古典ライブラリー

今鏡 第九「むかしがたり」 第74章

祈るしるし

祈りの霊験をめぐる昔語り。円融天皇の前で、良源が不動明王の姿に変じた話。深覚僧正が関白頼通に「法蔵が破れた」と言って腹の薬を求めた機知、教通の腹の病を碁を打ちながら治した話。藤原有国が父の蘇生を泰山府君に祈った話、聖天供の祈りで除目の名が書かれた話などが語られる。

  1. 1圓融院ゑんゆうゐん圓融院ゑんゆうゐんえんゆういんののの御時おほんとき御時おほんときおおんときにやにやにや。。。横よこ横よこよこ川がは川がはがわののの大だい大だいだい僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょう參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまへりけるにへりけるにえりけるに、、、眞言しんごん眞言しんごんしんごんののの行おこな行おこなおこなひのひのいの時とき時ときとき、、、「「「行者ぎやうじや行者ぎやうじやぎょうじゃののの本尊ほんぞん本尊ほんぞんほんぞんになることになることになることははは、、、あるべきさまあるべきさまあるべきさまをををするするする事こと事ことことにやにやにや。。。又また又またまた誠まこと誠まことまことににに、、、佛ほとけ佛ほとけほとけになることにてあるかになることにてあるかになることにてあるか」」」。。。
  2. 2ととと、、、問と問ととはせはせわせ給たま給たまたまひければひければいければ、、、「「「そのそのその印いん印いんいんをををむすびてむすびてむすびて、、、眞言しんごん眞言しんごんしんごんををを唱とな唱となとなへへえ侍はべ侍はべはべらんにらんにらんにははは、、、いかでかならぬやういかでかならぬやういかでかならぬようははは侍はべ侍はべはべらんらんらん」」」。。。ととと、、、答こた答こたこたへへえ申まう申まうもうししし給たま給たまたまひければひければいければ、、、ののの御修法みしほ御修法みしほみしおににに、、、みかどあはせみかどあはせみかどあわせ給たま給たまたまひてひていて、、、御覽ごらん御覽ごらんごらんじけるにじけるにじけるに、、、「「「阿闍梨あざり阿闍梨あざりあざりののの印いん印いんいんをををむすびてむすびてむすびて、、、ににに入い入いいりたるとりたるとりたるとははは見み見みみゆれどもゆれどもゆれども、、、もとのもとのもとの姿すがた姿すがたすがたにてこそにてこそにてこそはははあれあれあれ」」」。。。
  3. 3ととと仰おほ仰おほおおせられければせられければせられければ、、、「「「誠まこと誠まことまことににに本尊ほんぞん本尊ほんぞんほんぞんになりてになりてになりて侍はべ侍はべはべるるるををを、、、御おん御おんおんさはりもさはりもさわりも、、、のぞこらせたまひのぞこらせたまひのぞこらせたまい、、、御おん御おんおん功德くどく功德くどくくどくももも、、、重かさ重かさかさなりおはしましなばなりおはしましなばなりおわしましなば、、、御覽ごらん御覽ごらんごらんぜさせぜさせぜさせ給たま給たまたまふこともおはしましなんふこともおはしましなんうこともおわしましなん」」」。。。
  4. 4ととと申まう申まうもうししし給たま給たまたまひけるにひけるにいけるに、、、たび〳〵たび〳〵たびたび重かさ重かさかさなりてなりてなりて、、、御覽ごらん御覽ごらんごらんじければじければじければ、、、大だい大だいだい僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょうのかたちのかたちのかたち、、、本尊ほんぞん本尊ほんぞんほんぞんととと同おな同おなおなじやうになりてじやうになりてじょうになりて、、、けしやきしてけしやきしてけしやきして居ゐ居ゐい給たま給たまたまひたりけるにひたりけるにいたりけるに、、、澤さは澤さはさわののの僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょうももも、、、又また又またまたになりたまひたりけるがになりたまひたりけるがになりたまいたりけるが、、、程ほど程ほどほどなくなくなく例れい例れいれいののの人ひと人ひとひとになりになりになり、、、又また又またまた佛ほとけ佛ほとけほとけになりなどしになりなどしになりなどし給たま給たまたまひけりひけりいけり。。。
  5. 5いまいまいま三人さんにん三人さんにんさんにんははは、、、元もと元もともとのさまにてのさまにてのさまにて、、、佛ほとけ佛ほとけほとけにもならずにもならずにもならず。。。かくかくかく御覽ごらん御覽ごらんごらんじてじてじて後のち後のちのちににに、、、大師だいし大師だいしだいしまゐりまゐりまいり給たま給たまたまへりけるにへりけるにえりけるに、、、「「「誠まこと誠まことまことににに尊たふと尊たふととうとききき事こと事ことことををを拜をが拜をがおがみつることのみつることのみつることの、、、よによによに有あ有あありりり難がた難がたがたききき」」」ととと仰おほ仰おほおおせられてせられてせられて、、、「「「寛朝くわんてう寛朝くわんてうかんちょうこそいとほしかりつれこそいとほしかりつれこそいとおしかりつれ。。。心こころ心こころこころののの亂みだ亂みだみだれつるにやれつるにやれつるにや。。。程ほど程ほどほどなくなくなく姿すがた姿すがたすがたのもとののもとののもとの樣さま樣さまさまになりかへりつるになりかへりつるになりかえりつる」」」ととと仰おほ仰おほおおせられければせられければせられければ、、、大師だいし大師だいしだいしののの申まう申まうもうしたまひけるしたまひけるしたまいけるははは、、、「「「寛朝くわんてう寛朝くわんてうかんちょうなればまかりなるにこそなればまかりなるにこそなればまかりなるにこそ侍はべ侍はべはべれれれ。。。」」」とぞとぞとぞ奏そう奏そうそうししし給たま給たまたまひけるひけるいける。。。
  6. 6寺じ寺じじののの僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょうときこえときこえときこえ給たま給たまたまひけるがひけるがいけるが、、、宇治うぢ宇治うぢうじのおほきおとゞにやおはしけむのおほきおとゞにやおはしけむのおおきおとどにやおわしけむ。。。時とき時ときときののの關白殿くわんぱくどの關白殿くわんぱくどのかんぱくどののもとにのもとにのもとに、、、消息せうそこ消息せうそこしょうそこたてまつりてたてまつりてたてまつりて、、、「「「藏さし藏さしさしのやぶれてのやぶれてのやぶれて侍はべ侍はべはべるるる、、、修理すり修理すりすりしてしてして給たま給たまたまはははらむらむらん」」」。。。
  7. 7ととと侍はべ侍はべはべりければりければりければ、、、家いへ家いへいえののの司つかさ司つかさつかさ何なに何なになにのかみなどいふのかみなどいふのかみなどいう、、、うけうけうけ給たま給たまたまはははりてりてりて、、、家司けいし家司けいしけいしなどいふなどいふなどいう者もの者ものもの具ぐ具ぐぐしてしてして、、、僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょうののの坊ばう坊ばうぼうにまうでてにまうでてにもうでて「「「殿どの殿どのどのよりよりより法ほふ法ほふほう藏くら藏くらくら修理すり修理すりすりつかまつらんとてつかまつらんとてつかまつらんとて、、、破やぶ破やぶやぶれたるれたるれたる所々ところどころ所々ところどころところどころ、、、記しる記しるしるしになむしになむしになむ參まゐ參まゐまいりたるりたるりたる」」」。。。
