今鏡 第九「むかしがたり」 第74章
祈るしるし
祈りの霊験をめぐる昔語り。円融天皇の前で、良源が不動明王の姿に変じた話。深覚僧正が関白頼通に「法蔵が破れた」と言って腹の薬を求めた機知、教通の腹の病を碁を打ちながら治した話。藤原有国が父の蘇生を泰山府君に祈った話、聖天供の祈りで除目の名が書かれた話などが語られる。
- 1圓融院圓融院えんゆういんののの御時御時おおんときにやにやにや。。。横横よこ川川がわののの大大だい僧正僧正そうじょう參參まいりりり給給たまへりけるにへりけるにえりけるに、、、眞言眞言しんごんののの行行おこなひのひのいの時時とき、、、「「「行者行者ぎょうじゃののの本尊本尊ほんぞんになることになることになることははは、、、あるべきさまあるべきさまあるべきさまをををするするする事事ことにやにやにや。。。又又また誠誠まことににに、、、佛佛ほとけになることにてあるかになることにてあるかになることにてあるか」」」。。。
- 2ととと、、、問問とはせはせわせ給給たまひければひければいければ、、、「「「そのそのその印印いんをををむすびてむすびてむすびて、、、眞言眞言しんごんををを唱唱となへへえ侍侍はべらんにらんにらんにははは、、、いかでかならぬやういかでかならぬやういかでかならぬようははは侍侍はべらんらんらん」」」。。。ととと、、、答答こたへへえ申申もうししし給給たまひければひければいければ、、、ののの御修法御修法みしおににに、、、みかどあはせみかどあはせみかどあわせ給給たまひてひていて、、、御覽御覽ごらんじけるにじけるにじけるに、、、「「「阿闍梨阿闍梨あざりののの印印いんをををむすびてむすびてむすびて、、、ににに入入いりたるとりたるとりたるとははは見見みゆれどもゆれどもゆれども、、、もとのもとのもとの姿姿すがたにてこそにてこそにてこそはははあれあれあれ」」」。。。
- 3ととと仰仰おおせられければせられければせられければ、、、「「「誠誠まことににに本尊本尊ほんぞんになりてになりてになりて侍侍はべるるるををを、、、御御おんさはりもさはりもさわりも、、、のぞこらせたまひのぞこらせたまひのぞこらせたまい、、、御御おん功德功德くどくももも、、、重重かさなりおはしましなばなりおはしましなばなりおわしましなば、、、御覽御覽ごらんぜさせぜさせぜさせ給給たまふこともおはしましなんふこともおはしましなんうこともおわしましなん」」」。。。
- 4ととと申申もうししし給給たまひけるにひけるにいけるに、、、たび〳〵たび〳〵たびたび重重かさなりてなりてなりて、、、御覽御覽ごらんじければじければじければ、、、大大だい僧正僧正そうじょうのかたちのかたちのかたち、、、本尊本尊ほんぞんととと同同おなじやうになりてじやうになりてじょうになりて、、、けしやきしてけしやきしてけしやきして居居い給給たまひたりけるにひたりけるにいたりけるに、、、澤澤さわののの僧正僧正そうじょうももも、、、又又またになりたまひたりけるがになりたまひたりけるがになりたまいたりけるが、、、程程ほどなくなくなく例例れいののの人人ひとになりになりになり、、、又又また佛佛ほとけになりなどしになりなどしになりなどし給給たまひけりひけりいけり。。。
- 5いまいまいま三人三人さんにんははは、、、元元もとのさまにてのさまにてのさまにて、、、佛佛ほとけにもならずにもならずにもならず。。。かくかくかく御覽御覽ごらんじてじてじて後後のちににに、、、大師大師だいしまゐりまゐりまいり給給たまへりけるにへりけるにえりけるに、、、「「「誠誠まことににに尊尊とうとききき事事ことををを拜拜おがみつることのみつることのみつることの、、、よによによに有有ありりり難難がたききき」」」ととと仰仰おおせられてせられてせられて、、、「「「寛朝寛朝かんちょうこそいとほしかりつれこそいとほしかりつれこそいとおしかりつれ。。。心心こころののの亂亂みだれつるにやれつるにやれつるにや。。。程程ほどなくなくなく姿姿すがたのもとののもとののもとの樣樣さまになりかへりつるになりかへりつるになりかえりつる」」」ととと仰仰おおせられければせられければせられければ、、、大師大師だいしののの申申もうしたまひけるしたまひけるしたまいけるははは、、、「「「寛朝寛朝かんちょうなればまかりなるにこそなればまかりなるにこそなればまかりなるにこそ侍侍はべれれれ。。。」」」とぞとぞとぞ奏奏そうししし給給たまひけるひけるいける。。。
