今鏡 第八「みこたち」 第69章
花のあるじ
輔仁親王の子、花園左大臣源有仁。光源氏もかくやと思われる美貌と才芸の人で、白河院の養子として元服し、源姓を賜って一挙に三位中将となり、翌年には大納言・右大将に昇った。白河花見御幸の序、琵琶・笙・書、白河院の死を悼む涙、衣紋の道を極めたこと、邸に集う人々の連歌が語られる。
- 1三三さんノノノ宮宮みやののの御子御子みこははは、、、中宮中宮ちゅうぐうノノノ大夫大夫だいぶ忠忠ただののの大納言大納言だいなごんののの御女御女おおんむすめのののはらにはらにはらに、、、ののの左左ひだりのおとゞとておはせしこそのおとゞとておはせしこそのおとどとておわせしこそ、、、光光ひかるるる源氏源氏げんじなどもなどもなども、、、かゝるかゝるかかる人人ひとをををこそこそこそ申申もうさまほしくおぼえさまほしくおぼえさまほしくおぼえ給給たまへしかへしかえしか。。。
- 2まだまだまだ幼幼おさなくおはせしくおはせしくおわせし程程ほどははは、、、若宮若宮わかみやととと申申もうしゝにしゝにししに、、、御能御能おおんのうももも御御おんみめもみめもみめも、、、然然しかるべきるべきるべき事事ことととと見見みえてえてえて、、、人人ひとにもすぐれにもすぐれにもすぐれ給給たまひてひていて、、、常常つねにににひきものひきものひきもの、、、ふきふきふき物物ものなどせさせなどせさせなどせさせ給給たまひひい、、、又又また詩詩しつくりつくりつくり、、、歌歌うたなどよませなどよませなどよませ給給たまひけるにひけるにいけるに、、、庭庭にわののの櫻櫻さくら盛盛さかりなりけるりなりけるりなりける頃頃ころ、、、濃濃こききき紫紫むらさきののの御御おん指貫指貫さしぬきににに、、、直衣直衣のうし姿姿すがたいとをかしげにていとをかしげにていとおかしげにて、、、われもよませわれもよませわれもよませ給給たまひひい、、、人人ひとにもよませさせにもよませさせにもよませさせ給給たまふとてふとてうとて、、、
- 3をしとをしとをしと思思おもふふう花花はなのあるじのあるじのあるじをををおきながらおきながらおきながら我我わがものがものがもの顏顏がおにちらすにちらすにちらす風風かぜかなかなかな
- 4とよみとよみとよみ給給たまひたりければひたりければいたりければ、、、父父ちちののの宮宮みや見見みたまひてたまひてたまいて、、、「「「まろまろまろををを措措おきながらきながらきながら、、、花花はなのあるじとのあるじとのあるじとははは、、、わかわかわか宮宮みやはははよみよみよみ給給たまふかなふかなうかな」」」。。。ととと愛愛はししし申申もうししし給給たまひけるとぞひけるとぞいけるとぞ人人ひとののの語語かたりりり侍侍はべりしりしりし。。。
- 5御御おんとしとしとし十三十三じゅうさんになりになりになり給給たまひしひしいし時時とき、、、給給たまひしひしいしははは、、、白河白河しらかわノノノ院院いんののの御子御子みこにしにしにし申申もうさせさせさせ給給たまひてひていて、、、院院いんにてにてにて基隆基隆もとたかののの三位三位さんみののの、、、播磨播磨はりま守守かみなりしなりしなりししたてまつりしたてまつりしたてまつり、、、右右みぎのおとゞとてのおとゞとてのおとどとてのおとゞおはせしのおとゞおはせしのおとどおわせし、、、御御おんかうぶりせさせたてまつりかうぶりせさせたてまつりこうぶりせさせたてまつり給給たまひけりひけりいけり。。。
- 6御御おんみめのみめのみめの淸淸きよらかさらかさらかさ、、、おとなのやうにおとなのやうにおとなのように、、、いつしかおはしていつしかおはしていつしかおわして、、、見見みたてまつるたてまつるたてまつる人人ひとよろこびのよろこびのよろこびの淚淚なみだももも、、、こぼしつべくなむありけるこぼしつべくなむありけるこぼしつべくなむありける。。。元元げん永永えい二年二年にねんにやにやにや侍侍はべりけむりけむりけむ。。。
