古典ライブラリー

今鏡 第七「村上の源氏」 第66章

武蔵野の草

顕房のその他の子孫。雅俊・国信・顕仲・顕雅・雅兼らの系譜。国信の娘たちは二代の摂政・関白の母となった。顕仲の娘堀川の「きりぎりす」の歌、言い間違いの多い楊梅大納言顕雅の滑稽な逸話、学才ある雅兼、金葉集の撰進をめぐる白河院と俊頼のやりとりなどが語られる。

  1. 1六條ろくでう六條ろくでうろくじょうののの右みぎ右みぎみぎのおとゞのおとゞのおとどははは、、、大おほ大おほおおかたかたかた公達きんだち公達きんだちきんだちあまたおはしましきあまたおはしましきあまたおわしましき。。。太政だいじやう太政だいじやうだいじょうのおとゞにつぎのおとゞにつぎのおとどにつぎ奉たてまつ奉たてまつたてまつりてりてりてははは、、、大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごん俊とし俊としとしとておはしきとておはしきとておわしき。。。御母おほんはは御母おほんははおおんははははは美濃みの美濃みのみの守かみ守かみかみ良ら良らら任まか任まかまかときこえしむすめのときこえしむすめのときこえしむすめの腹はら腹はらはらなりなりなり。。。
  2. 2京極きやうごく京極きやうごくきょうごくににに九く九くく體たい體たいたいのののつくりつくりつくり給たま給たまたまへりへりえり。。。そのそのその御子みこ御子みこみこははは、、、はら〳〵にはら〳〵にはらはらに男女なんによ男女なんによなんにょあまたおはしきあまたおはしきあまたおわしき。。。伊豫守いよのかみ伊豫守いよのかみいよのかみ爲ため爲ためため家いへ家いへいえのぬしのむすめののぬしのむすめののぬしのむすめのはらにはらにはらに神祗じんぎ神祗じんぎじんぎノノノ伯はく伯はくはくととと申まう申まうもうしきしきしき。。。
  3. 3もともともとははは前さきの前さきのさきのノノノ少將せうしやう少將せうしやうしょうしょう肥前ひぜん肥前ひぜんひぜんのすけにぞのすけにぞのすけにぞ、、、久ひさ久ひさひさしくおはせししくおはせししくおわせし。。。そのそのその同おな同おなおなじはらにじはらにじわらに、、、四位しゐ四位しゐしいののの侍從じじゆう侍從じじゆうじじゅう顯親あきちか顯親あきちかあきちかととと申まう申まうもうしてしてして、、、後のち後のちのちははは右京うきやう右京うきやううきょうノノノ權大夫ごんのだいぶ權大夫ごんのだいぶごんのだいぶ、、、播磨はりま播磨はりまはりま守かみ守かみかみなどなどなど聞き聞ききこえきこえきこえき。。。
  4. 4同おな同おなおなじじじ御おん御おんおんはははらにらにらに、、、上野守かうづけのかみ上野守かうづけのかみこうずけのかみ顯俊あきとし顯俊あきとしあきとしとておはしきとておはしきとておわしき。。。中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうののの御おん御おんおんおほぢにやおはすらんおほぢにやおはすらんおおじにやおわすらん。。。憲俊のりとし憲俊のりとしのりとしののの中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうときこえしときこえしときこえし、、、後のち後のちのちにににははは大貳だいに大貳だいにだいにになりになりになり給たま給たまたまへりきへりきえりき。。。百良ももよし百良ももよしももよしととと御おん御おんおんわらわらわらははは名な名ななきこえきこえきこえ給たま給たまたまひきひきいき。。。
  5. 5又また又またまた摩尼まに摩尼まにまにぎみときこえぎみときこえぎみときこえ給たま給たまたまひしひしいし、、、左さ左ささ馬むま馬むまうまノノノ權頭ごんのかみ權頭ごんのかみごんのかみなどなどなど申まう申まうもうしきしきしき。。。此こ此ここののの外ほか外ほかほかにもにもにも、、、上野かうづけ上野かうづけこうずけ、、、越中ゑつちゆう越中ゑつちゆうえっちゅうなどになりなどになりなどになり給たま給たまたまへるへるえる聞き聞ききこえきこえきこえき。。。又また又またまた僧そう僧そうそう子こ子ここももも多おほ多おほおおくおはするなるべしくおはするなるべしくおわするなるべし。。。
  6. 6大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんののの同おな同おなおなじじじ御腹おほんはら御腹おほんはらおおんはらににに、、、中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんととと申まう申まうもうしておはしきしておはしきしておわしき。。。堀河ほりかは堀河ほりかはほりかわノノノ院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおんをををぢのぢのじの中なか中なかなかににに殊こと殊ことことににに親した親したしたしくさぶらひしくさぶらひしくさぶらい給たま給たまたまひけるとぞきこえひけるとぞきこえいけるとぞきこえ侍はべ侍はべはべりしりしりし。。。歌うた歌うたうたよみにおはしてよみにおはしてよみにおわして、、、百首ひやくしゆ百首ひやくしゆひゃくしゅののの歌人うたびと歌人うたびとうたびとにもおはすめりにもおはすめりにもおわすめり。。。
  7. 7このこのこの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんののの姫君ひめぎみ姫君ひめぎみひめぎみ、、、おおおほいほいほい君きみ君きみきみははは、、、近ちか近ちかちかくおはしましゝくおはしましゝくおわしましし殿どの殿どのどのののの御母おほんはは御母おほんははおおんはは、、、ととと申まう申まうもうすなるべしすなるべしすなるべし。。。次つぎ次つぎつぎにににははは、、、入道にふだう入道にふだうにゅうどうどのにさぶらひどのにさぶらひどのにさぶらい給たま給たまたまひてひていて、、、さりがたきさりがたきさりがたき人ひと人ひとひとにおはすなりにおはすなりにおわすなり。。。
  8. 8第三だいさん第三だいさんだいさんののの君きみ君きみきみははは、、、ののの殿どの殿どのどのののの御母おほんはは御母おほんははおおんははにおはしますにおはしますにおわします。。。三位さんみ三位さんみさんみのくらゐのくらゐのくらい得え得ええ給たま給たまたまへるなるべしへるなるべしえるなるべし。。。うちつゞきうちつゞきうちつづき二人ふたり二人ふたりふたりののの一いち一いちいちののの人ひと人ひとひとののの御おん御おんおんおほぢにていとめでたきおほぢにていとめでたきおおじにていとめでたき御末おほんすゑ御末おほんすゑおおんすえなりなりなり。。。
