今鏡 第十「うちぎき」 第80章
作り物語の行方
今鏡の結び。ある人が、紫式部は源氏物語という作り話を書いた罪で地獄に堕ちたと言われるのを嘆くと、語り手の老女は、物語は人の心を導くもので妄語ではなく、仏も譬喩で法を説いたと弁護する。供の童が反論すると、老女は源氏物語が人に無常を悟らせ仏道へ導く功徳を説く。日が暮れて老女と別れた筆者は、再び会えなかったことを悔やむ。
- 1又又またありしありしありし人人ひとののの、、、「「「誠誠まことにやにやにや。。。むかしのむかしのむかしの人人ひとののの作作つくりりり給給たまへるへるえる源氏源氏げんじののの物語物語ものがたりににに、、、さのみかたもなきことのさのみかたもなきことのさのみかたもなきことの、、、なよびなよびなよび艶艶えんなるなるなるををを、、、草草ぐさかきあつめかきあつめかきあつめ給給たまへるによりてへるによりてえるによりて、、、ののの世世よのけぶりとのみのけぶりとのみのけぶりとのみ、、、消消きえたまふこそえたまふこそえたまうこそ、、、えんにえならぬつまなれどもえんにえならぬつまなれどもえんにえならぬつまなれども、、、あぢきなくあぢきなくあじきなく、、、とぶらひとぶらひとぶらい聞聞きこえまほしくこえまほしくこえまほしく」」」。。。
- 2などいへばなどいへばなどいえば、、、返事返事かえりごとにににははは、、、「「「誠誠まことににに世世よののの中中なかにににははは、、、かくのみかくのみかくのみ申申もうししし侍侍はべれどれどれど、、、理理ことわりりり知知しりたるりたるりたる人人ひとののの侍侍はべりしりしりしははは、、、やまとにもやまとにもやまとにも、、、もろこしにももろこしにももろこしにも、、、ふみつくりふみつくりふみつくり、、、人人ひとののの心心こころをををゆるかしゆるかしゆるかし、、、暗暗くらききき心心こころををを導導みちびくくくははは、、、常常つねのことなりのことなりのことなり。。。などいふべきになどいふべきになどいうべきにはははあらずあらずあらず。。。わがわがわが身身みになきことになきことになきことをををありありあり顏顏がおににに、、、げに〳〵といひてげに〳〵といひてげにけにといいて、、、人人ひとにわろきみにわろきみにわろきみををを、、、よしとよしとよしと思思おもはせなどするこそはせなどするこそわせなどするこそ、、、そらごとなどそらごとなどそらごとなどはははいひていひていいて、、、罪罪つみうるうるうる事事ことにてにてにてはははあれあれあれ。。。これこれこれはははあらましごとなどやあらましごとなどやあらましごとなどや、、、いふべからんいふべからんいうべからん。。。ともともとも、、、などなどなどはははいふともいふともいうとも、、、さまでさまでさまで深深ふかききき罪罪つみにににははは、、、あらずやあらんあらずやあらんあらずやあらん。。。生生いきとしいけるきとしいけるきとしいける者者ものののの命命いのちををを失失うしなひひい、、、あるとしあるあるとしあるあるとしある人人ひとののの、、、寳寳ぼうををを奪奪うばひとりなどするひとりなどするいとりなどする、、、深深ふかききき罪罪つみあるもあるもあるも、、、ののの底底そこににに沈沈しずむらめどもむらめどもむらめども、、、いかなるいかなるいかなる報報むくいありなどいありなどいありなど聞聞きこゆるこゆるこゆる事事こともなきにもなきにもなきに、、、これこれこれははは却却かえりてりてりて、、、怪怪あやしくもおぼゆべきしくもおぼゆべきしくもおぼゆべき事事ことなるべしなるべしなるべし。。。人人ひとののの心心こころつけんことつけんことつけんことははは、、、功德功德くどくとこそなるべけれとこそなるべけれとこそなるべけれ。。。なさけなさけなさけをををかけかけかけ、、、艶艶えんならんによりてならんによりてならんによりてははは、、、ののの業業わざとととはははなるともなるともなるとも、、、奈落奈落ならくににに沈沈しずむむむ程程ほどのことやのことやのことやははは侍侍はべらんらんらん。。。