今鏡 第八「みこたち」 第72章
はらはらの御子
巻八の結び。后や女御以外の母から生まれた皇子・皇女たち(はらはらの御子)。白河・堀河・鳥羽・崇徳・後白河・二条の各天皇の皇子女と、出家した法親王たちが語られる。無位の皇子の袍の色をめぐる考証、法親王の始まり、覚法法親王・行慶らの歌、崇徳院の皇子重仁親王とその母兵衛佐の悲運などが記される。
- 1きさいのきさいのきさいの宮宮みや、、、女御女御にょうご更衣更衣こういにおはせねどにおはせねどにおわせねど、、、御子御子みこうみたてまつりうみたてまつりうみたてまつり給給たまへるへるえるところ〴〵ところ〴〵ところどころ、、、近近ちかききき御代御代みよにあまたにあまたにあまた聞聞きこえこえこえ給給たまひきひきいき。。。后后きさきばらのばらのばらの宮宮みやたちたちたちははは、、、皆皆みな申申もうししし侍侍はべりぬりぬりぬ。。。
- 2ちり〴〵にちり〴〵にちりじりにうちうちうち續續つづきおはしますきおはしますきおわします多多おおくきこえくきこえくきこえ給給たまふふう。。。白河白河しらかわノノノ院院いんのきさきばらののきさきばらののきさきばらの女宮女宮おんなみや、、、みところのみところのみところの外外ほかににに、、、承香殿承香殿じょうきょうでんののの女御女御にょうごののの生生うみたてまつりみたてまつりみたてまつり給給たまひしひしいしははは、、、伊勢伊勢いせのいつきにおはしきのいつきにおはしきのいつきにおわしき。。。
- 3それそれそれははは四四しノノノ宮宮みやなるべしなるべしなるべし。。。女女おんな五五ご宮宮みやももも、、、天天てん仁仁にん元年元年がんねん霜月霜月しもつきのころのころのころ、、、御御おん占占うらにあひたまひてにあひたまひてにあいたまいて、、、齋宮齋宮さいぐうときこえときこえときこえ給給たまひきひきいき。。。御御おんはははらららははは、、、いづれにかおはしけんいづれにかおはしけんいずれにかおわしけん。。。
- 4ひがことにやひがことにやひがことにや侍侍はべらんらんらん。。。季季すえ實實みとかとかとか聞聞きこえしむすめにやおはしけむこえしむすめにやおはしけむこえしむすめにやおわしけむ。。。勢勢せい賀賀が院院いんののの齋宮齋宮さいぐうととと申申もうしゝもしゝもししも、、、同同おなじじじ比比ごろ、、、立立たちちち給給たまふとふとうと聞聞きこえきこえきこえき。。。それそれそれははは賴賴たの綱綱つなときこえしときこえしときこえし、、、源氏源氏げんじののの三河三河みかわ守守かみなりしがなりしがなりしが女女おんなのののはらにおはすとはらにおはすとはらにおわすと聞聞きこえきこえきこえき。。。
- 5七十七十しちじゅうにあまりにあまりにあまり給給たまひてひていて、、、まだおはすとまだおはすとまだおわすと聞聞きこえこえこえ給給たまひきひきいき。。。唐崎唐崎からさきのみそぎのみそぎのみそぎ、、、上西門院上西門院じょうさいもんいんせさせせさせせさせ給給たまひしひしいし比比ごろ、、、そのつゞきにそのつゞきにそのつづきに、、、院院いんののの御御おんさたにてさたにてさたにて、、、殿上人殿上人てんじょうびとなどなどなど奉奉たてまつらせらせらせ給給たまひけりひけりいけり。。。
- 6とのもりのかみとのもりのかみとのもりのかみ何何なに大夫大夫だいぶとかとかとか名名なありしありしありし人人ひと、、、御後見御後見おおんうしろみにてにてにて、、、御車御車みくるまのしりにのしりにのしりに、、、綾綾あやののの指貫指貫さしぬき、、、院院いんのおろしてのおろしてのおろして着着きてわたるなどてわたるなどてわたるなど聞聞きこえきこえきこえき。。。
- 7男男おとこははは此此こののの世世よにににははは、、、多多おおくくく佛佛ほとけののの道道みちににに入入いりりり給給たまひてひていて、、、もかたくてもかたくてもかたくて、、、うへのうへのうえの御衣御衣みけしののの色色いろなどもなどもなども、、、たづねえたづねえたずねえ侍侍はべらぬらぬらぬ折々折々おりおりももも侍侍はべるとかやるとかやるとかや。。。位位くらいおはしまさぬおはしまさぬおわしまさぬほどほどほどははは、、、淺黃淺黃あさぎととと日記日記にっきににに侍侍はべるなるるなるるなるをばをばをば、、、靑靑あおききき色色いろかかか。。。
- 8黃黃きなるかなるかなるか。。。なほおぼつかなくてなほおぼつかなくてなおおぼつかなくて、、、花園花園はなぞののおのおのおほいどのにほいどのにほいどのに、、、尋尋たずねねね奉奉たてまつられけるもられけるもられけるも、、、をさなくておぼえをさなくておぼえおさなくておぼえ給給たまはぬよしはぬよしわぬよし申申もうしたまふなどしたまふなどしたまうなど聞聞きこえしこえしこえし。。。一一ひとノノノ宮宮みやののの御元服御元服ごげんぷくのののははは、、、黃黃きなるなるなるををを奉奉たてまつりけるなるべしりけるなるべしりけるなるべし。。。
- 9位位くらいまだまだまだ得得えさせさせさせ給給たまはははねばねばねば、、、黃黃きなるなるなる衣衣ころもぞぞぞ、、、誠誠まことにもおはしますらんにもおはしますらんにもおわしますらん。。。無無な位位くらいののの人人ひとははは、、、袍袍ぽうなるべければなるべければなるべければ、、、小野小野おのノノノががが、、、隱岐隱岐おきよりよりより歸歸かえりてりてりて、、、作作つくりたるりたるりたる詩詩しにもにもにも、、、「「「請請こふふふ君君きみ菊菊きくををを愛愛あいせばせばせば、、、我我われれれををを見見みるべしるべしるべし。。。白白しろきこときこときことはははかうべにありかうべにありこうべにあり。。。黃黃きなることなることなることははは衣衣きぬにありにありにあり」」」。。。
- 10などぞきこえなどぞきこえなどぞきこえ侍侍はべりしりしりし。。。神神かみののの社社やしろののの黃黃もみ狩衣狩衣かりぎぬなどもなどもなども、、、位位くらいなきなきなきうへのきぬのうへのきぬのうえのきぬの心心こころなるべしなるべしなるべし。。。かやうのついでにかやうのついでにかようのついでに、、、あるあるある人人ひとののの申申もうされけるされけるされけるははは、、、ははは、、、王王おうののの四位四位しいののの色色いろにてにてにて、、、たゝたゝたた人人ひとののの四位四位しいととと、、、王王おう五位五位ごいとととははは、、、くろあけくろあけくろあけををを着着き、、、たゞたゞただ人人ひとののの五位五位ごい、、、あけのあけのあけの衣衣きぬにてにてにてうるはしくうるはしくうるわしくはははあるべきあるべきあるべきををを、、、今今いまののの人心人心ひとこころおよすげておよすげておよすげて、、、四位四位しいははは王王おうののの衣衣きぬになりになりになり、、、五位五位ごいははは四位四位しいのころものころものころもををを着着きるなるべしるなるべしるなるべし。。。
- 11檢非違使檢非違使けびいし上官上官じょうかんなどなどなどははは、、、うるはしくてなほあけうるはしくてなほあけうるわしくてなおあけをををあらためざるべしとぞあらためざるべしとぞあらためざるべしとぞ侍侍はべりけるりけるりける。。。
- 12佛佛ほとけののの道道みちににに入入いりたまへるりたまへるりたまえるははは、、、此此こののの頃頃ごろうちつゞかせうちつゞかせうちつづかせ給給たまへりへりえり。。。仁和寺仁和寺にんなじににに行法行法ぎょうぼう親王親王しんのうととと聞聞きこえたまひしこえたまひしこえたまいしははは、、、白河白河しらかわノノノ院院いんのみこにおはすのみこにおはすのみこにおわす。。。御御おんぐしおろさせぐしおろさせぐしおろさせ給給たまひてひていて、、、やう〳〵おとなにやう〳〵おとなにようようおとなに成成ならせらせらせ給給たまふふうほどにほどにほどに、、、いといといとかひ〴〵しくおはしければかひ〴〵しくおはしければかいがいしくおわしければ、、、さらにさらにさらに親王親王しんのうののの宣旨宣旨せんじかぶりかぶりかぶり給給たまふとぞふとぞうとぞ聞聞きこえこえこえ侍侍はべりしりしりし。。。