  9. 9このこのこの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんののの御子みこ御子みこみこににに、、、四位しゐ四位しゐしいののの少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうとておはしきとておはしきとておわしき。。。其そ其そそののの母はは母ははははははは、、、さきのさきのさきの伊豫守いよのかみ伊豫守いよのかみいよのかみ泰やす泰やすやす仲なか仲なかなかのむすめとのむすめとのむすめと聞き聞ききこえきこえきこえき。。。そのそのその少將せうしやう少將せうしやうしょうしょう、、、いとよきいとよきいとよき人ひと人ひとひとにてにてにて、、、歌うた歌うたうたなどなどなど能よ能よよくよみたまひきくよみたまひきくよみたまいき。。。
  10. 10とくとくとく亡う亡ううせたまひにきせたまひにきせたまいにき。。。少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうののの一ひと一ひとひとつはらのつはらのつわらの弟おとうと弟おとうとおとうとにやおはしけんにやおはしけんにやおわしけん。。。備び備びび前さきの前さきのさきのノノノ前司ぜんじ前司ぜんじぜんじ、、、修理すりの修理すりのすりのノノノ權大夫ごんのだいぶ權大夫ごんのだいぶごんのだいぶ、、、越後ゑちご越後ゑちごえちご守かみ守かみかみなどきこえなどきこえなどきこえ給たま給たまたまひきひきいき。。。又また又またまた六條ろくでう六條ろくでうろくじょう殿どの殿どのどのののの御子みこ御子みこみこににに、、、顯仲あきなか顯仲あきなかあきなかノノノ伯はく伯はくはくととと聞き聞ききこえたまふこえたまふこえたまう、、、大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごん中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんなどのなどのなどの兄このかみ兄このかみこのかみにやおはしけんにやおはしけんにやおわしけん。。。
  11. 11其そ其そそののの母はは母ははははははは肥前ひぜん肥前ひぜんひぜん守かみ守かみかみ定さだ定さださだ成ぜい成ぜいぜいのむすめののむすめののむすめの腹はら腹はらはらにやおはすらんにやおはすらんにやおわすらん。。。歌うた歌うたうたよみよみよみ、、、笙しやう笙しやうしょうののの笛ふえ笛ふえふえののの上手じやうず上手じやうずじょうずにおはしけりにおはしけりにおわしけり。。。公く公くく里さと里さとさとといひしがといひしがといいしが、、、調子てうし調子てうしちょうしをををすぐれてすぐれてすぐれて傳つた傳つたつたへたりけるへたりけるえたりけるををを、、、うつしうつしうつし習なら習ならならひひい給たま給たまたまへりけるとぞへりけるとぞえりけるとぞ。。。
  12. 12そのそのその御子みこ御子みこみこ、、、淡路あはぢ淡路あはぢあわじ守かみ守かみかみ宮內くない宮內くないくない大輔たいふ大輔たいふたいふなどなどなど聞き聞ききこえきこえきこえき。。。法印ほふいん法印ほふいんほういんとてとてとて、、、法性寺殿ほふしやうじどの法性寺殿ほふしやうじどのほっしょうじどのののの、、、佛ほとけ佛ほとけほとけののの如ごと如ごとごとくにたのませくにたのませくにたのませ給たま給たまたまへるおはしきへるおはしきえるおわしき。。。僧そう僧そうそう子こ子ここもあまたおはするなるべしもあまたおはするなるべしもあまたおわするなるべし。。。
  13. 13女子ひめみこ女子ひめみこひめみこはははののの君きみ君きみきみ、、、兵衞ひやうゑ兵衞ひやうゑひょうえののの君きみ君きみきみなどきこえなどきこえなどきこえ給たま給たまたまひてひていて、、、皆みな皆みなみな歌うた歌うたうたよみにおはすとよみにおはすとよみにおわすと聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまひしひしいし。。。姉君あねぎみ姉君あねぎみあねぎみははは、、、もともともとははは前さきの前さきのさきのノノノ齋院さいゐん齋院さいゐんさいいんののの六條ろくでう六條ろくでうろくじょうととと申まう申まうもうしけるにやしけるにやしけるにや。。。ににに、、、
  14. 14露つゆ露つゆつゆしげきしげきしげき野の野ののべにならひてべにならひてべにならいてきり〳〵すきり〳〵すきりきりす我わ我わわががが手枕たまくら手枕たまくらたまくらののの下した下したしたににに鳴な鳴ななくなりくなりくなり
  15. 15とよみたまへるなるべしとよみたまへるなるべしとよみたまえるなるべし。。。堀川ほりかは堀川ほりかはほりかわとととははは、、、後のち後のちのちににに申まう申まうもうしけるなるべししけるなるべししけるなるべし。。。かやうなるかやうなるかようなる女をんな女をんなおんな歌うた歌うたうたよみよみよみははは、、、世よ世よよにいできにいできにいでき給たま給たまたまはんはんわん事こと事ことこと、、、かたくかたくかたく侍はべ侍はべはべるべしるべしるべし。。。
  16. 16又また又またまた楊やなぎ楊やなぎやなぎ梅うめ梅うめうめののの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんとてとてとて、、、六條ろくでう六條ろくでうろくじょうのおのおのおほいほいほい殿どの殿どのどのののの御子みこ御子みこみこにおはしきにおはしきにおわしき。。。そのそのその末すゑ末すゑすえいとおはせぬなるべしいとおはせぬなるべしいとおわせぬなるべし。。。御おん御おんおんむすめぞむすめぞむすめぞ、、、鳥羽とば鳥羽とばとばののの女院にようゐん女院にようゐんにょういんののの皇后宮くわうごうぐう皇后宮くわうごうぐうこうごうぐうののの時とき時ときとき、、、。。。
  17. 17女院にようゐん女院にようゐんにょういんののの御おん御おんおんせうとのせうとのしょうとの、、、肥後ひご肥後ひごひごののの前司ぜんじ前司ぜんじぜんじときこえしときこえしときこえしははは、、、大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんののの聟むこ聟むこむこにおはせしかばなるべしにおはせしかばなるべしにおわせしかばなるべし。。。そのそのその大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんののの御車みくるま御車みくるまみくるまののの紋もん紋もんもんこそこそこそ、、、きらゝかにきらゝかにきららかに遠とほ遠とほとおしろくしろくしろく侍はべ侍はべはべりけれりけれりけれ。。。
