありてまでありて、、、聖聖ひじり武武ぶののの御時御時おおんときなどにもなどにもなどにも、、、あひあひあい奉奉たてまつりけるにやあらんりけるにやあらんりけるにやあらん。。。ととと申申もうすすす人人ひとあるべしあるべしあるべし。。。誠誠まことににに奈良奈良ならののの都都みやこののの時時ときにににははは、、、ありけんとありけんとありけんと、、、おぼえおぼえおぼえ侍侍はべるるる事事ことははは、、、そのかみそのかみそのかみ人丸人丸ひとまろといふといふという集集あつ、、、所々所々ところどころきゝきゝきき侍侍はべりしにりしにりしに、、、天天てん平平へい勝勝すぐ寶寶ほう五年五年ごねんののの春春はる三月三月さんがつ、、、左大臣左大臣さだいじん卿卿きょうののの家家いえににに、、、諸卿諸卿まえつぎみ大夫大夫だいぶたちたちたち宴宴えんししし給給たまひけるにひけるにいけるに、、、あるじのおとゞあるじのおとゞあるじのおとど、、、問問とひてのたまはくひてのたまはくいてのたまわく、、、「「「古歌古歌ふるうたにもにもにも、、、
- 12あさもよひきのあさもよひきのあさもよいきの關守關守せきもりがたつかがたつかがたつか弓弓ゆみゆるすゆるすゆるす時時ときなくまつゑめるきみなくまつゑめるきみなくまつえめるきみ
- 13といふといふという歌歌うたのののはじめはじめはじめ、、、いかゞいかゞいかが」」」ととと侍侍はべりければりければりければ、、、式部卿式部卿しきぶきょう石川石川いしかわ卿卿きょう答答こたへへえ給給たまへることなどへることなどえることなど侍侍はべるるるははは、、、姫姫ひめのみかどののみかどののみかどの御時御時おおんときにこそにこそにこそ侍侍はべるなれるなれるなれ。。。このこのこのほどまでほどまでほどまで、、、年年としたけてたけてたけて侍侍はべれどもれどもれども、、、大大だい同同おなののの御時御時おおんときまでまでまでははは、、、いかゞいかゞいかがはははさのみもさのみもさのみも侍侍はべらんらんらん」」」。。。
- 14といふにといふにというに、、、古今古今ここん序序ついでににに、、、「「「いにしへよりかくいにしへよりかくいにしえよりかく傳傳つたはるうちにはるうちにわるうちに、、、ならのならのならの御時御時おおんときよりぞよりぞよりぞ、、、ひろまりけるひろまりけるひろまりける。。。かのかのかの御世御世みよややや、、、歌歌うたののの心心こころををを、、、知知しろしめしたりけんろしめしたりけんろしめしたりけん。。。かのかのかの御時御時おおんとき、、、人丸人丸ひとまろなんなんなん、、、ひじりなりけるひじりなりけるひじりなりける。。。かゝりけるさきのかゝりけるさきのかかりけるさきの歌歌うたををを、、、あはせてなんあはせてなんあわせてなん、、、萬葉集萬葉集まんようしゅうとなづけられたりけるとなづけられたりけるとなずけられたりける」」」。。。
- 15とかけるとかけるとかけるははは、、、人丸人丸ひとまろががが世世よにえらばれたるやうにこそにえらばれたるやうにこそにえらばれたるようにこそ、、、聞聞きこゆれこゆれこゆれ」」」。。。といへばといへばといえば、、、「「「誠誠まことににに心得心得こころえ難難がたきことにきことにきことに侍侍はべるるる。。。そのそのその間間まににに、、、詞詞ことば多多おおくくく侍侍はべるるる上上うえににに、、、おしおしおしはははかりかりかり思思おもひたまふるにひたまふるにいたまうるに、、、貫之貫之つらゆきひがごとひがごとひがごとををを、、、かくべきにもあらずかくべきにもあらずかくべきにもあらず。。。たとひあやまちたりともたとひあやまちたりともたといあやまちたりとも、、、みかどのみかどのみかどの御覽御覽ごらんじとがめずやじとがめずやじとがめずやははは侍侍はべらんらんらん。。。