- 13御室御室おむろとておはしましゝとておはしましゝとておわしまししははは、、、三條三條さんじょうノノノ院院いんののの御子御子みこ、、、師師し明明あ親王親王しんのうときこえときこえときこえ給給たまひしひしいし、、、まだちごにおはしましてまだちごにおはしましてまだちごにおわしまして、、、親王親王しんのうののの御名御名みなえたまひければえたまひければえたまいければ、、、法師法師ほうしののの後後のちははは、、、親王親王しんのうののの宣旨宣旨せんじかぶりかぶりかぶり給給たまはずはずわず。。。
- 14そのそのその宮宮みやにつけにつけにつけ奉奉たてまつりたまひしにりたまひしにりたまいしに、、、御弟子御弟子おおんでしののの宮宮みやはははわらわらわらはははにてにてにて、、、親王親王しんのうののの御名御名みなををを得得えたまたまたまはははねばねばねば、、、親王親王しんのうののの宣旨宣旨せんじかぶりたまへりかぶりたまへりかぶりたまえり。。。後後のち二條二條にじょうのおとゞのおとゞのおとど、、、「「「出家出家しゅっけのゝちのゝちののちははは、、、例例れいなきなきなき由由よし」」」侍侍はべりけれどもりけれどもりけれども、、、白河白河しらかわノノノ院院いん、、、「「「內親王內親王ないしんのうといふこともあればといふこともあればということもあれば、、、法法ほう親王親王しんのうもなどかなからんもなどかなからんもなどかなからん」」」。。。
- 15とてとてとてはじめてはじめてはじめて法師法師ほうしののの後後のち、、、親王親王しんのうときこえときこえときこえ給給たまひしなりひしなりいしなり。。。かくてかくてかくて後後のちぞぞぞ、、、うちつゞきいづくにもうちつゞきいづくにもうちつづきいずくにも出家出家しゅっけののの後後のちののの親王親王しんのうときこえときこえときこえ給給たまふめるふめるうめる。。。そのおとうとにてそのおとうとにてそのおとうとにて、、、法法ほう々々びと親王親王しんのうときこえたまひしときこえたまひしときこえたまいしははは、、、六條六條ろくじょうののの右右みぎのおとゞののおとゞののおとどの御御おんむすめのむすめのむすめの生生うみみみ奉奉たてまつりりり給給たまへりしへりしえりし、、、法性寺法性寺ほっしょうじのおとゞののおとゞののおとどの一一ひとつつつ御御おんはははらからにおはすらからにおはすらからにおわす。。。
- 16さきにさきにさきに申申もうししし侍侍はべりぬりぬりぬ。。。みかどのみかどのみかどの御子御子みこ、、、關白關白かんぱくなどなどなど、、、一一ひとつはらにおはしますつはらにおはしますつわらにおわします、、、いとかたきことなるべしいとかたきことなるべしいとかたきことなるべし。。。このこのこの御室御室おむろははは、、、おほきにおほきにおおきに、、、聲聲こえ淸淸きよらかなるらかなるらかなる人人ひとにぞおはしけるにぞおはしけるにぞおわしける。。。
- 17眞言眞言しんごんののの道道どうよくならひよくならひよくならい給給たまひひい、、、又又また手手てかきにてもおはしけりかきにてもおはしけりかきにてもおわしけり。。。御堂御堂みどうののの色紙形色紙形しきしがたなどかきなどかきなどかき給給たまふときこえふときこえうときこえ給給たまひきひきいき。。。ののの大師大師だいしののの、、、手手てかきにおはしければにやかきにおはしければにやかきにおわしければにや。。。
- 18御室御室おむろたちもたちもたちも、、、うちつゞきうちつゞきうちつづき、、、手手てかきにぞおはすなるかきにぞおはすなるかきにぞおわすなる。。。高野高野こうやへへへまうでたまひけるまうでたまひけるもうでたまいける道道みちにてにてにて、、、
- 19定定さだめなきめなきめなきうきうきうき世世よののの中中なかとしりぬればいづくもとしりぬればいづくもとしりぬればいずくも旅旅たびののの心心こころちこそすれちこそすれちこそすれ
- 20とよみたまへりけるとぞとよみたまへりけるとぞとよみたまえりけるとぞ。。。橫川橫川よかわののの超超こ僧都僧都そうずののの、、、「「「よろづのよろづのよろずの事事ことををを夢夢ゆめとみるかなとみるかなとみるかな」」」。。。といふといふという歌歌うた思思おもひひい出出いでられてでられてでられて、、、あはれにきこえあはれにきこえあわれにきこえ侍侍はべるるる御歌御歌おおんうたなりなりなり。。。
- 21又又また仁和寺仁和寺にんなじににに藏藏くら院院いんののの宮宮みやとてもおはしましきとてもおはしましきとてもおわしましき。。。それそれそれははは異異こと御御おんはははらなるべしらなるべしらなるべし。。。御母御母おおんははははは大宮大宮おおみやののの右右みぎのおとゞののおとゞののおとどの御子御子みこににに、、、なでしこのなでしこのなでしこの宰相宰相さいしょうとかきこえとかきこえとかきこえ給給たまひしむすめとぞひしむすめとぞいしむすめとぞ。。。
- 22六條六條ろくじょう殿殿どのとかきこえとかきこえとかきこえ給給たまひてひていて、、、後後のちにににははは九條九條くじょうののの民部卿民部卿みんぶきょうにおはしけるとかやにおはしけるとかやにおわしけるとかや。。。此此こののの宮宮みやはははいみじくいみじくいみじく尊尊とうとききき人人ひとときこえときこえときこえ給給たまひきひきいき。。。長長なが尾尾おののの宮宮みやともともとも申申もうしきしきしき。。。
- 23又又また三井寺三井寺みいでらノノノ大大だい僧正僧正そうじょう慶慶けいととと聞聞きこえたまひしもおはしきこえたまひしもおはしきこえたまいしもおわしき。。。備備び中中なか守守かみ政政じょう長長ながととと聞聞きこえしこえしこえし人人ひとのむすめののむすめののむすめのはらにおはすはらにおはすはらにおわす。。。これもこれもこれも眞言眞言しんごんよくよくよく習習ならひひい給給たまへるなるべしへるなるべしえるなるべし。。。
- 24このこのこの院院いんももも、、、このこのこの僧正僧正そうじょうにぞにぞにぞ行行おこなひのことひのこといのこと受受うけさせけさせけさせ給給たまふときこえしふときこえしうときこえし。。。法性寺法性寺ほっしょうじのおとゞのおとゞのおとど、、、御御おんぐしおろしぐしおろしぐしおろし給給たまひてひていて、、、御戒御戒おおんかいののの師師しにしにしにし給給たまふともきこえきふともきこえきうともきこえき。。。
- 25こまのこまのこまの僧正僧正そうじょうともともとも申申もうすなるべしすなるべしすなるべし。。。天王寺天王寺てんのうじへへへ詣詣もうでたまひけるにでたまひけるにでたまいけるに、、、難波難波なにわをををすぎすぎすぎ給給たまふとてふとてうとて、、、
- 26夕暮夕暮ゆうぐれににに浪浪なみ花花しわたりわたりわたりををを見見み渡渡わたせばたゞうすせばたゞうすせばたどうす墨墨すみ
- 27となむきこえしとなむきこえしとなむきこえし。。。ことことこと所所ところのゆふべののゆふべののゆうべの望望のぞみよりもみよりもみよりも、、、なになになにはははののの葦葦あし手手てととと見見みえんえんえん。。。げにとげにとげにと聞聞きこえこえこえ侍侍はべりりり。。。歸歸かえるるる雁雁かりのののうすゞみうすゞみうすずみ、、、夕暮夕暮ゆうぐれのあしでになりたるものあしでになりたるものあしでになりたるも、、、やさしくきこえやさしくきこえやさしくきこえ侍侍はべりりり。。。