- 6寺寺じののの僧正僧正そうじょうときこえときこえときこえ給給たまひけるがひけるがいけるが、、、宇治宇治うじのおほきおとゞにやおはしけむのおほきおとゞにやおはしけむのおおきおとどにやおわしけむ。。。時時ときののの關白殿關白殿かんぱくどののもとにのもとにのもとに、、、消息消息しょうそこたてまつりてたてまつりてたてまつりて、、、「「「藏藏さしのやぶれてのやぶれてのやぶれて侍侍はべるるる、、、修理修理すりしてしてして給給たまはははらむらむらん」」」。。。
- 7ととと侍侍はべりければりければりければ、、、家家いえののの司司つかさ何何なにのかみなどいふのかみなどいふのかみなどいう、、、うけうけうけ給給たまはははりてりてりて、、、家司家司けいしなどいふなどいふなどいう者者もの具具ぐしてしてして、、、僧正僧正そうじょうののの坊坊ぼうにまうでてにまうでてにもうでて「「「殿殿どのよりよりより法法ほう藏藏くら修理修理すりつかまつらんとてつかまつらんとてつかまつらんとて、、、破破やぶれたるれたるれたる所々所々ところどころ、、、記記しるしになむしになむしになむ參參まいりたるりたるりたる」」」。。。
- 8ととと申申もうしければしければしければ、、、僧正僧正そうじょう呼呼よびよせびよせびよせ給給たまひてひていて、、、「「「いかにかくいかにかくいかにかく不不ふ覺覺かくにににはははおはするぞおはするぞおわするぞ。。。おほやけのおほやけのおおやけの御後見御後見おおんうしろみももも、、、かくてかくてかくてはははいかゞしいかゞしいかがし給給たまふとふとうと申申もうせせせ」」」。。。ととと侍侍はべりげればりげればりげれば、、、還還かえりりり參參まいりてりてりて、、、「「「しるしにしるしにしるしに詣詣もうででで侍侍はべりつれどもりつれどもりつれども、、、いづくなるいづくなるいずくなる法法ほう藏藏さしともともとも侍侍はべらずらずらず。。。いかにいかにいかに心得心得こころえぬやうにぬやうにぬようにははは侍侍はべるぞるぞるぞ。。。おほやけのおほやけのおおやけの御後見御後見おおんうしろみももも、、、いかやうにかいかやうにかいかようにか、、、御御おんさださださだ候候そうろうふらんふらんうらん。。。などなどなど思思おもひかけずひかけずいかけず、、、心得心得こころえぬぬぬ御返事御返事おおんかえりごとなむなむなむ、、、のたまはせつるのたまはせつるのたまわせつる」」」。。。
- 9ととと申申もうしければしければしければ、、、「「「こここはははいかにいかにいかに。。。さささはははいかにすべきぞいかにすべきぞいかにすべきぞ」」」。。。などなどなど仰仰おおせられければせられければせられければ、、、年老年老としおいたるいたるいたる女房女房にょうぼうののの、、、「「「あはれあはれあわれ御腹御腹おおんはらのそこなはせのそこなはせのそこなわせ給給たまへるへるえるををを、、、みのりのくらとみのりのくらとみのりのくらとははは侍侍はべるものるものるものををを」」」ととと申申もうしければしければしければ、、、さもいはれたることさもいはれたることさもいわれたること、、、さもあらんとてさもあらんとてさもあらんとて、、、御御おんあはせどもあはせどもあわせども調調ととのへてへてえて、、、奉奉たてまつりりり給給たまへりければへりければえりければ、、、「「「材材ぎ木木き給給たまはははりてりてりて、、、やぶれたるやぶれたるやぶれたる法法ほう藏藏くらつくろひつくろひつくろい侍侍はべりぬりぬりぬ。。。」」」とぞきこえとぞきこえとぞきこえ給給たまひけるひけるいける。。。
- 10此此こののの頃頃ごろののの人人ひとならばならばならば、、、關白殿關白殿かんぱくどのににに申申もうさずともさずともさずとも、、、隱隱かくしてしてして給給たまことことこと、、、僧僧そう井井いしなどいふものにしなどいふものにしなどいうものに、、、心心こころあはせてあはせてあわせて調調ととのへさせらるべけれどもへさせらるべけれどもえさせらるべけれども、、、かくかくかく申申もうされされされ侍侍はべりとかやりとかやりとかや。。。
