今鏡 第十「うちぎき」 第78章
敷島の打聞
巻十「うちぎき」の始まり。和歌をめぐる聞き書きの数々。灯火の炎に女の姿を見た男、法華経を読みながら息絶えた女、稲荷の神に祈って歌を得た頼実と、住吉に命と引き換えに名歌を願った頼実の最期、思い上がった歌人源頼綱、八幡の別当の女の歌と小大進の数奇な運命、陸奥の菖蒲の代わりの花かつみ、実方の雀、郭公を育てた鶯の話などが語られる。
- 1中頃中頃なかごろ男男おとこありけりありけりありけり。。。女女おんなををを思思おもひてひていて、、、とき〴〵とき〴〵ときどき通通かよひけるにひけるにひけるに、、、男男おとこあるあるある所所ところにてにてにて、、、ともしともしともし火火ひのののほのほのほのほのほのほの上上うえににに、、、かのかのかの女女おんなののの見見みえければえければえければ、、、これこれこれははは忌忌いむなるものむなるものむなるものををを、、、火火ひのもゆるのもゆるのもゆる所所ところををを、、、かきかきかき落落おとしてこそしてこそしてこそ、、、そのそのその人人ひとににに飮飮のますなれますなれますなれ。。。
- 2とてとてとて、、、紙紙かみにつゝみてにつゝみてにつつみて、、、もたりけるもたりけるもたりけるほどにほどにほどに、、、事事こと繁繁しげくしてくしてくして、、、まぎるゝことありければまぎるゝことありければまぎるることありければ、、、忘忘わすれてれてれて、、、一日一日ついたち二日二日ふつか過過すぎてぎてぎて、、、思思おもひひい出出いでけるまゝにでけるまゝにでけるままに、、、ゆけりければゆけりければゆけりければ、、、「「「惱惱なやみてみてみて程程ほどなくなくなく女女おんなかくれぬかくれぬかくれぬ」」」。。。
- 3といひければといひければといいければ、、、いつしかいつしかいつしか往往ゆきてきてきて、、、かのともしびのかのともしびのかのともしびの、、、かきおとしたりしかきおとしたりしかきおとしたりし物物ものををを見見みせでとせでとせでと、、、わがわがわが過過あやまちにちにちに悲悲かなしくおぼえてしくおぼえてしくおぼえて、、、つねなきつねなきつねなき鬼鬼おにににに一一ひと口口くちにくはれけむにくはれけむにくわれけむ心心こころうさうさうさ、、、足足あしずりずりずりをををしつべくしつべくしつべく、、、歎歎なげききき泣泣なきけるきけるきけるほどにほどにほどに、、、御覽御覽ごらんぜさせよとにやぜさせよとにやぜさせよとにや。。。
- 4このこのこの御御おんふみふみふみををを、、、見見みつけてつけてつけて侍侍はべるとてるとてるとて、、、とりとりとり出出いだしたるだしたるだしたるををを見見みればればれば、、、
- 5谷谷たににけぶりのにけぶりのにけぶりの見見みえたらばえたらばえたらばはははかなくかなくかなく消消きえしえしえし我我われとしらなむれとしらなむれとしらなむ
- 6とぞかきたりけるとぞかきたりけるとぞかきたりける。。。歌歌うたさへともしさへともしさえともし火火ひのけぶりとおぼえてのけぶりとおぼえてのけぶりとおぼえて、、、いといといと悲悲かなしくしくしく思思おもひけるひけるいける、、、ことわりになむことわりになむことわりになむ。。。
- 7又又またあるあるある女女おんな有有ありけりりけりりけり。。。とき〴〵とき〴〵ときどき通通かよひけるひけるひける男男おとこののの、、、いつしかいつしかいつしか絕絕たえにければえにければえにければ、、、心心こころうくてうくてうくて、、、心心こころのののうちにうちにうちに、、、思思おもひひい惱惱なやみけるみけるみける程程ほどににに、、、そのそのその人人ひと門門もんををを過過すぐるぐるぐる事事ことのありけるのありけるのありけるををを、、、家家いえののの人人ひとののの、、、「「「今今いまこそこそこそ過過すぎさせぎさせぎさせ給給たまへへえ」」」。。。
- 8といひければといひければといいければ、、、思思おもひあまりてひあまりていあまりて、、、「「「きときときと立立たちながらいらせちながらいらせちながらいらせ給給たまへへえ」」」。。。ととと追追おひつきてひつきていつきて、、、云云いはせければはせければわせければ、、、やりかへしてやりかへしてやりかえして入入いりたるにりたるにりたるに、、、もともともと見見みしよりもしよりもしよりも、、、なつかしきさまにてなつかしきさまにてなつかしきさまにて、、、殊殊ことののの外外ほかににに見見みえければえければえければ、、、悔悔くやしくなりてしくなりてしくなりて、、、とかくいひけれどとかくいひけれどとかくいいけれど、、、女女おんなたゞたゞただ經經きょうをををのみよみてかへりごともせざりけるのみよみてかへりごともせざりけるのみよみてかえりごともせざりける程程ほどににに、、、七七しちのまきののまきののまきの、、、住住す安樂安樂あんらく世界世界せかい、、、といふといふという所所ところををを、、、くりかへしよむとくりかへしよむとくりかえしよむと見見みけるけるける程程ほどににに、、、やがてやがてやがて絕絕たえいりてえいりてえいりて、、、うせにければうせにければうせにければ、、、我我われもよりておさへれもよりておさへれもよりておさえ、、、人人ひともよりてもよりてもよりて、、、とかくしけれどもとかくしけれどもとかくしけれども、、、やがてやがてやがてうせにけりうせにけりうせにけり。。。
- 9かくてかくてかくて籠籠こもりもしりもしりもし、、、又又またかしらかしらかしらをもをもをも、、、おろしてむとおろしてむとおろしてむと、、、思思おもひけれどひけれどいけれど、、、當時當時とうじ辨辨べんなりけるなりけるなりける人人ひとなればなればなれば、、、さすがえさすがえさすがえ籠籠こもらでらでらで、、、土土つちにおりてにおりてにおりて、、、とかくのとかくのとかくの事事ことまでさだしてまでさだしてまでさだして、、、しばししばししばしははは山山やまざとにざとにざとに、、、かくれたりければかくれたりければかくれたりければ、、、世世よをををそむきぬるとそむきぬるとそむきぬると聞聞きこえけれどこえけれどこえけれど、、、さすがさすがさすが、、、かくれもかくれもかくれもはははてゞてゞてで、、、出出いででで仕仕つかへければへければえければ、、、辨辨べんとなんいひけるとなんいひけるとなんいいける。。。
- 10左衞門左衞門さえもんノノノ尉尉じょう實實みといふといふという藏人藏人くろうど、、、歌歌うたののの道道みちすぐれてもすぐれてもすぐれても、、、又又また好好このみにもみにもみにも好好このみみみ侍侍はべりけるにりけるにりけるに、、、七條七條しちじょうなるなるなる所所ところにてにてにて、、、夕夕ゆうべににに郭公郭公ほととぎすをををきくきくきく。。。といふといふという題題だいをををよみよみよみ侍侍はべりけるにりけるにりけるに、、、醉醉えひてひていて、、、そのそのその家家いえののの車車くるま宿宿やどりにたてたるりにたてたるりにたてたる車車くるまにてにてにて、、、歌歌うた案案あんぜんとてぜんとてぜんとて、、、寐寐ね過過すぐしてぐしてぐして侍侍はべりけるりけるりけるををを、、、もとめけれどもとめけれどもとめけれど、、、思思おもひよらでひよらでいよらで既既すでににに講講こうぜんとてぜんとてぜんとて、、、人皆人皆ひとみなかきたるかきたるかきたる後後のちにてにてにて、、、此此このわたりのわたりのわたりははは、、、稻荷稻荷いなりののの明神明神みょうじんこそとてこそとてこそとて、、、念念ねんじければじければじければ、、、きとおぼえけるきとおぼえけるきとおぼえけるををを、、、かきてかきてかきて侍侍はべりけるりけるりける。。。
- 11山山やまこえてやきつるこえてやきつるこえてやきつる郭公郭公ほととぎすゆふかけてしもゆふかけてしもゆうかけてしも聲聲こえのきこゆるのきこゆるのきこゆる
- 12同同おなじじじ人人ひとののの、、、「「「人人ひとにしらるばかりのにしらるばかりのにしらるばかりの歌歌うた、、、よませさせよませさせよませさせ給給たまへへえ。。。五年五年ごねんががが命命みことにかへんにかへんにかえん」」」。。。とととににに、、、申申もうしたりければしたりければしたりければ、、、落葉落葉らくよう雨雨あめののの如如ごとししし。。。ととと云云いふふう題題だいににに、、、