- 28又又また若若わか御前御前おまえ法眼法眼ほうげんときこえときこえときこえ給給たまへりしもへりしもえりしも、、、白河白河しらかわノノノ院院いんののの御子御子みこにやおはしけむにやおはしけむにやおわしけむ。。。みちのおくのかみみちのおくのかみみちのおくのかみ、、、有有あり宗宗むねといひしがといひしがといいしが女女おんなのののはらにおはすとぞはらにおはすとぞはらにおわすとぞ。。。
- 29堀河堀河ほりかわのみかどののみかどののみかどの宮宮みやたちたちたちははは、、、山山やまににに法印法印ほういんなどなどなど聞聞きこえたまひしこえたまひしこえたまいし、、、後後のちにににははは座主座主ざすになりてになりてになりて、、、親王親王しんのうののの宣旨宣旨せんじかぶりかぶりかぶり給給たまひてひていて、、、ののの宮宮みやときこえきときこえきときこえき。。。伊勢伊勢いせノノノ守守かみ時時とき經經ふとてとてとて、、、傅傅ふののの大納言大納言だいなごんののの末末すえととと聞聞きこえしむすめのこえしむすめのこえしむすめの、、、生生うみたてまつれるとぞみたてまつれるとぞみたてまつれるとぞ。。。
- 30又又また仁和寺仁和寺にんなじののの藏藏くら院院いんののの大大だい僧正僧正そうじょうととと申申もうしゝしゝししははは、、、近江近江おうみ守守かみ隆隆たか宗宗むねととと聞聞きこえしがこえしがこえしが女女おんなのののはらとぞきこえはらとぞきこえはらとぞきこえ給給たまひしひしいし。。。僧正僧正そうじょう御身御身おおんみののの沈沈しずみみみ給給たまへるへるえる事事ことをををおもほしけるおもほしけるおもおしける時時とき、、、よみたまへりけるよみたまへりけるよみたまえりける、、、
- 31さみだれのさみだれのさみだれのひまなきひまなきひまなき比比ごろののの雫雫しずくにににははは宿宿やどもあるじももあるじももあるじも朽朽くちにけるかなちにけるかなちにけるかな
- 32とぞきこえとぞきこえとぞきこえ侍侍はべりしりしりし。。。身身みをををしるしるしる雨雨あめ、、、時時ときにもあらぬしぐれなどやにもあらぬしぐれなどやにもあらぬしぐれなどや、、、御袖御袖おおんそでにににふりそひふりそひふりそい給給たまひけむとひけむといけむと、、、いとあはれにいとあはれにいとあわれに聞聞きこえこえこえ侍侍はべりりり。。。女宮女宮おんなみやははは、、、大宮大宮おおみやののの齋院齋院さいいんときこえときこえときこえ給給たまふおはしきふおはしきうおわしき。。。
- 33やがてやがてやがて彼彼かののの大宮大宮おおみやののの女房女房にょうぼうののの、、、生生うみたてまつれりけるとなんみたてまつれりけるとなんみたてまつれりけるとなん。。。又又またさきのさきのさきの齋院齋院さいいんももも、、、堀河堀河ほりかわノノノ院院いんののの御御おんむすめときこえむすめときこえむすめときこえ給給たまふふう。。。まだまだまだ此此こののの比比ごろもおはするなるべしもおはするなるべしもおわするなるべし。。。
- 34鳥羽鳥羽とばノノノ院院いんののの宮宮みやははは、、、女院女院にょういんふたところのふたところのふたところの御御おんはははらのらのらの外外ほかににに三井寺三井寺みいでらののの六六ろく宮宮みや、、、山山やまののの七七しち宮宮みやとておはしますとておはしますとておわします。。。御御おんはゝはゝはは石淸水石淸水いわしみずののの流流ながれとなんれとなんれとなん、、、聞聞ききたてまつりしきたてまつりしきたてまつりし。。。
- 35俊賴俊賴としよりののの撰集撰集せんしゅうににに、、、鹿鹿しかののの歌歌うたなどなどなど入入いりてりてりて侍侍はべりりり。。。光光ひかり淸淸きよ法印法印ほういんとかいひけるとかいひけるとかいいける、、、別當別當べっとうのむすめとなむのむすめとなむのむすめとなむ。。。などきこゆるなどきこゆるなどきこゆるははは、、、小小こ大大だい進進すすががが腹腹はらにてにてにて、、、これこれこれはははさきのさきのさきのはらからなるべしはらからなるべしはらからなるべし。。。
- 36白河白河しらかわノノノ院院いんののの御時御時おおんときよりよりより、、、近近ちかくさぶらひてくさぶらひてくさぶらいて、、、鳥羽鳥羽とばノノノ院院いんにににははは、、、御子御子みこあまたおはしますなるべしあまたおはしますなるべしあまたおわしますなるべし。。。又又またそのそのその同同おなじはらにじはらにじわらに、、、あやあやあや御前御前おまえときこえさせたまふときこえさせたまふときこえさせたまう、、、御御おんぐしおろしてぐしおろしてぐしおろして雙雙なら林林はやし寺寺でらといふといふという所所ところにぞにぞにぞ、、、おはしますなるおはしますなるおわしますなる。。。
- 37寺寺じののの宮宮みやははは、、、ひとゝせひとゝせひととせうせうせうせ給給たまひにきひにきいにき。。。やまのやまのやまのははは、、、法印法印ほういんなどなどなど申申もうしゝしゝしし、、、親王親王しんのうになりになりになり給給たまふとぞふとぞうとぞ。。。又又また宰相宰相さいしょうののの中將中將ちゅうじょう家家いえ政政まさときこえしときこえしときこえし御御おんむすめむすめむすめ、、、待賢門院待賢門院たいけんもんいんにおはしけるもにおはしけるもにおわしけるも、、、鳥羽鳥羽とばノノノ院院いんののの御子御子みこ生生うみたてまつりみたてまつりみたてまつり給給たまへりしへりしえりし、、、吉田吉田よしだののの齋宮齋宮さいぐうととと申申もうしきしきしき。。。
- 38それもそれもそれもうせうせうせ給給たまひてひていて、、、八八はち九年九年くねんにもやなりにもやなりにもやなり侍侍はべりぬらんりぬらんりぬらん。。。あまにならせあまにならせあまにならせ給給たまひてひていて、、、智惠智惠ちえ深深ふかくくく、、、尊尊とうとくきこえさせくきこえさせくきこえさせ給給たまひきひきいき。。。そのそのその御母御母おおんははこそこそこそははは、、、あさましくてあさましくてあさましくてうせうせうせ給給たまひにしかひにしかいにしか。。。
- 39河內河內こうち守守かみなにがしとかなにがしとかなにがしとか、、、いひしがいひしがいいしが子子こなるなるなる男男おとこののの、、、いかなるいかなるいかなる事事ことのありけるにかのありけるにかのありけるにか。。。失失うしなひひい奉奉たてまつりたるとてりたるとてりたるとて、、、おやもおやもおやも罪罪つみかぶりてかぶりてかぶりて、、、都都みやこにもすまざりきにもすまざりきにもすまざりき。。。
- 40又又また德大寺德大寺とくだいじののの左左ひだりのおとゞののおとゞののおとどの御御おんむすめとてむすめとてむすめとて、、、鳥羽鳥羽とばののの女院女院にょういんににに候候そうらひひい給給たまひけるもひけるもいけるも、、、女女おんな三三さんのみこのみこのみこ生生うみみみ給給たまひてひていて、、、かすがのかすがのかすがの姫宮姫宮ひめみやときこえときこえときこえ給給たまふふう。。。冷泉冷泉れいぜいののの姫宮姫宮ひめみやととと申申もうすにやすにやすにや、、、其其そののの母母ははををを春日春日かすが殿殿どのととと申申もうすなるべしすなるべしすなるべし。。。
- 41又又また勢勢せい賀賀が院院いんののの姫宮姫宮ひめみや、、、齋院齋院さいいんのののひめひめひめ宮宮みや、、、高松高松たかまつののの宮宮みやなどなどなど聞聞きこえさせこえさせこえさせ給給たまふもおはしますなるべしふもおはしますなるべしうもおわしますなるべし。。。鳥羽鳥羽とばノノノ院院いんののの宮宮みやたちたちたちははは、、、をとこをとこおとこ女女おんな、、、きさきばらきさきばらきさきばら、、、たゞのなどたゞのなどただのなど取取とりりり加加くわへへえ奉奉たてまつりてりてりて、、、男男おとこ宮宮みや八人八人やたり、、、女宮女宮おんなみや八九人八九人はちくにんばかりばかりばかり、、、おはしますなるべしおはしますなるべしおわしますなるべし。。。