- 11かのかのかの僧正僧正そうじょう、、、三條三條さんじょう殿殿どのののの限限かぎりにおはしましけるにりにおはしましけるにりにおわしましけるに參參まいりりり給給たまひてひていて、、、圍碁圍碁いごうたせうたせうたせ給給たまへとへとえと申申もうししし給給たまひければひければいければ、、、「「「いかにあさましきこといかにあさましきこといかにあさましきこと」」」などなどなど侍侍はべりけれどりけれどりけれど、、、あながちにあながちにあながちに侍侍はべりければりければりければ、、、やうぞあらむとてやうぞあらむとてようぞあらむとて、、、碁碁ご盤盤ばんとりよせとりよせとりよせ、、、かきおこされたまひてかきおこされたまひてかきおこされたまいて、、、うたせうたせうたせ侍侍さぶらひけるひけるいけるほどにほどにほどに、、、御腹御腹おおんはらのののふくれへらせふくれへらせふくれえらせ給給たまひてひていて、、、一番一番いちばんがががほどにほどにほどに、、、例例れいざまにならせざまにならせざまにならせ給給たまへりけるへりけるえりける、、、いとありがたきいとありがたきいとありがたき驗者驗者げんざににに侍侍はべりけりりけりりけり。。。
- 12經經きょうなどよみなどよみなどよみ、、、祈祈いのりりり申申もうしなどせさせしなどせさせしなどせさせ給給たまはんだにはんだにわんだに、、、かたかたかた時時ときののの程程ほどににに、、、めでたくめでたくめでたく侍侍はべるべきにるべきにるべきに、、、碁碁ごうちてやめうちてやめうちてやめ申申もうさせさせさせ給給たまひけんもひけんもいけんも、、、たゞたゞただ人人ひとにににはははおはせざるべしおはせざるべしおわせざるべし。。。
- 13むかしむかしむかし長長なが官官かんなりけるなりけるなりける宰相宰相さいしょうののの、、、まだまだまだ下﨟下﨟げろうにおはしけるにおはしけるにおわしける時時とき、、、親親おやののの豐前豐前ぶぜん守守かみにてにてにて、、、筑紫筑紫つくしににに下下くだりけるりけるりける供供ともにまかりたりけるににまかりたりけるににまかりたりけるに、、、そのそのその父父ちち、、、國國くににてわづらひてにてわづらひてにてわずらいて失失うせにけるせにけるせにけるををを、、、そのそのその子子こののの父父ちちののの爲爲ためににに、、、ののの祭祭まつりといふといふという事事ことををを、、、法法のりののの如如ごとくにくにくに祭祭まつりのそなへどもとゝののそなへどもとゝののそなえどもととのへてへてへて、、、祈祈いのりこひたりければりこひたりければりこいたりければ、、、そのそのその親親おや生生いきかへりてきかへりてきかえりて、、、語語かたられられられ侍侍はべりけるりけるりけるははは、、、ののの廳廳ちょうににに參參まいりたりつるにりたりつるにりたりつるに、、、云云いひしらぬそなへひしらぬそなへいしらぬそなえををを奉奉たてまつりけるによりてりけるによりてりけるによりて、、、返返かえししし遣遣つかはすべきはすべきわすべき定定さだめありつるにめありつるにめありつるに、、、そのそのその中中なかににに、、、親親おやののの輔通輔通すけみちをばをばをば返返かえしつかはしてしつかはしてしつかわして、、、そのかはりにそのかはりにそのかわりに子子こののの有國有國ありくにをばをばをば召召めすべきなりすべきなりすべきなり。。。
- 14そのそのその故故ゆえははは、、、道道みちのものにもあらでのものにもあらでのものにもあらで、、、たたたはやはやはやすくすくすく此此こののの祭祭まつりををを行行おこなふふう科科とがあるべしとあるべしとあるべしと定定さだめありつるめありつるめありつるををを、、、あるあるある人人ひとののの申申もうされつるされつるされつるははは、、、「「「孝養孝養きょうようののの志志こころざしあるあるある上上うえににに、、、遠遠とおききき國國くにににに道道みちののの人人ひとののの然然しかるべきもなければるべきもなければるべきもなければ、、、重重おもききき罪罪つみにもあらずにもあらずにもあらず。。。有國有國ありくにめさるまじとなんめさるまじとなんめさるまじとなん覺覺おぼゆるゆるゆる」」」。。。