  8. 8ととと申まう申まうもうしければしければしければ、、、僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょう呼よ呼よよびよせびよせびよせ給たま給たまたまひてひていて、、、「「「いかにかくいかにかくいかにかく不ふ不ふふ覺かく覺かくかくにににはははおはするぞおはするぞおわするぞ。。。おほやけのおほやけのおおやけの御後見おほんうしろみ御後見おほんうしろみおおんうしろみももも、、、かくてかくてかくてはははいかゞしいかゞしいかがし給たま給たまたまふとふとうと申まう申まうもうせせせ」」」。。。ととと侍はべ侍はべはべりげればりげればりげれば、、、還かへ還かへかえりりり參まゐ參まゐまいりてりてりて、、、「「「しるしにしるしにしるしに詣まう詣まうもうででで侍はべ侍はべはべりつれどもりつれどもりつれども、、、いづくなるいづくなるいずくなる法ほふ法ほふほう藏さし藏さしさしともともとも侍はべ侍はべはべらずらずらず。。。いかにいかにいかに心得こころえ心得こころえこころえぬやうにぬやうにぬようにははは侍はべ侍はべはべるぞるぞるぞ。。。おほやけのおほやけのおおやけの御後見おほんうしろみ御後見おほんうしろみおおんうしろみももも、、、いかやうにかいかやうにかいかようにか、、、御おん御おんおんさださださだ候さふら候さふらそうろうふらんふらんうらん。。。などなどなど思おも思おもおもひかけずひかけずいかけず、、、心得こころえ心得こころえこころえぬぬぬ御返事おほんかへりごと御返事おほんかへりごとおおんかえりごとなむなむなむ、、、のたまはせつるのたまはせつるのたまわせつる」」」。。。
  9. 9ととと申まう申まうもうしければしければしければ、、、「「「こここはははいかにいかにいかに。。。さささはははいかにすべきぞいかにすべきぞいかにすべきぞ」」」。。。などなどなど仰おほ仰おほおおせられければせられければせられければ、、、年老としお年老としおとしおいたるいたるいたる女房にようばう女房にようばうにょうぼうののの、、、「「「あはれあはれあわれ御腹おほんはら御腹おほんはらおおんはらのそこなはせのそこなはせのそこなわせ給たま給たまたまへるへるえるををを、、、みのりのくらとみのりのくらとみのりのくらとははは侍はべ侍はべはべるものるものるものををを」」」ととと申まう申まうもうしければしければしければ、、、さもいはれたることさもいはれたることさもいわれたること、、、さもあらんとてさもあらんとてさもあらんとて、、、御おん御おんおんあはせどもあはせどもあわせども調ととの調ととのととのへてへてえて、、、奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまへりければへりければえりければ、、、「「「材ぎ材ぎぎ木き木きき給たま給たまたまはははりてりてりて、、、やぶれたるやぶれたるやぶれたる法ほふ法ほふほう藏くら藏くらくらつくろひつくろひつくろい侍はべ侍はべはべりぬりぬりぬ。。。」」」とぞきこえとぞきこえとぞきこえ給たま給たまたまひけるひけるいける。。。
  10. 10此こ此ここののの頃ごろ頃ごろごろののの人ひと人ひとひとならばならばならば、、、關白殿くわんぱくどの關白殿くわんぱくどのかんぱくどのににに申まう申まうもうさずともさずともさずとも、、、隱かく隱かくかくしてしてして給たま給たまたまことことこと、、、僧そう僧そうそう井ゐ井ゐいしなどいふものにしなどいふものにしなどいうものに、、、心こころ心こころこころあはせてあはせてあわせて調ととの調ととのととのへさせらるべけれどもへさせらるべけれどもえさせらるべけれども、、、かくかくかく申まう申まうもうされされされ侍はべ侍はべはべりとかやりとかやりとかや。。。
  11. 11かのかのかの僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょう、、、三條さんでう三條さんでうさんじょう殿どの殿どのどのののの限かぎ限かぎかぎりにおはしましけるにりにおはしましけるにりにおわしましけるに參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまひてひていて、、、圍碁ゐご圍碁ゐごいごうたせうたせうたせ給たま給たまたまへとへとえと申まう申まうもうししし給たま給たまたまひければひければいければ、、、「「「いかにあさましきこといかにあさましきこといかにあさましきこと」」」などなどなど侍はべ侍はべはべりけれどりけれどりけれど、、、あながちにあながちにあながちに侍はべ侍はべはべりければりければりければ、、、やうぞあらむとてやうぞあらむとてようぞあらむとて、、、碁ご碁ごご盤ばん盤ばんばんとりよせとりよせとりよせ、、、かきおこされたまひてかきおこされたまひてかきおこされたまいて、、、うたせうたせうたせ侍さぶら侍さぶらさぶらひけるひけるいけるほどにほどにほどに、、、御腹おほんはら御腹おほんはらおおんはらのののふくれへらせふくれへらせふくれえらせ給たま給たまたまひてひていて、、、一番いちばん一番いちばんいちばんがががほどにほどにほどに、、、例れい例れいれいざまにならせざまにならせざまにならせ給たま給たまたまへりけるへりけるえりける、、、いとありがたきいとありがたきいとありがたき驗者げんざ驗者げんざげんざににに侍はべ侍はべはべりけりりけりりけり。。。
  12. 12經きやう經きやうきょうなどよみなどよみなどよみ、、、祈いの祈いのいのりりり申まう申まうもうしなどせさせしなどせさせしなどせさせ給たま給たまたまはんだにはんだにわんだに、、、かたかたかた時とき時ときときののの程ほど程ほどほどににに、、、めでたくめでたくめでたく侍はべ侍はべはべるべきにるべきにるべきに、、、碁ご碁ごごうちてやめうちてやめうちてやめ申まう申まうもうさせさせさせ給たま給たまたまひけんもひけんもいけんも、、、たゞたゞただ人ひと人ひとひとにににはははおはせざるべしおはせざるべしおわせざるべし。。。