- 42讃岐讃岐さぬきノノノ院院いんののの一一いちののの御子御子みこときこえときこえときこえ給給たまひしひしいしははは、、、仁仁にん親王親王しんのうととと申申もうしけるなるべししけるなるべししけるなるべし。。。そのそのその御母御母おおんはは、、、院院いんににに具具ぐししし奉奉たてまつりてりてりて、、、遠遠とおくおはしたりけるがくおはしたりけるがくおわしたりけるが、、、歸歸かえりのぼりりのぼりりのぼり給給たまへるとぞきこえへるとぞきこええるとぞきこえ給給たまふふう。。。
- 43みかどみかどみかど位位くらいにおはしましゝにおはしましゝにおわしましし時時とき、、、きさいのきさいのきさいの宮宮みや、、、一一いちののの人人ひとののの御御おんむすめにておはしますにむすめにておはしますにむすめにておわしますに、、、うちのうちのうちの女房女房にょうぼうにてにてにて、、、かのかのかの御母御母おおんはは、、、宮仕宮仕みやずかへへえ人人ひとにてさぶらひにてさぶらひにてさぶらい給給たまひしがひしがいしが、、、殊殊ことののの外外ほかにときめきにときめきにときめき給給たまひしかばひしかばいしかば、、、きさきのきさきのきさきの御方御方おおんかたののの人人ひとははは、、、めざましくめざましくめざましく思思おもひあひてひあひていあいて、、、人人ひとののの心心こころをををのみのみのみはははたらかしたらかしたらかし、、、世世よののの人人ひとももも、、、あまりまばゆきまであまりまばゆきまであまりまばゆきまで思思おもへるなるべしへるなるべしえるなるべし。。。
- 44さりとてさりとてさりとて、、、御後見御後見おおんうしろみのつよきもおはせずのつよきもおはせずのつよきもおわせず。。。たゞたゞただ大藏卿大藏卿おおくらきょう行宗行宗ゆきむねとてとてとて、、、としとしとし七十七十しちじゅうばかりなるがばかりなるがばかりなるが歌歌うたよみによりてよみによりてよみによりて、、、親親したしくしくしく仕仕つこうまつりなれたるうまつりなれたるうまつりなれたるををを、、、おやなどいひておやなどいひておやなどいいて、、、ノノノ佐佐すけなどつけなどつけなどつけ申申もうしたるばかりなればしたるばかりなればしたるばかりなれば、、、さるべきさるべきさるべき方人方人かたびともなしもなしもなし。。。
- 45まことのまことのまことの親親おやははは、、、をとこにをとこにおとこにはははあらであらであらで、、、紫紫むらさきののの袈裟袈裟けさなどなどなど給給たまはははりてりてりて、、、白川白川しらかわののの御寺御寺みてらのつかさのつかさのつかさ也也なりけりけりけり。。。それもそれもそれもうせてうせてうせて年年としへへへにけりにけりにけり。。。然然しかるべきるべきるべき人人ひとののの子子こなりけれどなりけれどなりけれど、、、男男おとこならねばならねばならねば、、、かひなかるべしかひなかるべしかいなかるべし。。。
- 46常常つねにさぶらふにさぶらふにさぶらう何何なにののの中將中將ちゅうじょうなどいふなどいふなどいう人人ひとののの、、、かたこゝろあるなどもかたこゝろあるなどもかたこころあるなども、、、目目めをををそばめらるゝそばめらるゝそばめらるる樣樣さまにてにてにて、、、はしたなくなんありけるはしたなくなんありけるはしたなくなんありける。。。されどされどされど類類たぐひなきひなきひなき御心御心みこころざしざしざしをををさりがたきさりがたきさりがたき事事ことにてにてにて、、、過過すぐしぐしぐし給給たまふふうほどにほどにほどに、、、をのこをのこおのこ君君きみゅ生生うみみみ出出いだしだしだし給給たまへればへればえれば、、、中宮中宮ちゅうぐうにににはははまだかゝるまだかゝるまだかかる事事こともなきにもなきにもなきに、、、いとめづらしくいとめづらしくいとめずらしく、、、いとゞいとゞいとど安安やすからぬつまなるべしからぬつまなるべしからぬつまなるべし。。。
- 47御御おんおほぢのおほぢのおおじの一院一院いちいんももも聞聞きかせかせかせ給給たまひてひていて、、、迎迎むかへとりへとりえとり給給たまひてひていて、、、女院女院にょういんののの御方御方おおんかたににに養養やしなひひい申申もうさせさせさせ給給たまふふう。。。やう〳〵うちのやう〳〵うちのようよううちの御御おんめのとごのめのとごのめのとごの、、、播磨播磨はりま守守かみ、、、伯耆守伯耆守ほうきのかみなどいふなどいふなどいう人人ひとどもどもども、、、彼彼かのさとやのさとやのさとや、、、局局つぼねなどのなどのなどの女房女房にょうぼうなどなどなど、、、上下上下かみしものことゞものことゞものことども取取とりさだすべきりさだすべきりさだすべき由由よし、、、うけうけうけ給給たまはははりてりてりて仕仕つこうまつりうまつりうまつり、、、若宮若宮わかみやののの御御おんめのとめのとめのと刑部卿刑部卿ぎょうぶきょうなどいひてなどいひてなどいいて、、、大貳大貳だいにののの御御おんめのとのをとこときこゆめのとのをとこときこゆめのとのおとこときこゆ。。。
- 48みこもみこもみこも親王親王しんのうののの宣旨宣旨せんじなどかぶりなどかぶりなどかぶり給給たまひてひていて、、、御元服御元服ごげんぷくなどせさせなどせさせなどせさせ給給たまひぬひぬいぬ。。。かくてかくてかくて年月年月としつきすぐさせすぐさせすぐさせ給給たまふふう程程ほどににに、、、位位くらいさらせさらせさらせ給給たまひてひていて、、、新院新院しんいんとておはしますにもとておはしますにもとておわしますにも、、、世世よににに類類たぐひなくてひなくてひなくて、、、過過すぐさせたまへばぐさせたまへばぐさせたまえば、、、きさいのきさいのきさいの宮宮みや、、、殿殿どのののの御御おんわたりにわたりにわたりにははは、、、心心こころよからずよからずよからず。。。
- 49疎疎うとききき事事ことにてのみおはしますにてのみおはしますにてのみおわします。。。本院本院ほんいんののの御御おんまゝなればまゝなればままなれば、、、世世よををを心心こころにまかせさせにまかせさせにまかせさせ給給たまはずはずわず、、、うちうちうち、、、中宮中宮ちゅうぐう、、、殿殿とのなどになどになどに、、、ひとつにてひとつにてひとつにて、、、世世よののの中中なかすさまじきすさまじきすさまじき事事こと多多おおくてくてくて、、、おはしますべしおはしますべしおわしますべし。。。
- 50かやうなるにつけてもかやうなるにつけてもかようなるにつけても、、、わたくしものにわたくしものにわたくしものに、、、おもほしつゝおもほしつゝおもおしつつ、、、過過すぐさせぐさせぐさせ給給たまふにふにうに、、、法皇法皇ほうおうかくれさせかくれさせかくれさせ給給たまひぬるひぬるいぬる後後のち、、、世世よののの中中なかににに事事ことどもどもども出出いできてできてできて、、、讚岐讚岐さぬきへへへ遠遠とおくおはしましにしかばくおはしましにしかばくおわしましにしかば、、、やがてやがてやがて御船御船みうねににに具具ぐししし奉奉たてまつりてりてりて、、、かのかのかの國國くにににに年年とし歷歷へ給給たまひきひきいき。。。
- 51一一いちののの御子御子みこももも、、、御御おんぐしおろしぐしおろしぐしおろし給給たまひてひていて、、、仁和寺仁和寺にんなじ大大だい僧正僧正そうじょう寬寬かん曉曉あかつきととと申申もうしゝにつかせしゝにつかせししにつかせ給給たまひてひていて、、、眞言眞言しんごんなどならはせなどならはせなどならわせ給給たまひけるにひけるにいけるに、、、敏敏びんくめでたくおはしましければくめでたくおはしましければくめでたくおわしましければ、、、昔昔むかしののの如如ごと親王親王しんのうもかくやともかくやともかくやと見見みえさせたまひけるにえさせたまひけるにえさせたまいけるに、、、御足御足おおんあしのやまひおもくならせのやまひおもくならせのやまいおもくならせ給給たまひてひていて、、、ひとゝせひとゝせひととせうせさせうせさせうせさせ給給たまひにけりひにけりいにけり。。。