- 15ととと申申もうさるゝさるゝさるる人人ひとありつるにありつるにありつるに因因よしりてりてりて、、、皆人皆人みなひといはれありとていはれありとていわれありとて、、、おやおやおや子子こともにゆるされぬるともにゆるされぬるともにゆるされぬる、、、となんとなんとなん侍侍はべりけるとぞりけるとぞりけるとぞ。。。そのそのその流流ながれのれのれの人人ひとののの、、、才才ざえももも位位くらいももも、、、高高たかくおはせしくおはせしくおわせし人人ひとののの語語かたられられられ侍侍はべりけるりけるりける。。。
- 16一條一條いちじょうノノノ院院いんののの御時御時おおんときなどにやなどにやなどにや侍侍はべりけんりけんりけん。。。六位六位ろくいののの史史しををを經經へててて、、、かうぶりかうぶりこうぶり給給たまはれるがはれるがわれるが、、、召召めににに、、、心心こころ高高たかくくく播磨播磨はりまノノノ國國くにののの司司つかさ望望のぞみければみければみければ、、、ことことこと人人ひとをををなされけるになされけるになされけるに、、、たび〳〵たび〳〵たびたび墨墨すみをををすりてかきつけらるれどもすりてかきつけらるれどもすりてかきつけらるれども、、、おおおほかたほかたほかた文字文字もじのかゝれざりければのかゝれざりければのかかれざりければ、、、いかゞすべきといかゞすべきといかがすべきと定定さだめられけるにめられけるにめられけるに、、、播磨播磨はりまののの國國くに望望のぞむむむしぶみしぶみしぶみををを、、、皆皆みなとりあつめてとりあつめてとりあつめて、、、かゝるべきかゝるべきかかるべき定定さだめありてめありてめありて、、、選選えらびすてたるびすてたるびすてたる申申もうしぶみどもしぶみどもしぶみどもをもをもをも、、、おほつかのおほつかのおおつかの中中なかよりもとめよりもとめよりもとめ出出いでてでてでて、、、皆皆みなかゝれけるにかゝれけるにかかれけるに、、、かのかのかの史史しノノノ大夫大夫だいぶ相尹相尹すけまさとかいふがとかいふがとかいうが名名なののの、、、あざやかにあざやかにあざやかに書書ふみかれたりけるとなむかれたりけるとなむかれたりけるとなむ。。。
- 17民部卿民部卿みんぶきょうののの宰相宰相さいしょうにおはしけるとかやにおはしけるとかやにおわしけるとかや。。。そのそのその座座ざにてにてにて見見み給給たまひければひければいければ、、、ちひさきちひさきちいさき手手てしてしてして、、、筆筆ふでのさきのさきのさきをををうけてうけてうけて、、、かゝせぬとぞかゝせぬとぞかかせぬとぞ見見み給給たまひけるひけるいける。。。をををしてしてして祈祈いのりけるしるしになむありけるりけるしるしになむありけるりけるしるしになむありける。。。
- 18そのそのその供供ともははは、、、修修しゅ僧正僧正そうじょうとかのとかのとかの、、、せられけるとかやせられけるとかやせられけるとかや。。。たしかにもたしかにもたしかにも覺覺おぼえええ侍侍はべらずらずらず。。。かくかくかく聞聞きききき侍侍はべりしりしりしををを、、、又又また人人ひとののの申申もうしゝしゝししははは、、、一條一條いちじょうノノノ院院いんののの御時御時おおんとき、、、長長なが德德とく四年四年よねん八月八月はちがつ廿五日廿五日にじゅうごにち、、、外記外記げきののの巡巡じゅんにてにてにて、、、佐伯公行佐伯公行さえきのきんゆきといふといふという者者ものこそこそこそ、、、播磨播磨はりま守守かみにににはははなりたれなりたれなりたれ。。。
- 19かのかのかの國國くにののの史生史生ししょうとかにてありけるとかやとかにてありけるとかやとかにてありけるとかや。。。相尹相尹すけまさといふものといふものというものははは、、、なりたることもなりたることもなりたることも見見みえずとえずとえずと申申もうすすす人人ひともありきとなむもありきとなむもありきとなむ。。。
現代語訳