- 13木木きののの葉葉はちるちるちる宿宿やどははは聞聞ききわくきわくきわく事事ことぞなきぞなきぞなき時雨時雨しぐれするするする夜夜よもしぐれせぬよももしぐれせぬよももしぐれせぬよも
- 14とよみてとよみてとよみて侍侍はべりけるりけるりけるををを、、、かならずこれともかならずこれともかならずこれとも、、、思思おもひよらざりけるにやひよらざりけるにやいよらざりけるにや。。。病病やまひのつきてひのつきてひのつきて、、、生生いかんとかんとかんと祈祈いのりなどしければりなどしければりなどしければ、、、家家いえににに侍侍はべりけるりけるりける女女おんなににに、、、住吉住吉すみのえのつきてのつきてのつきて、、、「「「さるさるさる歌歌うたよませしよませしよませしははは。。。さればえさればえさればえ生生いくまじくまじくまじ」」」。。。
- 15とのたまひけるにぞとのたまひけるにぞとのたまいけるにぞ、、、ひとへにひとへにひとえに、、、後後のちののの世世よののの祈祈いのりになりにけるとなんりになりにけるとなんりになりにけるとなん。。。
- 16又又また同同おなじゆかりにじゆかりにじゆかりに、、、三河三河みかわ守守かみ綱綱つなといひしといひしといいしははは、、、まだまだまだ若若わかくてくてくて、、、親親おやのもとにのもとにのもとに、、、三河三河みかわ國國くにににに下下くだりけるにりけるにりけるに、、、かのかのかの國國くにののの女女おんなをををよばひてよばひてよばいて、、、又又またももも音音おとづれざりければづれざりければずれざりければ、、、女女おんな、、、
- 17あさましやあさましやあさましや見見みしししははは夢夢ゆめかとかとかと問問とふふう程程ほどにおどろかすにもなりにけるかなにおどろかすにもなりにけるかなにおどろかすにもなりにけるかな
- 18ととと申申もうしければしければしければ更更さらにおぼえつきてなんにおぼえつきてなんにおぼえつきてなん思思おもひひい侍侍はべりけるりけるりける。。。かくよむともかくよむともかくよむとも、、、みめかたちやみめかたちやみめかたちやははは變變かわるべきるべきるべき。。。とおぼえとおぼえとおぼえ侍侍はべれどれどれど、、、昔昔むかしののの人人ひと、、、中中なかごろまでごろまでごろまでははは、、、人人ひとののの心心こころかくぞかくぞかくぞ侍侍はべりけるりけるりける。。。
- 19此此こののの事事ことははは、、、そのそのその人人ひとののの子子こののの正正じょうといひしがといひしがといいしが、、、語語かたりりり侍侍はべるとなむるとなむるとなむ。。。
- 20三河三河みかわ守守かみ賴賴たの綱綱つなははは、、、歌歌うたののの道道みちにとりてにとりてにとりて、、、人人ひともゆるせりけりもゆるせりけりもゆるせりけり。。。わがわがわが身身みにもにもにも、、、殊殊ことののの外外ほかににに、、、思思おもひあがりたるけしきなりけりひあがりたるけしきなりけりいあがりたるけしきなりけり。。。俊賴俊賴としよりといふといふという人人ひとののの、、、少將少將しょうしょうなりけるなりけるなりける時時とき、、、賴賴たの綱綱つなががが云云いひけるひけるいけるははは、、、「「「少將少將しょうしょう殿殿どの〳〵〳〵どの、、、歌歌うたよまむとおぼしめさばよまむとおぼしめさばよまむとおぼしめさば、、、賴賴たの綱綱つなををを供供ともせさせせさせせさせ給給たまへへえ。。。べちのべちのべちの者者ものももも、、、まかりいるまじまかりいるまじまかりいるまじ。。。あらひたるあらひたるあらいたる供供ともなんなんなん。。。ふたかはらけふたかはらけふたかわらけ、、、そなへさせそなへさせそなえさせ給給たまへへえ」」」。。。などぞいひけるなどぞいひけるなどぞいいける。。。其其そののの歌歌うた、、、おほくおほくおおく侍侍はべれどもれどもれども、、、
- 21夏山夏山なつやまのならののならののならのはははそよぐそよぐそよぐ夕暮夕暮ゆうぐれはははことしもことしもことしも秋秋あきのこゝちこそすれのこゝちこそすれのここちこそすれ
- 22といふといふという歌歌うたぞぞぞ、、、人人ひとののの口口くちすさびにしすさびにしすさびにし侍侍はべるめるるめるるめる。。。
- 23近近ちかききき世世よににに、、、女女おんなありけるありけるありけるををを、、、八幡八幡やわたなるなるなる所所ところににに宮宮みや寺寺じのつかさなるのつかさなるのつかさなる、、、僧都僧都そうずととと聞聞きこえしこえしこえし、、、小侍從小侍從こじじゅうとかいふとかいふとかいう親親おやにやあらんにやあらんにやあらん。。。そのそのその坊坊ぼうにこめすゑてにこめすゑてにこめすえて、、、程程ほど經經へけるけるけるほどにほどにほどに、、、都都みやこよりよりより、、、然然しかるべきるべきるべき人人ひとのむすめのむすめのむすめををを、、、わたさんといひければわたさんといひければわたさんといいければ、、、「「「かゝるかゝるかかる事事ことのあるにのあるにのあるに、、、人人ひとののの聞聞きくくく所所ところももも、、、憚憚はばからはしければらはしければらわしければ、、、しばししばししばし都都みやこへへへかへりてかへりてかえりて、、、むかへんむかへんむかえん折折おりこここ」」」。。。
- 24とてとてとて、、、したてゝしたてゝしたてて出出いだしけるがだしけるがだしけるが、、、あまりこちたくあまりこちたくあまりこちたく、、、贈贈おくりりり物物ものなどしてぐしけれなどしてぐしけれなどしてぐしけれははは、、、今今いまはははかくてやみぬべきわざなめりとかくてやみぬべきわざなめりとかくてやみぬべきわざなめりと、、、思思おもひけるにつけてもひけるにつけてもいけるにつけても、、、いといといと心心こころぼそくてぼそくてぼそくて、、、がめのがめのがめの下下したににに歌歌うたをををかきておくりけるかきておくりけるかきておくりけるををを、、、とりいでてとりいでてとりいでて見見みければければければ、、、
- 25行行ゆくくく方方かたもしらぬうきもしらぬうきもしらぬうき木木きののの身身みなれどもよにしめぐらばなれどもよにしめぐらばなれどもよにしめぐらば流流ながれあへかめれあへかめれあえかめ
- 26となむとなむとなむ、、、よめりけるよめりけるよめりけるををを見見みててて、、、むすめなりけるむすめなりけるむすめなりける人人ひとははは、、、院院いんのののみや〳〵などみや〳〵などみやみやなど、、、うみうみうみ奉奉たてまつりたるがりたるがりたるが、、、まだまだまだ若若わかくおはしけるにくおはしけるにくおわしけるに、、、京京きょうへへへ送送おくりつるりつるりつる人人ひと、、、このこのこの歌歌うたをををよみおきたるよみおきたるよみおきたる、、、「「「返事返事かえりごとをやをやをやすべきすべきすべき。。。又又また迎迎むかへやすべきへやすべきえやすべき」」」。。。
- 27ととと申申もうしあはせければしあはせければしあわせければ、、、「「「かへしかへしかへしははは、、、よのつねのことなりよのつねのことなりよのつねのことなり。。。迎迎むかへへえ給給たまへらんこそへらんこそえらんこそ、、、歌歌うたのののほいもほいもほいも侍侍はべらめらめらめ」」」。。。ととと聞聞きこえければこえければこえければ、、、心心こころにやかなひけんにやかなひけんにやかないけん。。。
- 28そのそのその日日ひのののうちにうちにうちに、、、迎迎むかへにへにえに更更さらにやりてにやりてにやりて、、、「「「けふけふきょうかならずかならずかならず、、、かへらせかへらせかえらせ給給たまへへえ」」」。。。とてとてとて、、、あけゆくあけゆくあけゆく程程ほどににに、、、かへりにけりかへりにけりかえりにけり。。。又又またそのそのその然然しかるべきるべきるべき人人ひとのむすめのむすめのむすめををを、、、いひしらずいひしらずいいしらず、、、ゐどころなどしつらひゐどころなどしつらひいどころなどしつらい、、、はしたものはしたものはしたもの、、、雜仕雜仕ぞうしなどいふものなどいふものなどいうもの數數かずあまたあまたあまた、、、したてゝすゑたりけれどしたてゝすゑたりけれどしたててすえたりけれど、、、一夜一夜ひとよばかりにてばかりにてばかりにて、、、硯硯すずりがめのがめのがめの人人ひとにのみにのみにのみ、、、離離はなるゝるゝるる事事こともなくぞありけるもなくぞありけるもなくぞありける。。。