- 7仲仲なかののの秋秋あきのころのころのころ、、、御御おんとしとしとし十七十七じゅうしちとやとやとや申申もうしけんしけんしけん。。。始始はじめてめてめて源氏源氏げんじののの御御おん姓姓しょうたまはりてたまはりてたまわりて、、、御名御名みなははは有有あり仁仁ひとととと聞聞きこえきこえきこえき。。。やがてそのやがてそのやがてその日日ひ、、、三位三位さんみノノノ中將中將ちゅうじょうになりになりになり給給たまひてひていて、、、そのとしのそのとしのそのとしの十一月十一月じゅういちがつのころのころのころ、、、中納言中納言ちゅうなごんになりになりになり給給たまひてひていて、、、やがてやがてやがて中納言中納言ちゅうなごんノノノ中將中將ちゅうじょうととと聞聞きこえきこえきこえき。。。
- 8昔昔むかしののの帝帝みかどののの御子御子みこ、、、一一いちののの人人ひとののの公達公達きんだちなどおはすれどなどおはすれどなどおわすれど、、、かくかくかく四位四位しい五位五位ごいなどもなどもなども聞聞きこえこえこえ給給たまはははででで、、、はじめてはじめてはじめて三位三位さんみノノノ中將中將ちゅうじょうになりになりになり給給たまふふう。。。年年としのののうちにうちにうちに中納言中納言ちゅうなごんノノノ中將中將ちゅうじょうなどなどなどははは、、、いとありがたくやいとありがたくやいとありがたくや侍侍はべらんらんらん。。。
- 9又又またそのそのその次次つぎののの年年とし、、、保保ほう安安やす元年元年がんねんにやにやにや侍侍はべりけんりけんりけん。。。大納言大納言だいなごんになりになりになり給給たまひてひていて、、、年年としをををならべてならべてならべて右近右近うこんノノノ大將大將だいしょうかけたまひきかけたまひきかけたまいき。。。世世よののの人人ひと、、、宮宮みやノノノ大將大將だいしょうなどなどなど申申もうしてしてして、、、みゆきみゆきみゆき見見みるるる人人ひとははは、、、これこれこれをををなんなんなん見見みものにしあへるものにしあへるものにしあえる事事ことににに侍侍はべりしりしりし。。。
- 10白川白川しらかわののの見見みののの御幸御幸みゆきとてとてとて侍侍はべりしりしりし和歌和歌わかののの序序じょははは、、、このこのこの大將殿大將殿だいしょうどのかきたまへりけるかきたまへりけるかきたまえりけるをばをばをば、、、世世よこぞりてこぞりてこぞりてほめきこえほめきこえほめきこえ侍侍はべりきりきりき。。。
- 11低低ひき枝折枝折しおりリテサヽゲモタレバリテサヽゲモタレバリテサヽゲモタレバ、、、ノノノ色色いろ手手てニミテリニミテリニミテリ。。。落花落花らっかヲフミテヲフミテヲフミテ佇佇たたず立立たスレバスレバスレバ、、、ノノノ氣氣け衣衣ころもニニニ薰薰かおズズズ。。。
- 12などかきなどかきなどかき給給たまへりけるへりけるえりける、、、そのそのその人人ひとのしたまへることとおぼえてのしたまへることとおぼえてのしたまえることとおぼえて、、、なつかしうなつかしうなつかしゅう優優ゆうににに侍侍はべりけるとぞりけるとぞりけるとぞ。。。御歌御歌みゅうたもおぼえもおぼえもおぼえ侍侍はべるるる。。。
- 13かげきよきかげきよきかげきよき花花はなのかゝみとのかゝみとのかかみと見見みゆるかなのどかにすめるゆるかなのどかにすめるゆるかなのどかにすめる白川白川しらかわののの水水みず
- 14とぞきゝとぞきゝとぞきき侍侍はべりしりしりし。。。管絃管絃かんげんはははいづれもしいづれもしいずれもし給給たまひけるにひけるにいけるに、、、御御おん琵琶琵琶びわ笙笙しょうののの笛笛ふえぞぞぞ、、、御遊御遊おおんあそびびにびにびにはははきこえきこえきこえ給給たまひしひしいし。。。すぐれておはしけるなるべしすぐれておはしけるなるべしすぐれておわしけるなるべし。。。御手御手おおんてもよくかきもよくかきもよくかき給給たまひてひていて、、、色紙形色紙形しきしがた、、、てらでらのてらでらのてらでらの額額がくなどかきたまへりきなどかきたまへりきなどかきたまえりき。。。