しかあればしかあればしかあれば、、、古今古今ここんののの詞詞ことばにつきてにつきてにつきて、、、なずらへなずらへなずらえ試試こころみるにみるにみるに、、、ならのならのならの御時御時おおんときよりよりよりひろまりたるとひろまりたるとひろまりたると侍侍はべるるる、、、人丸人丸ひとまろががが、、、あひあひあい奉奉たてまつれるれるれる御世御世みよととと聞聞きこえたりこえたりこえたり。。。「「「このこのこの人々人々ひとびとをををおきておきておきて、、、又又またすぐれたるすぐれたるすぐれたる人々人々ひとびとももも、、、吳竹吳竹くれたけのよゝにのよゝにのよよに聞聞きこえこえこえ、、、かたかたかた糸糸いとのののより〳〵により〳〵によりよりに絕絕たえずなんありけるえずなんありけるえずなんありける。。。さきのさきのさきの歌歌うたをををあはせてなんあはせてなんあわせてなん、、、萬葉集萬葉集まんようしゅうとなづけられたりけるとなづけられたりけるとなずけられたりける」」」。。。といふといふというははは、、、赤人赤人あかいと、、、人丸人丸ひとまろががが、、、のちののちののちの世々世々よよににに、、、よめるよめるよめる歌歌うたどもどもどもをををあはせてあはせてあわせて、、、大大だい同同おなののの御代御代みよにににははは、、、作作つくられたりともやられたりともやられたりともや心得心得こころえべからんべからんべからん。。。ならのならのならの帝帝みかどといふといふというははは、、、同同おな名名なにおはしませばにおはしませばにおわしませば、、、ひとつことなるやうなれどもひとつことなるやうなれどもひとつことなるようなれども、、、萬葉集萬葉集まんようしゅうののの時時ときにににははは、、、人丸人丸ひとまろがよのあがよのあがよのあはははねばねばねば、、、ひとつひとつひとつ世世よにににはははあらざるべしあらざるべしあらざるべし。。。
- 16龍田川龍田川たつたがわ紅葉紅葉もみじみだれてみだれてみだれて流流ながるめりわたらばるめりわたらばるめりわたらば錦錦にしき中中なかややや絕絕たえなむえなむえなむ
- 17とよませとよませとよませ給給たまへるへるえるははは、、、人丸人丸ひとまろがあひがあひがあい奉奉たてまつれるれるれる御代御代みよののの、、、御歌御歌おおんうたなるべきにやあらんなるべきにやあらんなるべきにやあらん。。。古今古今ここん序序ついでににに、、、たつたたつたたつた川川がわにながるゝにながるゝにながるる紅葉紅葉もみじははは、、、帝帝みかどののの御目御目おおんめにににははは錦錦にしきととと見見みえええ、、、吉野山吉野山よしのやまののの櫻櫻さくらははは、、、人丸人丸ひとまろががが目目めにににははは雲雲くもかとぞおぼえけるかとぞおぼえけるかとぞおぼえける。。。とあればとあればとあれば、、、後後のちのみかどののみかどののみかどの御製御製ぎょせいとととははは聞聞きこえざるべしこえざるべしこえざるべし。。。
- 18ふるさとゝふるさとゝふるさとと成成なりにしならのりにしならのりにしならの都都みやこにもにもにも色色いろはははかはらずかはらずかわらず花花はなぞぞぞ咲咲さきけるきけるきける
- 19とよませとよませとよませ侍侍はべりけるりけるりけるははは、、、大大だい同同おなののの御製御製ぎょせいなるべしなるべしなるべし。。。昔昔むかしののの奈良奈良ならのみかどならばのみかどならばのみかどならば、、、ふるさとゝよませふるさとゝよませふるさととよませ給給たまふべからずふべからずうべからず。。。このこのこの御歌御歌みゅうたははわ、、、ならのみかどのならのみかどのならのみかどの御歌御歌おおんうたとてとてとて、、、古今古今ここんののの春春はるノノノ下下したににに、、、入入いれたてまつれりれたてまつれりれたてまつれり。。。