- 52御御おんとしとしとし廿二廿二にじゅうに三三さんばかりにやなりばかりにやなりばかりにやなり給給たまひけんひけんいけん。。。讃岐讃岐さぬきにもにもにも、、、御御おんなげきのあまりにやなげきのあまりにやなげきのあまりにや。。。御惱御惱おおんなやみつもりてみつもりてみつもりて、、、かしこにてかくれさせかしこにてかくれさせかしこにてかくれさせ給給たまひにしかばひにしかばいにしかば、、、宮宮みやののの御母御母おおんははものぼりものぼりものぼり給給たまひてひていて、、、かしらおろしてかしらおろしてかしらおろして、、、醍醐醍醐だいごのみかどののみかどののみかどの御母御母おおんはは方方かたののの御寺御寺みてらのわたりにぞのわたりにぞのわたりにぞ、、、住住すみたまふなるみたまふなるみたまうなる。。。
- 53かのかのかの院院いんののの御御おんにほひなればにほひなればにおいなれば、、、ことわりとことわりとことわりと申申もうしながらしながらしながら、、、歌歌うたなどこそなどこそなどこそ、、、いとらうありてよみいとらうありてよみいとろうありてよみ給給たまふなれふなれうなれ。。。のぼりのぼりのぼり給給たまひたりけるにひたりけるにいたりけるに、、、あるあるある人人ひとのとぶらひのとぶらひのとぶらい申申もうしたりければしたりければしたりければ、、、
- 54君君きみなくてなくてなくて歸歸かえるるる波路波路なみじにしほれこしにしほれこしにしおれこし袂袂たもとををを人人ひとののの思思おもひやらなむひやらなむいやらなむ
- 55ととと侍侍はべりけるなむりけるなむりけるなむ。。。さこそさこそさこそはははととと、、、いといといと悲悲かなしくしくしく推推おししし量量はかられられられ侍侍はべりしりしりし。。。院院いんののの御御おんおとうとのおとうとのおとうとの、、、仁和寺仁和寺にんなじののの宮宮みやおはしましゝおはしましゝおわしましし程程ほどははは、、、とぶらはせとぶらはせとぶらわせ給給たまふとふとうと聞聞きこえしにこえしにこえしに、、、宮宮みやもかくれもかくれもかくれ給給たまひてひていて、、、心心こころぐるしくぐるしくぐるしく思思おもひやりひやりいやり奉奉たてまつるあたりなるべしるあたりなるべしるあたりなるべし。。。
- 56そのそのその遠遠とおくおはしましたりけるくおはしましたりけるくおわしましたりける人人ひとののの、、、まだまだまだ京京きょうにおはしけるににおはしけるににおわしけるに、、、白川白川しらかわににに殿殿どのといふといふという所所ところををを人人ひとののの造造つくりてりてりて、、、御覽御覽ごらんぜよなどぜよなどぜよなど申申もうしければしければしければ、、、わたりてわたりてわたりて見見みられけるにられけるにられけるに、、、いとをかしくいとをかしくいとおかしく見見みえければえければえければ、、、かきつけさせかきつけさせかきつけさせ給給たまひけるとなむひけるとなむいけるとなむ。。。
- 57川川がわせきせきせき入入いれぬれぬれぬ宿宿やどののの池水池水いけみずももも人人ひとののの心心こころははは見見みえけるものえけるものえけるものををを
- 58とぞきゝとぞきゝとぞきき侍侍はべりしりしりし。。。又又また讃岐讃岐さぬきノノノ院院いんののの皇子皇子みこははは、、、それもそれもそれも仁和寺仁和寺にんなじののの宮宮みやにおはしますなるにおはしますなるにおわしますなる、、、法印法印ほういんにならせにならせにならせ給給たまへるとぞへるとぞえるとぞ、、、聞聞きこえさせたまふこえさせたまふこえさせたまう。。。それもそれもそれも眞言眞言しんごんよくよくよく習習ならはせはせわせ給給たまひてひていて、、、勤勤つとめめめ行行おこなはせはせわせ給給たまへりとぞへりとぞえりとぞ。。。
- 59上西門院上西門院じょうさいもんいん御子御子みこにしにしにし申申もうさせさせさせ給給たまへるとぞへるとぞえるとぞ。。。其其そののの御母御母おおんははははは師隆師隆もろたかののの大藏卿大藏卿おおくらきょうののの子子こににに、、、參河參河みかわノノノ權權けん守守かみととと申申もうすすす人人ひとおはしけるむすめのおはしけるむすめのおわしけるむすめの、、、讚岐讚岐さぬきのみかどののみかどののみかどの御時御時おおんとき、、、內侍內侍ないしのすけにてのすけにてのすけにて、、、候候そうらはれしがはれしがわれしが、、、生生うみたてまつりみたてまつりみたてまつり給給たまへるとぞへるとぞえるとぞ、、、聞聞きこえさせこえさせこえさせ給給たまふふう。。。
- 60讚岐讚岐さぬきののの法皇法皇ほうおう、、、かくれさせかくれさせかくれさせ給給たまへりけるへりけるえりける頃頃ころ、、、御服御服おおんぶくははは、、、いつかいつかいつか奉奉たてまつるとるとると、、、御室御室おむろよりよりより尋尋たずねねね申申もうさせさせさせ給給たまへりければへりければえりければ、、、
- 61うきながらそのうきながらそのうきながらその松山松山まつやまのかたみにのかたみにのかたみにはははこよひぞこよひぞこよいぞののの衣衣きぬをばをばをばきるきるきる
- 62とよませとよませとよませ給給たまへりけるへりけるえりける。。。いとあはれにいとあはれにいとあわれに悲悲かなしくしくしく。。。又又また御御おん行行おこなひひいはははてゝてゝてて、、、やすませやすませやすませ給給たまひけるにひけるにいけるに、、、嵐嵐あらしはははげしくげしくげしく、、、瀧瀧たきののの音音おとむせびあひてむせびあひてむせびあいて、、、いといといと心心こころぼそくぼそくぼそく聞聞きこえけるにこえけるにこえけるに、、、
- 63夜夜よもすがらもすがらもすがら枕枕まくらにおつるにおつるにおつる音音ねきけばきけばきけば心心こころをををあらふあらふあらう谷川谷川たにがわののの水水みず
- 64とよませたまへりけるとぞとよませたまへりけるとぞとよませたまえりけるとぞ聞聞きこえこえこえ侍侍はべりしりしりし。。。昔昔むかしののの風風かぜふきふきふき傳傳つたへさせへさせえさせ給給たまふふう。。。いとやさしくいとやさしくいとやさしく。。。女宮女宮おんなみやははは聞聞きこえさせこえさせこえさせ給給たまはずはずわず。。。
- 65今今いまののの一院一院いちいんののの宮宮みやたちたちたちははは、、、あまたおはしますとぞあまたおはしますとぞあまたおわしますとぞ。。。きさきばらのきさきばらのきさきばらの外外ほかにににははは、、、高倉高倉たかくらののの三位三位さんみととと申申もうすなるすなるすなる御御おんはははらにらにらに、、、仁和寺仁和寺にんなじののの宮宮みやののの御室御室おむろ傳傳つたへておはしますへておはしますえておわします也也なり。。。
- 66まだまだまだ若若わかくおはしますにくおはしますにくおわしますに、、、御御おん行行おこなひのひのいの方方かたももも、、、梵字梵字ぼんじなどもなどもなども、、、よくかゝせよくかゝせよくかかせ給給たまふとふとうと聞聞きこえさせこえさせこえさせ給給たまふふう。。。つぎにつぎにつぎに御元服御元服ごげんぷくせさせせさせせさせ給給たまへるへるえる、、、おはしますなるもおはしますなるもおわしますなるも、、、御御おんふみにもたづさはらせふみにもたづさはらせふみにもたずさわらせ給給たまひひい、、、御手御手おおんてなどなどなど、、、かゝせたまふとかゝせたまふとかかせたまうと聞聞きこえさせこえさせこえさせ給給たまふふう。。。