  18. 18大おほ大おほおお古ふる古ふるふるききき繪ゑ繪ゑえににに、、、高たか高たかたか金こん金こんこん岡をか岡をかおかなどかきたりけるにやなどかきたりけるにやなどかきたりけるにや。。。それそれそれををを見み見みみてせられけるとぞてせられけるとぞてせられけるとぞ。。。今いま今いまいまははは乘の乘ののりりり給たま給たまたまふふう人ひと人ひとひともおはせずやらんもおはせずやらんもおわせずやらん。。。物もの物ものものなどかきなどかきなどかき給たま給たまたまふこともふこともうことも、、、おはせざりけるにやおはせざりけるにやおわせざりけるにや。。。
  19. 19行尊僧正ぎやうそんそうじやう行尊僧正ぎやうそんそうじやうぎょうそんそうじょうののの許もと許もともとににに、、、やりやりやり給たま給たまたまへりけるへりけるえりけるふみのふみのふみの上うへ上うへうえ書ふみ書ふみふみにににははは、、、はははうとうとうとうゐんのうゐんのういんの僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょうののの御坊ごばう御坊ごばうごぼうににに、、、とぞありけるとぞありけるとぞありける。。。かんなゝらばかんなゝらばかんなならば、、、謹つゝし謹つゝしつつし上うへ上うへうえなくてもあるべけれどなくてもあるべけれどなくてもあるべけれど、、、えかきえかきえかき給たま給たまたまはぬはぬわぬ餘あま餘あまあまりにやありけんりにやありけんりにやありけん。。。
  20. 20言こと言ことことのののはもはもはもえきこええきこええきこえ給たま給たまたまはざりけりはざりけりわざりけり。。。唯ただ唯ただただ車くるま車くるまくるまをぞをぞをぞなべてよりなべてよりなべてより、、、能よ能よよくしたてゝくしたてゝくしたてて、、、牛うし牛うしうし雜色ざふしき雜色ざふしきぞうしき淸きよ淸きよきよげにてありきげにてありきげにてありき給たま給たまたまひけるひけるいける。。。車くるま車くるまくるまなどよくするなどよくするなどよくするははは、、、まさなきことゝてまさなきことゝてまさなきこととて、、、はげあやしくなれどもはげあやしくなれどもはげあやしくなれども、、、俄にはか俄にはかにわかにかきすゑたるこそにかきすゑたるこそにかきすえたるこそ、、、然しか然しかしかるべきるべきるべき人ひと人ひとひとはははさもするとさもするとさもすると申まう申まうもうすこともあるべしすこともあるべしすこともあるべし。。。
  21. 21これもこれもこれも亦また亦またまた一ひと一ひとひとつのやうにてつのやうにてつのようにて、、、つやゝかにしたまひけるこそつやゝかにしたまひけるこそつややかにしたまいけるこそ。。。などのなどのなどの重おも重おもおもくおはしけるにやくおはしけるにやくおわしけるにや。。。ひがことぞひがことぞひがことぞ常つね常つねつねにしたまひけるにしたまひけるにしたまいける。。。雨あめ雨あめあめのののふるにふるにふるに、、、「「「車くるま車くるまくるまひきひきひき入い入いいれよれよれよ」」」。。。
  22. 22といといといはははんとてんとてんとてははは、、、「「「車くるま車くるまくるまふるふるふる。。。時雨しぐれ時雨しぐれしぐれさしいれよさしいれよさしいれよ」」」。。。ととと侍はべ侍はべはべりけれりけれりけれははは、、、車くるま車くるまくるまのののさま〳〵そらよりさま〳〵そらよりさまさまそらより降ふ降ふふらんらんらん、、、いといといと恐おそ恐おそおそろしかるべしろしかるべしろしかるべし。。。などなどなど思おも思おもおもひあへりけるひあへりけるいあえりける。。。
  23. 23かやうのことかやうのことかようのことををを、、、堀河ほりかは堀河ほりかはほりかわノノノ院ゐん院ゐんいんきこしめしてきこしめしてきこしめして、、、「「「ひがことこそひがことこそひがことこそ、、、ふびんなれふびんなれふびんなれ。。。祈いの祈いのいのりりりはははせぬかせぬかせぬか」」」。。。ととと仰おほ仰おほおおせられければせられければせられければ、、、御返事おほんかへりごと御返事おほんかへりごとおおんかえりごと申まう申まうもうされけるされけるされけるほどにほどにほどに、、、鼠ねずみ鼠ねずみねずみののの走はし走はしはしりわたりければりわたりければりわたりければ、、、「「「さればさればされば等身とうしん等身とうしんとうしんののの鼠ねずみ鼠ねずみねずみ作つく作つくつくらせてらせてらせて候さふら候さふらそうろうふふう」」」。。。
  24. 24ととと申まう申まうもうされければされければされければ、、、「「「おおおほかたいふにもほかたいふにもほかたいうにも足た足たたらずらずらず」」」となんとなんとなん仰おほ仰おほおおせられけるせられけるせられける。。。これこれこれははは信濃しなぬ信濃しなぬしなぬ守かみ守かみかみ伊い伊いい綱つな綱つなつなののの女をんな女をんなおんなのののはらにおはするなるべしはらにおはするなるべしはらにおわするなるべし。。。
  25. 25同おな同おなおなじはらにじはらにじわらに信雅のぶまさ信雅のぶまさのぶまさのみちのくののみちのくののみちのくの守かみ守かみかみとておはしきとておはしきとておわしき。。。加賀守かがのかみ加賀守かがのかみかがのかみ家いへ家いへいえ定ぢやう定ぢやうじょうとてとてとて、、、ひさしくおはせしがひさしくおはせしがひさしくおわせしが、、、後のち後のちのちにみちのくににみちのくににみちのくにははは成な成ななりりり給たま給たまたまへりしなりへりしなりえりしなり。。。そのそのその子こ子ここはははののの君きみ君きみきみとてとてとて、、、知足院ちそくゐん知足院ちそくゐんちそくいんののの入道にふだう入道にふだうにゅうどうおとゞおとゞおとど、、、寵ちよう寵ちようちょうししし給たま給たまたまふふう人ひと人ひとひとにおはすとにおはすとにおわすと聞き聞ききこえきこえきこえき。。。
  26. 26後のち後のちのちにににははは近江あふみ近江あふみおうみののの中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうときこえしときこえしときこえし程ほど程ほどほどににに、、、都みやこ都みやこみやこののの亂みだ亂みだみだれれれ侍はべ侍はべはべりしりしりしをををりりり、、、左大臣さだいじん左大臣さだいじんさだいじん殿どの殿どのどののゆかりにのゆかりにのゆかりに法師ほふし法師ほふしほうしになりてになりてになりて、、、越こし越こしこしののの方かた方かたかたににに、、、流なが流ながながされされされ給たま給たまたまふとふとうと聞き聞ききこえしこえしこえし、、、歸かへ歸かへかえりのぼりりのぼりりのぼり給たま給たまたまへるなるべしへるなるべしえるなるべし。。。