此此こののの世世よのことだにのことだにのことだに、、、知知しりがたくりがたくりがたくはべれどはべれどはべれど、、、もろこしにもろこしにもろこしに、、、白樂天白樂天はくらくてんととと申申もうしたるしたるしたる人人ひとははは、、、なゝそぢのなゝそぢのななそじの、、、卷物卷物まきものをををつくりてつくりてつくりて、、、詞詞ことばをををいろへいろへいろえ、、、たとへたとへたとえをををとりてとりてとりて人人ひとののの心心こころををを進進すすめめめ給給たまふなどきこえたまふもふなどきこえたまふもうなどきこえたまうも、、、ののの化身化身けしんとこそとこそとこそははは申申もうすめれすめれすめれ。。。佛佛ほとけもももなどいひてなどいひてなどいいて、、、なきなきなき事事ことををを作作つくりりり出出いだしだしだし給給たまひてひていて、、、說說ときおききおききおき給給たまへるへるえるははは、、、虛妄虛妄こもうならずとこそならずとこそならずとこそははは侍侍はべるなれるなれるなれ。。。女女おんなののの御身御身おおんみにてにてにて、、、さばかりのことさばかりのことさばかりのことををを、、、作作つくりりり給給たまへるへるえるははは、、、たゞたゞただ人人ひとにににはははおはせぬやうもやおはせぬやうもやおわせぬようもや侍侍はべらんらんらん。。。などなどなど申申もうすすす、、、やんごとなきやんごとなきやんごとなきひじりたちのひじりたちのひじりたちの、、、女女おんなになりになりになり給給たまひてひていて、、、法法ほうををを說說ときてこそきてこそきてこそ、、、人人ひとををを導導みちびききき給給たまふなれふなれうなれ」」」。。。
- 3といへばといへばといえば、、、供供ともににに具具ぐしたるしたるしたる、、、わらわらわらはははののの聞聞ききていふやうきていふやうきていうよう、、、「「「女女おんなになりてになりてになりて、、、導導みちびきたまふこときたまふこときたまうことははは、、、ののの、、、みかどみかどみかどををを導導みちびきてきてきて、、、佛佛ほとけのみもとにすゝめなどしのみもとにすゝめなどしのみもとにすすめなどし給給たまひひい、、、ののの、、、親親おやにににふみかはしてふみかはしてふみかわして、、、佛佛ほとけをををほめほめほめ奉奉たてまつりてりてりて、、、世世よののの末末すえまでもまでもまでも、、、傳傳つたへなどしへなどしえなどし給給たまふこそふこそうこそ、、、ののの示現示現じげんなどもおぼえめなどもおぼえめなどもおぼえめ。。。これこれこれはははをとこをとこおとこ女女おんなののの、、、えんなることえんなることえんなることををを、、、げに〳〵とかきあつめてげに〳〵とかきあつめてげにけにとかきあつめて、、、人人ひとののの心心こころにしめさせんにしめさせんにしめさせん、、、なさけなさけなさけをををのみのみのみ盡盡つくさんことさんことさんことははは、、、いかゞいかゞいかがははは、、、尊尊とうときみのりともきみのりともきみのりとも思思おもふべきふべきうべき」」」。。。
- 4といへばといへばといえば、、、「「「誠誠まことににに然然しかはははあれどもあれどもあれども、、、事事ことざまのなべてならぬざまのなべてならぬざまのなべてならぬ、、、めでたさのめでたさのめでたさの餘餘あまりにりにりに、、、思思おもひつゞけひつゞけいつづけ侍侍はべればればれば、、、物語物語ものがたりなどいひてなどいひてなどいいて、、、ひとひとひと卷卷まふたふたふた卷卷かんのののふみにもあらずふみにもあらずふみにもあらず、、、六十六十ろくじゅう帖帖じょうなどまでなどまでなどまで作作つくりりり給給たまへるへるえるふみのふみのふみの、、、少少すこしあだにかたほなることもなくてしあだにかたほなることもなくてしあだにかたおなることもなくて、、、今今いまももも昔昔むかしももも、、、めでもてあそびめでもてあそびめでもてあそび、、、みかどきさきよりみかどきさきよりみかどきさきよりはじめてはじめてはじめて、、、えならずかきもちえならずかきもちえならずかきもち給給たまひてひていて、、、御御おん寶寶ほう物物ものとしとしとし給給たまひなどするもひなどするもいなどするも、、、世世よにたぐひなくにたぐひなくにたぐいなく。。。