- 67そのそのその宮宮みやももも、、、宮宮みやたちたちたち設設もうけさせけさせけさせ給給たまへるとぞへるとぞえるとぞ。。。同同おなじじじ三位三位さんみののの御御おんはははらにらにらに、、、女宮女宮おんなみやもあまたおはしますなるべしもあまたおはしますなるべしもあまたおわしますなるべし。。。伊勢伊勢いせのいつきにてのいつきにてのいつきにて、、、あねおとうとおはしますとあねおとうとおはしますとあねおとうとおわしますと、、、聞聞きこえさせたまひしこえさせたまひしこえさせたまいし、、、おとうとのおとうとのおとうとの宮宮みやははは、、、六條六條ろくじょうノノノ院院いんののの宣旨宣旨せんじ、、、養養やしなひひい奉奉たてまつりてりてりて、、、かのかのかの院院いんつたへておはしますとぞつたへておはしますとぞつたえておわしますとぞ聞聞きこえさせこえさせこえさせ給給たまふふう。。。
- 68又又また賀茂賀茂かものいつきにもおはするなるべしのいつきにもおはするなるべしのいつきにもおわするなるべし。。。又女又女またおんな房房ぼうのさぶらひのさぶらひのさぶらい給給たまふなるふなるうなる、、、御御おんおぼえのおぼえのおぼえの、、、なにがしのぬしとかなにがしのぬしとかなにがしのぬしとか聞聞きこえしこえしこえし、、、妹妹いもうとのののはらにもはらにもはらにも、、、宮宮みやたちあまたおはしますなるべしたちあまたおはしますなるべしたちあまたおわしますなるべし。。。
- 69三井寺三井寺みいでらににに法印法印ほういん僧都僧都そうずなどなどなど聞聞きこえさせこえさせこえさせ給給たまふふう。。。またまたまた女宮女宮おんなみやもおはしますとぞもおはしますとぞもおわしますとぞ。。。大炊大炊おおいノノノ御門御門みかどののの右右みぎのおとゞののおとゞののおとどの御御おんむすめもむすめもむすめも、、、姬姬ひめ宮生宮生みやうみたてまつりみたてまつりみたてまつり給給たまへるへるえる、、、おはしますとおはしますとおわしますと聞聞きこえこえこえ給給たまふふう。。。又又またことはらことはらことはらののの宮々宮々みやみやもあまたおはしますなるべしもあまたおはしますなるべしもあまたおわしますなるべし。。。
- 70二條二條にじょうのみかどののみかどののみかどの宮宮みやたちもたちもたちも、、、をとこをとこおとこ宮女宮女みやおみな宮宮みやきこえさせきこえさせきこえさせ給給たまふふう。。。そのそのその女宮女宮おんなみやははは、、、內內うちののの女房女房にょうぼううみたてまつりたまへるとぞうみたてまつりたまへるとぞうみたてまつりたまえるとぞ。。。中中なか原原はらののの氏氏うじののの博士博士はかせのむすめにぞおはすなるのむすめにぞおはすなるのむすめにぞおわすなる。。。
- 71男男おとこ宮宮みやははは源氏源氏げんじのののうまのすけとかいふうまのすけとかいふうまのすけとかいう、、、むすめのむすめのむすめの腹腹はらにおはしますとかにおはしますとかにおわしますとか聞聞きこえこえこえ給給たまふふう。。。又又また德大寺德大寺とくだいじのおとゞののおとゞののおとどの御女御女おおんむすめのののはらとかはらとかはらとか聞聞きこえこえこえ給給たまふふうははは、、、位位くらいにつかせたまへりしにつかせたまへりしにつかせたまえりし、、、さきにさきにさきに申申もうししし侍侍はべりぬりぬりぬ。。。
- 72又又またかんのきみのかんのきみのかんのきみの御御おんおとうとにおはしけるがおとうとにおはしけるがおとうとにおわしけるが、、、生生うみたてまつりみたてまつりみたてまつり給給たまへるへるえる、、、おはしますとおはしますとおわしますと聞聞きこえさせたまふこえさせたまふこえさせたまう。。。かくかくかく今今いまののの世世よののの事事ことををを申申もうしつゞけしつゞけしつづけ侍侍はべるるる。。。いとかしこくいとかしこくいとかしこく、、、かたはらいたくもかたはらいたくもかたわらいたくも侍侍はべるべきかなるべきかなるべきかな。。。
現代語訳
后の宮や女御・更衣ではいらっしゃらないけれど、御子をお産み申し上げた方々は、近い御代に大勢聞こえました。后腹の宮たちは皆申し上げました。(ほかの方々も)散り散りに引き続いて多くいらっしゃると聞こえます。白河院の后腹の女宮お三方のほかに、承香殿の女御がお産み申し上げた方は、伊勢の斎宮でいらっしゃいました。それは女四宮でしょう。女五宮も、天仁元年(1108)十一月ごろに御占いに当たられて、斎宮と申し上げました。御母はどなたでいらしたでしょうか。間違いでしょうか、季実とか申した人の娘でいらしたでしょうか。勢賀院の斎宮と申した方も同じころにお立ちになったと聞こえました。それは頼綱と申した源氏の三河守であった人の娘の腹でいらっしゃると聞こえました。七十を過ぎられて、まだご存命と聞こえました。唐崎の禊を上西門院がなさったころ、その続きに院のお計らいで殿上人などを(供に)差し上げなさいました。主殿頭何大夫とか名のある人が御後見として御車の後ろに乗り、綾の指貫で、院のお下がりを着て通ったなどと聞こえました。
男宮は今の世では多く仏道に入られて、御元服も難しくて、袍の色なども尋ねてもわからない折々もあるとか。位がおありにならない間は「浅黄」と日記にあるのを、青い色か黄色か、やはりはっきりせず、花園の大臣(有仁)にお尋ね申されたのも、幼くて覚えていらっしゃらない旨を申されたなどと聞こえました。一宮(崇徳院の重仁親王)の御元服の時は黄色をお召しになったのでしょう。位をまだ得られないので、黄色の衣が本当でもいらっしゃるでしょう。無位の人は黄袍であるはずなので、小野篁が隠岐から帰って作った詩にも、「請う、君が菊を愛するなら、私を見よ。白いのは頭にあり、黄色いのは衣にある」などと聞こえました。神社の黄狩衣なども、位のない袍の意味なのでしょう。このようなついでに、ある人が申されたのは、「橡(黒)の衣は王の四位の色で、臣下の四位と王の五位とは黒緋を着て、臣下の五位は緋の衣を着るのが正しいはずなのに、今の人は心がませて、四位は王の衣になり、五位は四位の衣を着るのだろう。検非違使や上官などは、きちんとしていて、やはり緋を改めないのだろう」ということでございました。
仏道に入られた皇子は、このごろ引き続いていらっしゃいます。仁和寺に覚行法親王と申し上げた方は、白河院の皇子でいらっしゃいます。御髪をおろされて、だんだん大人になられるにつれて、たいそうしっかりしていらしたので、改めて親王の宣旨をこうむられたと聞こえました。大御室としていらっしゃった方は、三条院の御子で師明親王と申し上げた方で、まだ幼児でいらした時に親王の御名を得られたので、法師になった後は親王の宣旨をこうむられませんでした。その宮に(覚行を)お付けになった時、御弟子の宮は童で親王の御名を得ていらっしゃらなかったので、親王の宣旨をこうむられたのです。後二条の大臣(師通)は「出家の後は例がない」と申したけれども、白河院が「内親王ということもあるのだから、法親王もどうしてないことがあろう」といって、初めて法師になった後に親王と申し上げたのです。こうして後、引き続いてどこでも出家の後の親王と申し上げるようです。その弟で覚法法親王と申し上げた方は、六条の右大臣(顕房)の御娘がお産み申し上げた方で、法性寺の大臣(忠通)と同じ御腹のご兄弟でいらっしゃいます。先に申しました。帝の御子と関白などが同じ腹でいらっしゃるのは、たいそうめったにないことでしょう。この御室は大柄で、声の清らかな方でいらっしゃいました。真言の道をよく習われ、また能書でもいらっしゃいました。御堂の色紙形などをお書きになると聞こえました。高野の大師(空海)が能書でいらしたからでしょうか、御室たちも引き続いて能書でいらっしゃるそうです。高野山へ詣でられた道で、
定めない憂き世の中と知ったので、どこにいても旅の心地がすることだ。