- 15中納言中納言ちゅうなごんになりになりになり給給たまひしひしいし折折おりにやにやにや。。。三三さんののの御子御子みこかくれかくれかくれ給給たまひしにひしにいしに、、、法皇法皇ほうおうののの御子御子みことてとてとて、、、御服御服おおんぶくなどもしなどもしなどもし給給たまはざりけるとかやはざりけるとかやわざりけるとかや。。。又又また薄薄うすくてやおはしけむくてやおはしけむくてやおわしけむ。。。
- 16院院いんうせさせうせさせうせさせ給給たまひしにぞひしにぞいしにぞ、、、色色いろ濃濃こくくく染染そめめめ給給たまへりけるへりけるえりける。。。まだつかさなどもまだつかさなどもまだつかさなども聞聞きこえこえこえ給給たまはざりしはざりしわざりし程程ほどははは、、、常常つねににに法皇法皇ほうおうののの御車御車みくるまのしりにぞのしりにぞのしりにぞ、、、乘乘のりりり給給たまひてひていて、、、みゆきなどにもおはしけるみゆきなどにもおはしけるみゆきなどにもおわしける。。。
- 17さやうのさやうのさようの御御おんつゞきつゞきつづきをををおぼしおぼしおぼし出出いだしけるにやだしけるにやだしけるにや。。。院院いんののの御忌御忌おおんいみのののほどほどほど參參まいりりり給給たまひてひていて有有ありけるりけるりける時時とき、、、南南みなみおもてのおもてのおもての方方かたににに、、、ひとりおはしてひとりおはしてひとりおわして、、、さめ〴〵とさめ〴〵とさめざめと泣泣なききき給給たまひてひていて、、、御手御手おおんてしてしてして涙涙なみだをををふりすてつゝおはしけるふりすてつゝおはしけるふりすてつつおわしける、、、ものゝものゝもののはざまよりのぞきてはざまよりのぞきてはざまよりのぞきて、、、あはれなりしとあはれなりしとあわれなりしと人人ひとののの語語かたりりり侍侍はべりしりしりし。。。
- 18實能實能さねよしのおとゞのおとゞのおとどははは北北きたののの方方かたのせうとにおはしてのせうとにおはしてのしょうとにおわして、、、朝夕朝夕あさゆうなれあそびきこえなれあそびきこえなれあそびきこえ給給たまひければひければいければ、、、左兵衞左兵衞さひょうえノノノ督督かみなどなどなど申申もうしけるしけるしけるほどにやほどにやほどにや。。。五月五日五月五日さつきいつか大將殿大將殿だいしょうどの、、、
- 19あやめあやめあやめ草草くさねたくもねたくもねたくも君君きみがとはぬかながとはぬかながとわぬかなけふけふきょうははは心心こころにかゝれとにかゝれとにかかれと思思おもふにふにうに
- 20などなどなど心心こころやりたまへるもやりたまへるもやりたまえるも、、、いとなつかしくいとなつかしくいとなつかしく。。。
- 21このこのこの大將殿大將殿だいしょうどのははは、、、殊殊ことののの外外ほかにににをぞをぞをぞ好好このみみみ給給たまひてひていて、、、うへのきぬなどのうへのきぬなどのうえのきぬなどの、、、長長ながさささ短短みじかさなどのさなどのさなどの程程ほどなどなどなど、、、こまかにしたゝめこまかにしたゝめこまかにしたため給給たまひてひていて、、、そのそのその道道みちにすぐれたまへりけるにすぐれたまへりけるにすぐれたまえりける。。。
- 22おおおほかたほかたほかた昔昔むかしははは、、、かやうのかやうのかようの事事こともしらでもしらでもしらで、、、指貫指貫さしぬきももも中中うちふみてふみてふみて、、、烏帽子烏帽子えぼうしももも、、、こはくこはくこわく塗塗ぬりることもなかりけるなるべしることもなかりけるなるべしることもなかりけるなるべし。。。此此こののの頃頃ごろこそこそこそ、、、、、、きらめききらめききらめき烏帽子烏帽子えぼうしなどなどなど、、、をり〳〵かはりてをり〳〵かはりておりおりかわりて侍侍はべるめれるめれるめれ。。。
