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今鏡 第八「みこたち」 第68章

源氏の御息所

巻八「みこたち」の始まり。後三条天皇の女御源基子(源氏の御息所)とその一族。基子の兄弟には歌人の季宗・行宗、名高い験者の行尊僧正がいた。行尊の「もろともにあはれと思へ山桜」の歌、基子の産んだ東宮実仁親王の早世、才学すぐれた輔仁親王(三宮)の歌と、皇位から遠ざけられた境遇が語られる。

  1. 1みかどのみかどのみかどの御おん御おんおんおほぢにおほぢにおおじにはははおはせねどおはせねどおわせねど、、、ややや宮みや宮みやみやたちのたちのたちの、、、御母おほんはは御母おほんははおおんははにおはせしにおはせしにおわせしははは、、、後のち後のちのち二條にでう二條にでうにじょうノノノ院ゐん院ゐんいんののの女御にようご女御にようごにょうごにてにてにて、、、侍從じじゆう侍從じじゆうじじゅうののの宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょう基もと基もともと平たひら平たひらたいらののの御おん御おんおんむすめこそおはせしかむすめこそおはせしかむすめこそおわせしか。。。
  2. 2そのそのその宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうははは、、、一條いちでう一條いちでういちじょうノノノ院ゐん院ゐんいんののの御子みこ御子みこみこにおはしきにおはしきにおわしき。。。そのそのその源氏げんじ源氏げんじげんじののの御息所みやすんどころ御息所みやすんどころみやすんどころ、、、御名みな御名みなみなははは子こ子ここ女御にようご女御にようごにょうごとぞとぞとぞ申まう申まうもうしゝしゝしし。。。そのそのその御おん御おんおんせうとにてせうとにてしょうとにてははは、、、春宮とうぐう春宮とうぐうとうぐうノノノ大夫だいぶ大夫だいぶだいぶ宗むね宗むねむね、、、大藏卿おほくらきやう大藏卿おほくらきやうおおくらきょうなどなどなど申まう申まうもうしておはしきしておはしきしておわしき。。。
  3. 3みなみなみな三位さんみ三位さんみさんみのくらゐにぞおはせしのくらゐにぞおはせしのくらいにぞおわせし。。。大藏卿おほくらきやう大藏卿おほくらきやうおおくらきょうははは八十やそ八十やそやそばかりまでおはせしかばばかりまでおはせしかばばかりまでおわせしかば、、、近ちか近ちかちかくまできこえくまできこえくまできこえ給たま給たまたまひきひきいき。。。歌うた歌うたうたよみにおはしきよみにおはしきよみにおわしき。。。ふたりふたりふたりながらながらながら、、、からのからのからの文ふみ文ふみふみなどもなどもなども作つく作つくつくりりり給たま給たまたまふとぞきゝふとぞきゝうとぞきき侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。
  4. 4良賴よしより良賴よしよりよしよりののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんのむすめののむすめののむすめの腹はら腹はらはらののの公達きんだち公達きんだちきんだちなりなりなり。。。女御にようご女御にようごにょうごもおなじもおなじもおなじ御おん御おんおんはははらからにおはすらからにおはすらからにおわす。。。又また又またまたそのそのその腹はら腹はらはらににに、、、平等院びやうどうゐん平等院びやうどうゐんびょうどういんののの僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょう尊そん尊そんそんとてとてとて、、、三井寺みゐでら三井寺みゐでらみいでらにおはせしこそにおはせしこそにおわせしこそ、、、名高なたか名高なたかなたかききき驗者げんざ驗者げんざげんざにておはせしかにておはせしかにておわせしか。。。
  5. 5少すこ少すこすこ阿闍梨あざり阿闍梨あざりあざりなどなどなど申まう申まうもうしけるしけるしける折をり折をりおりよりよりより、、、葛城かづらき葛城かづらきかずらきはははさることにてさることにてさることにて、、、遠とほ遠とほとおききき國々くにぐに國々くにぐにくにぐに山々やまやま山々やまやまやまやまなどなどなど、、、久ひさ久ひさひさしくしくしく行おこな行おこなおこなひたまひてひたまひていたまいて、、、白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいん鳥羽とば鳥羽とばとばノノノ院ゐん院ゐんいん、、、うちつゞきうちつゞきうちつづき護持僧ごぢそう護持僧ごぢそうごじそうにおはしきにおはしきにおわしき。。。
  6. 6仁和寺にんなじ仁和寺にんなじにんなじののの女院にようゐん女院にようゐんにょういんののの、、、女御にようご女御にようごにょうごまゐりにやまゐりにやまいりにや侍はべ侍はべはべりけんりけんりけん。。。御おん御おんおんものゝけものゝけもののけ、、、其そ其そそののの夜よ夜よよになりてになりてになりて起お起おおこらせこらせこらせ給たま給たまたまひてひていて、、、俄にはか俄にはかにわかににに大事だいじ大事だいじだいじにおはしましけるににおはしましけるににおわしましけるに、、、このこのこの僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょう祈いの祈いのいのりりり申まう申まうもうしたまひければしたまひければしたまいければ、、、程ほど程ほどほどなくおこたらせなくおこたらせなくおこたらせ給たま給たまたまひてひていて、、、御車みくるま御車みくるまみくるまにたてまつりてにたてまつりてにたてまつりて、、、出い出いいでさせでさせでさせ給たま給たまたまひにけるあとにひにけるあとにいにけるあとに、、、、、、ものものものうたせてゐさせうたせてゐさせうたせていさせ給たま給たまたまへりけるこそへりけるこそえりけるこそ、、、いとめでたくいとめでたくいとめでたく侍はべ侍はべはべりけれりけれりけれ。。。