- 20もみぢのもみぢのもみじの錦錦にしきののの御歌御歌みゅうたははわ、、、秋秋あき下下したににに、、、よみよみよみ人人ひとしらずしらずしらず。。。あるあるある人人ひとならのみかどのならのみかどのならのみかどの御歌御歌おおんうたなりとなんなりとなんなりとなん侍侍はべるもるもるも、、、少少すこしのかはるしるししのかはるしるししのかわるしるし、、、なきにもあらずなきにもあらずなきにもあらず。。。
- 21然然しかあるのみにあらずあるのみにあらずあるのみにあらず。。。もしもしもし同同おなじみかどとじみかどとじみかどと申申もうすすすははは、、、おぼつかなきおぼつかなきおぼつかなき所所ところ多多おおくくく、、、もしあらぬもしあらぬもしあらぬ御時御時おおんときならばならばならば、、、同同おなじじじ御名御名みなにてにてにて、、、まがはせまがはせまがわせ給給たまひぬべきひぬべきいぬべき上上うえににに、、、目錄目錄もくろくどもにもどもにもどもにも、、、
- 22萩萩はぎののの露露つゆ玉玉たまにぬかんとゝれにぬかんとゝれにぬかんととれはははけぬよしけぬよしけぬよし見見みむむむ人人ひとははは枝枝えだながらながらながら見見みよよよ
- 23といふといふという御歌御歌みゅうたももも、、、よみよみよみ人人ひとしらずしらずしらず。。。あるあるある人人ひと、、、ならのみかどのならのみかどのならのみかどの御歌御歌おおんうたなりなりなり。。。といふといふというををを加加くわへてへてえて、、、三三さん首首くびおなじおなじおなじ御時御時おおんときなるやうになるやうになるように見見みゆるゆるゆるははは、、、目錄目錄もくろくのあやまれるにやあらんのあやまれるにやあらんのあやまれるにやあらん。。。
- 24おぼつかなきおぼつかなきおぼつかなき事事こと、、、能能よくくく思思おもひひい定定さだめつべからんめつべからんめつべからん人人ひとににに、、、尋尋たずねねね申申もうさせさせさせ給給たまふべきふべきうべき事事ことなるべしなるべしなるべし」」」。。。といふにといふにというに、、、「「「それそれそれははは忽忽たちまちににに、、、定定さだめえがたくめえがたくめえがたく侍侍はべるなりるなりるなり。。。又又またこのついでにこのついでにこのついでに、、、尋尋たずねねね申申もうさんとてさんとてさんとて、、、萬葉集萬葉集まんようしゅうははは、、、ががが撰撰えらべるべるべる、、、といふといふという人人ひとあるあるあるははは、、、しかしかしか侍侍はべりけるにやりけるにやりけるにや」」」。。。
- 25ととと問問とへばへばへば、、、「「「いかでかいかでかいかでか。。。さやうのことさやうのことさようのことははは。。。そのそのその時時ときののの人人ひとにもにもにも侍侍はべらずらずらず。。。そのそのその道道みちにもあらぬにもあらぬにもあらぬ身身みははは、、、こまかにきゝとゞむべきにもこまかにきゝとゞむべきにもこまかにききとどむべきにも侍侍はべらずらずらず。。。しかしかしかははは侍侍はべれどれどれど、、、億良億良おくらがががなどになどになどにははは、、、遙遙はるかなるかなるかなる人人ひととみえてこそとみえてこそとみえてこそ、、、萬葉萬葉まんようにににはひきのせはひきのせはいきのせ侍侍はべるなれるなれるなれ。。。天天てん平平へい五年五年ごねんノノノ歌歌うたにもにもにも、、、筑前筑前ちくぜん守守かみ億良億良おくらなどいひてなどいひてなどいいて侍侍はべるなるるなるるなるははは遙遙はるかにかにかに先先さきののの人人ひとにこそにこそにこそ侍侍はべるなれるなれるなれ。。。大大だい同同どうにににはははあらずやあらずやあらずや侍侍はべりけんりけんりけん」」」。。。などこそなどこそなどこそ申申もうしめりしかしめりしかしめりしか。。。