円融院の御代でしたでしょうか。横川の慈恵大僧正(良源)が参られた時、真言の修行のことで、「行者が本尊になるということは、そうあるべき様子をすることか。また本当に仏になることなのか」とお尋ねになったところ、「その印を結んで真言を唱えますならば、どうしてならないことがございましょう」とお答え申されたので、五壇の御修法に帝がお立ち会いになってご覧になったところ、「阿闍梨が印を結んで禅定に入っているとは見えるけれど、もとの姿のままではないか」と仰せられたので、「本当に本尊になっておりますのを、(帝の)お障りも除かれ、御功徳も重なられましたなら、ご覧になることもございましょう」と申されたので、たびたび重ねてご覧になったところ、大僧正は不動尊の姿で、本尊と同じようになって、火焔を背に座っていらしたが、広沢の僧正(寛朝)もまた降三世明王になっていらしたのが、程なく普通の人に戻り、また仏になったりなさいました。あと三人は元の姿のままで仏にもなりません。このようにご覧になって後に、大師(良源)が参られた時、「本当に尊いことを拝んだのは、世にまたとないことだ」と仰せられて、「寛朝こそ気の毒だった。心が乱れたのだろうか、程なく姿が元のようになり返った」と仰せられたので、大師が申されたのは、「寛朝だからこそ(仏に)なれたのでございます」と奏上なさったそうです。
禅林寺の僧正(深覚)と申し上げた方が、宇治の太政大臣(頼通)でいらしたでしょうか、時の関白殿のもとにお手紙を差し上げて、「法蔵が破れております。修理してくださいませ」とあったので、家司の何の守などという者が承って、下家司などという者に継紙を持たせて、僧正の坊に参って、「殿から法蔵を修理いたそうとて、破れた所々を記しに参りました」と申したところ、僧正が呼び寄せられて、「どうしてこのように愚かでいらっしゃるのか。朝廷の御後見も、これではどうなさるのかと申せ」とあったので、帰参して、「記しに参りましたけれど、どこの法蔵ともございません。『どうして心得ないことなのか。朝廷の御後見もどのようにお取り計らいになっているのだろう』などと、思いがけず心得ない御返事をおっしゃいました」と申したので、「これはどうしたことか。それではどうすればよいのか」などと仰せられたところ、年老いた女房が「まあ、お腹を損なわれたのを『御法の蔵』と申しますのに」と申したので、「なるほどもっともなことだ、そうであろう」といって、漢方の薬の調合などを整えて差し上げなさったところ、「材木を賜って、破れた法蔵を繕いました」と申されたそうです。このごろの人なら、関白殿に申し上げなくても、隠して(他の)行事の僧などという者に心を合わせて整えさせるところでしょうに、このように申されたとか。その僧正は、大二条殿(教通)がご臨終と見えた時に参られて、「囲碁を打たせてください」と申されたので、「どうしてあきれたことを」などとおっしゃったけれど、強いて申したので、何かわけがあるのだろうといって、碁盤を取り寄せ、抱き起こされて(碁を)打たせていらっしゃるうちに、お腹の膨れが減られて、一番打つほどの間に普段の様子になられたのは、たいそうめったにない験者でございました。経を読み祈り申し上げなどなさってさえ、わずかの間に(治るのは)すばらしいことでしょうに、碁を打って(病を)お止め申されたのも、普通の人ではいらっしゃらないのでしょう。
昔、勘解由長官であった宰相(有国)がまだ下臈でいらした時、親が豊前守として筑紫に下った供に参ったところ、その父が任国で病気になって亡くなったのを、その子が父のために泰山府君の祭ということを、作法どおりに祭の供え物などを整えて祈り請うたところ、その親が生き返って語られましたのは、「閻魔の庁に参ったところ、言いようもない供え物を奉ったので、(私を)返し遣わすべきだという決定があったが、その中で、親の輔通は返し遣わして、その代わりに子の有国を召すべきである。そのわけは、陰陽道の者でもないのに、たやすくこの祭を行った罪があるはずだと決まりかけたのを、ある人が申されたのは、『孝養の志がある上に、遠い国に陰陽道のしかるべき者もいないのだから、重い罪でもない。有国は召されるべきではないと思われる』と申される人があったので、皆がもっともだといって、親子ともに許された」ということでございましたとか。その家系の人で、学才も位も高くていらした人が語られました。
