今鏡 第九「むかしがたり」 第76章
誠の道
仏道に心を寄せた文人たちの昔語り。慶滋保胤は泣く女に自分の帯を与えて小舎人の帯を借りて出仕し、出家後は増賀聖に止観を学ぼうとして泣いてばかりいて殴られた。大江定基(寂照)は愛妻の死を機に出家して宋に渡り円通大師となった。統理の出家と増賀の世話、前世の願を果たした公経、前世が牛だった定俊の話などが語られる。
- 1のののひじりひじりひじりははは、、、やんごとなきやんごとなきやんごとなき博士博士はかせにてにてにて、、、文文ふみ作作つくるるる道道みち類類たぐひひひ少少すくなくてくてくて、、、世世よにつかへけれどにつかへけれどにつかえけれど、、、心心こころはははひとへにひとへにひとえに、、、佛佛ほとけののの道道みちににに深深ふかくそみてくそみてくそみて、、、あはれびのあはれびのあわれびの心心こころのみありければのみありければのみありければ、、、大內記大內記だいないきにてにてにて、、、記記しるすべきすべきすべき事事ことありてありてありて、、、催催もよおされてされてされて內內うちににに參參まいれりけるにれりけるにれりけるに、、、左衞門左衞門さえもんののの陣陣じんなどのなどのなどの方方かたにやにやにや。。。
- 2女女おんなののの泣泣なきてきてきて立立たてるがありけるてるがありけるてるがありけるををを、、、「「「何事何事なにごとのあればのあればのあれば、、、かくかくかくははは泣泣なくぞくぞくぞ」」」。。。ととと問問とひければひければいければ、、、「「「あるじのあるじのあるじの使使つかいにてにてにて、、、ののの帶帶おびををを人人ひとににに借借かりてりてりて、、、もてまかりつるがもてまかりつるがもてまかりつるが、、、道道みちににに落落おとしてしてして侍侍はべればればれば、、、あるじにもあるじにもあるじにも、、、重重おもくくく戒戒いましめられんずらむめられんずらむめられんずらむ。。。さばかりのさばかりのさばかりの物物ものををを失失うしなひつるひつるいつる、、、あさましくあさましくあさましく悲悲かなしくてしくてしくて、、、歸歸かえるるる空空そらもなければもなければもなければ、、、思思おもひやるひやるいやる方方かたもなくてもなくてもなくて、、、それそれそれををを泣泣なききき侍侍はべるなりるなりるなり」」」。。。
- 3ととと申申もうしければしければしければ、、、心心こころのののうちうちうち推推おししし量量はかるにるにるに、、、誠誠まことにさぞにさぞにさぞ悲悲かなしからんとてしからんとてしからんとて、、、わがさしたるわがさしたるわがさしたる帶帶おびをををときてときてときて、、、取取とらせたりければらせたりければらせたりければ、、、元元もとののの帶帶おびにににはははあらねどもあらねどもあらねども、、、「「「空空むなしくしくしく失失うしなひてひていて、、、申申もうすかたなからんよりもすかたなからんよりもすかたなからんよりも、、、おのづからおのづからおのずから罪罪つみもよろしくやもよろしくやもよろしくや侍侍はべるるる」」」。。。
- 4とてとてとて、、、「「「これこれこれをもをもをもてまからんずるてまからんずるてまからんずる嬉嬉うれしさしさしさ」」」ととと、、、手手てをををすりてすりてすりて、、、とりてまかりにけりとりてまかりにけりとりてまかりにけり。。。さてさてさて片隅片隅かたすみににに帶帶おびもなくてもなくてもなくて、、、隱隱かくれゐたりけるれゐたりけるれいたりける程程ほどににに、、、事事こと始始はじまりければりければりければ、、、おおおそし〳〵とそし〳〵とそしそしと催催もよおされてされてされて、、、みくらのみくらのみくらの小舍人小舍人こどねりとかにとかにとかに、、、帶帶おびををを借借かりてぞりてぞりてぞ、、、公事公事くじははは勤勤つとめられめられめられ侍侍はべりけるりけるりける。。。
- 5亭亭ていののの記記きとてかゝれたるとてかゝれたるとてかかれたるふみにもふみにもふみにも、、、身身みははは朝朝あしたにありてにありてにありて、、、心心こころははは隱隱こもりにありとぞにありとぞにありとぞ侍侍はべるなるるなるるなる。。。