- 23白河白河しらかわノノノ院院いんははは、、、御御おん裝束裝束しょうぞくまゐるまゐるまいる人人ひとなどなどなど、、、おのづからおのづからおのずから引引ひきつくろひなどしきつくろひなどしきつくろいなどし參參まいらせければらせければらせければ、、、さいなみさいなみさいなみ給給たまひけるときこえひけるときこえいけるときこえ侍侍はべりしりしりし。。。いかにいかにいかに變變かわりたるりたるりたる世世よにかあらむにかあらむにかあらむ。。。
- 24鳥羽鳥羽とばノノノ院院いんこのこのこの花園花園はなぞののおとゞのおとゞのおとど、、、おおおほかたもほかたもほかたも、、、御御おんみめみめみめとり〳〵にとり〳〵にとりとりに、、、姿姿すがたもえもいはずおはしますもえもいはずおはしますもえもいわずおわします上上うえににに、、、こまかにさだせさせてこまかにさだせさせてこまかにさだせさせて、、、世世よのさがになりてのさがになりてのさがになりて、、、あてあてあて腰腰こしあてあてあて烏帽子烏帽子えぼうしとゞめとゞめとどめ、、、かぶりとゞめなどせぬかぶりとゞめなどせぬかぶりとどめなどせぬ人人ひとなしなしなし。。。
- 25又又またせでもせでもせでも叶叶かなふべきふべきうべき樣樣さまもなしもなしもなし。。。かうぶりかうぶりこうぶり烏帽子烏帽子えぼうしのしりのしりのしりははは、、、雲雲くもををを穿穿うがちたればちたればちたれば、、、さらずさらずさらずははは落落おちぬべきなるべしちぬべきなるべしちぬべきなるべし。。。時時ときににに從從したがへばにやへばにやえばにや。。。此此こののの世世よににに見見みるにるにるにははは、、、袖袖そでのかゝりのかゝりのかかり袴袴はかまのきのきのきはははなどなどなど、、、つくろひたてたるつくろひたてたるつくろいたてたるはははつき〳〵しくつき〳〵しくつきつきしく、、、うちとけたるうちとけたるうちとけたるははは、、、かひなくなんかひなくなんかいなくなん見見みゆるゆるゆる。。。
- 26衣紋衣紋えもんののの雜色雜色ぞうしきなどいひてなどいひてなどいいて、、、藏人藏人くろうどになれりしもになれりしもになれりしも、、、このこのこの御家御家おおんいえののの人人ひとなりなりなり。。。
- 27うへのうへのうえの御御おんせうとのせうとのしょうとの君君きみたちたちたち、、、若若わか殿上人殿上人てんじょうびとどもどもども、、、絕絕たえずえずえず參參まいりつゝりつゝりつつ、、、遊遊あそびあはれたるびあはれたるびあわれたるはははさることにてさることにてさることにて、、、大夫大夫だいぶととと世世よにににはははつけてつけてつけて、、、かげぼしなどのかげぼしなどのかげぼしなどの如如ごとくあさくあさくあさ夕夕ゆう馴馴なれれれ仕仕つこうまつるうまつるうまつる、、、吹吹ふきものきものきもの、、、ひきものせぬひきものせぬひきものせぬははは少少すくなくてくてくて、、、外外ほかよりよりより參參まいらねどらねどらねど、、、うちのうちのうちの人人ひとにてにてにて御遊御遊おおんあそびびびび絕絕たゆることなくゆることなくゆることなく、、、伊賀伊賀いがノノノ大夫大夫だいぶ、、、六條六條ろくじょうノノノ大夫大夫だいぶなどいふなどいふなどいう、、、すぐれたるすぐれたるすぐれたる人人ひとどもありどもありどもあり。。。
- 28歌歌うたよみよみよみ、、、詩詩しつくりもつくりもつくりも、、、かやうのかやうのかようの人人ひとどもどもども數數かずしらずしらずしらず。。。のめのとのめのとのめのと、、、大大だい進進じんなどいひてなどいひてなどいいて、、、名高名高なたかききき女女おんな歌歌うたよみよみよみ、、、家家いえののの女房女房にょうぼうにてあるににてあるににてあるに、、、公達公達きんだちまゐりてまゐりてまいりてははは、、、連歌連歌れんがなどいふことなどいふことなどいうこと、、、常常つねにせらるゝににせらるゝににせらるるに、、、三條三條さんじょうののの內內うちのおとゞののおとゞののおとどの、、、まだまだまだ四位四位しいノノノ少將少將しょうしょうなどのなどのなどの程程ほどにやにやにや。。。