  7. 7ととと傳つた傳つたつたへへえうけうけうけ給たま給たまたまはははりしかりしかりしか。。。僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょう歌うた歌うたうたよみにおはしてよみにおはしてよみにおわして、、、代々よよ代々よよよよののの集しふ集しふしゅうどもにもどもにもどもにも、、、多おほ多おほおおくくく入い入いいりたまへるとこそきゝりたまへるとこそきゝりたまえるとこそきき侍はべ侍はべはべれれれ。。。のいのいのいはやはやはやにてにてにて、、、
  8. 8草くさ草くさくさのいほのいほのいおををを何なに何なになに露つゆ露つゆつゆけしとけしとけしと思おも思おもおもひけんもらぬいひけんもらぬいいけんもらぬいはやはやはやももも袖そで袖そでそではははぬれけりぬれけりぬれけり
  9. 9などよみなどよみなどよみ給たま給たまたまへりへりえり。。。傳つた傳つたつたへきくへきくえきく人ひと人ひとひとののの袖そで袖そでそでさへしぼりつべくなんさへしぼりつべくなんさえしぼりつべくなん聞き聞ききこえこえこえ侍はべ侍はべはべるるる。。。大峯おほみね大峯おほみねおおみねにてにてにて後冷泉ごれいぜい後冷泉ごれいぜいごれいぜいノノノ院ゐん院ゐんいんうせさせうせさせうせさせ給たま給たまたまひてひていて、、、世よ世よよのののうきことなどうきことなどうきことなど思おも思おもおもひひい亂みだ亂みだみだれてれてれて籠こも籠こもこもりゐてりゐてりいて侍はべ侍はべはべりけるにりけるにりけるに、、、後のち後のちのち三條さんでう三條さんでうさんじょうノノノ院ゐん院ゐんいんくらゐにくらゐにくらいに卽つ卽つつかせかせかせ給たま給たまたまひてのちひてのちいてのち、、、七月七日しちぐわつなぬか七月七日しちぐわつなぬかしちがつなのかまゐるべきまゐるべきまいるべき由よし由よしよし、、、仰おほ仰おほおおせられければせられければせられければ、、、よめるよめるよめる、、、
  10. 10もろともにあはれともろともにあはれともろともにあわれと思おも思おもおもへへえ山櫻やまざくら山櫻やまざくらやまざくら花はな花はなはなよりよりよりほかにほかにほかに知し知ししるるる人ひと人ひとひともなしもなしもなし
  11. 11などよみたまへりなどよみたまへりなどよみたまえり。。。歌うた歌うたうたよまざらんよまざらんよまざらんははは、、、ほいなかるべきほいなかるべきほいなかるべき事こと事ことことなるべしなるべしなるべし。。。いとゞいとゞいとど御心みこころ御心みこころみこころもすみまさりもすみまさりもすみまさり給たま給たまたまひけんかしひけんかしいけんかし。。。手て手ててかきにもおはしてかきにもおはしてかきにもおわして、、、かなのかなのかなの手本てほん手本てほんてほんなどなどなど世よ世よよにとゞまりにとゞまりにとどまり侍はべ侍はべはべるなりるなりるなり。。。
  12. 12ことことことはら〳〵にもはら〳〵にもはらはらにも、、、勸けん勸けんけん修しゆ修しゆしゅ寺じ寺じじののの僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょう、、、光ひかり光ひかりひかり明あ明ああ山やま山やまやまののの僧都そうづ僧都そうづそうずなどなどなど申まう申まうもうしておはしきしておはしきしておわしき。。。
  13. 13そのそのその女御にようご女御にようごにょうごののの御おん御おんおんはははらにらにらに、、、御子みこ御子みこみこあまたおはしきあまたおはしきあまたおわしき、、、東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうととと申まう申まうもうしてしてして、、、延の延のの久ひさ久ひさひさ三年さんねん三年さんねんさんねん二月きさらぎ二月きさらぎきさらぎににに生う生ううまれまれまれ給たま給たまたまひてひていて、、、同おな同おなおな四年よねん四年よねんよねん十二月じふにぐわつ十二月じふにぐわつじゅうにがつににに、、、御年おほんとし御年おほんとしおおんとしふたつとふたつとふたつと申まう申まうもうしゝしゝしし、、、東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうにたちにたちにたち給たま給たまたまひきひきいき。。。
  14. 14永えい永えいえい保ほう保ほうほう元年ぐわんねん元年ぐわんねんがんねん八月はちぐわつ八月はちぐわつはちがつににに御元服ごげんぷく御元服ごげんぷくごげんぷくせさせせさせせさせ給たま給たまたまふふう。。。應おう應おうおう德とく德とくとく二年にねん二年にねんにねん十一月じふいちぐわつ十一月じふいちぐわつじゅういちがつ八日やうか八日やうかようか、、、十五じふご十五じふごじゅうごにおはしましゝににおはしましゝににおわしまししに、、、かくれさせかくれさせかくれさせ給たま給たまたまひにきひにきいにき。。。平等院びやうどうゐん平等院びやうどうゐんびょうどういんののの僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょうははは、、、女御にようご女御にようごにょうごののの御おん御おんおんせうとなればせうとなればしょうとなれば、、、東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうののの御忌おほんいみ御忌おほんいみおおんいみにこもりにこもりにこもり給たま給たまたまひてひていて、、、御おん御おんおんはははてすぎててすぎててすぎて、、、人々びと人々びとびとちりけるにちりけるにちりけるに、、、常陸ひたち常陸ひたちひたちのめのとにのめのとにのめのとに、、、おくりおくりおくり給たま給たまたまふときこえふときこえうときこえ侍はべ侍はべはべりしりしりし、、、