- 6中務中務なかつかさののの宮宮みやののの、、、ものものもの習習ならひひい給給たまひけるにもひけるにもいけるにも、、、ふみふみふみ少少すこししし敎敎おしへたてまつりてへたてまつりてえたてまつりてははは、、、目目めををを閉閉とぢてぢてじて、、、佛佛ほとけをををねんじねんじねんじ奉奉たてまつりてぞりてぞりてぞ、、、怠怠おこたらずらずらず勤勤つとめめめ給給たまひけるひけるいける。。。かくてかくてかくて年年としをををわたりけるわたりけるわたりける程程ほどににに、、、年年としたけてぞたけてぞたけてぞ、、、かしらおろしてかしらおろしてかしらおろして、、、橫川橫川よかわにのぼりてにのぼりてにのぼりて、、、法文法文ほうもんならひならひならい給給たまひけるにひけるにいけるに、、、ひじりのひじりのひじりの、、、まだまだまだ橫川橫川よかわににに住住すみみみ給給たまひけるひけるいけるほどにてほどにてほどにて、、、ののの明明あ靜靜しずかなることなることなること、、、前前まえ代代よにいまだにいまだにいまだ聞聞きかずかずかず。。。
- 7とよみとよみとよみ給給たまひけるひけるいける、、、このこのこの入道入道にゅうどう、、、たゞたゞただ泣泣なきになきければきになきければきになきければ、、、ひじりひじりひじり「「「かくやかくやかくやはははいつしかいつしかいつしか泣泣なくべきくべきくべき」」」。。。とてとてとて、、、こぶしこぶしこぶしををを握握にぎりてりてりて、、、打打うちちち給給たまひければひければいければ、、、我我われもれもれも人人ひとももも、、、事事ことにがりてにがりてにがりて、、、立立たちにけりちにけりちにけり。。。
- 8又又また程程ほど經經へててて、、、「「「さてもやさてもやさてもやははは侍侍はべるべきるべきるべき。。。かのかのかのふみふみふみ受受うけけけ奉奉たてまつりりり侍侍はべらんらんらん」」」。。。ととと申申もうしければしければしければ、、、又又またさきのさきのさきの如如ごとくにくにくに泣泣なきければきければきければ、、、またはしたなくまたはしたなくまたわしたなく、、、さいなみければさいなみければさいなみければ、、、後後のちのことばもえのことばもえのことばもえ聞聞きかでかでかで過過すぐるぼどにぐるぼどにぐるぼどに、、、又又また懲懲こりずまにりずまにりずまに、、、御御おんけしきとりけしきとりけしきとり給給たまひければひければいければ、、、またまたまた更更さらににに讀讀よみみみ給給たまふにもふにもうにも、、、同同おなじやうにいとゞじやうにいとゞじょうにいとど泣泣なきききをををりければこそりければこそりければこそ、、、ひじりもひじりもひじりも涙涙なみだこぼしてこぼしてこぼして、、、「「「誠誠まことににに深深ふかききき御法御法みのりののの尊尊とうとくおぼゆるにこそくおぼゆるにこそくおぼゆるにこそ」」」とてとてとて、、、あはれがりてあはれがりてあわれがりて、、、そのそのそのふみふみふみ靜靜しずかににに授授さずけけけ給給たまひけりひけりいけり。。。
- 9さてやんごとなくさてやんごとなくさてやんごとなく侍侍はべりければりければりければ、、、御堂御堂みどうののの入道入道にゅうどう殿殿どのももも、、、御戒御戒おおんかいなどなどなど受受うけさせけさせけさせ給給たまひてひていて、、、ひじりみまかりにけるひじりみまかりにけるひじりみまかりにける時時ときははは、、、などせさせなどせさせなどせさせ給給たまひてひていて、、、さらしさらしさらし布布ぬのもゝむらもゝむらももむら給給たまひけるひけるいける、、、うけぶみうけぶみうけぶみははは、、、のののひじりたてまつりてひじりたてまつりてひじりたてまつりて、、、秀句秀句しゅうくなどかきとゞめなどかきとゞめなどかきとどめ給給たまひけりひけりいけり。。。
- 10昔昔むかし隋隋ずいノノノノノノ智者智者ちしゃニニニ報報むくゼシゼシゼシ、、、千僧千僧せんそうヒトツヲアマシヒトツヲアマシヒトツヲアマシ、、、今今いま左丞相左丞相さじょうしょうノノノ寂公寂公じゃくこうトブラフトブラフトブラフ、、、サラシサラシサラシ布布ぬのモヽチニミテリモヽチニミテリモヽチニミテリ。。。
- 11とぞかゝれとぞかゝれとぞかかれはべりけるはべりけるはべりける。。。