現代語訳
「このついでに、はっきりしないことを申しましょう」といって、(聞き手が)「万葉集はどの御代に作られたのでしょうか」と尋ねたところ、(語り手は)「古今集に、
神無月に時雨が降り置いた楢の葉のように、名に負う奈良の宮の古い事柄(を集めたもの)なのですよ、これは。
という歌がございます」と言ったので、(聞き手は)「古今集の序に『あの御代に、正三位柿本人麻呂が歌の聖であった』とあるのに、あの人麻呂はあの(奈良の)御代よりも昔の歌詠みと見えるのに、(また序には)万葉集を作った時から古今集が撰ばれた時まで、年は百年余り、代は十代とあるので、十代といえば大同(平城天皇)の御代と聞こえるのに、百年余りというのはもっと前のことと聞こえる上に、人麻呂は古い時代の人と見えるので、(つじつまが)合わないでしょう。どうでしょう」と問うと、(語り手は)「本当にはっきりしないことを、このように細かくお尋ねになるのこそ、たいそう奥ゆかしいことです」といって、「奈良の帝と申すことは、大同の御代だけではないのではないでしょうか。元明天皇が奈良の都に和銅三年(710)の春ごろ初めて遷られた時に、長屋の原に御輿を止めて、藤原の古京を振り返られて、
飛ぶ鳥の明日香の里を置いて行ってしまったら、あなたのあたりは見えなくなってしまうのだろうか。
とお詠みになりました。(万葉集の)端の目録にも「寧楽の御歌」として書き連ねてあるようです。寧楽は「なら」と名づけるのでしょう。こうして後、七、八代は奈良の都にいらっしゃいました。その御代々にもございましょう。奈良の帝と申す御代は三代いらっしゃるのかと申す人もあると聞きました。柏原の帝(桓武)の御代に長岡京に遷られて、十年ほどあって、この平安京に遷られて、その御子の大同の帝(平城)も、この京(に遷った)後の方だけれど、「平城」とは譲位された後の別の御名なのでしょう。万葉集に人麻呂の歌などが入っていると聞きましたのも、「柿本人麻呂歌集に出ている」などと言って、その時代の人とは聞こえないうちに、奈良の都より前の時代にも、人麻呂の歌は多く見えるようです。浄御原の帝(天武)が吉野の宮に行幸された時にも、詠んだ歌があるようです。軽の皇太子が安騎野に宿られた時の歌というのもあるようです。文武天皇のことでしょう。また人麻呂の讃といって、どの博士が作ったものか、『持統・文武の聖朝に仕え、新田・高市の皇子に会った』とあるようです。こうして奈良の御代まで生きていて、聖武の御代などにもお仕えしたのだろうか、と申す人もあるでしょう。本当に奈良の都の時代にはいたのだろうと思われることは、その昔、人麻呂集というものを所々聞きましたところ、天平勝宝五年(753)の春三月、左大臣橘卿(諸兄)の家で諸卿大夫たちが宴をなさった時、主人の大臣が問うておっしゃるには、『古歌にも、
紀の関守が持つ手束弓のように、緩める時もなく(私が)待ち焦がれているあなた。
