今鏡 第九「むかしがたり」 第75章
唐歌
漢詩文をめぐる昔語り。一条天皇の御代は人材が揃った時代だった。具平親王が初めて詩宴に加わって緊張した話、慶滋保胤が当代の文人三人の詩風を絶妙なたとえで評した話、藤原義忠が詩の難癖をつけて頼通の勘当を受けた話、藤原為時が除目の不満を詩に託して越前守に転じた話が語られる。
- 1一條一條いちじょうノノノ院院いんははは御心御心みこころばへもばへもばえも、、、能能よしももも、、、すぐれておはしましけるすぐれておはしましけるすぐれておわしましける上上うえににに、、、然然しかるべきにやるべきにやるべきにや侍侍はべりけむりけむりけむ。。。上達部上達部かんだちめ、、、殿上人殿上人てんじょうびと、、、みち〳〵のみち〳〵のみちみちの博士博士はかせ、、、たけきたけきたけきものゝふものゝふもののふまでまでまで、、、世世よにありがたきにありがたきにありがたき人人ひとのみのみのみ、、、多多おおくくく侍侍はべりけるりけるりける頃頃ごろになむになむになむ、、、おはしましけるおはしましけるおわしましける。。。
- 2常常つねははは春風春風はるかぜ秋秋あき月月つきののの折折おりふしにふしにふしに付付つけつゝけつゝけつつ、、、花花はなのこずゑのこずゑのこずえをををわたりわたりわたり、、、池池いけののの水水みずにににうかぶうかぶうかぶをををすぐさずすぐさずすぐさず、、、もてあそばせもてあそばせもてあそばせ給給たまひけるにひけるにいけるに、、、御御おんをををぢのぢのじの宮宮みやはははじめてじめてじめて其其そののの筵筵むしろににに參參まいりりり給給たまへりけるにへりけるにえりけるに、、、ならはせたまはぬならはせたまはぬならわせたまわぬ御有樣御有樣おおんありさまににに、、、御御おんかうぶりのかうぶりのこうぶりの額額がくももも、、、つむるつむるつむる心心こころちせさせちせさせちせさせ給給たまふふう。。。
- 3御帶御帶みおびももも御御おん、、、いぶせくのみいぶせくのみいぶせくのみ覺覺おぼえさせえさせえさせ給給たまひけるにひけるにいけるに、、、御御おんあそびはじまりてあそびはじまりてあそびわじまりて、、、民部卿民部卿みんぶきょう、、、四條大納言四條大納言しじょうのだいなごん、、、源源げん大納言大納言だいなごん、、、侍從大納言侍從大納言じじゅうのだいなごんなどいふなどいふなどいう人人ひとたちたちたち、、、「「「周周しゅうノノノ文王文王ぶんおうののの車車くるまののの右右みぎにのせたるにのせたるにのせたる」」」などいふなどいふなどいう詩詩しののの序序ついで、、、ととと聞聞きこえしこえしこえし博士博士はかせののの作作つくりたるりたるりたる、、、詠詠えいじじじ給給たまひけるにぞひけるにぞいけるにぞ、、、親王親王しんのうののの御御おんかうぶりもかうぶりもこうぶりも、、、御御おんよそひもよそひもよそいも、、、くつろぐやうにくつろぐやうにくつろぐように覺覺おぼえさせえさせえさせ給給たまひてひていて、、、面白面白おもしろくすゞしくくすゞしくくすずしく覺覺おぼえさせたまひけるえさせたまひけるえさせたまいける。。。
- 4かのかのかの村上村上むらかみののの中務中務なかつかさノノノ宮宮みや、、、ふみつくらせふみつくらせふみつくらせ給給たまふふう道道みちなどなどなど、、、すぐれておはしましければすぐれておはしましければすぐれておわしましければ、、、以言以言もちときなどいふなどいふなどいう博士博士はかせ、、、常常つねににに參參まいりてりてりて、、、ふみふみふみ作作つくらせらせらせ給給たまふふう御御おんともになむありけるともになむありけるともになむありける。。。
