今鏡 第七「村上の源氏」 第67章
藻塩の煙
巻七の結び。二条天皇に寵愛された「かうの君」は、顕房の孫季房の子の娘。天皇の病の原因とまで言われたが、天皇は臨終に際して彼女に贈った手紙を返させて焼かせた。出家もできずにいるうち、若い上達部に迎えられたという。村上源氏の繁栄をまとめ、師房の子師忠の子孫で巻を閉じる。
- 1のみかどののみかどののみかどの御時御時おおんとき、、、近近ちかくさぶらひくさぶらひくさぶらい給給たまひてひていて、、、君君きみとかとかとか聞聞きこえこえこえ給給たまひしひしいしははは、、、殊殊ことののの外外ほかにときめきにときめきにときめき給給たまふときこえふときこえうときこえ給給たまひしかばひしかばいしかば、、、のかみになりのかみになりのかみになり給給たまへりしにやありけんへりしにやありけんえりしにやありけん。。。
- 2たゞまたたゞまたただまた、、、かうのかうのこうの殿殿とのなどなどなど申申もうすにやすにやすにや。。。能能よくもえうけくもえうけくもようけ給給たまはははりりり定定さだめざりきめざりきめざりき。。。それこそそれこそそれこそははは、、、六條六條ろくじょう殿殿どのののの御子御子みこののの、、、房房ぼうののの丹波丹波たにわ守守かみののの子子こににに、、、大夫大夫だいぶとかとかとか申申もうしてしてして、、、伊勢伊勢いせにこもりゐたまへるにこもりゐたまへるにこもりいたまえる御御おんむすめときこえむすめときこえむすめときこえ給給たまひしかひしかいしか。。。
- 3かのかのかの御時御時おおんとき、、、女御女御にょうごきさききさききさき、、、かた〴〵うちつゞきかた〴〵うちつゞきかたがたうちつづき多多おおくきこえくきこえくきこえ給給たまひしにひしにいしに、、、御心御心みこころのののはははなにてなにてなにて、、、一時一時いちじのみのみのみ、、、盛盛さかりすくなくりすくなくりすくなく聞聞きこえしにこえしにこえしに、、、これぞときこれぞときこれぞときはははににに聞聞きこえこえこえ給給たまひてひていて、、、家家いえをををさへにさへにさへに作作つくりてりてりて給給たまはははりりり、、、世世よにもにもにも、、、もてあつかふもてあつかふもてあつかう程程ほどにきこえにきこえにきこえ給給たまひてひていて、、、みかどのみかどのみかどの御御おんなやみにさへなやみにさへなやみにさえ、、、科科とがおひおひおい給給たまひしぞかしひしぞかしいしぞかし。。。
- 4御御おんめのとのめのとのめのとの大納言大納言だいなごんののの三位三位さんみなどもなどもなども、、、「「「いたくないたくないたくな參參まいりりり給給たまひそひそいそ」」」。。。などなどなど侍侍はべりけるにやりけるにやりけるにや。。。あるあるある折折おりははは常常つねにもにもにも候候そうらひたまはずなどありけるとかやひたまはずなどありけるとかやいたまわずなどありけるとかや。。。且且かつははは御御おんおぼえのおぼえのおぼえの事事ことなどなどなど、、、祈祈いのりすぐしりすぐしりすぐし給給たまへるへるえる方方かたももも聞聞きこえけるにやこえけるにやこえけるにや。。。
- 5且且かつははは聞聞ききにくゝもきにくゝもきにくくも聞聞きこえけるとぞこえけるとぞこえけるとぞ。。。重重おもらせたまひけるらせたまひけるらせたまいける程程ほどににに、、、年年とし若若わかききき人人ひとなればなればなれば、、、おはしまさゞらんにおはしまさゞらんにおわしまさざらんにははは、、、いかにもあらんずらんいかにもあらんずらんいかにもあらんずらん。。。御消息御消息おおんしょうそこどもどもども、、、返返かえししし參參まいらせよとありければらせよとありければらせよとありければ、、、なく〳〵とりつかねてなく〳〵とりつかねてなくなくとりつかねて參參まいらせければらせければらせければ、、、信信のぶ保保ほうなどいふなどいふなどいう人人ひとうけうけうけ給給たまはははりてりてりて、、、かきあつめさせたまへるかきあつめさせたまへるかきあつめさせたまえる、、、、、、いかにいかにいかに悲悲かなしくおぼしけんしくおぼしけんしくおぼしけん。。。