- 12そのそのその三河三河みかわのののひじりもひじりもひじりも、、、博士博士はかせにおはしてにおはしてにおわして、、、大江大江おおえののの氏氏うじののの、、、上達部上達部かんだちめののの子子こににに、、、おはしけるがおはしけるがおわしけるが、、、三河三河みかわノノノ守守かみになりてになりてになりて、、、國國くにへへへ下下くだりりり給給たまひけるにひけるにいけるに、、、類類たぐひなくおぼえけるひなくおぼえけるひなくおぼえける女女おんなををを、、、具具ぐしておはしけるしておはしけるしておわしける程程ほどににに、、、女女おんなみまかりにければみまかりにければみまかりにければ、、、悲悲かなしびのしびのしびの餘餘あまりにとりすつることもせでりにとりすつることもせでりにとりすつることもせで、、、なりまかるさまなりまかるさまなりまかるさまををを見見みててて、、、心心こころをををおこしておこしておこして、、、やがてかしらおろしてやがてかしらおろしてやがてかしらおろして、、、都都みやこにのぼりてにのぼりてにのぼりて物物ものなどなどなど乞乞こひありきけるにひありきけるにひありきけるに、、、もとのもとのもとの妻妻めにてありけるにてありけるにてありける女女おんな、、、「「「我我われれれををを捨捨すてたりしてたりしてたりし報報むくいにいにいに、、、かゝれとこそかゝれとこそかかれとこそ思思おもひしにひしにいしに、、、かくかくかく見見みなしたることなしたることなしたること」」」。。。
- 13などなどなど申申もうしければしければしければ、、、「「「御德御德おおんとくににに佛佛ほとけになりなんになりなんになりなん事事こと」」」とてとてとて、、、手手てをををすりてすりてすりて喜喜よろこびけるとびけるとびけると、、、傳傳つたへへえ語語かたりりり侍侍はべるるる。。。さてさてさて內記內記ないきのののひじりひじりひじりををを師師しにしにしにし給給たまひてひていて、、、ひんがしひんがしひんがし山山やまののの、、、におはしにおはしにおわし、、、橫川橫川よかわにのぼりてもにのぼりてもにのぼりても、、、信信のぶ僧都僧都そうずなどになどになどに、、、深深ふかききき御法御法みのりののの心心こころ汲汲くみしりみしりみしり給給たまひてひていて、、、ののの平平へい中納言中納言ちゅうなごんののの、、、北北きた白川白川しらかわにてにてにて六十卷六十卷ろくじっかん講講こうじじじ給給たまひけるにひけるにいけるにははは、、、僧都僧都そうず、、、まだまだまだ內供內供ないぐにおはしけるにおはしけるにおわしける時時とき、、、講師講師こうじせさせせさせせさせ給給たまへりへりえり。。。
- 14このこのこの三河三河みかわののの入道入道にゅうどうははは、、、師師しとかやにてこそとかやにてこそとかやにてこそははは、、、法華經法華經ほけきょうのこゝろのこゝろのこころ說說ときあらはせるきあらはせるきあらわせるふみもふみもふみも、、、點點てんじしたゝめてじしたゝめてじしたためて、、、そこばくのそこばくのそこばくの聽聽き衆衆しゅうどもどもども居居いなみてなみてなみて、、、おの〳〵おの〳〵おのおの讀讀よみしたゝめられみしたゝめられみしたためられ侍侍はべりけりりけりりけり。。。
- 15かくてかくてかくて後後のちにぞにぞにぞ、、、山山やま三井寺三井寺みいでらののの僧僧そうたちもたちもたちも、、、やすらかによみやすらかによみやすらかによみ傳傳つたへたまふなるへたまふなるえたまうなる。。。遂遂ついにからにからにから國國くににおはしてもにおはしてもにおわしても、、、いひしらぬことゞもおはしければいひしらぬことゞもおはしければいいしらぬことどもおわしければ、、、大師大師だいしののの御名御名みな得得え給給たまひてひていて、、、圓通圓通えんつう大師大師だいしとこそきこえとこそきこえとこそきこえ給給たまふめれふめれうめれ。。。
- 16かくれたまひけるにかくれたまひけるにかくれたまいけるに、、、佛佛ほとけ迎迎むかへへえ給給たまひひい、、、樂樂がくのおとのおとのおと聞聞きこえければこえければこえければ、、、それにもそれにもそれにも詩詩しつくりつくりつくり、、、歌歌うたよみなどしよみなどしよみなどし給給たまひけるもひけるもいけるも、、、もろこしよりもろこしよりもろこしより送送おくりりり侍侍はべりけるりけるりける。。。
- 17笙謌笙謌しょうかハルカニハルカニハルカニ聞聞きこコユコユコユ孤雲孤雲こうんノウヘノウヘノウヘ、、、ススス落日落日らくじつノマヘノマヘノマヘ、、、