  13. 13むかしむかしむかし長なが長ながなが官くわん官くわんかんなりけるなりけるなりける宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうののの、、、まだまだまだ下﨟げらふ下﨟げらふげろうにおはしけるにおはしけるにおわしける時とき時ときとき、、、親おや親おやおやののの豐前ぶぜん豐前ぶぜんぶぜん守かみ守かみかみにてにてにて、、、筑紫つくし筑紫つくしつくしににに下くだ下くだくだりけるりけるりける供とも供ともともにまかりたりけるににまかりたりけるににまかりたりけるに、、、そのそのその父ちゝ父ちゝちち、、、國くに國くにくににてわづらひてにてわづらひてにてわずらいて失う失ううせにけるせにけるせにけるををを、、、そのそのその子こ子ここののの父ちゝ父ちゝちちののの爲ため爲ためためににに、、、ののの祭まつり祭まつりまつりといふといふという事こと事ことことををを、、、法のり法のりのりののの如ごと如ごとごとくにくにくに祭まつり祭まつりまつりのそなへどもとゝののそなへどもとゝののそなえどもととのへてへてへて、、、祈いの祈いのいのりこひたりければりこひたりければりこいたりければ、、、そのそのその親おや親おやおや生い生いいきかへりてきかへりてきかえりて、、、語かた語かたかたられられられ侍はべ侍はべはべりけるりけるりけるははは、、、ののの廳ちやう廳ちやうちょうににに參まゐ參まゐまいりたりつるにりたりつるにりたりつるに、、、云い云いいひしらぬそなへひしらぬそなへいしらぬそなえををを奉たてまつ奉たてまつたてまつりけるによりてりけるによりてりけるによりて、、、返かへ返かへかえししし遣つか遣つかつかはすべきはすべきわすべき定さだ定さださだめありつるにめありつるにめありつるに、、、そのそのその中なか中なかなかににに、、、親おや親おやおやののの輔通すけみち輔通すけみちすけみちをばをばをば返かへ返かへかえしつかはしてしつかはしてしつかわして、、、そのかはりにそのかはりにそのかわりに子こ子ここののの有國ありくに有國ありくにありくにをばをばをば召め召めめすべきなりすべきなりすべきなり。。。
  14. 14そのそのその故ゆゑ故ゆゑゆえははは、、、道みち道みちみちのものにもあらでのものにもあらでのものにもあらで、、、たたたはやはやはやすくすくすく此こ此ここののの祭まつり祭まつりまつりををを行おこな行おこなおこなふふう科とが科とがとがあるべしとあるべしとあるべしと定さだ定さださだめありつるめありつるめありつるををを、、、あるあるある人ひと人ひとひとののの申まう申まうもうされつるされつるされつるははは、、、「「「孝養けうやう孝養けうやうきょうようののの志こころざし志こころざしこころざしあるあるある上うへ上うへうえににに、、、遠とほ遠とほとおききき國くに國くにくにににに道みち道みちみちののの人ひと人ひとひとののの然しか然しかしかるべきもなければるべきもなければるべきもなければ、、、重おも重おもおもききき罪つみ罪つみつみにもあらずにもあらずにもあらず。。。有國ありくに有國ありくにありくにめさるまじとなんめさるまじとなんめさるまじとなん覺おぼ覺おぼおぼゆるゆるゆる」」」。。。
  15. 15ととと申まう申まうもうさるゝさるゝさるる人ひと人ひとひとありつるにありつるにありつるに因よし因よしよしりてりてりて、、、皆人みなひと皆人みなひとみなひといはれありとていはれありとていわれありとて、、、おやおやおや子こ子ここともにゆるされぬるともにゆるされぬるともにゆるされぬる、、、となんとなんとなん侍はべ侍はべはべりけるとぞりけるとぞりけるとぞ。。。そのそのその流なが流ながながれのれのれの人ひと人ひとひとののの、、、才ざえ才ざえざえももも位くらゐ位くらゐくらいももも、、、高たか高たかたかくおはせしくおはせしくおわせし人ひと人ひとひとののの語かた語かたかたられられられ侍はべ侍はべはべりけるりけるりける。。。
  16. 16一條いちでう一條いちでういちじょうノノノ院ゐん院ゐんいんののの御時おほんとき御時おほんときおおんときなどにやなどにやなどにや侍はべ侍はべはべりけんりけんりけん。。。六位ろくゐ六位ろくゐろくいののの史し史ししををを經へ經へへててて、、、かうぶりかうぶりこうぶり給たま給たまたまはれるがはれるがわれるが、、、召め召めめににに、、、心こころ心こころこころ高たか高たかたかくくく播磨はりま播磨はりまはりまノノノ國くに國くにくにののの司つかさ司つかさつかさ望のぞ望のぞのぞみければみければみければ、、、ことことこと人ひと人ひとひとをををなされけるになされけるになされけるに、、、たび〳〵たび〳〵たびたび墨すみ墨すみすみをををすりてかきつけらるれどもすりてかきつけらるれどもすりてかきつけらるれども、、、おおおほかたほかたほかた文字もじ文字もじもじのかゝれざりければのかゝれざりければのかかれざりければ、、、いかゞすべきといかゞすべきといかがすべきと定さだ定さださだめられけるにめられけるにめられけるに、、、播磨はりま播磨はりまはりまののの國くに國くにくに望のぞ望のぞのぞむむむしぶみしぶみしぶみををを、、、皆みな皆みなみなとりあつめてとりあつめてとりあつめて、、、かゝるべきかゝるべきかかるべき定さだ定さださだめありてめありてめありて、、、選えら選えらえらびすてたるびすてたるびすてたる申まう申まうもうしぶみどもしぶみどもしぶみどもをもをもをも、、、おほつかのおほつかのおおつかの中なか中なかなかよりもとめよりもとめよりもとめ出い出いいでてでてでて、、、皆みな皆みなみなかゝれけるにかゝれけるにかかれけるに、、、かのかのかの史し史ししノノノ大夫だいぶ大夫だいぶだいぶ相尹すけまさ相尹すけまさすけまさとかいふがとかいふがとかいうが名な名ななののの、、、あざやかにあざやかにあざやかに書ふみ書ふみふみかれたりけるとなむかれたりけるとなむかれたりけるとなむ。。。
  17. 17民部卿みんぶきやう民部卿みんぶきやうみんぶきょうののの宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうにおはしけるとかやにおはしけるとかやにおわしけるとかや。。。そのそのその座ざ座ざざにてにてにて見み見みみ給たま給たまたまひければひければいければ、、、ちひさきちひさきちいさき手て手ててしてしてして、、、筆ふで筆ふでふでのさきのさきのさきをををうけてうけてうけて、、、かゝせぬとぞかゝせぬとぞかかせぬとぞ見み見みみ給たま給たまたまひけるひけるいける。。。をををしてしてして祈いの祈いのいのりけるしるしになむありけるりけるしるしになむありけるりけるしるしになむありける。。。
  18. 18そのそのその供とも供ともともははは、、、修しゆ修しゆしゅ僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょうとかのとかのとかの、、、せられけるとかやせられけるとかやせられけるとかや。。。たしかにもたしかにもたしかにも覺おぼ覺おぼおぼえええ侍はべ侍はべはべらずらずらず。。。かくかくかく聞き聞ききききき侍はべ侍はべはべりしりしりしををを、、、又また又またまた人ひと人ひとひとののの申まう申まうもうしゝしゝししははは、、、一條いちでう一條いちでういちじょうノノノ院ゐん院ゐんいんののの御時おほんとき御時おほんときおおんとき、、、長なが長ながなが德とく德とくとく四年よねん四年よねんよねん八月はちぐわつ八月はちぐわつはちがつ廿五日にじふごにち廿五日にじふごにちにじゅうごにち、、、外記げき外記げきげきののの巡じゆん巡じゆんじゅんにてにてにて、、、佐伯公行さへきのきんゆき佐伯公行さへきのきんゆきさえきのきんゆきといふといふという者もの者ものものこそこそこそ、、、播磨はりま播磨はりまはりま守かみ守かみかみにににはははなりたれなりたれなりたれ。。。
  19. 19かのかのかの國くに國くにくにののの史生ししやう史生ししやうししょうとかにてありけるとかやとかにてありけるとかやとかにてありけるとかや。。。相尹すけまさ相尹すけまさすけまさといふものといふものというものははは、、、なりたることもなりたることもなりたることも見み見みみえずとえずとえずと申まう申まうもうすすす人ひと人ひとひともありきとなむもありきとなむもありきとなむ。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