- 5大內記大內記だいないきとてとてとて、、、中中なかにすぐれたるにすぐれたるにすぐれたる博士博士はかせ、、、御御おん師師しにてにてにて、、、文文ふみははは習習ならはせはせわせ給給たまひけるひけるいける。。。そのそのその保胤保胤やすたねにににはははこれらがこれらがこれらが文文ふみ、、、作作つくりりり得得えたるところたるところたるところ得得えぬぬぬ所所ところののの有樣有樣ありさま、、、問問とはせはせわせ給給たまひければひければいければ、、、答答こたへへえ申申もうしけることこそしけることこそしけることこそ、、、からのからのからの言言ことののの葉葉ばははは知知しらぬことなれどらぬことなれどらぬことなれど、、、面白面白おもしろくくく聞聞きこえこえこえ侍侍はべりしかりしかりしか。。。
- 6いづれも〳〵いづれも〳〵いずれもいずれも、、、とり〳〵にとり〳〵にとりとりに侍侍はべるるるををを、、、譬譬たとひにてひにてひにて申申もうししし侍侍はべらんとてらんとてらんとて、、、「「「齊名齊名ただなががが文文ふみ作作つくりりり侍侍はべるさまるさまるさまははは、、、月月つきのさえたるにのさえたるにのさえたるに、、、なかばなかばなかばふりたるふりたるふりたる檜皮檜皮ひわだ葺葺ふののの家家いえののの、、、御簾御簾みすところ〴〵ところ〴〵ところどころはづれたるうちにはづれたるうちにはずれたるうちに、、、女女おんなののの箏箏そうのことのことのことひきすましたるひきすましたるひきすましたる樣樣さまになんになんになん侍侍はべるるる。。。以言以言もちときががが詩詩しははは、、、砂砂さご子子こ白白しろくちらしたるくちらしたるくちらしたる庭庭にわののの上上うえににに、、、櫻櫻さくらののの花花はな散散ちりしきたるにりしきたるにりしきたるに、、、舞舞まひたるになんひたるになんいたるになん似似にてぞてぞてぞはべるはべるはべる。。。がやうがやうがようははは、、、ものゝふものゝふもののふのあけののあけののあけの革革かくしてしてして、、、威威いのかゞやきたるきてのかゞやきたるきてのかがやきたるきて、、、えならぬえならぬえならぬ駒駒こまののの足足あしときにときにときに乘乘のりてりてりて、、、逢坂逢坂おうさかのせきのせきのせきをををこゆるこゆるこゆる景色景色けしきなりなりなり」」」。。。
- 7とぞとぞとぞ申申もうしけるしけるしける。。。さてさてさて宮宮みや「「「そこそこそこはははいかゞいかゞいかが」」」。。。ととと仰仰おおせられければせられければせられければ、、、「「「既既すでににににのりにのりにのり侍侍はべりにたりりにたりりにたり」」」。。。とぞとぞとぞ申申もうししし侍侍はべりけるとなむりけるとなむりけるとなむ。。。
- 8彼彼かののの齊信齊信ただのぶののの藤藤ふじ民部卿民部卿みんぶきょう、、、鷹司殿鷹司殿たかつかさどのののの屏風屏風びょうぶののの詩詩し、、、選選えらびたてまつられけるにびたてまつられけるにびたてまつられけるに、、、野野のののの三位三位さんみののの詩詩し多多おおくいりたりけるくいりたりけるくいりたりけるををを、、、といひしといひしといいし、、、贈贈ぞう宰相宰相さいしょうののの難難なんじてじてじて、、、「「「色色いろののの糸糸いと、、、ことばつゞりてことばつゞりてことばつづりて、、、春風春風はるかぜににに任任まかせたりせたりせたり」」」。。。
- 9といへるといへるといえる、、、糸糸いとといふといふという文字文字もじ、、、聲聲こえにあらずにあらずにあらず。。。ひがごとなりとひがごとなりとひがごとなりと申申もうすときゝてすときゝてすとききて、、、民部卿民部卿みんぶきょう、、、ののの詩詩しののの句句くののの、、、「「「うるはしきことばうるはしきことばうるわしきことばははは、、、色色いろののの糸糸いとをををつゞれりつゞれりつづれり」」」。。。