- 18とつくりとつくりとつくり給給たまへりへりえり。。。歌歌うたははわ、、、
- 19雲雲くもののの上上うえにににはるかにはるかにはるかに樂樂がくののの音音おとすなりすなりすなり人人ひとやきくらんひかやきくらんひかやきくらんいか聞聞きかもしかもしかもし
- 20とよみたまへりけるととよみたまへりけるととよみたまえりけると聞聞きこえこえこえ侍侍はべりしりしりし。。。
- 21又又また少納言少納言しょうなごんととと聞聞きこえしこえしこえし人人ひと、、、年年としごろもごろもごろも世世よをををそむくそむくそむく心心こころやありけむやありけむやありけむ。。。月月つきののの隈隈くまなくなくなく侍侍はべりけるにりけるにりけるに、、、心心こころをををすましてすましてすまして、、、山山やま深深ふかくたづねくたづねくたずね入入いらんらんらん志志こころざしののの、、、せちにせちにせちに催催もよおしければしければしければ、、、まづまづまず家家いえににに、、、「「「設設もうけよけよけよ。。。出出いでんでんでん」」」。。。
- 22といひてといひてといいて、、、かしらかしらかしら洗洗あらひてひていて、、、梳梳けずりりりほしなどしけるほしなどしけるほしなどしけるををを、、、妻妻つまなりけるなりけるなりける女女おんなももも心得心得こころえててて、、、さめ〴〵とさめ〴〵とさめざめと泣泣なきききをををりけれどりけれどりけれど、、、かたみにかたみにかたみに、、、とかくいふとかくいふとかくいう言言いはなくてはなくてわなくて、、、あくるあくるあくる日日ひうるはしきうるはしきうるわしき裝裝よそひしてひしてひして、、、一一いちののの人人ひとののの御御おんもとにもとにもとに詣詣もうでてでてでて、、、山里山里やまざとにまかりこもるべきにまかりこもるべきにまかりこもるべき由由よしののの、、、いとまいとまいとま申申もうしけれどしけれどしけれど、、、人人ひとももも申申もうしつがざりけるしつがざりけるしつがざりけるををを、、、しひしひしい申申もうしければしければしければ聞聞きききき給給たまひてひていて、、、「「「少納言少納言しょうなごんこなたへこなたへこなたえ」」」とてとてとて、、、出出しゅつあひあひあい給給たまひてひていて、、、御御おん數珠數珠ずずたびてたびてたびて、、、「「「後後のちののの世世よははは賴賴たのむぞむぞむぞ」」」。。。
- 23などなどなど侍侍はべりければりければりければ、、、數珠數珠ずずをばをばをばをさめてをさめておさめて、、、拜拜はいしたてまつりてしたてまつりてしたてまつりて、、、增賀增賀ぞうがひじりのひじりのひじりの室室しつにいたりてにいたりてにいたりて、、、かしらおろしたりけれどかしらおろしたりけれどかしらおろしたりけれど、、、勤勤つとめめめ行行おこなふふう事事こともなくてもなくてもなくて、、、ものものもの思思おもひたるひたるいたる姿姿すがたなりければなりければなりければ、、、ひじりさるひじりさるひじりさる心心こころにてにてにて、、、はしたなくはしたなくはしたなく侍侍はべりければりければりければ、、、「「「生生うみみみ侍侍はべるべきるべきるべき月月つきにあたりたるにあたりたるにあたりたる女女おんなののの侍侍はべることのることのることの、、、思思おもひひい捨捨すててて侍侍はべれどれどれど、、、いぶせくいぶせくいぶせく思思おもひたまへてひたまへていたまえて」」」。。。
- 24などいふなどいふなどいうををを、、、ひじりひじりひじり都都みやこにいそぎにいそぎにいそぎ出出いでてでてでて、、、そのそのその家家いえにおはしたりければにおはしたりければにおわしたりければ、、、えええ生生うみやらでみやらでみやらで、、、惱惱なやみけるみけるみけるををを、、、ひじりひじりひじり祈祈いのりりり給給たまひてひていて、、、生生うませなどしてませなどしてませなどして、、、人人ひとにまめなるにまめなるにまめなる物物ものなどこひなどこひなどこい給給たまひてひていて、、、車車くるまにつみてにつみてにつみて、、、給給たまひけりひけりいけり。。。そのそのその統理統理むねまさにににノノノ院院いんよりよりより、、、歌歌うたののの御御おんかへしかへしかえし給給たまはははりけるりけるりける、、、