- 29そのそのその女女おんなももも、、、大臣大臣おとど家家いえののの宮仕宮仕みやずかへへえ人人ひとなりけるがなりけるがなりけるが、、、母母ははののの筑紫筑紫つくしににに下下くだりてりてりて、、、菅原菅原すがわらののの氏氏うじ寺寺じののの別當別當べっとうににに具具ぐしたりけるがしたりけるがしたりけるが、、、法師法師ほうしみまかりにければみまかりにければみまかりにければ、、、都都みやこへへへのぼるべきよすがもなくてのぼるべきよすがもなくてのぼるべきよすがもなくてをををりけるりけるりけるををを、、、そのむすめそのむすめそのむすめははは、、、朝夕朝夕あさゆうににに、、、これこれこれををを歎歎なげきけるきけるきけるほどにほどにほどに、、、大臣殿大臣殿おおいどの、、、五節五節ごせちたてまつりたてまつりたてまつり給給たまひけるにやひけるにやいけるにや。。。
- 30わらわらわらはははににに出出いだすべきだすべきだすべき女女おんな、、、外外ほかのののかた〴〵かた〴〵かたがた見見み給給たまひけれどひけれどいけれど、、、こればかりなるこればかりなるこればかりなる見見みえざりければえざりければえざりければ、、、「「「思思おもふやうふやううよう有有ありていふぞりていふぞりていうぞ。。。いいいはははんことんことんこと聽聽ききてんやきてんやきてんや」」」。。。
- 31とありければとありければとありければ「「「いかでかいかでかいかでか仰仰おおせごとにせごとにせごとに、、、したがはずしたがはずしたがわず侍侍はべらんらんらん」」」。。。ととと申申もうしけるにしけるにしけるに、、、「「「五節五節ごせちのわらのわらのわらはははににに出出いださんとださんとださんと思思おもふふう」」」。。。とのたまひければとのたまひければとのたまいければ、、、「「「いかなることもいかなることもいかなることも、、、うけうけうけ給給たまはははりりり候候そうろうふべきふべきうべきををを。。。それそれそれはははえなんえなんえなん侍侍はべるまじきるまじきるまじき」」」。。。
- 32ととと申申もうしければしければしければ、、、あながちにあながちにあながちに思思おもふふう事事ことにてあるににてあるににてあるに、、、構構かまへてへてえて聽聽ききたらばきたらばきたらば、、、いかなるいかなるいかなる大事大事だいじをもをもをも叶叶かなへんへんえん。。。」」」とありければとありければとありければ、、、かくまでのたまはせんことかくまでのたまはせんことかくまでのたまわせんこと、、、さのみもえいなびさのみもえいなびさのみもえいなび申申もうさでさでさで出出いでたりけるにでたりけるにでたりけるに、、、かのかのかの大臣殿大臣殿おおいどののわらのわらのわらははは、、、いかばかりなるらんとていかばかりなるらんとていかばかりなるらんとて、、、殿上人殿上人てんじょうびとわわわれも〳〵とれも〳〵とれもれもと、、、ゆかしがりあへりけるゆかしがりあへりけるゆかしがりあえりける中中なかににに、、、さかりにさかりにさかりに物物ものなどいひけるなどいひけるなどいいける何何なにののの少將少將しょうしょうなどいひけるなどいひけるなどいいける人人ひとももも、、、見見みんなどしけるんなどしけるんなどしけるををを、、、あるあるある殿上人殿上人てんじょうびとののの、、、「「「珍珍めずらしげなししげなししげなし。。。いつもいつもいつも御覽御覽ごらんぜよぜよぜよ」」」。。。
- 33ととと云云いひければひければいければ、、、怪怪あやしとしとしと思思おもひてひていて見見みるにるにるに、、、わがえさらずわがえさらずわがえさらず物物ものいふいふいう人人ひとなりければなりければなりければ、、、恨恨うらみみみ耻耻はぢしめけれどぢしめけれどじしめけれど、、、さささほどほどほど思思おもひたちてひたちていたちて出出いでにけりでにけりでにけり。。。後後のちににに、、、大臣殿大臣殿おおいどの、、、「「「此此こののの喜喜よろこびにいかなるびにいかなるびにいかなる大事大事だいじかあるかあるかある」」」。。。
- 34ととと問問とひひい給給たまひければひければいければ、、、「「「熊野熊野くまのにまうでんのにまうでんのにもうでんの志志こころざしぞぞぞ深深ふかくくく侍侍はべるるる」」」。。。ととと申申もうすにすにすに、、、やすきやすきやすき事事こととてとてとて夫夫ぶさささをををなどあまたなどあまたなどあまた召召めしてしてして、、、淸淸きよきころもきころもきころも何何なにかとかとかと出出いだしたてさせだしたてさせだしたてさせ給給たまひてひていて、、、參參まいりてりてりて筑紫筑紫つくしののの母母はは迎迎むかへよせんへよせんえよせん事事ことををを心心こころざしざしざし申申もうしてかへるにしてかへるにしてかえるに、、、淀淀よどのわたりにやのわたりにやのわたりにや。。。
- 35みゆきなどのみゆきなどのみゆきなどの、、、よそひのやうによそひのやうによそいのように、、、道道みちもえさりあへぬもえさりあへぬもえさりあえぬ事事ことのありけるがのありけるがのありけるが、、、けふけふきょう政所政所まんどころののの京京きょうににに出出いでたまふといひてでたまふといひてでたまうといいて、、、よそによそによそにははは、、、ものともものともものとも思思おもはぬはぬわぬ事事ことののの、、、いひしらずいひしらずいいしらず見見みえけるえけるえけるほどにほどにほどに、、、むしたれたるむしたれたるむしたれたるはざまよりやはざまよりやはざまよりや見見みえけんえけんえけん。。。
- 36ふみふみふみをををかきてかきてかきて、、、京京きょうよりよりより御御おんふみとてあるふみとてあるふみとてあるををを見見みれれれははは、、、大臣殿大臣殿おおいどのののの御使御使おおんつかいにににはははあらであらであらで、、、思思おもひがけぬひがけぬいがけぬ筋筋すじののの文文ふみなりけりなりけりなりけり。。。ありつるありつるありつる石淸水石淸水いわしみずののの僧僧そうののの舟舟ふねののの人人ひとなどなどなど、、、見見みしりたるともしりたるともしりたるとも人人ひとといひければといひければといいければ、、、きゝもきゝもききも入入いれぬれぬれぬほどにほどにほどに、、、かた〴〵かた〴〵かたがた思思おもひかけずひかけずいかけず、、、いはせければいはせければいわせければ、、、いなびもいなびもいなびもはははてゞてゞてで下下くだりてりてりて、、、かのかのかの筑紫筑紫つくしののの母母はは、、、むかへとりてむかへとりてむかえとりて、、、都都みやこにしすゑなどしたりけるとなむきこえしにしすゑなどしたりけるとなむきこえしにしすえなどしたりけるとなむきこえしははは、、、大大だい進進しんとかいふとかいふとかいう人人ひとののの事事ことにやあらんにやあらんにやあらん。。。
- 37陸奧陸奧みちのく守守かみ橘橘たちばな仲仲なかととと申申もうすすす、、、かのかのかの國國くににまかりにまかりにまかり下下くだりてりてりて、、、五月五月さつき四日四日よか、、、館館たちににに廳廳ちょう官官がんとかいふとかいふとかいう者者もの、、、年老年老としおいたるいたるいたる出出いできてできてできて、、、あやめふかするあやめふかするあやめうかするををを見見みければければければ、、、例例れいののの菖蒲菖蒲あやめにににはははあらぬあらぬあらぬ草草くさををを、、、葺葺ふきけるきけるきけるををを見見みててて、、、「「「けふけふきょうはははあやめあやめあやめをををこそこそこそ葺葺ふくくく日日ひにてあるににてあるににてあるに、、、是是これれれはははいかなるものいかなるものいかなるものををを葺葺ふくぞくぞくぞ」」」。。。