円融院の御代でしたでしょうか。横川の慈恵大僧正(良源)が参られた時、真言の修行のことで、「行者が本尊になるということは、そうあるべき様子をすることか。また本当に仏になることなのか」とお尋ねになったところ、「その印を結んで真言を唱えますならば、どうしてならないことがございましょう」とお答え申されたので、五壇の御修法に帝がお立ち会いになってご覧になったところ、「阿闍梨が印を結んで禅定に入っているとは見えるけれど、もとの姿のままではないか」と仰せられたので、「本当に本尊になっておりますのを、(帝の)お障りも除かれ、御功徳も重なられましたなら、ご覧になることもございましょう」と申されたので、たびたび重ねてご覧になったところ、大僧正は不動尊の姿で、本尊と同じようになって、火焔を背に座っていらしたが、広沢の僧正(寛朝)もまた降三世明王になっていらしたのが、程なく普通の人に戻り、また仏になったりなさいました。あと三人は元の姿のままで仏にもなりません。このようにご覧になって後に、大師(良源)が参られた時、「本当に尊いことを拝んだのは、世にまたとないことだ」と仰せられて、「寛朝こそ気の毒だった。心が乱れたのだろうか、程なく姿が元のようになり返った」と仰せられたので、大師が申されたのは、「寛朝だからこそ(仏に)なれたのでございます」と奏上なさったそうです。