  15. 15おもひきやおもひきやおもいきや春はる春はるはるのみやのみやのみや人ひと人ひとひとなのみしてなのみしてなのみして花はな花はなはなよりさきによりさきによりさきに散ち散ちちらむらむらむ物もの物ものものとととははは
  16. 16とよみとよみとよみ給たま給たまたまひたりけるひたりけるいたりける、、、返かへ返かへかえししし御おん御おんおんめのとめのとめのと、、、
  17. 17花はな花はなはなよりもよりもよりもちり〳〵になるちり〳〵になるちりちりになる身み身みみをををしらでしらでしらで千歲ちとせ千歲ちとせちとせののの春はる春はるはるととと賴たの賴たのたのみつるかなみつるかなみつるかな
  18. 18とぞきゝとぞきゝとぞきき侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。これこれこれははは白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいんのののことはらことはらことはらののの御おん御おんおんおとうとおとうとおとうと、、、後のち後のちのち三條さんでう三條さんでうさんじょうノノノ院ゐん院ゐんいんののの第二だいに第二だいにだいにののの御子みこ御子みこみこなりなりなり。。。東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうととと同おな同おなおなじはらにじはらにじわらに、、、第三だいさん第三だいさんだいさんののの御子みこ御子みこみこおはしきおはしきおわしき。。。
  19. 19仁にん仁にんにん親王しんわう親王しんわうしんのうととと申まう申まうもうしきしきしき。。。延の延のの久ひさ久ひさひさ五年ごねん五年ごねんごねん正月しやうぐわつ正月しやうぐわつしょうがつににに生う生ううまれまれまれ給たま給たまたまへりへりえり。。。承うけたまは承うけたまはうけたまわ保ほう保ほうほう二年にねん二年にねんにねん十二月じふにぐわつ十二月じふにぐわつじゅうにがつににに、、、親王しんわう親王しんわうしんのうののの宣旨せんじ宣旨せんじせんじかぶりかぶりかぶり給たま給たまたまふふう。。。このこのこの御子みこ御子みこみこははは、、、ざえおはしてざえおはしてざえおわして詩し詩ししなどつくりなどつくりなどつくり給たま給たまたまふふう事こと事ことこと、、、昔むかし昔むかしむかしののの中務なかつかさ中務なかつかさなかつかさののの宮みや宮みやみやなどのやうにおはしきなどのやうにおはしきなどのようにおわしき。。。
  20. 20歌うた歌うたうたよみよみよみ給たま給たまたまふふう事こと事ことことももも、、、すぐれすぐれすぐれ給たま給たまたまへりきへりきえりき。。。ののの花はな花はなはなををを見み見みみたまひてたまひてたまいて、、、
  21. 21植う植ううゑおきしゑおきしえおきし君きみ君きみきみもなきもなきもなき世よ世よよににに年とし年としとしへたるへたるへたる花はな花はなはなややや我わ我わわががが身み身みみのたぐひなるらむのたぐひなるらむのたぐいなるらむ
  22. 22とよみとよみとよみ給たま給たまたまへるこそへるこそえるこそ、、、いとあはれにきこえいとあはれにきこえいとあわれにきこえ侍はべ侍はべはべりしかりしかりしか。。。かやうのかやうのかようの御歌みうた御歌みうたみゅうたどもどもども、、、もくのかみのもくのかみのもくのかみの撰えら撰えらえらびてたてまつれるびてたてまつれるびてたてまつれる金葉集きんえふしふ金葉集きんえふしふきんようしゅうににに、、、輔ふ輔ふふ仁ひと仁ひとひとのみことかきたりければのみことかきたりければのみことかきたりければ、、、白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいんははは、、、「「「いかにこゝにいかにこゝにいかにここに見み見みみむむむほどほどほど、、、かくかくかくはははかきたるぞかきたるぞかきたるぞ」」」。。。
  23. 23ととと仰おほ仰おほおおせられければせられければせられければ、、、三さん三さんさんノノノ宮みや宮みやみやとぞかきたてまつれるとぞかきたてまつれるとぞかきたてまつれる。。。御中おほんなか御中おほんなかおおんなからひらひらいははは、、、能よ能よよくもおはしまさゞりしかどもくもおはしまさゞりしかどもくもおわしまさざりしかども、、、御おん御おんおんおとうとなればなるべしおとうとなればなるべしおとうとなればなるべし。。。詩し詩ししなどなどなどははは數かず數かずかずしらずめでたくしらずめでたくしらずめでたく侍はべ侍はべはべるなりるなりるなり。。。
  24. 24「「「よろこびもなくよろこびもなくよろこびもなく、、、うれへもなしうれへもなしうれえもなし。。。世上せじやう世上せじやうせじょうののの心こころ心こころこころ」」」とかやとかやとかや作つく作つくつくりりり給たま給たまたまへりけるへりけるえりけるををを、、、御堂みだう御堂みだうみどうととと申まう申まうもうしておはせしがしておはせしがしておわせしが、、、のたまひけるのたまひけるのたまいけるははは、、、「「「うれへこそあれうれへこそあれうれえこそあれ」」」。。。
  25. 25とのとのとの給たま給たまたまはせけれどはせけれどわせけれど、、、位くらゐ位くらゐくらいにににははは必かならず必かならずかならずしもしもしも、、、帝みかど帝みかどみかどののの御子みこ御子みこみこなれどなれどなれど、、、つぎつぎつぎ給たま給たまたまふふう事こと事ことことならねばならねばならねば、、、ものしりものしりものしり給たま給たまたまへるへるえる人ひと人ひとひとははは、、、なげきとおぼすべからずなげきとおぼすべからずなげきとおぼすべからず。。。かのかのかの仁和寺にんなじ仁和寺にんなじにんなじのみやののみやののみやの、、、口くち口くちくちにこそあれにこそあれにこそあれ。。。何事なにごと何事なにごとなにごとかかかははは御ご御ごごのぞみもあらむなのぞみもあらむなのぞみもあらむな。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