- 29ふきぞわづらふふきぞわづらふふきぞわずらう賤賤しずのさゝやのさゝやのささやををを
- 30としとしとし給給たまひたりけるにひたりけるにいたりけるに、、、中務中務なかつかさノノノ少輔少輔しょう重重しげといふものといふものというもの、、、常常つねにかやうのことににかやうのことににかようのことに召召めししし出出いださるゝださるゝださるる者者ものにてにてにて、、、
- 31月月つきはもはもはもれれれ時雨時雨しぐれはははとまれとおもふにとまれとおもふにとまれとおもうにははは
- 32とつけたりければとつけたりければとつけたりければ、、、いとよくつけたりいとよくつけたりいとよくつけたり。。。などなどなど感感かんじあひじあひじあい給給たまひけるひけるいける。。。又又またあるあるある時時とき、、、
- 33奈良奈良ならのみやこのみやこのみやこををを思思おもひこそやれひこそやれいこそやれ
- 34とととはべりけるにはべりけるにはべりけるに大將殿大將殿だいしょうどの、、、
- 35やへざくらやへざくらやえざくら秋秋あきのもみぢやいかならむのもみぢやいかならむのもみじやいかならむ
- 36とつけさせとつけさせとつけさせ給給たまひけるにひけるにいけるに、、、越後越後えちごのめのとのめのとのめのと、、、
- 37しぐるゝたびにしぐるゝたびにしぐるるたびに色色いろやかさなるやかさなるやかさなる
- 38とつけたりけるもとつけたりけるもとつけたりけるも、、、後後のちまでまでまでほめあはれほめあはれほめあわれ侍侍はべりけりりけりりけり。。。かやうなることかやうなることかようなること、、、多多おおくくく侍侍はべりけりりけりりけり。。。そのそのその越後越後えちごははは、、、「「「さこそさこそさこそははは狩狩かりののの人人ひとはははつらけれつらけれつらけれ」」」。。。といふといふという歌歌うたなどこそなどこそなどこそ、、、やさしくよみてやさしくよみてやさしくよみて侍侍はべりけれりけれりけれ。。。かやうなることかやうなることかようなること、、、數數かずしらずこそきこえしらずこそきこえしらずこそきこえ侍侍はべりしかりしかりしか。。。
現代語訳
三宮(輔仁親王)の御子は、中宮大夫師忠の大納言の御娘の腹に、花園の左大臣(有仁)という方がいらっしゃったのこそ、光源氏なども、このような人をこそ申し上げたいと思われるほどでした。まだ幼くていらっしゃった時は若宮と申し上げたが、才能も容貌も、そうあるべきことと見えて人にすぐれていらして、いつも弾き物・吹き物などをなさり、また詩を作り、歌などを詠ませなさった時、庭の桜が盛りだったころ、濃い紫の御指貫に直衣姿がたいそう美しく、自分でもお詠みになり、人にも詠ませなさるといって、
惜しいと思う花の主人(の私)をさしおいて、わがもの顔に花を散らす風であることよ。
とお詠みになったので、父の宮がご覧になって、「私をさしおいて、花の主人とは、若宮はお詠みになるものだな」と、かわいがり申し上げなさったと人が語りました。御年十三になられた時、初冠(元服)をなさったのは、白河院の御子(養子)としていただいて、院で基隆三位が播磨守であった時に初元結を結い申し上げ、右大臣として久我の大臣(雅実)がいらっしゃったが、冠をかぶらせ申し上げなさいました。御容貌の清らかさは大人のように早くも整っていらして、拝見する人は喜びの涙もこぼしそうでした。元永二年(1119)でしたでしょうか、仲秋のころ、御年十七とか申したでしょうか、初めて源氏の姓を賜って、御名は有仁と申し上げました。すぐにその日、三位中将になられて、その年の十一月ごろ中納言になられて、そのまま中納言中将と申し上げました。昔の帝の御子や一の人の公達などがいらっしゃるけれど、このように四位・五位などとも申されないで、初めから三位中将になられ、その年のうちに中納言中将などとは、たいそうめったにないことでございましょう。またその次の年、保安元年(1120)でしたでしょうか、大納言になられて、年を並べて右近大将を兼ねられました。世の人は「宮の大将」などと申して、御幸を見る人はこの方を見ものにしたのでございました。白河の花見の御幸といってございました(時の)和歌の序は、この大将殿がお書きになったのを、世を挙げて褒め申し上げました。