- 25忘忘わすられずられずられず思思おもひひい出出いでつゝやまでつゝやまでつつやま人人ひとをををしかしかしか戀戀こいしくぞわれもながむるしくぞわれもながむるしくぞわれもながむる
- 26ととと侍侍はべりけるにりけるにりけるに、、、涙涙なみだのごひのごひのごい侍侍はべりければりければりければ、、、「「「東宮東宮とうぐうよりよりより、、、歌歌うたたまはりたらんたまはりたらんたまわりたらんははは、、、佛佛ほとけにやにやにやはははなるべきなるべきなるべき」」」。。。とととひじりひじりひじり耻耻はぢしめぢしめじしめ給給たまひけるとかやひけるとかやいけるとかや。。。たてまつりたるたてまつりたるたてまつりたる歌歌うたももも、、、あはれにきこえあはれにきこえあわれにきこえ侍侍はべりきりきりき。。。
- 27きみにきみにきみに人人ひとなれななれななれな習習ならひそひそいそ奧山奧山おくやまににに入入いりてのりてのりての後後のちもわびしかりけるもわびしかりけるもわびしかりける
- 28とぞよみてたてまつりけるとぞよみてたてまつりけるとぞよみてたてまつりける。。。
- 29とかとかとか聞聞きこえしこえしこえし手手てかきかきかき、、、「「「ことよろしきことよろしきことよろしき國國くにののの司司つかさになりたらばになりたらばになりたらば、、、寺寺てらなどもなどもなども造造つくらんとらんとらんと思思おもひしひしいしををを、、、河內河內こうちといふあやしきといふあやしきというあやしき國國くにになりたればになりたればになりたれば、、、かひなしかひなしかいなし。。。ふるふるふる寺寺てらなどなどなどをををこそこそこそははは、、、修理修理すりせめせめせめ」」」。。。
- 30ととと思思おもひてひていて、、、見見みありきけるにありきけるにありきけるに、、、あるあるあるふるふるふる寺寺じののの、、、佛佛ほとけののの座座ざののの下下したににに、、、ふみのふみのふみの見見みえけるえけるえけるををを、、、披披ひらきてきてきて見見みければければければ、、、沙門沙門しゃもん公經公經きんつねととと書書ふみきたるきたるきたるふみにふみにふみに、、、こんこんこん世世よにこのにこのにこの國國くにののの司司つかさになりてになりてになりて、、、このこのこの寺寺じ修理修理すりせんといふせんといふせんという願願がんたてたるたてたるたてたるふみふみふみ見見みてぞてぞてぞ、、、「「「然然しかるべきるべきるべき契契ちぎりなりけるりなりけるりなりける」」」。。。
- 31といひけるといひけるといいける。。。かきたるかきたるかきたる文字文字もじのさまなどものさまなどものさまなども、、、似似にたるたるたる手手てになんありけるになんありけるになんありける。。。修理修理すりのかみのやうにのかみのやうにのかみのように、、、おなじおなじおなじ昔昔むかしののの名名なをををつげるなるべしつげるなるべしつげるなるべし。。。
- 32大大だい外記外記げきといひしがといひしがといいしが、、、越中越中えっちゅう守守かみになりてになりてになりて侍侍はべりけるにりけるにりけるに、、、國國くにののの物物ものははは、、、思思おもふさまにふさまにうさまに侍侍はべりけれどもりけれどもりけれども、、、國國くにののの人人ひとのないがしろにのないがしろにのないがしろに思思おもへるへるえるををを、、、あやしみおもひてあやしみおもひてあやしみおもいて、、、寐寐ねたりけるたりけるたりける夜夜よののの夢夢ゆめににに、、、むかしむかしむかし此此こののの國國くにににに、、、目目めくらきくらきくらきひじりのひじりのひじりの、、、者者ものにてにてにて有有ありけるがりけるがりけるが、、、生生うまれてかくまれてかくまれてかくはははなりたるぞなりたるぞなりたるぞ。。。
- 33人人ひとのあなづらはしくのあなづらはしくのあなずらわしく思思おもへるへるえるははは、、、昔昔むかしのなごりなるべしのなごりなるべしのなごりなるべし。。。そのそのそのひじりひじりひじり、、、さきのさきのさきの世世よににに彼彼かののの國國くにののの牛牛うしなりけるなりけるなりける時時とき、、、法華經法華經ほけきょう一部一部いちぶををを負負おひてひていて、、、山寺山寺やまでらにのぼりたりしゆゑににのぼりたりしゆゑににのぼりたりしゆえに、、、持經持經じきょう者者ものになれりしがになれりしがになれりしが、、、此此こののの度度たびははは國國くにのかみとなりてのかみとなりてのかみとなりて、、、色色いろののの黑黑くろきもそのなごりきもそのなごりきもそのなごり、、、とぞとぞとぞ見見みたりけるたりけるたりける。。。