  27. 27そのそのその成雅なりまさ成雅なりまさなりまさののの中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうののの兄いろせ兄いろせいろせかかか弟おとうと弟おとうとおとうとかにてかにてかにて、、、房覺ばうかく房覺ばうかくぼうかく僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょうとてとてとて三井寺みゐでら三井寺みゐでらみいでらににに驗者げんざ驗者げんざげんざおはすとぞきこえおはすとぞきこえおわすとぞきこえ給たま給たまたまふふう。。。又また又またまた六條ろくでう六條ろくでうろくじょう殿どの殿どのどのののの御子みこ御子みこみこににに、、、因幡いなば因幡いなばいなば守かみ守かみかみ惟これ惟これこれ綱つな綱つなつなのむすめののむすめののむすめの內侍ないし內侍ないしないしのののはらにはらにはらに、、、ののの治部卿ぢぶきやう治部卿ぢぶきやうじぶきょうととと申まう申まうもうすすす中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんおはしきおはしきおわしき。。。
  28. 28才學さいがく才學さいがくさいがくすぐれすぐれすぐれ給たま給たまたまひひい、、、公事くじ公事くじくじににに仕つか仕つかつかへへえ給たま給たまたまふふう事こと事ことことももも、、、昔むかし昔むかしむかしもありもありもあり難がた難がたがたききき人ひと人ひとひとになんおはしけるになんおはしけるになんおわしける。。。詩し詩ししつくりつくりつくり、、、歌うた歌うたうたよみにおはしきよみにおはしきよみにおわしき。。。高たか高たかたかくもいたりたまふべかりしくもいたりたまふべかりしくもいたりたまうべかりしををを、、、御病おほんやまひ御病おほんやまひおおんやまいひによりひによりひにより出家しゆつけ出家しゆつけしゅっけししし給たま給たまたまひてひていて、、、久ひさ久ひさひさしくおはしきしくおはしきしくおわしき。。。
  29. 29鳥羽とば鳥羽とばとばノノノ院ゐん院ゐんいん大事だいじ大事だいじだいじ仰おほ仰おほおおせられせられせられ合あ合ああはせんとてはせんとてわせんとて、、、常つね常つねつねははは召め召めめしいでてしいでてしいでて、、、對面たいめん對面たいめんたいめんせさせせさせせさせ給たま給たまたまふふう折をり折をりおりどもどもども侍はべ侍はべはべりけりりけりりけり。。。このこのこの入道にふだう入道にふだうにゅうどう中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんののの公達きんだち公達きんだちきんだちぞぞぞ、、、このこのこの御流おほんながれ御流おほんながれおおんながれれにれにれにははは、、、上達部かんだちめ上達部かんだちめかんだちめなどにもなどにもなどにも、、、あまたあまたあまた聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまふふう。。。
  30. 30右中辨うちゆうべん右中辨うちゆうべんうちゅうべん雅綱まさつな雅綱まさつなまさつなととと聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまひしひしいし、、、よくよくよく仕つか仕つかつかへたまふとてへたまふとてえたまうとて、、、四位しゐ四位しゐしいノノノ少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうなどになどになどに、、、珍めづ珍めづめずらしくなりなどしらしくなりなどしらしくなりなどし給たま給たまたまへりしへりしえりし、、、とくとくとく亡う亡ううせせせ給たま給たまたまひにきひにきいにき。。。そのそのその御おん御おんおんおとうとにおとうとにおとうとに、、、能よし能よしよし俊しゆん俊しゆんしゅん大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんののの女をんな女をんなおんなののの御おん御おんおんはははらにらにらに、、、當時たうじ當時たうじとうじ中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんととと聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまふこそふこそうこそ、、、入道にふだう入道にふだうにゅうどう治部卿ぢぶきやう治部卿ぢぶきやうじぶきょうののの御子みこ御子みこみこにににははは、、、ふみなどふみなどふみなど傳つた傳つたつたへへえ給たま給たまたまふらめふらめうらめ。。。
  31. 31家いへ家いへいえをををつぎつぎつぎ給たま給たまたまへるへるえる人ひと人ひとひとにこそにこそにこそ。。。同おな同おなおなじじじ御おん御おんおんはははらにらにらに、、、そのそのその次つぎ次つぎつぎににに、、、大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんととと申まう申まうもうすすすははは、、、入道にふだう入道にふだうにゅうどう右大臣うだいじん右大臣うだいじんうだいじんののの御子みこ御子みこみこにしにしにし給たま給たまたまひてひていて、、、高たか高たかたかくくく昇のぼ昇のぼのぼりりり給たま給たまたまへるなるべしへるなるべしえるなるべし。。。そのそのその御弟おほんおとうと御弟おほんおとうとおおんおとうと、、、四位しゐ四位しゐしいノノノ少將せうしやう少將せうしやうしょうしょう通能みちよし通能みちよしみちよしととと申まう申まうもうすなるすなるすなるははは、、、琴こと琴ことことひきひきひき給たま給たまたまふとぞきこえふとぞきこえうとぞきこえ給たま給たまたまふふう。。。
  32. 32淸暑堂せいしよだう淸暑堂せいしよだうせいしょどうののの御神樂みかぐら御神樂みかぐらみかぐらにもにもにも、、、ひきひきひき給たま給たまたまひけるとなんひけるとなんいけるとなん。。。師し師しし能よし能よしよしののの辨べん辨べんべんとておはせしとておはせしとておわせし、、、養やしな養やしなやしなひひい申まう申まうもうししし給たま給たまたまへるとへるとえると聞き聞ききききき侍はべ侍はべはべりしりしりし、、、これにやおはすらんこれにやおはすらんこれにやおわすらん。。。