- 6御御おんぐしのぐしのぐしの、、、たけにあまりたけにあまりたけにあまり給給たまへりけるもへりけるもえりけるも、、、そぎおろさばやとぞそぎおろさばやとぞそぎおろさばやとぞ聞聞きこえけれどこえけれどこえけれど、、、心心こころづづづよきよきよき事事ことかたくてかたくてかたくて、、、月日月日つきいへへへけるけるけるほどにほどにほどに、、、御心御心みこころならずもやありけんならずもやありけんならずもやありけん。。。
- 7昔昔むかしにににはははあらぬあらぬあらぬ事事ことどもいできてどもいできてどもいできて、、、若若わかききき上達部上達部かんだちめののの、、、時時ときにあひたるにあひたるにあいたる所所ところにこそにこそにこそ、、、迎迎むかへられへられえられ給給たまひてとひてといてと、、、きこえきこえきこえ侍侍はべるめれるめれるめれ。。。めしめしめし返返かえさせさせさせ給給たまひけんひけんいけん、、、、、、今今いまやおぼしあはすらんやおぼしあはすらんやおぼしあわすらん。。。いとかしこくこそいとかしこくこそいとかしこくこそ。。。
- 8六條六條ろくじょうのおとゞのおとゞのおとど、、、いとあさましくいとあさましくいとあさましく、、、末末すえ廣廣ひろくおはしますくおはしますくおわします。。。昔昔むかしよりよりよりふぢなみのふぢなみのふじなみの流流ながれこそれこそれこそ、、、みかどのみかどのみかどの御御おんおほぢにておほぢにておおじにてははは、、、うちつゞきうちつゞきうちつづき給給たまへるにへるにえるに、、、堀河堀河ほりかわノノノ院院いんののの御御おんおほぢにおほぢにおおじに、、、めづらしくかくめづらしくかくめずらしくかく末末すえさへさへさえ廣廣ひろごらせごらせごらせ給給たまへるへるえる、、、一一いちののの人人ひとののの御御おんおほぢにおほぢにおおじに、、、うちつゞきておはしますめりうちつゞきておはしますめりうちつづきておわしますめり。。。
- 9六條六條ろくじょう殿殿どのののの御御おんむすめむすめむすめははは、、、堀河堀河ほりかわノノノ院院いんののの御時御時おおんとき、、、ととと申申もうしけるしけるしけるははは、、、女御女御にょうごののの宣旨宣旨せんじなどなどなどはははなかりけるにやなかりけるにやなかりけるにや。。。醍醐醍醐だいごにおはすとにおはすとにおわすと聞聞きこえしこえしこえし、、、近近ちかくうせくうせくうせ給給たまひにきひにきいにき。。。
- 10堀川殿堀川殿ほりかわどの、、、六條六條ろくじょうどのゝどのゝどのの御御おんおとうとにおとうとにおとうとに、、、中宮中宮ちゅうぐう大夫大夫だいぶ忠忠ただののの大納言大納言だいなごんおはしきおはしきおわしき。。。そのそのその御母御母おおんははははは、、、堀川堀川ほりかわののの賴賴たの宗宗そうののの右右みぎのおとゞののおとゞののおとどの御女御女おおんむすめなりなりなり。。。このこのこの大納言大納言だいなごんののの御子御子みこははは、、、左左さ馬馬うまノノノ頭頭かしら澄澄ずみとてとてとて、、、千千せん日日ひののの講講こう久久ひさしくしくしく行行おこなひひい給給たまひてひていて、、、後後のちははは大藏卿大藏卿おおくらきょうととと申申もうしきしきしき。。。