- 38ととと問問とはせければはせければわせければ、、、「「「傳傳つたへへえうけたまはるうけたまはるうけたまわるははは、、、このこのこの國國くににににははは、、、むかしむかしむかし五月五月さつきとてとてとて、、、あやめふくあやめふくあやめうく事事ことももも、、、知知しりりり侍侍はべらざりけるにらざりけるにらざりけるに、、、中將中將ちゅうじょうのみたちののみたちののみたちの御時御時おおんとき、、、「「「けふけふきょうははは菖蒲菖蒲あやめふくものふくものふくものををを、、、いかにさるいかにさるいかにさる事事こともなきにかもなきにかもなきにか」」」。。。とのたまはせければとのたまはせければとのたまわせければ、、、「「「國國くにののの例例れいにさるにさるにさる事侍事侍ことはべらずらずらず」」」。。。ととと申申もうしけるしけるしけるををを、、、「「「さみだれのさみだれのさみだれの頃頃ころなどなどなど軒軒のきのしづくものしづくものしずくも、、、あやめによりてこそあやめによりてこそあやめによりてこそ、、、今今いま少少すこししし見見みるにもるにもるにも聞聞きくにもくにもくにも、、、心心こころすむすむすむ事事ことなればなればなれば、、、はやはやはや葺葺ふけけけ」」」。。。とのたまひけれどとのたまひけれどとのたまいけれど、、、「「「このこのこの國國くににににははは、、、おひおひおい侍侍はべらぬなりらぬなりらぬなり」」」。。。ととと申申もうしければしければしければ、、、「「「さりとてもさりとてもさりとても、、、いかでかいかでかいかでか無無なくてくてくてはははあらんあらんあらん。。。淺香淺香あさかののの沼沼ぬののの、、、有有ありりり。。。それそれそれををを葺葺ふけけけ」」」。。。とのたまひけるよりとのたまひけるよりとのたまいけるより、、、こもとこもとこもと申申もうすものすものすものをををなんふきなんふきなんうき侍侍はべるるる。。。」」」とぞとぞとぞ、、、むさしのむさしのむさしの入道入道にゅうどう隆隆たか資資すけととと申申もうすすすははは、、、語語かたりりり侍侍はべりけるりけるりける。。。
- 39もしもしもし然然しからばらばらば、、、「「「ひくひくひく手手てもたゆくもたゆくもたゆく長長ながきねのきねのきねの」」」、、、といふといふという歌歌うた、、、おぼつかなくおぼつかなくおぼつかなく侍侍はべりりり。。。中將中將ちゅうじょうののの御墓御墓みわかははは、、、みちのおくにぞみちのおくにぞみちのおくにぞ侍侍はべるなるるなるるなる。。。ととと傳傳つたへきゝへきゝえきき侍侍はべりしりしりし、、、誠誠まことにやにやにや。。。
- 40藏人藏人くろうどノノノ頭頭とうにもにもにも、、、成成なりりり給給たまはははででで、、、みちのおくのみちのおくのみちのおくの守守かみににに成成なりりり給給たまひてかくれたまひにしかばひてかくれたまひにしかばいてかくれたまいにしかば、、、このこのこの世世よまでもまでもまでも、、、殿上殿上てんじょうのつぎめののつぎめののつぎめの臺盤臺盤だいばんすゑたるすゑたるすえたるをばをばをば、、、雀雀すずめののぼりてののぼりてののぼりて、、、くふくふくうをををりなどぞりなどぞりなどぞ侍侍はべるなるるなるるなる。。。
- 41實方實方さねかたののの中將中將ちゅうじょうののの、、、頭頭とうになりになりになり給給たまはぬはぬわぬ、、、おもひのおもひのおもいの遺遺やりておはするなどりておはするなどりておわするなど申申もうすもすもすも、、、誠誠まことににに侍侍はべらばらばらば、、、あはれにあはれにあわれに耻耻はづかしくもづかしくもずかしくも、、、末末すえののの世世よののの人人ひとははは侍侍はべるるる事事ことかなかなかな。。。
- 42いづれのいづれのいずれの年年としにかにかにか侍侍はべりけんりけんりけん。。。右近右近うこんののの馬場馬場むまばののの、、、をををりのりのりの日日ひにやありけんにやありけんにやありけん。。。女女おんな車車くるま、、、物見物見ものみにやりもてゆきけるににやりもてゆきけるににやりもてゆきけるに、、、重通重通しげみちののの大納言大納言だいなごん、、、宰相中將宰相中將さいしょうのちゅうじょうにおはしけるにおはしけるにおわしける時時ときにやにやにや、、、車車くるまやりつゞけてやりつゞけてやりつづけて、、、見知見知みしりたるりたるりたる車車くるまなればなればなれば、、、見見みよきよきよき所所ところにたてさせなどしてにたてさせなどしてにたてさせなどして、、、後後のちにわがにわがにわが隨身隨身ずいじんををを女女おんなののの車車くるまにやりてにやりてにやりて、、、
- 43たれ〳〵ぞたれぞさやまのたれ〳〵ぞたれぞさやまのたれたれぞたれぞさやまのほとゝぎすほとゝぎすほととぎす
- 44とかやとかやとかや聞聞きこえければこえければこえければ、、、女女おんなののの車車くるまよりよりより、、、
- 45うううはははのそらにのそらにのそらにはははいかゞなのらんいかゞなのらんいかがなのらん
- 46とぞいひとぞいひとぞいい返返かえしけるしけるしける。。。いとすぐれてきこゆることもなくいとすぐれてきこゆることもなくいとすぐれてきこゆることもなく、、、かなはずもやあらんかなはずもやあらんかなわずもやあらん。。。されどもされどもされども、、、事事ことがらのやさしくがらのやさしくがらのやさしく聞聞きこえしなりこえしなりこえしなり。。。時時ときののの程程ほどにおぼえんこともかたくてにおぼえんこともかたくてにおぼえんこともかたくて、、、さてやまむよりもさてやまむよりもさてやまむよりも、、、かやうにかやうにかように云云いひたるもひたるもいたるも、、、さるさるさる事事ことときこゆときこゆときこゆ。。。
- 47又又また連歌連歌れんがのいつのいつのいつ文字文字もじももも、、、げにとげにとげにと聞聞きこえねどもこえねどもこえねども、、、さやうにさやうにさように問問とふべきことにふべきことにうべきことに侍侍はべりけるなるべしりけるなるべしりけるなるべし。。。又又また確確たしかにもにもにも、、、えうけたまはらざりきえうけたまはらざりきようけたまわらざりき。。。ひひひをををりといふことりといふことりということははは、、、おぼつかなきことにおぼつかなきことにおぼつかなきことに侍侍はべるとかやるとかやるとかや。。。
- 48兼兼かね方方かたははは眞手眞手まて番番ばんととと申申もうししし侍侍はべりけるとかやりけるとかやりけるとかや。。。匡房匡房まさふさ中納言中納言ちゅうなごんののの、、、次第次第しだいとかやにもとかやにもとかやにも、、、このこのこの事事ことははは見見みえええ侍侍はべるとぞきゝるとぞきゝるとぞきき侍侍はべりしりしりし。。。
- 49又又またいづれのいづれのいずれの年年としにかにかにか。。。眞弓眞弓まゆみののの的的まとかくるかくるかくる事事ことををを、、、舍人舍人とねりののの爭爭あらそひてひていて、、、日日ひくれくれくれ夜夜よふくるまでふくるまでふくるまで侍侍はべりければりければりければ、、、物見車物見車ものみぐるまどもどもども、、、おひ〳〵におひ〳〵においおいに歸歸かえりけるにりけるにりけるに、、、かきつけてかきつけてかきつけて大將大將だいしょうののの隨身隨身ずいじんににに、、、とらせたりけるとかやとらせたりけるとかやとらせたりけるとかや。。。
- 50梓弓梓弓あずさゆみためらふためらふためらうほどにほどにほどに月月つきかげのいるかげのいるかげのいるをををのみのみのみ見見みててて歸歸かえりぬるかなりぬるかなりぬるかな
- 51ひがことにやひがことにやひがことにや侍侍はべりけんりけんりけん。。。いづものいづものいずもの國國くににてにてにて、、、うせうせうせ給給たまひにしひにしいにし大將殿大將殿だいしょうどのののの、、、つきつきつき給給たまへりしとかやへりしとかやえりしとかや。。。