とお詠みになったとか。横川の覚超僧都の「よろづの事を夢とみるかな」という歌が思い出されて、しみじみと聞こえる御歌です。また仁和寺に花蔵院の宮という方もいらっしゃいました。その方は別の御腹でしょう。御母は大宮の右大臣(俊家)の御子で撫子の宰相とか申し上げた方の娘とか。六条殿とか申し上げて、後には九条の民部卿(宗通)の妻でいらしたとか。この宮はたいそう尊い方と聞こえました。長尾の宮とも申しました。また三井寺の大僧正行慶と申し上げた方もいらっしゃいました。備中守政長と申した人の娘の腹でいらっしゃいます。この方も真言をよく習われたのでしょう。この院(後白河院)も、この僧正に修行のことを授けられたと聞こえました。法性寺の大臣が御髪をおろされた時、戒の師になさったとも聞こえました。狛の僧正とも申すのでしょう。天王寺へ詣でられた時、難波を過ぎられるといって、
夕暮れに難波のあたりを見渡すと、ただ薄墨で書いた葦手(の文字)のようだ。
と聞こえました。ほかの所の夕べの眺めよりも、難波の葦手と見えるだろう。なるほどと聞こえます。帰る雁の薄墨(の歌)、夕暮れの葦手になっているのも、優雅に聞こえます。また若御前法眼と申し上げた方も、白河院の御子でいらしたでしょうか。陸奥守有宗といった者の娘の腹でいらっしゃるとか。
堀河の帝の宮たちは、比叡山に法印などと申し上げた方が、後には座主になって親王の宣旨をこうむられて、座主の宮と申し上げました。伊勢守時経といって、傅の大納言(道綱)の子孫と申した人の娘がお産み申し上げたとか。また仁和寺の花蔵院の大僧正と申した方は、近江守隆宗と申した人の娘の腹と聞こえました。僧正がわが身の不遇をお思いになった時に詠まれた歌、
五月雨の絶え間ないころの雫に、宿も主人も朽ちてしまったことだ。
と聞こえました。身を知る雨、時ならぬ時雨などが、御袖に降り添ったのだろうかと、たいそうしみじみと聞こえます。女宮は大宮の斎院と申し上げる方がいらっしゃいました。その大宮(令子内親王)の女房がお産み申し上げたのだそうです。また前の斎院も、堀河院の御娘と申し上げます。まだこのころもいらっしゃるのでしょう。
鳥羽院の宮は、女院お二方の御腹のほかに、三井寺の六宮、比叡山の七宮といらっしゃいます。御母は石清水の流れ(社家の出)と承りました。俊頼の撰集に鹿の歌などが入っております。光清法印とかいった別当の娘とか。小侍従などと申すのは小大進の腹で、この方は先の(六宮らの母の)姉妹なのでしょう。白河院の御代からお側近くお仕えして、鳥羽院との間に御子が大勢いらっしゃるのでしょう。またその同じ腹に、あや御前と申し上げる方は、御髪をおろして双林寺という所にいらっしゃるそうです。寺の宮(六宮)は、ある年亡くなられました。山の宮(七宮)は法印などと申した方で、親王になられるとか。また宰相中将家政と申した人の御娘で待賢門院にお仕えしていた方も、鳥羽院の御子をお産み申し上げた、吉田の斎宮と申し上げました。その方も亡くなられて八、九年にもなったでしょうか。尼になられて、知恵深く尊いと聞こえました。その御母こそ、あきれたことに亡くなられたのでした。河内守誰それとかいった者の子である男が、どんなことがあったのでしょうか、殺し申し上げたといって、親も罪をこうむって、都にも住めなくなりました。また徳大寺の左大臣(実能)の御娘として、鳥羽の女院にお仕えしていた方も女三の宮をお産みになって、春日の姫宮と申し上げます。冷泉の姫宮と申し上げるのでしょうか、その母を春日殿と申すのでしょう。また勢賀院の姫宮、斎院の姫宮、高松の宮などと申し上げる方々もいらっしゃるのでしょう。鳥羽院の宮たちは、男女、后腹・普通の腹などを合わせ申し上げて、男宮八人、女宮八、九人ほどいらっしゃるのでしょう。
讃岐院(崇徳)の一の御子と申し上げた方は、重仁親王と申し上げたのでしょう。その御母は院にお供して遠く(讃岐に)いらしたが、帰り上られたと聞こえます。帝が在位でいらっしゃった時、后の宮(聖子)は一の人(忠通)の御娘でいらっしゃったのに、内裏の女房で、その御母が宮仕え人としてお仕えしていらしたのが、ことのほか寵愛されたので、后の御方の人々は目障りに思い合って、人の心ばかりを動かし、世の人もあまりにまばゆいほどだと思ったのでしょう。かといって御後見の強い方もいらっしゃいません。ただ大蔵卿行宗といって年七十ほどの者が、歌詠みによって親しくお仕え慣れていたのを親などと言って、兵衛佐などと(女房名を)お付け申したばかりなので、しかるべき味方もいません。本当の親は男(俗人)ではなくて、紫の袈裟などを賜って白川の御寺の別当であった者でした。その者も亡くなって年を経ていました。しかるべき人の子ではあったけれど、男(俗人)でないので甲斐がないでしょう。いつもお仕えしていた何の中将などという人で、片思いをしている者なども、目をそばめるような様子で、居心地の悪いことでした。けれども類のないご寵愛を避けがたいこととして過ごしていらしたうちに、男君をお産みになったので、中宮にはまだこのようなこともないのに、たいそう珍しく、いっそう心穏やかでない種となったのでしょう。御祖父の一院(鳥羽院)もお聞きになって、迎え取られて、女院(美福門院)の御方で養い申させなさいました。だんだんと帝の御乳母子の播磨守・伯耆守などという人々が、その里や局などの女房など、上下のことを取り計らうべき旨を承ってお仕えし、若宮の御乳母は刑部卿などといって、大弐の御乳母の夫と聞こえます。御子も親王の宣旨などをこうむられて、御元服などをなさいました。こうして年月を過ごされるうちに、(崇徳天皇は)譲位されて新院としていらっしゃっても、世に類なく(寵愛して)過ごされたので、后の宮や殿(忠通)のあたりでは不快に思って、疎遠になるばかりでいらっしゃいました。本院(鳥羽院)の思うままなので、世を心のままにはおできにならず、帝(近衛)・中宮・殿などが一つになって、世の中は興ざめなことが多くていらっしゃったのでしょう。このようであるにつけても、(重仁親王を)私的な宝のようにお思いになって過ごされていたが、法皇(鳥羽院)がお亡くなりになった後、世の中に事件が起こって(保元の乱)、讃岐へ遠くいらっしゃったので、(母は)そのまま御船にお供して、その国で年を過ごされました。一の御子(重仁)も御髪をおろされて、仁和寺の大僧正寛暁と申した方について、真言などを習われたが、聡くすばらしくいらっしゃったので、昔の真如親王もこのようだったかとお見えになったのに、御足の病が重くなられて、ある年亡くなられました。御年二十二、三ほどでいらしたでしょうか。讃岐(の院)も、御嘆きのあまりでしょうか、ご病気が重なって、かの地で亡くなられたので、宮の御母も上られて髪をおろして、醍醐の帝の御母方の御寺(勧修寺)のあたりにお住みになっているそうです。あの院の御感化なので道理とは申しながら、歌などはたいそう洗練されてお詠みになるそうです。上られた時に、ある人がお見舞い申し上げたところ、
君(院)を失って帰る波路で、しおれて濡れてきた私の袂を、どうか人は思いやってほしい。
とありましたのは、さぞかしと、たいそう悲しく推し量られました。院の御弟の仁和寺の宮(覚性法親王)がいらっしゃった間はお見舞いなさると聞こえましたが、宮も亡くなられて、気の毒に思いやり申し上げるあたりでしょう。その遠く(讃岐に)いらしたお方(崇徳院)がまだ京にいらっしゃった時、白川に池殿という所を人が造って、ご覧くださいなどと申したので、お出かけになってご覧になったところ、たいそう趣深く見えたので、書きつけられたということです。
音羽川の水を堰き入れていない宿の池水にも、(それを造った)人の心は見えるものだなあ。