  33. 33六條ろくでう六條ろくでうろくじょうのおのおのおほいどのゝほいどのゝほいどのの公達きんだち公達きんだちきんだちなどなどなど、、、僧そう僧そうそうももも多おほ多おほおおくおはすれどもくおはすれどもくおわすれども、、、さのみさのみさのみ申まう申まうもうしつくしがたししつくしがたししつくしがたし。。。山やま山やまやまににに相覺さうかく相覺さうかくそうかく僧都そうづ僧都そうづそうずとてとてとて、、、大原おほはら大原おほはらおおはらににに住す住すすみたまふおはしきみたまふおはしきみたまうおわしき。。。醍醐だいご醍醐だいごだいごにににははは大だい大だいだい僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょうとてとてとて、、、讃岐さぬき讃岐さぬきさぬきのみかどののみかどののみかどの護持僧ごぢそう護持僧ごぢそうごじそうにおはしきにおはしきにおわしき。。。
  34. 34奈良なら奈良ならならにににははは山やま山やまやましなでらのしなでらのしなでらの隆覺りゆうかく隆覺りゆうかくりゅうかく僧正そうじやう僧正そうじやうそうじょう。。。東大寺とうだいじ東大寺とうだいじとうだいじののの覺樹かくじゆ覺樹かくじゆかくじゅ僧都そうづ僧都そうづそうずととと申まう申まうもうしゝしゝししははは、、、東南ひんがしみなみ東南ひんがしみなみひんがしみなみ院ゐん院ゐんいんときこえときこえときこえ給たま給たまたまひきひきいき。。。皆みな皆みなみなやんごとなきやんごとなきやんごとなき學生がくしやう學生がくしやうがくしょうにおはしきにおはしきにおわしき。。。又また又またまた僧都そうづ僧都そうづそうずとてもおはしきとてもおはしきとてもおわしき。。。
  35. 35歌うた歌うたうたよみにぞおはせしよみにぞおはせしよみにぞおわせし。。。末すゑ末すゑすえののの世よ世よよののの僧そう僧そうそうなどなどなど、、、さやうによまんさやうによまんさようによまんははは有あ有あありがたくやりがたくやりがたくや侍はべ侍はべはべらんらんらん。。。白河しらかは白河しらかはしらかわノノノ院ゐん院ゐんいんののの、、、いとしもなくおぼしめしたるいとしもなくおぼしめしたるいとしもなくおぼしめしたる人ひと人ひとひとにておはしけるににておはしけるににておわしけるに、、、俊賴としより俊賴としよりとしよりのきみのきみのきみ、、、金葉集きんえふしふ金葉集きんえふしふきんようしゅうえらびてえらびてえらびて奉たてまつ奉たてまつたてまつりたりけるりたりけるりたりける始はじ始はじはじめにめにめに、、、貫之つらゆき貫之つらゆきつらゆき、、、「「「春はる春はるはる立た立たたつことつことつことをををかすがのゝかすがのゝかすがのの」」」といふといふという歌うた歌うたうた、、、そのつぎにそのつぎにそのつぎに、、、覺雅かくが覺雅かくがかくが法師ほふし法師ほふしほうしとてとてとて入い入いいりりり給たま給たまたまへりけるへりけるえりけるををを、、、「「「貫之つらゆき貫之つらゆきつらゆきもめでたしといひながらもめでたしといひながらもめでたしといいながら、、、三代さんだい三代さんだいさんだい集しふ集しふしゅうにもにもにも漏も漏ももれきてれきてれきて、、、あまりあまりあまりふりたりふりたりふりたり。。。覺雅かくが覺雅かくがかくが法師ほふし法師ほふしほうしももも、、、げにもともつゞきおぼえずげにもともつゞきおぼえずげにもともつづきおぼえず」」」。。。
  36. 36などなどなど仰おほ仰おほおおせられければせられければせられければ、、、ふるきふるきふるき上手じやうず上手じやうずじょうずどもどもども入い入いいるまじかりけりるまじかりけりるまじかりけり。。。又また又またまたいとしもなくおぼしめすいとしもなくおぼしめすいとしもなくおぼしめす人ひと人ひとひと、、、のぞくべかりけりとてのぞくべかりけりとてのぞくべかりけりとて、、、おぼえのおぼえのおぼえの人ひと人ひとひとをををのみのみのみ採と採ととりいれてりいれてりいれて、、、次つぎ次つぎつぎのたびのたびのたび奉たてまつ奉たてまつたてまつりければりければりければ、、、「「「これもげにともおぼえずこれもげにともおぼえずこれもげにともおぼえず」」」。。。
  37. 37ととと仰おほ仰おほおおせられければせられければせられければ、、、又また又またまた作つく作つくつくりなほしてりなほしてりなおして、、、源げん源げんげん之これ之これこれををを始はじ始はじはじめにめにめに入い入いいれたるれたるれたるをぞをぞをぞ、、、とゞめさせとゞめさせとどめさせ給たま給たまたまひけるひけるいけるははは、、、かくれてかくれてかくれて世よ世よよにもにもにもひろまらでひろまらでひろまらで、、、中なか中なかなかたびのがたびのがたびのが世よ世よよにににははは散ち散ちちれるなるべしれるなるべしれるなるべし。。。
  38. 38又また又またまた山やま山やまやまにおはせしにおはせしにおわせし妙たへ妙たへたえ香か香かか院ゐん院ゐんいんののの淸覺せいかく淸覺せいかくせいかく內供ないぐ內供ないぐないぐなどなどなど聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまひしひしいし、、、そのそのその內供ないぐ內供ないぐないぐののの一ひと一ひとひとつつつ腹はら腹はらはらにやにやにや、、、はたのはたのはたの御腹おほんはら御腹おほんはらおおんはらにやにやにや。。。治ぢ治ぢじ部ぶ部ぶぶ大輔たいふ大輔たいふたいふととと聞き聞ききこえこえこえ給たま給たまたまひしひしいし歌うた歌うたうたよみおはしきよみおはしきよみおわしき。。。
  39. 39人ひと人ひとひとににに知し知ししられたるられたるられたる歌うた歌うたうた、、、多おほ多おほおおくよみくよみくよみ給たま給たまたまへりしへりしえりし人ひと人ひとひとぞかしぞかしぞかし。。。「「「あふまであふまであうまでははは思おも思おもおもひもよらずひもよらずいもよらず」」」又また又またまた「「「身み身みみをををうちうちうち川がは川がはがわののの橋はし橋はしはし柱はしら柱はしらはしら」」」などきこえなどきこえなどきこえ侍はべ侍はべはべるめりるめりるめり。。。そのそのその御子みこ御子みこみこにににははは、、、實寬じつくわん實寬じつくわんじつかん法印ほふいん法印ほふいんほういんとてとてとて山やま山やまやまにおはすにおはすにおわす。。。
  40. 40六條ろくでう六條ろくでうろくじょう殿どの殿どのどのののの御子みこ御子みこみこははは、、、又また又またまたをををとこもとこもとこも、、、丹波たには丹波たにはたにわののの前司ぜんじ前司ぜんじぜんじ和泉いづみ和泉いづみいずみののの前司ぜんじ前司ぜんじぜんじなどなどなど申まう申まうもうしておはしきしておはしきしておわしき。。。はか〴〵しきすゑもおはせぬなるべしはか〴〵しきすゑもおはせぬなるべしはかばかしきすえもおわせぬなるべし。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