「低い枝を折って捧げ持てば、紅蠟の色が手に満ちる。落花を踏んで佇めば、紫麝の香りが衣に薫る」
などとお書きになったのは、その人がなさったことと思われて、慕わしく優雅でございましたとか。御歌も覚えております。
影の清らかな花の鏡と見えることよ。のどかに澄んでいる白川の水は。
と聞きました。管絃はどれもなさったけれど、御琵琶と笙の笛が御遊びでは評判でした。すぐれていらしたのでしょう。字もお上手で、色紙形やあちこちの寺の額などをお書きになりました。中納言になられた時でしたか、三の御子(父の輔仁親王)が亡くなられたのに、法皇(白河院)の御子として、御服喪などもなさらなかったとか。また薄い色でいらしたのでしょうか。院がお亡くなりになった時には、(喪服を)濃く染めなさいました。まだ官職なども申されなかったころは、いつも法皇の御車の後ろに乗られて、御幸などにもいらっしゃいました。そのような御縁を思い出されたのでしょうか、院の御忌の間に参られた時、南面の方にひとりいらして、さめざめとお泣きになって、御手で涙を振り払っていらしたのを、物の隙間からのぞいて、しみじみとしたと人が語りました。実能の大臣は北の方の兄でいらして、朝夕親しく遊び申し上げていらしたので、左兵衛督などと申したころでしょうか、五月五日に大将殿が、
菖蒲草よ、ねたましくもあなたは訪ねてくれないことだ。今日は(菖蒲の根のように)心に掛けてほしいと思うのに。
などと心を晴らされたのも、たいそう慕わしく。
この大将殿は、ことのほか衣紋(装束の着付け)をお好みになって、袍などの長さ短さの程などを細かく整えられて、その道にすぐれていらっしゃいました。だいたい昔はこのようなことも知らないで、指貫も中を踏み、烏帽子も強く塗ることもなかったのでしょう。このごろこそ、さび烏帽子・きらめき烏帽子など、時々に変わっているようです。白河院は御装束を着せる人などが自然と取り繕ったりし申し上げると、お叱りになったと聞こえました。どれほど変わった世なのでしょう。鳥羽院とこの花園の大臣は、だいたい御容貌もそれぞれに、姿も何とも言えずすばらしくいらっしゃる上に、細かく取り決めさせて、それが世の習いになって、肩当て・腰当て・烏帽子留め・冠留めなどをしない人はいません。またしないで済むはずもありません。冠や烏帽子の後ろは雲を突くほど高いので、そうしなければ落ちてしまうのでしょう。時流に従うからでしょうか。今の世で見ると、袖のかかり具合や袴の際などを取り繕い整えたのはふさわしく、くつろいだのは見栄えがしなく見えます。衣紋の雑色などといって蔵人になった者も、この御家の人です。
奥方の御兄弟の君たちや若い殿上人たちが絶えず参っては遊び合っていたのはもちろんのこと、「百大夫」と世に名づけて、影法師などのように朝夕慣れ親しんでお仕えする者たちは、吹き物・弾き物をしない者は少なくて、外から参らなくても内の人だけで御遊びが絶えることがなく、伊賀大夫・六条大夫などという、すぐれた人々がいました。歌詠み・詩作りもこのような人々が数知れずいました。越後の乳母・小大進などといって名高い女の歌詠みが家の女房としているので、公達が参っては鎖連歌などということをいつもなさったが、三条の内大臣(公教)がまだ四位少将などのころでしょうか、
葺きあぐねている賤しい者の笹の小屋を
となさったので、中務少輔実重という者で、いつもこのようなことに召し出される者が、
月の光は漏れ、時雨は止まれと思うので(葺きあぐねているのだ)
と付けたので、「たいそうよく付けた」などと感じ合われました。またある時、
奈良の都を思いやることだ
とありましたところに、大将殿が、