帝の御祖父ではいらっしゃらないけれど、東宮や宮たちの御母でいらっしゃったのは、後三条院の女御で、侍従の宰相基平の御娘でいらっしゃいました。その宰相は小一条院の御子でいらっしゃいました。その源氏の御息所は、御名を基子女御と申しました。その御兄弟としては、春宮大夫季宗、大蔵卿行宗などと申していらっしゃいました。皆三位の位でいらっしゃいました。大蔵卿は八十歳ほどまで生きていらしたので、近ごろまで聞こえていらっしゃいました。歌詠みでいらっしゃいました。お二人とも漢詩などもお作りになると聞きました。良頼の中納言の娘の腹の公達です。女御も同じ御兄弟でいらっしゃいます。またその腹に、平等院の僧正行尊といって三井寺にいらっしゃった方こそ、名高い験者でいらっしゃいました。少阿闍梨などと申した時から、大峰・葛城はもちろんのこと、遠い国々や山々などで長く修行なさって、白河院・鳥羽院と引き続いて護持僧でいらっしゃいました。仁和寺の女院(待賢門院)の女御としての入内の時でしたでしょうか、御物の怪がその夜になって起こられて、急に重態でいらっしゃった時に、この僧正がお祈り申し上げなさったところ、程なくお治りになって、御車に乗られて出ていかれた後に、(僧正は)憑坐に物の怪を打たせて座っていらしたのこそ、たいそうすばらしかった、と伝え承りました。僧正は歌詠みでいらして、代々の撰集にも多く入っていらっしゃると聞いております。笙の岩屋で、