- 10ととと云云いへるへるえるををを考考かんがへてへてへて奉奉たてまつられたりければられたりければられたりければ、、、宇治宇治うじのおほきおとゞのおほきおとゞのおおきおとど、、、むづからせむづからせむずからせ給給たまひてひていて、、、「「「いかにかゝるいかにかゝるいかにかかるひがひがひが難難なんをばをばをば申申もうしけるぞしけるぞしけるぞ」」」。。。とてとてとて、、、勘當勘當かんどうせさせせさせせさせ給給たまひてひていて、、、あくるあくるあくる年年としまでまでまで、、、免免ゆるさせさせさせ給給たまはざりければはざりければわざりければ、、、義忠義忠のりただののの三位三位さんみ、、、女房女房にょうぼうにつけてにつけてにつけて奉奉たてまつりけるりけるりける。。。
- 11靑柳靑柳あおやぎののの色色いろのいとにやのいとにやのいとにや結結むすびてしびてしびてしうれへうれへうれえはははとけでとけでとけで春春はるぞくれぬるぞくれぬるぞくれぬる
- 12とぞきゝとぞきゝとぞきき侍侍はべりしりしりし。。。よればよればよればほどけでとかけるもありほどけでとかけるもありほどけでとかけるもあり。。。いづれかいづれかいずれか誠誠まことにてにてにて侍侍はべらんらんらん。。。
- 13むかしのむかしのむかしの御御おんつぼねのつぼねのつぼねの親親おやにておはせしにておはせしにておわせし守守かみののの、、、縣縣あがた召召めににに淡路淡路あわじになりてになりてになりて、、、いとからくおぼしていとからくおぼしていとからくおぼして、、、女房女房にょうぼうにつけてにつけてにつけて、、、奏奏そうししし給給たまひけるひけるいけるふみにふみにふみに、、、「「「苦苦くる學學がくののの寒寒さむ夜夜よににに、、、紅紅くれない涙涙なみだ襟襟きんをををうるほしうるほしうるおし、、、除目除目じもくののの春春はる朝朝あさ、、、蒼天蒼天おおぞらまなこにありまなこにありまなこにあり」」」。。。
- 14ととと書書ふみききき給給たまへりけるへりけるえりけるををを、、、一條一條いちじょうのみかどのみかどのみかど御覽御覽ごらんじてじてじて、、、夜夜よののの御殿御殿おおとのににに入入いらせらせらせ給給たまひてひていて、、、ひきかづきてひきかづきてひきかずきて臥臥ふさせさせさせ給給たまひけるひけるいけるををを、、、御堂殿御堂殿みどうどのまゐらせまゐらせまいらせ給給たまひてひていて、、、いかにかくいかにかくいかにかくはははととと問問とはせはせわせ給給たまひければひければいければ、、、女房女房にょうぼうののの、、、爲時爲時ためときががが奉奉たてまつりてりてりて侍侍はべりつるりつるりつるふみふみふみををを御覽御覽ごらんじてじてじて御御おんとのごもらせとのごもらせとのごもらせ給給たまへるへるえる由由よし、、、申申もうされければされければされければ、、、いといといとふびんなるふびんなるふびんなる事事ことかなとてかなとてかなとて、、、といひしといひしといいしををを召召めしてしてして、、、越前越前えちぜんになしたびたるになしたびたるになしたびたるををを返返かえししし奉奉たてまつるるる由由よしのののふみかきてふみかきてふみかきて、、、たてまつれとてたてまつれとてたてまつれとて、、、爲時爲時ためときををを越前越前えちぜんになさせになさせになさせ給給たまへりしにぞへりしにぞえりしにぞ、、、みかどのみかどのみかどの御心御心みこころゆかせゆかせゆかせ給給たまひてひていて、、、、、、ふみふみふみ作作つくりかりかりかはははさせんとさせんとさせんと、、、おぼしめしつるおぼしめしつるおぼしめしつる御御おんけしきありけるにけしきありけるにけしきありけるに合合あはせてはせてわせて、、、こしにこしにこしに下下くだりてりてりて、、、からからから人人ひととととふみつくりかふみつくりかふみつくりかはははされけるされけるされける。。。