- 34昔昔むかしのなごりにやのなごりにやのなごりにや。。。末末すえにににははは法師法師ほうしになりてになりてになりて、、、のかたにのかたにのかたに籠籠ごめもりゐてもりゐてもりいて、、、行行おこなひけるとぞひけるとぞいけるとぞ、、、聞聞きこえこえこえ侍侍はべりしりしりし。。。そのそのその子子こにてにてにて、、、信俊信俊のぶとしときこえしもときこえしもときこえしも、、、身身みははは世世よににに仕仕つかへながらへながらえながら、、、佛佛ほとけののの道道みちをををのみのみのみ營營いとなみてみてみて、、、老老おいのにいのにいのにははは、、、かしらおろしなどしてかしらおろしなどしてかしらおろしなどして、、、限限かぎりのりのりの時時ときにのぞみてにのぞみてにのぞみてははは、、、みづからみづからみずから肥後肥後ひごノノノ入道入道にゅうどう往生往生おうじょうしたりしたりしたり。。。
- 35ととと云云いひあひあいあはははんずらむなどんずらむなどんずらむなど申申もうしてしてして、、、尊尊とうとくてくてくてうせにけるにうせにけるにうせにけるに、、、かうばしきかうばしきこうばしき匂匂におひありけるなどひありけるなどいありけるなど、、、きこえきこえきこえ侍侍はべりきりきりき。。。
現代語訳
大内記の聖(慶滋保胤)は尊い博士で、詩文を作る道では類が少なくて世に仕えていたけれど、心はひたすら仏道に深く染まって、慈悲の心ばかりあったので、大内記として記すべきことがあって催促されて内裏に参った時、左衛門の陣などの方でしょうか、女が泣いて立っていたのを、「何事があって、このように泣くのか」と問うと、「主人の使いで石の帯を人から借りて持ってまいりましたが、道に落としてしまったので、主人にもきっと重く叱られるでしょう。あれほどの物を失ったのがあきれるほど悲しくて、帰る気持ちにもならず、どうしようもなくて、それで泣いているのです」と申したので、心の内を推し量ると、本当にさぞ悲しいだろうと思って、自分の締めていた帯を解いて与えたところ、元の帯ではないけれど、「むなしく失って申しようがないよりも、自然と罪も軽くなるでしょうか」といって、「これを持ってまいれる嬉しさ」と手を擦り合わせて、受け取って帰って行きました。それで片隅に帯もなくて隠れていたうちに、儀式が始まったので、「遅い遅い」と催促されて、御蔵の小舎人とかに帯を借りて、公事は勤められたのでした。『池亭記』といって書かれた書物にも、「身は朝廷にあって、心は隠遁にある」とあるそうです。
中務の宮(具平親王)が(詩文を)習っていらした時にも、書物を少しお教え申し上げては、目を閉じて仏を念じ申し上げて、怠らずお勤めになりました。こうして年を過ごすうちに、年老いてから髪をおろして、横川に上って法文を習われたが、増賀聖がまだ横川に住んでいらしたころで、(増賀が)「止観の明静なること、前代にいまだ聞かず」と読まれたところ、この入道(保胤)がただもう泣きに泣いたので、聖は「こんなにすぐに泣くべきものか」といって、拳を握って打たれたので、自分も人も興ざめして立ってしまいました。また時を経て、「それでもこのままでおられましょうか。あの書物をお受け申し上げましょう」と申したので、(読むと)また前のように泣いたので、また手ひどく叱ったので、続きの言葉も聞けずに過ごしていたが、また懲りずにご機嫌をうかがわれたので、また改めて読まれたが、同じようにいっそう泣いていたので、聖も涙をこぼして、「本当に深い御法が尊く思われるのだろう」といって、しみじみと感じて、その書物を静かに授けられたのでした。そうして尊い人でございましたので、御堂の入道殿(道長)も御戒などを受けられて、聖が亡くなった時は御諷誦などをなさって、晒し布を百反賜った、その受取状は三河の聖(寂照)が書いて差し上げて、秀句などを書き留められました。
「昔、隋の煬帝が智者大師に報いた時は千僧(の供養)に一人足りなかったが、今、左丞相(道長)が寂公(保胤)を弔うには、晒し布が百に満ちた」
と書かれておりました。