という歌の初め(の句)はどうか』とあったので、式部卿石川卿がお答えになったことなどがあるのは、高野姫の帝(孝謙)の御代のことでございます。このころまでは年をとっていても(生きていたのでしょうが)、大同の御代まではどうしてそうもございましょう」と言うと、(聞き手は)「古今集の序に『古からこのように伝わる中で、奈良の御代から広まった。あの御代は歌の心をご存じだったのだろう。あの御代に人麻呂が聖であった。このような先の歌を合わせて万葉集と名づけられた』と書いてあるのは、人麻呂の時代に撰ばれたように聞こえます」と言うと、(語り手は)「本当に納得しがたいことでございます。その間に言葉が多くございます上に、推し量って思いますに、貫之が間違ったことを書くはずもありません。たとえ誤ったとしても、帝がご覧になってとがめないことがありましょうか。そうであれば、古今集の言葉について比べて考えてみると、奈良の御代から広まったとありますのは、赤人・人麻呂がお仕え申し上げた御代と聞こえます。『この人々をおいて、またすぐれた人々も、呉竹の節々(代々)に聞こえ、片糸の撚り撚りに絶えずあった。先の歌を合わせて万葉集と名づけられた』というのは、赤人・人麻呂より後の代々に詠んだ歌などを合わせて、大同の御代に作られたとも解釈できるでしょうか。奈良の帝というのは同じ名でいらっしゃるので、一つのことのようだけれど、万葉集の時には人麻呂の時代と合わないので、同じ時代ではないのでしょう。
竜田川に紅葉が乱れて流れているようだ。渡ったら錦が途中で切れてしまうだろうか。
とお詠みになったのは、人麻呂がお仕え申し上げた御代の御歌なのでしょうか。古今集の序に「竜田川に流れる紅葉は帝の御目には錦と見え、吉野山の桜は人麻呂の目には雲かと思われた」とあるので、後の帝の御製とは聞こえないでしょう。
古里となってしまった奈良の都にも、色は変わらず花が咲いていることだ。
とお詠みになったのは、大同(平城天皇)の御製なのでしょう。昔の奈良の帝ならば、「古里」とはお詠みになるはずがありません。この御歌は「奈良の帝の御歌」として古今集の春下に入れ申し上げてあります。紅葉の錦の御歌は秋下に「よみ人しらず。ある人、奈良の帝の御歌なり」とありますのも、少し違うしるしがないわけでもありません。そればかりではありません。もし同じ帝と申すなら、はっきりしない所が多く、もし別の御代ならば、同じ御名で紛れてしまわれるはずの上に、目録などにも、
萩の露を玉として貫こうと取ると消えてしまう。(だから)見ようとする人は枝のままで見なさい。
という御歌も「よみ人しらず。ある人、奈良の帝の御歌なり」というのを加えて、三首が同じ御代のように見えるのは、目録が誤っているのでしょうか。はっきりしないことは、よく考え定めることのできる人にお尋ねになるべきことでしょう」と言うと、(聞き手は)「それはすぐには決めがたいことでございます。またこのついでにお尋ねしようと思いますが、万葉集は憶良が撰んだという人がいるのは、そうなのでしょうか」と問うと、(語り手は)「どうして(そうでしょう)。そのようなことは。(私は)その時代の人でもございません。その道の者でもない身は、細かく聞き留めるはずもございません。そうではございますが、憶良の類聚歌林などは、はるか昔の人(の著作)と見えるからこそ、万葉集には引用して載せているのです。天平五年(733)の歌にも『筑前守憶良』などと言っておりますのは、はるかに前の人でございます。大同の御代ではなかったのではないでしょうか」などと申したようでした。
意訳
巻十の二章目は、万葉集の成立時期と撰者をめぐる問答。古今集の仮名序は「ならの御時」に万葉集が成ったとし、柿本人麻呂を同時代の人としているが、古今集から「百年余り、十代」さかのぼると平城天皇(大同)の御代になり、人麻呂の時代と合わない。聞き手はこの矛盾を突く。
語り手は、「奈良の帝」は一人ではなく、元明天皇以降の奈良朝の諸帝を指しうるとし、人麻呂は天武・持統・文武朝に活躍したと考証する。さらに古今集の「奈良の帝の御歌」三首のうち、「ふるさとゝ成りにしならの都にも」は平城天皇の作だが、「竜田川」は人麻呂と同時代の帝の作であろうと論じる。章題の「奈良の御代」はこれによる。