一条院の御代などでしたでしょうか。六位の史を経て叙爵した者が、県召の除目で、身の程知らずにも播磨国の国司を望んだので、別の人を任じられたところ、たびたび墨を磨って書きつけられるけれど、まったく文字が書けなかったので、どうしたものかと評議されて、播磨国を望む申文を皆取り集めて書くべきだと定まって、選び捨てた申文なども大束の中から探し出して皆書かれたところ、あの史の大夫相尹とかいう者の名が鮮やかに書かれたということです。斉信民部卿が宰相でいらしたとか、その座でご覧になったところ、小さな手が筆の先を受けて書かせたとご覧になったそうです。聖天供をして祈った験だったのです。その供は勧修僧正とかがなさったとか。確かには覚えておりません。このように聞きましたのを、また人が申しましたのは、「一条院の御代、長徳四年(998)八月二十五日、外記の巡任で佐伯公行という者こそ播磨守になったのだ。その国の史生とかであったとか。相尹という者は、なったことも見えない」と申す人もあったということです。
意訳
巻九の二章目は、祈りの霊験をめぐる話を集める。章題の「祈るしるし」はそれを表す。円融天皇の前で良源が不動明王に変じた話は、良源の法力を伝える有名な逸話。寛朝が一瞬だけ降三世明王になってすぐ元に戻ったのを天皇が気の毒がると、良源は「寛朝だからこそなれたのだ」と弁護した。
深覚僧正は、腹を壊したことを「法蔵(御法の蔵)が破れた」と洒落て関白頼通に薬を求めたが、家司は本当に蔵の修理と勘違いした。老女房の機転で薬を贈ると、深覚は「材木をいただいて法蔵を繕いました」と返した。教通の病を碁を打って治した話も、深覚の型破りな験力を伝える。
藤原有国が父の蘇生を祈って泰山府君祭を行い、陰陽師でもないのに祭を行った罪を問われかけたが、孝心に免じて許された話。聖天供の祈りで、除目の際に見えない手が名前を書かせたという話もあるが、語り手は異説も紹介して慎重である。
語釈・文法注
- 橫川の慈惠大僧正
- 良源(912〜985)。天台座主。元三大師。比叡山中興の祖。
- 五壇の御修法
- 不動・降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉の五大明王を五つの壇に祀って行う修法。
- 定
- 禅定。心を統一した瞑想の状態。
- 不動尊
- 不動明王。火焔を背負った憤怒の姿で表される。
- 廣澤の僧正
- 寛朝(916〜998)。宇多天皇の孫。仁和寺・広沢遍照寺の僧。
- 降三世
- 降三世明王。五大明王の一つ。
- 禪林寺の僧正
- 深覚(955〜1043)。藤原師輔の子。東寺長者。
- 法藏
- 仏法の蔵。経蔵。ここでは腹(御法の蔵=御腹)に掛けた洒落。
- 下家司
- 家司の下で働く下級の役人。
- つぎがみ
- 継紙。紙を継ぎ合わせたもの。記録用。
- まなの御あはせ
- 漢方の薬の調合。
- 大三條殿
- 藤原教通(996〜1075)。道長の子。関白。
- 勘解由長官なりける宰相
- 藤原有国(943〜1011)。勘解由長官・参議。
- 泰山府君の祭
- 陰陽道で、人の寿命を司る泰山府君を祭り、延命を祈る祭。
- 炎魔の廳
- 閻魔の庁。死者を裁く冥界の役所。
- 縣召
- 県召の除目。地方官を任命する除目。
- 申しぶみ
- 申文。官職を望んで提出する書状。
- 齊信民部卿
- 藤原斉信(967〜1035)。
- 聖天供
- 大聖歓喜天を供養して願いを祈る修法。霊験あらたかとされた。
- 勸修僧正
- 勧修寺の僧正か。
文法
- 寛朝なればまかりなるにこそ侍れ
- 寛朝だからこそ(仏に)なれたのでございます。
- たゞ人にはおはせざるべし
- 普通の人ではいらっしゃらないのだろう。
解説
院政期には密教の修法や陰陽道の祭が盛んに行われた。今鏡はその霊験を伝えつつも、深覚の洒落や異説の紹介などに、語り手のユーモアと冷静さがうかがえる。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、372〜377頁(コマ201–203)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日