六条の右大臣(顕房)は、だいたい公達が大勢いらっしゃいました。太政大臣(雅実)に次いでは、大納言雅俊という方がいらっしゃいました。御母は美濃守良任と申した人の娘の腹です。京極に九体の丈六仏をお造りになりました。その御子は、それぞれの腹に男女が大勢いらっしゃいました。伊予守為家の主の娘の腹に、神祇伯顕重と申し上げました。もとは前少将で、肥前介に長くいらっしゃいました。その同じ腹に、四位の侍従顕親と申して、後は右京権大夫・播磨守などと申しました。同じ御腹に上野守顕俊という方がいらっしゃいました。中宮(育子?)の御祖父でいらっしゃるでしょうか。憲俊の中将と申した方は、後には大弐になられました。百良と童名を申しました。また摩尼君と申し上げた方は、左馬権頭などと申しました。このほかにも上野・越中などの国司になられた方が聞こえました。また僧の子も多くいらっしゃるのでしょう。大納言(雅俊)と同じ御腹に、中納言国信と申していらっしゃいました。堀河院の御叔父の中で、ことに親しくお仕えなさったと聞こえました。歌詠みでいらして、(堀河院)百首の歌人でもいらっしゃるようです。この中納言の姫君で、長女は近ごろまでいらした摂政殿(基実)の御母で、二位と申し上げるのでしょう。次は入道殿(忠通)にお仕えなさって、離れがたい人でいらっしゃるそうです。第三の君は今の殿(基房)の御母でいらっしゃいます。三位の位を得られたのでしょう。引き続いてお二人の一の人の御祖父として、たいそうめでたい御子孫です。