- 52堀河堀河ほりかわのみかどののみかどののみかどの內侍內侍ないしにてにてにて、、、とかいひしとかいひしとかいいし人人ひとののの、、、家家いえをををはははなちてなちてなちて、、、外外ほかににに渡渡わたるとてるとてるとて、、、はしにかきつけたりけるはしにかきつけたりけるはしにかきつけたりける、、、
- 53すみわびてわれさへのきのすみわびてわれさへのきのすみわびてわれさえのきの忍草忍草しのぶぐさしのぶしのぶしのぶかた〴〵しげきかた〴〵しげきかたがたしげき宿宿やどかなかなかな
- 54とかきたるとかきたるとかきたる、、、まだそのまだそのまだその家家けはははのこりてのこりてのこりて、、、そのそのその歌歌うたももも侍侍はべるなりるなりるなり。。。見見みたるたるたる人人ひとののの語語かたりりり侍侍はべりしりしりしはははいとあはれにゆかしくいとあはれにゆかしくいとあわれにゆかしく、、、そのそのその家家けははは、、、かみわたりにかみわたりにかみわたりに、、、いづことかやいづことかやいずことかや。。。
- 55冷泉堀河冷泉堀河れいぜいほりかわののの西西にしととと北北きたとのすみなるところとぞとのすみなるところとぞとのすみなるところとぞ人人ひとははは申申もうしゝしゝしし、、、おはしましておはしましておわしまして御覽御覽ごらんずべきぞかしずべきぞかしずべきぞかし。。。まだうせぬまだうせぬまどうせぬ折折おりににに」」」。。。又又また堀河堀河ほりかわのみかどののみかどののみかどの、、、うせたまひてうせたまひてうせたまいて、、、今今いまのみかどののみかどののみかどの、、、內侍內侍ないしにわたるべきにわたるべきにわたるべき由由よし侍侍はべりけるにりけるにりけるに、、、
- 56あまのがあまのがあまのがははは同同おなじじじ流流ながれといひながらわたらむことれといひながらわたらむことれといいながらわたらむことははは猶猶なおぞぞぞ悲悲かなしきしきしき
- 57とよまれてとよまれてとよまれて侍侍はべりけんりけんりけん。。。いとなさけいとなさけいとなさけ多多おおくこそくこそくこそ、、、きこえきこえきこえ侍侍はべりしかりしかりしか。。。
- 58近近ちかくおはせしくおはせしくおわせし橫川橫川よかわののの座主座主ざすののの坊坊ぼうににに、、、といひてといひてといいて、、、心心こころたくみにてたくみにてたくみにて石石いしたてたてたて、、、飾飾かざ車車くるまののの風流風流ふりゅうなどするものなどするものなどするものはべりきはべりきはべりき。。。うたへうたへうたえ申申もうすことありてすことありてすことありて、、、藏人藏人くろうどノノノ頭頭とうにてにてにて、、、雅兼雅兼まさかね中納言中納言ちゅうなごんのおはしけるのおはしけるのおわしける時時とき、、、かのかのかの家家いえにいたりにいたりにいたり侍侍はべりけるにりけるにりけるに、、、「「「大原大原おおはらのたきののたきののたきの歌歌うたこそこそこそ、、、いとをかしくいとをかしくいとおかしく聞聞きこえしかこえしかこえしか」」」。。。
- 59ととと侍侍はべりけるにりけるにりけるに、、、「「「うれへうれへうれえ申申もうすことすことすことはははいかでもいかでもいかでも侍侍はべりなんりなんりなん。。。このこのこの仰仰おおせこそせこそせこそ身身みにしみてにしみてにしみて嬉嬉うれしくしくしく侍侍はべれれれ」」」。。。とてなんとてなんとてなん限限かぎりなくりなくりなく喜喜よろこびてびてびて出出いでにけるでにけるでにける。。。
- 60そのそのその歌歌うたははわ、、、花園花園はなぞののおとゞののおとゞののおとどの、、、大原大原おおはらののの房房ぼうののの、、、瀧瀧たき見見みににに入入いりたまへりけるにりたまへりけるにりたまえりけるに、、、
- 61今今いまよりよりよりはははかけておろかにいはしみづかけておろかにいはしみづかけておろかにいわしみず御覽御覽ごらんをををへつるたきのへつるたきのへつるたきの白糸白糸しらいと
- 62とよめりけるとぞとよめりけるとぞとよめりけるとぞ。。。戯戯たわぶれごとのやうなれどもれごとのやうなれどもれごとのようなれども、、、ことざまのことざまのことざまの、、、をかしくをかしくおかしく聞聞きこえこえこえ侍侍はべればればれば、、、申申もうししし侍侍はべるになんるになんるになん。。。
- 63つのかみつのかみつのかみといひしといひしといいし人人ひとははは、、、何何いずれのれのれの山里山里やまざとにかにかにか、、、夕夕ゆうぐれにぐれにぐれに、、、庭庭にわにおりてにおりてにおりて、、、とゆきかうゆきとゆきかうゆきとゆきこうゆき、、、しあるきてしあるきてしあるきて、、、
- 64あはれなるあはれなるあわれなるかな〳〵かな〳〵かなかな
- 65とととたび〳〵ながめければたび〳〵ながめければたびたびながめければ、、、帶刀帶刀たちわき信信のぶといひしがといひしがといいしが、、、
- 66日日ひくるればくるればくるればところ〴〵のところ〴〵のところどころの鐘鐘かねののの聲聲こえ
- 67ととと付付つけたりければけたりければけたりければ、、、あなふわいとなんいひけるあなふわいとなんいひけるあなうわいとなんいいける。。。「「「そのかみそのかみそのかみのののかはづかはづかわずをををとりてとりてとりて、、、飼飼かひけるひけるいける程程ほどににに、、、そのかそのかそのかはははづづず、、、身身みまかりにければまかりにければまかりにければ、、、ほしてもたりけるとかやほしてもたりけるとかやほしてもたりけるとかや」」」。。。
- 68いづれのいづれのいずれの齋齋さいののの宮宮みやとかとかとか。。。人人ひとののの參參まいりてりてりて、、、今樣今樣いまよう歌歌うたひなどせられけるにひなどせられけるにいなどせられけるに、、、末末すえつつつ方方かたににに四四し句句くののの神神かみ歌歌うとうううたふとたふととうとててて、、、「「「うゑきうゑきうえきをををせしやうせしやうせしょうははは、、、鶯鶯うぐいすすませんとにもあらずすませんとにもあらずすませんとにもあらず」」」。。。
- 69ととと歌歌うたはれければはれければわれければ、、、心心こころときときとき人人ひとなどなどなど聞聞ききてきてきて、、、憚憚はばかりあることなどやりあることなどやりあることなどや、、、出出いでこんとでこんとでこんと思思おもひけるひけるいけるほどにほどにほどに、、、「「「くつ〳〵かうなるなめすゑてくつ〳〵かうなるなめすゑてくつくつこうなるなめすえて、、、染紙染紙そめがみよませんとなりけりよませんとなりけりよませんとなりけり」」」。。。
- 70とぞとぞとぞ、、、うたはれたりけるがうたはれたりけるがうたわれたりけるが、、、いといといと其其そののの人人ひとうたよみなどにうたよみなどにうたよみなどにははは聞聞きこえざりけれどもこえざりけれどもこえざりけれども、、、得得えつるつるつる道道みちになりぬればになりぬればになりぬれば、、、かくぞかくぞかくぞ侍侍はべりけるりけるりける。。。このこのこの事事こと刑部卿刑部卿ぎょうぶきょうとかとかとか。。。
- 71人人ひとののの語語かたられられられ侍侍はべりしにりしにりしに、、、侍從大納言侍從大納言じじゅうのだいなごんととと、、、申申もうすすす人人ひとももも侍侍はべりしがりしがりしが、、、さらばことわりなるべしさらばことわりなるべしさらばことわりなるべし。。。
- 72といふといふという寺寺てらににに、、、あるあるある僧坊僧坊そうぼうののの、、、池池いけのののはははちすにちすにちすに、、、鳥鳥とりののの子子こをををうみたりけるうみたりけるうみたりけるをををとりてとりてとりて、、、籠籠こにいれてにいれてにいれて、、、飼飼かひけるひけるいけるほどにほどにほどに、、、うぐひすのうぐひすのうぐいすの籠籠こもよりよりより入入いりてりてりて、、、ものくゝめなどしければものくゝめなどしければものくくめなどしければ、、、うぐひすのうぐひすのうぐいすの子子こなりけりとなりけりとなりけりと、、、知知しりにけれどりにけれどりにけれど、、、子子こはははおほきにておほきにておおきにて親親おやにもにもにも似似にざりければざりければざりければ、、、怪怪あやしくしくしく思思おもひけるひけるいけるほどにほどにほどに、、、子子このののやう〳〵おとなしくなりてやう〳〵おとなしくなりてようようおとなしくなりて、、、ほとゝぎすとほとゝぎすとほととぎすと、、、鳴鳴なきければきければきければ、、、むかしよりむかしよりむかしより云云いひひい傳傳つたへたるへたるえたるふるきことふるきことふるきこと誠誠まことなりとなりとなりと思思おもひてひていて、、、あるあるある人人ひとよめるよめるよめる、、、