と聞きました。また讃岐院の皇子で、その方も仁和寺の宮でいらっしゃるのが、法印になられたと聞こえます。その方も真言をよく習われて、修行を勤めていらっしゃるとか。上西門院が養子になさったとか。その御母は師隆の大蔵卿の子で三河権守と申す人の娘で、讃岐の帝の御代に典侍としてお仕えしていたのが、お産み申し上げたと聞こえます。讃岐の法皇がお亡くなりになったころ、「御服喪はいつなさるのか」と御室(覚性)からお尋ねになったところ、
つらいことだが、あの(讃岐の)松山の(院の)形見として、今宵こそ藤衣(喪服)を着ることです。
とお詠みになりました。たいそうしみじみと悲しく。また御修行が終わってお休みになっていた時、嵐が激しく、滝の音がむせび合って、たいそう心細く聞こえたので、
一晩中、枕に落ちてくる音を聞いていると、心を洗う谷川の水であることよ。
とお詠みになったと聞こえました。昔の(院の)風を吹き伝えていらっしゃいます。たいそう優雅に。女宮は聞こえません。
今の一院(後白河院)の宮たちは、大勢いらっしゃるとか。后腹のほかには、高倉の三位と申す方の御腹に、仁和寺の宮が御室を伝えていらっしゃいます。まだお若くていらっしゃるのに、御修行の方も、梵字などもよくお書きになると聞こえます。次に御元服なさった方(以仁王)もいらっしゃるようですが、学問にも携わられ、字などもお書きになると聞こえます。その宮も宮たちをもうけていらっしゃるとか。同じ三位の御腹に女宮も大勢いらっしゃるのでしょう。伊勢の斎宮として姉妹がいらっしゃると聞こえましたが、妹の宮は六条院の宣旨が養い申し上げて、その院を伝えていらっしゃると聞こえます。また賀茂の斎院にもいらっしゃるのでしょう。また女房でお仕えしている、ご寵愛の誰それの主とか申した人の妹の腹にも、宮たちが大勢いらっしゃるのでしょう。三井寺に法印・僧都などと申し上げます。また女宮もいらっしゃるとか。大炊御門の右大臣(公能)の御娘も、姫宮をお産み申し上げた方がいらっしゃると聞こえます。また別腹の宮々も大勢いらっしゃるのでしょう。
二条の帝の宮たちも、男宮・女宮が聞こえます。その女宮は内裏の女房がお産み申し上げたとか。中原氏の博士の娘でいらっしゃるそうです。男宮は源氏の馬助とかいう者の娘の腹でいらっしゃるとか聞こえます。また徳大寺の大臣(実能)の御娘の腹とか聞こえる方は、位におつきになったと(六条天皇のことは)先に申しました。また尚侍の君の御妹でいらした方がお産み申し上げた方もいらっしゃると聞こえます。このように今の世のことを申し続けました。たいそう畏れ多く、気恥ずかしくもあることですね。
意訳
巻八の最終章は「はらはらの御子」、すなわち后以外のさまざまな母から生まれた皇子・皇女を語る。院政期には多くの皇子が出家して法親王となり、仁和寺などの門跡を継いだ。白河院が「内親王があるなら法親王もあってよい」として覚行を親王としたのが、法親王の始まりとされる。
無位の皇子の袍の色をめぐる考証では、小野篁の詩を引いて黄色が無位の色であることを説く。語り手の有職故実への関心がうかがえる。
崇徳院の寵愛を受けた兵衛佐は、後見もない身で重仁親王を産んだため、中宮聖子や忠通の不興を買った。保元の乱で崇徳院が讃岐に流されると、兵衛佐も同行し、院の死後に都へ戻って出家した。重仁親王も若くして亡くなった。「君なくて歸る波路に」の歌は、その悲運を哀切に伝える。
語釈・文法注
- 女四ノ宮
- 善子内親王(1077〜1132)。白河天皇の皇女。伊勢斎宮。
- 黃袍
- 黄色の袍。無位の者の服色。
- 小野ノ篁
- 小野篁(802〜853)。隠岐に流された後、許されて帰京した。
- つるばみのころも
- 橡(どんぐり)で染めた黒色の衣。四位以上の服色。
- 覺行法親王
- 覚行法親王(1075〜1105)。白河天皇の皇子。仁和寺。最初の法親王。
- おほ御室
- 性信入道親王(師明親王、1005〜1085)。三条天皇の皇子。仁和寺。
- 覺法々親王
- 覚法法親王(1091〜1153)。白河天皇の皇子。母は源師子。仁和寺。
- 高野の大師
- 空海(774〜835)。真言宗の開祖。能書家。
- 橫川の覺超僧都
- 覚超(960〜1034)。比叡山の学僧。
- 花藏院の宮
- 聖恵法親王(1094〜1137)。白河天皇の皇子。仁和寺。
- 三井寺ノ大僧正行慶
- 行慶(1101〜1165)。白河天皇の皇子。三井寺。
- あしで
- 葦手。葦の茂る水辺の景に文字を絵のように散らし書く書法。
- 座主の宮
- 最雲法親王(1104〜1162)。堀河天皇の皇子。天台座主。
- 花藏院の大僧正
- 寛暁(1103〜1159)。堀河天皇の皇子。仁和寺。
- 小侍從
- 女流歌人。石清水別当光清の娘。「待宵の小侍従」として知られる。
- 重仁親王
- 重仁親王(1140〜1162)。崇徳天皇の皇子。
- 兵衞ノ佐
- 崇徳天皇の寵愛を受けた女房。重仁親王の母。源行宗の養女。
- 眞如親王
- 高岳親王。平城天皇の皇子。出家して唐・天竺を目指した。
- 音羽川
- 京都東山の川。
- 藤の衣
- 喪服。
- 池殿
- 平頼盛の邸か。白河にあった。
- 御元服せさせ給へる
- 以仁王(1151〜1180)。後白河天皇の皇子。
文法
- 法親王もなどかなからん
- どうして法親王がないことがあろうか、いやあってよい。反語。
- いとかしこく、かたはらいたくも侍るべきかな
- 今の世のことを語るのは、たいそう畏れ多く気恥ずかしいことだ、という語り手の言葉。
和歌
定めなきうき世の中としりぬればいづくも旅の心ちこそすれ
- 詠者
- 覚法法親王
- 状況
- 高野山へ詣でる道で詠んだ歌。
修辞
- 趣向
- この世そのものが仮の宿であると知れば、どこにいても旅の心地がする、と無常観を詠む。
夕暮に浪花わたりを見渡せばたゞうす墨のあしでなりけり
- 詠者
- 行慶
- 状況
- 天王寺へ詣でる途中、難波を過ぎる時に詠んだ歌。
修辞
- 見立て
- 夕暮れの難波の葦の景色を、薄墨で書いた葦手に見立てる。
- 掛詞
- 「あし」に難波の「葦」と葦手をかける。
さみだれのひまなき比の雫には宿もあるじも朽ちにけるかな
- 詠者
- 寛暁
- 状況
- わが身の不遇を思った時に詠んだ歌。
修辞
- 比喩
- 五月雨に朽ちる宿に、不遇に沈む身を重ねる。
君なくて歸る波路にしほれこし袂を人の思ひやらなむ
- 詠者
- 兵衛佐
- 状況
- 崇徳院の死後、讃岐から都へ帰った時、見舞った人への返歌。
修辞
- 掛詞
- 「しほれ」に潮に濡れることと涙に濡れることをかける。
音羽川せき入れぬ宿の池水も人の心は見えけるものを
- 詠者
- 崇徳院
- 状況
- 白川の池殿を見に行った時に書きつけた歌。
修辞
- 本歌
- 『伊勢物語』の「音羽川せき入れて落とす滝つ瀬に人の心の見えもするかな」をふまえる。
うきながらその松山のかたみにはこよひぞ藤の衣をばきる
- 詠者
- 崇徳院の皇子(元性)
- 状況
- 崇徳院の死を聞いて、服喪について尋ねられた時の歌。
修辞
- 掛詞
- 「松山」に崇徳院の崩じた讃岐の松山と「待つ」を響かせる。
夜もすがら枕におつる音きけば心をあらふ谷川の水
- 詠者
- 崇徳院の皇子(元性)
- 状況
- 修行を終えて休んだ夜、嵐と滝の音を聞いて詠んだ歌。
解説
巻八の最後で語り手は「今の世のことを申し続けて畏れ多い」と述べ、話題を昔語りへと転じる。今鏡の歴史叙述はここで終わり、巻九・巻十は昔の逸話や和歌・物語論となる。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、352〜367頁(コマ191–198)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日