- 15去國三年孤舘月去國三年孤舘月きょこくさんねんこかんのつき 歸程萬里片帆風歸程萬里片帆風きていばんりへんぱんのかぜ
- 16畫鼓雷奔天不雨畫鼓雷奔天不雨がこらいほんてんあめふらず 綵旗雲聳地生風綵旗雲聳地生風さいきうんしょうちかぜをしょうず
- 17などぞきこえなどぞきこえなどぞきこえ侍侍はべりしりしりし。。。
現代語訳
一条院はお心ばえも才能もすぐれていらっしゃった上に、しかるべき巡り合わせだったのでしょうか、上達部・殿上人・諸道の博士・勇猛な武士に至るまで、世にまたとない人ばかりが多くおりました時代でいらっしゃいました。いつも春風秋月の折々につけて、花の梢を渡り、池の水に(舟を)浮かべることを欠かさず楽しまれていたが、御叔父の中務宮(具平親王)が初めてその宴席に参られた時、慣れていらっしゃらないご様子で、御冠の額も締めつけられるような心地がなさいました。御帯も御下襲も窮屈にばかり思われていらしたが、御遊びが始まって、藤民部卿(斉信)・四条大納言(公任)・源大納言(俊賢)・侍従大納言(行成)などという人たちが、「周の文王の車の右に乗せたる」などという詩の序で、以言と申した博士の作ったものを朗詠なさったところで、親王の御冠も御装束もくつろぐように思われて、趣深くすがすがしく感じられたのでした。あの村上の(皇子の)中務宮は、詩をお作りになる道などにすぐれていらっしゃったので、斉名・以言などという博士がいつも参って、詩をお作りになるお供をしていました。大内記保胤といって、中でもすぐれた博士が御師として、漢詩文を習っていらっしゃいました。その保胤に、これらの者の詩の出来不出来の様子をお尋ねになったところ、お答え申したことこそ、漢詩のことは知らないけれど、趣深く聞こえました。「どれもどれも、それぞれでございますが、たとえで申しましょう」といって、「斉名が詩を作る様子は、月の冴えた夜に、半ば古びた檜皮葺の家の、御簾があちこち外れている内で、女が箏の琴を弾き澄ましている様子でございます。以言の詩は、白砂を撒いた庭の上に桜の花が散り敷いているところで、陵王を舞っているのに似ております。匡衡の様子は、武士が緋色の革で緋縅の輝く鎧を着て、何とも言えない駿足の馬に乗って、逢坂の関を越える景色です」と申したそうです。それで宮が「お前はどうだ」と仰せられたところ、「もう檳榔毛(の車)に乗ってしまっております(老いて引退した身です)」と申したということです。
あの斉信の藤民部卿が、鷹司殿(倫子)の屏風の詩をお選び申された時、日野の三位(資業)の詩が多く入っていたのを、義忠といった贈宰相が非難して、「『色の糸、言葉綴りて、春風に任せたり』といっている、『糸』という文字は平声ではない。間違いだ」と申すと聞いて、民部卿が白氏文集の詩の句の「麗しき言葉は色の糸を綴れり」と言っているのを考えて差し上げられたところ、宇治の太政大臣(頼通)がご立腹になって、「どうしてこのような間違った非難を申したのか」といって勘当なさって、翌年までお許しにならなかったので、義忠の三位が女房を通じて差し上げた歌、
青柳の色の糸で結んでしまったのでしょうか、私の憂いは解けないまま春が暮れてしまいました。
と聞きました。「よればほどけで」と書いたものもあります。どちらが本当でございましょう。
昔の御局(紫式部)の親でいらした越後守(為時)が、県召の除目で淡路守になって、たいそうつらく思って、女房を通じて奏上なさった書状に、「苦学の寒夜に紅涙襟を潤し、除目の春朝に蒼天眼にあり」とお書きになったのを、一条の帝がご覧になって、夜の御殿にお入りになって、衾を引きかぶって臥していらしたので、御堂殿(道長)が参られて、どうしてこのようにと尋ねられたところ、女房が「為時が差し上げました書状をご覧になって、お休みになっていらっしゃるのです」と申されたので、たいそう気の毒なことだといって、国盛という者を召して、「越前守に任じていただいたのを返上し申し上げる」旨の書状を書いて差し上げよといって、為時を越前守にさせなさったので、帝はお心が晴れて、(越前に来ていた)高麗人と詩を作り交わさせようとお思いになっていたご意向があったのに合わせて、越に下って、唐人と詩を作り交わされたのでした。