最後に、山上憶良撰者説を否定し、憶良の『類聚歌林』は万葉集に引用されるほど古い文献であるとする。今鏡の語り手が、和歌史に深い学識を持つ人物として描かれている。
語釈・文法注
- 神無月しぐれふりおける
- 古今集・雑下、文屋有季の歌。清和天皇に万葉集の成立時期を問われて答えた歌。
- 古今序
- 古今和歌集の仮名序。紀貫之の作。
- 柿本ノ人丸
- 柿本人麻呂。飛鳥時代の歌人。歌聖と仰がれた。
- 大同の御代
- 平城天皇(774〜824)の御代。大同は年号。
- 元明天皇
- 元明天皇(661〜721)。和銅三年(710)に平城京に遷都した。
- 長屋の原
- 大和国の地名。藤原京から平城京への途中。
- 寧樂
- 奈良。
- 柏原のみかど
- 桓武天皇(737〜806)。平安京に遷都した。
- 淨見原のみかど
- 天武天皇(?〜686)。飛鳥浄御原宮で即位した。
- 輕の皇太子
- 軽皇子。のちの文武天皇。人麻呂が安騎野での遊猟に従って歌を詠んだ。
- 左大臣橘卿
- 橘諸兄(684〜757)。
- 高野姫のみかど
- 孝謙天皇(718〜770)。
- 赤人
- 山部赤人。奈良時代の歌人。人麻呂と並び称される。
- 億良
- 山上憶良(660〜733?)。奈良時代の歌人。『類聚歌林』を編んだ。
- 類聚歌林
- 山上憶良が編んだ歌集。現存しない。万葉集に引用がある。
文法
- えなむあるまじき
- 「え…まじ」で、とても…ないだろう。(つじつまが)合わないだろう。
- みかどの御覽じとがめずやは侍らん
- 帝がご覧になってとがめないことがありましょうか、いやとがめるはずです。反語。
和歌
神無月しぐれふりおけるならの葉のなにおふ宮のふることぞこれ
- 詠者
- 文屋有季(古今集)
- 状況
- 清和天皇に万葉集の成立時期を問われて答えた歌。
修辞
- 掛詞
- 「なら」に「楢」と「奈良」、「ふる」に「降る」と「古」をかける。
- 序詞
- 「神無月しぐれふりおけるならの葉の」が「なにおふ」を導く。
とぶ鳥のあすかの里をおきていなば君が邊は見えずかもあらむ
- 詠者
- 元明天皇
- 状況
- 和銅三年、平城京遷都の途中、藤原京を振り返って詠んだ歌(万葉集)。
修辞
- 枕詞
- 「とぶ鳥の」は「あすか」にかかる。
あさもよひきの關守がたつか弓ゆるす時なくまつゑめるきみ
- 詠者
- 古歌
- 状況
- 橘諸兄の宴で話題になった古歌。
修辞
- 枕詞
- 「あさもよひ」は「き(紀)」にかかる。
- 序詞
- 「きの關守がたつか弓」が「ゆるす」を導く。
龍田川紅葉みだれて流るめりわたらば錦中や絕えなむ
- 詠者
- 奈良の帝(古今集・よみ人しらず)
- 状況
- 竜田川の紅葉を詠んだ歌。
修辞
- 見立て
- 川面の紅葉を錦に見立てる。
ふるさとゝ成りにしならの都にも色はかはらず花ぞ咲きける
- 詠者
- 平城天皇(古今集)
- 状況
- 旧都となった奈良の花を詠んだ歌。
萩の露玉にぬかんとゝれはけぬよし見む人は枝ながら見よ
- 詠者
- 奈良の帝(古今集・よみ人しらず)
- 状況
- 萩の露を詠んだ歌。
解説
万葉集の成立をめぐる議論は平安時代から続く難問で、今鏡のこの章は院政期の歌学の水準を示す貴重な資料となっている。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、410〜416頁(コマ220–223)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日