その三河の聖も博士でいらして、大江氏の上達部の子でいらっしゃったが、三河守になって任国へ下られた時、類なく愛しく思った女を連れていらしたところ、女が亡くなったので、悲しみのあまり(亡骸を)葬ることもしないで、変わり果ててゆく様を見て発心して、すぐに髪をおろして都に上って物乞いをして歩いたところ、もとの妻であった女が、「私を捨てた報いに、こうなればよいと思っていたのに、こうなったのを見たこと」などと申したので、「あなたのおかげで仏になれることでしょう」といって、手を擦って喜んだと伝え語っております。そして内記の聖を師として、東山の如意寺にいらっしゃり、横川に上っても源信僧都などに深い御法の心を汲み知られて、惟仲の平中納言が北白川で六十巻(の天台の書)を講じられた時には、覚運僧都がまだ内供でいらした時で、講師をさせなさいました。この三河の入道は読師とかで、法華経の心を説き明かした書物にも訓点をつけて整えて、大勢の聴衆が居並んで、それぞれ読み整えられたのでした。こうして後に、比叡山や三井寺の僧たちも、たやすく読み伝えられるそうです。ついに唐土にいらしても、言いようもないことなどがおありだったので、大師の御名を得られて、円通大師と申し上げるようです。亡くなられた時、仏がお迎えになって楽の音が聞こえたので、それについても詩を作り、歌を詠みなどなさったのも、唐土から送ってまいりました。
「笙歌はるかに聞こゆ孤雲の上、聖衆来迎す落日の前」
とお作りになりました。歌は、
雲の上にはるかに楽の音がするようだ。人も聞いているだろうか。(それとも)空耳だろうか。
とお詠みになったと聞こえました。
また少納言統理と申した人は、長年世を背く心があったのでしょうか、月の隈なかった夜、心を澄まして山深く尋ね入ろうという志がしきりに起こったので、まず家で「髪を洗う湯を用意せよ。出家しよう」と言って、髪を洗い、梳いて乾かしたりしていたのを、妻であった女も心得て、さめざめと泣いていたけれど、互いにあれこれ言う言葉もなくて、翌日きちんとした装束で一の人(道長)のもとに参って、山里に籠るべき旨の暇乞いを申したけれど、人も取り次がなかったのを強いて申したので、お聞きになって、「少納言こちらへ」といって出てお会いになって、御数珠を賜って、「後世は頼むぞ」などとおっしゃったので、数珠を納めて拝し申し上げて、増賀聖の庵に行って髪をおろしたけれど、勤め行うこともなくて物思いをしている様子だったので、聖はそれと察して手厳しく接したところ、「出産するはずの月にあたった女がおりますことが、思い捨てたとはいえ、気がかりに思われまして」などと言うのを、聖は都に急いで出て、その家にいらしたところ、産みきれずに苦しんでいたのを、聖が祈られて産ませたりして、人に実用的な物などを乞われて、車に積んで、産養いまでなさいました。その統理に三条院(東宮時代)から歌の御返歌を賜った、
忘れられずに思い出しながら、山に入った人(あなた)をそのように恋しく思って、私も眺めていることだ。
とありましたので、(統理が)涙を拭っていたので、「東宮から歌をいただいたからといって、仏になれるものか」と聖が恥ずかしめられたとか。(統理が)差し上げた歌も、しみじみと聞こえました。
君(東宮)に人は慣れ親しむことを習ってはいけない。奥山に入った後も(その思い出に)わびしいことであった。
と詠んで差し上げました。
公経とか申した能書の人が、「そこそこよい国の国司になったら寺なども造ろうと思っていたのに、河内というつまらない国になったので甲斐もない。古い寺などでも修理しよう」と思って見て回っていたところ、ある古寺の仏の座の下に書物が見えたのを開いて見ると、「沙門公経」と書いた書物に、来世にこの国の国司になってこの寺を修理しようという願を立てた文を見て、「しかるべき宿縁だったのだ」と言ったそうです。書いた文字の様子なども似た筆跡でした。伏見の修理大夫(俊綱)のように、同じ昔の名を継いだのでしょう。