- 73親親おやのおやぞいまのおやぞいまのおやぞいまはははゆかしきゆかしきゆかしき郭公郭公ほととぎすはやはやはや鶯鶯うぐいすのこのこのこははは子子こなりけりなりけりなりけり
- 74とよめりけるとよめりけるとよめりける。。。萬葉集萬葉集まんようしゅうののの長歌長歌ちょうかにににのかひこののかひこののかいこの中中なかのののほとゝぎすほとゝぎすほととぎす、、、などいひてなどいひてなどいいて、、、このこのこの事事ことににに侍侍はべるなるるなるるなるををを、、、いといといと興興きょうあることにもあることにもあることにも侍侍はべるなるかなるなるかなるなるかな。。。
- 75藏人藏人くろうど實實さね兼兼かねときこえしときこえしときこえし人人ひとののの、、、匡房匡房まさふさののの中納言中納言ちゅうなごんののの物語物語ものがたりにかけるにかけるにかける文文ふみにもにもにも、、、中中なかごろのごろのごろの人人ひとこのこのこの事事こと見見みあらはしたるあらはしたるあらわしたる事事ことなどなどなど、、、かきてかきてかきて侍侍はべるとかやるとかやるとかや。。。かやうにこそかやうにこそかようにこそ、、、傳傳つたへへえ聞聞きくことにてくことにてくことにて侍侍はべるるるををを、、、目目めぢかくぢかくじかく、、、かゝるかゝるかかる事事ことにてにてにて侍侍はべらんこそらんこそらんこそ、、、いとやさしくいとやさしくいとやさしく侍侍はべるなれるなれるなれ。。。
- 76右京右京うきょうノノノ權權けんノノノ大夫大夫だいぶ政政まさといひてといひてといいて、、、歌歌うたよめるよめるよめる人人ひとののの、、、さることありとさることありとさることありと聞聞ききてきてきて、、、わざとたづねきてわざとたづねきてわざとたずねきて、、、そのそのその鳥鳥とりののの籠籠こににに、、、結結むすびつけられびつけられびつけられ侍侍はべりけるうたりけるうたりけるうた、、、
- 77鶯鶯うぐいすののの子子こになりにけるになりにけるになりにける時鳥時鳥ほととぎすいづれのねにかいづれのねにかいずれのねにか鳴鳴なかんとすらんかんとすらんかんとすらん
- 78萬葉集萬葉集まんようしゅうにににははは、、、「「「父父ちちににに似似にてもなかずてもなかずてもなかず。。。母母ははにゝてもなかずにゝてもなかずににてもなかず」」」。。。ととと侍侍はべるなればるなればるなれば、、、うぐひすとうぐひすとうぐいすとはははなかずやなかずやなかずや有有ありけんりけんりけん。。。などなどなど、、、いといといと優優やさしくこそしくこそしくこそ申申もうすめりしかすめりしかすめりしか。。。
現代語訳
中ごろ、男がいました。女を思って時々通っていたが、男がいる所で、灯火の炎の上にその女が見えたので、「これは忌むべきことだそうだ。火の燃えている所をかき落として、その人に飲ませるのだそうだ」といって紙に包んで持っていたうちに、用事が多くて紛れることがあったので忘れて、一日二日過ぎて、思い出すままに行ったところ、「病んで程なく女は亡くなりました」と言ったので、早く行って、あの灯火のかき落とした物を見せ(飲ませ)ないで(しまった)と、自分の過ちに悲しく思って、無常の鬼に一口に食われたというような心の憂さに、足ずりをしそうなほど嘆き泣いていたところ、「お見せせよということでしょうか、このお手紙を見つけました」といって取り出したのを見ると、
鳥部山の谷に煙が見えたなら、はかなく消えた私だと知ってください。
と書いてありました。歌までも灯火の煙のように思われて、たいそう悲しく思ったのも道理です。
またある女がいました。時々通っていた男がいつしか途絶えたので、つらくて心の中で思い悩んでいたが、その人が門の前を通り過ぎることがあったのを、家の人が「今お通りになります」と言ったので、思い余って「ちょっと立ったままでもお入りください」と追いかけて言わせたところ、(男は)車を返して入ってきたが、もと見た時よりも慕わしい様子で、ことのほか(美しく)見えたので、後悔して何かと言ったけれど、女はただ経ばかり読んで返事もしなかったうちに、七の巻の「即往安楽世界」という所を繰り返し読むと見ていたうちに、そのまま息絶えて亡くなったので、自分も寄って押さえ、人も寄って何かとしたけれど、そのまま亡くなってしまいました。こうして(男は)籠居もし、また髪もおろそうと思ったけれど、その時弁であった人なので、さすがに籠居もできず、土に下りて(喪に服し)、あれこれのことまで取り計らって、しばらくは山里に隠れていたので、世を背いたと聞こえたけれど、さすがに隠れきれずに出仕したので、「帰る弁」と言ったそうです。
左衛門尉頼実という蔵人は、歌の道にすぐれ、また好きにも好んでいましたが、七条にある所で「夕べに郭公を聞く」という題を詠みました時に、酔って、その家の車宿りに立ててあった車で歌を考えようとして寝過ごしてしまったのを、(人々は)探したけれど思いもよらず、もう披講しようとして皆が書いた後で、「このあたりは稲荷の明神こそ(おいでになる)」といって念じたところ、ふと思いついたのを書いたのでした。
稲荷山を越えてやって来たのか、郭公よ。夕べにかけて、木綿をかけた(神の山の方から)声が聞こえることだ。
同じ人が、「人に知られるほどの歌を詠ませてください。五年の命に代えましょう」と住吉に申したところ、「落葉雨の如し」という題に、
木の葉の散る宿では聞き分けることがない。時雨の降る夜も、時雨の降らない夜も。
と詠んだのを、必ずこれ(が祈った歌)だとも思いもよらなかったのでしょうか、病気になって生きようと祈りなどしたところ、家にいた女に住吉の神が乗り移って、「あのような歌を詠ませたではないか。だから生きられまい」とおっしゃったので、ひたすら後世の祈りになったということです。
また同じ一族で三河守頼綱といった人は、まだ若くて親のもとで三河国に下った時、その国の女に言い寄って、二度と便りもしなかったので、女が、
あきれたこと。(あの夜)見たのは夢だったのかと問ううちに、(あなたに)思い出させる身になってしまったことです。
と申したので、改めて心惹かれて思ったのでした。このように詠んだからといって、容貌が変わるものかとも思われますが、昔の人は、中ごろまでは、人の心はこのようでございました。このことは、その人の子の仲正といった者が語ったそうです。
三河守頼綱は、歌の道において人も認めていました。自分でも、ことのほか思い上がった様子でした。俊頼という人が少将であった時、頼綱が言ったのは、「少将殿、少将殿、歌を詠もうとお思いなら、頼綱をお供させなさい。ほかの者は入るべきではありません。洗い清めた仏供を二かわらけ供えなさい」などと言ったのでした。その歌は多くございますが、
夏山の楢の葉がそよぐ夕暮れは、今年も秋の心地がすることだ。
という歌こそ、人が口ずさんでいるようです。
近い世に、ある女を、八幡にいる宮寺の別当で僧都と申した人が、小侍従とかいう人の親でしょうか、その坊に籠め据えて年月が経ったうちに、都からしかるべき人の娘を(妻として)渡そうと言ってきたので、「このようなことがあるので、人の聞くところも憚られるから、しばらく都へ帰っていなさい。迎えに行く時もあろう」といって支度して出したが、あまりに大げさに贈り物などをして持たせたので、(女は)今はもうこれで終わりなのだろうと思うにつけても、たいそう心細くて、硯瓶の下に歌を書いて置いて行ったのを、取り出して見ると、
行く方も知らない浮き木のような身だけれど、世にめぐっているなら、流れて(またあなたに)会うこともあるでしょう。