禅林寺の僧正(深覚)と申し上げた方が、宇治の太政大臣(頼通)でいらしたでしょうか、時の関白殿のもとにお手紙を差し上げて、「法蔵が破れております。修理してくださいませ」とあったので、家司の何の守などという者が承って、下家司などという者に継紙を持たせて、僧正の坊に参って、「殿から法蔵を修理いたそうとて、破れた所々を記しに参りました」と申したところ、僧正が呼び寄せられて、「どうしてこのように愚かでいらっしゃるのか。朝廷の御後見も、これではどうなさるのかと申せ」とあったので、帰参して、「記しに参りましたけれど、どこの法蔵ともございません。『どうして心得ないことなのか。朝廷の御後見もどのようにお取り計らいになっているのだろう』などと、思いがけず心得ない御返事をおっしゃいました」と申したので、「これはどうしたことか。それではどうすればよいのか」などと仰せられたところ、年老いた女房が「まあ、お腹を損なわれたのを『御法の蔵』と申しますのに」と申したので、「なるほどもっともなことだ、そうであろう」といって、漢方の薬の調合などを整えて差し上げなさったところ、「材木を賜って、破れた法蔵を繕いました」と申されたそうです。このごろの人なら、関白殿に申し上げなくても、隠して(他の)行事の僧などという者に心を合わせて整えさせるところでしょうに、このように申されたとか。その僧正は、大二条殿(教通)がご臨終と見えた時に参られて、「囲碁を打たせてください」と申されたので、「どうしてあきれたことを」などとおっしゃったけれど、強いて申したので、何かわけがあるのだろうといって、碁盤を取り寄せ、抱き起こされて(碁を)打たせていらっしゃるうちに、お腹の膨れが減られて、一番打つほどの間に普段の様子になられたのは、たいそうめったにない験者でございました。経を読み祈り申し上げなどなさってさえ、わずかの間に(治るのは)すばらしいことでしょうに、碁を打って(病を)お止め申されたのも、普通の人ではいらっしゃらないのでしょう。