またまたまた罪罪つみふかくおはするとふかくおはするとふかくおわすると、、、世世よににに申申もうしあへるにつけてもしあへるにつけてもしあえるにつけても、、、なか〳〵あやしくなか〳〵あやしくなかなかあやしく、、、おぼえてこそおぼえてこそおぼえてこそ申申もうししし侍侍はべれれれ。。。罪罪つみ深深ふかきさまきさまきさまをもをもをもしめしてしめしてしめして、、、人人ひとににに佛佛ほとけのみなのみなのみなをもをもをも唱唱となへさせへさせえさせ、、、とぶらひとぶらひとぶらい聞聞きこえんこえんこえん人人ひとののの爲爲ためににに、、、導導みちびききき給給たまふふうはははしとなりぬべくしとなりぬべくしとなりぬべく、、、なさけあるなさけあるなさけある心心こころばへばへばえをををしらせてしらせてしらせて、、、うきうきうき世世よにしづまんにしづまんにしずまんをもをもをも、、、よきよきよき道道みちににに、、、引引ひきいれてきいれてきいれて、、、世世よのののはははかなきかなきかなき事事ことををを見見みせてせてせて、、、あしきあしきあしき道道みちををを出出いだしてだしてだして、、、佛佛ほとけののの道道みちにすゝむにすゝむにすすむ方方かたももも、、、なかるべきにあらずなかるべきにあらずなかるべきにあらず。。。其其そののの有樣有樣ありさま思思おもひつゞけひつゞけいつづけ侍侍はべるにるにるに、、、あるあるあるははは別別わかれれれをををいたみていたみていたみて、、、ののの戒戒かいをををたもちたもちたもち、、、あるあるあるははは女女おんなのいさぎよきのいさぎよきのいさぎよき道道みちををを守守まもりてりてりて、、、いさめごとにいさめごとにいさめごとに違違たがはずはずわず、、、このこのこの世世よををを過過すぐしなどしぐしなどしぐしなどし給給たまへるもへるもえるも、、、人人ひとののの見見みならふならふならう心心こころもあるべしもあるべしもあるべし。。。又又またみかどのみかどのみかどの覺覺おぼえかぎりなくてえかぎりなくてえかぎりなくて、、、えならぬえならぬえならぬ宿世宿世すくせおはすれどもおはすれどもおわすれども、、、夢夢ゆめまぼろしのまぼろしのまぼろしの如如ごとくにてくにてくにて、、、かくれかくれかくれ給給たまへるなどへるなどえるなど、、、世世よのののはははかなきかなきかなき事事ことををを、、、見見みんんん人人ひと思思おもひしりぬべしひしりぬべしいしりぬべし。。。又又またみかどのみかどのみかどの位位くらいをををすてゝすてゝすてて、、、おとうとにおとうとにおとうとに讓讓ゆずりりり給給たまひてひていて、、、ののの麓麓ふもとににに、、、住住すみみみ給給たまふなどもふなどもうなども、、、佛佛ほとけののの道道みちににに入入いりたまふりたまふりたまう、、、深深ふかきみのりにもきみのりにもきみのりにも、、、かよふかよふかよう御有樣御有樣おおんありさまなりなりなり。。。ににに說說とかれかれかれ給給たまへるへるえる、、、昔昔むかしのみかどののみかどののみかどの御有樣御有樣おおんありさまももも、、、思思おもひひい出出いでられさせたまふでられさせたまふでられさせたまう。。。ひとへにひとへにひとえに、、、をとこをとこおとこ女女おんなのことのみやのことのみやのことのみやははは侍侍はべるるる。。。おおおほかたほかたほかたははは、、、智惠智惠ちえをををはははなれてなれてなれてははは、、、闇闇やみにまどへるにまどへるにまどえる心心こころをををひるがへすひるがへすひるがえす道道みちなしなしなし。。。