と詠んであったのを見て、(別当の)娘であった人で、院(鳥羽院)の宮々などをお産み申し上げた方が、まだ若くていらしたのに、「京へ送った人が、この歌を詠み置いていった。返事をしたものだろうか。また迎えたものだろうか」とご相談申し上げたところ、「返歌は世の常のことです。お迎えになってこそ、歌の本意もございましょう」と申したので、心にかなったのでしょうか、その日のうちに迎えにまた(使いを)やって、「今日必ずお帰りください」といって、夜の明けるころに帰ってきました。またそのしかるべき人の娘は、言いようもないほど居所などを設け、端女や雑仕などという者を大勢整えて据えたけれど、一夜ばかりで、硯瓶の人にばかり(寄り添って)離れることもなかったのでした。その女も、大臣家の宮仕え人であったが、母が筑紫に下って菅原の氏寺の別当に連れ添っていたのが、その法師が亡くなったので都へ上るべきよすがもなくていたのを、その娘は朝夕に嘆いていたところ、大臣殿が五節の舞姫を奉られた時でしょうか、童として出すべき女を外のあちこちでご覧になったけれど、これほどの者が見えなかったので、「思うところがあって言うのだ。言うことを聞いてくれるか」とあったので、「どうして仰せ言に従わずにおりましょう」と申したところ、「五節の童に出そうと思う」とおっしゃったので、「どんなことも承りますが、それはできません」と申したところ、「強いて思うことなのだ。ぜひ聞いてくれたら、どんな大事でもかなえよう」とあったので、これほどまでにおっしゃることを、そうむやみにもお断りできずに出たところ、あの大臣殿の童はどれほどの者だろうといって、殿上人が我も我もと見たがり合った中に、盛んに言い寄っていた何の少将などという人も見ようとしたのを、ある殿上人が「珍しくもない。いつもご覧なさい」と言ったので、不審に思って見ると、自分が離れずに言い寄っている人だったので、恨んで恥ずかしめたけれど、それほどまでに思い立って出たのでした。後に大臣殿が「この喜びに、どんな大事があるか」とお尋ねになったところ、「熊野に詣でたいという志が深うございます」と申すと、たやすいことだといって人夫などを大勢召して、清らかな衣など何かと整えてお出しになって、(熊野に)参って筑紫の母を迎え寄せることを祈願申して帰るところ、淀のあたりでしたか、御幸などの装いのように道も避けきれないほどのことがあったが、「今日、政所(の北の方)が京にお出になる」といって、外見には何とも思っていない様子が言いようもなく見えたうちに、垂れ衣の隙間から見えたのでしょうか、手紙を書いて「京からのお手紙です」とあるのを見ると、大臣殿の御使いではなくて、思いがけない筋の手紙でした。あの石清水の僧(別当)の舟の人などで、見知っている供人だと言ったので、聞き入れもしないでいたが、あれこれ思いがけず言わせたので、断りきれずに(舟から)下りて、あの筑紫の母を迎え取って、都に住まわせなどしたと聞こえましたのは、小大進とかいう人のことでしょうか。
陸奥守橘為仲と申す人がその国に下って、五月四日、館に庁官とかいう年老いた者が出てきて菖蒲を葺かせていたのを見ると、いつもの菖蒲ではない草を葺いていたのを見て、「今日は菖蒲を葺く日であるのに、これはどういうものを葺くのか」と問わせたところ、「伝え承っておりますのは、この国では昔、五月といっても菖蒲を葺くことも知りませんでしたが、中将(実方)の御館の御時、『今日は菖蒲を葺くものなのに、どうしてそういうこともないのか』とおっしゃったので、『国の例にそういうことはございません』と申したところ、『五月雨のころなど、軒の雫も菖蒲によってこそ、もう少し見るにも聞くにも心が澄むことなのだから、早く葺け』とおっしゃったけれど、『この国には生えておりません』と申したところ、『そうであっても、どうしてなくてよかろう。安積の沼の花かつみというものがある。それを葺け』とおっしゃってから、真菰と申すものを葺いております」と、武蔵の入道隆資と申す人が語りました。もしそうなら、「ひく手もたゆく長きねの」という歌はおぼつかないことです。実方中将の御墓は陸奥にあると伝え聞きましたが、本当でしょうか。蔵人頭にもなられずに陸奥守になって亡くなられたので、この世までも、殿上の間の台盤を据えたところに雀が上って(台盤の飯を)食べる時などがあるそうです。実方の中将が頭になられなかった思いが残っていらっしゃるのだなどと申すのも、本当ならば、しみじみと畏れ多くも末世の人はあることですね。
いつの年でございましたか。右近の馬場の手結の日でしたでしょうか。女車が見物に向かっていたところ、重通の大納言が宰相中将でいらした時でしょうか、車を続けて行って、見知っている車なので、見やすい所に立てさせたりして、後に自分の随身を女の車にやって、
誰だ誰だ、誰だ、さ山の郭公よ
とか申し上げたので、女の車から、
上の空ではどう名のりましょう
と言い返したそうです。たいしてすぐれて聞こえることもなく、(付け合いも)かなっていないかもしれません。けれども、事の様子が優雅に聞こえたのです。その場ですぐに思いつくことも難しくて、それで黙ってしまうよりも、このように言ったのも、もっともなことと聞こえます。また連歌の五文字も、なるほどとは聞こえないけれども、そのように問うべきことだったのでしょう。また確かには承っておりません。「手結(ひをり)」ということは、はっきりしないことだそうです。兼方は「真手番」と申したとか。匡房中納言の『江次第』とかいうものにも、このことは見えると聞きました。
またいつの年でしたか、真弓の的を懸けることを舎人が争って、日が暮れ夜が更けるまでありましたので、見物の車どもが次々に帰ったところ、(歌を)書きつけて大将の随身に取らせたとか。
梓弓を引くのをためらっているうちに、月の光が(山に)入るのばかりを見て帰ってしまったことだ。
間違いでしょうか。出雲国で亡くなられた大将殿(藤原忠実か)が(大将に)おつきになっていらした(時の)ことだとか。
堀河の帝の内侍で周防とかいった人が、家を手放して他に移るといって、柱に書きつけた歌、
住みわびて私までもが退いてゆく、軒の忍ぶ草よ、偲ぶことの方々に茂っている宿であることよ。
と書いたのが、まだその家は残っていて、その歌もあるそうです。見た人が語りましたのは、「たいそうしみじみと心惹かれて。その家は上のあたりの、どこでしたか、冷泉堀河の西と北の隅にある所だと人は申しました。お出かけになってご覧になるべきですよ。まだなくならないうちに」と。また堀河の帝がお亡くなりになって、今の帝(鳥羽天皇)の内侍に移るべき旨がありました時に、
天の川は同じ流れ(同じ皇統)とは言いながら、(新しい帝のもとへ)渡ることはやはり悲しいことです。
とお詠みになったのでしょう。たいそう情趣深く聞こえました。
近ごろいらした横川の座主の坊に、琳賢といって、器用で石を立てたり飾り車の風流(の細工)などをしたりする者がおりました。訴え申すことがあって、雅兼中納言が蔵人頭でいらした時、その家に参りましたところ、「大原の滝の歌こそ、たいそう趣深く聞こえた」とおっしゃったので、「訴え申すことはどうなってもかまいません。この仰せこそ身にしみて嬉しゅうございます」といって、限りなく喜んで出て行きました。その歌は、花園の大臣(有仁)が大原の坊の滝を見にお入りになった時に、
今からは決しておろそかには言いません、岩清水よ、(大臣の)ご覧を経た滝の白糸よ。
と詠んだのだそうです。戯れ言のようだけれど、様子が趣深く聞こえますので申したのです。
摂津守範永といった人は、どこの山里でしたか、夕暮れに庭に下りて、行きつ戻りつ歩いて、
しみじみと趣深いことよ、趣深いことよ
と何度も口ずさんでいたので、帯刀節信といった者が、
日が暮れると、あちこちの鐘の声(がする)
と付けたので、「ああ、すばらしい」と言ったそうです。「その昔、井手の蛙を捕って飼っていたところ、その蛙が死んだので、干して持っていたとか」。