昔、勘解由長官であった宰相(有国)がまだ下臈でいらした時、親が豊前守として筑紫に下った供に参ったところ、その父が任国で病気になって亡くなったのを、その子が父のために泰山府君の祭ということを、作法どおりに祭の供え物などを整えて祈り請うたところ、その親が生き返って語られましたのは、「閻魔の庁に参ったところ、言いようもない供え物を奉ったので、(私を)返し遣わすべきだという決定があったが、その中で、親の輔通は返し遣わして、その代わりに子の有国を召すべきである。そのわけは、陰陽道の者でもないのに、たやすくこの祭を行った罪があるはずだと決まりかけたのを、ある人が申されたのは、『孝養の志がある上に、遠い国に陰陽道のしかるべき者もいないのだから、重い罪でもない。有国は召されるべきではないと思われる』と申される人があったので、皆がもっともだといって、親子ともに許された」ということでございましたとか。その家系の人で、学才も位も高くていらした人が語られました。

一条院の御代などでしたでしょうか。六位の史を経て叙爵した者が、県召の除目で、身の程知らずにも播磨国の国司を望んだので、別の人を任じられたところ、たびたび墨を磨って書きつけられるけれど、まったく文字が書けなかったので、どうしたものかと評議されて、播磨国を望む申文を皆取り集めて書くべきだと定まって、選び捨てた申文なども大束の中から探し出して皆書かれたところ、あの史の大夫相尹とかいう者の名が鮮やかに書かれたということです。斉信民部卿が宰相でいらしたとか、その座でご覧になったところ、小さな手が筆の先を受けて書かせたとご覧になったそうです。聖天供をして祈った験だったのです。その供は勧修僧正とかがなさったとか。確かには覚えておりません。このように聞きましたのを、また人が申しましたのは、「一条院の御代、長徳四年(998)八月二十五日、外記の巡任で佐伯公行という者こそ播磨守になったのだ。その国の史生とかであったとか。相尹という者は、なったことも見えない」と申す人もあったということです。