惑惑まどひのひのいの深深ふかきによりてきによりてきによりて、、、うきうきうき世世よののの海海うみのそこひなきにのそこひなきにのそこいなきにははは、、、たゞよふわざなりとぞたゞよふわざなりとぞただようわざなりとぞ、、、のつくりのつくりのつくり給給たまへるへるえる、、、文文ふみのののはじめつはじめつはじめつ方方かたにもにもにも、、、のたまはすなればのたまはすなればのたまわすなれば、、、ものゝものゝものの心心こころををを辨辨べんへへへ、、、悟悟さとりのりのりの道道みちにむかひてにむかひてにむかいて、、、佛佛ほとけのみのりのみのりのみのりををを廣廣ひろむるたねとしてむるたねとしてむるたねとして、、、あらきことばもあらきことばもあらきことばも、、、なよびたるなよびたるなよびたる詞詞ことばももも、、、とかにもとかにもとかにも、、、かへしいれんかへしいれんかえしいれんははは、、、佛佛ほとけののの御志御志おおんこころざしなるべしなるべしなるべし。。。かくかくかくははは申申もうせどもせどもせども、、、濁濁にごりにしまぬりにしまぬりにしまぬ、、、法法のりのみことならねばのみことならねばのみことならねば、、、露霜露霜つゆしもととと、、、むすびおきむすびおきむすびおき給給たまへるへるえる、、、ことのことのことの葉葉はもおほくもおほくもおおく侍侍はべらんらんらん。。。のりのあさのりのあさのりのあさ日日ひによせてによせてによせて、、、たたたれも〳〵れも〳〵れもれも、、、なさけなさけなさけ多多おおくおはしまさむくおはしまさむくおわしまさむ人人ひとははは、、、もてあそばせたまもてあそばせたまもてあそばせたまはははんにつけてもんにつけてもんにつけても、、、心心こころにしめてにしめてにしめて、、、おぼさむによりてもおぼさむによりてもおぼさむによりても、、、とぶらひとぶらひとぶらい聞聞きこえたまこえたまこえたまはははんぞんぞんぞ、、、いとゞいとゞいとど深深ふかきちぎりなるべききちぎりなるべききちぎりなるべき」」」。。。などいひつゞけなどいひつゞけなどいいつづけ侍侍はべるにるにるに、、、
- 5行行ゆくくく末末すえももも忘忘わすれてれてれて、、、なほきかまほしくなほきかまほしくなおきかまほしく、、、なごりなごりなごり多多おおくくく侍侍はべりしかどもりしかどもりしかども、、、日日ひくれにしかばくれにしかばくれにしかば、、、たちたちたち別別わかれれれ侍侍はべりにきりにきりにき。。。「「「いかでかいかでかいかでか又又またあひあひあい奉奉たてまつらんずるらんずるらんずる。。。來來こんんん世世よににに佛佛ほとけとなりてとなりてとなりて、、、これがやうにこれがやうにこれがように法法ほう說說ときてきてきて、、、人々人々ひとびとににに、、、聞聞きかせかせかせ奉奉たてまつらばやらばやらばや」」」。。。
- 6などなどなど申申もうしゝこそしゝこそししこそ、、、たゞたゞただ人人ひとともともとも覺覺おぼえええ侍侍はべらざりしからざりしからざりしか。。。そのそのその程程ほどととと申申もうしゝところしゝところししところ、、、尋尋たずねさせねさせねさせ侍侍はべりしかどもりしかどもりしかども、、、えええ又又またもあもあもあはははでなんでなんでなん。。。人人ひとをををつけてつけてつけて、、、たしかにたしかにたしかに見見みおかせでとおかせでとおかせでと、、、悔悔くやしくのみおぼえてこそしくのみおぼえてこそしくのみおぼえてこそ、、、すぎてすぎてすぎて侍侍はべれれれ。。。
現代語訳