この中納言(国信)の御子に、四位の少将顕国という方がいらっしゃいました。その母は前伊予守泰仲の娘と聞こえました。その少将はたいそうよい人で、歌などもよくお詠みになりました。早く亡くなられました。少将と同じ腹の弟でいらしたでしょうか、備前前司・修理権大夫・越後守などと申し上げました。また六条殿の御子に、顕仲の伯と申し上げる方は、大納言・中納言などの兄でいらしたでしょうか。その母は肥前守定成の娘の腹でいらっしゃるでしょうか。歌詠みで、笙の笛の名手でいらっしゃいました。公里といった者が調子をすぐれて伝えていたのを、写し習われたとか。その御子は淡路守・宮内大輔などと申しました。覚豪法印といって、法性寺殿(忠通)が仏のように頼みになさった方がいらっしゃいました。僧の子も大勢いらっしゃるのでしょう。女子は堀川の君・兵衛の君などと申し上げて、皆歌詠みでいらっしゃると聞こえました。姉君は、もとは前斎院の六条と申したのでしょうか。金葉集に、

露の多い野辺に(鳴き)慣れて、きりぎりすが私の手枕の下で鳴いていることだ。

とお詠みになったのでしょう。堀川とは後に申したのでしょう。このような女の歌詠みが世に出てこられることは、めったにないでしょう。

また楊梅の大納言顕雅という方が、六条の大臣の御子でいらっしゃいました。その子孫はあまりいらっしゃらないのでしょう。御娘は、鳥羽の女院(美福門院)が皇后宮の時に御匣殿としていらっしゃいました。女院の御兄の肥後前司と申した人は、大納言の婿でいらしたからでしょう。その大納言の御車の紋こそ、きらきらとして遠目にも白く見えました。大方喰の古い絵に、弘高・金岡などが描いたものでしょうか、それを見てなさったそうです。今は乗られる人もいらっしゃらないのでしょうか。字などをお書きになることもなかったのでしょうか。行尊僧正のもとに送られた手紙の上書きには、「きんざう はうとうゐんの僧正の御坊に(謹上 平等院の僧正の御坊に)」とありました。仮名ならば「謹上」はなくてもよいのに、お書きになれなかった余りでしょうか。言葉もうまく申し上げられませんでした。ただ車だけは普通よりもよく仕立てて、牛や雑色もこぎれいにして出歩かれました。車などをよくするのは不似合いなことだといって、剥げてみすぼらしくなっても、急に担ぎ据えたものをこそ、しかるべき人はそうすると申すこともあるでしょう。これもまた一つのやり方で、つややかになさったのでした。風病などが重くていらしたのでしょうか、言い間違いをいつもなさいました。雨が降るのに「車を引き入れよ」と言おうとして、「車が降る。時雨を差し入れよ」と言ったので、「車がさまざまに空から降ってきたら、たいそう恐ろしいことだろう」などと思い合いました。このようなことを堀河院がお聞きになって、「言い間違いこそ気の毒だ。祈祷はしないのか」と仰せられたので、お返事を申し上げているうちに鼠が走り渡ったので、「それで等身の鼠を作らせております」と申されたので、「まったく言うまでもない」と仰せられたということです。この方は信濃守伊綱の娘の腹でいらっしゃるのでしょう。

同じ腹に信雅の陸奥守という方がいらっしゃいました。加賀守家定といって長くいらしたが、後に陸奥守になられたのです。その子は成雅の君といって、知足院の入道大臣(忠実)が寵愛なさった人でいらっしゃると聞こえました。後には近江の中将と申したころ、都が乱れました折(保元の乱)、左大臣殿(頼長)の縁で法師になって越の方に流されたと聞こえましたが、帰り上られたのでしょう。その成雅の中将の兄か弟かで、房覚僧正といって三井寺に験者がいらっしゃると聞こえます。また六条殿の御子に、因幡守惟綱の娘の内侍の腹に、雅兼の治部卿と申す中納言がいらっしゃいました。学才がすぐれ、公事にお仕えになることも、昔にもめったにない人でいらっしゃいました。詩を作り、歌詠みでいらっしゃいました。高い位にも至られるはずだったのを、ご病気によって出家なさって、長くいらっしゃいました。鳥羽院が大事をご相談なさろうと、いつも召し出してお会いになる折々がございました。この入道中納言の公達こそ、この御流れでは上達部などとしても大勢聞こえます。右中弁雅綱と申し上げた方は、よくお仕えになるといって四位少将などに珍しくなられたりしましたが、早く亡くなられました。その弟で能俊大納言の娘の御腹に、今の中納言雅頼と申し上げる方こそ、入道治部卿の御子の中では学問などを伝えておられるでしょう。家を継いでおられる人です。同じ御腹で、その次に大納言と申す方(定房)は、入道右大臣(雅定)が養子になさって、高く昇られたのでしょう。その御弟で四位少将通能と申す方は、琴をお弾きになると聞こえます。清暑堂の御神楽でもお弾きになったそうです。師能の弁という方が養い申されたと聞きましたが、この方でいらっしゃるでしょうか。