どの斎宮でしたか、人が参って今様を歌ったりなさった時に、終わりの方に四句の神歌を歌うといって、「植木をしたわけは、鶯を住ませようというのでもない」と歌われたので、心の鋭い人などが聞いて、(斎宮で)憚りのあることなどが出てこないかと思っていたところに、「くつくつと鳴くなるなめ(なめくじ?)を据えて、染紙(経)を読ませようというのであった」と歌われたが、その人は歌詠みとしては聞こえなかったけれど、得意の道になると、このようでございました。このことは刑部卿とかいう人が語られましたが、侍従大納言(成通)と申す人もありましたので、それなら道理でしょう。
菩提樹院という寺で、ある僧坊の池の蓮に鳥が卵を産んでいたのを取って籠に入れて飼っていたところ、鶯が籠に入ってきて餌を含ませたりしたので、鶯の子だったのだと知ったけれど、子は大きくて親にも似ていなかったので不審に思っていたうちに、子がだんだん大人びてきて「ほととぎす」と鳴いたので、昔から言い伝えている古いことは本当だったと思って、ある人が詠んだ歌、
(鶯の親の)親こそ今は知りたいものだ。郭公は早くも鶯の子だったのだ。
と詠みました。万葉集の長歌に「鶯の卵の中の郭公」などといって、このことがあるそうですが、たいそう興あることでございますね。蔵人実兼と申した人が匡房の中納言の物語を書いた書物(江談抄)にも、中ごろの人がこのことを見届けたことなどを書いているとか。このように伝え聞くことでございますのに、目の前でこのようなことであるのこそ、たいそう優雅でございます。右京権大夫頼政といって歌を詠む人が、そういうことがあると聞いて、わざわざ訪ねてきて、その鳥の籠に結びつけられました歌、
鶯の子になってしまった郭公は、どちらの声で鳴こうとするのだろう。
万葉集には「父に似ても鳴かず、母に似ても鳴かず」とございますので、鶯とは鳴かなかったのでしょうか、などと、たいそう優雅に申したようです。
意訳
巻十「うちぎき(打聞)」は、聞き書きの意。和歌にまつわる逸話を自由に書き連ねる。章題の「敷島の打聞」の「敷島」は大和、ひいては和歌のこと。
頼実は住吉の神に「五年の命と引き換えに名歌を」と祈り、「木の葉ちる宿は聞きわく事ぞなき」の名歌を得たが、のちに病気になると神が「あの歌を詠ませたではないか」と告げ、命は延びなかったという。和歌に命をかけた数寄者の話である。
八幡の別当の女の話では、別当に捨てられかけた女が硯瓶の下に残した歌によって呼び戻され、その女房小大進は、五節の童に出た後、思いがけない縁で筑紫の母を迎えることができた。陸奥では菖蒲の代わりに花かつみ(真菰)を葺いた話、藤原実方の霊が雀となって殿上の台盤をついばむ話、郭公が鶯の巣で育つ「托卵」を目撃した話など、多彩な聞き書きが続く。
語釈・文法注
- 鳥部山
- 京都東山の火葬場。
- 卽住安樂世界
- 法華経巻七・薬王品の句「即往安楽世界」。女人が極楽に往生することを説く。
- かへる辨
- 出家したと思われながら出仕に戻った弁官。
- 左衞門ノ尉賴實
- 源頼実(1015〜1044)。歌人。和歌六人党の一人。
- いなり山
- 稲荷山。京都伏見の稲荷大社の山。
- 住吉
- 住吉大社。和歌の神として信仰された。
- 三河守賴綱
- 源頼綱(1025〜1097)。頼実の甥。歌人。
- 仲正
- 源仲正。頼綱の子。頼政の父。歌人。
- 佛供
- 仏に供える飯。
- 硯がめ
- 硯に注ぐ水を入れる瓶。
- 小大進
- 女流歌人。石清水別当光清の娘とも。
- 陸奧守橘爲仲
- 橘為仲(?〜1085)。歌人。陸奥守。
- はなかつみ
- 花かつみ。陸奥の安積の沼の名物とされた水草。真菰とする説がある。
- 實方中將
- 藤原実方(?〜998)。歌人。陸奥守として下り、任地で没した。死後雀になって殿上の台盤の飯をついばんだという伝説がある。
- ひをり
- 手結。騎射や競馬の前に行う練習の日。
- 江次第
- 大江匡房『江家次第』。朝廷の儀式の解説書。
- 周防
- 周防内侍。第62章参照。
- 琳賢
- 比叡山の僧。造園や細工に巧みだった。
- つのかみ範永
- 藤原範永。摂津守。歌人。第47章参照。
- 帶刀節信
- 藤原節信。帯刀。歌人。数寄者として知られた。
- 井手のかはづ
- 山城国井手の蛙。歌枕。節信が井手の蛙の干物を持っていたという逸話は『袋草紙』に見える。
- 菩提樹院
- 京都にあった寺。
- 鶯のかひこの中のほとゝぎす
- 万葉集巻九・高橋虫麻呂の長歌。郭公が鶯の巣に卵を産む「托卵」を詠む。
- 右京ノ權ノ大夫賴政
- 源頼政(1104〜1180)。歌人・武将。のち以仁王と挙兵した。
文法
- かくよむとも、みめかたちやは變るべき
- このように詠んだからといって、容貌が変わるものだろうか、いや変わらない。
- さればえ生くまじ
- だから生きることはできまい。
和歌
鳥部山谷にけぶりの見えたらばはかなく消えし我れとしらなむ
- 詠者
- 女
- 状況
- 死んだ女が男に遺した手紙の歌。
修辞
- 比喩
- 火葬の煙をはかなく消えた自分の姿とする。
いなり山こえてやきつる郭公ゆふかけてしも聲のきこゆる
- 詠者
- 源頼実
- 状況
- 「夕べに郭公を聞く」の題で、稲荷明神に祈って詠んだ歌。
修辞
- 掛詞
- 「ゆふ」に「夕」と神に捧げる「木綿」をかける。
木の葉ちる宿は聞きわく事ぞなき時雨する夜もしぐれせぬよも
- 詠者
- 源頼実
- 状況
- 住吉の神に祈って得た「落葉雨の如し」の題の歌(後拾遺集)。
修辞
- 趣向
- 落葉の音が時雨の音と区別がつかないことを詠む。
あさましや見しは夢かと問ふ程におどろかすにもなりにけるかな
- 詠者
- 三河の女
- 状況
- 一夜限りで便りをしなくなった源頼綱に贈った歌。
修辞
- 掛詞
- 「おどろかす」に、目を覚まさせることと、便りをして思い出させることをかける。
夏山のならのはそよぐ夕暮はことしも秋のこゝちこそすれ
- 詠者
- 源頼綱
- 状況
- 頼綱の代表的な歌(後拾遺集)。
行く方もしらぬうき木の身なれどもよにしめぐらば流れあへかめ
- 詠者
- 八幡の別当の女
- 状況
- 別当の坊を出される時、硯瓶の下に残した歌。
修辞
- 掛詞
- 「うき木」に「浮き木」と「憂き」をかける。
- 縁語
- 「うき木」「流れ」「めぐる」。
梓弓ためらふほどに月かげのいるをのみ見て歸りぬるかな
- 詠者
- 作者未詳
- 状況
- 真弓の的懸けが夜まで長引き、見物の車が帰った時の歌。
修辞
- 掛詞
- 「いる」に月が「入る」と弓を「射る」をかける。
- 縁語
- 「梓弓」「いる」。
すみわびてわれさへのきの忍草しのぶかた〴〵しげき宿かな
- 詠者
- 周防内侍
- 状況
- 住み慣れた家を手放す時、柱に書きつけた歌(金葉集)。
修辞
- 掛詞
- 「のき」に「退き」と「軒」、「しのぶ」に「忍草」と「偲ぶ」をかける。
あまのがは同じ流れといひながらわたらむことは猶ぞ悲しき
- 詠者
- 周防内侍
- 状況
- 堀河天皇の崩御後、鳥羽天皇の内侍として仕えることになった時の歌。
修辞
- 比喩
- 天の川を皇統にたとえる。
今よりはかけておろかにいはしみづ御覽をへつるたきの白糸
- 詠者
- 琳賢
- 状況
- 源有仁が大原の坊の滝を見に来た時に詠んだ歌。
修辞
- 掛詞
- 「いはしみづ」に「言はじ」と「岩清水」をかける。
親のおやぞいまはゆかしき郭公はや鶯のこは子なりけり
- 詠者
- 作者未詳
- 状況
- 鶯が郭公の雛を育てるのを見て詠んだ歌。
鶯の子になりにける時鳥いづれのねにか鳴かんとすらん
- 詠者
- 源頼政
- 状況
- 鶯に育てられた郭公の籠に結びつけた歌。
修辞
- 掛詞
- 「ね」に「音(声)」と「根(血筋)」を響かせる。
解説
巻十は今鏡の結びの巻で、和歌にまつわる逸話を自由に書き連ねる「打聞」の形をとる。歌に命をかける数寄者や、和歌によって人生が変わった人々の話が多い。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、394〜409頁(コマ212–219)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日