またそこにいた人が、「本当でしょうか。昔の人(紫式部)がお作りになった源氏物語に、それほど根拠もないことの優美で艶なことを書き集めなさったことによって、後世の(地獄の)煙とばかり消えていらっしゃるというのは、艶でまたとない(物語の)種ではあるけれども、つまらないことで、お弔い申し上げたく思います」などと言うと、(語り手の老女の)返事には、「本当に世の中ではそうばかり申しますが、道理をわきまえた人が申しましたのは、『大和でも唐土でも、文を作り、人の心を動かし、暗い心を導くのは常のことである。妄語などと言うべきではない。わが身にないことをあるような顔をして、本当らしく言って、人に悪い身をよいと思わせなどすることこそ、嘘などと言って罪を得ることである。これは仮構のことなどと言うべきだろうか。綺語とも雑穢語などとは言っても、それほど深い罪ではないのではないか。生きとし生けるものの命を奪い、ありとあらゆる人の宝を奪い取りなどする深い罪ある者も、奈落の底に沈むだろうが、どのような報いがあるなどと聞こえることもないのに、これ(物語作者が地獄に堕ちること)はかえって不審に思われるべきことであろう。人の心に(よいことを)気づかせることは、功徳となるはずである。情けをかけ、艶であることによっては、輪廻の業とはなっても、奈落に沈むほどのことがあるだろうか。この世のことさえ知りがたいけれど、唐土で白楽天と申した人は、七十巻の書物を作って、言葉を彩り、たとえを取って人の心を勧めなさったなどと聞こえるのも、文殊菩薩の化身と申すようだ。仏も譬喩経などといって、ないことを作り出されて説き置かれたのは、虚妄ではないというのである。女の御身でそれほどのことを作られたのは、ただ人ではいらっしゃらなかったのではないか。妙音・観音などと申す尊い菩薩たちが、女になられて法を説いて人を導かれるのである』」と言うと、供に連れていた童が聞いて言うには、「女になって導かれることは、浄徳夫人が帝(妙荘厳王)を導いて仏のもとに勧めなどなさり、勝鬘夫人が親に手紙を交わして仏をお褒め申し上げて世の末までも伝えなどなさったのこそ、普門(観音)の示現とも思われましょう。これは男女の艶なることを本当らしく書き集めて、人の心に染みつかせようと、情けばかりを尽くすことは、どうして尊い御法とも思えましょう」と言うと、(老女は)「本当にそうではあるけれど、事の様子が並々でないすばらしさのあまりに思い続けますと、物語などと言って一巻二巻の書物でもなく、六十帖などまでお作りになった書物が、少しも浮ついて不完全なところもなくて、今も昔も賞美してもてあそび、帝・后をはじめとして、何とも言えずすばらしく書き写して持たれて、御宝物となさったりするのも、世に類がない。また(紫式部が)罪深くいらっしゃると世に申し合うにつけても、かえって不審に思われて申すのです。罪深い様子をも示して、人に仏の御名をも唱えさせ、お弔い申し上げようとする人のために、導かれる端緒となるはずで、情けある心ばえを知らせて、憂き世に沈もうとする者をもよい道に引き入れて、世のはかないことを見せて、悪い道から出して仏道に進ませる方面もないはずはありません。その有様を思い続けますと、ある人(薫)は別れを悲しんで優婆塞の戒を保ち、ある人(宇治の大君)は女の潔い道を守って、(父の)戒めに違わずこの世を過ごしたりなさったのも、人が見習う心もあるでしょう。また帝のご寵愛が限りなく、またとない宿縁がおありだったのに、夢幻のように亡くなられた方(桐壺更衣)など、世のはかないことを、見る人は思い知るでしょう。また帝の位を捨てて弟に譲られて、西山の麓に住まわれた方(朱雀院)なども、仏道に入られる深い御法にも通う御有様です。提婆品に説かれた昔の帝(阿私仙に仕えた王)の御有様も思い出されなさいます。どうしてひたすら男女のことばかりでございましょう。だいたいは、智恵を離れては闇に迷う心を翻す道はない。迷いが深いことによって、憂き世の海の底知れないところに漂うのであると、世親菩薩のお作りになった書物の初めの方にもおっしゃっているので、物の心をわきまえ、悟りの道に向かって、仏の御法を広める種として、荒い言葉も柔らかい言葉も、第一義(真理)とかにも返し入れることこそ、仏の御志でしょう。このようには申しますが、濁りに染まない御法の言葉ではないので、露霜と結び置かれた言の葉も多くございましょう。御法の朝日に寄せて、誰も誰も、情け深くいらっしゃる人は、もてあそばれるにつけても、心に染めてお思いになるにつけても、お弔い申し上げなさることこそ、いっそう深い縁となるでしょう」などと言い続けましたので、