六条の大臣の公達などは、僧も多くいらっしゃるけれども、そうむやみに申し尽くすことはできません。比叡山に相覚僧都といって、大原に住んでいらっしゃる方がいらっしゃいました。醍醐には大僧正定海といって、讃岐の帝の護持僧でいらっしゃいました。奈良には山科寺(興福寺)の隆覚僧正。東大寺の覚樹僧都と申し上げた方は、東南院と申し上げました。皆尊い学僧でいらっしゃいました。また覚雅僧都という方もいらっしゃいました。歌詠みでいらっしゃいました。末世の僧などで、そのように詠む者はめったにないでしょう。白河院がたいして評価なさらなかった人でいらしたが、俊頼の君が金葉集を撰んで奉った時、初めに貫之の「春立つことをかすがのの」という歌、その次に覚雅法師として入っていらしたのを、(院は)「貫之もすばらしいとはいえ、三代集からも漏れてきて、あまりに古い。覚雅法師も、なるほどと続けて思えない」などと仰せられたので、古い名手たちは入れてはならなかったのだ、また(院が)たいして評価なさらない人も除くべきだったのだといって、ご寵愛の人だけを採り入れて、次の度に奉ったところ、「これもなるほどとは思えない」と仰せられたので、また作り直して、源重之を始めに入れたものを(院は)お留めになったのは、隠れて世にも広まらず、中の度(二度本)のものが世には散らばっているのでしょう。また比叡山にいらした妙香院の清覚内供などと申し上げた方、その内供と同じ腹か、別の御腹か、治部大輔雅光と申し上げた歌詠みがいらっしゃいました。人に知られた歌を多くお詠みになった人ですよ。「あふまでは思ひもよらず」、また「身をうち川の橋柱」などが聞こえるようです。その御子には、実寛法印といって比叡山にいらっしゃいます。六条殿の御子は、また男も丹波前司・和泉前司などと申していらっしゃいました。はかばかしい子孫もいらっしゃらないのでしょう。

意訳

顕房には多くの子があり、それぞれの家系が語られる。中でも国信の娘たちは、忠通の妻となって摂政基実・関白基房を産み、村上源氏が摂関家の外戚ともなったことを示す。

顕仲の娘堀川(待賢門院堀河)は院政期を代表する女流歌人。章題の「武蔵野の草」は、村上源氏の子孫が武蔵野の草のように数多く広がったことにちなむのであろう。

楊梅大納言顕雅は言い間違いが多く、雨の日に「車を引き入れよ」を「車ふる、時雨さし入れよ」と言い、堀河院に祈祷を勧められると、鼠が走ったのを見て「等身の鼠を作らせております」と答えたという。今鏡には珍しい滑稽譚である。金葉集が白河院の注文で三度作り直され、二度本が世に流布したという話は、和歌史上の貴重な証言である。

語釈・文法注

大納言雅俊
源雅俊(1064〜1122)。顕房の子。
丈六
一丈六尺(約4.85メートル)の仏像。
神祗ノ伯顯重
源顕重。雅俊の子。
中納言國信
源国信(1069〜1111)。顕房の子。歌人。
二位
源信子。国信の娘。忠通の妻。基実の母。
攝政殿
藤原基実(1143〜1166)。忠通の子。摂政。
今の殿
藤原基房。忠通の子。今鏡の「今」の摂政。
四位の少將顯國
源顕国。国信の子。
覺豪法印
顕仲の子。忠通に信頼された僧。
堀川の君
待賢門院堀河。顕仲の娘。百人一首「長からむ心も知らず黒髪の」の作者。
楊梅の大納言顯雅
源顕雅(1074〜1136)。顕房の子。
みくしげどの
御匣殿。宮中の装束を調える所の長官である女官。
かたばみ
方喰(片喰)の紋。
弘高金岡
巨勢弘高と巨勢金岡。平安時代の絵師。
きんざう
謹上。手紙の宛名に添える敬語。仮名で書いたのを笑っている。
風
風病。中風など、神経系の病気。
成雅の君
源成雅。信雅の子。忠実の寵臣。保元の乱で流された。
雅兼の治部卿
源雅兼(1079〜1143)。顕房の子。
中納言雅賴
源雅頼(1127〜1190)。雅兼の子。
大僧正定海
定海(1074〜1149)。顕房の子。醍醐寺座主。
覺雅僧都
覚雅(1090〜1146)。顕房の子。歌人。
金葉集
源俊頼が白河院の命で撰んだ第五の勅撰集。初度本・二度本・三奏本がある。
源重之
平安中期の歌人。三十六歌仙の一人。
治部大輔雅光
源雅光(1089〜1127)。顕房の子。歌人。

文法

おほかたいふにも足らず
まったく言うに足りない(話にならない)。
ふるき上手ども入るまじかりけり
古い名手たちは入れてはならなかったのだ。

和歌

露しげき野べにならひてきり〳〵す我が手枕の下に鳴くなり

詠者
待賢門院堀河
状況
金葉集に入った秋の歌。

修辞

擬人法
露の多い野辺で鳴くことに慣れたきりぎりすが、涙で濡れた自分の手枕の下で鳴く、と恋の涙をほのめかす。

解説

金葉集の撰進過程についての記事は、勅撰集の成立事情を伝える同時代の証言として重要である。今鏡の語り手が和歌の世界に深い関心を持っていたことがうかがえる。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、322〜330頁(コマ176–180)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日