「国を去って三年、孤館の月。帰る道は万里、片帆の風」
「画鼓雷のごとく奔りて天雨ふらず、綵旗雲のごとく聳えて地風を生ず」
などと聞こえました。
意訳
巻九「唐歌」は、漢詩文をめぐる逸話を集める。一条天皇の御代は、公任・斉信・俊賢・行成の「四納言」をはじめ、各界に人材が揃った時代として回想される。
慶滋保胤は、紀斉名の詩を「月夜の古びた家で女が箏を弾く」ようだと静かな情趣にたとえ、大江以言の詩を「白砂の庭に桜が散る中の陵王の舞」と華麗さにたとえ、大江匡衡の詩を「緋縅の鎧を着て駿馬で逢坂の関を越える」と力強さにたとえた。自分自身については「もう檳榔毛の車に乗っている」と、引退した老人として謙遜した。
藤原為時は淡路守に任じられたのを嘆いて「苦学の寒夜に紅涙襟を潤し、除目の春朝に蒼天眼にあり」と奏上し、一条天皇を感動させて越前守に転じた。紫式部の父の逸話として名高い。
語釈・文法注
- 藤民部卿、四條大納言、源大納言、侍從大納言
- 藤原斉信・藤原公任・源俊賢・藤原行成。一条朝の「四納言」。
- したうづ
- 下襲(したがさね)か。束帯の袍の下に着る衣。
- 中務宮
- 具平親王。村上天皇の皇子。一条天皇の叔父(祖父の弟)。第59章参照。
- 以言
- 大江以言(955〜1010)。文人。
- 齊名
- 紀斉名(957〜999)。文人。
- 大內記保胤
- 慶滋保胤(?〜1002)。文人。『池亭記』『日本往生極楽記』の著者。のち出家した。
- 陵王
- 舞楽「蘭陵王」。華麗な走り舞。
- 匡衡
- 大江匡衡(952〜1012)。文人。赤染衛門の夫。
- 緋威
- 緋色の革や糸で札を綴った鎧。
- 檳榔毛
- 檳榔毛の車。上級の貴族や高齢者が乗った。ここでは、老いて引退した身をいう。
- 日野の三位
- 藤原資業(988〜1070)。日野家の祖。文人。
- 義忠
- 藤原義忠(?〜1041)。文人。
- 平聲
- 漢字の四声の一つ。漢詩の韻律で平仄を合わせる。
- 文集
- 『白氏文集』。白居易の詩文集。
- 越後守
- 藤原為時(949?〜1029?)。紫式部の父。漢詩人。
- 國盛
- 源国盛。為時の代わりに越前守を辞退させられた。
- こまうど
- 高麗人。ここでは越前に来着していた宋の商人たちをいう。
文法
- 既に檳榔毛にのり侍りにたり
- もう檳榔毛の車に乗ってしまっております。老いて現役を退いたことのたとえ。
- いと耻づかしく
- 「恥づかし」は、こちらが気後れするほど立派だ、の意にもなる。
和歌
靑柳の色のいとにや結びてしうれへはとけで春ぞくれぬる
- 詠者
- 藤原義忠
- 状況
- 頼通の勘当を受けて翌年まで許されず、女房を通じて奉った歌。
修辞
- 掛詞
- 「いと」に柳の「糸」と、自分が難じた「糸」の字をかける。
- 縁語
- 「いと」「結び」「とけ」は糸の縁語。
解説
保胤の文人評は、それぞれの詩風を絵画的な情景にたとえた見事な批評として、後世しばしば引かれる。今鏡の語り手も「漢詩のことは知らないが趣深い」と感心している。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、377〜381頁(コマ203–205)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日