行く末も忘れて、なお聞きたく、名残多くございましたけれど、日が暮れてしまったので、別れてしまいました。(老女は)「どうしてまたお会い申し上げられましょう。来世に植木(菩提樹)のもとで仏となって、このように法を説いて、人々にお聞かせ申し上げたいものです」などと申しましたのこそ、ただ人とも思われませんでした。そのあたりと申した所を尋ねさせましたけれど、二度と会うこともできませんでした。人をつけて確かに見届けさせておかなかったことを、悔しくばかり思って過ごしております。
意訳
今鏡の最終章は、源氏物語をめぐる議論である。当時、紫式部は「狂言綺語」(作り話)で人を惑わせた罪によって地獄に堕ちたという説があり、その供養(源氏供養)も行われていた。章題の「作り物語の行方」は、作り物語(フィクション)とその作者の行く末を問うことを表す。
語り手の老女は、物語は妄語ではなく人の心を導くものであり、仏も譬喩によって法を説いたと弁護する。白楽天が文殊の化身とされたように、紫式部も観音などの化身ではないかとまで言う。供の童が「男女の艶事を書き集めるのが尊い法とは思えない」と反論すると、老女は源氏物語の中の出家や無常の描写を挙げ、物語が人を仏道に導く功徳を説く。院政期の文学観・物語観を示す重要な議論である。
最後に語り手(筆者)は、日が暮れて老女と別れ、「来世に仏となって法を説きたい」と言った老女の言葉に、ただ人ではないと感じる。再び会おうと探したが会えなかった、という余韻のある結びで、今鏡全十巻は閉じられる。
語釈・文法注
- 後の世のけぶりとのみ、消えたまふ
- 紫式部が作り話を書いた罪で地獄に堕ちたという説。院政期には紫式部の霊を救う「源氏供養」が行われた。
- もしほ草かきあつめ
- 藻塩草を掻き集める(書き集める)。物語を書いたこと。
- 妄語
- 嘘をつくこと。仏教の十悪の一つ。
- 綺語
- 飾り立てた言葉。仏教では十悪の一つとされ、物語や和歌もこれにあたるとされた(狂言綺語)。
- 雜穢語
- 綺語と同じく、無益で汚れた言葉。
- 奈落
- 地獄。
- 輪廻の業
- 生死を繰り返す原因となる行い。
- 文珠の化身
- 白居易は文殊菩薩の化身とされた。
- 譬喩經
- たとえ話によって教えを説く経典。
- 妙音觀音
- 妙音菩薩と観音菩薩。さまざまな姿に変身して衆生を救うとされる。
- 淨德夫人
- 法華経・妙荘厳王本事品で、夫の妙荘厳王を仏道に導いた夫人。
- 勝鬘夫人
- 勝鬘経の主人公。仏を讃え、教えを説いた王妃。
- 普門の示現
- 観音菩薩がさまざまな姿で現れること(法華経・普門品)。
- 優婆塞の戒
- 在家の男性信者が守る戒。源氏物語の薫や八の宮を指す。
- 西山の麓に
- 源氏物語の朱雀院が譲位後、西山の寺に住んだこと。
- 提婆品
- 法華経・提婆達多品。過去世で王が位を捨てて仙人に仕え、法華経を得た話がある。
- 世親菩薩
- 世親(ヴァスバンドゥ)。インドの仏教学者。
- 第一義
- 最高の真理。
- うゑきのもと
- 菩提樹の下。仏が悟りを開いた所。
文法
- 奈落に沈む程のことやは侍らん
- 地獄に沈むほどのことがありましょうか、いやありません。反語。
- たゞ人とも覺え侍らざりしか
- 普通の人とも思われなかった。
解説
今鏡の結びが源氏物語論であることは象徴的である。歴史物語もまた、ある意味での「作り物語」であり、その価値を問うことは、今鏡自身の存在意義を問うことでもあった。不思議な老女が去り、二度と会えないという結末は、『大鏡』の結びとも響き合っている。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、416〜421頁(コマ223–225)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日