意訳

巻九の二章目は、祈りの霊験をめぐる話を集める。章題の「祈るしるし」はそれを表す。円融天皇の前で良源が不動明王に変じた話は、良源の法力を伝える有名な逸話。寛朝が一瞬だけ降三世明王になってすぐ元に戻ったのを天皇が気の毒がると、良源は「寛朝だからこそなれたのだ」と弁護した。

深覚僧正は、腹を壊したことを「法蔵(御法の蔵)が破れた」と洒落て関白頼通に薬を求めたが、家司は本当に蔵の修理と勘違いした。老女房の機転で薬を贈ると、深覚は「材木をいただいて法蔵を繕いました」と返した。教通の病を碁を打って治した話も、深覚の型破りな験力を伝える。

藤原有国が父の蘇生を祈って泰山府君祭を行い、陰陽師でもないのに祭を行った罪を問われかけたが、孝心に免じて許された話。聖天供の祈りで、除目の際に見えない手が名前を書かせたという話もあるが、語り手は異説も紹介して慎重である。

語釈・文法注

橫川の慈惠大僧正
良源(912〜985)。天台座主。元三大師。比叡山中興の祖。
五壇の御修法
不動・降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉の五大明王を五つの壇に祀って行う修法。
定
禅定。心を統一した瞑想の状態。
不動尊
不動明王。火焔を背負った憤怒の姿で表される。
廣澤の僧正
寛朝(916〜998)。宇多天皇の孫。仁和寺・広沢遍照寺の僧。
降三世
降三世明王。五大明王の一つ。
禪林寺の僧正
深覚(955〜1043)。藤原師輔の子。東寺長者。
法藏
仏法の蔵。経蔵。ここでは腹(御法の蔵=御腹)に掛けた洒落。
下家司
家司の下で働く下級の役人。
つぎがみ
継紙。紙を継ぎ合わせたもの。記録用。
まなの御あはせ
漢方の薬の調合。
大三條殿
藤原教通(996〜1075)。道長の子。関白。
勘解由長官なりける宰相
藤原有国(943〜1011)。勘解由長官・参議。
泰山府君の祭
陰陽道で、人の寿命を司る泰山府君を祭り、延命を祈る祭。
炎魔の廳
閻魔の庁。死者を裁く冥界の役所。
縣召
県召の除目。地方官を任命する除目。
申しぶみ
申文。官職を望んで提出する書状。
齊信民部卿
藤原斉信(967〜1035)。
聖天供
大聖歓喜天を供養して願いを祈る修法。霊験あらたかとされた。
勸修僧正
勧修寺の僧正か。

文法

寛朝なればまかりなるにこそ侍れ
寛朝だからこそ(仏に)なれたのでございます。
たゞ人にはおはせざるべし
普通の人ではいらっしゃらないのだろう。

解説

院政期には密教の修法や陰陽道の祭が盛んに行われた。今鏡はその霊験を伝えつつも、深覚の洒落や異説の紹介などに、語り手のユーモアと冷静さがうかがえる。

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出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、372〜377頁(コマ201–203)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日