八重桜や秋の紅葉はどうなっているだろう
とお付けになったところ、越後の乳母が、
時雨が降るたびに、色が重なっているだろうか
と付けたのも、後々まで褒め合っておりました。このようなことが多くございました。その越後は「さこそは狩の人はつらけれ」という歌などこそ、優雅に詠んでおりました。このようなことは数知れず聞こえました。
意訳
源有仁は輔仁親王の子で、白河院の養子として元服し、臣籍に下って源姓を賜った。初任から三位中将、その年のうちに中納言、翌年には大納言・右大将という異例の昇進は、白河院の寵愛によるものだった。章題の「花のあるじ」は、幼い有仁が詠んだ「をしと思ふ花のあるじを」の歌による。
有仁は光源氏にたとえられるほどの美貌と才芸の持ち主で、琵琶・笙・書道にすぐれ、白河花見御幸の和歌序を書いて絶賛された。実父輔仁の死には服喪せず、養父白河院の死には濃い喪服で涙を流したという話は、有仁の立場の複雑さを伝える。
有仁は装束の着付け(衣紋)を極め、鳥羽院とともに強装束の流行を生んだ。有仁の邸には楽人や歌人が集い、越後の乳母らが鎖連歌に興じた。院政期の文化サロンの様子がうかがえる。
語釈・文法注
- 花園の左のおとゞ
- 源有仁(1103〜1147)。輔仁親王の子。左大臣。
- 中宮ノ大夫師忠
- 源師忠。第67章参照。
- うひかうぶり
- 初冠。男子の元服。
- 初元結
- 元服の時に初めて髻を結う紐。また、それを結う役。
- 久我のおとゞ
- 源雅実。第64章参照。
- 白川の花見の御幸
- 保安五年(1124)、白河・鳥羽両院が白河で催した花見の御幸。
- 紅蠟
- 紅色の蠟燭。紅い桜の色をたとえる。
- 紫麝
- 麝香。高貴な香りをたとえる。
- 衣紋
- 装束の着付け。またその作法。
- さびえぼうし
- 錆烏帽子。漆を厚く塗って皺を作った烏帽子。
- 肩あて腰あて
- 強装束で、肩や腰の形を整えるために当てる物。
- 百大夫
- 有仁の邸に出入りした大勢の芸人や楽人をたとえた言葉。百大夫は遊芸の神。
- 越後のめのと
- 有仁家の女房。歌人。
- 小大進
- 女流歌人。有仁家の女房。
- くさり連歌
- 上の句と下の句を交互に鎖のように付けていく連歌。
- 中務ノ少輔實重
- 有仁家に仕えた者。連歌の名手。
文法
- かゝる人をこそ申さまほしくおぼえ給へしか
- このような人をこそ(光源氏と)申し上げたいと思われた。
- 見たてまつる人よろこびの淚も、こぼしつべくなむありける
- 「つべし」は、きっと…しそうだ。
和歌
をしと思ふ花のあるじをおきながら我がもの顏にちらす風かな
- 詠者
- 源有仁
- 状況
- 幼い頃、桜の盛りに詠んだ歌。
修辞
- 擬人法
- 風を、主人を差し置いて我が物顔に振る舞う者とする。
かげきよき花のかゝみと見ゆるかなのどかにすめる白川の水
- 詠者
- 源有仁
- 状況
- 白河花見御幸で詠んだ歌。
修辞
- 見立て
- 花を映す白川の水面を鏡に見立てる。
- 掛詞
- 「すめる」に「澄める」と「住める」を響かせる。
あやめ草ねたくも君がとはぬかなけふは心にかゝれと思ふに
- 詠者
- 源有仁
- 状況
- 五月五日、訪ねてこない義兄実能に贈った歌。
修辞
- 掛詞
- 「ね」に菖蒲の「根」と「ねたく」をかける。
- 縁語
- 「あやめ草」「かゝれ」は端午の節句の菖蒲を軒に掛けることにちなむ。
解説
有仁は院政期の理想的な貴公子として描かれ、今鏡の中でも最も多くの紙幅が費やされた人物の一人である。続く二章も有仁の話が続く。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、338〜344頁(コマ184–187)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
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