- 11そのそのその御御おんおとうとおとうとおとうとははは、、、師師し親親おやののの四位四位しいののの侍從侍從じじゅうなどなどなど申申もうしておはしきしておはしきしておわしき。。。又大又大またおおき納言納言なごんののの御子御子みこにににははは、、、仁和寺仁和寺にんなじののの大大だい僧正僧正そうじょう遍遍たびととと申申もうすおはしきすおはしきすおわしき。。。備備び中中なか守守もりまさなかのまさなかのまさなかの女女おんなののの腹腹はらにやおはしけんにやおはしけんにやおわしけん。。。
- 12ノノノ院院いんののの中宮中宮ちゅうぐうとてとてとて、、、御御おんぐしおろさせぐしおろさせぐしおろさせ給給たまひしひしいし、、、戒戒かいののの師師しにおはしけりにおはしけりにおわしけり。。。東寺東寺とうじののの長者長者ちょうじゃにてにてにて、、、近近ちかくうせたまひにけりくうせたまひにけりくうせたまいにけり。。。中宮中宮ちゅうぐうノノノ大夫大夫だいぶののの御弟御弟おおんおとうと廣廣ひろ綱綱つなとておはしきとておはしきとておわしき。。。
- 13四位四位しいまでやのぼりまでやのぼりまでやのぼり給給たまひけんひけんいけん。。。攝攝つ津守津守つもりなどなどなど申申もうしゝにやしゝにやししにや。。。またまたまた堀川殿堀川殿ほりかわどのなどのなどのなどの同同おなじはらにやおはしけんじはらにやおはしけんじわらにやおわしけん。。。覺覺おぼ大大だい僧正僧正そうじょうととと申申もうしゝしゝしし、、、山山やまののの座主座主ざすおはしきおはしきおわしき。。。
- 14それそれそれははは中宮中宮ちゅうぐうノノノ大夫大夫だいぶののの兄兄このかみにやおはしけんにやおはしけんにやおわしけん。。。又又またことはらことはらことはらににに、、、やましなでらのやましなでらのやましなでらの實實さね覺覺おぼ僧都僧都そうずなどなどなど申申もうしておはしきしておはしきしておわしき。。。莊嚴莊嚴よそ院院いんののの僧都僧都そうずととと申申もうしゝなるべししゝなるべしししなるべし。。。
現代語訳
二条の帝の御代に、お側近くお仕えして「かうの君」とか申し上げた方は、ことのほか時めいていらっしゃると聞こえたので、尚侍になられたのでしたでしょうか。ただまた「かうの殿」などと申したのでしょうか、よく承り定めることができませんでした。その方こそ、六条殿(顕房)の御子の季房の丹波守の子で、大夫とか申して伊勢に籠っていらっしゃる人の御娘と聞こえました。あの(二条天皇の)御代には、女御や后が方々次々と多く聞こえましたが、(帝の)お心が移ろいやすくて、一時ばかりで盛りが短いと聞こえたのに、この方こそ変わらず(ご寵愛が続くと)聞こえて、家まで作って賜り、世間でももてはやすほどと聞こえて、帝のご病気にまで罪を負わされたのですよ。御乳母の大納言の三位なども「あまり参られますな」などと言ったのでしょうか、ある時はいつもお仕えしているわけではなかったとか。一方ではご寵愛のことなどを祈りすぎていらしたという方面も聞こえたのでしょうか。一方では聞き苦しくも聞こえたとか。(帝が)重くなられた時に、「(かうの君は)年若い人なので、(私が)いなくなったら、どうにでもなるだろう。(私が贈った)お手紙などを返し申せ」とあったので、泣く泣く取り束ねて差し上げたところ、信保などという人が承って、かき集めさせなさった(手紙が)藻塩の煙となったのも、どれほど悲しくお思いになったことでしょう。御髪が背丈に余っていらしたのも、削ぎおろそう(出家しよう)と聞こえたけれど、気強いことは難しくて、月日が経つうちに、ご本意でもなかったのでしょうか、昔とは違うことなどが出てきて、若い上達部で時流に乗っている人のところに迎えられなさったと聞こえるようです。(帝が)召し返された尊い御手紙の筆跡も、今ごろ思い合わせていらっしゃることでしょう。たいそう畏れ多いことです。