大外記定俊といった者が越中守になっておりましたが、国の産物は思いどおりでありましたけれど、国の人々が軽んじているのを不審に思って寝た夜の夢に、「昔この国に目の見えない聖で持経者であった者が、生まれ変わってこのようになったのだ。人が侮るのは昔の名残であろう。その聖は、前世にこの国の牛であった時、法華経一部を背負って山寺に上ったために持経者になったのだが、今度は国守となって、色の黒いのもその名残だ」と見たそうです。昔の名残でしょうか、晩年には法師になって江文の方に籠って修行したと聞こえました。その子で信俊と申した人も、身は世に仕えながら仏道ばかりを営んで、老いの身には髪をおろしなどして、臨終に臨んでは、「(人々は)自ら『肥後入道往生したり』と言い合うだろう」などと申して、尊く亡くなった時に芳しい匂いがしたなどと聞こえました。
意訳
巻九「誠の道」は、仏道に心を寄せた人々の逸話を集める。慶滋保胤は泣いている女に自分の石帯を与え、自分は小舎人に帯を借りて出仕した。『池亭記』の「身は朝にありて、心は隠にあり」はその生き方を表す。出家後、増賀に天台の止観を学ぼうとしたが、冒頭の句を聞いただけで感涙して殴られたという話は有名である。
大江定基(寂照)は、愛する女の死と、その亡骸が朽ちてゆく様を見て発心し、出家した。宋に渡って円通大師の号を賜り、臨終には聖衆来迎の詩と歌を詠んだ。統理は出家後も身重の妻を案じていたため、増賀は都へ出向いて安産を祈り、産養いまでしてやった。
前世の願を果たして古寺を修理した公経、前世が法華経を背負った牛だったため色黒で侮られた定俊など、因果の話も語られる。
語釈・文法注
- 大內記のひじり
- 慶滋保胤。第75章参照。出家して寂心と号した。
- 石の帶
- 石帯。束帯の時に締める、玉石の飾りのついた革帯。
- 池亭の記
- 慶滋保胤『池亭記』。自邸の生活と隠遁の心を記した漢文の随筆。
- 增賀ひじり
- 増賀(917〜1003)。比叡山の僧。名利を嫌い、多武峰に隠棲した。奇行で知られる。
- 止觀の明靜なること
- 天台大師智顗『摩訶止観』の冒頭の句「止観明静、前代未聞」。
- 御諷誦
- 死者の追善のために経を読誦させ、布施をすること。
- 隋ノ煬帝ノ智者ニ報ゼシ
- 隋の煬帝が天台大師智顗のために千僧供養をしたこと。
- 三河のひじり
- 寂照(大江定基、?〜1034)。出家して入宋し、円通大師の号を賜った。
- 如意寺
- 京都東山の寺。
- 源信僧都
- 源信(942〜1017)。恵心僧都。『往生要集』の著者。
- 惟仲の平中納言
- 平惟仲(944〜1005)。
- 覺運僧都
- 覚運(953〜1007)。比叡山の学僧。
- 讀師
- 講会で経題などを読み上げる役。
- 聖衆來迎
- 臨終の時、阿弥陀仏と菩薩たちが迎えに来ること。
- 少納言統理
- 藤原統理。出家して増賀の弟子となった。
- ゆする
- 髪を洗い整えるための湯や米のとぎ汁。
- うぶやしなひ
- 産養い。出産後の祝いの宴や贈り物。
- 三條ノ院
- 三条天皇。当時は東宮。
- 公經
- 藤原公経。能書家。河内守。
- ふしみの修理のかみ
- 橘俊綱。伏見に山荘を営んだ。
- 大外記定俊
- 中原定俊。
- 持經者
- 法華経を常に読誦・受持する者。
- 江文
- 京都大原の江文山。
文法
- かくやはいつしか泣くべき
- こんなにすぐに泣くべきものか。反語。
- 佛にやはなるべき
- 仏になれるものか、いやなれない。反語。
和歌
雲の上にはるかに樂の音すなり人やきくらんひか聞かもし
- 詠者
- 寂照
- 状況
- 臨終に仏の来迎を感じ、楽の音を聞いて詠んだ歌。
修辞
- 趣向
- 来迎の楽の音を、他の人も聞いているのか、自分の空耳かと問う。
忘られず思ひ出でつゝやま人をしか戀しくぞわれもながむる
- 詠者
- 三条院(東宮)
- 状況
- 出家した統理への返歌。
修辞
- 掛詞
- 「しか」に「然か(そのように)」と山の「鹿」をかける。
きみに人なれな習ひそ奧山に入りての後もわびしかりける
- 詠者
- 藤原統理
- 状況
- 出家した後、東宮に奉った歌。
修辞
- 禁止
- 「な…そ」で、君に慣れ親しむことを習うなと戒める。
解説
保胤・寂照・増賀は、平安中期の浄土信仰を代表する人物である。今鏡の語り手は、その奇行や人間らしい弱さも含めて、仏道への誠実な姿を描いている。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、381〜389頁(コマ205–209)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日