草の庵を何を露っぽいと思ったのだろう。雨の漏らない岩屋でも、(涙で)袖は濡れることだ。

などとお詠みになりました。伝え聞く人の袖まで絞れそうなほどに聞こえます。大峰で、後冷泉院がお亡くなりになって、世の憂いことなどに思い乱れて籠っておりました時に、後三条院が即位なさった後、七月七日に参上すべき旨を仰せられたので、詠んだ歌、

わたしがおまえをしみじみと思うように、おまえも一緒にしみじみと思っておくれ、山桜よ。花のほかに(私の心を)知る人もいないのだから。

などとお詠みになりました。歌を詠まないのは残念なことでしょう。いっそうお心も澄みまさっていらしたことでしょう。能書でもいらして、仮名の手本などが世に残っております。別々の腹にも、勧修寺の僧正、光明山の僧都などと申していらっしゃいました。

その女御の御腹に、御子が大勢いらっしゃいました。東宮と申して、延久三年(1071)二月にお生まれになって、同四年十二月に御年二歳と申した時、東宮にお立ちになりました。永保元年(1081)八月に御元服なさいます。応徳二年(1085)十一月八日、十五歳でいらっしゃった時に亡くなられました。平等院の僧正は女御の御兄弟なので、東宮の御忌に籠られて、御四十九日が過ぎて人々が散っていった時に、常陸の乳母に送られたと聞きました歌、

思ったでしょうか。春宮(東宮)の宮人とは名ばかりで、花より先に散ってゆくものとは。

とお詠みになったのに、返歌を御乳母が、

花よりも散り散りになる身とも知らないで、千年の春(東宮の長寿)を頼みにしていたことです。

と聞きました。この方は白河院の異腹の御弟で、後三条院の第二の御子です。東宮と同じ腹に第三の御子がいらっしゃいました。輔仁親王と申し上げました。延久五年(1073)正月にお生まれになりました。承保二年(1075)十二月に親王の宣旨をこうむられました。この御子は学才がおありで、詩などをお作りになることは、昔の中務の宮(具平親王)などのようでいらっしゃいました。歌をお詠みになることもすぐれていらっしゃいました。円宗寺の花をご覧になって、