六条の大臣(顕房)は、たいそう驚くほど子孫が広がっていらっしゃいます。昔から藤原氏の流れこそが帝の御祖父として引き続いていらっしゃったのに、堀河院の御祖父として珍しくもこのように子孫まで広がっていらっしゃるので、一の人の御祖父としても引き続いていらっしゃるようです。六条殿の御娘で、堀河院の御代に承香殿と申し上げた方は、女御の宣旨などはなかったのでしょうか。醍醐にいらっしゃると聞こえましたが、近ごろ亡くなられました。堀川殿(俊房)・六条殿の御弟に、中宮大夫師忠の大納言がいらっしゃいました。その御母は、堀川の頼宗の右大臣の御娘です。この大納言の御子は左馬頭師澄といって、千日の講を長く行われて、後は大蔵卿と申しました。その御弟は、師親の四位の侍従などと申していらっしゃいました。また大納言の御子には、仁和寺の大僧正寛遍と申す方がいらっしゃいました。備中守まさなかの娘の腹でいらしたでしょうか。高松院が中宮として御髪をおろされた時の戒師でいらっしゃいました。東寺の長者で、近ごろ亡くなられました。中宮大夫の御弟に広綱という方がいらっしゃいました。四位まで昇られたでしょうか、摂津守などと申したでしょうか。また堀川殿などと同じ腹でいらしたでしょうか、仁覚大僧正と申した比叡山の座主がいらっしゃいました。その方は中宮大夫の兄でいらしたでしょうか。また別の腹に、山科寺(興福寺)の実覚僧都などと申していらっしゃいました。荘厳院の僧都と申した方なのでしょう。
意訳
二条天皇は多くの后妃を持ったが寵愛は長続きせず、「かうの君」だけが変わらず愛されて家まで賜った。しかし天皇の病は彼女のせいだとまで噂された。天皇は臨終に際し、自分の死後に彼女が再婚することを見越して、贈った手紙を返させて焼かせた。章題の「藻塩の煙」は、手紙が煙となったことを、藻塩を焼く煙にたとえた表現による。
彼女は出家しようとしたが果たせず、やがて時めく若い上達部に迎えられた。語り手は、焼かれた天皇の手紙の意味を、今ごろ思い合わせているだろう、と静かに結ぶ。
巻七の最後は顕房の子孫の繁栄をまとめ、師房の子師忠の子孫を列挙して閉じる。藤原氏に並んで天皇・摂関の外戚となった村上源氏の栄えを語り終える。
語釈・文法注
- 二條のみかど
- 二条天皇(1143〜1165)。後白河天皇の皇子。
- かうの君
- 二条天皇に寵愛された女性。源季房の孫か。
- 內侍のかみ
- 尚侍。内侍司の長官。天皇に近侍する女官。
- 季房の丹波守
- 源季房。顕房の子。
- もしほのけぶり
- 藻塩を焼く煙。ここでは焼かれた手紙の煙をたとえる。
- みづくきのあと
- 筆の跡。筆跡。
- 承香殿
- 顕房の娘。堀河天皇に仕えた。
- 中宮大夫師忠の大納言
- 源師忠(1054〜1114)。師房の子。
- 左馬ノ頭師澄
- 源師澄。師忠の子。
- 大僧正寬遍
- 寛遍(1100〜1166)。師忠の子。東寺長者。
- 高松ノ院
- 姝子内親王(1141〜1176)。鳥羽天皇の皇女。二条天皇の中宮。
- 仁覺大僧正
- 仁覚(1045〜1102)。師房の子。天台座主。
文法
- いたくな參り給ひそ
- 「な…そ」は禁止。あまり参られますな。
- いかにもあらんずらん
- どうにでもなるだろう。
解説
天皇が死を前に恋人への手紙を焼かせたという話は、『源氏物語』で光源氏が紫の上の手紙を焼く場面を思わせる。今鏡の語り手は、天皇の思いと女性のその後とを淡々と、しかし哀切に描いている。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、330〜333頁(コマ180–181)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日