(父の後三条院が)植えておかれたその君もいない世に、年を経て咲く花こそ、わが身の仲間なのだろうか。

とお詠みになったのこそ、たいそうしみじみと聞こえました。このような御歌を、木工頭(俊頼)が撰んで奉った金葉集に「輔仁の親王」と書いたので、白河院は「どうしてここに(私が)見るのに、このように書いたのか」と仰せられたので、「三宮」と書き申し上げました。御仲は良くはいらっしゃらなかったけれども、御弟だからでしょう。詩などは数知れずすばらしいものがございます。「喜びもなく、憂いもない。世上の心」とかお作りになったのを、中御堂と申していらした方(覚行法親王)がおっしゃったのは、「憂いこそあるではないか」とおっしゃったけれど、位には必ずしも、帝の御子であっても継がれることとは限らないので、物事をわきまえた人は嘆きとはお思いにならないはずです。あの仁和寺の宮の、口先の言葉でしょう。どうして(三宮に)お望みなどありましょうか。

意訳

巻八「みこたち」は、后腹以外の皇子・皇女たちを語る。後三条天皇の女御源基子は小一条院の孫で、実仁・輔仁の二皇子を産んだ。章題の「源氏の御息所」は基子のこと。

基子の兄弟行尊は大峰・葛城で修行した名高い験者で、待賢門院の入内の夜の物の怪を祈り伏せた。百人一首の「もろともにあはれと思へ山桜」は、大峰で詠んだ歌として知られる。

後三条天皇は白河天皇の次に実仁、その次に輔仁を即位させる意向だったが、実仁は十五歳で早世し、白河天皇は自分の子の堀河天皇に譲位して輔仁を退けた。輔仁が「喜びもなく、憂いもない」と詠んだ詩を、覚行法親王が「憂いこそあるだろう」と評したのに対し、語り手は輔仁を弁護している。

語釈・文法注

基子女御
源基子(1049〜1134)。源基平の娘。後三条天皇の女御。実仁・輔仁親王の母。
小一條ノ院
敦明親王(994〜1051)。三条天皇の皇子。東宮を辞退した。
春宮ノ大夫季宗
源季宗(1047〜1105)。基平の子。
大藏卿行宗
源行宗(1064〜1143)。基平の子。歌人。
平等院の僧正行尊
行尊(1055〜1135)。基平の子。三井寺の僧。大峰で修行した験者・歌人。
大峯葛城
大峰山と葛城山。修験道の霊場。
ものつき
憑坐(よりまし)。物の怪を乗り移らせる人。
笙のいはや
大峰山中の岩屋。修行の場。
東宮
実仁親王(1071〜1085)。後三条天皇の皇子。白河天皇の東宮となったが早世した。
輔仁親王
輔仁親王(1073〜1119)。後三条天皇の皇子。三宮。詩歌にすぐれた。
圓宗寺
後三条天皇が建てた寺。
中御堂
覚行法親王(1075〜1105)。白河天皇の皇子。仁和寺。第72章参照。
利口
口先がうまいこと。気の利いた言葉。

文法

花よりほかに知る人もなし
花以外に(自分を)知る人もいない。
何事かは御のぞみもあらむな
どうして何かお望みなどあろうか、いやない。反語。

和歌

草のいほを何露けしと思ひけんもらぬいはやも袖はぬれけり

詠者
行尊
状況
大峰の笙の岩屋で詠んだ歌。

修辞

対比
雨露の漏る草の庵と、漏らない岩屋とを対比し、それでも涙で袖が濡れるとする。

もろともにあはれと思へ山櫻花よりほかに知る人もなし

詠者
行尊
状況
大峰で修行中、思いがけず山桜を見て詠んだ歌(金葉集・百人一首)。

修辞

擬人法
山桜に「ともにあはれと思え」と呼びかける。

おもひきや春のみや人なのみして花よりさきに散らむ物とは

詠者
行尊
状況
東宮実仁親王の死後、四十九日が過ぎて人々が去る時、乳母に送った歌。

修辞

掛詞
「春のみや」に「春宮(東宮)」と「春の宮」をかける。

花よりもちり〳〵になる身をしらで千歲の春と賴みつるかな

詠者
常陸の乳母
状況
行尊の歌への返歌。

植ゑおきし君もなき世に年へたる花や我が身のたぐひなるらむ

詠者
輔仁親王
状況
父後三条天皇の建てた円宗寺の花を見て詠んだ歌。

修辞

擬人法
父亡き後に残った花を、取り残された自分の仲間とみる。

解説

輔仁親王は白河院に皇位を阻まれた悲運の皇子だった。今鏡の語り手は、白河院への配慮から慎重な言い回しをしつつも、輔仁への同情を隠していない。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、333〜337頁(コマ181–183)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日